Cの世界へと向かう。しかし方向が全く分からない。
そもそもスザクの目の前に道らしき道は無かった。ただ膨大な白い空間が横たわっているだけだ。雑草一本生えていない。足元は透明度の高いガラスのような物体で覆われているが、底は見えない。網膜が焼けそうな程に只管に白い。
さっきまで自分がいたのは集合無意識の記憶が作り上げた空間の中で、つまりは幻覚か夢のようなものだったのだろう。そこから抜け出たらすぐにCの世界に辿り着くと思っていたのに現実はそう甘くは無かった。
案内板でもあれば楽なのだろうと思うも、そんなものが存在するわけが無い。むしろあったら罠かと警戒する。
「そもそもここってどこなんだろう……」
目印も無く足を動かしながら独り言をぼそりと呟くと、体の内側から「実は宇宙空間なんじゃないのか?」「ホワイトホールとか」「でも星も見えないぞ」「いいからさっさと歩けよ」などと言う好き勝手な意見が無数に飛び出してきた。
神経が病みそうな程に何もない空間に放り出されはしたものの独りで彷徨っている訳ではなく、むしろ無数の人間が内にいるためか大きな不安は無かった。
しかし集合無意識の全責任を擦り付けられている状況は精神的な負荷があまりに強い。それに加えて脳内で常に誰かが口喧しく喋っているせいで自然と眉根に深い皺が刻まれる。煩くてしょうがない。複数のラジオ番組を同時にイヤホンで流し聞きしているような感覚がする。
ぎゃあぎゃあわあわあと騒ぐ意識達の中から聞こえた、情報がほとんどない状況で議論しても意味は無い、とにかく歩いてCの世界を探すんだ、という比較的建設的な意識の言葉に従ってスザクは足を動かした。眩しい程に真白の空間に目を細めながらとにかく前へと進む。
しかしいくら歩いても景色は変わらない。只管に白く、何もかもが凍結したような静寂が満ちている。
何か音が聞こえないかと耳を澄ます。期待はしていなかった。だが予想と反し、耳を澄ました瞬間に奇妙な音が四方から聞こえてきた。
足音にさえかき消されそうな微かな呻き声や喚き声が空気を震わして鼓膜を僅かに揺さぶる。少し耳にするだけでも背筋が凍り付きそうな音の響きにぶるりと体が震えた。
それは人間の声ではなかった。かといって動物の声でもない。もっと異質な声だった。
ひ、とこごもった悲鳴が口から零れる。体の内で沢山の意識が毛を逆立てて「危ない、危ない、離れろ、離れろ」と大合唱で悲鳴を上げた。スザクも彼らの意見に異論は無かった。
速足でそこから離れるも、逃げ出した先でも何かしら恐ろしい声は聞こえてきた。
何も存在しない真白の空間からこっちへ来いという誘い声が手招きしたり、ねっとりとした恨み辛みを吐き出す声がぶちまけられたり、爆発するような笑い声を馴れ馴れしく投げ付けられたり。
無数の声に追い立てられるようにスザクは足を速めた。
「ここは何なんだ、どこなんだっ、Cの世界は、」
恐怖に鳥肌を立てながら逃げ惑う。
不意に足元が凍り付くような寒気が吹きすさんだ。歩き続けていた足が止まる。見下ろすと膝から下ががくがくと震えていた。
背筋を冷汗が伝う。額を震える腕で拭うとびっしょりと濡れていた。がちがちと煩い音がすると思ったら、自分の歯の根が噛み合わされずに打ち震えているせいだということにようやく気付いた。
怖い。何に対してかは分からないが、今、自分は酷く怖いと思っている。
少しでも気を抜けばその場に蹲ってしまいそうになる体を叱咤しながら振り子のように顔を左右に揺らして周囲を見回す。真白い空間に変わりは無い。
ただこれまでの奇矯な響きの声とは違う、態と調子の外れた楽器をかき鳴らしているような、心臓を素手で鷲掴みにされているような音がした。
「………何の音なんだろう」
そんな状況ではないと分かっていながらもスザクはその音に耳を欹てずにはいられなかった。
ドンドン、ホウホウ。ドンドン、ホウホウ。
聞こえてきた音は幾分か譲歩して漸く音楽と形容することができる単音の羅列だった。クラシックでもジャズでもポップでも無い。強いて言うなら民族音楽のようだが、それにしては旋律に統一性が無い。お世辞にも美しい音楽とは言えない。むしろ聞いているだけで鼓膜が痛みそうな不協和音は長く聞いていると不穏な気分を引き起こす。
しかしそれは奇妙な吸引力を持ってスザクを引き寄せようとしていた。
ふらふらと足が動く。音源に近づくにつれて太鼓とフルートの音は大きくなる。ドンドン、ホウホウ。耳鳴りする程の反響はスザクの正気を揺さぶった。
歩き出してから時間にすると数分といったところだろうか。ドンドン、ホウホウ、という音に激しいダンスを踊っているような足踏みが加わり、周囲に響きわたる音楽は古代の祭りのような音に変化していた。そこでスザクは唐突に気づいて瞠目した。
何かしら神聖な者達がそこら中に、路地裏に投げ捨てられた生ごみのように溢れ返っている。
視界には変わらず白一色の空間しかない。しかし何かが近くにいる。目には映らない、自分達とは存在の次元が違う何かが。
集合無意識という神になっていなければスザクはその存在に気づくことは無かっただろう。生きる世界が文字通りまるきり違う存在であるのだろうから。
しかしいる。確実に。ここにいる。
冷汗が間欠泉のように額から噴き出した。しかし拭うこともできない。彫像のように体が動かない。
その存在を見ては駄目だ。生存本能が金切り声を上げる。心臓が狂ったように鼓動をかき鳴らす。喉がひっ、ひっ、と口笛のように鳴る。浅く速い呼吸が頭蓋内で反響して酷く煩い。
今のスザクを構成する全意識が同じ叫び声を上げた。
気づかれては駄目だ。
ほんの少しでもこちらに興味を持たれたら、私達は塵一つ残さずかき消されるぞ。
逃げろ、早く逃げろ!
スザクも自分の中にいる無数の意識達と全く同じ意見だった。幸いなことに神聖な者達はまだこちらに気付いていない。
それはきっと自分が、集合無意識でありマリアンヌには神とも称された自分が、あれと比べればただの人間や足元を這う虫とも大して変わりの無い存在であるからだ。あれから見れば集合無意識は興味を持たれる価値も無い矮小なものでしかない。
今ならまだ逃げ出せるかもしれない。
しかしもしあの存在がこちらを視界に映してしまうと、逃げる暇もなく自分達は消滅することだろう。
絶対にその存在を視界に映さないように、音をたてないように注意しながらじりじりと後ずさりする。
太鼓とフルートの音と鳴り響く足踏みは今やスザクの周囲を取り囲み、獲物を追いつめるように囃し立てられていた。ダンダン、ホウホウ、ドンドン。ホウホウ、ドンドン、ダンダン………少しでも気を抜くと乾いた喉が悲鳴を上げそうになる。
絶対に音を出さないように、気配を感じさせないようにと脳神経が金切り声を上げる程に集中する。
しかしスザクが数歩後ずさりした時、無情にもその神聖な者が持つ数多くの触手の内の一つがこちらを向いた。
こちらに気付いている訳ではない。またスザクもその触手を眼にしたわけではない。その存在が触手を持つのか、それとも持たないのか。そもそもそれが物体として存在するものなのかどうかもスザクには分からなった。
ただ触手としか形容のできない何かがこちらを向いていることを本能が悟った。もしかするとそれは触手ではなく、その存在が宇宙に張り巡らしている無数の神経の一本だったのかもしれない。
小さな惑星を生きる矮小な生命体がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさって新しい矮小な生命になったという、その存在からしてみれば気に留める価値も無いありふれた小さなイベントが偶然彼の神経に触れたのだろう。
直にその存在を眼にした訳でもないというのに、それがこちらを向いているだけで全身が砂になって吹き飛びそうな感覚がする。頂さえ見えない巨大な山脈が圧し掛かってくるような威圧感にカチカチと歯の根が鳴る。
「ひ、」
「声を出すな」
口を塞がれて一瞬恐慌状態になりかかったが、自分の口を塞いでいるのが人間の指だということに気付いて一気に安堵した。
状況は一切分からないが、とりあえず自分に触れているのは人間だ。それだけで涙が出る程の安堵が沸き上がる。
こくこくと頷くスザクからそれはゆっくりと手を離した。
振り向くとルルーシュが立っていた。何故か学生服を着て、透き通った紫水晶の色をした瞳は興味深そうにスザクを見降ろしている。しかし額からはスザクと同じように汗を滝のように流していた。
驚いて目を見開くが、し、と彼は唇に人差し指を押し当てた。
「声を出すな。あいつらに気付かれない内にここから離れるぞ」
どうしてCの世界にいる筈のルルーシュがここにと疑問が湧いたが、それは脇に置いておいてともかくあの何か恐ろしい者から離れることをスザクは優先した。
他のことは全て後回しで良い。ナナリーのギアスだろうがシャルルだろうが、あれより恐ろしいということは絶対にありえない。
「走った方が良いな。まさかこちらに興味を示すとは思えないが万が一ということもあり得る」
がくがくと何度も頷いてスザクは颯爽とルルーシュを抱え上げて走り出した。
音を立てないようにと気を付けていたが、もう知るか。とにかくこの恐ろしい空間から一刻でも早く離れたい。半ば恐慌状態に陥っていたスザクは逃避本能のみを活性化させて他の一切を切り捨てた。ルルーシュの体力を鑑みると自分が担いだ方が圧倒的に速い。
俵のように抱え上げたルルーシュは何やら文句を叫んだようだが、人間の限界域に達する速度で疾走するスザクの耳に彼の声は届かなかった。そもそもルルーシュの言葉などを気にする余裕は微塵も存在しない。
もう恥も外聞も無かった。脱兎の如く逃げる。あれから一歩でも離れるために。
ここから先には踏み込むべきではない。
あの神聖な、支配者達の領域に二度と近寄るべきではないのだ。
それは静かに蠢くだけの矮小な存在からすぐに興味を失って、またゆらゆらと騒めいた。
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成人一人を抱えて距離にして数kmを全力疾走したスザクの息は酷く荒かった。しかしそれは肉体的よりも精神的疲労によるものが強い。今もまだ背後からあの恐ろしい存在がこちらを見ているのではないかという怖気で鳥肌が立つ。
膝をがくがくと震わせるスザクの肩をルルーシュは撫でた。息を切らせるスザクを前にして、珍しいものを見たと言わんばかりに瞳をぱちくりと見開いている。
「あ、あれは、あれは、」
「あまり首を突っ込まないことをお勧めする……設定通りなら集合無意識でさえあれにとっては羽虫の一匹だ。変に関わると存在丸ごと最初から無かったことにされかねんぞ」
こくこくと何度も頷く。
ルルーシュに言われずとも自分(集合無意識)の中にはオカルト趣味の者が何千人と存在する。スザク自身は特にオカルトに興味を持ったことは無いが、オカルト趣味を持つ意識達の知識を引っ張り出すとあれの正体が何となく分かった。
何人かのオカルトマニア達は興奮気味に外なる神々だとか白痴の神だとか叫びながら、こんな機会は今後一生ありえない、すぐに戻ろう、あの存在に触れようと鼻息も荒く声高に訴えていたが、ふざけるなと怒気を露わにした他の意識にぼっこぼこに叩きのめされて口を閉じた。
取り敢えず絶対に関わらない方が良い存在だということだけはスザクにもよく分かる。
兎も角も自分の中に存在するオカルトマニア達曰く、ただの人間があれに会う機会はそうそう無く、姿を見ることは永劫無いだろうと知った。それだけで十分だ。もう二度と近寄りたくない。
「……そういえばこれもクトゥルフネタになるのだろうか。それならタグに付け加えるべきか?」
「え?何?」
「第四の壁の向こうの話だ。気にするな」
どう思う?とこちらに問いかけた後に、ルルーシュはさて、とスザクの方へと振り返った。
そこでふとスザクは、どうして自分はルルーシュに触れられたのだろうと疑問が湧いた。
先ほどルルーシュを抱え上げた時に何の抵抗も無かったのだ。集合無意識が造り出した幻覚のルルーシュならともかく、目の前のルルーシュは実存在だ。ギアスの掛けられている自分が触れられる筈は無い。
だがスザクの困惑を他所にルルーシュは呆れ顔を取り繕うともせず肩を竦めていた。
「さっきから見ていればどれだけ迷子になるつもりなんだお前は。迷子属性なんて無かっただろう。Cの世界に行くつもりなんじゃないのか?」
「う、うん。そうなんだけど、道に迷っちゃって、というか道が無くて、そもそもここがどこなのかもよく分からなくて。せめて方向だけでも分かればどうにかなると思うんだけど……というかルルーシュはどうしてここにいるの?Cの世界にいるって集合無意識から聞いたんだけど」
「ここはまあ、俺にもよく分からない空間だからな。元々俺がいた世界からそちらに移る時に一度経由したがその程度の知識しかない――――そして勘違いしているようだから言っておくが俺はお前のルルーシュではないぞ」
そこまで話してスザクはようやく目の前の人物がルルーシュではないことに気付いた。
ギアスが作動しなかっただけではない。顔つきも髪型も雰囲気もルルーシュそのものだが、目の前の人物は骨格がルルーシュよりもしっかりとしていた。肩幅はやや広く、骨盤は逆にぎゅっと狭い。指は骨ばっていて筋が微かに浮いている。そして全身を覆う脂肪が若干薄い。少し注意して見れば紛れもなく男だということがすぐに分かる。
しかしそれでも実はルルーシュなんじゃないのかという印象をどうしても拭えなかった。
それは外見よりも、長い間友達として接してきたスザクでさえ困惑する程に、彼の小さな動作からルルーシュ独特の仕草や喋り方が感じ取られたからだった。皮肉の混じる口調、片頬を持ち上げる厭味ったらしい笑い方、他人を見下すように半月状に反らされた背筋。
ちょっと似ているとか上手く演技をしているというレベルではない。彼の動きはルルーシュそのものだった。
「………あなたは本当にルルーシュじゃないの?」
「そういえばまだ自己紹介をしていなかったな。俺はロロだ」
「ロロ?」
「そうだ。今はそう名乗っている」
ロロはスザクの手を取り、白い世界を何の迷いも無くすたすたと歩き始めた。突然引っ張られてスザクは数歩たたらを踏んだ。
「え、ちょっ、」
「Cの世界までは案内してやるよ。お前は俺のスザクではないと知ってはいるが、ここで野垂れ死にされても寝覚めが悪い。ただし到着してから先はお前達が決めることだ」
「貴方は、ロロさんは何者なんですか。どうしてここに」
「俺は傍観者だよ」
「傍観者……C.C.と同じような?」
ロロが何者かは分からないが、こんな非常識な空間にいるのだから只者では無いということは分かる。
そもそもギアスキャンセラーを持つジェレミアと、彼の近くに居たルルーシュとコーネリアとギルフォード、そしてコードを持つC.C.とシャルル、後は元々Cの世界にいたマリアンヌとビスマルク以外の全意識は今スザクの中に居る。
スザクの中に居らず個体として存在している時点でロロはコード、もしくはギアスキャンセラーを持っているか、元々Cの世界に居たということになるのだった。
警戒と疑惑の入り混じった視線を向けられたロロはしかし然程気にする様子もなく目を細めた。
「あれとはちょっと違う。そうだな……さっきの者達とは比較にならない程に格が低い外なる神というか、異世界転生したチートキャラの成り損ないというか……まあ、些細なイレギュラーさ。気にする必要も無い」
ずんずんと歩くロロに引っ張られるがままスザクは歩いたが、視線はルルーシュと同じく襟足付近で切りそろえられた黒髪を突き刺していた。
そう言われても非常に気になる。頬がむっつりと膨らむ。何しろ外見がまるきりルルーシュなのだ。
この人は何なのだろうと考えると「異世界からやってきたルルーシュの一つの可能性」「多次元世界からやってきたルルーシュ」「ルルーシュに助けて欲しいというスザクの幻覚」「ルルーシュとは何の関係も無い、外見を自由に変えることのできる外なる神」「未来のルルーシュがCの世界を経由してやって来た存在」と、多くの意識が意見を出す。
それらの意見はあまりに膨大に過ぎ、纏めることも出来ず、ただふよふよと宙に浮かぶばかりだった。あまりに意見が多過ぎると取りまとめるのも一苦労であり、残念ながらスザクには議論の中心となって意見を纏めるような才覚は無い。
だがいくら怪しくとも今はロロについていくしか選択肢が無い。
この広大で目印の何もない空間の中、Cの世界を求めて彷徨う余裕は無いのだ。怪しい事に変わりは無いが、少なくとも人の形をしているロロは人類の敵では無いだろうと希望を抱くしかない。
スザクは黙ってロロに引っ張られるがままに歩いた。沈黙に何を思ったのかロロはそれにしても、と口を開く。
「お前も災難だな、集合無意識の纏め役を押し付けられるとは。主導者というタイプでも無いだろうに」
「……うん。でもあのまま全部ぐちゃぐちゃになるよりもずっと良いよ。僕が断ったら、ナナリーのギアスに逆らって集合無意識を先導出来る人材も居ないし」
「しかしルルーシュのギアスが無ければこんな目に遭うことも無かっただろうにな?」
自嘲気味にロロが笑う。その仕草もはっとする程ルルーシュにそっくりだ。
しかし皮肉の色はルルーシュより濃いように思えた。世界で最も端正だろう顔を態と歪めて醜くしているのではないかとさえ思う。
このロロという人物をどこまで信用して良いのかは分からないが、全く話さないのも失礼だろうと思いぽつぽつと言葉を零す。
「そうかもしれないけど、でも結局は自業自得だ。ルルーシュが僕にギアスを使ったのはゼロを捕縛しようとした時だったんだけど、もしあの時に僕があんなことをしていなければ………」
「ゼロがあの場でコーネリアに捕まったとしても、正体が皇族のルルーシュだと発覚すれば死刑にはならなかっただろう。そして捕縛されようが投獄されようが奴は復讐とナナリーのために再起するさ。ルルーシュという存在は死んでも蘇りかねないように創られているからな」
「でも日本の奪還は遅れていた。死者もきっともっと多かった」
「多くなかったかもしれない。もしゼロが居なければユーフェミアの行政特区日本が上手く行っていたかもしれない。そしてユフィは死ななかったかも知れない………お前はルルーシュに毒されているようだな」
「っ、何が言いたいんだ」
「あのタイプの人間を盲信する以上に恐ろしいことは無い。あいつは台風の目のような奴だ。生きている限りルルーシュは戦うことを止めないだろう。止められないと言っても良い。あいつはそういう業を背負って生まれて来たんだ。でもお前は違う」
前だけを見て歩くロロの表情はスザクには見えなかった。しかし氷が割れるような声色から、きっと表情の一切存在しない仮面のような顔をしているのだろうと察せられた。
「お前はルルーシュから離れて、もっと幸せな、平穏な生活を送れる可能性もあると知った方がいい」
お前のためだ、と付け加えられた言葉にスザクはかっと頭に血が上るのを感じた。
ルルーシュが酷く侮辱されたような気がしたのだ。まるでルルーシュの傍にいる人間は皆不幸になると確信しているかのような物言いだった。スザクのことを心配しているようで、その実ロロはただルルーシュが憎いだけのように思えてならなかった。
初めて会った人間にどうしてここまで言われなければならないのだという怒りと共に口を開くと思ったよりも強い語調が飛び出した。
「僕にルルーシュを放って逃げろって言うのか」
「そうは言っていない。この騒動が治まった後ルルーシュが皇帝を続けるのか隠居するのか知らないが、いずれにせよもう関わらない方が良いと言っているだけだ。その方がお前にとって幸せだろう」
「僕は幸せになりたいわけじゃない」
「でも幸せでないより幸せである方が良いのは当然だろう」
「それはお前の勝手な思い込みだ。僕とは関係ない」
繋がった手をスザクは握り締めた。手の中で骨が擦れる音がする。
力加減を間違えれば骨をぐちゃぐちゃに折ってしまいそうな程に柔い手だった。だがしっかりとその手はスザクの手を握り返した。
「僕は逃げる訳にはいかないんだ。フレイヤを撃つ決断をしたのは僕だ。フレイヤを撃っていなければナナリーがギアスを使うことも無かったかもしれない。ブリタニア軍人になったのも僕の決断だし、日本が敗戦した時にブリタニアへ渡航したのも僕の決断だ。そして僕は沢山の人を殺した。その責任を果たしたいんだ。ルルーシュは関係ない」
「しかしあの女がいなければお前の父は道を外れることは無かったかもしれない。お前だって人を殺さないで済んだかもしれない。それでもお前はルルーシュに生きていて欲しいと思うのか。存在自体が間違っているとは思わないのか」
「思う訳が無いだろう。僕はルルーシュの友達だ」
躊躇の欠片も無い返答を聞いてロロは足を止めた。よく見ると握り締めた手の指が細やかに震えていた。
前に回ると異形の怪物を見るような顔でロロはスザクを見据えていた。絶句したまま視線をスザクの全身に彷徨わせる。眼窩から眼球が零れ落ちるのではないかと心配になる程に目を見開いていた。
何でそんなに驚くんだとスザクの方が驚いた。顔の造りはルルーシュそのものであるが彼女がこんな目でスザクを見たことは一度も無い。疑惑と不信を前面に押し出した表情だった。
そんな顔をする程にこの人は友情や親愛を信じられないのだろうか。
勝手な事ばかりを押し付けるように言い放つロロへの不快感を掻き分けて突如として哀れみが湧き起こった。
友情も親愛も信じられないだなんて、この人はなんて可哀想なんだろう。
「―――嘘吐きでもいいんだ。人を沢山殺していても。最低最悪の屑野郎でも。それがルルーシュだって言うんなら僕はルルーシュを肯定したい。ルルーシュの味方をしたいんだ」
「何故だ。そこにお前の利益は無い。俺は―――ルルーシュに、そこまでの価値があるとは思えない。あいつは結局自分のためだけにしか生きていない男だ。ナナリーやジェレミアのためと口では言っていても、それは自己満足のためでしかない。そしてルルーシュは死んでもそんな生き方を変えられない。そういう奴なんだよ」
「でも僕はそんなルルーシュが嫌いじゃないから」
ロロにわざわざ言われずともルルーシュが非常に自分勝手な思考回路を持つ、傍迷惑な人物であることなど昔から知っている。
自分にとって大事な人間以外は駒のようにしか思っていないし、その大事な人間にしたって胸襟を開いて話し合うことは稀だ。
大事な人だからこうしてあげよう。こうした方がきっとこうした方がこいつは幸せだ。こんな事は知らない方がきっと幸せだから告げないでおこう。そうやって自分の考えを無理やりに押し付けて満足するような、そんな自分勝手な奴なんだ。
秘密主義者で嘘吐きで病的な負けず嫌いで、粗雑なくせに細かい事に口煩くナルシストで人を見下す癖がある。人間として割とダメな部類に入ると思う。
どうしてジェレミアがルルーシュに惚れたのか全くもって理解できない。いやジェレミアも割とあれだから割れ鍋に綴じ蓋という具合なのだろうか。
しかしそこまでルルーシュという人間の欠点を知っていながらもスザクはルルーシュが嫌いではなかった。
理由は知らない。どうでも良い。人間関係に計算はいらないだろう。欠点の数と美点の数を見比べて友人を作る奴がいれば、そいつは馬鹿だ。
「僕はルルーシュが自己中心的な考え方しかできない馬鹿でもいいんだ。一番辛いときに一緒にいて、手を貸して、間違えていたら教えてあげて、頑張ろうって言いたい。僕が辛いときにルルーシュは言葉をかけて、手を差し出してくれたから。僕はその手を握り返せなかったけど―――ルルーシュが辛い時には、僕もそうしたいんだ」
「―――それが気まぐれだとしても?」
「うん」
深く頷く。それはどうでも良い事だ。
大事なことは相手の考えではない。自分がどう捉えたかのほうがずっと大事なことだ。ロロは俯いてスザクの足元に視線を落とした。
「僕もルルーシュも自分勝手だった。沢山の罪を犯して沢山の人を殺した。でも僕たちが死んでも罪が無くなる訳じゃないから。神様でさえ過去を変えることは出来やしないのに、僕たちが罪を贖うために死んでも、それこそ自己満足でしかないじゃないか。
僕はルルーシュに生きていて欲しいと願うよ。これから先も、生きて一緒に戦いたい」
俯いたロロは口を閉じた。
嘲笑して更にルルーシュを非難する言葉を浴びせかけるのではないかと身構えていたが、そんな様子は無くほっと胸を撫でおろした。
しかし鼻を鳴らす音が聞こえてふとスザクはロロの顔を覗き込んだ。澄んだ碧色の瞳を大きく見開いた。
「ロロ、どうして君が泣いているんだ」
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