楽園爆破の犯人たちへ 求   作:XP-79

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17. 世界は続いてゆくものだから

 

 

 

 

 スザクから零れ落ちた意識は灰色の彫刻と化していた集合無意識に戻る。

 意識と融合して生き生きとした姿を取り戻した集合無意識は自らの意志で風化したかのようにぼろぼろと崩れて、次々と石畳の向こうに広がる巨大な穴の下へと飛び下りた。

 氷河が砕けて海に落ちる姿に似た幻想的な光景だった。鳥の群れが頭上に弧を描き、悠々と穴の下へと飛び降りて行く。鳴き声を上げながら飛び降りる猿の群れ。屈伸運動してから飛び降りるお調子者の姿も見えた。

「あ、リヴァル」

 スザクがそう言って指さした先を見ると青みがかった髪色を持つ友達が競泳の飛び込みのように穴の中へと落ちていく姿が見えた。落ちながらぶんぶんとこっちに手を振っている。口を動かして何か言っているようだったが、動物の鳴き声やら人間が上げる歓声や鳴き声やらで内容までは分から無い。しかし超人的な五感を持つスザクはその限りでは無かった。

「推薦入試落ちたー!ってさ」

「この騒ぎの中でよく聞こえるな。動物園のど真ん中より煩いぞ」

「このぐらいの距離なら聞こえるよ。それより何であんなこと言いながら飛び降りたんだろう」

「………受験勉強でストレス溜まってたんじゃないか?」

 あはは、と笑って若干の現実逃避をしながらスザクは穴の中を覗き込んだ。

 集合無意識から離れ、現実世界へ戻ることを選んだ生物達が昏い穴の中で星のように煌めきながら落ちて行く。

 

 その光景を眺めながらマリアンヌとシャルルは深い諦観の籠る息を吐いて首を振っていた。

「ルルーシュ、あなたって子はどうして言うことを聞いてくれないのかしら」

「俺は主観でしかものを考えられない生物だ。俺にはお前の考えは理解できない。理解したいとも思えない。お前の考えに共感もできないし、お前の人間性に好意を持っている訳でも無い。賛同する理由が一つたりとも無い」

 肩を竦める。呆れたとばかりにマリアンヌは眉を八の字にへし折った。

 

 体に落ちる幾つもの影に気付いて真上を見上げると多くの生物がぐるぐると弧を描いては螺旋状に渦巻きながら興味津々といった目つきでこちらを見降ろしている。水族館の水中トンネルをくぐっているような気分だった。魚だけではなく哺乳類や鳥類や虫まで多種多様な生物が空中を遊泳している。

 ひらひらと手を振ると甲高い笑い声が上がって彼らは手を千切れんばかりに振り返した。ルルーシュだ、ゼロだ、と口々にきゃあきゃあと騒いで満足したという顔で穴の下へと落ちて行く。

 幻想的かつ非現実的な光景を前に脳の芯が痺れるような恍惚を味わいながらも、何が起こっているのだろうというポカンとした感覚がルルーシュの中には横たわっていた。

 

 どうして集合無意識がスザクの形をしていたのか。

 そして何故集合無意識がスザクの中から出て行って、あの穴の中に落ちて行くのか。

 あの穴の先はどこに繋がっているのか。現実世界なのだろうか。

 

 恐らくは現実世界へと戻ったシュナイゼルが何かをしたのだろうとは思う。もしやフレイヤを使ってギアス遺跡を破壊したが故に集合無意識が解けたのかもしれない。

 元々黄昏の扉とCの世界は繋がっていた。コードを利用してラグナレクの接続を為していたのであれば、コードとCの世界に関係が深かった黄昏の扉がラグナレクの接続に関与していたとしてもおかしくは無いのだろう。多分。恐らく。

 断定が出来無いのはその理屈が全く分からないためだ。

 フレイヤをぶっ放しただろうあの兄も計画における理屈の部分は理解できていなかったのではないだろうかと思う。

 多分なんとなく世界中のギアス遺跡が全部吹っ飛べばシャルルの計画が全部おじゃんになるかもしれない、勘だけどね、程度の思考回路だったのではなかろうか。シュナイゼルに直接聞かなければはっきりとしたことは何も分からないけれど、彼は集合無意識から離れて現実世界に既に戻ってしまっている。

 まあ現実世界に戻ってから聞けば良いか。何が起こったのか今後研究するにしても資料は手元にあることだし。ルルーシュは首元の赤い鳥を溜息と共になぞった。

 

 無数の生命を貪欲に飲み込む集合無意識が中心から生えた大穴を見る。外壁が崩れるように集合無意識に取り込まれていた生物が次々と大穴に落ちて行く。その代わりに集合無意識は段々と細く儚く変化していた。

「―――この下はどこに繋がっているんだ」

「これが思考エレベーターだ。落ちれば現実世界に戻れる。恐らくは」

 ふらふらとした足取りでC.C.が立ち上がる。スザクがその肩を支えていた。

 顔色は青白いものの蝋のような生気の無さは脱している。集合無意識を前に眩しそうに瞬きを繰り返す琥珀色の瞳には生命力があった。

「大丈夫か」

「死んではいないさ。直に完治する。取り合えず循環器系は全て治った……おいマリアンヌ、いい加減諦めたらどうだ。コードを奪われたお前達に出来る事はもう無いだろう」

「あら、そうかしら」

「それを決めるのはお前達ではあるまい」

 腕を抑えながらシャルルは立ち上がり、頭上で飛び回る生物達を見上げて溜息を吐いた。悲し気に目頭を押さえた姿は死者を悼んでいる姿にも似ていた。その細やかな仕草にさえ苛立ちが募る。

 

 マリアンヌとシャルルがどういった理由で意気投合してラグナレクの接続を計画したのかは知らない。だがマリアンヌは多分に愉快犯的な思惑だったのだろう。自分本位な思考回路は嫌悪感を沸き立たせるものだが同時に得体の知れない気味の悪さもあり、人間としての好悪より先に警戒心が前面に立つ。

 シャルルに対して込み上がる侮蔑感はマリアンヌに対してのそれとは種類が違った。まるで自分が被害者であるかのように振る舞う厚顔無恥な態度が癪に障ってしょうがないのだ。

 自分とナナリーを捨てておいて弱者気どりなど許せることではない。他の誰が許しても、たとえナナリーが許しても、自分だけは絶対に死んでも許さない。この男はナナリーを捨てたのだから。

「全ての生物をと願ったのだが―――――そうか。失敗か」

「はい。失敗ですね。残念ですお父様。全生物を、とは行きませんでした。偏に私の力不足のせいでしょう」

 かつかつと石畳を歩く音が鳴る。振り返る。

 

 集合無意識を背にナナリーがこちらに向かっていた。柳の枝のように華奢な足でしっかりと大地を蹴っている。

 アッシュフォード学園の制服を身に着けてこれから登校するかという軽やかな足取りだった。

 

 ナナリーが歩いている。6年振りのその光景にルルーシュは打ち震えた。今自分がいる世界が虚数空間であり現実世界でないと知っていても、両目で前を向いて凛と歩く妹の姿は夢にまで見る程に待ち望んだ光景そのものだった。

「ナナリー、ナナリー!」

 ルルーシュはナナリーに駆け寄り華奢な体を抱きしめた。服越しに触れた柔らかな体はルルーシュの体を温めた。豊かなアッシュブロンドに顔を埋めて頬を擦り寄せる。頭1つ分以上小さい妹はすっぽりと両腕の中に納まり抵抗も無くルルーシュの為すがままにされていた。

「ナナリーっ、良かった無事だったんだな。心配した、心配したよ、」

「――――はいお姉様。ナナリーは無事でした」

 お姉様、と再度呟いた後に唇を強く閉じてナナリーは姉の背中に腕を回した。スザクが何か言いたげにルルーシュを見たもののナナリーが唇に指を添えたために口を閉ざす。

 

 大人しく黙ったスザクにナナリーは頬を持ち上げるだけの捻くれた笑みを浮かべる。ナナリーのためにルルーシュが払った多大な犠牲をナナリーが知っていると、ルルーシュは知らなくて良いのだ。

 ナナリーは抱き着いたルルーシュの体が思っていたよりも細く、触れれば指が沈むように柔らかいものであることに気付いて目を潤ませた。もっと姉は大きい人だと思っていた。しかしこうして両足で立つと自分とそう背丈は変わらない。

 

 集合無意識の中で姉についての情報を知り得た今をもってしても愚かな姉だと思う。自分勝手で他人のことなんてまるで考えていない。大事だと嘯く自分とでさえまともに話し合った事は一度として無かった。

 こうすれば幸せだろう。こうした方が良いだろう。こんなことは知らない方が良いだろう。いつだって押し付けるばかり。本音で話し合うなんてしようともしない。

 それが嫌で嫌でしょうがなかった。きっと自分が頼りなく、幼く、何の力もない障碍者だからまともに扱ってくれないのだろうと卑屈にもなった。自分よりも美しく賢い姉に腹の底が煮えるような嫉妬さえ抱いた。

 何より、自分も同じ意志のある人間だと認めて欲しかった。

 そのためだけにこんな所まで来たのだ。

 全人類が言葉も無く相互理解を可能とする世界を創ろうとした。全ては姉と完璧に理解し合うため、そして姉に成し遂げられなかったことを自分が為すために。

 何て自分勝手なことだろう。姉を笑えない。しかし自分でも驚くほどに後悔は無かった。あるのは清々しい敗北感と達成感だ。

 全てを知った今でも集合無意識は優しい世界に繋がる唯一の手段だと信じている。全てを知る事は自傷とそう変わりのない愚行だとしても人類が楽園に辿り着くためには集合無意識になるしか方法は無い。人類はこうでもしないと完璧な相互理解なんてできやしないし、平和が訪れる日は来ない。

 

 しかし集合無意識の中に耽溺し、姉のことを知れば知るほどに悲しくなることもまた事実だった。

 全てが愛故だと知ってしまったがために。

 

「―――お姉様は、馬鹿です」

「すまないナナリー、すまない」

 姉が何に対して謝っているのかナナリーには分からなかった。聞こうともしなかった。きっとそれは的外れであろうと分かっていた。

 ナナリーは血に濡れたルルーシュの胸元にそっと手を沿えた。指先が酸化して赤黒く変色した血液で汚れたが濡れるような感触は無い。新たな出血は無く、傷は完璧に塞がっているようだった。顔色はまだ青白いものの重篤である様子は無い。

 赤い鳥が飛ぶルルーシュの首元に手を沿える。首を絞めるような仕草にジェレミアが駆け寄りかけたが、足を踏み出す寸前にC.C.に腕を捉えられた。苛立たし気に視線だけをC.C.に向ける。

「何を、」

「黙って見ていろ」

 2人の姉妹を見やるC.C.は湖に沈む石を見ているような顔をしていた。憐れみと嘲笑が半々に入り混じった奇妙な表情はジェレミアの足を凍らせた。常は飄々とした態度の下に隠されている、数百年を生きた魔女の酷薄な芯が顔の上に剥き出しになっていた。

「C.C.?」

「いつだって行動には責任が伴うものだ。そしてナナリーの責任はナナリーにしか果たせないものだ。愛では解決できない問題なんて幾らでもある――――これもその中の一つということだ」

 冷ややかな言葉からナナリーの意図に気付いたジェレミアは焦る心持を即座に落ち着かせて寄り添う姉妹を見た。ナナリーの両目には達成人の証である赤い鳥が羽ばたいている。

 

 ルルーシュは両手で首を包みこむナナリーに首を傾げた。

 怒りのままに不老不死になった姉の首を絞めようとしている様ではない。むしろナナリーの顔は晴れ晴れとした微笑みに満ちている。まるで透き通った仮面を被っているようだ。

「……ナナリー、何か気になることでも?」

「お姉様、申し訳ありません。これは頂いて行きます」

 何をと問う前にナナリーの両目が赤く光った。

 

 体を満たしていた充足感が消える。忘れていた倦怠感が戻り足が震えてその場に膝をついた。

 傷痕を襲うじくじくとした痛みがぶり返し、まさかと額に汗を浮かばせながらナナリーの掌を凝視する。

 姉の視線に気づいて悪戯めいた笑みを浮かばせたナナリーはコード飛んでいる掌が良く見えるように掲げた。冷水を浴びせられたように体が一気に冷えた。

「ナナリー!何をするんだ!」

「これが無いと集合無意識が保てないようなので、頂きますね。お姉様にはもう不要なものでしょうから」

「まだそんなことを言っているのか!もう集合無意識は終わりだ。皆現実世界に帰る。俺達もいい加減に帰ろう!」

「これは私の責任なのですお姉様。ほら」

 細い指先に誘導されて視線を向けると、次々と零れ落ちる生物の中で集合無意識から離れようとせず石像のように硬直したままの意識が見えた。

 螺旋状の彫刻のようだった集合無意識の中心で、まるで鉄芯のようにその意識達はその場から微塵も動こうとしない。

「―――――帰れない人もいるのです。現実世界より集合無意識の中に居る方が幸福であり、確かな楽園だと感じている意識もいらっしゃるのです。私は彼らと共に行かなければなりません」

「っ、どこに」

「どこかへ」

 聖母のように微笑んだナナリーは優雅な足取りでC.C.に近寄り、ルルーシュへしたように小さな掌を額に押し当てた。

 C.C.は黙ってナナリーの手を受け入れて目を閉じた。

「コードが2つなければ安定しないとお父様がおっしゃっていましたから……申し訳ありませんが」

「私にとってみれば都合が良い。欲しいのなら持っていけ。しかし言っておくが、その先は地獄だぞ」

 地の底から這い上がってくるような声だった。額から離れていく掌を感じてC.C.は目を開いた。目の前には両の掌にコードの赤い鳥を浮かばせたナナリーが微笑んでいる。C.C.の言葉を受けても一切崩れない笑みはどこか神秘的であり、手で払えば消える霞のように見えた。

「いえ、楽園です。一切の瑕疵の存在のしない楽園ではないかもしれません。しかし私が考えられる一番の幸せが集合無意識の中にあります。私は無数の意識をその楽園に呼び込みました。だから私には、留まる者達を導く義務がある」

 柔らかな声にC.C.は黙って顔を伏せて、同意も否定もしなかった。その額はただ白いだけであり赤い鳥は居ない。

 口を閉ざしたC.C.にナナリーは背を向けた。もうこの場に留まる理由は無い。両の足で大地を押しやる様に歩き、マリアンヌとシャルルを通り過ぎて集合無意識の眼前へと立つ。

 

 無数の意識で構成された生きた彫像を背にナナリーは背を伸ばして張りのある声で宣言する。

「私がコードの所有者です。これからは私がラグナレクの接続を、集合無意識を率いて行きます。お父様とお母様は大人しく集合無意識の中に向かいなさい。ここに留まる必要性は既にあなた方には存在しない」

「それはそうだけれど………このままだと集合無意識に残る意識はそう多く無いわ。それはどうするつもりなの」

「どうもしません。私は自分の意志で集合無意識に残る者しか連れて行きません」

 憮然とした表情をするマリアンヌの肩にシャルルが手を沿えた。顔をゆっくりと横に振り巨躯にそぐわぬ穏やかな声を出す。

 

 その光景を眺めていたルルーシュは突然シャルルが初老と言っても差し支えない年齢であることに気付いた。彼の年齢はデータとして知ってはいたが、既に老いに侵食されかかっていて然るべき男であると思ったことは無かった。

 この瞬間にシャルルの老いを強く感じたのは彼の表情を色濃い疲労が覆っていたためだった。

「――――出来得る限り沢山の人が、出来得る限り幸せに。儂はそれが最善であると、償いだと思っていた。だがそうは行かなかった。結局は自分の意志で残る人々しか儂は幸せにすることができない」

「自分の意志で幸せになりたいと思う人しか幸せにできないのは当然でしょう」

「そもそも貴様に誰かを幸せになどできるものか。実の子供でさえ不幸にすることしかできなかった癖に、思い上がりも甚だしい」

 とはいえ年経た疲労を斟酌してやる義理はこちらには全く無い。

 

 シャルルは実の娘たちに完璧な拒絶を言い渡されて小さな苦笑を浮かばせた。そのまましっかりとした足取りで集合無意識に向かう。その後をマリアンヌが追った。

 最早ルルーシュには欠片程の意識さえ向けず、マリアンヌは颯爽とした足取りで真っすぐにシャルルの元へと向かう。しかしナナリーの隣を通り過ぎる時に一寸だけ足を止めてマリアンヌは小さく呟いた。

「悲しいわね、ナナリー。セックスもできない。子供も作れない。恋情の可能性すら与えられない……ルルーシュが男のままだったら違う終わり方があったのかもしれないのにね」

「………黙りなさいマリアンヌ。もう言葉は貴方には必要ないでしょう」

 随分と姉に似た表情をする。氷点下の冷気を纏わせる視線を浴びたマリアンヌは肩を竦めてシャルルの隣へと向かった。

 ナナリーの秘められた欲に気付いたのはマリアンヌだけだった。集合無意識であった枢木スザクは気づいたかもしれないが、ルルーシュに教える時は来ないだろう。

 あの子の恋は芽吹くことなく、誰にも気づかれずに死んでゆく。それも美しいとマリアンヌは口端で嗤った。

 

 石畳の端で並び、手を繋いだ2人は躊躇う事無く集合無意識へ向かって飛んだ。

 頭上を飛ぶ無数の意識と同じようにマリアンヌとシャルルはふわふわと空中を漂う。しかし他の意識のように迷うように旋回したり螺旋を描いたりする事無く、真っすぐに集合無意識へと向かった。

 そのまま2人は集合無意識へ突入し、瞬く間に溶解した。蠢く生物の中に2人の肉体は埋まり直ぐにその姿は見えなくなる。繋いだ手は繋がれたまま集合無意識の内に消えた。傍迷惑で苛烈な生き様を送ってきた2人の終わりは拍子抜けする程に呆気なかった。

 数秒と掛からない内に2人は集合無意識の一部と成り果てて、ルルーシュの知るマリアンヌとシャルルは永遠にその姿を消すだろう。自分の人生を散々に弄んだあの2人に会う事は二度と無い。

 体の内が焼け爛れる程に抱いた憎悪と嫌悪を向けた相手が消滅したと言うのにルルーシュの内には悲哀も歓喜も沸き上がる事は無かった。無数の意識の中に溶けて消えるまでを見届けた後に軽く眉を顰める。それがルルーシュが2人との別離で与えた全てだった。

 自分の人生はあの2人から始まったというのに、2人が消えた瞬間に心の内に湧き起こる感慨は何も無かった。

 まるで最初から何も無かったかのように2人は溶けて消えた。後には何も残さず。その事実だけをルルーシュは消化して冷ややかな眼差しだけを与えた。

 憎しみは心の内にまだ籠っている。しかしそれより優先するべきものが幾つもある。その内でも最も貴い人がルルーシュの前で佇んでいた。

 

 ルルーシュとそう変わらない表情で2人が集合無意識に溶けたのを見守った後、ナナリーは振り返り背後に佇む姉を見た。シャルルとマリアンヌに向けていた視線よりもずっと温かな色があった。

「ナナリー、」

「お姉様は集合無意識には戻られないのですよね」

 当然といった表情でナナリーはルルーシュと相対する。

 ぐ、と言葉を詰まらせてルルーシュはナナリーに向けた腕を下ろした。再びあの中に戻りたいとは思えない。自分が無くなっていく感覚は筆舌に尽くし難い違和感があった。

 確かに幸福感はあった。しかしそれを上回る反逆の意志がルルーシュの中では渦巻いていた。そもそも他者に迎合して集団の中の一粒になるなどルルーシュの在り方に真っ向から反対する生き方だ。

 だがナナリーは集合無意識を率いて行くと言った。それはつまり集合無意識の中に戻るということなのだろう。

 現実世界に戻っていく意識達を尻目に、上へ、上へと昇っていく集合無意識は異形でありながらも生き生きとしていて、輝かしいまでの生命力に満ち溢れている。美しいと言ってもよかった。ナナリーはあの中の一部として生きるのか。

 ぶんぶんと顔を横に振る。認められるわけが無い。ルルーシュはナナリーに手を伸ばした。

「コードを返すんだナナリー。アッシュフォード学園に帰ろう。お前が帰って来るのなら俺も皇帝の座をシュナイゼルに渡して、ただのルルーシュに戻るから。何か不満があるなら全部叶える。約束するから……」

「では私の意志を尊重して下さい。これはもう私のものです。お姉様には返しません」

「それは玩具じゃないんだ、不老不死のギアスの源で―――きっとお前を不幸にする」

「不幸にであるかどうかは私が決めることですよ。お姉様ではありません」

 小さな子供を窘める口調だった。駄々を捏ねているのがまるでルルーシュであるかのように錯覚させる声色は既に子供のものではなかった。初めて聞くナナリーの口調に押し黙ったルルーシュからC.C.へとナナリーは視線を移す。

「元々ラグナレクの接続はコードが2つ必要だったのです。2つ無いと何が起こるか分かりません。C.C.さんにも返しませんよ」

「私はもうそんなもんいらん」

 ひらひらと手を振るC.C.の表情にコードへの未練は一切無かった。むしろ清々しい笑みを零している。

「生きるというのはこういう感覚だったんだな……懐かしい。心臓が貫かれたり頭蓋が潰れたりしたら死んでしまうとなるとちょっとした外出でさえ怖く感じるよ。それにあと20年もしたら老化が始まってしまうのか……皺に白髪、シミ、ほうれい線、ああ怖い」

 シミ一つ無い肌を摩りながらC.C.は言葉とは裏腹に嬉しそうに自分の体を抱きしめた。

 老いる事、簡単に死んでしまう事、それらに対して恐怖を感じる事さえC.C.にとっては喜びでしかなかった。

 諦めかけていた死への過程、その全てをC.C.は渇望していたのだから。ナナリーの言葉はC.C.に染み込むような安堵を与えた。

「ええ、もうお返ししません。これは私が持って行きます。C.C.さんはもう二度とコードを持つことはありません。お姉様も」

 両手を祈るように合わせてナナリーは微笑む。

 ルルーシュはもう何を言っていいのか分からなかった。ただナナリーの選択をどうしても許容できなかった。

 

 集合無意識に戻ってどうするのか。どこに行くのか。何をするのか。

 ただこのままではもう二度と会えなくなることだけは確かだ。

 

 堪らずルルーシュはナナリーに駆け寄った。

 勢いのままに華奢な体を抱きしめる。小さな体だ。アッシュブロンドの柔らかい髪が頬を撫でる。どうしてナナリーが集合無意識に戻ろうとしているのか理解ができない。いつか理解できるとも思えなかった。

 ナナリーと自分が一つの存在になることは永遠に無いのだろうから。

「行くなナナリー」

「いえ、私は行きますお姉様。さようならです」

 二度と離さないと抱きしめる腕に力を籠める。その力に応えるようにナナリーはルルーシュの背中に腕を回して爪を立てた。

 体温は愛だ。これから自分は体を捨てる。姉から愛を受け取るのはこれが最後になるだろう。涙が零れて視界が濁る。ナナリーは眼を閉じてルルーシュの背中に縋りついた両の掌を赤く輝かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルルーシュの視界全てが白く染まった。

 空虚で寒い空間に突如として放り出される。しっかりと抱きしめていた筈のナナリーは腕の中に居なかった。

 寒くて肌が粟立つ。一体ナナリーはどこに消えたんだと周囲を見回すも視界全てが純白で覆われている。

 茫然とする間もなく周囲の景色は純白から複雑な色彩へと姿を変えた。眩暈を起こすような色の変化に耐えながら何が起こっているんだと周囲に目を走らせると、目まぐるしく移り変わる景色は自分の人生の一場面を繋ぎ合わせたものであることに気付いた。

 走馬燈を逆に回すように脳裏に染みついていた記憶がかわるがわる周囲に浮かび上がっている。

 人生の記憶一つ一つが閃きながらモザイクを砕いたカケラのように散らばり、繋がって道を描いていた。眩しい道程は所々目を背けたくなる程に汚らしい色をしていたが、ルルーシュはそのモザイク状の歪な道を歩むしか無かった。

 他に道は無かった。いや、あったかもしれない。しかし自分は自らの意志で以って一つ一つカケラを選び、自分の手で道として敷き詰めたのだ。こんな筈じゃなかった。歪なモザイクの道を消してしまいたいと想えば想う程に涙が零れる。

 俯く瞳から涙を受け止めた過去は閃き、通り過ぎて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 集合無意識の中で感じた冒涜的な記憶

 

 

 マリアンヌの宣言と共に世界中にギアスがかかった瞬間

 

 

 皇帝位への登極

 

 

 ゼロとして黒の騎士団から受けた弾劾

 

 

 カレンに救われた黄昏

 

 

 ナナリーがシャルルの元へ向かった時

 

 

 ユフィの死

 

 

 ジェレミアの帰還

 

 

 合衆国日本の建国

 

 

 ブラックリベリオン

 

 

 行政特区日本の式典

 

 

 C.C.の本名を知った時

 

 

 ナリタ連山での戦闘

 

 

 ゼロとして初めて表舞台に立った時

 

 

 シンジュクゲットーでの掃討作戦

 

 

 ジェレミアが死んだと思った瞬間

 

 

 アッシュフォードでの幸福な日々

 

 

 スザクとの別れ

 

 

 枢木ゲンブを殺した夜

 

 

 ジェレミアとの再会

 

 

 屈辱の日々、そしてスザクとの邂逅

 

 

 マリアンヌの死

 

 

 初の戦場で嗅いだ鉄火の臭い

 

 

 ジェレミアとの出会い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――おぎゃあ、おぎゃあという泣き声が聞こえる。

 花が咲き乱れる離宮の庭でルルーシュは花を摘んでいた。しかしアリエスの離宮中に響き渡るような煩い泣き声に耐えられず、花を摘む作業を中断して顔を顰めながら音源を探そうと四方を見回す。すると近くのベンチに母が腰掛けていることに気付いた。

 

 近寄るとマリアンヌは腕の中に何かを抱えているらしかった。腕の中にすっぽり収まる程度の小さいものだ。3歳の子供らしくルルーシュはよたよたと頼りない足取りでベンチの上に乗った。

 母の肩にもたれ掛かる様にベンチの上に立って柔らかな腕の中に納まっている小さい生き物を見下ろすと、それは自分に似た色合いの菫色の瞳を瞬かせてこちらを見上げた。

 一瞬泣き声が治まる。しかしそれは本当に一瞬のことで直ぐにその小さな生き物は再度泣き声を上げ始めた。あまりの甲高い声量にルルーシュは驚いてのけぞった。この生き物は何なんだろう。

 しげしげと泣き続けているその生き物を研究者のような目つきで観察した。顔はくしゃくしゃで赤らんだ猿のような外見をしている。申し訳程度の短い髪が頭に生えており、手足は豆粒のように小さい。頬は丸々としていてリンゴのように赤い。

 恐る恐る指を伸ばして頬をつつくと信じられないくらいに柔らかかった。おやつに食べるマシュマロのようだ。

 頬をつつかれたのがむず痒かったのか赤ん坊はさらにボリュームを上げて泣いた。

 しかしマリアンヌがよしよしと赤ん坊の小ぶりな頭を撫でると、スイッチが切れたかのように泣き声を上げるのを止めた。そしてこれまでの騒ぎようは何だったのかと思う程に穏やかに目を瞑って眠り始める。

 なんて挙動不審な生き物だろう。

 

 好奇心からナナリーを凝視するルルーシュにマリアンヌは苦笑した。

「もうあなたはお兄ちゃんよ、ルルーシュ。これからはナナリーをちゃんと守りなさいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉様、愛しています。永遠に愛しています。だから、いつまでも私のことを忘れないでいて下さいね」

 

 ナナリーは崩れ落ちたルルーシュをその場に置いて集合無意識に向かう。足取りに淀みは無い。

 ショックイメージの影響で全身を震わせながらも、ルルーシュの視線はナナリーを一心に見つめていた。その視線を感じながらもナナリーは振り返ることは無かった。

 

 螺旋を描きながら昇り続ける集合無意識を見上げてナナリーは眼を細めた。  

 どこまでもどこまでも昇っていく。その先には楽園があるのだろうか。

 集合無意識が向かう先を捕まえようとするかのようにナナリーは両の掌を掲げた。そしてそのまま集合無意識に向かって飛ぶ。

 背後でルルーシュが絶叫するのが聞こえたが、ナナリーの足を止めるには至らなかった。

 

 

 意識だけになったナナリーは集合無意識の中に入り込み、溶け込んだ。無数の意識にもみくちゃにされて小麦の粒が練り合わさって一つの塊になるように集結の一点を目指す。

 降り注ぐ大量の記憶と意志で摩耗していくナナリーの自我は自分の名前を忘れ、自分が以前は独立した一つの個人であったことさえ忘れようとしていた。

 瞼の裏に沢山の人々が別れを告げるように浮かんでいく。そして次々に去って行く。自分を通り過ぎて去って行く人々の名前も、性格も、顔も、その自我は忘れていく。

 

 最後に記憶の隅に残った一人の、名前も忘れた黒髪の美しい女性がその自我の記憶から名残惜し気に立ち去ろうとしていた。

 その女性の凛とした後姿を見送り、あれは誰だったのかと思い出そうとしたが、もうその女性に関する記憶は自我の端にも残っていなかった。記憶は綺麗にまっさらになった。

 無数の意識の奔流に飲み込まれて完全に消滅しようとしている自我は穏やかな心持のままその時を待った。しかし波打つ奔流に溶け込もうとする最後の瞬間にふと、誰に向けるでもなく呟いた。しかしその呟いた言葉さえその自我は直ぐに忘れてしまった。

 

「―――――自分の一番正しいと思うことを、自分の好きなようにしましょう。そうする権利は誰にだってあるのです。きっと、誰にだって。そうするために私は世界を壊し、そして、世界を――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 望んだ殆ど全てのものを連れて、ナナリーは現実世界を去って行った。

 戦争や悲しみ、理不尽さが存在しない空間。完璧に互いを理解し合える人々。

 自分を大事にするように他人を大事にできる、すれ違いなど起こりようもない優しい世界。

 地球上全てとはいかずともナナリーは多くの意識を連れて永遠の楽園を求めて旅立ったのだ。

 

 愛以外のもの全てをナナリーは手に入れた。

 

 

 しかし愛だけは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このようなところにお一人で、」

「大丈夫だ。見届けたらすぐに行くから」

 お前らは先に帰れと言うルルーシュを一人この場に残して行くことに賛同できないのはジェレミアだけでなく、スザクも同様だった。

 こんな得体の知れない場所に一人で残すなんてできる筈が無い。もし敵がいきなり現れたら、もしルルーシュだけ帰れなくなってしまったらと思うと肝が冷える。

 だがCの世界がどんな世界なのかこの場で唯一具体的に理解しているC.C.はルルーシュを窘めることは無かった。

「別にそう長い間じゃない。あの頭上で旋回している無数の意識が集合無意識に残るか、それとも現実世界に帰るか決めるまでの間さ。迷う意識がどんな決断を下すのか見届ける義務が俺にはあるだろう」

「そんな、ルルーシュ様は集合無意識が創られたことに何の関りも無いでしょう。むしろ被害者の側ではありませんか」

「――――俺にだって責任はあったんだよ」

 集合無意識を良しとしたナナリーがとうとう理解できなかった。それこそが自分の罪だとルルーシュは思う。

 もっと早くナナリーを理解できていればこうはならなかっただろう。きっと集合無意識など創られることは無く、そもそもナナリーがV.V.に唆されてギアスを持つことも無かった筈だ。

「たった一人の妹なのに俺は理解してやれなかった。大事にしてやれなかったんだ。俺のせいだ。俺がもっと、何にも悩まなくて済むように、」

「ルルーシュ様は十分にナナリー様を大事にしておられました。ナナリー様が居なくなられたのはルルーシュ様の責任ではございません」

「ではどうしてだ。誰のせいでナナリーは居なくなったんだ。シャルルか、マリアンヌか、V.V.か、それともお前のせいだとでも言うつもりか?」

 歯を食いしばって詰問するルルーシュの背中をジェレミアはゆっくりと撫でた。

 大きな掌で撫でられてルルーシュは息を吐く。眉間には深い皺が寄っていた。

「悪い、八つ当たりだった」

「お気になさらず」

 力なく肩を落とすルルーシュの姿は珍しいものだった。

 

 ナナリーの喪失からルルーシュが立ち直るためには長い時間が必要となるだろう。それまでルルーシュはナナリーを理解できなかった自分を責めるに違いない。しかしいつかは、ルルーシュも理解できるとジェレミアは信じた。

 他人を理解できないことは何も悪くないのだと。理解できないことを認めることも、また理解の一つなのだと。聡明なルルーシュはきっといつか気付くだろう。

 

「ナナリー様は御自分の意志で自分の道を選んだのです。誰のせいでもございません。ルルーシュ様が自らの意志で復讐することを決めたように、ナナリー様も自ら決めたのです。ルルーシュ様が御自分を責めるようなことをすれば、それはナナリー様にとって侮辱となるでしょう」

「でも集合無意識を創ってしまうまでにナナリーを追いつめたのは俺だ」

 もういい、とルルーシュは首を振った。

「一人にしてくれ。必ず帰るから」

 しかし、と食い下がろうとしたジェレミアにルルーシュの視線は既に向いていなかった。

 今のルルーシュはナナリーのいる集合無意識にしか視線を向けていない。ここで自分が何を言っても届かないだろうということは容易に察せられた。

 だがこのまま一人で残るだなんてと躊躇うジェレミアの肩をスザクが押した。自分よりも上背のある、それもサイボーグ化されているために見た目よりもずっと重量のある男を、しかし何の抵抗も感じていないかのように集合無意識の根本に繋がる大穴の方角へと押していく。

 石畳に靴を引っかけて足を止めようとするが、まるで背後からダンプカーに押されているようで全く足が止まらない。一見細身で優男然といった風貌をしているスザクが持つ筋力に空恐ろしくなる。

「枢木、おいっ」

「こんな時ぐらい一人にしてあげましょうよ。ナナリーはルルーシュの一番大事な人だったんですから」

「そんなことは貴様より私の方が分かっている!だがこんな得体の知れん場所でお一人にするなどっ」

「それは僕も同意ですけど、でもコードを持つナナリーが集合無意識の管理人みたいなものなんですからもうルルーシュに危害を加えるような奴は現れませんよ」

「どうして貴様にそんなことが言えるのだ!」

「だって僕もさっきまで集合無意識の管理人みたいなことしましたから、何となく分かるんです。大丈夫ですから」

 しかし、でも、と続けようとするジェレミアをスザクは問答無用でぐいぐいと押して行く。足を突っ張って止まろうと奮戦するがジェレミアの足先は摩擦でばちばちと火花を散らせながらも一向に止まる気配は無かった。

 どんな筋力しているんだこの青年は。中身はサイボーグか何かか、とサイボーグであるジェレミアは本気で訝しんだ。

 

 遂には穴の淵に足先が半分出た状態でわたわたとジェレミアは両手を振り回した。しかしスザクはジェレミアの背中を押す手を微塵も緩めない。際で踏み留まるジェレミアは背後から迫る力を逸らそうと振り子のように体を前後に揺らす。

「おい、押すなよ。絶対押すなよ!」

「振りですか?」

「いやこれはリアルなやt」

 どん、と最後に大きく背中を押され、ジェレミアは真っ逆さまに現実世界へと落ちて行った。

 

 「おのれ枢木ぃいいいいいいい」とエコーを響かせながら思考エレベーターへと落ちて行くジェレミアをルルーシュはあーあと見下ろした。

「帰ったら騎士同士で喧嘩とか止めてくれよ。お前たちが喧嘩すると建物が壊れて修理代がかさむ」

「そんなことしないよ。ジェレミアさんは君が思っているより忍耐強くて思慮深い人だから」

 そうか?と首を傾げるルルーシュへスザクは曖昧に微笑んだ。

 

 一度は集合無意識という神になった身として深く物事を理解できるようになったと思う。

 ジェレミアだけでなくナナリーやユーフェミアに関しても、多くの人々の多面的思考を獲得したスザクは誰よりも彼らの思考展開や行動論理を理解していた。

 だがこれは一瞬のことだろう。自分が神になった時間はそう長くは無かった上に情報量は膨大に過ぎた。それに人間の思考回路は複雑で、そう優秀な頭脳を持っている訳でも無い自分が長く覚えていられるようなことでは無い。

 しかし今この瞬間スザクはルルーシュという人間のことを誰よりも理解していた。ナナリーよりも、ジェレミアよりもだ。

 そしてその上でスザクはルルーシュの親友であってよかったと思う。

 そして同時に、ルルーシュがロロのようにならなくて良かったと心から安堵した。

 

 スザクも淵に立って真下を見下ろす。穴の底は見えない。真っ暗闇だ。しかし不思議と恐怖感は無かった。現実世界ではないからだろうか。

 その隣にC.C.も並んで穴の下を見降ろす。こちらも恐怖は顔に表れていない。よし、と息を吐いてルルーシュへと振り返った。

「じゃあ僕は帰るね、また後で」

「私も先に帰るからな」

「ああ。また後で………スザク」

「何?」

 集合無意識の中でユーフェミアには会えたか?と聞きたかったが、ルルーシュは言葉が出る前に口を閉じた。

 あまりに無遠慮な質問だと思ったのだ。それに顔を明るくした、少年だった頃のように快活なスザクを見ると答えは明らかであるような気がした。

 スザクの深い憂いを払うことができる人物など一人しか思い浮かばない。

 

 一瞬ルルーシュはスザク越しにユーフェミアの姿を見た。

 記憶のままに長い髪を靡かせて、あのピンク色のドレスを着て。ユーフェミアは微笑みながら手を小さくルルーシュに向かって振った。目には微かに涙が浮かんでいた。

 

 瞠目して瞬きをするとすぐにその姿は掻き消える。本当に一瞬のことだった。

 錯覚か、それとも一瞬だけ最後に姿を見せてくれたのか。ルルーシュには分からなかった。

 だが錯覚とするのはあまりに彼女の姿は鮮明だった。それにここはCの世界だ。何が起こっても不思議ではない。

 ユーフェミアが集合無意識に残る選択をするとは思えない。ならばユーフェミアはコーネリアと共に死後の世界に行ったのだろう。最後にその姿を見せてくれたのだ。そうルルーシュは思った。そう思ったのなら、そうなのだ。自分の中では。それでいい。

「何でもない、じゃあまた後でな」

 スザクとC.C.は頷いて、その場を去った。

 

 

 

 

 ルルーシュは一人その場に残った。石畳に腰を下ろしてナナリーが混じっている集合無意識を見上げる。呻き声や鳴き声などが響いているが、多くの意識が既に現実世界に戻ったためか最初と比べると幾らか静かになった。とはいえ未だ動物園のど真ん中にいるような騒がしさは残っている。

 目を細めて幻想的な光景を一人で見上げると寂寥がぽつぽつと浮かんでくる。自分でここに一人で残ると言ったのに、いなくなったらいなくなったで寂しいとは現金なものだと苦笑いが浮かんだ。

 頭上を迷っているように旋回する意識の数は数えきれない程だ。数百や数千ではない。下手をすれば数億を超えているかもしれない。だがそれほど長い時間はかからないだろうと思う。

 

 迷うということは、それだけ自分の決断を大事にしているということなのだから。集合無意識に入るかどうかというのは自己をどれだけ重要視しているかという問いなのだ。迷っている時点で答えは出ているようなもの。

 両足を投げ出して集合無意識を眺める。あの中にナナリーがいる。そう思うと体が朽ちて無くなるまでずっと見ていられるような気がした。

 しかしそうもいかないのだ。そのまま無言で様々な記憶を脳内に浮かび上がらせながらルルーシュは集合無意識に視線を注いでいた。

 だが数分もしない内に背後から迫る足音に気付き、怪訝な顔をして振り返る。

 

 自分と全く同じ容姿を持つ従兄が立っていた。1年前のただの学生だった時は自分と随分と似た容姿だと思ったが、今は全く同じ顔だと認めざるを得ない。幾多の戦いで挫滅した精神が滲み出た顔つきは今の自分のそれと全く同じものだった。

 驚いて目を見開く。だが驚いたのはそこにロロがいたということではなく、ロロが身に纏っている衣装のためだった。

 自分と全く同じ皇帝服をロロは身に着けていた。細かい模様も宝石のついた帽子も同じ。それどころか胸を染める赤い血の汚れまで全く同じだった。まるで自分のドッペルゲンガーを見たような気分だ。

 唯一違う点を挙げるとするならば、自分の右胸を中心とする衣服の汚れがロロは胸の中心部にあることだった。あの場所を剣で貫かれると心臓が潰れて即死することは間違いない。

 だがロロは痛みの欠片も顔に上せることは無く颯爽とした足取りでルルーシュの隣まで歩き、許可を得る事も無く当然のようにその場に腰を下ろした。

 

 一体どこからやって来たのか。何のために来たのか。従兄とはいえそれ程によく知っている訳ではない男に脳内で疑問符が次々に飛び上がった。

 だがこの男を前にすると不快感が先に立つ。自分によく似ている顔が醜悪に見えてしょうがない。客観的に見ると絶世の美貌だと言わざるを得ないが、自分と同じという点が拭いようのない不快感を沸き立たせる。

 喋りかけた口調には無意識の内に舌打が交じっていた。

「一人にして欲しいんだが」

「俺もお前だ。俺がいても一人であるということに変わりは無い」

「――――何を言っているんだ。俺もお前だと?」

「俺は並行世界のお前だ。楽しませてもらったよ」

 ほら、とロロは首元を広げて赤いコードを羽ばたかせた。先ほどまで自分がコードを有していた場所と同じ場所にコードが光っている。

 

 そうだったのか、と思う。

 数時間前ならば「並行世界?は?そんなものある訳が無いだろう。どうせ何か企んで嘘を言っているに違いないんだこの皮肉屋で性根の曲がった従兄殿は」と言い返しただろうが、今のルルーシュはすとんとその事実を胸の中に落とし込むことができた。

 集合無意識の中に居た時に遭遇した冒涜的な恐ろしい者達。あんなものが実在するのだと知った今では並行世界の自分がいても別におかしくないだろうとさえ思う。

 並行世界など非現実的であるとは思うが、現実には想像を超越するものがあると既にルルーシュは知っていた。

 人の理解できる物事はきっとそう多くは無い。理解できないままに飲み込むことも必要な時がある。ナナリーの情動のように。そうまで思ってルルーシュは首を振った。今となってはもう何もかもが遅いことだ。気を取り直して視線をロロに向けた。

「そうか。前々からお前は俺に似過ぎていると思ったんだが、そういうことか」

「思ったよりもあっさり受け入れたな。俺なら「並行世界なんて実在する訳が無いだろう。どうせ何か企んで嘘を言っているに違いないんだこの嘘吐きで性格の捻じ曲がった従兄殿は」くらい言うかと思ったんだが」

「ちょっと惜しい」

 だがかなり近い。本人の言う通り確かにロロは自分であるようだった。外見だけでなく思考回路も自分とかなり重なっている部分がある。

 しかし、生地の厚い皇帝服ではよく分からないが、以前に見たラフな格好のロロの体格は間違いなく男のものだった。

 

 ロロは男であった場合の自分なのだろうか。いや、元々は自分も男だったと思い直し、ギアス適正率を向上させるための手術を受けた副作用が発現しなかった場合の自分だとルルーシュは結論付けた。

 無論その他にも色々と違う箇所はあるだろうが、あまりにそっくりなロロと自分の差異は性別以外にそうは無いように思えた。他にあまり違いは見られない。

 指先だけを合わせるような拍手をしてロロは鼻を鳴らした。

「ともあれお疲れ様。お前の話はもう閉幕といったところか」

「まあこの件に関してはそうだろう」

 だが人生は続く。そう言うとルルーシュは口を閉じた。ロロも皮肉気に唇を歪めて黙る。

 

 2人で空を泳ぐ意識達を眺めた。しかし暫くしてからロロはふと呟いた。

 ロロのことは好きではない。だが不思議と居心地の悪い沈黙では無かった。きっとロロも無言で他人と2人きりという状況を別段不快に思っている訳でも無いだろう。

 ただ単に自分自身と出会う稀な機会をこのまま黙って過ごすのがもったいないとでも感じたような口ぶりだった。

「暇つぶしに、何か話でもしようか」

「急にどうした」

「いや、俺とお前はどう違ったのかと思ってな」

「ギアス実験の副作用の有無だろう。思考回路にそう差異は見られないと思うが」

「そうとも言えない。少なくとも俺がお前だったら、なんとしてでもナナリーを集合無意識から取り戻そうと最後まで足掻いた」

「――――俺だってナナリーには帰って来て欲しいと思っている」

「何としてでもという程ではないだろう。コードを奪われてナナリーの意志に気付いた後、ジェレミアに命じてナナリーを取り押さえてコードを奪い返すこともできた筈だ」

 俺ならそうした。そう言ったロロに、確かにどうして自分はそうしなかったのだろうとルルーシュは疑問に思った。

 そんなことは思いもよらなかった。

 

 そうすればナナリーは集合無意識に溶けることは無かったかもしれない。コードが無ければ集合無意識が安定化しないと言っていた。ならばコードを取り戻していれば集合無意識は崩れて全ての意識は現実世界に戻り、ナナリーも現実世界に戻っていたかもしれない。

 しかしそうと気付いたとしてもあの場でナナリーの意志をへし折るように暴力的な手段を取ることを自分はしなかったように思う。

 その理由は、よくは分からない。

 

「………俺とお前はどう違ったんだろうか」

「少なくとも生まれは同じだった。手術の副作用でお前は女になったが、性別でそう大きく思考回路が変わるとも思えん。そもそもお前は女というより男女と言った方が正しいだろうしな」

「五月蠅いな……というかお前はいつからこの世界に居たんだ。もしかして何年も観劇でもするように俺が慌てふためいているのを楽しんでいたのか?」

「否定はできんな。12年前からだよ。俺は12年間、お前があらゆることに慌てふためいて無様な真似を晒すところを観させて貰った――――実に不愉快だったよ、自分の愚かさを目の当たりにしているようだった」

「ふん、じゃあさっさと自分の世界に帰ったらどうだ。お前が俺ならば傍から見て文句を言うだけの愚昧な群衆の一粒に成り下がるなど許せることじゃ無いだろう。自分の世界に戻って好き勝手暴れて無駄に高いプライドのせいで大失敗して罵声を浴びせられると良い。お前はそれがお似合いだ」

「その発言はブーメランだぞ………お前に言われなくてももう帰るさ。呼ばれているようだから」

「何に?」

「俺の世界の集合無意識に」

 ロロは肩を竦めて頭上に飛んでいる意識を見上げた。

 この男の事情は良くは分からない。しかしロロが12年前からこの世界にいるという言葉に嘘は無いように思えた。そもそも嘘を言う理由は既に無い。

 

 12年前、つまりは自分が6歳の頃からか。

 思っていたよりも長い期間を観察されていたと知り言葉にできない不快感に舌打ちした。一方的に知られているというのは相手と自分の間に否応なく立場を作る。知られている方が弱者だ。

 こちらの失敗や経験を知っている上で相手は自分の情報を抱え込んで背中を向けているというのは、日記を勝手に見られたような言いようのない苛立ちと気持ちの悪さを湧き起こした。

 

「お前の話を聞かせろ」

 

 ん?とロロは首を傾げた。その小さな仕草までもが嫌味な程に艶やかで、マリアンヌに似ていることが神経に障る。それはつまり自分がマリアンヌに似ているということなのだから。

「俺の話?」

「俺のことばかり知っているというのも不公平だろう。どうせ時間はある」

 頭上を飛ぶ意識はまだ数億とある。彼らが道を決めるまで少なくとも数時間はかかるだろう。

 いくら波乱万丈の人生だったとしても、たかが18年程度の短い人生だ。語るにそう時間はかからない。それに多少省略されてもきっと自分には問題なく理解できる。

「どうしてお前に俺の話をしなければならないんだ」

「その言葉は俺の人生を観劇したお前へのブーメランだぞ。お前が俺の人生を観て参考にしたように、俺もお前の人生を参考にする権利がある」

 そうは言うものの別段ルルーシュはロロの人生を参考になどする気など無かった。気に食わない男の人生を参考にして、さらにこの男に自分が似るなど嫌に決まっている。

 今ルルーシュを突き動かしていたのは単なる負けず嫌いの精神と、存在の根本に刻まれた不平等への反逆精神だった。

 そのことを言われずとも理解しているだろうロロは、ルルーシュに何を言っても無駄であると判断したようだった。流石によく理解している。こうなったら相手に自分の要求を飲ませるまでルルーシュは食い下がる、非常に面倒くさい男女なのだ。

 

 それに加えてロロにしても嘘をついたり虚勢を張ったりする必要も無い相手に出会うことは初めてであり、自分を語るという普段であれば全面的に忌避することへ無意識の内に乗り気になっていた。

 他者との完璧な相互理解への諦念と、相手に自分を理解して欲しがる欲求とは併存し得るものなのだから。

 元々存在が抹消された幼少期を過去に持つロロは自己存在への承認欲求は人一倍強かった。だが親友には存在の根本から否定され、妹にも人殺しだと貶された。生徒会の友人達は自分から捨てた。

 残ったのは自分一人だ。だから一人で死んだ。

 

 目の前のルルーシュは自分自身だった。ならば遠慮する必要など何もないのだった。自分の過去や感情を詳らかに話しても絶対にこの女は自分に優しい言葉なんてかけやしないし、同情なんて絶対にしない。

 同情こそが自分の最も憎むべき敵であることをルルーシュは理解している。実の親に存在を否定されるのも、仲間だった連中に銃口を向けられるのも、親友に斬り殺されるのも、悪逆皇帝として永遠に蔑まれるのも今となっては我慢できる範囲内のことだった。

 しかし同情だけは許せない。それは自分を下に見ているということだ。それだけは嫌だ。憐れみの籠った視線こそがロロ、ルルーシュという存在を否定する最も凶悪な攻撃だった。

 

 銀細工のように怜悧な視線でロロを睨みつけるルルーシュには同情の欠片も無い。それがロロには小気味よかった。他者から見れば自分の人生には幾分か同情する点があるだろうが、ルルーシュは絶対に同情しない。心からそう信じられる。

 一度口を開くと言葉が次々と溢れかえった。

 

 

 男の、ジェレミアという騎士が居なかったルルーシュがどうやってここまで生きて来たのか。ルルーシュは頭上で螺旋を描いて飛ぶ集合無意識に視線を向けたままロロの言葉に耳を傾けた。

 長い長い話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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