合衆国日本の国家としての機能は未だ脆弱である。
内閣府は未だ設立しておらず、国内の混乱も治まっていない。日本軍もまだ設立していない。
そのため革命軍であった黒の騎士団は現在、実質的な合衆国日本軍として機能していた。
黒の騎士団は人材も装備も充実しているとはいえ、これまでの敵対勢力への軍事行動とは毛色の違う、国防の仕事が任務の大半を占めることとなったために現場では混乱が多い。ゼロと幹部は定期的に会議を開いて業務内容に不具合が無いか厳重にチェックしていた。
定例会議に姿を現したゼロは、見慣れないブリタニア人を伴っていた。
ジャーナリストが本業であるディートハルトとはまた雰囲気の違う男で、軍人のように禁欲的な身なりをしている。立ち姿からして隙が無く、その男が会議室に姿を現すなりカレンと藤堂以外の幹部陣は自然と緊張を高めた。
雰囲気が張り詰めたことを察しているだろうにゼロは言葉無く着席し、背後にジェレミアを立たせた。その口調は普段と同じく淡泊だった。
「時刻となったので、これより定例会議を始める。まず彼を紹介しよう。彼は今日から私の親衛隊の一員となった、ジェレミア・ゴットバルトだ。今後、私の身辺警護は彼に一任する」
「ふうん、そいつが昨日運び込んできたあのでっかいオレンジの操縦者かい?」
「そうだ」
戦場で敵対関係にあった巨大なKGF、ジークフリートの存在は軍内に知れ渡っている。その操縦者が突然黒の騎士団に入団した、それも精鋭のゼロ親衛隊に。
何か思惑があるのではと疑惑の眼がジェレミアへと集まる。衆目の視線を肌身で感じながらもジェレミアは表情を微塵も変えず、ブリタニア人らしい彫りの深い顔を無表情のまま保っていた。
我関せずといった態度に反感を抱いた者も、敵意を向けられながらも崩れない泰然とした態度に感心した者もおり、会議室には一時的に騒めきが満ちた。
しかし技術長官のラクシャータは敵意も好意も顔に上らせず、常の艶っぽい表情のまま煙管から白煙を吐いた。
「ま、私としてはあのジークフリートとかいう機体に触らせてくれれば文句は無いけど。あれ、弄ってもいいのよねえ?」
「あれは生体結合を前提とした機体だから量産には向かんだろう。しかし改良・整備は貴女に頼むこととなる。好きなだけ触ると良い」
「へえ、生体結合……ふうん、あんたサイボーグかい?」
「―――ああ。一部ではあるが」
冗談だと思ったのだろう、ラクシャータはきゃらきゃらと弦楽器のような笑い声を上げた。
扇は戸惑った顔をしながらジェレミアとゼロの顔を交互に見ながらおずおずと口を開いた。
「ゼロ、お前が決めたことなら俺は反対しないが……その男は信用が置けるのか?あの機体の操縦者ってことは、敵だったんだろう?」
「彼は私がゼロを名乗る前からの知り合いだ。ゼロが私であることを知って、ブリタニアを裏切り私の味方になることを決心したらしい。故に彼はゼロ親衛隊に入って貰うが、黒の騎士団の方針に関わることは無い」
「つまりさあ、そのブリタニア男は黒の騎士団のメンバーっていうより、ゼロの個人的なお友達ってこと?」
どうでもよさそうな心情を隠すことなく告げた朝比奈に、どう返答していいものかルルーシュは一瞬首を捻って曖昧に頷いた。
自分とジェレミアは友達ではない。しかしどういった関係なのかと問われると非常に困る。言葉にできるような類のものではない。
「公私混同しないのであれば問題も無かろう。ゼロは内政の仕事が多くなった分、移動も多くなった。護衛は多い方が良いし、気心が知れた者の方がより護りやすい。女性の紅月だけでは護衛するのに困難な場面もあるだろう」
藤堂から援護射撃を貰い、ジェレミアは軽く頭を下げた。
後で説明して貰いたい、という意図を込めて藤堂はゼロを見やり、その意図をルルーシュは正確に察知して小さく頷いた。
「ではジェレミアについては良いとして……次に、皆に報告することがある」
「良い知らせと悪い知らせ、どっちだい?」
「両方だ」
ゼロは机を指先で叩き、自身を落ち着かせようと試みた。
背後のスクリーンにブリタニアから送られてきた文書を映す。
「―――神聖ブリタニア帝国宰相、シュナイゼル・エル・ブリタニアが合衆国日本を承認するという旨の連絡をしてきた。そのためにブリタニア宰相と合衆国日本の間で会談を設けて欲しいらしい。要求を受けるのならば、来週にはブリタニアと合衆国日本間で、初の会談を開くことになるだろう」
その場にいた全員は言葉を詰まらせ、画面に移された公式文書を視線で焼き尽くすことを試みているかのように見入った。
今や英雄を支えた名将と世界に知られる黒の騎士団幹部ともあろう者達が、揃って唖然とした表情を隠そうともしない光景に、しかしジェレミアは無理もないと息を吐いた。長年ブリタニアに支配されてきた日本人には予想もしていなかった展開だろう。
神聖ブリタニア帝国が合衆国日本を承認することは、ブリタニア側にはもう日本を侵攻する意思がないことを公に認めたことと同義になる。それは日本だけでなく、その向こうにある中華連邦やインドを併呑することも諦めたことも意味する。
実質的なブリタニアの敗北宣言であり、永遠に続くかと思われた戦争の終結へようやく指先がひっかかったと言える。
「それって、もう戦争が終わるってことじゃあ、」
「ただしっ」
純銀製の鐘のように響くゼロの声は会議室に広がった喜色を切り裂くように響いた。
「シュナイゼルの判断によりブリタニアが合衆国日本を承認することは、そもそもが不可能なことだ。専制国家である神聖ブリタニア帝国においては、皇帝が国政に関する全権限を掌握している。そしてブリタニア皇帝はこの件に関して未だ何の発言もしていない。これは皇帝を蔑ろにしたシュナイゼル宰相の単独暴走とも捉えられる」
「でも宰相が認めたんだろ?だったらもう戦争は終わりってことでいいじゃねーか!」
楽観的な玉城の発言に、藤堂は苦々し気に顔を顰めた。
「そんな問題ではない。もしこの件を切っ掛けにシュナイゼルと皇帝が争うような事態になれば、我々はシュナイゼルの味方をせざるを得なくなる……」
「ブリタニアの内政に踏み込むのはリスクが高い……でもシュナイゼルが合衆国日本の味方をしてくれるというのなら、リスクを冒す価値があるんじゃないか?」
南の発言にゼロは首を横に振った。
「シュナイゼルが皇帝排斥のための武力を欲して黒の騎士団に近寄ってきたとして、彼の思惑通りに事が成った後まで合衆国日本を容認しておく理由には成り得ない。我々は大掃除を終えた後のボロ雑巾とされる危険性さえある。とはいえ、無視をする訳にもいかない」
ゼロは画面に映し出された公式文書を忌々し気に見上げた。
「――――あちらが平和を望むのであれば、受け入れるのが筋だ。銃を向けていない相手に銃を向けてはならない。それは黒の騎士団の理念でもある」
「でもさあゼロ、シュナイゼルがマジで皇帝と事を構える気だったらどうするんだ?」
「我々は内政干渉を行う権利を持たない。シュナイゼルとは友好的関係を築くことになるかもしれんが、彼へと積極的に協力する義務はない」
「でもシュナイゼルが『合衆国日本を亡ぼされたくなかったら俺の味方をしろー!』とか脅迫してきたらどうするんだよ。あいつはコーネリアより強いんだろう?」
朝比奈の沈んだ声色に、ゼロは机上で結んだ両手を軋ませた。その背中からは暗色の覇気が漂っていた。
捕食者に対する本能的な恐怖に似た酷寒が会議室に吹き荒れた。
「その時はこの私に喧嘩を売ったことを後悔させてやるまでだ。あの男の掌上で踊ってやるつもりは私には無いし、日本を貢いでやるつもりもない。
あの男がお綺麗な顔で我々を脅迫した瞬間が、皇帝と黒の騎士団、双方を敵に回す瞬間となるだろうよ」
黒い姿から立ち上る圧倒感に朝比奈は身を竦ませた。
朝比奈はゼロよりも藤堂の方が黒の騎士団の総司令官として相応しいと思っている。
それは藤堂に対する義理や、ゼロが日本人ではないという事実ではなく、ゼロの秘密主義的な思考が朝比奈には受け入れがたいものであったからだった。
皆がゼロの指揮の下命懸けで戦っているというのに、人種も名前も明かさないゼロの態度はまるで部下を駒のように扱う傲慢なもののように映る。さらにゼロだけではなくその愛人であるC.C.も来歴が全く知れず、明確なC.C.への特別扱いは、愛人のC.C.さえ無事であれば他の団員が死んでも眉一つ動かさないだろう酷薄な態度を顕著に示しているようであった。
だがそんな朝比奈でさえ認めざるを得ない程に、ゼロの能力は本物だった。
藤堂が黒の騎士団のトップであったらこんなに短期間で合衆国日本の建国は成らなかっただろう。
そこまで理解できているからこそ、藤堂が今一歩ゼロに及ばない現状がどうにも気に食わない。
ゼロがもっと無能であったのならば陰から嘲り笑うことで少しは留飲が下がったものを。
「どうした朝比奈」
「いや、別に」
朝比奈は口元を吊り上げるような笑みを浮かべて肩を竦ませた。
「まあ、ゼロがそう言うならそうすればいいんじゃないかな。トップはゼロなんだから」
ゼロに対して朝比奈が批判的であることは周知されており、皮肉気な口調を誰も咎めはしなかった。
一人ジェレミアだけが、朝比奈の態度に薄っすらとした嘲りの表情を浮かべていた。
■ ■ ■
ゼロの自室に戻るなりルルーシュは仮面を剥ぎ取った。
部屋にはカレン、C.C.、ジェレミア、そして藤堂がおり、ローテーブルを囲んでソファに体を沈めていた。ルルーシュもマントと仮面を置いた後にジェレミアとC.C.の間に体を滑り込ませた。
藤堂は視線をジェレミアに注ぎ、過去を思い出そうを首を捻っていた。
「ゼロ、いや、ルルーシュ君。彼は確か……」
「藤堂は会ったことがあるだろう。俺の騎士のジェレミアだ」
俺の騎士、という言葉を耳にしたカレンは歯の根から金属が軋む音ような音を発した。
彼女の方を振り向いたジェレミアは、令嬢然とした可愛らしい顔が嫉妬で覆われているのを目の当たりにし、この少女もルルーシュの魅力の犠牲者かと察した。
良くも悪くもルルーシュは人を惹き付けて止まない。だが彼女の懐に受け入れられるのは至難の業であり、それ相応の資格が必要となる。その資格条件を知っているのはルルーシュしかいない。しかしジェレミアには、自分はルルーシュの懐の中でも最も深い場所にいるという眩すぎる自覚があった。
自分がいない間に騎士の代理を務めていた少女へ仄暗い優越感が湧き上がり、ふふんと鼻で笑ってみせる。
試合のゴング代わりにカレンの形の良い眉が跳ね上がった。
「へえ、騎士。騎士ねえ。その騎士様はこれまで一体どちらにいらしたのかしら?ああ、そういえばブラックリベリオンの最中で見かけたような気がするわ。でもルルーシュを殺そうとしていたように見えたのは私の気のせいかしらぁあ?」
カレンのカウンターは優越感で浮ついていたジェレミアの自尊心を見事ノックアウトした。
破砕された騎士としての自負心と共に、ジェレミアは悲鳴とも呻き声とつかない声を上げて顔を俯かせた。
「ジェレミアが、ルルーシュ君を殺そうと……?」
「色々と事情があったんだよ。気にするな。俺は気にしていない。カレンも、あんまりジェレミアを虐めるのは止めてくれ。自分の意思でどうにもならなかったことを責めるのは騎士として相応しい行為ではないと思わないか?」
宥めるようなゼロの口調にカレンはむくれてぷい、と顔を逸らす。
ジェレミアは痛む胸を押さえながらも藤堂に向き直った。
「し、失礼した。諸事情あり、これまでルルーシュ様のお傍にいられなかったのだ。今後はゼロの親衛隊の一員として黒の騎士団に加わらせて頂く」
「ゼロがそう決定したのなら私に否やは無い。そもそもルルーシュ君がゼロであるのなら、選任騎士である貴公がいないという方がおかしな話だ。今後はよろしく頼む」
儀礼的な返事を返す藤堂の厳めしい顔は、良くも悪くも6年前と何も変わっていないように見えた。
上からの命令へ忠実に従い、それ以上のことをしない。
ジェレミアから見て藤堂は確かにゼロの良い部下として映ったが、それ以上に成り得るとはとても思えなかった。まだ藤堂よりカレンの方が自立性が高く、覇気がある。カレンの若さもあるだろうが、日本人とブリタニア人のハーフという立場がカレンの精神を強く育んだのだろう。
ルルーシュの次の発言を知っているからこそジェレミアは藤堂へ同情の目を向けた。過分な職責程に、藤堂のような真面目な人間を追いつめるものは無い。
「それでルルーシュ君、私を呼んだのは……」
「分かっているだろう、俺の次のゼロについての話だ。シュナイゼルと協力することになるにせよ、このまま中立を保つにせよ、ゼロが皇族であるという事実は黒の騎士団にとり不利だ」
その話は藤堂の予想していたものと寸分違わなかった。
だとすればこの話の結末も藤堂の予想していたものかもしれない。額から冷汗が零れるのを感じながら、藤堂は冷然とした表情を崩さないルルーシュへと声を荒げた。
「しかし発覚さえしなければ問題は無いだろう。君以外の者にゼロが務まるとは思えない…っ」
「もうシュナイゼルは俺がゼロだと知っている。ブリタニアにとっても反ブリタニアの旗手が皇族であることは、皇帝玉座が脅かされるリスクを高める要因となりえるから、そうそう簡単に報じたりはしないだろうが……しかしシュナイゼルが本気で皇帝に反旗を翻すつもりであるのならば、私をネタに黒の騎士団を脅迫してもおかしくはない。ゼロが皇族だとバラされたくなければ自分に協力しろ、とな」
「だがそれを言えばシュナイゼルも自分の首を絞めることになる。ゼロがルルーシュ君だと世間が知れば、君をブリタニア皇帝に勧める声は小さくないだろう」
「あいつは俺が皇帝になっても気にしないだろうよ。むしろ人の陰に立って世界を操ることを好む男だ。ゼロが皇族であると発覚して黒の騎士団の存在意義が瓦解しても、俺が皇帝となってシャルルを追放することになっても、黒の騎士団がシュナイゼルに全面的な協力を結ばざるを得なくなっても、あいつには利益しかない。早めに無用な芽は摘んでおくに限る。だが……」
ルルーシュは不満げに鼻を鳴らした。
「お前の言う通り、未だ不安定な合衆国日本を俺がここで放り出す訳にもいかん。ひとまず内閣府が安定するまでは俺がゼロを務めよう。だがその後は俺以外の者がゼロとなった方が良い。そして俺の次のゼロだが、」
菫色の瞳が藤堂のそれと交わった。冷汗が頬を伝い、顎から零れ落ちる感覚が妙にゆったりと感じられた。
藤堂は自分の最悪の予想が当たってしまったことを確信した。
「藤堂、貴公に頼みたい。全ての弱者の味方として、世界の理不尽へと叛逆の狼煙を上げる、英雄ゼロとなってくれ。今の段階においてそれができるのは貴公しかいない」
奇跡の名よりも、ゼロの名はさらに重いのではないか。
藤堂は身震いし、ぶんぶんと首を横に振った。とんでもないことだ。
藤堂は聡明であり、自身の能力をわきまえていた。あくまで自分は軍人でしかなく、その範疇から抜け出せる器量を持たないことも察していた。戦術レベルに終始する軍司令官ならともかく、戦略眼が何よりも必要となるゼロを自分が務められる筈が無い。
ルルーシュは俯く藤堂を窘めるように告げた。
「俺がゼロを辞める頃には、ゼロは単なる平和のアイコンになっているだろう。お前は戦争が完全に終結するまで、戦術レベルでの勝利を積み重ねてくれればいい。戦争が終わればもうゼロも必要がなくなる。長く見積もってもあと3年はかからんだろう」
「その3年の間にどれだけの人間が軍人になり、どれだけの人間が戦場に向かい、どれだけの人間が死ぬと思っているんだ……っ、ルルーシュ君、私は君のように聡明な人間ではない。だが器量にそぐわない権力を得ることがどれだけ愚かな事か知っているつもりだ。私はその役目を受けることはできない。そこまで愚昧な人間に成り下がることは、私にはできない……」
「では探せ。藤堂、俺の代わりにゼロと成り得る人間を探し、俺の前に連れてこい。出来なければお前がゼロになるんだ。シュナイゼルとの会談が今週中に迫っている以上、時間の猶予はあまり無いぞ」
どうしてこうなってしまったのか。
藤堂は膝の上で拳を握り締めながら、ゼロの代わりと成り得る人間を脳裏で探した。自分も含めて、実力と才覚のある人物を端から端まで吟味し尽くした。
だがその誰もがルルーシュという輝きの前では色褪せた小石のようにしか見えなかった。
■ ■ ■
合衆国日本に新設されたブリタニア大使館の職員として、スザクは合衆国日本へと向かった。会談のため訪日することになったシュナイゼルの護衛も兼ねており、そのいで立ちは軍人のそれと変わらない。
到着した飛行機の窓から遠目に富士山が見えて目を細める。
タラップを降りて、スザクはシュナイゼルと共にそのまま車に乗り込んだ。柔らかいクッションの後部座席に体を沈める。
カノンは助手席に座り、張り詰めた背後の空気にちらちらと視線を向けた。感情の欠片さえ表情に出そうとしないスザクへシュナイゼルはどう対応すれば良いのか分からず、手を拱いているようだった。
「枢木卿、疲れていないかい?」
「はい」
「……君が私の護衛なのは会談予定のホテルに到着するまでだ。あくまで大使館職員として配属されてきたのだから、君には私と同行する義務は無いのだからね。トウキョウに到着した後は好きにしなさい。勤務は来週からだから、それまではゆっくりするといい。アッシュフォード学園に再入学したいならそう手配しよう」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「…………その、何か必要なものでもあれば、」
「殿下」
スザクの目は全ての温度を失っていた。復讐のため旅立ったコーネリアとはまた違う色合いであった。その口調には感情の起伏らしきものは全く見受けられず、地面を這うように響いていた。
「私程度の者に殿下が配慮なさる必要などございません。神聖ブリタニア帝国と合衆国日本の行方は今、殿下の双肩に掛かっていらっしゃるのです。殿下ともあろうお方が小官のために宸襟を悩ますなど、光栄ではありますが帝国の在り様に悖りましょう」
「………君が心配なんだよ」
シュナイゼルの言葉にスザクは眉を顰め、「いらぬ心配です」と返答して口を閉じた。
それきり木石のように佇み続けるスザクの対応は自分の手に余ると察し、シュナイゼルはルルーシュに全て任せることに決めた。スザクは友人であるルルーシュにそれなりに心を開いている様子であったし、人心掌握に長けるルルーシュならば少なくとも自分より上手い対応を取るだろう。ここで余計に話しかけて、さらに頑なな態度を取られては敵わない。
車はそのままトウキョウに到着し、スザクはシュナイゼルと別れて真っすぐにクラブハウスへと向かった。だがそれはシュナイゼルの目論見通りにルルーシュやナナリーと会うためではない。
むしろ二度と自分は彼らに近づかない方が良いだろうとスザクは思っていた。日本を取り戻し、戸籍を手に入れ、ジェレミアを取り戻したルルーシュにはこれ以上戦う必要は無い。
ルルーシュは長い戦いの末、ようやく安寧を手にする機会を得たのだ。その彼女に自分が接触すると、無用な戦いに巻き込んでしまう可能性がある。
スザクがクラブハウスに向かった理由はルルーシュやナナリーとは別にあった。
あの女はルルーシュの傍にいる。恐らくはクラブハウスにいるだろう。クラブハウスにいなければ政庁か、斑鳩にいるかもしれない。そうなれば厄介である。
クラブハウスの扉をノックするとルルーシュが顔を出した。ルルーシュは最後に会った時よりも肌に色味が加わり、人間らしい柔らかな雰囲気を醸し出していた。剥き出しにされていた警戒心や敵意が皮膚の後ろに隠され、代わりに生来の苛烈さと甘やかさが入り混じった複雑な人間性が瞳の奥で瞬いている。
元から並外れて整った容姿であったが、今や神々しささえあった。
スザクの姿を視界に入れたものの、ルルーシュはそれが一瞬誰なのか分からず怪訝な顔をした。だがスザクのアジア人にしては淡い特徴的な色彩に瞠目した。
「す、スザ、」
「ルルーシュ、久しぶり」
久しぶりに顔を合わせたスザクの顔に、ルルーシュは二の句が継げなかった。
若く生き生きとしていたスザクと今のスザクは、顔の造り自体は変わらない。しかし今のスザクはルルーシュの知る優しいスザクと同人物とはとても思えなかった。
濃い肌色は土気色に変色し、薄く引き締まっている唇には紫斑がまだら状に浮かんでいる。特に変化しているのは瞳だ。大粒の翡翠のように澄んでいた碧眼は、今や淀んだ川底のように濁っており、見ていると背筋が粟立つような忌避感を呼び起こした。
ルルーシュは内心の動揺を顔に出さないよう奥歯を噛みしめながら、なんともなさげに笑みを浮かべた。
「―――ああ、久しぶりだなスザク。聞いたよ、大使館に左遷させられたんだって?災難だったな」
「うん、でもしょうがないよ。主君を護れなかったんだから……ねえ、入ってもいいかな?」
「勿論だ。紅茶でも淹れよう、いい茶葉が入ったんだ」
「ありがとう」
スザクは彼女を探すため寸断なく眼球を動かしながら、クラブハウスへと足を踏み入れた。
ルルーシュと共にリビングへの扉を開ける。
暖かい空気がリビングから流れ込んできた。風に混じって花の匂いがする。夕暮れ時の赤い日の光が部屋に差し込んでいた。
部屋の中を見回すと、ソファの背もたれに隠れて栗色の髪を持つ少女が座っていた。
「……ナナリー」
小さなスザクの呟きにナナリーは振り返った。ナナリーの眼は開け放たれていた。ルルーシュよりも青味の強い紫色がスザクの方へと向く。瞳が開くとナナリーの印象は一気に大人びたものになった。大輪の花を思わせるような華やかな容姿は、ナナリーが少女から女性へと成長している証のようだった。
初めてナナリーの瞳を目の当たりにして、スザクは全身が打ち震えるのを感じた。
ナナリーの目が見えるようになったことへの驚きだけではない。ナナリーの瞳の色はユーフェミアのそれとあまりにもよく似ていた。高貴で純粋な、無垢な瞳――――
これから先の人生で二度と見ることは無いだろうと思っていた美しい瞳に、スザクはまるで自身が咎められているような気がして目を伏せた。
「……まさか、あの、スザクさん?」
「うん。そうだよナナリー」
「ス、スザクさん、スザクさん!お久しぶりです!」
目の開かれたナナリーは花の精のように愛らしい風貌をしていた。コーネリアより余程ユフィに似ている。
スザクは頬を無理やり吊り上げて笑みの形を作りながらナナリーに近寄り、跪いて両手を握った。
「目が見えるようになったんだね」
「はい……はいっ、スザクさんは6年前とちっとも変わってませんね。髪がくるくるしていて、瞳の色も綺麗な碧色で、お顔も優しくて、」
「ありがとうナナリー。僕も君の瞳がこんなに綺麗な色をしているだなんて知らなかったよ」
間近で見る年上の幼馴染の微笑みと、あまりに真っすぐな誉め言葉に、ナナリーはかっと頬に血を集めた。
スザクとユフィが思い合っていたということをナナリーは薄々気づいていた。テレビから聞こえてきた2人の声には騎士と主君以上の好意が込められていたし、遊びに来たスザクがユフィについて話す時の声には滲み出るような恋情が秘められていた。
しかしそれでも、と心の端で思ってしまう。
だって、ユフィは死んだのだ。
そんな自分が情けなく、浅ましいと思いつつも、ナナリーは握られたスザクの手を強く握り返した。
「スザク、時間があるなら夕食を一緒に食べないか?今日は咲世子さんと一緒に俺とナナリーが作るんだ。丁度和食にしようと思っていたんだよ」
「いいの?じゃあお邪魔しようかな」
「邪魔だなんて、スザクさんが一緒に食べて下さってくれるなら嬉しいです」
「僕もナナリーが作るごはんが食べられるなんて嬉しいよ。でも怪我はしないように気を付けてね」
「はい。でも料理をするのは初めてなので……味に期待はしないで下さいね」
頬を赤らめるナナリーの頭を撫でて、スザクは音も無く立ち上がりルルーシュの方を振り返った。
「ごめんルルーシュ、ちょっとお手洗い借りてもいいかな」
「ああ。場所は分かるか?」
「うん」
「ちゃんと手を洗えよ。これから食事なんだからな」
「分かってるよ、もう」
スザクは苦笑しながら手を振ってリビングを出た。
その瞬間に浮かべていた微笑みが消失する。
五感を研ぎ澄ますと、人の気配が5つ感じられた。ルルーシュとナナリーの他に3つ。キッチンに猫のように身軽な気配がある。メイドの咲世子だろう。そして軍人特有の体捌きをする男が1階に一つ。これはジェレミアだ。
そしてもう一人。
スザクは気配を殺して2階に上がった。その気配はルルーシュの私室にあった。
扉を開けると整然とした部屋の中で、新緑色の長い髪をした美女がベッドに寝そべっていた。部屋の主の潔癖性を表すように塵一つなく整えられた部屋の中で、その女性の周囲にだけゴミが散乱している。しかしそのことを気にする様子も無くC.C.は顔をチーズで汚しながらピザを頬張っていた。
C.C.は扉を開ける音に振り向き、面倒臭そうに眉根を顰めた。
「なんだ、枢木スザクか。ルルーシュならここにはおらんぞ」
「お前がコード保持者だな」
背筋が凍り付くような敵意が満たされた、臓腑の底を這うような声だった。その場にいたのがC.C.でなければ恐怖のあまり泣きわめいたかもしれない声色をしていた。
しかしC.C.はほんの少し顔を顰めただけで、全ての感情を削ぎ落したようなスザクを静かに見上げた。
スザクは部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。
そのままスザクは怪訝な顔をするC.C.に大股で近寄り、細い腕を掴んで捻り上げた。
ピザがシーツの上に落ちる。C.C.の腕は掌が容易に回る程に細く、軽く握り締めるだけで赤褐色に鬱血した。
そのまま柔肌に爪を立てる。腕に筋が浮く程の力を籠めると、肌が裂けて血が滴った。爪先が肉に埋まる生暖かい感触がする。赤い雫が腕を伝って白いシーツを汚した。
「おい、何を」
「貴様のせいでギアスがばらまかれているそうだな。ユフィはギアス嚮団のせいで殺されたんだ。お前が無関係だったとは言わせない」
「私はユーフェミアの一件に関りはない。そもそもどうしてお前は私がコードを持っていると思うんだ。私が誰かにギアスを渡したところを見たとでも言うのか?」
「頭」
コツコツ、とスザクはC.C.の頭蓋をつついた。頭蓋骨が指の一本で軋むような音を立てた。
欠片程の温度も無いスザクの瞳に見据えられ、C.C.は喉を引き攣らせるような笑みを零した。
この少年は化け物だ。ルルーシュも相当だが、彼女とはまた方向性が違う。
500年もの時を生きていると、異様な程に突出した才能を持つ人間を目にする機会が幾度かあった。カレン、スザク、ルルーシュ、そしてシュナイゼル。彼らと同等の豊かな才覚を持つ人間も少なからず存在した。
だが戦争に特化した才覚を持つ人間が、同時代にここまで多く存在したことはこの500年無かった。
これは集合無意識によるものなのだろうか。時代を次のステージに移すため、才覚のある人間を同時期に産み落としたのか。
それともマリアンヌとシャルルの計画に対抗するため、それに相応しい人間を用意していたのだろうか。
ならば集合無意識は、マリアンヌとシャルルの計画を受け入れる気は無いのだろうか――――
薄ぼんやりとした顔つきでどこか遠い所を見据えているC.C.に、スザクは意識を取り戻させるべく骨に罅が入る程の力を籠める。
鉄線が捩れるような音と、焼けた鉄串に突き刺されるような痛みにC.C.は唇を噛んだ。目の焦点がスザクに合わさる。
「おい坊や。女性へはもっと紳士に振る舞うものだと教わらなかったか?」
「ブラックリベリオンでお前はジェレミアさんに頭蓋を吹き飛ばされた。だというのに脳を露出して、どう見ても致死量の血を流しながらも普通に立って喋っていた。そして今も生きている」
スザクはぱ、とC.C.の腕から手を離した。爪の形に抉れていた肉が急速に修復される。
時間の流れを拒絶するかのように肉体が元の形に戻るのをその眼で確認し、スザクはC.C.の首に手をかけた。徐々に手に力を込めていく。柔らかい気管の存在を親指の付け根に感じた。抗議するように動脈が波打つ感触が指の腹を押し上げる。
「……ギアスはコードを所有する人物が与えることができる。ギアス嚮団の嚮主は代々コード保持者が務める。そしてコードの所有者は不死身だそうだな」
「その、情報を、がはっ、どこでっ」
「シュナイゼル殿下からだ。殿下は心優しくなり過ぎた。あの人はユフィと、そして多くのギアス嚮団の犠牲者のために情報収集を行い、ギアス嚮団と戦う準備を進めている―――だがそんなことはどうでもいいだろう?」
スザクは片腕でC.C.の首を絞めたまま吊り上げた。白い足が白い顔面が赤黒く染まる。眼球が飛び出んばかりに見開かれ、空気を飲み込もうと舌が犬のように飛び出した。
指でがりがりと腕を引っ掻かれながらも、しかしスザクの強靭な腕は微塵も揺るがず、能面のような表情も変わらなかった。
「不死身でも痛みはある筈だ。意識を保ったまま四肢を切り落とされたくないのならば、ギアス嚮団について知っていることを全て喋れ。本拠地はどこにある。構成員は何人だ。どんな研究をしているんだ。そもそもギアスとは何なんだ。貴様らの目的は。ルルーシュやジェレミアさんを弄んで、ユフィを殺して、そこまでして果たしたい貴様らの目的とは―――」
その瞬間に背筋が粟立つような敵意を感じ、は、とスザクは腕を離して横に飛びずさった。
扉が開け放たれ、長身の男が部屋に乱入する。
ジェレミアの足がスザクの服を掠めて宙を切った。
そのままジェレミアは前に足を踏み出し、スザクの胸元目掛けて腕を伸ばす。だがスザクはジェレミアの服の袖を捕まて床に引き落とした。ジェレミアの重心が崩れる。
その隙を突いてスザクはジェレミアの腹部目掛けて足を振り上げたが、機械の左手が膝を受け止めてそのまま横に逸らされた。
スザクは咄嗟に服の袖から手を離し、背後へと下がった。息を整える。
このまま戦えば、かなりの確率で勝てるだろう。短いやり取りの中で、スザクは白兵戦において自分がジェレミアに僅かながら勝っていることを察した。だが手加減できるような相手ではない。
このまま本気で戦うと殺してしまう恐れがあった。ルルーシュの選任騎士であり、昔からの知人である彼を殺してしまうことは、スザクにとり望ましい事では無かった。
状況からしてみれば場違いなほどに冷静な声でジェレミアはスザクに問いかけた。
「スザク君、君は何をしているんだ」
「それはこちらのセリフです。コード所有者を匿って、あなたもルルーシュも一体何のつもりなんですか。彼女がギアス嚮団と関わりがあることは間違いないでしょうに。持っている情報を全て引き出させるべきです。どんな手段を使っても……!」
「彼女はルルーシュ様の共犯者であり、捕虜でも敵でもない。礼を失する行動をとるべきではない。それに黒の騎士団が設立されてからC.C.はルルーシュ様のお傍にいる。ギアス嚮団と繋がりがない事は確かだ」
「黒の騎士団が設立される前はどうなんですか。それにルルーシュの目を盗んで行動していた可能性だってある。あなたもルルーシュもギアス嚮団の犠牲者なのに、どうしてコードを持つその女を庇うんですか!」
「―――止めろ、スザク」
声の元をたどり瞳だけを動かすと、扉の前にルルーシュが立っていた。冷ややかな表情はこれまでスザクに向けられたことの無い、ほんの僅かばかりの敵意を含んでいた。
肌を刺すような冷徹なルルーシュの瞳に見据えられてスザクは一瞬怯んだものの、しかしすぐに睨み返す。
ジェレミアは咄嗟にルルーシュの前に盾となるべく立ち塞がったが、ルルーシュは宥めるようにジェレミアの背を叩いた。
「C.C.は俺の共犯者だ。彼女が俺に協力する代わりに、俺は彼女の望みを叶えると約束した。C.C.の過去は関係ない」
「僕には関係がある。僕はもう復讐のために手段は問わない。問わないことに決めた。この女がギアス嚮団に関わりがあるというのなら、生皮を剥いででも必ず口を割らせてやる」
「復讐は免罪符に成り得るものじゃないんだ。そんなことをしていいとでも思っているのか。スザク、お前はそんな奴じゃないだろう。お前は―――」
「っ、君がそれを言うのか!!よりにもよって、君が!!復讐のためにゼロとなって戦争を起こして、何千何万と人を殺した、君がそれを言うのか……!!」
ぶるぶると全身を震わせて、スザクは汚泥色の瞳を閃かせた。
ルルーシュはスザクの言葉に眉根一つ動かすことなくC.C.へと歩み寄った。
C.C.は床に倒れて荒い呼吸を繰り返していた。肌には滞留した血液のせいでまだら模様が浮かんでいたが、見る間に元の美しい白い肌へと戻って行く。
特に問題なく体が回復していることを確認し、ルルーシュはC.C.を庇うように立った。眼には先ほどまでの敵意は無く、むしろ憐れみの色を濃くしていた。ルルーシュはスザクへと手を伸ばした。
「………俺もユフィのことは許せない。それにジェレミアもギアス嚮団のせいで酷い目に遭った。だから協力しよう。シュナイゼルもギアス嚮団へ思うところはある筈だ。黒の騎士団と、シュナイゼルと、俺とお前が協力すればできないことは無い。そうだろう?」
スザクは差し伸べられた手のひらを見た。
女性特有の、柔らかい脂肪が骨を包み込む甘やかな造りをしている手だ。KMFの操縦桿を握り締めて、鉄火の中を飛び回るに向いているとはとても思えない手だ。
スザクはルルーシュに背を向けた。
「―――その手はシュナイゼル殿下と結ぶべきだ。僕じゃない」
ルルーシュは手を握り締めて、声を張り上げた。
「スザク!」
「何だ」
振り向かないまま、スザクは凍り付いた声で応答した。
これまで聞いたことの無いスザクの声にルルーシュは首を振り、喉から声を絞り出した。
「今のお前を一人にしてはおけない。止めるんだ。復讐をお前ひとりで果たす必要は無いじゃないか。俺はお前の友達だ。出来る限りの協力はする。だから―――」
「―――君はジェレミアさんの復讐をすると決めて、そのことを僕に話した?」
スザクは片目でC.C.とジェレミアに囲まれたルルーシュを見やった。
「それが答えだ。さようならルルーシュ」
踵を返し、スザクはそのまま部屋を出て行った。
こうなってはC.C.を尋問することは難しくなるだろう。
他にギアスの手がかりと言えば、各地に散在する遺跡だろうか。日本にもギアスに関する遺跡があった筈だ。神根島と言ったか。
枢木家に何か手がかりでも残っていないだろうか。枢木は古い家だ。遺跡に関しての記録があるかもしれない。
一度枢木家に帰ってみようと思い、スザクは拳を強く握りしめた。
スザクの足音が階下へ降りた後も、ナナリーは壁の陰に隠れて耳を澄ませていた。
人並外れて優れた聴力は目が見えるようになった後も健在で、スザクの微かな足音がクラブハウスを出ていく音までをも明瞭に拾っていた。しかしナナリーはスザクの後を追うことはなく、ただ聞こえた情報を受け止めることができずに体を震わせるばかりであった。
「―――お兄様が、ゼロ……?そんな、そんなことって、嘘……嘘、ですよね―――?」
ナナリーの問いに答える声は無かった。