カレンが退室した後、ルルーシュは深く息を吐いて立ち上がった。
「スザク」
「はっ」
返事に呼応するようにスザクが入室する。軍人らしくぴんと背筋を伸ばし、胼胝の浮かぶ手を体の横に揃えていた。碧の瞳を閃かせてナイトオブラウンズの騎士服を翻す姿は精悍だ。
仔犬のような童顔は変わらずだが年齢に似合わない貫禄のある面構えは重厚な騎士服と釣り合うものだった。
「今日の仕事は終わりだ。部屋に帰る」
「了解致しました。ちなみにどちらの」
「自分の部屋だ」
純白のマントを靡かせて部屋を出る。スザクは数歩後ろを影のようについて歩いた。
そのさらに後ろを皇帝親衛隊副隊長のヴィレッタが続く。しかしヴィレッタは親友でもある皇帝とナイトオブセブンの邪魔にならないよう意図的に自身の気配を殺して足音までもを潜めさせた。
細かい気遣いのできる女性の仕事ぶりに目を細める。あんな部下が居れば仕事が楽だろう。ジェレミアの下に付けて正解だった。
「陛下、何か楽しい事でも?」
「いや。私は部下に恵まれていると思っただけだ」
「紅月卿のことでしょうか」
親友として最大限に譲歩して表現したとしても、スザクは他人の繊細な心遣いに気付くような聡明さは持ち合わせていない。はっきり言ってしまうと鈍感という文字を固めて鋳型に流し込んだような男だ。ナイトオブツーの副官であるヴィレッタの存在すら気にも留めていない可能性もある。
そして伝統ある皇帝執務室の扉は重厚ではあるが防音仕様ではない。人外の感覚を持つスザクなら扉越しにカレンと自分の会話を盗み聞く等容易だっただろう。
スザクの思考がカレンの辞任へ傾くのは当然だと軽く肩を竦めた。
「ああ、それもある」
周囲に気付かれないよう視線を回す。いくらヴィレッタが気を利かせていても皇帝親衛隊隊員は周囲を警備しており、メイドの耳もある。
皇宮で仕事をする多くの者は噂好きだ。殊にメイド達は噂話を収集して吹聴することに人生の意義を見出しているレベルに達している。聞かれて困る会話ではないが、どう育つかも分からない噂の種を振りまく必要も無い。
「ところでスザク、お前もこれで仕事は終わりだろう。暇ならお茶でも一杯飲んでいかないか?皇殿から日本茶を貰ったんだ。お前なら日本茶の味も分かるだろう」
「はい、是非に。お邪魔致します皇帝陛下」
意を得たとスザクは騎士として完璧な仕草で頷いた。
ルルーシュの自室は皇帝のものとは思えない程に質素に整えられており、リビングと簡易キッチンと寝室、そしてトイレとバスルームで完結している。調度品は一級品を揃えてあるものの一見簡素な造りだ。現在地上で最も権力を持つ者の私室にはとても見えない。
どこかアッシュフォードのクラブハウスを思わせる庶民的な内装にスザクは何とも言えず口を閉ざした。
ルルーシュが意図的に私室をクラブハウスに似せているのは明白だった。スザクの眼には、それはナナリーが居た日常を忘れまいとする足掻きのように見えてならなかった。
皇帝として公に身を晒して緊張を強いられるルルーシュが唯一心を安らかにできる私室をどう改造しようと勝手ではあるが、こう目の当たりにすると哀れみとも憐憫ともつかない感情が胸の中で渦を巻く。
まだルルーシュはナナリーのいない日常に慣れていない。ナナリーとジェレミアと、日々を安寧の中で過ごしたアッシュフォード学園の日々はルルーシュの中で神聖化しているのかもしれなかった。アッシュフォードこそがルルーシュにとっての失われた楽園なのかもしれない。
カレンがナイトオブワンを辞めてアッシュフォードに戻ると聞き、唯一無二の戦力を手放す事になると言うのにルルーシュは反対する所かむしろ背中を押した。親しい友人であるカレンがあの楽園に短期間であろうとも戻ることが単純に喜ばしかったのだろう。
その喜びの中に羨望や嫉妬があったのかはスザクには分からないが。
部屋に入るなりルルーシュはマントを脱いでクローゼットに仕舞い、大粒の宝石が飾る上着も脱いで暗色のカーディガンを羽織った。重厚な皇帝服から一転、随分とラフな格好で簡易キッチンに立って湯を沸かし始める。手つきは素早く、慣れていた。
ルルーシュに倣ってスザクも豪奢で重いマントを脱いでクローゼットに仕舞う。
体に密着するパイロットスーツのみだとスザクの軍人にしては細身な体が露わになるため、部下に舐められないよう常に騎士服はきっちりと着こなしているが、この場にはルルーシュしかいないため気にする必要も無い。
ナイトオブラウンズとしての威厳のためにじゃらじゃらと飾りのついたマントは邪魔以外の何物でも無かった。肩から深い青色のマントを滑り落とすと解放感で体が軽くなる。だが生地の厚い皇帝服の重さはこのマントの比では無いだろう。華奢なルルーシュがよく耐えていると思う。
「扉は防音だから口調は気にしなくて良い。神楽耶から貰った日本茶なんだが玉露と玉緑茶どっちが良い?私は玉緑茶にする」
「日本茶の味はよく分からないからカフェオレの方が良いな」
「お前な、日本人としてたまには緑茶にしたらどうだ。いっつもコーヒーかカフェオレばっかりだろう」
「元々日本茶なんて麦茶ぐらいしか飲んでなかったから緑茶の味なんて分かんないよ。それに僕ブリタニア歴もう6年目だよ。6年もあれば麦茶党からコーヒー党に鞍替えするよ。あ、砂糖は無しでお願い。ミルク多めで」
「はいはい」
呆れ声を出しながらルルーシュは棚から緑茶を引っ張り出してスプーンで掬い、茶器に注ぐ。その隣にコーヒーカップにフィルターを乗せてミルで豆を挽き始めた。
いつもはリビングテーブルの上にお茶請けのクッキーやらチョコレートやらが置いてあるのだが、今日は見当たらない。鳴りそうな腹を抱えてスザクはきょろきょろと部屋を見回した。
「何かつまめるようなものってない?夕食まだだからお腹空いてて」
「この前作ったパウンドケーキの残りなら冷蔵庫にある」
「分かった」
勝手知ったる友人の部屋だ。冷蔵庫を開けて寂しく2切れ残っているパウンドケーキを遠慮なく引っ張り出す。
食器棚から適当に皿を2枚出してずっしりと重いケーキを乗せた。断面は黄金色でみっちりと詰まったオレンジの果実と胡桃が端に姿を見せている。
その上に冷凍庫から引っ張り出したアイスクリームを乗せていると、ルルーシュはむっつりとした顔で湯気の立つカフェオレと緑茶をダイニングテーブルに置いた。
「緑茶とパウンドケーキか……まあいいか。しかし和菓子でも作っておけば良かったな」
「美味しそうだねこれ。どうしたの」
「アーニャとシャーリーがお菓子を作れるようになりたいと言って来たからお手本として作ったんだよ。味は咲世子の保証済みだから安心して良い」
「保証なんて無くてもルルーシュの作った物なら美味しいって分かってるから大丈夫さ。それにセシルさんに鍛えられてるから味は多少悪くても食べられるから。それにしてもアーニャとシャーリーが?意外な組み合わせだね」
「そうでも無い。年齢も近いし、最近よく話をしているところを見る。アーニャは内向的に見えて割とずけずけ喋るからあっけらかんとしたシャーリーと話しやすいんだろう。料理をしたり遊んだりしているらしい」
相槌を打ちながらアイスクリームを絡めたパウンドケーキを口に含む。甘いがオレンジの酸味が適度に混ざっていて美味しい。胡桃も歯ざわりが良く舌を楽しませる。カフェオレも丁度良い濃さでスザクの口に合った。
皇帝なのだから一言命じればお茶とお茶受けの準備などメイドがやってくれるだろうに、ルルーシュは出来得る限り自分の手を動かすことを好む。
元から料理好きで人の世話を焼くのが趣味と言える女だ。それに他に仕事もあるだろうメイドにわざわざ命じて茶を淹れさせるより、自分で淹れた方が早いし人材の浪費も無い。
だが何もかもを自分でやっていた昔の習慣が崩れるのが嫌なのかもしれないとも思えた。クラブハウスに似たこの部屋で、ラフな格好でお茶を淹れるルルーシュを見ると時が戻ったような感覚がする。
カフェオレを飲んで一息ついて、スザクはパウンドケーキを咀嚼しながら「我ながら美味い」と呟くルルーシュに目を向けた。
「……それで、カレンは騎士を辞めるって?」
本題を切り出されてルルーシュはきょとんと眼を見開いたものの、はぁと息を吐いた。
「やはり聞こえていたか」
「扉の前にいたからね。それに何となく予想はしていたよ」
口の中のケーキを飲み込みルルーシュは眼を落した。
ルルーシュもカレンが騎士を辞めようとしている事には以前から気づいていた。
カレンはバレないよう陰でこそこそと仕事の引継ぎをしたり、自分の部下の次の配属先を探したりと奔走していた様子だったが、仕事の引継ぎ先であるジェレミアの口はルルーシュ相手だと非常に軽い。24時間フルオープンと言っても良い。ジェレミアはコンビニ以上の手軽さでルルーシュにカレンの情報を売り払っていたため、カレンの動向は全てルルーシュに筒抜けだった。
だからルルーシュも何時カレンが騎士を辞めても支障の無いように仕事内容の分配やナイトオブワン直属部隊の今後の配置などを既に考えていたのだった。
カレンを引き留めようとは思わなかった。元々カレンは日本奪還のためにテロリストになったのであり、ブリタニアの皇帝に仕え続ける理由は無い。彼女を引き留める権利は自分には無い。
日本が戻り、シャルル皇帝関連についての問題も一応の決着がついた今、祖国に戻って母親と暮らすことを望むのは当然の人情だ。母という存在への思慕をとうとうルルーシュは理解できなかったが、それが普通の人にとってとても大切である事は理解している。
だからこそルルーシュも涙を呑んでカレンの抜けるであろう穴を埋めるために余計な仕事を増やしていたのだ。まさか文官になるためにナイトオブワンの肩書が邪魔だから捨てようとしているとは思わなかった。ナイトオブワンは軍人の最高峰だ。軍事大国であるブリタニアにとっては皇族の次に高い地位にあり、文官より遙かに高い権益を有している。
それをぽん、と。大学に進学するために捨てるとは。
予想していた、と告げたスザクに淡々と問いかける。
「そうか。どうして」
「これから先戦争が少なくなってナイトオブラウンズの出番が減るのは明らかなんだから、僕とは違って戦場以外でも戦えるカレンが悩むのは当然だよ。ルルーシュは政治の重心を文官による行政の方に移して行く予定なんだろう?だったら進路を変更するなら今は良い時期だしね」
「………お前だって戦場以外でも、」
「僕はカレンとは違うよ。僕はここで戦うと決めたから」
苦笑いと共にスザクはフォークで空中に円を描いた。
「僕は戦場で戦うことしかできないんだ。他の事をしようとしても上手く行かない。カレンみたいには行かないよ」
「行政特区日本のことか?一度の失敗で何を言うんだ。お前らしくもない」
「いや、失敗した事だけじゃなくて……多分、僕が文官になったとしても大きな功績は残せないよ。僕の文官としての能力は凡百かそれ以下だから。それよりカレンの抜けた穴を埋める方が僕の存在は有意義だと思うんだ。それは僕にしか出来ないことだろうし」
まるで自分のことを駒であるかのように告げるスザクに眉根を顰める。
フレイヤを撃った直後よりもずっとマシになったが、スザクの根底には未だ自嘲と自責が渦巻いていた。これはユフィの存在とともにスザクの根幹に打ち込まれているものだ。
呪いのようなものだと思う。人は忘れる生き物だ。しかしスザクは自分の罪を生涯忘れることは無いだろう。忘れない限り、スザクにとって自分の命はユフィの望む世界を手に入れるための駒の一つに過ぎない。
自分にはどうすることも出来無いだろうと分かっている上でルルーシュはぼそりと呟く。
「お前だって、したいことをしたいようにしていいんだぞ」
「しているよ。だからここにいる」
あっけらかんと口にしたスザクは嘘を言っているようには見えなかった。フォークで描く円は見事な正円で、最初と最後は計ったようにきっちりと合わさっていた。スザクの中で全ては論理的に説明できる事なのだろう。
「集合無意識の中で僕は多くの人生を知った。自分の望みと自分の能力が解離しているなんて全然珍しい事じゃないんだ。自分がやりたい事だけやって欲しい結果を得るなんて不可能なんだよ。どこかで妥協は必要だ。僕にとっては戦場こそが妥協だ」
「妥協が大き過ぎる。お前はそうやっていつまで身を削るつもりだ」
「僕が一番欲しいのはユフィが望む優しい世界だから。望みに比べたら小さな妥協さ」
カフェオレお代わり、と微笑みながら差し出されたカップを取り上げてキッチンに向かう。
カップを洗い、新緑色のお茶を注いでルルーシュはスザクに手渡した。文句ありげに見上げる仔犬のような視線を鼻で笑う。
「神楽耶はお前にも飲んで欲しいと思って渡して来たんだろう。せめて飲んでやれ」
「……うん」
ブリタニアの騎士として骨を埋める覚悟をした。その為に捨てたものの中の一つ、今も日本のために奔走している幼い従妹を思いスザクは顔を少し伏せた。
元首相の息子であるというのにスザクは合衆国日本の立ち上げに全く貢献していない。
それどころか敵国ブリタニアの騎士として散々に神楽耶の道を妨害し、今やブリタニアのナイトオブラウンズだ。
二度と日本に帰ることは無いだろうスザクを神楽耶はどう思っているだろうか。少なくとも好意的には思っていないに違いない。ありとあらゆる重荷を幼い従妹に背負わせてしまった自覚はある。
カップに満ちた若緑色の透明な液体を口に含む。
「味はよく分かんないけど良い匂いだね」
「最高級の茶葉だ。香りも味もまろやかで美味い。分けてやるから持って帰れ」
「僕じゃ上手く淹れられないかもしれないけど……うん、ありがとう。神楽耶は元気でやってるかな」
「この前映像通信で話したが元気だったぞ。田中首相も藤堂も居る。そう心配は無いさ」
「そっか」
「明日の式典には神楽耶も来る。顔ぐらいは見せてやれよ。過程はどうあれ、日本人でありながらナイトオブラウンズであるお前は日本とブリタニアの友好の証でもあるんだ。最初にお前が望んだようにお前が立派なブリタニアの騎士である日本人だと証明すれば、それは平和への道を舗装する石の一つになる」
「……もう1年以上前のことなのによく覚えているね」
「なんて馬鹿な奴だと呆れた分印象に残ったんだよ」
うん、と返して日本茶を啜る。ルルーシュの言う通り、首相の息子であり同時にナイトオブワンに成った自分は日本とブリタニアの架け橋としての役目を背負うことになった。ゼロがルルーシュであったと知られた今では日本人が抱くルルーシュ皇帝への忌避感はそう大きくはないが、自分の存在がその一端を担っていることは自意識過剰では無いだろう。
一番最初に願っていた、騎士として立派であれば日本人へ向けるブリタニアの視線が変わるだろうという浅くて甘い思惑は幾つもの変遷を経てスザクの手元に戻って来た。その手触りは思っていたよりも心地よくは無かった。自分が胸を張って立派な騎士だと言えるような人間では無い事は自分が一番良く知っている。
そもそも騎士とは多少狂っているような人間にしか成れないのだろう。主君の為なら大量虐殺も厭わないような人間がまともな人間である筈が無いのだから。スザクの知る限りでまともな人間であり同時に素晴らしい騎士であると断言できるような人間は、紅月カレンしか居なかった。
ジェレミア同様かそれ以上に自分もまともな人間ではない。ユフィの復讐の為にありとあらゆる物を振り捨てた。神楽耶は自分の顔も見たくは無いだろう。
明日の式典ではナイトオブラウンズとして会場警備につきっきりで居ようとスザクは決めた。そうすれば各国の親善大使と顔を合わせる機会も無い。
何より明日の式典はユフィが望んだ、平和で優しい世界への第一歩になる。万が一にでも問題が起こらないよう万全を期しておかなければならない。
大人しくなったスザクにルルーシュは息を吐いた。ユフィの望む世界のため、ユフィの騎士として相応しい行いを。ユフィユフィユフィ。
とっくに死んだユフィのためにスザクは命を燃やしている。ルルーシュだってユフィが好きだった。それどころか初恋の君であり、実の妹だった。身内の贔屓目を除いても可愛くて優しい少女だったと思う。
だが死んだユフィのためにここまで尽くすスザクの心情は全くもって理解できない。
ルルーシュにしたってもう二度と会えないナナリーのことを忘れた日は一日も無い。だがスザクのようにナナリーのことだけを思って、ナナリーが望んだ優しい世界のために身を削るような事は自分には出来無いだろうと思う。
それどころかこれから生きていく中で、ナナリーを思い出さない日の方が増えていくだろう事をルルーシュは感じていた。針で胸を突くような罪悪感に時折苛まれるものの、しょうがない事だと既に半ば悟っていた。
ナナリーの事を忘れる日は何があろうと生涯やって来ないだろう。これまでの人生で最も愛した人だった。ナナリーが居ないと今の自分は存在せず、そもそも生きる意味も見失って廃人のようになっていたかもしれない。
しかし生きている限り明日が来るのだ。これまでの人生で最も愛したのはナナリーだが、明日もそうであるのかは分からない事だ。これから先の人生、居なくなってしまったナナリーの事だけを考え続けるなんて不可能なことだった。ルルーシュは今でもナナリーを心から愛しているが、ナナリーだけを愛している訳では無かった。
だがスザクは瞼の裏にユフィの姿が押印でもされているような生き方をしていた。スザクの中の一部分はユフィの死と共に永遠に歩みを止めたようだった。
「全く、ユフィ、ユフィと……お前はどれだけユフィが好きなんだ。まだお前は18歳なんだぞ。これから先もっと別の道も出てくるかもしれない。ナイトオブラウンズを辞めてアッシュフォードに戻ればただの学生として生きることもできる。それを、」
「好きじゃない。愛しているんだ」
声はそう大きくは無かったが、間違えることは許さないという口調だった。出会ってから数か月にも満たない間に死別した恋人を思うような生易しい感傷では無いことは容易に察せられた。
スザクにとってユーフェミアがどんな存在なのかはルルーシュには理解できない。ただの主君や恋人とするにはあまりに違和感があった。スザクの存在の根幹にユーフェミアの名前はあまりに深々と突き刺さっている。
ジェレミアがどうして自分に12年も仕え続けているのかさえ理解できていないのだから、当事者でさえない2人の感情の端切れも理解できないことは当然と既に理解を諦めていた。
ただこれから先スザクはユーフェミアと過ごした期間の何倍もの時間を使って、ユーフェミアに相応しい優しい世界を創ろうとする事は確信できる。
それを愛だとスザクが確信しているのなら、そうなのだろう。
ルルーシュは茶化すように肩を竦めた。
「はいはい。お熱いな。分かったよ、好きにしろ。私には口を出す権利なんて無いんだからな。だが知っているか?この前雑誌で特集された、結婚したい騎士ランキングでお前2位だったんだぞ。それが恋人一筋で脇目も振らないとは勿体無い」
「だから僕が愛してるのは……え、2位?どうして。僕は日本人なのに」
本気で驚いたのかスザクは元から大きな瞳を更に大きく丸くした。だが大きい瞳はこれまで自身を取り巻く熱い視線に気付く事は無かったらしい。
アッシュフォード学園に居た時からスザクは割とモテた。柔らかい物腰と童顔な外見、そしてナンバーズながら出世街道を駆け上がる経歴がギャップになって多くの女性の心を掴んでいたのだ。さらに誰に対しても親切な態度を取るのだから一層性質が悪い。
ユーフェミアの恋人であるという疑惑が広まっていなければ勘違いする女生徒は山の如しだっただろう。
異性の視線を敏感に感じて常時警戒していた身としてはあまりに鈍感過ぎると鼻で嗤おうとして、しかし思い留まった。
ここで嗤い、ではお前はジェレミアの思慕に何年間気付かず放置していたのかと反論されるとぐうの音も出なくなってしまう。その点に関してだけはルルーシュは自身の目も節穴だったと認めざるを得ない。当たり障りのない返答だけを口にした。
「それだけナイトオブラウンズというステータスは強烈という事さ。それに日本人に対しての差別は薄れ始めては来ている。お前の容姿の良さも相まってかなり人気がある様だぞ」
「容姿が良いってルルーシュに言われてもね。それに今のナイトオブラウンズって何故か美形が揃ってるからそう言われてもあんまり実感が湧かないよ」
「お前は美形というより可愛い顔立ちから余計に目立つんだろうさ。雑誌曰く、アジア系の童顔な顔立ちが今は流行っているらしいしな。ちなみに1位はジノでカレンは3位だ」
「カレンって女性なのにそんなに高かったんだ。アーニャは?」
「アーニャはランク外だ。女性向け雑誌の質問コーナーだから基本的には男性の騎士しかランクに載って無かった」
「数秒前の自分の発言忘れた?」
「カレンはしょうがないだろう。イケメン過ぎる。はっきり言ってお前やジノよりカレンの方が男前だぞ。私としてはカレンが1位じゃ無かった事の方が意外だ。あんなにイケメンで頼りがいがあって聡明で性格も良くて将来性の高い騎士なんてそうはいないからな」
「ルルーシュってカレンの事結構好きだよね……あれ?ジェレミアさんが1位とは思って無かったの?というよりジェレミアさんは何位だったの?」
カレンが退任する以上次のナイトオブワンになるのは確実である、最も皇帝の信頼の厚い男の名前が出なかったことにスザクは首を傾げた。
ジェレミアの容姿は美形揃いのナイトオブラウンズの中では可もなく不可も無いという評価に落ちるが、平均よりは上に位置する。軍人らしい体躯と精悍な顔は、戦場帰りの硝煙の臭いさえ漂わせていなければ女性の眼から見ても良い意味で男らしいものだろう。立ち振る舞いは貴族出身らしく礼儀正しく、経歴も士官学校出身の後に現皇帝の選任騎士を拝命と堅固なものだ。
流石に大公爵家出身であるジノには劣るが、日本人の自分と比べると明らかに優良物件である。しかしルルーシュは口端でせせら笑いながら「12位」と口にした。
「え、ひっくい!!え、どうして?確かに顔は整っているとか整っていないとかいう以前に強面の長身で近寄るとかなり怖いし、性格は面倒くさくて鬱陶しくてキレたらとんでもなくぶっ飛んで怖い人だけど、収入と経歴だけは良い人なのに。もしかして9年以上に渡るロリコンの性癖がバレでもした?確かにあれは僕もヤバいと思うけど。初対面で変質者と間違えてドロップキックしたのは実は間違っていなかったんじゃないかって今更ながらに思ったりもするけど。今でもルルーシュとジェレミアさんが一緒に居る所を見ると「あの人って6歳の頃からずっと一緒の18歳女子とあんなことやこんなことしてるんだ……うわぁ……うわぁ………警察に電話しなくていいのかな……」とか思ったりしちゃうけど、でも本当に、本当に収入と経歴だけは最高の人なのに、」
「お前そんなに口が悪かったか?」
「ルルーシュの友達やってれば性格の一つや二つ捻じ曲がるよ」
澄んだ瞳で真っすぐに言われてきゅっと唇を閉じる。あの素直で可愛い小型犬のようだったスザクはどこに行ったのだろうか。見た目も今は小型犬のようなのに中身が全く可愛くない。
溜息を吐いて日本茶を啜る。紅茶とはまた違う風味があって美味しい。和やかな香りが口から鼻に抜けてささくれだった神経を癒す。
「本当にジェレミアがロリコンならとっくに私を捨ててアーニャに走っているさ。もう私もロリと呼ばれる年齢じゃないしな。だからあいつはロリコンじゃない…………………多分………恐らく、うん。そう信じている…………………信じてる…………………………そうだよな?私はあいつを信じていいんだよな?いや別に疑っている訳じゃないんだ。ただ性癖というものは人それぞれ千差万別に異なっていて当然であって、実害が無い範囲内では自由であるべきだと思うだけで別に私は疑っている訳じゃないんだ。今のところは別にそう特殊性癖っぽいものは無いようだけど、でももしかしたら、ほら、我慢してるかもしれないし、そういう事を知って理解して協力するのは恋人として当然というか、別に疑っているわけではなくて、」
「そう言えばこの前ジェレミアさんアーニャをアーちゃんって呼んでたよ。かなり仲が良いみたいだよね。もしかしたら成人しちゃったルルーシュよりあの位の幼い年齢の女の子の方がタイプなんじゃ」
「いや違う。断じて違う。あれは皇宮の裏庭でジェレミアが始めたオレンジ栽培にアーニャが興味を持って仲良くなっただけであって………………というかそういう話止めろ、本当に止めろ、不安になって来るだろうが!!」
「あ、不安はあったんだ」
空になったカップをソーサーに置くとガチャンと音を立てて鳴った。歯ぎしりの音と震える指が陶器を弾く音が不吉に協調する。
「当ったり前だろう!あいつは私の愛人か遊び相手としか周囲に認識されて無いんだぞ、不安にもなる!アーニャはまだ良いんだ。年齢が離れすぎているからな。それより社交界で良く見かける貴族の子女とか、若いメイドとか、いや、嫉妬する女はうざったいとは分かっているんだが、」
どうにも、と続けながらのこぎりで金属を切断するような歯ぎしりをかき鳴らす。
こうした女性としてみっともなく嫉妬する姿は絶対にジェレミアには見せないのだろうし、カッコつけたがりであるルルーシュの性格からしてカレンやシャーリー、C.C.などの女性陣にもあまり見せていないのだろうとスザクには察せられた。
気の置けない間柄である自分が溜まった鬱憤のはけ口になっているのだろう。友人として頼ってくれていると思えば良い気がしなくも無いが、それ以上に良い迷惑である。
これが噂好き・恋愛話好きの女性陣であれば皇帝の年上の恋人への苛立ちやら嫉妬やらを聞いてきゃあきゃあと盛り上がったりもするのだろうが、友人の恋愛事に一切の興味の無い自分は面倒だなぁとしか思えない。そもそもいくらルルーシュが嫉妬しようともあの堅物が浮気をする訳は無いのだから、これは果てしなく不毛な会話でしか無いのだ。面倒かつ非生産極まりない。
しかし自分の身代わりを務められる人物はリヴァルかシュナイゼル程度しかおらず、リヴァルは現在大学生であり、シュナイゼルの精神はまだ良くて小学生かそこらにまでしか成長していないためにこんな苦行を押し付けるのはあまりに気が引ける。
つまりこの砂糖を吐くような愚痴に耐え得る人材は広大なブリタニア領の中で自分しかいないのだった。
大人しくスザクはずずっと湯気の立つ日本茶を啜った。なんやかんやあったがルルーシュは親友だ。恋人への愚痴を聞く程度の事、お茶代と考えればどうと言うことも無い。
ルルーシュは歯ぎしりの合間に言葉を叩きつけるように重ね続けた。
「だから男は嫌うだろう嫉妬心を隠しながら周囲を牽制するために、態と露骨にあいつの部屋に寝泊まりしていたんだ。メイドだけでなく貴族の子女も噂には敏感だから、皇帝のお手付きだと知ればあいつを誘う女性は減るだろうと思ってな。現段階で私へ喧嘩を売るような真似をする馬鹿はそうはいないし、居たとしてもそんな馬鹿をあいつが相手にする訳が無い」
「お手付きって表現がなんだか間違ってるような……手を出されたって方が正しいんじゃないかな」
「しかし噂が拡散する範囲が想定よりも広くて、市井にまで広がったんだ。しかもジェレミアを誘惑したら皇帝に抹殺されるという噂も広がりつつあって、その結果の12位だ」
「色々とツッコミたい事はあるけどとりあえず置いておいて、アンケートとは言え皇帝の愛人を夫にしたいだなんて書いて万が一にでも皇帝の不興を買うのは避けたいって事か。確かにそれなら納得だね。議会の設立もまだまだ計画段階で皇帝が絶対権力者である事に変わりは無いんだから、その愛人と結婚したいだなんて無謀な」
「違う。あいつは愛人じゃない。恋人だ。愛人だとなんだか、こう、不誠実な関係に聞こえるだろう!」
頻繁に耳にする噂に余程腹を立てていたのかルルーシュは目をバネのように吊り上げた。
しかし多少皇帝の不興を買ったところで屁でも無いスザクは気にせず肩を竦める。この程度で遠慮しているようではそもそもルルーシュの友人なんて務まりはしない。それに今のルルーシュが苛立っているのは愛人としか恋人を認識してくれない世間一般に対してであって、スザクという個人ではないことは重々に承知していた。
「いや、ジェレミアさんが君の愛人なのは事実だろう」
「だから、愛人じゃない!恋人だ!」
「囲ってる時点で恋人じゃなくて愛人としか言えないんじゃないかな」
「囲ってる訳じゃない!ただ肉体関係はあるけど結婚する事ができなくて、表立って恋人だと言うことも出来なくて、申し訳無いから色々とプレゼントしたり住居を用意しているというだけだ!」
「それを囲ってるって言うんだよ」
悔しそうな顔で歯噛みするルルーシュに、そもそも、とため息ともつかない息を吐く。
どうして恋愛経験が豊富でも無い、ようやく成人したばかりの自分がこんなアドバイスをしなければならないのだろうかと頭痛が湧く思いだった。
だがここで無理やりにでも会話を断ち切って帰ろうと思わない位には、この割れ鍋に綴じ蓋のカップルをそれなりに自分は好ましいように思っているのだろう。
この2人、そしてナナリーと初めて出会った6年前から何もかもが変質してしまい、多くのものを失った。世界は幼いスザクには想像も出来ない程に理不尽であり、非情だった。しかしこの2人を見ると、何も変わらない物はこの世界にも確かに存在すると信じられる。それが非常に貴重なものだという程度のことは理解出来ているつもりだった。
「愛人だって言われたくないなら結婚すれば良いのに。それで変な噂も無くなるだろうし、身分的にも年齢的にも性別的にももう問題は無い訳だから……僕としてはできればルルーシュが20歳になってから結婚して欲しいとは思うけど。一点賭けしちゃったから」
「そう簡単には行かないんだよ。カレンが辞めた以上次のナイトオブワンが務まるのはジェレミア以外に居ない。だというのにこの上私と結婚して王配にしてしまうとあいつへの権力の集中が無視出来なくなる。ジェレミアが権力に溺れて馬鹿な真似をするとは思わないし、もし馬鹿な真似をしたら私は躊躇なくあいつをナイトオブワンの座から強制的に蹴落とす心積もりではある。だが周囲はそうは思わないだろう。反対は必至だ」
「そう言えばマリアンヌ皇妃は皇妃になるためにナイトオブラウンズを辞めたんだっけ」
「そうだ。軍事的に大きな権限を持つナイトオブラウンズが皇妃や王配を兼ねるのは望ましくないから、慣例として選任騎士やナイトオブラウンズが皇族と婚姻する場合には騎士の職務を辞する事になっている」
慣例などこれまで散々鼻で嗤って叩き潰してきたルルーシュが無視出来ないというのならば、それなりに理屈の通っている慣例なのだろう。
確かに権力の集中というのはルルーシュの好むものでは無い。自分に集中するのならばともかく、他人に集中するのはそれがジェレミアであれ忌避するべきだと考えているのかもしれない。
しかしその慣例が長らくまかり通ってきているのならば、もしユーフェミアが生きている内に自分と結ばれて婚姻する事になったとしても騎士の座は返上しなければならなかったのかととスザクは思い、最初から茨の道だったのかと内心で呆れ声が湧いた。
騎士として愛するユフィをずっと護るというのは端から不可能なことだったのか。結婚や婿入り等という具体的なことを考える間もなく死別したためそういった面倒事に思い悩む暇も無く、気付くことさえ無かった。それどころか恋人だと口に出して言うことさえ叶わない、思えば短い恋と愛だった。
そう回想すると目の前で面倒事に悩まされているルルーシュが酷く贅沢者に思えてくる。無論本人としては本気で悩んでいるのだろうし、皇帝として無視できない問題なのだろうが、自分からしてみればなんて些細な事だろうと思う。
死んだらお終いなのだから、後悔しないよう行動すれば良いだけだろうに。
「だったらジェレミアさん以外の人をナイトオブワンにしたらいいんじゃないかな。ナイトオブワンと王配の兼業が難しいならせめてナイトオブツーと王配にすれば、」
「じゃあ聞くが、他に誰がナイトオブワンの候補に挙がるんだ。ナイトオブラウンズ12名が揃っていない皇帝なんてブリタニア史上では珍しくも無いが、ナイトオブワンが居ないというのは有り得ないぞ」
「……ジノとアーニャは経験が足りなさ過ぎる上、ルルーシュ皇帝の部下として仕えた期間があまりに短すぎて不適格だろうね。シュナイゼル殿下はナイトオブゼロっていう例外措置を受けている上に、まだまだ精神的に幼過ぎる。カレンは文官に転向しちゃったし。あとは……僕?」
「お前のようなメンタル不安定野郎をナイトオブワンになぞ出来るか。大体18歳が軍の最高権力者なんてあまりにも若過ぎるだろう。あと10年戦場を這い回ってようやく候補の一人と言ったところだぞ。有り得ないにも程がある」
「ルルーシュ、ついさっきまでナイトオブワンだった女性の年齢覚えてる?」
「カレンは良いんだ」
「本当にルルーシュってカレンのこと好きだよね」
「ああ、そうだな。彼女は良い女だ」
今や親友となった女性を思いルルーシュは息を吐く。
手放し難い部下を失ったが、友人としてのカレンはまだ繋がっている。何時か帰って来てくれると願いつつ、今は手持ちの部下で最善の状況を作らなければならない。
そう思うのならば自分の私情は後回しにして、最善の人材を適切な地位に置くことが皇帝としての役目であることは間違いないのだった。王冠を賭けた恋を演じる程の余裕は今は無いのだ。
「婚期が遠のくな……シュナイゼル兄上が元の精神年齢を取り戻したらさっさと譲位の準備をしなければ、このままでは妊娠適齢期を逃す可能性もあり得る」
「婚活に勤しむOLみたいな事言ってるね」
「その位切実なんだよ。それに早めに結婚しないと浮気の可能性も高まるし、もしシュナイゼル兄上が皇帝に成りたくないと言ったらどうなるのか……」
深々とした溜息は地の底に突き刺さりそうな勢いだった。珍しく本気で悩んでいるらしい。
政務に関しての事であれば徹底した情報収集と国家の優先順位に則った正確無比な決断を下す癖に、この友人はたまに変な事で悩む。
「反対されても押し切って結婚すれば良いじゃないか。皇帝なんだからその位権力でゴリ押しできるだろう」
「前例が無い。まず間違いなく多くの政務官が反対するだろう。皇宮には皇宮のルールがある。いかに皇帝とは言ってもルールを無視すれば誹りは免れん」
「ルールなんて壊せばいいじゃん」
鼻で嗤ってスザクは唇を吊り上げた。その顔にルルーシュは6年前の、悪戯を仕掛けてははしゃぐ悪童の姿を思い出した。つられてくしゃりと口元が緩む。
スザクはこの数年で随分と大人びたが、今はその隙間から無邪気で我儘な子供という本質が見え隠れするようにもなった。幾多の血生臭い経験で一度は酷く荒んだ内面を、ユーフェミアという女性の記憶が強く補強しているのだった。
遠慮がちでクラスに馴染めないイレブンの少年はもう何処にも居ない。居るのは、皇帝にも臆せず意見を言い放つ怖いもの知らずの騎士だけだった。ルルーシュは苦笑いを零した。
「お前がそれを言うか……」
「色々とゼロから学ばせて貰ったからね。政治家も皇帝陛下も、もっとゼロみたいに頭を柔軟にするべきだよ。
大体絶対権力を持ってる皇帝って私欲を満たすために酒池肉林とか身内贔屓とかするものなのに、ルルーシュは碌に休暇も取らないで仕事ばっかり頑張っているじゃないか。多少ルールをぶち破って私利私欲のままに動いても文句を言われる筋合いなんて、有るかもしれないけどわざわざ耳を傾ける義理は無いだろう。それに世界を救った皇帝陛下が長年連れ添った騎士と結ばれるなんておめでたい事じゃないか。きっと君が思っているより反対は少ない。もし後から問題が起きたらそれは後から考えれば良いし、反対が出るようだったら僕が力尽くで黙らせてやるさ」
短絡的かつ楽観的だと自覚した上でスザクははっきりと言ってのけた。
これが自分のルルーシュの騎士としての役目なのかもしれないと朧気ながらスザクは思い至っていた。現実を見て慎重に考えるのはジェレミアと、そしてシュナイゼルの役目だろう。自らの信じる所へ向かい、恐れを知らぬ勇み足で居る事。それは他の騎士には出来ないスザクの役割だった。
ルルーシュもジェレミアも子供ではない。自分の行いには自分で責任を取れる程度には大人だ。ならば何も問題は無い。そしてこれから先も2人に付きまとう地位やら身分やらが色々と邪魔をするだろうが、彼らはそんなものに足を掬われるような素直な人間でないことは確信をもって保証できる。
つまりはルルーシュの背中をほんの少し押してやって、これまでナナリーのためだけに揮ってきた公私混同お構いなしの全力パワーをほんの少し自分のために使わせてやれば良いだけだ。自分だけでは力不足だと言うのなら、ミレイやカレンを誘って波状攻撃を仕掛ければ良い。彼女達に弱いルルーシュは割と簡単に羽目を外すだろう。
そうなればもう何も問題は無い。何しろ慎重派であるシュナイゼルは現在精神的な幼児でありあと数年は反対意見を言える立場には無い。最後の扉はジェレミアだろうが、あの男は何の障害にもならない。
シャーリーが言っていたが、恋はパワーらしい。ならば羽目を外したルルーシュにジェレミア程度が勝てる訳が無いのだ。むしろあの男はルルーシュより先に恋に目が眩んでいてもおかしくは無く、もしかするとルルーシュより先に腹を括っているかもしれない。
「お前、かっこいいな」
「ユフィとルルーシュの騎士だからね」
当然、とスザクは胸を張った。騎士章は胸に一番近い所に今も飾られている。
時計を見ると既に時刻は夜の8時を回っていた。皇帝と騎士の立場にあるとは言え妙齢の女性の部屋に長居をするのは良い事ではない。
何よりジェレミアが帰って来る時間が近づいて来ていた。2人の邪魔にはなりたく無い。それはルルーシュとジェレミアの為と言うより、自分の精神衛生のためだった。椅子を引いて席を立つ。
「もうこんな時間だし、失礼するよ」
「そうだな、もうこんな時間か。明日は頼む。コップはそのままで良い」
「じゃあお言葉に甘えて」
マントを羽織って背伸びをする。この重みにもそろそろ慣れた。
一言二言明日の式典に関して事務的な連絡を行った後に皇帝の私室らしい重厚な扉に手をかけた。皇帝の見送りを受けながらノブを握り、ふと思いついた言葉をスザクは口の端から零した。
「したいようにすればいいんだ。ナナリーだけじゃなく、君も。僕も好きにすると決めたんだから」
僅かに目を見開いたルルーシュを振り返り、後ろ手に扉を開ける。予想外の事を言われて返答に困っているのか唇を震わせるルルーシュへ曖昧な笑みを向けた。
自分でも深い意図があって発した言葉では無い。こんな状況で何か気の利くような事を言えるような性格では無く、思いついた事を口にしただけだ。ただルルーシュはもうほんの少しだけ好きに生きても良いように思えた。
一歩、ルルーシュの楽園から足を踏み出し、スザクは騎士らしく背筋を鉄筋のように伸ばした。
「では失礼致します、皇帝陛下。明日に備えてどうかお休み下さいますよう」
「――――ああ、お前もな」
凛とした背中を見せて立ち去るスザクの背中を見送る。
定規で測ったようにその背中は真っすぐと歩き、揺るぎもしなかった。これから先もスザクの足取りに揺るぎは無いだろう。ああして真っすぐ生きることがスザクの好きに生きるという事ならば、それを否定する言葉を自分は持たない。
ただどんな生き方をしようともスザクは死ぬまで自分の親友でいるだろう。
「ユフィが生きていればあいつは義弟だったのか」
ぞっとしない。ルルーシュは肩を竦めた。
枢木スザクは何を考え、何を望んでいたのか。
後年の歴史は、枢木スザクに対する評価を批判と擁護の2つに大きく分けている。彼の功績は著しいが、同時に非難されて当然の行動もまた多大に過ぎた。
ブリタニアに侵略された日本の返還を求めてブリタニア軍に入隊したというのに、黒の騎士団と敵対し合衆国日本建国の最大の障害となって立ちはだかったこと。
ユーフェミアの騎士となりながらも主君を護る事が叶わず、それどころか慈愛の姫と称された彼女の復讐のために大量殺戮兵器を無断で使用したこと。
ゼロであったルルーシュと敵対関係にあったにも関わらず、ルルーシュが皇帝に登極したと同時に彼女の麾下に加わったこと。
激動の時代とはいえ、彼の所属の変遷と行動の奇異性は異様なものに映る。彼は当初日本返還のためブリタニア軍に所属したというのに、いつの間にかその目的さえ忘れていたらしい。合衆国日本建国後、彼が日本を顧みる言動をしたと示す歴史的資料は一つも無く、ブリタニアでの立身を果たした彼にとって日本は捨てた故郷以上の意味を持っていなかったと評する論もある。
しかし彼を擁護する論も決して少なくは無い。
彼は軍人としては精神的にあまりに純粋であり、多くの戦場で殺人を繰り返す度に彼の精神には多大なる負荷がかかっていた。そのために日本奪還よりも戦争の終結を優先することが正しいと考え、当時テロリストと称されていた黒の騎士団と相対するしかなかったのだ。
現にルルーシュが皇帝の座についた後は忠実に彼女に仕え、一度も叛することは無かった。これはゼロを辞め、テロという暴力行為に頼らず皇帝として善政を敷くルルーシュを認めたためだと論ずる風潮もある。
いずれにせよ彼は強く平和を希求しながらも、平和を手に入れる才には恵まれず、また平和に生きる性質を持ち合わせていなかった事は後年の歴史研究者達の同意するところである。
皇帝ルルーシュのナイトオブツーとなった彼はテロや暴動、反社会的勢力、犯罪組織鎮圧のために世界各地を飛び回った。彼はナイトオブワンと皇帝政務補助の役職を兼任したジェレミア・ゴットバルトや、文官に転向した紅月カレンとは比較にならない程に多くの戦場に赴き、多くの人間をその手で殺した。
そしてまたその手で守った人間の数も同様に膨大であった。
複雑な多面性を持つ枢木スザクは戦場でしか生きられず、そして戦場にしか彼の死に場所は無かった。
枢木スザクの葬儀は生前の偉大な功績に相応しく盛大であり、喪主は皇帝ルルーシュが直々に務めた。花に埋もれたスザクの遺体を前にした皇帝ルルーシュは、常の威厳が微塵も見られない気弱な少女のような表情をしていたという。
生前と同じ柔和な笑みを浮かべた遺体の手にルルーシュは剣と翼を模した騎士章を握らせた。
「―――スザクは頑張ったから、怒らないであげてくれ。ユフィ、長い間ごめん」
この呟きを聞いたのはルルーシュの護衛として同席していたナイトオブワンのみであり、彼はこの皇帝の呟きを生涯誰にも告げることは無く、歴史に残ることも無かった。
枢木スザクの墓所は生前の要望通りユーフェミア・リ・ブリタニアの墓所の隣に建てられた。
枢木スザクは自らの人生を他者へ赤裸々に語ることは生涯無かった。そのために彼が何を考えて戦い、何故敵対関係にあったゼロであるルルーシュに仕えたのか、後世には何も伝わっていない。
妻を持つ事も子供を儲ける事もせず、家庭の温もりから遠い所へ身を置き、ただ皇帝ルルーシュの下で戦いに身を投じ続けた日々はユーフェミアを護れなかった彼の贖罪であったのだろうか。
それとも彼は、ただ死を求めて戦場を彷徨っていたのだろうか。
それとも―――彼の人生にとって、何かを護るための戦いこそが人生の意義であったのだろうか。
戦いだけが彼の安寧だったのか。
ルルーシュ皇帝の下で戦友と共に戦場を駆け抜けた日々は、彼にとって幸福と呼べるものだったのか。
事実を知る者は誰もおらず、全ては推測の域を出ない。
今はただ小さな墓石と、歴史の波が揺蕩うばかり。
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