楽園爆破の犯人たちへ 求   作:XP-79

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Epilogue
Epilogue 1. 楽園爆破の犯人たちは


 

 

 

 

 

 

 

 黄昏時。かぁかぁとカラスが鳴きながら頭上を飛んでいる。

 皇宮の一角には花園が広がっている。隅々まで手入れが施され雑草の一つも生えていない。風に煽られて花弁が飛ぶ。赤い夕陽に照らされた花園は幻想的なまでに美しい。

 アリエス宮にどこか似ているこの庭園は皇帝ルルーシュが半年前、前皇帝シャルルと王妹ナナリーの思惑を妨害した功績に対し、実兄に下賜した褒美の一つだった。下賜されて以来シュナイゼルは一心に花の世話に熱意を注いでいる。

 

 シュナイゼルは車いすに乗ったまま花園を囲む茂みの中に手を伸ばした。白い指は茂みの上に落ちていた小鳥を拾い上げた。小鳥は掌にちょうど納まる愛らしい楕円形をしており、凍えるように羽を小刻みに震わせていた。凝固した血液が蜘蛛の巣のように小鳥を覆い尽くしている。

 銃弾で撃ち抜かれてから動く事の無くなった膝の上にハンカチを広げ、その上に小さく身動きをする小鳥を乗せる。震える指先で小鳥の頭を撫でてシュナイゼルは信頼するメイドの名前を大声で呼んだ。

「シャーリー、シャーリー!」

「シュナイゼル殿下、どうされたのですか?」

 シュナイゼル付きのメイドに出世を果たしたシャーリーはシュナイゼルの珍しい大声に息を切らせながら駆け寄った。

 

 シュナイゼルに仕えてから既に半年が経つが、穏やかで聡明なシュナイゼル王兄殿下がこうまで取り乱すような声を上げたことは一度も無い。

 まさか侵入者か、と思うも、今日の警備担当はナイトオブセブンの枢木スザクである。あの実直な騎士が侵入者を許すような不手際を取るとはとても思えない。

 駆け寄るシャーリーの姿を認めたシュナイゼルは自分の膝を指さした。若干の緊張と共にシャーリーはシュナイゼルの膝の上に横たわる小鳥を見た。

 ハンカチには小鳥を中心として血の滲みが広がっている。野鳥に襲われたのか腹の部分が深く切り裂かれていた。小鳥は腹を上にして引き攣る様に身動きはしているものの、飛ぶどころか歩く力も無いようだった。

「茂みに落ちていたんだ」

 シュナイゼルは目を真っ赤にして泣きそうな顔をしていた。口を弓のように曲げて眉根を下げている。段々と動かなくなっていく小鳥の頭を指の腹で何度も撫でさすっていた。

 

 どうやらシュナイゼルの身に何か起こった訳ではないらしい。安堵しつつも、涙目のシュナイゼルにつられてシャーリーも眼を潤ませながらシュナイゼルの隣に屈んだ。

 この半年で知能面においても情緒面においても大きく成長したものの、死を目の当たりする経験はまだこの王兄殿下には無かった。血塗れの弱弱しい小鳥はシュナイゼルの幼い心に深い傷を付けたようだった。小鳥の体温はシュナイゼルの指を優しく温めた。

「そうでしたか。可哀そうですね」

「お医者さんに診せたら治る?また飛べるようになる?」

「………それは、」

 どう見ても先の長くない小鳥を前に、どう返事をしたものかとシャーリーは返事に窮した。

 

 この幼く純真な精神を持つ王兄殿下は、どうやっても助けることのできない命というものがあることをまだ理解できていないのかもしれない。

 もう助けられないんですよ、死ぬしかないのです、とは、シャーリーには言えなかった。この純朴な青年に非常な現実を伝えるだけの勇気が無かったのだ。

 

 押し黙るメイドを前にシュナイゼルは耐えるように口元を引き結んだ。

 並んで動きを止めた小鳥を2人で見下ろす。シュナイゼルはとうとう涙を零し始めた。膝の上にぽたぽたと涙が落ちた。冷えた空気のような沈黙の帳が落ちた。

 だが柔らかな声が沈黙を破った。聞き慣れた声に2人共振り返る。

「どうされたのですか兄上。シャーリーも」

「っ、ルルーシュ!」

 頼りになる妹の声にシュナイゼルは顔を明るくした。皇帝であるルルーシュに出来ない事は無いとどこかシュナイゼルは盲信している節があった。

 

 ルルーシュは即位してから半年で未曾有の大災害を一段落させた辣腕として名高い皇帝である。怜悧な美貌通りの合理的かつ先進的な手腕は、略奪を旨とするブリタニアの名を挽回するのに半年も必要としなかった。

 現在のブリタニアはラグナレクの接続に伴う甚大な被害からの復興における陣頭指揮を担っている。

 政務に携わっていないシュナイゼルも、ルルーシュが凄い人物であるということは多くの人から聞いていた。

 具体的にどう凄いのかはまだ分からないけれど、ルルーシュに追従する部下達だけでなく、ブリタニアの庇護下に無い国々も嫌々ながらルルーシュ皇帝が有能であると認めているのだから間違いは無いだろう。

 

 車いすを自分の手で操って近寄るシュナイゼルをルルーシュは温かみのある笑顔を浮かべて迎えた。皇帝服のデザインは変わらず男性のものである。しかし半年前より髪が伸び、甘やかな曲線を描く体で凛と立つ姿は明らかに女性であった。

 その背後で本日の警護役であるスザクも騎士服に身を包んで微笑みを零す。こちらも半年前と比較し落ち着きと深みの増した顔をしていた。共に18歳とは思えない貫禄のある姿だった。

「3日振りですねシュナイゼル兄上。お変わりはありませんか?」

「何にも変わりないよ。ただね、小鳥を見つけたんだ」

 ほら、とルルーシュに膝の上に乗った小鳥を見せる。一度目を見開いた後にルルーシュは眼を細めた。

 ルルーシュの眼にはもう小鳥は死んでいるように見えた。目を閉じて足を小さく折りたたみ、腹を上にして微動だにせず剥製のような姿を晒している。シュナイゼルは瞳を潤ませながらルルーシュを見上げた。

「ルルーシュ、ルルーシュなら治せる?また飛べるようになる?」

「―――いえ、」

 ルルーシュは顔を横に振った。

「もうその小鳥は死んでしまっていますよ、兄上」

 冷徹にも聞こえる言葉にシュナイゼルはぶわりと瞳に涙を大量に浮かべて、小鳥の死骸の上にぽたぽたと落とした。ぎゅっと口を噛みしめてしゃくりあげる。

 

 姿は成人をとうに過ぎた青年のものだというのに、幼児のように泣く仕草は不思議と違和感を与えなかった。内面が幼い子供のように純真無垢であるからなのかもしれない。

 それもそうだろう。シュナイゼルは未だ生後半年の幼子のようなものだ。無垢であって当然だ。

 そうと知りつつも小鳥のために涙を流すシュナイゼルにルルーシュは言いようのない安堵感を得た。なんて心優しい人なのだろうと感嘆すら覚えた。

 しかしこのままではいけないとも気付いている。彼はナナリーのようになってはいけない。

 シュナイゼルには現実の酷薄さを知り、それを受け止めて生きるだけの度量を持つ人物になって欲しかった。

 

「僕がもっと早く気づいてあげれば、助かったかもしれないのに」

 ぐすぐすと鼻を鳴らす兄の肩をルルーシュは優しく叩いた。

「兄上、お墓を作ってあげましょうね。お庭に埋めてあげましょう」

「う、うん」

「―――兄上のせいではありませんよ。小鳥の運命だったんです」

 ほら、と小鳥をハンカチで包む。シュナイゼルはハンカチをゆりかごのように揺らして指先で小鳥の形を撫でた。母親が子供を撫でるような仕草だと思った。その位にシュナイゼルの動きには慈愛が満ちていた。

「でも、でも可哀想なんだ。何かしてあげたいって思うんだ。僕がもっと何かしてあげていれば、こうならなかったんじゃないかって、僕はすごく、すごく思うんだよルルーシュ。これって間違いなのかなぁ」

「間違いではありません。それはとても貴く優しい考えです。しかし同時に少し傲慢な考えでもあるんですよ」

「ごうまん?」

「小鳥の運命は、小鳥のものです。兄上のものではありませんし、責任を感じることもありません……それに小鳥は精一杯生きたのですから、あまり可哀想とは思わないであげましょうね」

 ルルーシュの言葉がシュナイゼルに正確に伝わったのかは分からない。だがシュナイゼルは深い知性の宿る目を閃かせて深く頷いた。

 

 

 小鳥の死骸は花園の隅に埋めた。簡素な墓の前で手を組んで一心に祈るシュナイゼルの背中を3人で見守る。

 シュナイゼルに聞こえないよう3人は声を潜めて言葉を交わした。

「殿下、かなり精神的に成長してきたね」

「ああ。最初は乳児のようだったのに今はもう10歳程度の情緒を備えている。このまま行けば実年齢に至るまであと1年もかからんだろう」

「………ついこの前まで夜泣きしてたのに、不思議ね」

 シュナイゼルを見るシャーリーの眼はただのメイドのものにしてはあまりに優し気だった。母親が子供に向けるようなものともまた違う。一番近いのは年の離れた姉が弟を見るような視線のように思えた。

 

 

 

 半年前、シュナイゼルは感情を喪失する事を拒否して自らの両足を撃ち、失血のあまり命の危機に晒された。

 その時地球上にはシュナイゼル以外に意識を有する生物はおらず、誰からの助けも得られないままシュナイゼルは特派の施設の一室で冷たい床の上に血を流し続けた。

 シュナイゼルが救急搬送された後にその現場をルルーシュも見たが、床一面に広がる血の海に背筋が凍った。戦場での経験からどれだけの血を流すと人が死ぬのか理解していたルルーシュはそれが致死量に近い出血量だと一目で分かったのだ。

 

 だが現実世界に帰還したスザクとシャーリーが迅速に医療機関へ運び、さらに王兄であるとして最優先で手厚い治療を施された事からシュナイゼルは辛うじて一命を取り留めた。膝から下と引き換えに。シュナイゼルは二度と歩けない体となった。

 だが生きてさえいれば。シュナイゼルを知る者達は彼の運命に祈った。

 祈りが通じたのかは不明だが、当初はショック状態であった容体は順調に回復した。不摂生を一切していない若く健康な体であった事が功を奏したのだろう。蝋のような肌は元の淡い肌色を取り戻し、鎖のように体中を覆っていた医療器具は日々その数を減らした。そして入院してから数日後にシュナイゼルは意識を取り戻した。

 その報告を受けて病院へ急行したルルーシュは、未だ幾つものチューブに繋がれながらも、集中治療室のベッドの上で目を開いたシュナイゼルを前に安堵の息を吐いた。体に大きな後遺症は見当たらず、命の危機は脱したと医師は説明した。

 説明を受けた後に震える両手を繋げた妹へシュナイゼルはガラスのように澄んだ視線を向けて、喃語を幾つか口にした。

 目を覚ましたシュナイゼルは全ての記憶を失っていた。その精神は幼児のように無垢なものへと退行していた。

 

 

 

 祈りを終えたシュナイゼルは息を吐いてルルーシュ達の方へ振り返った。

「ねえ、ルルーシュ。ここに花を植えてもいい?」

「勿論良いですよ。この庭は兄上のものなのですからね。しかしどうして?」

「花がいっぱいの方が小鳥も嬉しいかと思って」

 真剣な顔をするシュナイゼルにルルーシュは優しく目を細めた。

 本当に心優しい人だ。人の痛みを自分のことのように思いやれる、深い慈愛を持っている。

 心優しいだけの人間では駄目だ。しかし今のシュナイゼルもルルーシュは否定したくはなかった。

 

 いずれは現実の理不尽さをこの人も知ることになる。

 この人を取り巻く環境はそう甘いものでは無い。それに近い内にこの人は悪魔のように鋭敏な頭脳を取り戻すだろう。こうして小さな命へ限りない慈愛を抱いていられるのはそう長い期間ではあるまい。

 無垢とは無知のことだ。賢くなるたびに人は無垢ではなくなる。それは決して悪いことではない。

 ルルーシュは心の隅でシュナイゼルもナナリーのように無垢が故の暴走に走ってしまうのではないかと恐れていたが、それがただの杞憂であるとも察していた。安穏とした日々の中で無垢なままに生きる事はこの人は不可能なことだ。

 ナナリーを護る様に、自分はシュナイゼルを護るつもりは無い。ならばいずれこの人は無垢ではなくなる。

 

 ルルーシュは懐から翼をあしらった装飾を取り出してシュナイゼルへと差し出した。ルルーシュの掌の中で黄昏の夕焼けを反射してきらきらと光るそれにシュナイゼルは感嘆の声を上げた。

「兄上、これをどうぞ」

「……いいの?」

 笑みを浮かべて深々と頷くルルーシュに、シュナイゼルは恐る恐るそのネックレスのような装飾を持ち上げた。注意をして扱わないと壊れそうなほどに繊細な意匠が凝らされていたのだ。

 それはナイトオブゼロの騎士章であった。

 華やかな容姿のシュナイゼルに相応しく宝石がふんだんに使われている。しかし細やかな装飾が彫られた、シュナイゼルの髪色に似た色合いをした白金の縁取りが全体のデザインを品よく引き締めていた。

 騎士章を指先でなぞったり、陽に翳したりして検分した後にシュナイゼルは小さく笑みを浮かべた

「すごくきれい。ルルーシュ、これを僕にくれるの?」

「はい。差し上げます。鎖がついていますので普段は首に下げておくとよいかと」

 そう言うないなやシュナイゼルは細い白金の鎖を首にかけて再度感嘆の声を上げた。

 

 無邪気な兄を前にルルーシュは少し目を曇らせた。兄の許可も得ずに勝手にナイトオブラウンズの一席を押し付けたのだ。兄の身を思ってのことだとはいえ、それは兄の意志を無下にする強引なやり方であった。

 言い訳をするようにルルーシュは声を低める。

「―――兄上の現在の立場は非常に微妙なものです。兄上にそのようなつもりがない事は私も重々承知しておりますが、今後兄上が貴族制度の復旧を目論む輩に担ぎ出され、利用される恐れがあることは否定できません。そのため兄上の精神が成長なさるまで、失礼ながら私のナイトオブゼロとなって頂くことと致しました……勝手なことをと思われるでしょう。しかしその騎士章があれば兄上が私の騎士であると周囲に知らしめ、今後も兄上の立場をお守りすることができます」

「ないと、おぶ?」

「はい」

 ルルーシュはシュナイゼルの金色の頭をゆっくりと撫でた。その手つきはナナリーの頭を撫でるそれとよく似ていた。

 そしてルルーシュはおろか記憶を失った当人でさえ知る由も無かったのだが、生まれて来てからこの方、シュナイゼルは血の繋がった家族にそのような甘やかな手つきで撫でられたことは一度として無かった。

 シュナイゼルは生まれた瞬間から多大な責任を負わされながらも、その責任を完璧に果たしてきた。完璧な理論の宮殿で一人暮らすシュナイゼルを無垢な幼子のように撫でる者はこれまで誰もいなかったのだった。

 

 ただひたすらに甘やかせるような手つきをシュナイゼルは照れ臭そうに受け止めた。

「兄上がその意味を知るまでの処置です。いつか兄上が、ナイトオブゼロという名の意味を―――唯一、私が心から敵わないと思い、私よりも君主として相応しい人物であると認めたという意味を知った時、その騎士章を返上するか、それとも持ったままでいて下さるか、決めて下さい」

 ルルーシュはシュナイゼルが、いつか元のシュナイゼルに……自分に勝る明晰な頭脳と、ユフィに並ぶ優しい心を持つシュナイゼルに戻る日が来る事を確信していた。

 

 

 シュナイゼルはギアス嚮団に奪われた日々をやり直しているのだ。

 新生児だった頃に感情を奪われて、長い間を知性により構築された人形として過ごしていた。ルルーシュのギアスにより感情を取り戻した後もギアス嚮団への復讐のために動き続けていた。彼は復讐のための人形であった。

 記憶を失い、まっさらな状態に戻ったシュナイゼルはギアス嚮団のことを知らないし、これからも知ることの無いまま成長してゆくだろう。

 二度とギアス嚮団がシュナイゼルを苦しめる事は無い。

 きっと、それで良いのだ。

 

 

「くんしゅとしてふさわしい?」

 こてんと首を傾げたシュナイゼルにルルーシュはくすくすと笑みを零した。

「申し訳ありません。まだ分かりませんよね」

「ルルーシュの言うことはたまによく分かんないよ」

「今後気を付けます。それは無くさないように気を付けて下さい」

「うん、シャーリー!見てみて、ルルーシュにもらった!」

 シュナイゼルはシャーリーの方に向けて車いすを走らせた。シャーリーは純朴な子供を見るのと同じ、果てしなく優しい瞳でナイトオブゼロの騎士章を自慢げに翳すシュナイゼルを見た。

 

 

 いつかシュナイゼルは成長し、自分を追い抜くだろう。

 その日がやってきた時にシュナイゼルがブリタニア皇帝の座を求めれば、躊躇いなくシュナイゼルに皇帝の座を明け渡すことをルルーシュは決めていた。

 この座に居座るには、あまりに自分は罪深い。皇帝の座に君臨するのは自分よりもユフィやナナリー、そしてシュナイゼルの方が遙かに相応しいのだ。清廉で純朴で日向を歩く彼らのような人々こそが民衆が仰ぎ見るに値するのだから。

 しかしブリタニア皇帝の座は彼らにとってあまりに薄汚かった。血汚れや謀略の埃に塗れた椅子はシュナイゼルが座るなり彼を攻撃してしまうだろう。

 だからその日が来るまでにルルーシュはブリタニア皇帝を美しく整えることを決めた。

 数世紀に渡り続いた神聖ブリタニア帝国全ての汚濁を払拭し、あの兄上に相応しい座へとしなければ。そして兄上が座らないというのならば、さらにその次の世代のために。

 

 ルルーシュは戦い続けることを決めた。この命が終わるまで。

「忙しくなるな」

「うん。そうだね」

 スザクとルルーシュは並んで黄昏が落ちる空を見上げた。夜が来ようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

 

 

 執務室の机で伸びをしてルルーシュは息を吐いた。

「とうとう明日か」

「ええ。準備は滞りなく済んでおります。今日はゆっくりお休みください」

 スザクはお疲れ様でしたと手慣れた仕草でお辞儀をした。

 

 明日は式典が控えている。参加する各国の代表数百名が今日はペンドラゴンに宿を取って明日を待っている事だろう。

 この半年の中で最も豪華な式典になる予定であり、その中心にあるのは自分だ。作り笑いも演説も得意分野に入るが明日丸一日がそのために費やされるのかと思うと今からうんざりしてくる。

 髪が伸びて女性と目に見えて分かるようになってからは猶更その面倒くささに拍車がかかる様になった。最近では男の視線とはこうも熱と湿度の高いものだったかと鳥肌が立つことも多い。

「兄上が皇帝に登極した後に実現する筈の策だったのにな」

「計画には常にイレギュラーが起こるものでしょう。それに皇帝陛下のような方が在野でのほほんと暮らすだなんて無理な話です」

「それはどういう意味だ」

「陛下は稀に見るトラブル体質だということです」

 否定したいが、否定するだけの材料は無かった。肯定する材料だけが供給過多な程に積み上がっている。

 

 口を閉じて自室へ戻ろうと腰を上げたルルーシュは「あ、少々お待ち下さい」と呼び止めるスザクの声に首を傾げた。

 今日の政務は全て終わった筈だ。何かしら緊急の案件が起こったとしても、それにしてはスザクの声には緊張感が微塵も無い。ただスザクは首を捻りながら通信越しの要請を皇帝に伝えた。

「皇帝陛下、ナイトオブワンの紅月カレンより面会の要請が来ております」

「カレンが?今日は報告するような事は無かった筈だが」

「はい。業務内容についてではないとのことです」

 カレンは本日事務作業の予定であり、ペンドラゴンにいた。私的な用事であれば友人として直接端末に連絡して来るだろう。態々警備担当であるスザクを通したということは皇帝にナイトオブワンとして話があるということなのだろうが、思い当たる節は無い。

 

 許可を出すとすぐさまにカレンが執務室に現れた。

 赤い騎士服を身に纏い、半年前よりも堂々とした態度で皇帝の前に跪く。深々と下げられた赤い髪は燃えるようであり十代の女性とは思えない迫力を体中から発していた。声は朗々と執務室に響いた。

「急な事であるというのに拝謁の許しを頂き感謝に堪えません、皇帝陛下」

「この場には私とスザクしかいない。楽な言葉遣いで良いぞ」

「あ、オッケー」

 あっさりとカレンは口調を砕けさせた。

 

 カレンとルルーシュの根底にあるものは友愛であり、主従では無い。公の場以外で遜ることをルルーシュはカレンに一切求めなかったし、カレンもその気質から堅苦しい態度を好まなかった。

 無論公の場ではジノやジェレミアに叩きこまれた騎士として相応しい言動を崩す事は無かったものの、あまりに長時間定規で引いたような礼儀正しい態度を取り続けるのは精神的に辛いものがある。庶子として生まれ、貴族らしい教育を受けたことの無いカレンにとっては猶更だった。

 

 跪いていた体勢から立ち上がり腕を組んだカレンはマントを邪魔そうにはためかせた。

「それでカレン、今日はどうしたんだ?仕事で何か問題でも」

「ううん。それは大丈夫。ただちょっとね……相談したいことっていうか、決めたことがあって……」

 ちらともの言いたげな視線をスザクに向ける。え、とスザクは眼を瞬かせた。

「僕、出て行った方が良い?」

「うん。ちょっと2人きりにして欲しいんだけど」

 そう言っているカレンもそれが難しいことは理解していた。

 今日の警備担当はスザクなのだ。皇帝親衛隊(ロイヤルガード)の長であるジェレミアが他の任務のため不在である以上、スザクが皇帝の傍を離れることは許されない。

 ルルーシュは少し悩んだ後に駄目だと首を振った。カレンが信用できない訳ではない。ただ公私の別は分けるべきだと思った迄だ。

「正当な理由なく警備担当のナイトオブラウンズを傍から離す事はできない。たとえお前の要請でもな。どうしてもと言うのなら理由を言え」

 きっぱりとした皇帝陛下の言にカレンは唇を尖らせてそわそわと指先を弄りながら声を潜めた。

 秘め事を打ち明けようとする少女のような挙動だと思った。喋りたいという心情が前面に押し出されているのに、躊躇いが口を重くしている様子だった。

「……うん、分かった。あのね……ここだけの話なんだけど………」

 いつも快活な声を出すカレンに訝し気な視線を向けながら耳をカレンに近づける。

 続いたカレンの言葉にルルーシュはカッと目を見開いた。 

 

「……昨日の夜、歓楽街で派手な女の人と腕を組んでるジェレミアの姿を見かけたんだけど、」

 

「よしスザク、さっさと出ていけ。ここで聞いた話についての他言を禁じる。これは勅命だ」

 公私の別なんて知るかと言わんばかりに綺麗に掌を返したルルーシュにスザクは慌てて声を上げた。

 警備担当のナイトオブランズとしてそう簡単に傍を離れる訳には行かない。そして何より、ジェレミアとルルーシュがいつ結婚するか、もしくはいつ別れるかの賭けに参加している者の一人として聞き逃すにはあまりに重要な話題だった。

 

 ナイトオブツーが皇帝の愛人であることは皇宮において公然の秘密であった。

 そもそも2人には全くもって隠す気が無く、平気で互いの部屋に泊ってはそのまま出仕するのだから噂好きのメイドが吹聴しない訳が無い。

 やれ今日は風呂を一緒に召しただの、朝は同じシトラス系の香水の匂いがしただの、使用済みの避妊具がゴミ箱に5つ捨てられていただの。皇族にプライベートなど皆無である。無論無暗に吹聴するような輩は居ないが、同じ主人に仕えるメイド同士であればつい口が軽くなる。

 そしてメイドから警備兵に噂が飛び、警備兵から皇宮に出仕する役人に誤爆が飛び、いつの間にか皇宮に勤める者の殆どが2人の愛人関係を知った。

 その結果根も葉も無い多くの推測が日々皇宮中を飛び交うこととなった。

 

 お互い良い年齢だというのに、いつまで愛人関係をだらだらと続けるつもりか。このまま結婚するのだろうか。

 ただのお遊びだろう。皇帝陛下が何時か政略結婚する際に性技に拙いとあれば問題だから、信頼の厚いジェレミア卿が夜伽の教師役となっているに過ぎまい。

 互いに独身なのだから結婚するつもりが有るのならとっくに婚約している筈だ。

 ジェレミア卿が手練手管で以って初心な皇帝を弄んでいるのではないか。

 いや実はジェレミア卿の方が若く美しい皇帝にぞっこんで、皇帝はあの忠犬を掌の上で転がして楽しんでいるのでは。

 きっと本当はそれぞれ本命の恋人がいてそのカモフラージュに互いを利用しているだけなんだ。

 ジェレミア卿は陛下と瓜二つのマリアンヌ前皇妃に思慕を寄せていて、皇帝はユーフェミア殿下の恋人であった枢木スザクが好きで、実らぬ恋を互いに慰め合っているのでは。

 

 人の口に戸は立てられず、根拠のない噂話がドローンのように空中を浮遊する毎日が続いた。皇帝とナイトオブラウンズという目立つ立場の2人の間のことだけに、皇宮に勤める者達の好奇心と妄想は限界知らずに高まりに高り続ける。

 そうして高まり切ったハイテンションが向かう方向を見失い、迷走の後に勃発したのが「ナイトオブツーと皇帝はいつ破局or結婚するのかトトカルチョ」である。ちなみに胴元はC.C.だ。コードを手放してからC.C.は人生を喉が枯れる程に謳歌していた。

 

 C.C.に目を付けられたのが運の尽きか、巧みな誘いに乗せられたスザクは笑えない金額をその賭けに突っ込んでいた。賭博などしたことが無いスザクはC.C.の良いカモにされたのだった。

「ちょ、ちょっと待って!僕も聞きたい!話によってはオッズが変わりかねない!」

「駄目だ。お前はジェレミアにチクる可能性がある」

「浮気した友人を庇う男ってホント理解できないわ。どうせ男は浮気するのも甲斐性とか思ってんでしょ。サイッテー」

「まだ僕何も言ってないよ!?」

「同じようなことは思っただろう」

「どうせ女友達と二人っきりで飲みに行ってキスして腕組む位セーフ、最後のラインを越えて無かったら許されて当然とか思ってんでしょ。同じ事彼女にされたらキレる癖に。サイッッテー」

「思ってないし何も言ってないよ!?」

「黙れスザク。ヴィレッタ」

「はっ」

 ジェレミアの代理として皇帝親衛隊の任を務めていたヴィレッタは皇帝陛下の声に機敏に反応し、俊敏な動作で扉の外から姿を現した。

 指先まで神経の渡っている敬礼をして凛と背中を伸ばす。軍人の見本のような動作は全身に覇気を纏わせていた。目元鋭く皇帝の指示を待つ。

「そいつを部屋からつまみ出せ」

「イエス、ユアマジェスティ」

「待ってルルーシュ!掛け金が、僕の給料3カ月分が!!」

「あんたそんなに突っ込んだの!?馬鹿じゃないの!?」

 呻き声を上げ続けるスザクをヴィレッタはずるずると引きずっていく。

 態と抵抗していないとはいえスザクを腕一本で引きずって行くのだから、皇帝親衛隊副隊長であるヴィレッタの腕力も相当なものだ。精鋭ばかりを選りすぐっている皇帝親衛隊の副隊長として大過無く任を果たしているだけのことはある。

 

 ヴィレッタがスザクを扉の外に放り投げて扉を閉めたのを確認しながらルルーシュは首を傾げた。

「突っ込んだ?掛け金?何の話だ」

「………ううん別に何でもないの。本当に何でもないから」

 カレンは顔を引き攣らせながらぶんぶんと顔を横に振る。カレンも賭けの参加者の一人であり、口を割る気は無かった。スザク程ではないがカレンもそれなりの額を突っ込んでいたのである。ルルーシュの怒りに触れた挙句に皇帝権限でトトカルチョがおじゃんになり、掛け金返却無しとなれば泣くに泣けない。

 口を割る様子の無いカレンに、それなりに厚い信頼をナイトオブワンに置いている皇帝はそれ以上の追求を止めた。

 話から察するに、何かしらの賭け事で遊んでいるのだろう。カレンとスザクが関わっているというのならそう問題があるようなこととも思えなかった。

「……よくは知らんが、賭け事は程々にしろよ」

「分かってるわよ。そこまで馬鹿じゃないわ。適度に掛け金は配分して大勝はしないけど大負けもしないように調整してるんだから」

「なら良い。よしカレン、先ほどの事について詳しく話を聞かせろ。場合によっては切り落としてやる」

「何を?」

「ナニを」

 

 ちょきんとハサミでナニかを切り落とす仕草をするルルーシュにカレンの頬が引き攣る。

 冗談ならば良いが、どこまでが冗談なのかよく分からない。実際に以前裏通りで襲ってきた男の一物を切り落とすようギアスをかけた実績のあるルルーシュである。

 流石に同じことを恋人にはしないだろうが、絶対にしないと言い切れないのがこの皇帝の恐ろしさなのだった。妹には見返りの無い愛情を際限なく注いでいたというのに、恋人に注ぐ愛にはしっかりと見返りを求める上に嫉妬心も人並みに持ち合わせている。

 ルルーシュはありとあらゆる面で普通とはかけ離れた女だが、恋情という点においては割合普通であるように見えた。

 スザクを追い出すためとはいえジェレミアに無実の罪を着せた罪悪感にカレンは額から汗を零した。思わず視線が部屋の四隅に逃げる。

 神聖ブリタニア帝国最高の騎士が挙動不審に体を揺らす様をルルーシュは瞳を危うげに光らせながら鼻先で笑った。

 

「どうしたカレン。何か言い難いことでもあったのか?昨日お前は何を見たんだ?」

「いや、いやいや、違うの。あのね、その、嘘じゃないのよ。確かに昨日その、ペンドラゴンの繁華街の飲み屋で、酔いつぶれた派手な格好した、認めるのは癪だけど割と美人な女と腕を組んで、っていうか担いでたジェレミアを見たんだけどね。でもあのジェレミアがまさかって思って、ちょっと後を尾行して見たのよ。それで女の方をよく見たら、」

 

 一拍置く。ルルーシュの喉が緊張で鳴った。

 

「C.C.だったのよ」

「ああただの勘違いか」

 

 脱力してルルーシュは息を吐いた。そのまま机に突っ伏す。

 無駄に緊張して馬鹿みたいだ。まさかとうとう愛想を尽かされたのかと危惧したのに心配は杞憂で終わった。 

 目に見えて緊張を解いたルルーシュにカレンは苦笑いを零した。

「C.C.とジェレミアが浮気するっていう発想は無いの?」

「ありえん。浮気をするにしてもジェレミアにだって相手を選ぶ権利がある。そんな勘違いをするなんてジェレミアに失礼だろう」

「あんたC.C.を何だと思ってんのよ」

 あまりの言いように頬が引き攣る。性格と性根はともかくC.C.は新芽色の髪と琥珀色の瞳という稀な色彩を併せ持つ美女だ。カレンやルルーシュでは持ち得ない透明感のある雰囲気は一種の神秘性さえ獲得している。

 しかしルルーシュはありえないと肩を竦めた。

「美女だとは思っているさ。中身もいい女だとも。しかしジェレミアがあれに引っ掛かるとはどうにも思えん。C.C.もジェレミアのような暑苦しくて生真面目な男はタイプでは無いだろう。お互い遊びの相手になるような人物かどうか分からん程に馬鹿じゃないしな」

 

 C.C.は見た目だけなら類稀なる美女である。さらに今はコードを持たない、至って普通の人間だ。彼女や妻がいる男でも揺れるほどの色気がある。

 しかしコードが無かろうと手を出すのにはそれなりの覚悟を要する類の女であることに間違いは無かった。その事に気付かない程ジェレミアは愚昧ではない。

 

 気を取り直してルルーシュは一人執務室に残るカレンを前に息を吐いた。

「それで態々スザクを追い出して、何の話なんだ?」

「バレた?」

「浮気の嫌疑があった訳でも無い。どうせ飲み屋で潰れたC.C.の回収に向かわせられたとか、愚痴の聞かせ相手として召喚させられたとかだろう?」

「うん。LINEで聞いたらそうだったらしいわ。飲み代も代わりに支払ったって」

「分かった。飲み代はC.C.の給料から天引きしてジェレミアに返してやるよ。それで?」

 先ほどとは違う色の視線がカレンに飛ぶ。

 

 きっと部屋の外でスザクは聞き耳を鋭くしていることだろう。スザクとルルーシュの配慮に顔を伏せてカレンは一度息を吸った。

 目を閉じて自らの騎士章を握る。紅蓮聖天八極式。これは自分の誇りだ。

 瞼の裏に戦塵が巻き上がる。長い戦いの日々だった。深々と頭を下げる。ルルーシュは目の前に晒されたカレンの白い項に目を落として目を細めた。

 

「皇帝陛下」

「うん」

「ナイトオブワンの座を、返上したく思います」

「――――そうか」

 

 瞼を帳のように下ろし、深くルルーシュは息を吐いた。カレンの言葉を半ば予想していたかのような静かな顔つきだった。

「顔を上げろ、カレン」

「はっ」

 顔を上げたカレンの顔は澄んでいた。瞳はきらきらとしていて蒼天を思わせた。立ち上がった勢いでマントに波が立つ。少女の肩には重い衣装だろう。だが立派に着こなしていた。

「それがお前の決断だと言うのならば、私にはお前を引き留める権利は無い。だが、理由が聞きたい……私は君が仕えるに不満のある主君だろうか」

「いえ、皇帝陛下は素晴らしい主君であらせられます。ゼロも、私にとって掛け替えのないリーダーでした。無論の事陛下は完璧な人間ではありませんが、それは私がナイトオブワンの座を降りる理由には成り得ません」

「では何故?やはり日本に帰りたいのか」

 カレンの母親は未だ日本にいる。多額の仕送りをしているようだが、それでも一緒に暮らしたいという思いは長いすれ違いの経験のある母娘として当然だ。

 しかしカレンはルルーシュの予想とは反して首を横に振った。

「一度日本に戻って、アッシュフォード学園を卒業する予定ではあります。留年して追加の単位を取得すれば卒業させてくれると学園長が保証して下さいましたから。しかしその後はブリタニアに戻ってくる予定です」

「何故」

「きちんと整備されている大学が日本には無いからです。私は高校を卒業したらブリタニア本国の大学に進学します」

「母親はどうするつもりだ」

「出来れば一緒にブリタニアに来て貰いたいと思っています。しかし母が日本に残るのなら、私一人でブリタニア本国に戻って来ます。今はブリタニアと日本の間に渡航の制限はありませんから、たまに日本に行って母に会うことはそう難しいことではありません」

「そうか。では大学を卒業したら、」

「そしてっ」

 カレンは声を張り上げた。扉の向こうのスザクにも届け、と思った。

 声はカレン自身が思ったよりも大きく、涙が混じった。たった半年だ。しかしこれまで生きてきた中でここまで充実感のある半年は無かった。

 自分の価値をよく理解できた半年だった。そしてこの場に居続ければ自分の価値はこれから先、日々色褪せて行くに違いなかった。

 それは許せないのだ。いつだって自分はルルーシュの騎士として価値ある存在でありたい。ならば紅蓮に乗り、人を殺すしか能の無い自分から卒業するしかないとカレンは決意したのだった。

 

「大学を卒業したら、私は文官になります。私は文官として皇帝陛下にお仕えしたく思います!!」

 

 破裂するようなカレンの宣言を聞いてルルーシュは感慨深く目を見開いた。

 騎士の決意に知らず目頭が震えていた。思えばカレンとはもう2年近い付き合いになる。

 最初は駒としてしか見ていなかった。次には類稀なる優秀な駒だと、手に入れた幸運を喜んだ。そして今やカレンは自分の騎士であり友人なのだった。

 カレンはルルーシュにとって替えの利かない存在になっていた。いつの間にか。

 

 戦場でしか能力を発揮出来ない自分からカレンは脱却しようとしているのだ。それは友人として誇らしいことだった。もうカレンも18歳であり、立派な成人である。自分の道を悩み、考え、決めなければならない年齢に差し掛かっている。

 そしてカレンがナイトオブラウンズを辞めて新たな道を行きたいと言うのならばルルーシュにはそれを止める権利は無い。それどころか黒の騎士団エースとして、ナイトオブワンとして多くの命を屠ったカレンが、もう手に血を塗ることが無い道を望むのは喜ばしいことだった。

 

 だがそれでも胸の窓を開け放ったような寂しさが通り過ぎる。ルルーシュは掌を握り、寂しさを押し殺した。

「行政に携わるとなれば帝立コルチェスター学院大学が最も良いだろう。官僚はあそこの出身者が多い。今のうちに文官達に話を聞いておけ」

「はい」

「あそこは社会人入学に積極的だからナイトオブワンとしての経歴は役立つだろう。必要ならば職場の上司として推薦状を書いてやるから遠慮せず連絡しなさい」

「はい」

「皇宮にあるお前の荷物はそのまま置いておけ。アッシュフォードを卒業して、受験に合格してこちらに戻ってきてから大学の近くに引っ越せば良い」

「はい、ご厚意に感謝致します皇帝陛下」

「――――カレン」

「はい」

「カレン」

「はい、皇帝陛下」

 迷いなく返って来る張りのある声に微笑が浮かぶ。ルルーシュは椅子から立ち上がり、カレンの前へと動いた。こうして真正面から見るとカレンは自分より頭一つ分は小さい。

 こんな小さい体で戦場を駆け回っていたのだからカレンは凄い。慣れないブリタニア軍のトップにいきなり配属されて、周囲の助けを借りながらもナイトオブワンとして任務を果たし続けてきた。

 そしてカレンが負けることは一度として無かった。いつだって凛と前を向いた。

 騎士章を握るカレンの白い手をその上から握った。年頃の女の手とは思えない程に傷だらけで、皮は分厚くKMFのデヴァイサー特有の胼胝が浮いている。そしてルルーシュの手も似たり寄ったりの手をしていた。カレンの手は熱かった。

 

「出来るだけ早く、帰ってきてくれ。私にはお前が必要だ」

 

 深い森に木漏れ日が落ちるような笑みを浮かべたルルーシュに、カレンはついに自分はルルーシュの騎士となったことを悟った。ゼロではなく、皇帝陛下でもなく、ルルーシュという一個人へ捧げ続けた忠誠をようやくルルーシュは受け取ってくれたのだ。

 カレンは涙を拭い、頬を紅潮させて、小さな体に秘めた海のように多大な忠誠全てを指先に乗せてルルーシュへと敬礼した。

 紅蓮のデヴァイサーとして幾度となくゼロと皇帝を死の淵から引きずり上げた紅の騎士、紅月カレンが軍人としてルルーシュへ敬礼したのはこの瞬間が最後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナイトオブワンの職務を返上した後、紅月カレンは帝立コルチェスター学院大学法学部へと進学し、卒業後は政界へと身を投じた。

 30代半ばという若さで内閣府に名を連ねた彼女は、神聖ブリタニア帝国の憲法制定において中心的な役割を果たした。彼女の功績により神聖ブリタニア帝国は専制政治から立憲君主制へと大きく舵を切り、歴史の波に乗ることとなる。

 だが政務に全く落ち度が無いルルーシュ皇帝の頭上に憲法という天井を建築した彼女には少なくない非難が集中した。

 一人の超人の華麗な歩みに全てを任せる専制政治ではなく、多くの民衆が手を携えて恐々と歩む民主主義が確かに当時の政治の主流ではあった。ルルーシュという一人の偉大なる君主の出現により逆行しようとしていた歴史の歩みを押しとどめた事実は、後年彼女の偉業の一つとして数えられる。

 だが憲法が制定された当時、皇帝の権力を無駄に削ぎ落し、結果として国政を滞らせたこともまた事実であった。

 後世においては、非難でなくとも、生涯優れた統治を行った皇帝の御世において必要な政策では無かったという消極的な批判的意見も散見される。

 しかし紅月カレンは自身に向けられた非難に対しこう発したという。

 

 

 

 ―――――――――――――皇帝陛下が私欲無く、さらに自己を省みる稀有な能力を有する方であるという事実に国民が甘えるわけにはまいりません。皇帝陛下は偉大な方ですが限界のある人間であり、それもたった一人で世界の重責を担って歩んでおられるのです。その歩み方を助言するに耳に優しい諫言ばかりではかえって皇帝陛下へ礼を失することとなりましょう。

 皇帝陛下の歩みを助けるために、ナイトオブラウンズ以外の手が必要なのです。

 ジェレミア卿や枢木卿よりも躊躇なく、皇帝陛下の頬を張ることのできる長い手が――――――――――――――――

 

 

 

 結局ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは政治的な大過を犯すことなく皇帝としての務めを終え、憲法の意義はルルーシュ皇帝の時代には明らかにはならなかった。

 しかし彼女の次の時代、遙かなる明日において憲法はブリタニアの国を長く守って行く事になる。

 

 クラスメイト、ゼロと騎士、皇帝とナイトオブワン、女帝と政治家。幾度となく関係性を変えながらも紅月カレンはその生涯をルルーシュの忠臣として過ごし、一度も叛することは無かった。

 ナイトオブワンの経歴を持ちながら結局大群を率いることの無かった未熟性。黒の騎士団エースでありながら積極的な立案をせずゼロへ全て依存していた短絡的思考。血の気が多い短気な性格。日本を取り戻すという初期の目的から離れブリタニアへ所属することとなった変遷など、彼女に向けられる後世の批判は多い。

 だが賛否両論あれ、多くの歴史書は紅月カレンをこう評する。

 

 

 彼女はあの激動の時代における、ルルーシュ皇帝最高の騎士であったと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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