枕元でけたたましく鳴り響くアラームをひっ叩いて黙らせる。時計は床に転がり落ちた。目を開くと朝日が網膜に突き刺さって地味に痛い。
皇帝の座に登極してから早半年が経つというのに、朝早い目覚めには一向に慣れる気配が無かった。
このまま再度柔らかいシーツの上に寝転がりたいという誘惑を引き剥がしつつ、ベッドの端で体を起こす。生来の低血圧のせいで寝起きは頭が回らない。ぼうっとした眼のまま部屋を見回すが、部屋には自分しか居なかった。昨夜一緒に眠った男はもう起きているのだろう。
同じベッドで寝るようになってから初めて知ったが、ジェレミアは朝が早い。寝惚ける事も滅多に無く、低血圧の自分では考えられない程に朝から機敏に動く。規律に厳格であれと教え込まれた下士官時代の習慣が残っているのかもしれない。もしくは体内に目覚まし時計でも仕組まれているのだろうか。今度教えてもらおう。
こうしてお互いの知らなかった事を一つ一つ知っている事に変えていく日常は楽しい。終わりのない宝探しをしているにも似た胸の高鳴りを毎日感じる。
もう12年の付き合いになるのに、互いの知らない事は意外にも多くあった。お互い別に隠している訳でも無かったが主従や家族の距離感では気付かない事は意外にも多い。
引っぱたかれた衝撃で床に転がった時計を拾い上げると午前5時を回っていた。式典は9時から始まる。そう時間は無い。セミロングに伸びた髪を手で梳きながら寝室を出る。
寝室はリビングに繋がっている。ダイニングテーブルとソファ、ローテーブル等、一般家庭とそう変わりのないリビングはルルーシュの趣味に合ったものだった。一見するとアッシュフォードの生活とそのまま地続きになっているのではないかという錯覚さえ起こす内装は和やかな空気に満ちている。
ソファに座るジェレミアは既に騎士服に着替えて端末を片手に今日のスケジュールを確認していた。
朝っぱらから礼服を隙なく着用しているジェレミアと比べ、主君であるこちらは素っ裸のままというのは聊かの羞恥心を煽ったが、そもそも脱がせたのはこいつだ。故にこいつが悪い。自分が恥ずかしい思いをするのは間違っている。
そう思い直してルルーシュは堂々と背筋を伸ばした。生憎と見られて恥ずかしがるようなスタイルはしていない。逆にジェレミアは見慣れている主君の裸体を前に顔を赤くして目を背けた。
「おはよう」
「お、おはようございます。朝食は食堂に運ばせますか?それともこちらで」
「ここで食べる。ジェレミア」
「は、はい」
「抱っこ」
「は、」
返事を言う前に裸のまま一度抱き着いて、よし、とすぐさまに離れてシャワーを浴びに向かう。
数秒の硬直の後に咲世子に朝食をリビングに運ぶよう指示するジェレミアの声が聞こえた。その声は何時もより幾分か上ずっており思わず顔がにやける。もう一通りのことはやっているのに、年上の癖に、変な所で初心だからあの男は面白い。
シャワーを終えて、重苦しい皇帝服の上着とマントを外した格好に着替える。そのまま軽く化粧をして、ラフとは言えないが公に出るには聊か緩い恰好でリビングに戻るとダイニングテーブルの上には朝食が既に並んでいた。
朝食のメニューはアッシュフォードに居た頃から変わらない普通の家庭のようなものが並ぶ。皇帝となった当初は食べきれない程の豪勢な食事が朝っぱらから並んでいたが、シェフに平凡な家庭と同じものをと頼んでからはごくごく普通の朝食が並ぶようになった。
ありとあらゆることが良くも悪くも変わってしまったけれど、変わらないものが幾つかあって欲しいと思う。このリビングにしたって一般家庭に近い内装に作り替えたのはそういった自身の生ぬるい感傷から来る我儘だった。
二度とあの日々に帰ることは無いと知っていながらも、捨てきれない弱さが自身の中でじくじくと膿を吐いている。半年経っても未だにナナリー、ナナリーと弱弱しく泣き叫ぶ自分が体の内側で縮こまっているのだ。この部屋も、朝食も、そんな自分への慰めだった。
皇帝としては脆弱過ぎる精神なのだろうとは思うが、愛する妹と共に過ごした生活を平然と忘れてしまう人間になりたくはない。そんな機械のような人間が皇帝に相応しいとも思えない。
故にこの部屋の内側だけがただのルルーシュの領域だった。部屋の外では皇帝ルルーシュで居なくてはならない。昨晩部屋を訪れたスザクも気づいていただろうが、この部屋はアッシュフォードという懐かしい楽園を思い出す縁だった。何時か全てが思い出になるまでこの部屋はこのまま有り続けるだろう。
ジェレミアと並んで朝食を食べる。テレビを点けると今日の式典についてニュースキャスターが溌溂とした声で解説していた。ニュースキャスターは金髪碧眼の笑顔が眩しい見慣れた美女であった。学生だった頃とはまた種類の違う笑みはどことなく大人びた色がある。釣られて笑みが零れた。元気そうで何より。
「そう言えばアッシュフォード令嬢から皇帝にインタビューをさせて貰いたいという要請があったとディートハルトから連絡がありましたね」
「ミレイなら別に良い。許可を出しておけ。日程は任せる」
「イエス、ユアマジェスティ」
「それとそこの醤油取ってくれ」
「イエス、ユアマジェスティ」
「ん、ありがとう」
醤油を受け取りながらも視線はテレビに向かう。
式典についての話題が終わると、野球の試合結果、ブリタニア地方都市で開催された祭り、有名女優の不倫発覚、ゲリラ豪雨への注意喚起と節操無くニュースが移り変わる。暗いニュースはそう多くは無い。半年前の大災害の余波は未だ深い爪痕を世界中に残しているが、ようやく終息が見えて来た。
ラグナレクの計画が失敗に終わり、現実世界に戻った直後の忙しさを思い出すと未だに頭痛と胃痛で悶える。Cの世界ではマリアンヌに物理的に殺されかけたが、現実世界では過労のせいで何度か死の深淵を垣間見た。
こうして和やかに朝食を食べる時間が取れるようになったのも実は最近のことだった。つい最近までは官僚やナイトオブラウンズと席を同じくして書類と睨み合いながらパンを口に押し込む日々だった。
まだまだ仕事は山積みだが、ようやく一段落したと言って良いだろう。
朝食を食べ終えてぼんやりとニュースを流し見るルルーシュの前にジェレミアは湯気の立つ紅茶を差し出した。水面にはオレンジの薄切りが浮かんでいる。
カップを摘まんで鮮やかな紅色に染まった液体を口に含む。温度も濃さも精密に計算されていて、朝食の余韻を良い具合に消し去り胸元がほんわりと温まった。芳醇なオレンジの香りが口の中いっぱいに膨らんで小気味よく鼻から抜ける。
プロ顔負けの腕に思わず笑みが込み上がった。シャーリーが淹れた紅茶よりずっと美味しい。メイドより紅茶を淹れるのが上手い騎士とはどういう事なのだろうか。
「お前紅茶を淹れるのが上手いよな。誰に習ったんだ?」
「篠崎メイド長に空き時間を見て教わっていたんです。ようやく免許皆伝を許されまして、これだけはそこらのメイド以上だと自負しております。ルルーシュ様にご指摘されてから9年も経ちましたので」
嬉し気に胸を反らすジェレミアに何を言っているのかと首を傾げるが、思い当たる所があり、あ、と声を上げた。
まだ9歳の子供だった時、ジェレミアより自分の方が紅茶を淹れるのが上手いと言ったことがあった。事実そうだった。家にメイドを住まわせる余裕のある貴族のお坊ちゃんが紅茶の淹れ方なんて知っている筈が無い。そういえばその時、こいつは上手く紅茶を淹れられるように努力すると情けない顔で言っていたような気がする。
暫くの間ぱちくりと目を見開いていたルルーシュは、片手で紅茶のカップを摘まんだまま胸奥から沸き起こる笑みを耐える事無く声に出した。いきなり笑い出した皇帝にジェレミアは訳も分からずに目を瞬かせる。その仕草が滑稽でまた笑みを誘った。
こいつはそういう奴だった。小さく零れ落ちた大事なものを一つ一つ拾って、目の前に翳してくれるような奴だった。
その度に自分は、無くさなくてよかったと涙を零しながら、落としたものを拾うのだった。
「ジェレミア」
「は、」
「ありがとう。好きだよ。愛してる」
いきなり上機嫌になったルルーシュの告白にジェレミアは顔を真っ赤に染めて、え、あ、はぁ、と纏まりの無い声を上げながら後ずさった。
落ち着きのない挙動に笑みを深めて、カップをソーサーに置いて立ち上がる。時刻は午前6時。式典開始までにいろいろと準備があり、あまり余裕は無い。
「そろそろ時間だ、行こうか」
「あ、は、はあ、あの、」
「ん?」
「ルルーシュ様、私も、私も愛していますよ」
「知ってる」
「ルルーシュ様が思っているよりもずっと深く、愛しています」
「うん」
自然と顔が笑みを作る。
何も変わらないものは確かに存在する。そして他者と完璧に理解し合うことが出来ないという事実は、決して、決して悪い事ではない。目の前の男がその証拠だった。
現に今、張り裂けそうになる程に嬉しい。重ねた手は自分の手よりずっと熱い。
■ ■ ■
式典はペンドラゴンの街中に座している巨大なドームで開催された。
規模こそ比較にならない程に大きいものの、どこか行政特区日本の開会式典を思わせる施設は色とりどりの国旗が幾十と飾られている。行政特区日本を知らないジェレミアだが、テロを警戒してドーム内への一般市民の参加を制限したため会場付近にたむろする市民の盛り上がりに活気と期待を感じた。
耳を澄ませば声高にルルーシュ皇帝の名前を叫ぶ声があり、小さく皇帝への不満や疑惑を口にする声があり。2種類の意見が入り混じり何かしら革新的な事を始める予兆となって胸を躍らせる空気を作り出している。
皇帝への不満を口にする市民が存在する事はそう悪い事では無いと思う。全国民が何の不満も感じず幸福に暮らせる政治というのは理想であるが、決して理想の域を出ない夢物語でしか無いものだ。
最も悪いのは不満があるのに口に出来ない事だろう。不満を口にすると言うことは、つまり市民は皇帝陛下に聞く耳があると分かっているのだろうから。前皇帝シャルルの御世においては皇帝への非難を口にする事さえ憚られていたことを考えればルルーシュ皇帝の治世の方が遙かにマシであることは言うに及ばない。
ルルーシュの手により開催された初の国際式典における警備の統括には現ナイトオブワンの紅月カレンが任じられた。ナイトオブワンを辞する予定のカレンにとってはこの式典の警備が最後の大仕事となるだろう。
そのためジェレミアは開会式における皇帝陛下の身辺護衛にナイトオブワンを置くようルルーシュに直訴し、自身は会場警備の纏め役を買って出たのだった。警備統括ともなれば式典の最中は忙し過ぎてルルーシュの傍には碌にいられない。だが開会式の身辺護衛を兼ねていれば、少なくとも開会式中はルルーシュの傍に居られる。
一時的とはいえ皇帝親衛隊隊長としての座を譲る形になったが、おふざけとは言え三人官女withBだと誓い合ったのに一人抜け駆けした自覚はある。その借りを思えばこの程度どうと言うことは無い。
一定の間隔を置いて立つ警備兵の横を通り過ぎながらナイトオブラウンズの騎士服を探す。
会場内は外程に騒々しくはないが、次々に入場する民族衣装を着た国賓と彼らを取り巻く警備で色彩の渦が巻き起こっていた。突き抜ける青い空と足元に広がる赤い絨毯も相まって、目に映る景色は絵の具を全色混ぜ合わせてラメをぶち込んだようであり、目に鮮やか過ぎてちかちかする。
瞬きを繰り返しながら周囲を見渡す。予定されている参加者の数はそう多くは無いが、各国の代表が多く招かれているため警備状況はこの上なく厳戒態勢を敷かれていた。和やかに談笑を楽しんでいる参加者達を他所に警備兵の雰囲気は凍り付いた湖面のように張り詰めている。
ジェレミアは会場警備を担当しているナイトオブスリーとナイトオブシックスを式典会場の隅に見つけて足を向けた。若年の騎士2人は周囲の張り詰めた空気を他所に何やらぶつぶつと顔を突き合わせて喋っている。アーニャは普段と同じく呆れの僅かに滲む無表情を浮かべていたが、ジノの方は酷く深刻そうに眉根を顰めていた。
年齢不相応に仕事が出来る2人であるが思考回路は年相応に無邪気だ。特に陽気な性格であるジノの方はおふざけが過ぎる事が多々ある。近寄って耳を澄ますと予想通りと言うべきか、仕事とは全く関係が無い会話が交わされていた。
「ヤバい、年齢差の大きいカップルはさっさと別れると踏んでいたのに予想が甘かった。せめて3年以内に別れるって賭けておけばまだ可能性があったのに、俺の家賃1カ月分が……っ」
「ジノは詰めが甘い……男が浮気しても我慢強い性格の女だったら数年は耐える。オレンジが浮気しても陛下なら3年は我慢すると予想するのが定石」
「くっそ、やっぱスザクのアドバイス聞いとくべきだったなぁ。でも絶っ対篠崎メイド長かヴィレッタ卿と浮気してると思ったのにあの堅物オレンジは……スタイルで言えば陛下よりヴィレッタ卿の方がずうっと豊満だってのに」
「顔は陛下の方が上」
「顔はそりゃあな。でも陛下ってプライド高すぎて付き合うとなると面倒くさそうだし、ヴィレッタ卿だってかなり美人なんだからスタイルと容姿と性格を総合して考えると俺はヴィレッタ卿の方が」
「………何を話している、仕事中だぞ。そして私は浮気をした事は無いしこれからもしない」
口を挟んできたジェレミアにようやく気付くと、若い騎士2人は悪びれもせず視線を向けて「「あ、オレンジ」」と声を被らせた。頬が引き攣る。人の事を何だと思っている。
「誰がオレンジだ。人に変な呼称を付けるのは止めたまえよ」
「だあって皇宮の庭でオレンジ栽培を始めるっていう狂気の沙汰をやらかしたんですから。ニックネームにもなりますよ」
「あれはルルーシュ様が皇宮の花園を見て、食べられない花ばかり植えるより果実を付ける物を植えた方が有用じゃないかと言ったから始めたまでだ」
「そこでオレンジをチョイスするセンスが微妙。普通はプチトマトとかハーブとかもっと手頃な物にする。オレンジじゃ結実するまで2年はかかる」
「ぐ、」
マリアンヌが体から出て行ったことでそれなりに情緒が豊かになったアーニャは、無表情ではあるがオレンジの世話をそれなりに楽しんで行っている節があった。貴族出身の彼女は植物の世話など初めてなのだろう。土で指が汚れるのも厭わずに雑草を取る姿は年相応の少女としての感性を懸命に取り戻そうとしているようにも見えた。
しかしそれと何故オレンジ栽培を、という疑惑はまた別らしい。そう言われるとジェレミアも返答に詰まる。
妊娠したらすっぱいものが食べたくなると聞く。だから数年の内に入用になるかもしれないから、という邪心をこの場で口にするほどジェレミアの神経は図太くは無かった。
オレンジが結実する頃には。一人拳を握り締めた所にジノの言葉が容赦なく突き刺さった。
「そもそもそんなに悠長に構えていると結実する前に飽きられて陛下と別れてるって事もあり得ますよ。10代後半女子の恋人なんて毎シーズンごとに変わって当然なんですから。幾ら陛下でも、いや、引く手数多な陛下だからこそ掻っ攫われないよう油断は禁物ですよ」
「……それは身を以って学んだ知識かなヴァインベルグ卿?」
「それはもう。社交界のお姉さま方にはたっくさん学ばせて貰いましたから」
唇を両頬へたくし上げたジノは火遊びを十分に堪能してきた若者特有の雰囲気を纏わせていた。どことなく軽く、視線が年齢の割に落ち着き過ぎている。ジェレミアより10も年下だというのに女性の扱い方を既に心得ているかのような慣れは世慣れぬ少女の眼には大人びた魅力に映るのかもしれないが、年上の男にとっては眉根を顰める類の物だった。
これでジノの女性のタイプが大人しい令嬢であれば何も問題は無い。だが現在ジノが狙っている女性は令嬢と形容できる範疇には無いことは明らかであり、むしろ深窓の令嬢のように扱えば鉄拳が飛んでくる事は想像に難く無かった。
少なくともカレンの趣味はジノのような手慣れている雰囲気の、悪く言えば軽薄な男ではあるまい。むしろその対極の筈だ。そして多少表面を取り繕った程度でジノの軽薄さを聡明なカレンが見抜けないとも思えなかった。
「そんな考え方では紅月に相手にもされんぞ。彼女は割と潔癖な所がある。気分を害するかもしれないが、ヴァインベルグ卿では言い寄ったが挙句機嫌を損ねて首の骨をへし折られてもおかしく無いぞ」
「カレンは本命ですからそりゃあ紳士に!誠っ実にお付き合いを申し込みますよ!ほら、意外に俺って本命の女の子には一途ですからね!」
「自分の事を『意外に一途』と言っている時点で信憑性も何も無い」
「全くだ」
冷やかな瞳で見下され膨らませるジノを他所に、懐から端末を取り出す。時間に余裕が無い訳では無いがこうして雑談をする理由も無い。
2人はジェレミアが端末を取り出すなり表情を一変して騎士に相応しい凛々しいものへと変えた。この2人は騎士の名に相応しく仕事は出来るのである。
端末に式典会場の警備状況を映し出す。それぞれの任務内容を確認しながら3人で頭を突き合わせて、開場してから何かイレギュラーが起こってはいないか相互に報告を行う。
とは言っても当初の予定通りスムーズに進んでいるのでそう確認し合うことも無い。警備状況も問題なく、順調に国賓も入場して来ている。ジノとアーニャの報告は淡々としたものだった。
「会場内は既に厳戒態勢を敷いてます。出入りしている車も全て問題なし。会場からは爆発物や毒物等も一切発見されませんでした。会場外で不審な行動をしている奴も今の所は見当たりません」
「要人も問題なく到着している。銃火器、爆発物の持ち込みは無し。自衛のために拳銃を持ち込もうとした奴が居たけど取り上げといた」
「宜しい。皇帝陛下の警備も特に異常なし。今は紅月卿が護衛を担当している。また現在、皇帝陛下は日本代表として来場された皇神楽耶殿及び藤堂幕僚長と謁見されている」
「スザクは?」
「何か問題が起こればランスロットアルビオンで急襲出来るよう予備兵力として控えている。異常無しと先ほど報告があった」
「予備兵力が最強過ぎるでしょう」
「問題が起きたら要人ごと抹殺されかねない。人選が間違っていると言わざるを得ない」
「それを防ぐのが要人警護を担当するお前達の仕事なんだが」
「KMFが無い状況でそれは無謀。命が幾つあっても足りない」
「右に同じ。自殺行為ですよ」
左右からサラウンドのように上がる非難の声にジェレミアも内心で同意した。
戦力としては十分以上の信頼があるものの、自制心という面におけるスザクへの信頼は限りなく薄い。プライベートではそれなりに友人として付き合っているようだが仕事においてはまた別ということなのだろう。つくづくと子供らしくない2人だと思う。仕事をし易いのは有難いが。
上空でひゅるるる、ドン、という音が鳴って反射的に首を向けると花火が打ちあがっていた。ニーナが手すさびに作った火薬を使った花火が色とりどりの光を空中に投げかけている。日が昇りかけている途中の時間帯だというのに花火は鮮明に空を照らした。
次々に様々な形をした花火が上がり、その度に歓声が会場のあちこちから上がる。鮮やかな花火は来場した人々への歓迎の証であると同時に、直に開会式が開幕する合図でもあった。開会式が始まるまであまり時間は無い。
ジェレミアと同様に花火が打ち上がる音に反応して即座に空を見上げた2人だが、それがテロから放たれた砲弾の音では無いと分かるなり視線を戻した。
「ラグナレク前よりはマシになったけど、それでもスザクは独断専行が過ぎる。自分勝手な正義感で突っ走った尻拭いをするのはゴメン」
「そもそも予備兵力として控えるのは咲世子さんだけでスザクは皇帝陛下付きじゃなかったですっけ。日本の姫がスザクの従妹で、久しぶりに会う機会が来たんだからって陛下が御配慮なさったと聞いたんですけど」
「それが今日になってスザクが予備兵力へ配置換えを希望したらしい。万が一に備えてと言っていたが、恐らくは皇殿と顔を合わせ辛いのだと、」
「おいそこのオレンジ」
背後から声を掛けられて振り向くと、何時もの皇帝側近としての衣装を纏ったC.C.がこちらに向かって歩いて来ていた。特に今日仕事が割り振られていた訳でも無いため式典の見物にでも来たのだろう。
しかし見物に来ただけにしては余りに大きなボストンバッグを抱えている。これから長旅にでも向かうかのような荷物は黒を基調とした皺一つない皇帝側近の衣装とあまりに合わない。しかしその事に違和感を覚える余裕がその場の面々には無かった。
C.C.のトレードマークとも言える神秘的な翠の髪が、首元の辺りでバッサリと切られていたのだ。
体に纏わりつくようだった髪は無く、短くなった髪の先端は自由につんつんと四方へ跳ねて新緑から零れた雫のように輝いていた。元から翠という珍しい色をしていたが今は陽光を反射してさらに幾つもの複雑な色を映している。
ジェレミアだけでなくC.C.の姿に気付いたジノとアーニャも近づいて来るミディアムヘアの美女が誰かと一瞬いぶかしみ、それがC.C.だと気付いて茫然と口を開いて目を点にした。彼らの心情がジェレミアにはよく理解できた。
ただ単に髪が短くなったというだけではない。不遜な笑みを浮かべる表情も猫のようにくりくりとした琥珀色の瞳も変わらないが、重苦しく纏わりついていた髪が切り落とされ浮世離れしたC.C.の雰囲気は一気に現実味を帯びていた。絵画の中で動いていた女性が現実に飛び出してきたかのような衝撃がその場の面々を容赦無く襲った。
目の前のC.C.はしっかりと地面を踏みしめて歩いていた。髪が短くなった分、前を向いている琥珀色の瞳が良く見える。
驚愕で震える指先で短くなった髪を指さす。C.C.はふふんと髪を掻き上げた。
「お、おい、貴様、髪を切ったのか」
「鬱陶しかったからな。動くのにも邪魔だしバッサリ切ったんだ。似合うだろう」
似合わないとは言わせない口調は流石のC.C.であり、そして確かに随分と陽気に跳ねている髪はよく似合っていたためジェレミアは素直に肯首した。その様子に満足したのかC.C.は胸を張って抱えていた巨大なボストンバッグをジェレミアに渡す。バッグは見た目通りの重量があったもののジェレミアにとってはそう重いものでは無い。
よろめきもせずにバッグを受け取ったジェレミアへC.C.はよく通る声で言い放った。
「この式典が終わったら旅に出ることにしたんだ。だからルルーシュに最後の挨拶でもしておこうと思ってな」
「……はぁ!?」
腕を組んで見上げてくるC.C.は不遜な笑みを浮かべたままだ。何時旅に出るのか、何処へ、そもそもこの華奢な体でどうやってこのバッグを持って来たのかと疑問は尽きない。
だが今の一番の問題はC.C.の発言にあった。C.C.はブリタニア政府において特段重職にある訳でも無い。だがルルーシュにとってC.C.は大事な共犯者であり確固とした信頼関係にある女性の筈だ。そんな彼女が居なくなるなど、と思い、もう2人の共犯関係は解消されたのだとジェレミアは察した。
ルルーシュは復讐のため、C.C.はコードを消失させるための共犯関係だった。そして互いの目的は完璧に達せられたのだ。最早2人を繋ぎとめる理由は無く、そして人間に戻ったC.C.がどこに行こうともそれは彼女の自由だった。
五百年に渡る苦悩と孤独を経た人間の心情というものをジェレミアは理解し得ないが、自らの主君がようやく人間としての自由を獲得したC.C.を無理に皇宮の中に押し留めておくような人間でないことは理解できる。気まぐれなC.C.が人間に戻ってからも半年もの期間を狭い皇宮の内に留まっていた事の方が余程驚愕に値する事だったのかもしれない。
「……そうか、旅か。一体何処に向かうんだ」
「まずはE.U.だな。それからインドに行って、中華連邦を目指す。日本に行ってもいいな。あちこちを回って、まあその後の事は気楽に考えるさ。トトカルチョのおかげで資金はたんまり稼げたから暫くは高等遊民を気取る予定だ」
「トトカルチョ?」
「お前は気にするな。ほらさっさとルルーシュの所へ連れていけ。バッグに傷は付けるなよ」
いつの間にか自分が運ぶ事になっているらしいボストンバッグを片手に眉根を顰める。
今ルルーシュは神楽耶と藤堂と謁見の最中だろう。早めに終わっていたとしても直ぐに開会式が始まる。そもそも国賓との謁見最中に知った仲とは言えC.C.を割り込ませるのは失礼にあたるように思われた。
「……今すぐには無理だ。各国代表との挨拶が終わり、その後開会式でのルルーシュ陛下の演説が終わった後ならば多少は時間が取れるかもしれないが」
「今すぐ捻じ込め」
「無茶を言うな」
「お前は私に貸しがあっただろう?」
びっとC.C.はジェレミアの前に3本の指を突き出した。言葉に合わせて一本一本を拳の中に捻じ込んでいく。その度にジェレミアの額から冷汗が落ちた。
「一つ、お前が頭の中身すっからかんのオレンジだった時にナリタ連山でゼロを射殺しようとしたが、私が庇って代わりに撃たれた。一つ、ブラックリベリオンの時に私はお前に銃弾でミンチにされた。一つ、Cの世界でお前は死んでもいいからルルーシュにコードを渡せと私に脅迫した。この借りを返す甲斐性も無い男がルルーシュに相応しいと言えるのかな?」
「……その、申し訳無かった」
「謝罪は要らんからさっさと案内しろ」
憮然とした表情を浮かべている自覚がある。仕事に私情を持ち込むのは本意ではないが流石にこれまで3回殺しかけた、内2回は実際に殺した事実を詰め寄られると無下に扱う事も出来ない。
国賓と謁見していると言っても、相手は藤堂と神楽耶であり知らない仲ではない。C.C.の性格を知っている2人でもあり、突如乱入して来てもそう文句は出ないだろう。溜息を吐いて端末を取り出した。
「待っていろ、紅月に聞いてみる」
「移動しながらな」
既に許可を得られる事を前提とした物言いに溜息を吐くがC.C.の足はその程度では止まらない。ジノとアーニャに何かあれば無線で連絡するようにと命じると2人は未だに視線をC.C.の髪に固定したまま頷いた。
前を歩くC.C.の後をバッグを持ちながら追い、片手ではカレンに繋がる無線を耳に押し当てる。コールしてから3秒で繋がった。聞き慣れた明るい声が無線越しに鼓膜を震わせる。
『こちら紅月。何か問題でも』
「こちらジェレミア。C.C.が皇帝陛下への謁見を申し入れてきたのだが、皇殿との謁見はどうなっている」
『C.C.が?今は神楽耶様と藤堂さんと一緒に話してるけど別にC.C.なら大丈夫なんじゃない?一応皇帝陛下にお伝えはしてみるけど』
「分かった。では皇帝陛下にこれからC.C.を連れて戻るとご連絡を。難しいとの事であればすぐに連絡を頼む」
『了解』
はっきりとした小気味よい返事と共に切れた無線を仕舞って、先を歩くC.C.を溜息を吐きながら追いかけた。C.C.の足取りはこの上無く颯爽としている。
部屋の外で歩哨に立っていたヴィレッタはジェレミアとC.C.の姿を認めて扉を開けた。
ブリタニア皇帝の控室は一面に毛の長い絨毯が敷かれ、新たに制定されたブリタニア国旗が壁に掲げられていた。随分とシンプルなデザインに変更となった国旗は目にする機会の多いジェレミアにもまだ慣れないものだったが、この会場にはあちこちにこの新しい国旗が飾られているため今日一日で随分と見慣れる事になるだろう。部屋の中には他にソファーとローテーブルしか置かれていないが、一級品だと一目で見て分かる色と艶をしている。
部屋の中心に据えられたソファには神楽耶、そしてその反対側にルルーシュが腰かけていた。神楽耶の後ろには藤堂がまるで警備兵のように立っている。神楽耶は扉から入ってきた美女を見るなりぱっと顔を輝かせた。
「あら、お久しぶりですわC.C.さん。髪をお切りになられたんですか?お似合いですわよ」
「神楽耶か。少し大きくなったか?」
「成長期ですもの。まだまだ大きくなりますわ」
うふふと優雅に笑う神楽耶は可愛らしいのだろうが、C.C.の従者のようにボストンバッグを片手に扉から入ったジェレミアの視線は部屋の隅でカレンに羽交い絞めにされるスザクに釘付けになっていた。
スザクの背中にはカレンの豊かな胸が押し付けられているが、押し付けている方も押し付けられている方も欠片も気にしている様子が無い。年長者として紅月をはしたないと諫めるべきなのか、それとも見て見ぬ振りをするべきか悩んでいる間にもスザクの首はぎりぎりと悲鳴を上げていた。
「カレン、離して、も、もう逃げないから、」
「あんた自分の発言には欠片も信憑性が無いっていい加減認識したらどうなの?それとも今更あんたの言う事を信じる程あたしが馬鹿だって思ってるわけ?」
「地味にひど、いや、ちょ、首、首が、タップタップ!レフェリー!レフェリー!」
「逃げないようしっかり地面に縫い付けておけよカレン」
「イエス、ユアマジェスティ!」
「ル、ルルーシュぅうぅううううう」
ふかふかの絨毯に押さえつけられながらももがくナイトオブセブンを見降ろしてジェレミアは見て見ぬ振りをすることに決めた。指摘した瞬間にスザクの意識はカレンの手によってCの世界に還るだろう。流石にそれは忍びない。あまりカレンを刺激しないよう足音を殺しながらルルーシュの傍へと移動した。
「陛下、あれは」
「カレンが無理やり連れて来たんだ。元々あいつは護衛役だった筈なのにいきなり職務放棄して予備兵力として引き籠った訳だからな。カレンは真面目だから納得が行かなかったんだろう。あと、」
「あと?」
「神楽耶がスザクに婚約の請願を出してきたから、断るにしても受けるにしても逃げずに誠実にしろと」
「ああ………」
ルルーシュが女と知られた今、神楽耶が望んだルルーシュとの婚姻の夢は儚く露と消えた。
ならばと神楽耶が次に狙うとすれば日本国内の有力者か、元々婚約者であった枢木スザクであろう。あとは年齢も近くブリタニアの権力の中枢に在るジノも候補に挙がるかもしれないが、やはり外国人となるとハードルが高い。相手がブリタニア皇帝ともなれば話は別なのだろうが、古い血を継いでいる皇家当主としては出来れば日本の血を守りたい筈だ。
だとすると日本人でありながらナイトオブラウンズまで立身し、皇帝陛下の親友でもある枢木スザクに白羽の矢が突き刺さってもそう可笑しいことでは無い。
「私としてはヴァインベルグ卿やジェレミア卿でも良かったのですけれど、馬に蹴られる趣味はありませんもの。妥協の末の苦肉の決断ですわ」
「御冗談を」
ジェレミアの思考を読んだのか日本人形めいた可愛らしさを誇る神楽耶がくるりとこちらを向き半ば反射的に首を横に振った。年端も行かない少女が吐くにはキツい冗談だ。
あまりに必死な様子が可笑しかったのか神楽耶は優雅に笑みを浮かべてコロコロと笑い声を上げる。その仕草にはルルーシュとはまた違う慎み深い気品が詰まっているように見えた。
「ええ、冗談です。初恋の君であらせられる皇帝陛下を哀しませるような事は致しませんわよ」
「されても断りますよ。幾ら皇殿でもジェレミアは婿に出すには惜しい人材ですからね………しかしだからと言ってあれを希望するとは」
「私の希望ではありません。他のキョウト六家からの有難い助言を聞いたという体裁を整えるがためですのよ。16歳になった途端に余計な助言を寄越す輩が増えたもので……失礼、つまり今日はあくまで陛下の理念に共感した国を代表する立場の一人として参ったのです。婚約などおまけの用事に過ぎません」
あれ、と指さされたスザクは「僕の方からお断りだよ……」と呟きカレンにヘッドロックを決められていた。
「ちょ、カレン、ギブギブギブ!」
「あんた女の子になんて事言うのよ!!断るにしても言い方ってもんがあるでしょ!!」
「いやそもそも僕が妥協だの苦渋の決断だのと言われて……」
段々と声が小さくなるスザクはカレンの腕に指をかけて振りほどこうと身を蠢かせている。しかしマウントを取ったカレンを振りほどくとなるとそれ相応の筋力を必要とし、スザクが全力で身を震わせると近くに座っている皇帝にも害が及ぶ可能性があった。
地べたへ虫のように張り付けられるスザクへC.C.が溜息を零す。
「それが婚約を望まれた男の態度か情けない。せめてきちんと立って挨拶をしたらどうだ」
「出来たらやって、痛い痛い、いや、背骨、背骨がみしみしっと今、」
「ええ全くよC.……え、C.C.?」
C.C.の短く切りそろえられた髪にようやく気付いたカレンの全身は硬直し、鍛えられた腕から解放されたスザクの体が地面に落ちた。庇護を求めてルルーシュに這い寄るスザクを他所にカレンの視線はC.C.の短い髪に注がれていた。照明を反射してC.C.の髪は自由気ままに跳ねている。カレンはぽかんと口を開けてあわあわとC.C.の頭を指差さした。
「し、しししC.C.!?あんた、か、髪、髪が!!」
「五月蠅いぞカレン。この程度の事で一々取り乱すな」
「で、でも、でもあんた髪がばっさり!ちょ、ばっさり!!」
急いで駆け寄り指先で短いC.C.の髪を撫でながらカレンは驚愕の面持ちのまま瞬きを繰り返した。別人のように雰囲気を一変させたC.C.の姿はあまりに眩し過ぎた。
「い、いきなりこんなに切るなんて……ギリギリギリミディアムヘア位の長さじゃない、ロングからここまで切るだなんて……あんた失恋でもしたの?」
「的外れでは無いが、それ以外の理由の方が強い」
ふふんとC.C.は不遜に笑う。髪が短くなろうともC.C.の態度は一分たりとも変わらなかった。
「私は旅に出ることに決めた。この方が歩きやすいんだよ。それだけさ」
あっさりとした返事にカレンは一瞬きょとんとした顔でC.C.の顔を凝視した。言葉を咀嚼するように俯く。暫くの後に口を閉じて「そうなの」とぽつりと呟いた。
長い付き合いとは言えないが黒の騎士団時代からなんやかんやと言葉を交わしている2人だ。ジェレミアには理解し得ない所でカレンはC.C.の言葉を消化したようだった。
猫を被ったカレンの髪型と少し似ているように見えるC.C.の髪の端をカレンの指が梳く。翠の髪は若葉のようにはらはらと指の間から零れ落ちた。
「ま、この方が楽よね。似合ってるし」
「当然だ。私はC.C.だぞ」
「知ってる」
「ではこれは知っているか?」
茶目っ気を交えた笑みを浮かべたC.C.は「―――」と告げた。よく通る声はジェレミアの耳にも聞こえた。人名のようだが知っている名前ではない。しかし美しい響きをしていた。
その名を聞いたルルーシュが少し驚いた顔をしたが、どこか納得した顔をしてC.C.の軽くなった髪を見やった。
「何?」
「名前だ」
「誰の?」
「私の」
もうルルーシュにはこの名前で戸籍を作らせたとC.C.は笑った。これまでのC.C.を知る者から見れば驚くほどに晴れやかな笑みだった。
神楽耶とカレンは並んで口の中で何度か「―――」と呟き、同時に噴き出した。
「あんたにはあんまりに綺麗な名前過ぎるのになんか似合うわね。不思議」
「美しいお名前ですこと。お美しいC.C.さんにぴったりですわ。これからはそちらの名前でお呼びしても?」
「好きにしろ。しかし発音を間違えるなよ。ルルーシュは未だにちゃんとした発音で呼んでくれないんだからな」
「しょうがないだろう、まだ俺も呼び慣れないんだから。暫くすれば正確に発音出来るようになるさ……旅に出るのか?」
「ああ」
「そうか」
2人の関係を知る者にはその返事はあまりにそっけないもののように聞こえた。しかしジェレミアの知らないところでルルーシュはこの時が来ることを疾うに予見していたのだろう。「寂しくなるな」と呟いたルルーシュはC.C.の背中を柔らかく叩いた。
ルルーシュとC.C.が揃って立つ姿は一幅の絵のようだった。視線を合わせる2人がこれから離れ離れになるなど思いもよらない程にお似合いのように見えた。自身とは違う意味でC.C.はルルーシュにとって掛け替えのない存在であり、ルルーシュが存在する上で重要な部分を占めている事をまざまざと見せられた思いがした。胸奥にもやもやとした厚い雲が湧き起こるような感覚がしたが、嫉妬しても意味の無いことだと分かっていたために口にはしない。
ルルーシュがゼロであった間、彼女を支えていたのは紛れも無くC.C.ただ一人だけだったのだ。その彼女が去るというのならばそれ相応の寂寥があって然るべきであり、そこに自分が介入する余地は無かった。
黙って見つめ合う二人に背中を向けて神楽耶の背後に立っていた藤堂へと目を向ける。ふと藤堂の無骨な指の一本にシンプルな銀色の指輪が嵌っていることに気付いた。よくよく見るとそれは左手の薬指だった。
存在を控えめに主張する指輪に注がれる視線に気づいたのか、藤堂がこちらを向いて軽く会釈をする。挨拶として交わされる日本人らしい控えめな仕草を真似てジェレミアもぎこちなく頭を軽く下げた。
「久しぶりだ。壮健でなにより」
「お互いにな。結婚したのか」
「ああ。その、2カ月前に婚姻届けを出したばかりなのだが、千葉凪沙という名前の部下と結婚したんだ。貴公も黒の騎士団の時に会った事があるだろう」
「……ああ、あの黄色いパイロットスーツを着ていた気の強そうな女性か」
千葉と聞いて黒の騎士団で幾度か顔を合わせたことのある女性の顔が浮かんだ。日本軍では珍しい女性士官でありながら気後れする様子の無い、黒髪の気の強そうな女性だったと記憶している。日本人らしく慎ましやかで清楚な容姿だったように思うが、同じ日本人でもカレンの方がよっぽど容色が優れている上に、会う度に疑惑と軽蔑を混ぜ合わせた眼で突き刺すように睨まれた記憶しか無いため良い印象は無い。
しかしあの女性が藤堂とと思うと確かに似合いの2人であるように思われた。ブリタニア人へ向けていた露骨な嫌悪は戦時中の軍人である事を鑑みると当然であり、むしろ色々な義務と責任を背負い込まされた藤堂を公私共に支える胆力が有るとも取れる。男性社会である日本軍の中であの若さで出世したのだからそれなりには有能なのだろう。
「おめでとう。式はもう挙げたのか」
「いや、時勢が時勢だ。仕事も忙しいから挙式は来年になる予定だ。招待客の殆どが仕事で忙殺されているから今挙式を強行したとしても誰も来る余裕があるまい」
「ラグナレクの接続の余波を日本もかなり被ったと聞いたが、そこまでか。無論最も忙しいのは統合幕僚長である貴公だろうが」
「政庁のシステムがようやく整ってきたから仕事量は徐々に減ってはきている……しかし多くの国民が集合無意識の中に残ってナナリー殿下と共に行ってしまった。戦争で心を病んでいる者が多かったせいだ。扇も……遺族も多い。後始末はまだまだ終わりそうにない」
顔を曇らせる藤堂を前に、ジェレミアはこの場に親衛隊一員であるヴィレッタが居ない事に安堵した。
ブリタニアから見ればヴィレッタは忠実に任務を果たしただけであるとは言え、扇が足を踏み外した切っ掛けの原因は美しく心優しい、扇を心から慕っていた千草であることは間違い無い。もし千草と出会うことが無ければ扇は頼りないながらも黒の騎士団の中間管理職の役を全うしていた可能性もある。
ほぼ全てが扇の自業自得とは言え、黒の騎士団員として仲間だった藤堂が皇帝親衛隊として立身を果たしているヴィレッタを目の当たりにするのは気分の良い事では無いだろう。
気を取り直すように藤堂はC.C.と黙って見つめ合うルルーシュへ視線を投げた。女性と性別が判明した今も皇帝服のデザインは変わらず、体格があまり出ない服装のままだが、少し伸びた髪と軽く施された化粧は懸命に女らしさを主張していた。雰囲気も男性らしい硬質な鋭さは幾分かなりを潜め、女性特有の艶やかさを纏わせ始めている。神楽耶、C.C.、カレンと楽し気に喋るルルーシュを男性と間違える人間はそうは多く無いだろう。
「貴公の方は色々と難しそうだな」
「全く」
同情の色の濃い藤堂の言葉に深々と頷いた。自分が指輪を買うのは何時になるのだろうか。
「そろそろ開幕のお時間ですし、名残惜しいですが私共は退室させて頂きますね。貴重なお時間を頂きありがとうございましたルルーシュ皇帝陛下」
「開幕の挨拶が終われば今度はこちらから伺います。また後程お会いしましょう」
「それとそこの脳筋馬鹿に宛てた婚姻の請願書は破り捨てて下さって構いません。むしろ破り捨てて下さいませ」
「い、いえ、その判断はスザクに任せますので」
ルルーシュに対して穏やかな微笑みを向けながら深々とお辞儀をした神楽耶は、皇帝の背後に隠れたスザクをじろりと睨みつけて「まあ、以前よりも大分マシな顔にはなりましたわね」と呟いた後に優雅な足取りで退室した。その後ろを、こちらは軍人らしくきびきびとした動作で頭を下げた藤堂が追う。
2人が去った部屋でルルーシュは背伸びをして時計を見た。開幕までそう時間は無い。窓の外では花火が未だに撃ち上がり空を飾っている。
「会場の方はどうなっている」
「滞りなく進んでおります。司会を務めるルーベン・アッシュフォード卿も会場に到着したと。シュナイゼル殿下も間もなくご到着なさるそうです」
「そうか。じゃあ私も行くとしよう」
立ち上がり、周囲をナイトオブラウンズに護られながら部屋を出る。C.C.も軽い足取りでその後について行った。
迷いない足取りで広々とした廊下の中心を歩む皇帝の左右と後ろを騎士が囲み、周囲をさらに皇帝親衛隊が取り囲んだ。自分一人を中心としてロールケーキのように周囲を囲む物々しい兵士達にもようやく慣れた。
ギアスで命じなくともブリタニア軍最高峰に位置する皇帝親衛隊の兵士は精鋭ばかりであり、皇帝のプライベートに口を挟む事も、外部に情報を漏洩する事も無い。そのためルルーシュは周囲から声が聞こえないよう過度に配慮する必要も無く、自身の左を護りながら歩くスザクへ顔を近づけて小さく耳打ちをした。
「悪いな、顔を合わせ辛かったから予備兵力に回ったんだろうに無理やり連れて来てしまって」
「お気になさらず。むしろ良い機会でした。今後皇殿に見える機会などそう多くは無かったでしょうから」
一応周囲からの視線と耳を気にしたのだろう、スザクの口調は敬語のまま崩れない。しかし声色はプライベートで話す時と同じように和やかだった。
「そうか……婚約は、」
「こちらからお断りしておきます。陛下はお気になさらないで下さい」
「そうも行かない。適当な理由を付けて私の方からキョウト六家に断りの返事を入れておくからお前にも一筆書いて貰うぞ」
あちらも本気では無かったのだろうが、一応は皇帝を通してナイトオブラウンズへ正式に申し込まれた婚約だ。断るにしても皇帝と皇家の面子を立てて断らなければならない。スザクがそのような立ち回りを出来るとは思えなかった。その事を自分でも自覚しているのだろう、スザクはルルーシュの傍で盾として歩きながら顔を俯かせた。
「承知致しました。お手を煩わせてしまい、」
「それは別に良い。ただ、お前はこのまま――――」
独身でいるのか、と聞こうと思い、しかし首を振って口を閉じた。スザクは頑固だ。愛する人が居るのに他の女性に目を向けることは出来ないだろう。
スザクの心の中で最も神聖な場所には不可侵の女神としてユーフェミアが君臨しているに違い無かった。手を繋いで、デートをして、キスをしただけの女性をスザクはこれから先一生崇め続けるのだろう。
それは不幸な事なのだろうか。ルルーシュには生涯分からない事だった。
式典会場は歓声に満ちていた。観客席より高い所に据えられ、ドーム全体を見回す事が可能なバルコニーの中心には繊細な彫刻を施された趣味の良い椅子が一つ置かれている。
バルコニーに出るなり色とりどりの肌と髪色の入り混じる観衆がコロッセウムのように広がっている様子が一望出来た。空には未だ鮮やかな花火が途切れることなく上がり続けている。その度に観客席からは歓声と拍手が上がっていた。
「陛下、こちらに」
「うん」
誘導されるがままに前へと進む。ルルーシュが日の下に姿を晒すと会場から爆発的な歓声が沸き上がった。
空に撃ちあがって雲まで散りそうな爆発的な歓声を前にルルーシュは微笑みを浮かべて軽く手を振る。その仕草で歓声はさらに高まり、オールハイル・ルルーシュという歓声とゼロの名を呼ぶ叫び声が混じってルルーシュを突き刺した。
優れた容姿と悲劇的な出生、ゼロとして弱者を救済した経歴、皇帝に座してからの平等な執政、ラグナレクの接続の余波で生じた多くの混乱への早期対応、それら全てが重なり現在ルルーシュ皇帝を支持する層は厚く広い。
今やルルーシュは世界で最も支持されている支配者と言えるだろう。
そして向けられている期待もまた膨大だ。
期待は容易に失望へと変換し得ることをルルーシュは理解していた。世界各国の国民は長い戦争で傷ついており、ようやく訪れた平和へ膨大な期待を寄せている。その期待は戦争の終末を齎したルルーシュの双肩へと圧し掛かっている。そしてその殆どが「きっと自分には想像もつかない凄い事をして、傷ついた自分に完璧な平和を齎してくれる」という無責任な期待の形をしていた。
その期待に応えられなかった時自分は悪し様に罵られ唾を吐かれるのだろう。民衆は愚かで勝手だ。だからロロが言っていたように優秀な指導者が要る。皇帝とは幾ら罵られ、唾を吐かれても不遜に笑って前を向けるような人間でなくてはならない。
悪逆皇帝を成し遂げたロロと同程度の精神力は備えているだろう自分は、未だ戦争の余波が残るこの時代における皇帝として最も適任に違いない。自分はきっと何が起こっても笑っていられる。ナナリーが居なくなった今でさえ笑っていられるのだから。
「陛下、シュナイゼル殿下がいらっしゃられました」
「分かった。スザク、迎えに」
「イエス、ユアマジェスティ」
そう言うと同時にスザクがシュナイゼルを迎えに行く。その後姿を見送ったカレンがそう言えば、とルルーシュに声をかけた。
「陛下、今回の式典が開催されている間、ナイトオブワン直属部隊の者を4名程皇帝親衛隊に加えさせて頂いております。私が退役した後はそのまま皇帝親衛隊として陛下にお仕えすることとなりますので、至らぬ点などございましたらお伝えくださいますよう」
「ああ、分かった。とは言えカレンの部下なのだからそう心配はしていないがな。見た目を裏切る訓練の苛烈さだと噂に聞くぞ」
「過分なお褒め言葉ありがとうございます」
「とはいえ、お前に似て敵に突撃しないかという点は非常に心配だが」
「いえ、部下は常に私を諫める立場の者が多かったのでその点は問題ございません」
「胸を張って言う事か」
談笑する皇帝とナイトオブワンの様子を微笑ましく見守りながら、カレンがとうとうナイトオブワンを辞めるのかと思いジェレミアは僅かな寂しさを心中に感じた。
自分とカレンの付き合いは長くない。さらに性別が異なる上に年齢も10近く離れている事もあり、頻繁にC.C.やシャーリーを交えて女子会なるものを開いているルルーシュとは違い、ジェレミアとカレンはプライベートでの付き合いは全くと言って良い程に無かった。
しかしナイトオブワンのサポートも業務に含まれていたジェレミアはナイトオブワンである紅月カレンに最も近い人物だった。戦闘のセンスこそ卓越していたものの他の面はごくごく一般的な少女であったカレンはナイトオブワンに就任した当初慣れない業務に日々目を回し、頻繁にジェレミアが手を貸した。
ルルーシュ並に素直さが欠落しているカレンは書類仕事で行き詰まると部下にヘルプを求める事も出来ずに止まってしまう。そして早々にカレンが困っている事に気付いたルルーシュは度々ジェレミアにカレンのヘルプに回るよう命令した。この1年間はそんな日々の繰り返しだった。
書類一枚碌に処理できないカレンの姿は正直頼り無かったが、しかし決して投げ出さず懸命に努力をし続ける少女の姿には素直に好感を抱いた。そのカレンが居なくなるとなれば今のナイトオブラウンズを形成している良い雰囲気は少なからず揺らぐ事になるだろう。
ナイトオブワンはナイトオブラウンズの顔であり、兵士の最上級にあるナイトオブラウンズの纏め役でもある。個性が強いナイトオブラウンズを纏めるとなれば単なる戦闘能力以外に強い牽引力や調整能力が必要になるが、カレン以外に誰がそんな役割をこなせるだろうか。
カレンからナイトオブワンを辞めるという話は聞いていたが、その後釜についてまでは聞いていなかったジェレミアは漠然と枢木スザクが任命されるのだろうと思っていた。
ルルーシュとスザク、両者を共に深く傷つけた長い間のすれ違いはCの世界でスザクが一度神になった事で解消され、今では親友の間柄に戻っていた。たまにスザクの眼にはルルーシュが男として映っているのではないかと訝しむような遠慮の無いやり取りも多いが、ともあれ仲が良いには違いない。思慮の浅さやメンタルの不安定さ等色々と不安要素はあるものの、皇帝からの信頼の篤さと今後の伸びしろを思えばスザクはナイトオブワンに相応しい人材であるように思えた。
それが面白い訳でも無いが、ナイトオブワンを選択するのは皇帝の権利であり同時に義務でもあり、自身が口を出すなど許される訳も無く、ジェレミアはそっとカレンとルルーシュの邪魔をしないために下がろうとした。
が、ああそうそうとついでのように言ってのけたルルーシュの言葉にジェレミアは全身を凍結させた。
「色々と決め事があるから1カ月後にはなるだろうが、次はお前がナイトオブワンになるんだからそれなりの褒美を考えておけよ、ジェレミア」
「………」
「ナイトオブワンにはエリア統治権が与えられるのが慣例だが、これからはエリアの解放を進める予定だからそうは行かないからな。代わりに何か他に望みが有れば可能な限り叶えてやろう。給料アップとかどうだ」
「………」
「給料は現状のままでいいのか?ならお前はあんまり宝飾品には興味は無いから、他に何か………土地、株、爵位、女は却下として………そうだ、ロイドに頼んでKMFのエンジンを積み込んだ車を造らせようか。そう言えばアッシュフォードにいた頃ドルイドを搭載した車をプレゼントしたな。ロイドならあれより良い物が造れるだろう」
「………」
「おーいジェレミア、おーい」
「………」
「返事が無い。ただの屍のようだな」
「いや生きてるわよ」
ルルーシュからかけられる言葉にもC.C.からの揶揄いにも反応する余裕も無く、ジェレミアは目を見開いてその場に直立不動となった。
目を瞬かせ白昼夢でも見ていたかのようにきょとんと幼い表情を晒している。もう三十路の見えるいい加減いい歳の男だというのに今この時は少年のようだった。
その表情にデジャヴを感じて首を傾げると、ジェレミアは進化寸前のポケモンのようにぶるぶると震え始めた。
「い、今、なんと?あ、厚かましくも、私がな、ナイトオブワンだと聞こえたような気が」
「そうだが」
キョトンとしたままのジェレミアに、そういえばカレンの後釜としてジェレミアを次のナイトオブワンに任命する事を知らせていなかったとルルーシュは今更ながらに気付いた。
しかしカレンから仕事の引継ぎについて相談されていたジェレミアはナイトオブワンの座が空くことを知っていた筈であり、誰かがその後任者にならなければならない事にも気づいていたに違いなかった。そして残ったナイトオブラウンズのメンバーを考えれば候補なんてこいつ一人しか居ない。自身が次のナイトオブワンに選定される事などとっくにジェレミアは気付いているとばかり思っていた。
だがその予想に反してジェレミアは滂沱の涙を両目から噴き出した。うわ、とドン引きするカレンとC.C.に内心で同意しながらも恋人兼上司としてルルーシュはよしよしと背中を撫でる。しかし呆れ交じりの視線を向ける事だけはどうにも我慢出来なかった。
「———る、るるーしゅさま」
「おい泣くな。なんで泣くんだ」
「わ、わだ、わたしのような者が、あなた様のナイトオブワンになれるとは思っても」
「いやそこは思っておけよ。他に誰が居るんだよ。お前以外にはメンタル日本製ガラス細工とチャラ男と幼女の20歳以下トリオしか居ないんだぞ。選択肢ほぼ一択だろうが」
「し、しかし、私は、近い内にお、王配になると思っていましたので、ナイトオブワンになるのは流石に無理かと諦めていたので、ま、まさか王配とナイトオブワンを兼任するという身に余る光栄を与えて頂けるとは、」
「おいこいつ謙虚な振りして全然謙虚じゃないぞ」
「むしろ当然のように皇帝と結婚するつもりでいるなんて臣下としてどうなのよ。傲慢過ぎるんじゃないの?」
「全くだ…………いや、しかしこいつを逃すとルルーシュは行き遅れまっしぐらな気もするからそう傲慢とも言えないか?」
「あー、いや、うん、それはあるかも……ルルーシュってモテるんだけどプライド高すぎ、性格ひねくれ過ぎであんまり彼氏と長続きしそうにないし」
「彼氏は居れども結婚はできず、仕事が出来るからこそ金にも困ることなく焦る気持ちも起こらず、いつかいつかと思いながらも仕事を優先した結果ずるずると独身を続けていつしか四十路に突入……有り得るな」
「おい止めろ。私はまだ18歳だぞ。花の女子大生と同じ年齢でどうして行き遅れの心配をされなきゃいけないんだ」
おーいおいと泣くジェレミアの肩を叩くとすんすんと鼻が鳴る。
そのまま数分が経ち、ようやく涙腺が落ち着きを取り戻してからジェレミアは「失礼しました」とやや赤みの残る目をぎゅっと閉じた。両足でしっかりと立つ様子を確認してからルルーシュはそっと離れる。
「落ち着いたか」
「はい。申し訳ございません、予想外の事で、私がナイトオブワンになど……非才の身には余る光栄、皇帝陛下のご期待には全力でお応えできるよう死力を尽くす所存でございます」
深々と頭を下げたジェレミアの頭頂部に渦巻くつむじを見ながら「ああうんしっかり励めよ」と返事をして、王配についてはどうするべきかなと頭を悩ませる。
制度やら周囲の視線やら面倒なことは多々ある。しかしもう少し我儘に頑張ろうかと思う。スザクを見ると微かに笑って頷いていた。そうだな。そうしよう。
皇帝なのだから多少の我儘は許されて然るべきではなかろうか。そうでないと言うのなら、戦いを挑んでくると良い。叩き潰してやろう。その位の心構えで居ればよい。自分が道を踏み外してもカレンとスザク、そしてジェレミアは頬を殴ってくれるだろう。ならばそれは自分が心配するべき事では無いのだ。
「陛下、シュナイゼル殿下が御到着なさいました」
「そうか。通せ」
「イエス、ユアマジェスティ」
スザクに先導されてシャーリーとカノンを引き連れたシュナイゼルが姿を現した。
金色の髪を靡かせて澄んだ瞳を瞬かせている。車いすの車輪を自分で押してシュナイゼルはルルーシュの元へと近寄った。白い礼服の胸元を繊細な細工が施されたナイトオブゼロの騎士章が飾っている。
「ルルーシュ、お待たせ」
「お待ちしておりましたシュナイゼル殿下。どうぞこちらへ」
皇帝の椅子に最も近い場所へとシュナイゼルを呼ぶ。空に撃ちあがる花火にうわぁ、と感嘆の声を上げながらシュナイゼルは皇帝の玉座の隣に車いすを並べた。
「凄い広いね、花火も沢山で綺麗。空が花火でいっぱいだ」
「花火はニーナが作ったものなんですよ。ここは国内でも最大級の施設で、今回の式典は多くの国から注目されているから参加者も多いんです。皇宮からいらして頂いてお疲れではありませんか、兄上」
「大丈夫。カノンとシャーリーも一緒に来てくれたからね」
シュナイゼル付きの秘書官であるカノンとメイドであるシャーリーは揃ってシュナイゼルの後ろに立った。目の前に広がる人の波にシャーリーは目を回しながらも、どこかでこの光景をリポートしているだろうミレイを探すために目をきょろきょろと走らせた。
「開会式の後は色々とイベントがある予定ですから、兄上も楽しめると思いますよ。お疲れになったらすぐに教えてくださいね」
「うん……ねえ、僕ってここに座っていていいの?」
「それはどういう意味で?」
シュナイゼルはルルーシュの顔を覗き見ながら玉座の位置から車いすの場所をほんの少し下げた。
「ルルーシュは皇帝だから、ルルーシュのお兄ちゃんだとしても僕は下がっているべきなんじゃないの?」
「………兄上は良いんですよ」
シュナイゼルの言は尤もだった。皇帝の兄であり、血統的にはルルーシュより余程皇帝に相応しいシュナイゼルの立場は非常に難しい。ナイトオブゼロの称号を与えはしたが、ここでシュナイゼルを特別扱いして自身と立場を並べるような事はしない方が良いのは明らかだった。下手をすれば無用な諍いを生みかねない。
しかし、シュナゼルは皇位継承権第一位の座にある身分でもあった。そしてルルーシュ自身がシュナイゼルは自分よりも皇帝の御座に相応しいと自覚していた。今はまだ精神が幼いが、いずれ成長したシュナイゼルにこの座を明け渡す日が来るかもしれない。
何よりもナナリーとユーフェミアの姿が純真なシュナイゼルの背後に浮いて見えるような気がしたのだ。あの2人と同じ美しい血がシュナイゼルの中に流れている。そのシュナイゼルを自分よりも後ろに下がらせる事が正しい事なのかルルーシュには分からなかった。
「兄上は私の次に皇帝になるかもしれない方なのですから、私の後ろに下がることなんてありません」
「どうしてルルーシュがずっと皇帝で居るのは駄目なの?」
「私は……私はとても酷い失敗をしてしまったんです。そんな私より、兄上の方が皇帝に相応しい御方ですから。兄上なら私のような失敗はしないでしょう。だからいずれ兄上がご成長為された時に兄上が望めば、」
「失敗する事って悪いことなの?」
シュナイゼルの眼は残酷なまでに美しく、大気圏の最外層の色に輝いていた。純真な子供に勝てる者などこの世界には存在しないのだと突きつけられたような気がした。どう返事をしてよいのか分からずルルーシュは言葉を詰まらせた。
言葉を失ったルルーシュにシュナイゼルはええとね、と拙い言葉遣いで言を重ねた。
「この前ね、シャーリーに紅茶の淹れ方を教えて貰ったんだけど失敗して、すっごく苦くなったんだ。でも次に失敗しないよう注意したら美味しい紅茶が淹れられたんだよ。失敗したから注意しようと思えたのに、失敗するって悪いことなの?」
「それは……しかし取り返せない失敗もあるのですよ、兄上。私は許されない事をしたのです」
「誰が許してくれないの?」
「誰が――――」
誰だろう。
自分が背負った罪は確かに背中の上に圧し掛かかっている。その罪の形もちゃんと理解している。
だが誰がその罪を乗せたのだろうか。絞り出すようなルルーシュの声にシュナイゼルは首を傾げた。淡色の唇から零れたのは窒息しかけた鳥のような声だった。
「全てです。私が殺した人々、生き残った人々、楽園に去って行った人々。きっと、誰もが私を、」
「………陛下、開会宣言のお時間です」
スザクの声にはっと前を見ると、空を飾り続けていた花火が打ち止んだ。会場は徐々に静まり、ルーベンの観客へ注意を促す事務的な声が辺りに響いている。
誰が私を許さないでいてくれるのだろう。
立ち去る前にナナリーが見せてくれた自分の人生は、多くの人々を殺し、沢山の血を流す酷い者だった。きっと許される事など無いと分かっていた。自分は罪に塗れている。
「じゃあルルーシュ、僕はちょっと下がってるからね」
「あ、兄上」
シュナイゼルはルルーシュが止める間もなく玉座のほんの後ろに下がった。目の前には多くの人種が混ぜ合わさった人の海が広がっている。彼らの視線は皆ルルーシュに向いていた。
悪意のある視線も当然向けられているだろう。しかし好意や敬意の混じる視線の方が多い。その両方の視線は、むしろ後者の方がより深く自分を傷つける可能性のあるものだと知っていた。
自分へと向く幾多もの視線を弾き返すように前を向いたまま、思わずルルーシュは友人である騎士へと言葉を向けた。同じく罪を厚く重ねた彼ならば答えを知っているような気がした。
「スザク」
「何でしょう陛下」
「――――私は許されるのだろうか」
許されたいと思ったことは無い。むしろ許されるべきではないと思う。ひじ掛けに置いた拳を白くなるまで握りしめる。
スザクは一瞬きょとんと眼を見開いたが、直ぐに微笑んで目を細めた。傷ついた子供を見るように優しい表情をしていた。
「ううん。そんな日は来ないよ。僕も君も、絶対に許される事なんて無い。僕達は死ぬまで罪を背負って生きて行かなきゃいけない」
「―――そうか、そうだよな」
優し気な口調で言われてルルーシュも深く頷いた。沢山の人を殺した。その事実がある限りルルーシュの罪科が消えることは無いだろう。死者が蘇ることは無く、過去を変える事も出来る筈が無いのだから。
スザクは目尻を緩めてでも、と言葉を続けた。
「でも僕はもうとっくに許したよ。ユーフェミアも、ナナリーも。他にも沢山の人がもう君を許したよ」
開会を宣言するルーベンの声と共に歓声が上がる。歓声に紛れたスザクの声はルルーシュの耳を突いた。
「君を一番許さないでいるのは君だ。僕も僕を許さないでいるから、どうか君もそのままで居て」
『それでは開幕に続き、神聖ブリタニア帝国99代目皇帝、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア陛下よりお言葉を頂戴致します』
カメラが自分に向けられているのが分かった。反射的に立ち上がり前を見据える。しかしスザクの声は耳の中で反響していた。
自分を一番許さないでいるのは自分だ。
そうなのかもしれない。あのルルーシュの贖罪は死であり、一時の平和として世界を覆った。自分の贖罪の形は今、人類の海として眼下に広がっている。
自分が自分を許す日はきっと来ないだろう。そうであって欲しい。自分だけは、自分を許してはいけない。スザクやロロのように、人類全てを引き連れて行ってしまったナナリーのように、自分だけは自分の罪の大きさと形を忘れてはいけない。
ルルーシュの声はマイクを通して会場中に高らかに響き渡った。心臓を射抜くような鋭い声でありながら、どこか優しさを滲ませた声は世界中の人々の鼓膜を強く鳴り響かせた。
「諸君、楽園を否定した我が共犯者諸君。今日この場に集まってくれたことを嬉しく思う。多くの国から多くの人種が集まったこの光景は正しくこの会を象徴するものである。この日を迎えられた事は私にとって何よりの僥倖である。まずはこの場に集まってくれた人々に、そしてカメラの向こうでこの光景を見てくれている人々に私から礼を言わせて欲しい。
今日この日を迎えることが出来たのは貴方方のおかげである。前皇帝シャルル、その妃であったマリアンヌ、そして我が妹ナナリーが作り上げた楽園を否定し、この世界に戻り、そしてこの半年を生きてくれた貴方方が居たからこそ、今日この日を迎えることができた。神聖ブリタニア帝国皇帝として深く礼を言わせて頂く。ありがとう」
歓声が上がる。Cの世界での出来事を覚えている者は少ない。しかし完全に記憶を失った者もまた少なかった。
奇妙な世界で多くの生物と一体化した快楽は現実世界に戻ったからと言って忘れるにはあまりに強烈過ぎるものだった。奇妙な経験は世界中全ての人々の中に根付きぼんやりとした一体感を残した。
それは非常に曖昧な感覚だったが、長い戦争を中断させ、一時の平和を齎すには十分なものだった。いずれは殆どの者が集合無意識であった事を忘れるだろうが、今この時において世界中全ての人々が誰もを他人と言い切ることは出来ないような不思議な親密さを有していた。
歓声が治まるまでルルーシュは微笑み、カメラに向かって手を振った。何時になく晴れ晴れとした気分だった。視界がよく澄んでいた。空が高く、広い。
会場が割れんばかりの声が止み、ルルーシュは再度声を張り上げる。
「諸君、楽園に後ろ足で砂をかけた我が共犯者諸君。我々は戦い、そしてこの世界に残ることを望んだ。あの何もかもを与えられる楽園を否定し、自らの力で戦わざるを得ないこの世界に残ったのだ。それは勇気ある選択だ。
私はここに保証しよう、君たちは間違ってなどいない。自らの力で勝ち取ったものでなければ手元には残らない。平和も、安寧も、与えられるものでは無い。勝ち取るものだ。
人々よ、私達は家畜ではない。与えられるがままに生きてはならない。与えられる事だけが人間の役割ではない。自分の頭で考え、自分の敵は自分で見定めるのだ。それが自らの意志を持つという事だ。敵は人種でも性別でも立場でも決まるものでは無い。自由を阻害する者達、食事を取り上げる者達、家から追い出す者達、見下し、指図し、奴隷のように扱う者達。そしてそういった制度。それが敵だ。奴隷を作るために戦ってはならない。自由のために戦うのだ!」
拳を振り上げる。ルルーシュの声は会場全てに響き、電子の波に乗って世界中に響き渡った。
その演説に涙を浮かべる者もいれば、欠伸交じりに聞く者もいた。綺麗事をと舌打ちする者もいた。だが誰もがその声に程度の差こそあれ耳を傾けずにはいられなかった。声に熱が籠る。
ルルーシュの声には強制的に人々を振り返らせる力があった。ギアスではない力が今のルルーシュの内には溢れんばかりに満ちているのだった。ルルーシュの強靭な意志がその声を通して人の内を揺さぶっていた。
「諸君、永寧の楽園を爆破した我が共犯者諸君!我々は未だ平和とは言い難い状況にある。未だ人種や身分といったものに囚われて人を見下す者がいる。理不尽な理由で他者の物を奪う者がいる。飢えて死ぬ子供達がいる。
だが諸君らよ、それは絶望するには値しない。私達に覆いかぶさる不幸は、単に過ぎ去る貪欲であり、人類の進歩を、明日を恐れる者達の憎悪なのだ。憎しみも、悲哀も、いずれは消え去るものだ。人々から奪い取られた権力は人々の物に返されるだろう。決して人間が永遠に生きないように、決して自由と平等が滅びることも無い!今日この日はその象徴となる!!
私はここに、国際連合の設立を宣言する!国際連合は国際平和と安全の維持、経済、社会、文化等に関する国際協調の実現を目的とし、決して平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為を許さない!!国際連合はいかなる国の政府からの指示も受けず、各国には1票の表決権が与えられ、多数決によってその活動を決定する!!」
その声と共に何百人という各国の代表が立ち上がり歓声と共に拍手の音が鳴り響いた。その拍手にはルルーシュの言葉への強い同意が込められていた。神楽耶もその中に交じり、小さな手が赤く染まる程に打ち鳴らした。
神楽耶も、今日この日から完璧な平和が訪れるなどとは思っていない。国際連合はまだ生まれたばかりの幼い組織だ。問題も多く起こるだろう。
しかし人類は今日確実に前へと進んだのだと確信できる。それが嬉しかった。その歩み以上に価値あるものは無い。隣に座る天子も神楽耶と並び何度も何度も拍手を送る。
拍手に負けない、鐘が打ち鳴らされるような高らかな声でルルーシュは言葉を続けた。
「諸君、今日この日を迎えた我が共犯者諸君。私はここに宣言しよう、あの楽園を否定した我々は微塵も間違っていなかった!
あの楽園は爆破され、否定され、価値無き物として見捨てられるに相応しい惨めなものだった。我が両親があの楽園を善なる物だと考えようとも、我が妹がたとえあの楽園を肯定しようとも、1億人の人々が我が妹に付き従いあの楽園へ随行しようとも、私はここに宣言しよう、あの楽園は我々が目指すべきものでは無かった!
我々が目指す世界は今目の前に広がっており、我々は今日この日にその世界へ一歩を踏み出したのだ!
諸君、この地に生きることを選択した我が共犯者諸君!我が国民、我が同胞、我が戦友諸君!!
私はここに宣言しよう、この地にも楽園は築けると。前に進み続ければ、明日を迎え続ければ、その日は必ず訪れると。そのために我々は戦う、私は戦おう!
そうして戦い続ける限り、長く続いた戦争の犠牲者の死は決して無駄にはならず、誰も忘れる事は無い。この先に私は疲れて倒れ伏す事もあるだろう、心が挫ける事もあるだろう。しかし私は仲間に支えられ、友人に励まされ、私と戦う多くの人々の姿を見て自らを奮い立たせ、私は戦い続けよう!!
だが私一人が戦い続けてもそれは何の意味も無い事だ。私一人が何をしても、この世界を楽園に変えることは決して叶わない。だからこそ諸君らにも、私と共に戦ってくれることを切に望む。あの楽園を否定した時のように、どうか平和を脅かすものを、不平等を、理不尽を否定して欲しい!どうか戦ってほしい!!
諸君らにはその力があると私は確信している!!
そして諸君らのような人々を我が共犯者と出来たことを、私はいつまでも、いつまでも誇りに思っている!!」
ルルーシュが口を閉じ、振り上げた拳をゆっくりと下げると広いドームには更なる歓声が沸き上がった。
カメラの向こうでも同様の光景が広がっているだろう。人種の違う者が立ち上がって肩を組み、目に涙を浮かべている。幼い子供を肩に乗せて笑う親子がいる。各国の旗が同じ高さに並んで風にはためいている。耳に痛い程の拍手が何時までも鳴り響いている。
今見ている光景を、ルルーシュはまるで物語の最終幕のようだと思った。
世界は救われ、皆が笑顔で拍手をしている。人種も性別も年齢も関係なく誰もが大声で歓声を上げている。
もしこれが物語であるのならば、最後の一文はこうだろう。
そうしてみんな、優しい世界でずっと幸せに暮らしました。
だがそう終わる物語は絶対に嘘だ。
何故ならば、大団円などありえないからだ。ここで終わりとエンドロールが流れることもありえない。
物語が終わっても人生は続く。そしてすぐにまた何かが起こる。人生はいつだって人を弄び、嘲笑い、甘やかし、打ちのめし、さらなる悲劇や喜劇を与え、決して放っておいてはくれない。
そしていずれ人生は終わり、他の誰かに受け継がれる。受け継がれた誰かも人生に翻弄され、いずれは人生を終え、また誰かへと続いて行く。
この世界に生きる全ての人々は、数え切れないほど多くの人生を受け継いでいる。
そろそろ皆気づくべきだ。死んでも終わりなどではないこと。人生。つまりは情念、妄執、執着。罪と道徳。愛。意識。それらは死んでも続いて行くものだ。ロロのように。マリアンヌのように。シャルルのように。ユフィのように。ナナリーのように。
人生は続く。明日はやって来る。どれだけ絶望的なものであったとしても。たとえ死んでも。必ず。そうして生きてゆく。いつか全てが終わる日まで。
自分達は彼らの人生を引き継ぎ、この理不尽な世界で生きることに決めた。
誰かを愛して、愛されて生きる。嘘を吐いて、裏切り、裏切られ。傷つけ、傷つけられ。恨み、恨まれ。それでも生きる。明日のために。自分の人生を全うし、誰かに引き継ぐために。
自分だけではない。楽園爆破の犯人たち、その全員がそう決めたのだ。その理由はもう誰もが知っている。
何故ならば楽園を捨て去ってしまう程に、人生、そして世界は美しい。
隣に立っているジェレミアの手をそっと握る。握り返して欲しいと願う。
上から温かい視線が落ちる。そうして何も言わず大きな手に強く握り返される。そこに愛を感じる。カレンがそっと肩を支えて、スザクの手が背中を撫でて、C.C.が微笑みを浮かべる。シュナイゼルが拍手をして、シャーリーが涙を浮かべている。神楽耶が笑顔で手を振り、藤堂が満足げに頷いている。
黒の騎士団、日本人、ブリタニア人、中華連邦、E.U.、顔も知らぬ多くの人たち。歓声が鳴っている。泣きそうだ。胸が張り裂けそうになる。
無くしてしまったもの、手に入れたもの、変わらなかったもの。その全てに意味があったのだと、今ならそう信じられる。だから明日も生きていたい。そう思う。心から。
そう思う程に今のこの瞬間、世界は驚くほどに美しい。たとえ次の一瞬で消え失せる刹那の瞬きだったとしても、これ以上に価値のあるものは無い。
いつの日か全ては終わるだろう。
しかしそうだとしても、この瞬間の世界の美しさに比べれば、永遠の楽園なんて。
神聖ブリタニア帝国は99代目皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを最後の皇帝とし、民主政治へと移行する事となる。長年に渡って続いた世界大戦はルルーシュ皇帝の下、艶やかな花火が消えるように生ぬるい余韻を残して世界から姿を消した。
戦争に伴う憎悪や哀惜はその後も長い尾を引いたが、若き指導者の台頭は人類の眼を無理やりに明日へと向けさせた。
その後、長く平和の時代が続くことになる。
だが永遠なる平和などありはしない。
ルルーシュの存命中も、死後も、そして民主政治へ移行した後も、人類は飽くことなく諍いを続けた。諍いは容易に暴力を呼び覚まし、そして時たまに戦争へと発展した。
戦争が起こる度に人類は平和の貴さを確認し、声高に人命の尊さを訴え、そして平和な時代を迎え、いずれ平和に飽いた。そしてまた戦争が呼び起こされ、平和を望む。
人類は歴史に学ぶことができる程度に賢いが、学んだからと言って覚えていられる程に賢くは無かった。
人類が戦争という隣人と袂を分かつ日が来るのだろうか。いずれにせよ、この世界は楽園となる機会を永久に逃したことは確かであるようだった。ナナリーがこの世界に還ることは二度となかった。
しかしそれは不幸と言える事なのだろうか?
而して楽園は落日し、人類は荒野へと向かう。
確かな足取りとともに。
楽園爆破の犯人たちへ 劇終
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