合衆国日本承認の式典は、拍子抜けするほどあっさりと終了した。
全世界に放映されながら、シュナイゼルの優雅な指先は書類へのサインを終えた。そのままゼロへとその紙を差し出した。
受け取ったゼロは書類の内容を淡々と読み上げた。
皇帝に政治の全権が委任されているブリタニア宰相シュナイゼル・エル・ブリタニアの名において、合衆国日本の存在が神聖ブリタニア帝国に承認されたことが全人類へと通達される。
神聖ブリタニア帝国にとっては寝耳に水のことであり、本国ではシュナイゼル以外の皇族が発狂寸前まで混乱していたが、当のシュナイゼルはにこにこと柔らかな笑みを浮かべてメディアに向けてその美貌を晒している。
まさか、本当にこいつの性根は穏やかな青年のような容姿と同じ純粋なものなのだろうか。
ぞっとしない想像にルルーシュは仮面の下で鳥肌を立てた。
仮面の下で若干の怯えも混ざった表情を浮かばせながら、しかし毅然とした動作でゼロはシュナイゼルに手を差し出した。躊躇なくシュナイゼルはその手を取る。
「ゼロ、色々とあったけれど、これから先私は是非友好的な関係を日本と築いていきたいと思っている。これがその第一歩になれば私は嬉しい」
「…………はい、私もそう思います。神聖ブリタニア帝国が剣でなく言葉で交渉を望むというのならば、合衆国日本は神聖ブリタニア帝国の良き友となれるでしょう」
人好きのする笑みを浮かべたシュナイゼルは、ゼロの言葉に顔を明るくして、「そうなることを、私は心から望んでいるよ」と呟いた。
ルルーシュは鳥肌を抑える我慢の限界に達し、失礼に見えない最低限度の速度で手を離した。
式典の後、シュナイゼルは宛がわれたホテルの一室でソファに身を沈めていた。
最高級の一室はホテル一階分の敷地面積とほぼ同等の広さを誇っており、復興の最中にある日本を一望することができる。大小さまざまな灯が飾るトウキョウの夜景は幻想的で見ごたえがあった。
だがその部屋にいる面々は夜景を見下ろすこともなく、部屋の中心で対面するシュナイゼルとルルーシュに視線を注いでいる。嘆息を禁じ得ない美貌の兄妹が向かい合っている光景は、華麗な絵画の一幅を思わせた。
部屋にはシュナイゼルと仮面を脱いだルルーシュの他、C.C.、カレン、ジェレミア、カノン、そしてロイドがいる。シュナイゼルがルルーシュを自室に呼び、その警護としてジェレミアとカレンが同行し、ギアスに関する話だろうと予測を付けたルルーシュがC.C.も呼び寄せたのだった。
シュナイゼルの前にはルルーシュが深々とソファに腰かけており、その左右にカレンとジェレミアが護衛のため立っている。ルルーシュは足を組み、困ったような、しかし日向のように無邪気な微笑みを浮かべる兄を精一杯見下ろそうと背中を反らしていた。
「兄上、あなたはどうしたんですか。人非人の冷血漢はどこに行ったんですか。変なものでも食べたのですか。頭のネジが100本程緩んでいるのではないですか。ロイドに一度メンテナンスして貰った方が良いのではないのですか」
「ルルーシュ殿下ぁ、僕にもコレを直すのは至難の業だよ。改造しろって言うなら話は別だけどさあ」
「止めてくれロイド。君が言うと洒落にならない」
「大丈夫ですシュナイゼル殿下。改造は長いようで意外とあっという間に終わりますから。多少理性と記憶は吹き飛びますが運が良ければ戻ります」
「君が言っても洒落にならないから止めてくれ……ところでジェレミア卿。左半身が機械化したと聞いたけれど、ロケットパンチとかできるのかい?」
「できません」
「じゃあ目からレーザーが出たりとかは?ジャパンアニメではレーザーとロケットパンチはサイボーグの定番なんだろう?」
「出ません。さらに言うなら自爆機能もありませんからね。ギアスキャンセラー以外に変な機能は付随していませんから。多分」
「多分?」
「私もまだ自分の体がどうなっているのか完璧には分かっておりませんので。確認されているのはKGFへの神経伝位接続システムと、赤外線センサー程度です」
「兄上、ジェレミアをそんなにキラキラした眼で見ないでください。気持ち悪い」
不快さを前面に押し出した菫色の瞳がシュナイゼルに突き刺さる。
シュナイゼルはわたわたと両手を振りながら額に汗をかいた。
「ち、違うよルルーシュ。別にジェレミア卿をどうこうしようとかじゃなくて、サイボーグを実際に見たのが初めてだから、つい好奇心が……」
「あげませんよ」
ルルーシュはジェレミアの服の袖を引っ張って身を寄せた。
妙なところで独占欲が強いお人だと、ジェレミアはつい緩みそうになる唇を無理やり真一文字に引き結んだ。
「いや、本当に……何が目的なんですか。合衆国日本の承認をするあなたの利益は無いに等しい。ブリタニア本国ではあなたを宰相としての座から引きずり落とす算段でもされているでしょうよ。今やあなたは自国の領土を切り落とした売国奴なのですから」
じとりとねめつけるような瞳で睨まれたシュナイゼルは頬を引き攣らせた。
自分の過去の所業は記憶に残っているものの、ここまで実妹に嫌われているとは思わなかった。いや、嫌われているというより、人間性を疑われていると言った方が近いのだろうが。
「……私は戦争を終わらせたいんだよ。そしてギアス嚮団を壊滅させて、ブリタニアの悪しき流れを断ち切りたいんだ。裏表なく、本当に私はそう願っているだけなんだよ」
「あなたの言葉を額面通りに信じられるほど俺が馬鹿だと思いますか?」
「私の言葉が信じられないのなら、君が私にかけたギアスを信じて貰えないかな」
「俺があなたにかけたギアスは、感情を取り戻せ、です。元々のあなたの性格がそれだなんて、信憑性が無いにも程がある」
「………私の人間性って、そこまで信頼度が低かったかな」
地面に沈むようなシュナイゼルの言葉に、その場にいた面々は即座に頷いた。
「ああ」
「はい」
「ええ」
「そうですね~」
「………申し訳ございません殿下」
一人カノンだけが黙って首を横に振った。
ソファに寝そべっていたC.C.がおい、と声をかける。
「いつまで下らんことを話しているんだ。そこの白いキラキラ野郎はルルーシュに何か話があるんじゃないのか?」
「白いキラキラ野郎……」
「まあ、間違ってはいませんわよね」
ギリシャ彫刻にも似た美貌を誇るシュナイゼルは確かに、周囲に光が舞っていうかのような輝かしい美貌を誇っている。感情を取り戻し、表情豊かになった後はさらに人間らしい温かみも加わり、どこか神聖な存在感さえ放っていた。
シュナイゼルは自身の人間性を罵倒された悲しみからその美しい顔をしょんもりと俯かせて、端末を起動させた。ディスプレイが壁に表示される。画面は世界地図を映していた。
「……ユフィが中国で見つかってから、ギアス嚮団の跡地に残っていた情報を解析してみたんだ。どうやら嚮団は世界中の遺跡を調査、発掘しているらしいね。そして確認されているだけでも全世界に13か所以上の遺跡が見つかっている」
「何を調査しているんだ?」
「分からない。ただ各遺跡には扉の形状をした石板があって、それを特に調査しているらしい。見かけ上はただの石板なんだが、ギアス保持者やコード保持者が向かうと何か反応があるかもしれない、と思うんだが……」
シュナイゼルはちらとルルーシュとC.C.を見やり、ルルーシュは得心して頷いた。
「分かった。俺のギアスを使ってみよう」
ギアス、と聞いてカレンがぱちりと目を開いてルルーシュを見た。
この場でギアスについて知識が無いのはカレンだけだ。ロイドとカノンは何も反応していないところから、シュナイゼルが話をしたのだろう。
好奇心で目を閃かせたカレンに、ルルーシュは息を吐いた。
ここまで首をつっこんだ以上、カレンには知る権利がある。だがこれはブリタニアの問題であり、黒の騎士団であるカレンが関わったとしても彼女にとって不利益にしか成り得ない。
無論その程度の理由でカレンが引き下がるとはルルーシュも思ってはいないのだが。
「カレン、ギアスについて知りたいか?」
「……ええ。あなたは知る必要は無いって言うでしょうけど」
「ああ、そうだ。ギアスに関する問題はブリタニア皇族の問題だ。ゼロの問題ではない。ゼロの親衛隊隊長である君にとっては不要な、むしろ知らない方が良い情報だろう。知れば今後、ブリタニアの問題に巻き込まれる可能性さえある」
「―――そうね。でも、ルルーシュは私の友達だもの」
カレンは腕を組んで真っすぐにルルーシュを見据えた。
悪戯めいた表情でカレンはにやりと笑った。
「ルルーシュが巻き込まれてるっていうのなら、アッシュフォード学園生徒会代表としてカレン・シュタットフェルトも一緒に巻き込まれてあげるわ。あたし、あなたの力になれると思うのだけど。人手はいくらあっても困らないでしょ?」
「―――馬鹿だな、カレンは」
こう答えると知っていて、カレンを護衛として連れてきたのだから自分も相当だが。自嘲の笑みが零れる。自分の騎士はジェレミアだが、ゼロの騎士はカレンであり、そして貴重な友人だった。
できればカレンには、これから先も傍にいて欲しかったのだ。友人として。
カレンは胸を張り堂々と言い放った。
「アッシュフォード生徒会はパワフル・ダイナミック・エネルギッシュがモットーの、走り出したら止まらない暴走車を目指しているの!馬鹿なんて承知の上。ここで引き下がるなんて女が廃る!って、ミレイ会長なら言うでしょ?」
「分かった」
ジェレミア、と声をかける。
はい、という返事と同時にジェレミアの左目から青い光が一瞬点滅した。
シュナイゼルは思わず体をのけぞらせて、その光から離れようと身を捩った。ジェレミアもカレン以外がギアスキャンセラーの範囲内に入らないよう注意はしていたが、水底に陽光が反射するような鮮烈な光はキャンセラーの範囲外の者にもはっきりと見えた。
カレンは一瞬瞳を赤くして、呆けた。その後ぷるぷると頭を振る。
「……あれ?ええと、今のは……あたしが初めてルルーシュと会った時の、」
「そうだ。あの時俺はカレンにギアスをかけた。俺の質問に答えろ、とな」
「―――うん。それであたしはルルーシュの質問に……へえ、便利ね」
背筋に寒気を走らせながらカレンはなんともなさそうな顔を取り繕った。だが額に滲む冷汗だけは隠しようも無かった。
これがギアスか。自由意思をいとも簡単に奪い、支配下に置き、記憶さえ消失させる。
もしこの力を持っているのがルルーシュでなければ、どんな悪用がなされるのか想像するだけで恐ろしい。ブリタニアという大国が現在進行形でギアスの研究しており、ギアスの所持者はまだ複数人いるだろうという予測も恐怖を助長させた。
「それで、今その、ギアスが消えたのは」
「ジェレミアの力だ。ギアス嚮団に連れ去られて改造されて……副産物のようなものさ」
「私には使わないよう気を付けて欲しいね」
シュナイゼルが真剣みを帯びた瞳でジェレミアの閉ざされた左目を見やった。
ルルーシュは、ギアスキャンセラーを使えば元の胡散臭い似非貴公子に戻るのだと思うと、この薄気味悪い純朴な青年にキャンセラーを使ってしまいたい衝動に駆られたが、合衆国日本承認の調印を無効にされないためにも耐えた。
カレンは突如記憶が戻った衝撃が過ぎ去り、今度は興味深そうにルルーシュを見やる。
「それで、このギアスの能力を人にあげることができるのがコードな訳よね?」
「そうだ。そしてコードの保持者は不老不死でもある。ギアスとコードを研究しているのがギアス嚮団であり、ブリタニア皇族はギアス嚮団のモルモットだ……俺もユフィも、そこにいるシュナイゼルもな」
「失敗作だったけどね」
ひらひらと手を振るシュナイゼルは苦笑を浮かべていた。
カレンは以前の、日本との開戦の鯉口を切った頃のシュナイゼルがギアスを手に入れた場合を想像をして全身を強張らせた。
なんて恐ろしい仮定だろうか。日本は独立を果たすどころか、完全に滅亡していたかもしれなかったのだ。
「す、すぐにコードとかいうものを壊さないと危ないんじゃないの?そんなのがぽんぽんそこら中にあったら」
「ギアスが発現するのはごく僅かの限られた人間だけだ……とはいえ、その数はゼロではない。そう頻繁にギアスを渡すのは控えて欲しいものだな」
ちらとC.C.を見ると、にやりと嗤ってひらひらと手を振った。
あ、とカレンは口に手を当てた。
不老不死の女。ブラックリベリオンでC.C.がジェレミアに銃撃を受けた光景をカレンは遠目から見ていた。
「C.C.、あんたがコードを持ってるのね」
「ほう、気づいたか」
「脳みそぶちまけられて生きてるんだから、人間じゃないとは思ってたけど……」
カレンは目を細めて、嗤うC.C.を見下ろした。
敵意は込められていないが明らかな不快感が瞳に浮かんでいる。
ルルーシュは「カレン」と、やや強い口調で呼びかけた。
「今、そいつはギアス嚮団と関わりは無い。そいつは確かに俺にギアスを渡したが、同意あってのことだ。」
「……そう、ならいいけど」
不信感の籠った青い瞳がC.C.を差す。
C.C.は視線を軽くいなして鼻で笑った。二人の美少女を見ながら、役者が違うとルルーシュは一人頷いた。外見はあれだが、齢500を超えるC.C.にカレンが敵う筈もない。
かっ、と頬を紅潮させたカレンの背中を諫めるように叩く。
「ギアス嚮団の嚮主がコードを持っているらしい。研究の主導者も、ユフィを殺したのもそいつだ」
「我々の父上も研究には関わっているようだけれど、主導者はその男だ。ちなみに我々の伯父上殿らしいけれどね……ふふ、全くもってブリタニア皇族という血筋は狂っている。ユフィやナナリーが我々の血筋から生まれたことは奇跡だったんだろうね」
「殿下、」
「事実だよ。血が濃くなり過ぎたのさ。滅ぶ時期が来たんだ。永遠に国が続くなんて考える方が愚かしい」
ゆったりとソファにもたれ掛かり、シュナイゼルは口元に皮肉気な笑みを浮かべた。シュナイゼルの刹那的な、見ようによっては破滅的な思考は生来のものであるようだった。
ルルーシュはそれで、と話を繋げた。
「話を戻そう。遺跡を調査して手がかりを見つける方法しか無いというのは、あまりに短絡的だ。ギアス嚮団本部の居場所を探す手がかりは無いのか」
「コーネリアが単独で探しているけれど、まだ報告を聞かないからね。ギアス嚮団は用心深い。そうそう簡単に尻尾を出してはくれないようだ。V.V.……伯父上を見つけることさえできれば、ギアス嚮団の凶行も止められるのだが」
「監禁するにしても、四肢を切り落としてコンクリートに埋めて永久凍土に葬るにしても、まずは見つけなければ話にならんからな」
吐き捨てるように呟いたルルーシュにシュナイゼルは頬を引き攣らせた。
言葉だけでなく、ルルーシュならば本当にV.V.を永久凍土に投げ捨てるくらいのことはするだろう。ジェレミアが殺されかけて、ユーフェミアが惨殺されたのだ。明確に敵であるV.V.を葬り去ることをルルーシュが躊躇する訳が無い。
「いや、そこまでしなくとも、今コード保持者を殺害する方法を探っているところだから」
「何だと?」
C.C.がソファから跳ね上がった。目を見開いてシュナイゼルを見やる。
常に余裕の色を浮かべている琥珀色の瞳が興奮で瞬いている。
「何か見つかったのか?コード保持者を、コードを持ったまま殺害する手段がっ」
「……まだ、コードの消失が可能であるか確信は持てないのだけれどね」
シュナイゼルは今度はディスプレイに現在開発中の新兵器の図面を出した。
ルルーシュはその図面を見て、一瞬で顔を引き攣らせた。ロイドもあはは、と乾いた笑いをたてる。
「ね、すっごいでしょ。もう理論からしてヤバいよね~」
「実戦投入されれば戦術が根本的に否定されかねん。これは……」
これがあれば、シュナイゼルは容易に合衆国日本を殲滅できるだろう。
ルルーシュはそう察し、しかしそうとしないシュナイゼルに、ようやくこの男の性根は正しく純朴であるのではないかと疑った。
力を持てば使わないではいられないのが人間だ。ギアスにしろ武力にしろ、力というものは依存性の高い麻薬のような作用がある。その誘惑に抗する人間こそが高潔な人間であると言える。
ギアスを復讐という私欲のため乱用した自覚のあるルルーシュは、新兵器を純粋にコードを破壊するための物として扱おうとしているシュナイゼルの人格が高潔に値するものであると、不本意ながらも認めなければならなかった。
「理論はニーナ・アインシュタイン嬢が作成した、サクラダイトの核分裂反応を応用したものだ。名前はフレイヤ。物質を原子レベルまで分解するために効果範囲内であれば大気すら消失させる。これならば、コードを消滅させることが可能なのではないかと私は思っている」
「実戦にはいつ使えるようになるんだ?」
「もう使えるよ。試作もいくつかある。しかし存在が知られるだけでも問題になる大量破壊兵器だ。陰に隠れてこそこそ作っているから開発に時間がかかってしまってね。これを使って世界中の遺跡を全部吹っ飛ばしてしまおうかとも思ったんだけど、まだ数が足りないんだ」
「そうですか。一応聞きますが、その兵器の対抗策は用意しているのですよね?」
図面に目を通しながら聞くと、シュナイゼルは当然とばかりに頷いた。
「組成が変わりやすいのがフレイヤの唯一の弱点でね。ニーナに命じてアンチ・フレイヤシステムの開発を進めてもらっている。フレイヤの理論を悪用しようとする団体がこれから先出ないとは限らないから、ニーナには頑張ってもらっているよ」
「……ニーナは、元気なんですか?」
カレンが聞くと、シュナイゼルは友人を心配する少女に向けて、優し気な微笑みを零した。
「ああ、元気にしているよ。ちょっとワーカホリック気味なところが心配だけど、健康面では何も問題はない。ただ、ユフィのファンだったらしくてね。ユフィが死んでしまってから随分と気落ちしている」
「そう言えば物理学の賞を授賞した時にユフィに会ったと言っていたな。ニーナは控えめで臆病だから、優しいユフィが好きだったんだろう」
ただでさえ華奢で折れそうな体躯の、精神的に強靭とは呼べないニーナが気落ちしていると聞いて、ルルーシュとカレンは彼女の身を案じた。
イレブン嫌いの彼女は合衆国日本より本国で暮らした方が精神的には良いのだろうが、アッシュフォード学園を辞めて、人間関係の構築に難がありそうな彼女が特派で働くのは難しいようにも思えた。
「そう心配しなくても大丈夫だよ……彼女は強い。君たちが思っているよりもね」
年相応にクラスメイトの身を案じるルルーシュとカレンにシュナイゼルは微笑んだ。
「それより私が心配なのはスザクの方さ。ブリタニア本国にいるよりはと思って合衆国日本の大使館に配属させたんだけど……もう会ったかい?」
「ああ。殺されかけたぞ」
はっ、とC.C.は鼻で笑った。
「殺されかけた?」
「ギアス嚮団について知っているだろう、全て吐け、とな。女性の扱いがなっていない坊やだ」
「……大丈夫だったの?」
カレンが戸惑いの色濃く尋ねる。C.C.は一瞬意外そうな顔をして、しかしすぐに常の笑みを顔に浮かべた。
「私はC.C.だぞ?死ぬことは無い。オレンジとルルーシュが途中で乱入してくれたことだしな」
「シュナイゼル、スザクはギアス嚮団探索に関わらせるのか?」
「協力してもらう以外に無いだろう。彼はギアス嚮団を心底憎んでいる。復讐が為されない限り、彼は現状から一歩も動けないかもしれない」
「……あいつ、もう学校に戻れないのかしら」
独り言のように零れたカレンの囁きに、ルルーシュは静かに頷いた。
「カレン、復讐は止まらないんだ。正しいとか間違っているとかいう理屈じゃない。かけがえのない人を失って、生きる意味の全てが復讐にシフトする感覚は……あれは、経験した者にしか分からない」
「あたしは分かるわよ。あたしも、ブリタニアへの復讐を誓ったんだから」
でも、と呟く。
「もう戻れないっていうのは、悲しいわね。あんなに平和で楽しかったのに」
「平和だから幸せっていう訳でもないからね~。ジェレミア卿もルルーシュ殿下のために一回身分権利全部捨てて平和から遠のいちゃったわけだけど、でもだからってブリタニアに残った方が幸せだった訳じゃないでしょ?スザク君も、復讐しないままで安穏とした平和の中にいる方が幸せって訳でもないんだから」
「しかしスザクは復讐を果たそうとするんじゃなくて……酔っているのさ。復讐のためなら何でも許されると思っている。あいつは力づくで情報を聞き出そうとする手段を取るような奴じゃない」
スザクはギアス嚮団の調査に加わることを望むだろう。彼の要請を拒否することはルルーシュにはできなかった。
しかしスザクがC.C.へ向けた敵意と増悪を、不老不死でない他の人間にまで向けることはないとルルーシュは断言できなかった。何故ならば、復讐の夢に耽溺していた頃の自分が、復讐を果たすために無業の一般人を殺害する必要がある場面に直面したらどのような判断を下すか、考えるまでも無く理解していたからだ。
あいつは作戦行動中においても、冷静な態度を取れるだろうか。
ジェレミアの復讐に酔っていた自分のように、幾多の人々の命を巻き込むことは無いだろうか―――
部屋に端末の着信音が鳴った。
ルルーシュは懐から携帯端末を取り出す。咲世子からの連絡だった。耳に押し当てる。
「咲世子?どうした」
「ル、ルルーシュ様、ナナリー様、ナナリー様がっ」
控えめな咲世子の声は常になく焦っていた。
続く咲世子の報告に、指から端末が零れ落ちた。
■ ■ ■
枢木邸は巨大な廃屋と化していた。
ブリタニア軍の侵略に遭い、さらにそれから6年の月日が経過している。記憶の中にある和風の整然とした屋敷は、あちこちに隙間風が通りすさび、昔ここに日本の首相が住んでいたとはとても思えない有様に成り果てていた。
スザクは玄関を通り抜け、父の書斎に向かった。廊下は床が抜けそうな程に傷んでおり、体重を少しかけるだけでぎいぎいと抗議する。あちこちに蜘蛛が巣を張っており、鼠の糞がそこかしこに落ちていた。今や枢木家の当主は蜘蛛と鼠になっているようだった。
書斎に繋がる扉の前に立つ。小さい頃はとてつもなく巨大で厚い扉に見えていたが、今はあまりに小さい。扉を開けると埃が白煙のように舞った。
咳をしながら埃を払うと、凄まじい数の書類、分厚い本、飾られた幾多もの勲章、そして埃くさいベッドが目に飛び込んできた。記憶の通りの配置だったが、受ける印象は子供の頃とは真逆に近い。
昔は、立派な大人の男の書斎とはこういうものなのだと思っていた。仕事を立派にこなしていて、見返りとして賞状や勲章を沢山もらっているという事実は、幼いスザクが父親を尊敬する理由足りえるものだった。この書斎は、常時繁忙で厳格な父親の象徴であった。
しかし今目の前に広がる、病的なほどに権威や権力を誇示することを試みているこの部屋は、虚勢という檻を張り巡らされた牢獄にしか見えない。
父には日本の首相足る器は無かったのだろう。あれから成長して軍務に携わる職務に就き、ルルーシュやシュナイゼル、ユーフェミア、他にも神楽耶やコーネリアなどを身近に接する立場に立つとそう思わざるを得ない。
年齢や学歴だけでは推し量れない広い度量が指導者たる者に必要であり、それが父にあったとは思えなかった。
壁にぶら下がっているいくつもの勲章を見ると埃塗れになり色がくすんでいる。
絨毯に目を落とす。黒い染みが今もその存在をありありとこの部屋に示している。その黒い染みから手が生えてくる想像が一瞬スザクの脳裏を掠めた。
黒い染みが水溜まりになり、水面下から太い腕がざぷんと這い上がってスザクの足を捉える。
敗戦と敗北、そして何もかもから忘れられようとしている怨恨を顔面に塗りたくった枢木ゲンブの巌のような顔が、ぷかりと過去の泉から浮かび上がる。首相の息子として日本を救うという役目を果たさず、あまつさえ敵国の姫の騎士になったスザクへ憎悪を秘めた緑の瞳を向ける。
日本を捨て、ユーフェミアの復讐に囚われた最後の枢木家の一族を、日本の首相として、そして枢木家元当主として許せる筈が無い。ゲンブは顔を般若のように歪めたまま、スザクの足を万力を込めて握りしめて、そのまま冷たい水底へと引きずり込み――――
「……馬鹿馬鹿しい」
死者は喋らない。会話もできない。姿を現すはずが無い。
もしここに枢木ゲンブが現れたとすれば、それは罪悪感が生んだ妄想に過ぎないものだ。結局は自分自身の自己満足でしかないものだ。
スザクは絨毯に蔓延る染みを土足で踏みつけ、机に放置されていたPC端末へと向かった。無論のこと電気など通っていないため、用意していた携帯充電器に端末の電源を差す。6年間触れられていなかったというのにPC端末は無事に起動した。流石に首相の持ち物だけあって当時の最高品質を備えていたのだろう。
ディスプレイが立ち上がり、セキュリティコードを入力するよう求められたが、こちらも予めロイドに貰っておいたウイルスソフトで破壊する。ディスプレイが姿を変えてデスクトップを映し出した。大量のファイルが整然と並んでいる。6年前の規格であるために画像の端々がどことなく古臭い。
携帯用情報収集器を本体に差し込み、そのまま端末に入っている全ての情報を移し出す。
情報転送が完了するまでスザクはベッドに腰かけて、部屋に大量に置かれている書類を片端から捲った。
書類には当時の政治関連の情報しか書かれていなかった。ギアスの文字はどこにも見当たらない。ただ神経質そうな父のサインが書かれた書類が、6年間の月日で黄ばんだ姿を晒している。
転送が完了し、情報収集機を回収してスザクは父の書斎を出た。
枢木本邸から出て、ふとスザクは焼失した土蔵へと目を向けた。当然ながらそこには何も存在しなかった。燃え尽きた土蔵の灰さえ無く、幼少期、純粋に友達だった自分とルルーシュを象徴するものは何も残されていなかった。
そのまま踵を返して、その場を後にする。
この場に残る必要性は今のスザクは何も存在しなかった。
スザクはそのまま現在の自分の職場である大使館へ向かった。
大使館とはいっても、実際にはただの駐屯地のようなものでしかない。多くのブリタニア人にとって合衆国日本は未だ敵地であり、和平を結ぶどころかその存在さえ許しがたいものであった。
そのために大使館に所属している文官の多くは本国から左遷されたか、元々エリア11に住んでいた者ばかりであり、ブリタニア大使という仕事への意欲など欠片も無い者が大半だった。
そもそも合衆国日本におけるブリタニア人の処遇は政治権限を一手に握っているゼロに全決定権があるため、大使館の仕事が無いのだ。大使館の職員の仕事といえば、新たに設立された合衆国日本の政庁から送られた情報をそのままブリタニアに転送するだけのことしか無く、殆どの時間を酒を飲むか愚痴を垂れるかで過ごしている。
私室で情報端末を弄る枢木スザクを、「ブリタニアへ尻尾を振っていた癖に、合衆国日本が設立するなり戻ってきた裏切りの騎士」と揶揄する声こそあれ、職務怠慢を非難する声は無かった。
スザクはPC端末を前に枢木邸から持ってきた情報に目を通していた。
ルルーシュのような情報処理能力は無いために、書類を流すペースはそう早くも無い。目に映る情報に目新しいものは無く、ギアスやコードのような目につく単語は何も乗っていなかった。
「政治に関するものばかり……当時の世界情勢に関する情報、論文、報告書……当時の内閣の集合写真に、あとは枢木本邸の監視カメラ映像ぐらいか」
当てが外れ、スザクは息を吐いた。
端末を長々と弄る仕事は自分には向いていない。スザクはため息交じりに、最後に残ったデータの、当時の枢木本邸の監視カメラ映像ファイルをクリックした。
ディスプレイに映っている大量の報告書の上に薄暗い監視カメラの映像が浮かんだ。今の廃墟じみた枢木邸の姿からは想像するのも難しい華美な屋敷の光景が画面いっぱいに広がる。本当にただの映像データのようで、ギアスに関する情報を隠している訳ではないようだ。
ふとスザクは、誰が父親を殺したのだろうと思った。
当時の情勢を考えると、徹底抗戦を唱えていた父を殺す必要があったのはキョウト六家か、または日本軍だろうと予測はつく。ブリタニアと日本の軍事力の差を考えると日本に勝ち目がない事は明らかであり、日本の寿命を延ばすためには早期の降伏、そして戦力の温存しか道は無かった。
今から6年前の監視カメラの画像は荒く、人の顔もまともに映らない。人がカメラの前を通り過ぎれば服装位は分かるだろう、という程度の画質でしかなかった。
スザクは父が殺された日付の夜中へと監視カメラの時間を移動させたが、カメラには人影一つ映っていない。
ハッキングでもされていたのか。そうなると機械に疎い自分では手出しができない。
スザクは別にここでデータを捨て置いても良かった。
何しろ、父を殺したのがキョウト六家だろうが当時の日本軍だろうが、今の枢木スザクとは何の関わりもないことだったのだ。ただスザクは好奇心と、ギアス嚮団に繋がる手がかりが何も見つからなかった苛立ちから、ほんの思いつきでデータを特派へとメールで送った。
数十分後、暇だったのか、それとも六年前の枢木邸の映像ということからスザクにとっての重要事項だと思ったのか、セシルがすぐにハッキングされていた監視カメラの映像データを直して送ってくれた。
メールには、スザクのことを心配していることと、無茶をしないことを約束するよう念を押しており、年上の優しい女性にスザクは何と言ってよいのか分からずメールの文面から目を逸らした。復讐するというのに、無理をしないという選択肢などはなから無い。何より今の自分にはセシルから温かい言葉を向けられる価値があるとは思えなかった。
映像を画面に開く。ハッキングした者の腕がいくら良かったとしても、6年前の技術で現在最新のデータ解析技術に敵う訳が無い。セシルがデータ復旧の過程で彩度を高めてくれたおかげで、画質は先程よりも格段に良くなっていた。
父が殺された当時の場面に時間を戻す。
夜中だ。薄暗い。音声が付随していないため、画面の向こうの世界はあまりに物寂しいように見えた。
絨毯の敷かれた廊下を深緑色の髪をした男が歩いている。
鍛え上げられた体は洗練された身のこなしで画面を横切り、歩く姿からして手練れであることが同じ軍人であるスザクには容易に察せられた。
今よりも若く見えるが、顔立ちに大きな変化は無い。だがその眼光は普段の穏やかな表情からは想像もつかない程の憤怒を迸らせており、自分の知る人物と同一だと気づくまでに少々の時間を要した。
スザクは複数の監視カメラを同時に画面に映し、男の行く先を追った。長身の男は廊下を歩き、屋敷の奥へと向かい、音も無く書斎へと侵入した。
書斎の中までは映像で追えない。部屋に入ってから30分後、男は書斎から出てきた。
男の全身は血の雨を浴びたように濡れており、手には血が滴る刃物を閃かせていた。
男は部屋に入る前とは打って変わって清々しい顔をして、機敏な動作で屋敷を抜け出ていった。
その時自分はどんな顔をしていただろう。
スザクは映像を何度も繰り返し眺めながら、自身の精神が音を立てて擦り切れるのを感じた。
瞼の裏に色々な場面が思い浮かぶ。ぶつぶつと途切れながら点滅する過去の光景と、ディスプレイの血まみれのジェレミアの姿と、枢木邸の消失した土蔵の荒れ果てた姿がハレーションを起こして視神経を苛んだ。
一緒に遊んだルルーシュのはしゃぐ姿。自分へ騎士の何たるかを語ったジェレミアの生真面目な顔。ユフィの騎士となったことを祝ってくれたルルーシュの微笑み。燃え盛る土蔵の姿。薄暗い書斎の中、肉塊になった父だったもの。ユフィの遺体を腕に慟哭する自分の傍で、仲睦まじく寄り添って立つ騎士と主君――――
「あはは、」
顔を両手で覆った。指の腹が雫を感じた。
「あははははははは………」
何を信じればよいのだろうか。何を。
法律も正義も信ずるに値しないものであった。それらは全て変わりゆくものだった。
友情も、未来も、希望も、同じ形であり続けるものなどこの世界には何一つとして存在しない。
それが確たるものとして存在するという言葉は、嘘だ。
そもそもこの理不尽な世界には、信ずるに値するものなど、最初から何一つとして無かったのだ。
その時スザクの端末が高らかに鳴った。
通信元はシュナイゼルだ。通話ボタンを押して耳に押し当てる。
動転したシュナイゼルの声が、ナナリーが行方不明になったと告げた。