楽園爆破の犯人たちへ 求   作:XP-79

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6. 俺が悪かったんだ。分かってる

 ギアス嚮団の内部は煉獄と化していた。地下とは思えない広大な空間は燃え盛り、悲鳴と爆発音が反響している。

 予定通り壊滅への一途を辿っているギアス嚮団を真下に見ながら、ルルーシュはギアス嚮団の本部があるだろう奥へ、奥へと向けて蜃気楼を飛ばしていた。ナナリーが持つGPSの信号はそこから発せられていた。

 抵抗する力を持たない研究者が悲鳴を上げながら走り回り、泣き叫びながら銃弾で体を穴だらけにしている姿が見えたが、どうでもいいと視線を逸らした。どうせ自分やシュナイゼルの体を弄り回し、ジェレミアを殺しかけ、ユフィを殺し、ナナリーを誘拐した連中の一人だ。慈悲をかける余裕も理由も無い。

 それよりナナリーだ。ナナリーを助けに行かなければ。

 着信音が響いて視線をコンソール画面に落とす。C.C.から通信要請が入っており、即座に画面に指を滑らせて通信許可を出す。常と変わらない落ち着いたC.C.の声が響いた。

『ルルーシュ、左下の扉から突入しろ』

「分かるのか?」

『ギアス嚮団は世界中に幾つも隠れ場所を持っているが、どこも構造は大体同じだからな。V.V.はその扉から入った先にいる』

「あれか」

 地下空間の中央には、時代錯誤甚だしいバロック建築風の巨大な教会が聳え立っていた。見た目は教会だが宗教染みた文様や装飾の一切が省かれている、実務一辺倒の造りになっている。

 蜃気楼の進路を左下に構えられた巨大な扉へと向ける。フロートユニットにエネルギーを傾けると、即座に蜃気楼の速度が上がった。そのまま巨大な扉へ突入をしかける。

 だが突如として建物の頂上付近から何かが凄まじい速度で吹き飛ばされて視界を横に一閃した。それは轟音を上げて地面に叩きつけられた。

 画面に目を落とすと、ランスロット・コンクエスターがナイトオブスリーのジノ・ヴァインベルグ操るトリスタンに攻撃されたと示してあった。トリスタンの隣にはナイトオブテンのルキアーノ・ブラッドリーが乗るパーシヴァルもおり、周囲には4機のヴァルキリエ隊が浮かんでいる。そのまま7機のKMFは乱戦に入った。

「ジノ・ヴァインベルグとルキアーノ・ブラッドリーか。優秀なデヴァイサーだという情報はあるが、」

『スザクなら勝てるでしょ。あっちがナイトオブラウンズを2機抑えてくれてるなら、こっちはその隙にナナリーを取り返しに行った方が良いわ』

 カレンの言葉にルルーシュは頷いた。

 相手が何であれスザクが後れを取るとは思えない。心配するだけ時間の無駄だろう。

 カレン操る紅蓮可翔式、ジェレミアの操るジークフリート、そしてC.C.が乗る暁直参を伴い、蜃気楼は速度を落とすことなく内部へと突入した。

 石壁と扉が容赦なく吹き飛ぶ。衝撃で崩落した柱と壁が、聖堂のように美しく整えられていた内部へ飛散した。

 内部には避難してきたらしき白衣を纏う研究者が数名たむろしていた。腰を抜かしてその場に蹲っている。

 ルルーシュは蜃気楼の銃口を彼らへ向けた。音声マイクを外部出力にする。朗々とした声は広々とした空間に反響し、尋問めいた迫力を帯びていた。

「V.V.はどこだ」

「きょ、嚮主様になにを、」 

「私達は何も喋らんぞ!嚮主様こそ、嚮主様こそがこの苦難に満ちる世界の一縷の希望なのだ!」

 彼らの眼は一様に虚ろで、今を生きている人間の目では無かった。リフレイン中毒者のように瞳には靄がかかり、やせ細った体躯は長年地下に生きてきたせいか陶器よりも白く変色していた。

 ルルーシュはコックピットを開けて外気に肌を晒した。

 肌を突き刺すような冷気がパイロットスーツ越しに全身を苛む。歯の根が噛み合わさらなくなるような寒気と眼球を針でつつくような頭痛を感じながらルルーシュは仮面の瞳部分を開いた。

「貴様らに命じる。私に従え。V.V.と、そしてナナリーはどこだ!」

 その場にいた研究者全員が瞳を赤く染め上げた。人形のように全身から力を抜き、ぼんやりとした表情でコックピットから身を乗り出しているルルーシュを見上げる。

「………祭壇奥の第2ブロックに向かっていらっしゃいます。Cの世界へ続く黄昏の扉の前に」

「ナナリー・ヴィ・ブリタニアは嚮主様と、そしてブリタニア皇帝と共にCの世界へ向かっています」

「Cの世界?」

 ルルーシュの問いに応えるように、その場にいた研究者全員が顔に喜色を浮かべた。餌を前にした豚を思わせる、どうにも忌避感を覚えさせるだらしのない笑みに思わず眉を顰める。

「Cの世界こそ全ての意識が集合する彼方。全ての形が集合する、魂の本当の在処」

「真の平和と幸福はCの世界にあり。嚮主様とシャルル様は思考エレベーター経由でCの世界に全ての意識を集合させることで、全世界に平和を齎そうとしているのです」

「肉体の要らない世界にこそ真実の優しさが存在し得る。非物質的な虚数空間であるCの世界においてのみ人類の平和は―――」

「っ、分かった分かった、もう良い。ナナリーはそのCの世界とやらにいるんだな。どうやったらそこに行ける」

 新興宗教のような熱狂を含んだ口調に本能的な嫌悪感が沸き上がり、現在一番の優先事項を問いただす。

 一人が先ほどまでとは打って変わって淡々とした口調でルルーシュの問いに答えた。

「物質的な肉体がある状態では不可能です」

 その研究者の言葉はルルーシュの脳へ突き刺さり、反響した。

血液が抜け落ちるように現実感が体から抜け落ちて行く。自分の鼓動が耳元で酷く大きく聞こえた。

 ナナリーは歩行障害があるものの他は至って健康的な肉体を有している。しかしこの男は、ナナリーは肉体を有していては行くことのできないCの世界にいると言った。

 つまりそれは、

『ルルーシュ、コード保持者の補助があれば肉体を持っていてもCの世界に行ける。私がいれば問題ない。ナナリーもV.V.の手引きでCの世界へ向かったのだろう。決して死んでいる訳ではない』

 通信越しのC.C.の言葉にルルーシュは詰まっていた息を吐いた。呼吸が引き攣るような感覚がした。

 荒く呼吸を繰り返す。ジェレミアも蜃気楼と通信を繋げて、気遣わしげな口調でルルーシュに言い聞かせた。

『中国基地と同じ造りならば祭壇奥第2ブロックはこちらになります。僭越ながら私が先導しましょう』

「あ、ああ。頼むジェレミア。カレン、お前もジェレミアと一緒に前へ。こいつらの話が正しければシャルル皇帝もここにいることになる。ならばスリーとテン以外にもナイトオブラウンズが護衛として控えている可能性は高い。気を抜くなよ」

『イエス、ユアマジェスティ』

『了解しました、ゼロ!』

 前を行くジェレミアとカレンの後をルルーシュは飛んだ。そのさらに後ろをC.C.が護衛する。

 

 遮る壁を躊躇なく粉砕しながら飛ぶ。整然と造られていたギアス嚮団の本部は、ルルーシュが突入してから数十分と経たずに瓦礫を撒き散らかされた廃墟のように様変わりしていた。

 壁をぶち抜きながら飛び続ける。暫くするとそれまでとは明らかに様相の違う、長く広い廊下に出た。ジークフリートが通り抜けられる程の広さがあるというのに明かりは少なく、薄暗い。夕暮れの墓地のような沈鬱で陰気な雰囲気が満ちている。

 廊下の只中に差し掛かったところで、ルルーシュは嚮団の信徒だろう死体を数体見つけた。並ぶ死体の中心には場違いなほどに幼い少年がうつ伏せに横たわっている。

 少年は長い金髪を夥しい量の血で染め上げており、顔色は紙のように白く、死体であることは明白だった。

『っ、V.V.!』

「なんだと!?」

 ジェレミアの言葉にルルーシュは視線をその少年へと向けた。すぐに蜃気楼をその場に降ろす。

「カレン、ジェレミア、お前たちはその場で周囲を警戒しながら待機。C.C.、」

『私も降りるぞ』

 言うが早いか、C.C.は暁直参を着陸させてコックピットを開け放った。ルルーシュもコックピットを開けて地面に降りる。

 絨毯を踏みしめながらルルーシュはV.V.に近寄った。ルルーシュの目には、V.V.は何の変哲も無い12歳かそこらの子供のようにしか見えなかった。幼げな造りの顔は精彩を欠いているもののシュナイゼルやクロヴィスの系統に類する華やかな容姿であり、確かな血縁を感じさせた。

 背中に斬りつけられた傷が一つ。そして刺傷が複数。致命傷になったのは胸部を貫通している一撃のようだ。容易に即死できないよう計算された傷痕であり、致命傷を負わせた者がかなりの手練れであることが察せられた。

 C.C.は横たわるV.V.の傍に蹲ってその顔を覗き見た。目元は気が強そうに吊り上がっており、唇は微笑みを形作っている。生前には滅多に目にすることの無かった、穏やかな微笑みだった。

「………こいつがV.V.だ。間違いない」

「こんな子供……いや、見た目だけか」

 V.V.がシャルルの兄であるならばもう60歳は超えている筈だ。

 しかし見た目だけならばV.V.は戦火に巻き込まれた哀れな美しい少年でしかなく、ユフィを殺し、ジェレミアを殺しかけ、さらにナナリーを誘拐した非道な初老の男には見えなかった。

 ルルーシュはV.V.の頸動脈に指を這わせた。何の鼓動も無い。床に広がる血液量は致死量を遙かに超えている。瞼を指でこじ開けて瞳を見ると濃い紫色の中心には大きな黒点が広がり声高に死を訴えていた。

「こいつはコードを持っていたんだろう。何故死ぬ」

「コードを奪われたんだ。コードは……一定のレベルに達したギアス所有者が奪い取ることができる。コードを奪われた者は、普通の人間と同じように死ぬことができるんだ」

 なるほど。ルルーシュは項垂れるC.C.の額に目を落とした。

 シュナイゼルが話したフレイヤへの食いつき方を見るにC.C.が死を望んでいることは明らかだろう。そしてギアス所有者はコードを奪うことができる。

 つまりC.C.が自分の共犯者となった理由は、自分へコードを押し付けるためなのではないかと自然に予想がつく。

 ルルーシュは不老不死という予迷い事にこれまで全く興味が無かったし、また同様に積極的に死を望むような破滅的思考を持ったことも無かった。コードの存在を知ってからもその価値観は変わらず、自分が抱いている死生観は至って平凡なものだろうと思っている。

 それ故にC.C.の心境は理解の範疇外にあった。それは自分だけのことではない。何百年と生きてきたC.C.のことを理解できる人間はこの世界にはいまい。こちらに背を向けてV.V.の遺体の近くに蹲るC.C.の背中はいつになく細く、頼りなく見えた。

「――――ルルーシュ、行こう。ここにはもう何もない。V.V.のコードを奪ったのは恐らくシャルルだ。あいつはギアスの達成人だから。シャルルはきっとこの先に、ナナリーと一緒にいる」

 C.C.は立ち上がり、V.V.を見下ろしながらルルーシュの袖を引っ張った。V.V.の死体を見下ろすC.C.の目には隠しようもない羨望が浮かんでおりルルーシュは背筋を震わせた。

 死を望むC.C.の心境をルルーシュは理解できない。理解できるなどと妄言を吐くつもりもない。理解したくもない。だがC.C.は自分の大事な共犯者だった。

 死んでほしくは無い。だがそんなにも悲しい表情をしてほしくも無かった。C.C.には笑ってほしかったのだ。

「C.C.」

「なんだ」

 振り向いたC.C.へ赤く染まった瞳を見せた。

「フレイヤでもお前が死ななかったら俺はお前のコードを継承しよう。それがお前の望む契約なんだろう?」

 あっさりとした口調で言われた言葉にC.C.は一瞬きょとんとした顔をして、すぐに泣き笑いのような表情を浮かべて理解できないと首を振った。

 外見年齢通りの素直な顔だった。ナリタ連山の洞窟の中で見た時と同じく、強気の殻に覆われたか弱い女の顔は例えようもなく美しかった。

「ふ、ふふふ、信じられない馬鹿だなお前は。そこまで察していながら契約を破棄しないとは」

「既に対価を貰っているのに契約破棄をするわけにはいかない。俺はそこまで無責任じゃない」

「馬鹿だ。だが、まあ」

 一度鼻を鳴らして、C.C.は伸びあがってルルーシュにキスをした。反射的にルルーシュはC.C.の背中に手を回す。C.C.は応えるようにルルーシュの首に腕をかけた。

 触れ合うだけの唇の接触は余韻を残すようにゆっくりと離れた。間近で見る琥珀色の瞳は微かに潤んでいた。

 耳に口を寄せてC.C.は囁いた。

「お前はいい女になった。私程ではないがな」

「そうか。ありがとう」

 

『ちょ、ちょ、ちょっと、何やってんのよあんたたち!!』

 外部マイク越しにカレンは悲鳴を上げてC.C.をルルーシュから引っぺがそうと紅蓮可翔式の指を動かしたが、ひょい、とC.C.は体を捩らせてルルーシュに抱き着いた。

「見れば分かるだろう。キスだ」

『だ、だから、それが何なんだってっ』

「カレン、C.C.のすることに一々取り合うな。きりがない」

『あんたがそうやってC.C.を野放しにするから増長するんでしょうが!ていうかキ、キ、キスされたのにどうしてそんな、はっ、まさか本当はあんたC.C.とそういう関係なんじゃ……っ』

「いや同性同士のキスなんて挨拶みたいなものだろう。それよりカレン、先へ急ぐぞ」

『……紅月、ルルーシュ様とC.C.の関係性を疑うのは時間の無駄だ。気にするな』

『なんであんたは動揺しないのよ!?あんたの主君が魔女にいかがわしい真似されててもいいっていうの!?そういう性癖なの!?』

『違う。同衾しているのだからこの程度は予想範囲内だというだけだ』

『ど、は!?同衾!?』

 マイク越しにカレンの悲鳴と、どこか諦観の滲むジェレミアの溜息を聞きながらルルーシュは蜃気楼に戻り、コックピットに身体を押し込めた。C.C.も同じように暁へと戻る。

 エンジンを再起動させ、飛翔滑走翼を展開する。蜃気楼は空中に飛びあがり、黄昏の扉へと真っすぐに進んだ。ジークフリートと暁直参、そして若干の動揺を残す紅蓮可翔式が蜃気楼を守るように飛ぶ。

 瞬間目の奥に激痛が走り、思わずルルーシュは目を手で抑えた。視神経が燃え上がるような痛みだった。だがそれは一瞬のことであり、すぐに痛みは収まった。 

『どうされましたか?』

「いや、何でもない」

 最近よく感じる頭痛に、しかしルルーシュは構うことは無かった。それより一刻でも早くナナリーの救助へ向かうことを優先しなければならなかった。

 

 そのまま先へと進むと巨大な扉に突き当たった。

 しかしそれは扉というよりも、扉のレリーフが刻まれた巨大なアンティークのようであり、開閉する機能を持ち合わせているようには見えない。取っ手も無く、一見するとただの彫刻品でしかない。

 ルルーシュは蜃気楼に乗ったままその扉に接近した。ドルイドシステムでその扉の成分を調べるも、ただの古い彫刻であるという解析結果のみが画面に表示される。蜃気楼の指先で扉の文様をなぞるが何の反応も無い。

「これが黄昏の扉なのか?」

『これってただの遺跡じゃないの?道を間違えたんじゃない?』

『いや、これが黄昏の扉だ。物理的な意味の扉ではないんだ。これからコードで思考エレベーターのシステムを起動させる。少し衝撃があるが抵抗せずに、しっかりと意識を保って、』

 C.C.の言葉の途中で頭上から空気を切り裂く音がした。咄嗟にジークフリートが蜃気楼を護る。

 金属が軋む耳障りな音が響く。落ちてきたのはKMFだった。そのKMFはジークフリートの球状の機体に傷を付けてバウンドするように跳ね返った。踊るように優雅な動作で地面に着地した黒と白の色彩を持つKMF、ギャラハッドは再度ジークフリートへと向かう。

「っ、ナイトオブワン!」

『だけではないぞ!』

 紅蓮の背後からもう1機のKMFが襲い掛かった。

 しかし紅蓮は凄まじい速度で体を捻って攻撃を躱し、攻撃をいなされてバランスを崩したKMFの頭部ユニットに掴みかかった。

 だがスラッシュハーケンが蜃気楼に向けて放たれ、一瞬動揺したカレンが紅蓮から力を抜く。その隙に離脱される。スラッシュハーケンは絶対守護領域にぶち当たって跳ね返った。

 ルルーシュは画面上にKMFの解析情報を表示させた。

 

Knight Mare Frame ; Type Galahad-RZA-1A

code ; Excalibur-the-ONE

Pilot ; GA. Bismarck Waldstein

 

Knight Mare Frame ; Type Florence-RZX-12TM1

code ; Britanian-Alexander drone

Pilot ; GEN. Monika Kruszewski

 

「ナイトオブワンとナイトオブトゥエルブか」

 皇帝の護衛役の2人がここにいるということは、間違いなく皇帝は黄昏の扉の先にいる。そして恐らくはナナリーも皇帝と共にいるだろう。

 舌打ちする。居場所が分かったのは良い。だがこの2人は容易に見逃してはくれまい。モニカだけなら大した障害でもないが、ビスマルクは邪魔だ。

 ルルーシュの命令を待たず紅蓮可翔式とジークフリートが飛び出した。そのまま敵の2機に襲い掛かる。

『C.C.、ルルーシュ様を』

『こっちはあたし達がなんとかするわ!』

「っ、だがあいつはナイトオブワンだぞ!?俺も、」

『足手纏いよ!あんたは早くナナリーを助けに行って!』

『こちらはお任せを。ルルーシュ様はナナリー様を!』

『――――ルルーシュ、その場から動くな』

 通信越しにC.C.の声が響く。奇妙なことに、その声は耳元に直接呟かれたようにルルーシュの鼓膜を揺らした。

 視界が白で侵食される。

 ギャラハッドと紅蓮可翔式、フローレンスとジークフリートの間に散る火花が網膜へ落とした影を最後に、目の前の光景は全て白で染め上げられた。

 

 

 水中に浮かぶような奇妙な浮遊感と心地よさが体の表面を撫でる。ギアスをC.C.から受け取った時と似た、点滅する白い世界が目の前に広がっていた。

 ここはどこだ。どういうことだ。つい一瞬前まで蜃気楼の狭苦しいコックピットに座っていた筈なのに、今いる場所は閉塞感の欠片もないだだっ広い空間だった。

 何が起こったのか分からず、きょろきょろと周囲を見回す。すると目の前にC.C.の姿が浮かび上がった。まるでレリーフが浮かび上がるように突如として現れたのだ。

 C.C.の額には赤い鳥が羽ばたいている。C.C.はルルーシュへ向かって白い手を差し出して、珍しく皮肉の混じっていない柔和な笑みを浮かべた。

「お前は暁直参に乗っていたのだろう。どうして、」

「言っただろう?物理的な存在はこの先では意味を成さないんだ。さあ、行こうルルーシュ。虚数世界へ案内しよう。ナナリーとシャルルが迷い込んだCの世界へ。全存在の在処と形が意味を無くす、この世の彼方へ一緒に行こう」

 

 

 

 白い光に包まれた蜃気楼を視界の端に認めながら、カレンは扉を背にナイトオブワンと対峙した。その隣ではジェレミアがナイトオブトゥエルブと睨み合っている。

 Cの世界とかいう訳分からない空間に、C.C.というこれも訳の分からない女と一緒にルルーシュを放り込んだのだから心配でならないのは確かだ。しかしそもそもそのルルーシュにしたって、カレンにとってはあまり訳の分かる人間ではない。だから心配するだけ無駄なのだろう。物理的な脅威が無い状況であれば、ルルーシュならば一人でなんとかする。理由なくカレンはそう信じられた。

 しかし。ちらりと隣のジークフリートを見やる。やや過保護のきらいがあるらしいこの騎士はどう思っているのだろうか。

『ねえちょっと、いいの?あんたはルルーシュと一緒に行きたかったんじゃない?今からでも追いつけるんじゃない?あたしは別にナイトオブラウンズ2機相手でも全っ然平気だけど』

『それは慢心に過ぎる。ナイトオブラウンズは、特にナイトオブワンは一人で手に負えるような相手ではない』

 はっきりとした声にはカレンを侮っているという雰囲気は含まれていなかった。だがそう断言されると、曲がりなりにも黒の騎士団のエースとして不機嫌にもなる。不満そうにカレンは鼻を鳴らした。スザクがナイトオブラウンズ2機を相手にしても何も言わなかったのに。自分はスザクより弱いと思われているのか。

 

 だがナイトオブワンの手強さは直に対面したことの無いカレンよりもジェレミアの方がよく知っていた。6年以上前には幾度か手合わせをしたこともあり、1年前には白兵戦でズタボロにされた。ビスマルクは名実ともにブリタニア最強の騎士であり、その実力は他のナイトオブラウンズとは格段に違う。

 カレンという少女はルルーシュが素の顔で接することのできる貴重な友人であることをジェレミアは知っていた。さらに学園のクラスメートと違い、彼女はルルーシュの身分から事情までを知っている数少ない理解者だ。

 カレンを失うことは年齢相応の繊細な精神を持つルルーシュにとって深い傷跡と成るだろう。

 それにカレンの強気な性格と純粋な忠誠心はジェレミアにとって好ましい部類に属した。ブリタニアの騎士道精神を女性だてらに備えている、有望な若者だ。血気盛んに過ぎるのが玉に瑕だが。

 ここで見殺しにするのは気分が悪い、と思う程度にはジェレミアはカレンを認めていた。

 それに何よりルルーシュの護衛として共にCの世界へ行くよりも、ここでカレンと共闘した方が勝機は上がる。

『ナイトオブワンはナイトオブラウンズの中でも別格だ。スリーとテンを相手にしたスザクのようにはいかない。ルルーシュ様とC.C.が二人きりになったことは紅月にとって不本意だろうが、そう言っていられる状況でもないことは分かっているだろう』

『カレンでいいわよ』

 紅蓮可翔式のエンジンが唸る。戦意の籠る青い瞳が帝国最強の騎士へ向く。

『ま、気に入らないけど別にいいわ。そもそもあたしの一番のライバルはスザクでもC.C.でもなくあんたなんだから、ここであんたに手柄を独り占めされないように頑張る方がよっぽど建設的よね』

 いや、頑張るまでも無くKMFの操縦技術でカレンに勝てる気は全くしないのだが。

 ジェレミアがそう思うのとほぼ同時に、紅蓮可翔式が繰り出した輻射波動弾とギャラハッドが抜き放ったエクスカリバーがぶつかり合い、閃光を放った。

  

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 そこは黄昏の光に満ちていた。

 昼と夜の一瞬の境目が永遠に続いているような、美しくも歪な光景だった。傾いた太陽はいつか確実に来る落日へ抗うように顔を真っ赤に染めている。

 ただ白いだけの虚ろな空間から追い出され、ルルーシュはいつの間にかこの黄昏色の空間に追いやられたようだった。

「ここは……」

 周囲を見回す。背後には蜃気楼が立っている。特に損傷も見当たらない。上空には幾つもの雲が浮かび、天使の梯子を無限に造り続けている。

 足元は空中に浮かぶ巨大な石板に支えられていた。いや、石板ではなく石畳だ。重力など存在しないかのように、確かな質量を持つ筈の石畳は空中に静止したまま微塵も動かない。もしかするとこの空間における重力は自分の知る世界の重力とは異なるのかもしれない。物理的にありえないが、そう考える方が論理的だ。

 途切れた石畳の向こう側には厚い雲が広がっており大地が見えない。そもそもこの空間には大地など存在しないのだろうか。

 目の前には階段が伸びている。

 階段の上を見上げると、車いすに座る少女と、その隣に聳える巨躯があった。

 ナナリーとシャルルだ。

「久しいなぁ、ルルー」

「ナナリー!!」

 シャルルはゆっくりと口を開いたが、ルルーシュの視界にはシャルルの入り込む隙間は微塵も存在しなかった。

 それよりもナナリーだ。ナナリーを目にした瞬間にルルーシュは今自分がいる不可思議な空間も、シャルルの存在もどうでもよくなった。

 ナナリーがいる。そのことだけが脳内を占拠する。怪我はしていないようだ。でも顔色が悪い。早く家に連れて帰ってあげなければ。こんなところに無理やり連れて来られたのだから体調が悪くなるのも当然だ。温かい食事を用意して、柔らかい衣服に着替えさせて、いつもの日常に戻してあげないと。

「ナナリー、ナナリー!大丈夫か?怪我はないか?遅くなってしまってすまない、早く帰ろう」

「……ゼロ、さん」

 そこまで言ってルルーシュは自分がゼロの恰好をしていることにようやく気付いた。仮面もそのままだ。

 一瞬戸惑ったが、ルルーシュはすぐにゼロの仮面を剥ぎ取った。認めたくはないが、シャルルは自分とナナリーの父親だ。

 いくらゼロが救国の英雄として合衆国日本で扱われているとはいえ、正体不明の仮面男と実父では後者を選んでしまうかもしれない。ましてやゼロはテロリストだ。それもクロヴィスを殺した、ナナリーからしてみれば兄弟殺しの殺人者だ。

 しかしゼロが自分だと知れば、きっとナナリーは驚愕しながらも自分の下へ向かってきてくれるとルルーシュは信じたのだった。

 だが予想と反して、ナナリーはゼロの仮面の下から現れたビスクドールに似て透ける肌を持つ兄の顔を見て口を引き結んだ。涙を耐えるように顔に皺を寄せる。

「――――お兄様、初めてお兄様の顔を見たような気がします。それが……っ、それが、人殺しの顔、なのですねっ」

 声には嗚咽が混じっていた。口に掌を当てて、う、う、と引き攣る様な声を上げて哀れっぽく歯を食いしばっている。

 そこでようやくルルーシュは、ナナリーにとって自分がゼロだという事実は受け入れ難い悲劇だったのではないかと思い至った。

 ここ数カ月にわたりゼロは合衆国日本の救世主と呼ばれ、世界各国からも英雄として扱われている。無論のことその実は人殺しであり、ブリタニア人から忌避の目で見られるのは当然であるとルルーシュも分かっている。

 だがブリタニアの敵国、つまりは強者に蹂躙される弱者からしてみればゼロは至って人道的な革命家であり政治家だ。心優しい、優しい世界を夢見るナナリーがゼロを非難することはあっても、拒絶することはないと思っていた。

 

 しかしそれはゼロがナナリーの知らない人物であった場合の話だった。

 ルルーシュはナナリーの唯一であり、完璧な存在だった。その兄が実は戦争を引き起こし、大量に人を殺し、さらに実兄クロヴィスを殺した世界有数のテロリストだと知れば受け入れるのは困難であった。

 兄は心優しい完璧な存在だと、自身の不完全さに鬱屈を抱くほどに信じ切っていたナナリーは、ゼロを受け入れることはできても、ゼロがルルーシュである事実は到底受け入れ難いのだった。

「どうして、どうしてお兄様はこれまで沢山、沢山酷いことをなさったのですか。沢山の人を殺して、クロヴィスお兄様まで殺して……っ」

「それは……」

 涙を流すナナリーへ、どう説明するのが正しいのか。ルルーシュは言葉を詰まらせた。

 ジェレミアの復讐のためにはクロヴィスを殺す必要があった。だがジェレミアがギアス嚮団に改造されたことをナナリーは知らない。それに復讐のために人を殺すことを、優しいナナリーは認められるだろうか。

 ルルーシュは喉奥から声を絞り出した。

「クロヴィスは多くの日本人に圧政を敷いていたんだ。そのせいで多くの日本人が無為に命を落とした。お、俺は日本人を、弱者を救うために、」

「クロヴィスお兄様は優しい方でした。少なくとも、私達には優しかった!話し合う余地はあった筈です!」

「ナナリー、弟と話し合うだけでそれまでの政策を否定する程、クロヴィスは馬鹿ではなかったよ」

「ではお兄様はクロヴィスお兄様と話し合うことを試したのですか?話し合って、そして否定されたから、しょうがなく殺したのですか?そうしなければ日本人を助けることができないと確信して、他の手段が無かったから、最後の選択肢として殺したのですか?」

 ナナリーの言葉はあまりに真っすぐだった。それは理想論だとルルーシュは叫びたかった。

 現に、それを言ったのがナナリーでなかったらルルーシュはその主張を一笑して相手にもしなかっただろう。

 しかし階段の上から自分を見下ろすナナリーをルルーシュは仰ぎ見ることしかできなかった。ナナリーは自分の唯一であり、世界で一番大事な存在だったのだ。ルルーシュの世界はナナリーが中心になって回っていた。ナナリーを護ることがルルーシュの存在意義と言っても過言ではなかった。

「どうしてお兄様はゼロになったのですか。本当にそれは日本人のためだったのですか?本当は、私やジェレミアさんのためではなかったのですか?もしそうなのだとしたら、私がそんなに沢山の人を殺してまで、助かりたいと願うとでも思ったのですかっ」

「それは、でもっ」

「どうして枢木首相を殺したのですか。あんなに私達に良くしてくれた人を。スザクさんのお父さんを!」

「ナナリー、どうしてそのことを知って、」

「スザクさんのお父さんを殺しておいて、どうしてスザクさんの友達だという顔ができるのですか!!」

「それは、俺は、」

「どうしてお兄様は本当は女性であることを私に隠していたのですか。みんなには教えていたのに、私にだけ、私にだけっ」

「っ、シャルルに聞いたのか、でも、それは、俺が女だと知ったら、」

 ゲンブが俺に何をしたのか、聡いナナリーに気付かれることを恐れていたんだ。

 だがその事実をルルーシュは口に出せなかった。口に出してしまったら何か、決定的なものが終わってしまうような気がしていた。

 そのことだけはナナリーに知られたくなかった。自分が男に股を開いて娼婦のような真似をしたから、自分達は生き延びたのだと。そんな汚い真実だけは純真無垢なナナリーに知られる訳にはいかなかった。

 それはナナリーのためではなかった。ナナリーを護ることがルルーシュの存在意義であったから、自らナナリーの純真さを汚す行為は自分の存在理由を否定する行為に等しかった。

 何を賭してもナナリーを自分は守らなければならなかった。そのことだけが、国を追われ、凌辱された自分が持つ生きる価値だった。

 だからそのためにナナリーへ嘘を吐くことにルルーシュは疑問を覚えなかった。

 

 ナナリーはルルーシュの滑らかな唇が普段のように饒舌に動いて完璧な反論を紡ぐことを望むように一心に見つめた。しかしルルーシュは黙り込んで顔を俯かせた。

 次に顔を持ち上げたルルーシュの表情は獰猛さに満ちた捕食者のそれだった。瞳は爛々と輝き、見る者に畏怖を覚えさせる圧倒的な生命力に満ちていた。

 ルルーシュは挑むようにナナリーを見上げて声を上げた。そう大きな声ではないというのにルルーシュの言葉はCの世界へ凍てつくような冷厳さを持って響いた。

「――――ああ、そうだナナリー。お前の言う通り俺はゼロとして戦争を起こし、さらには兄クロヴィスを殺し、過去には枢木ゲンブを殺した。しかしそれら全ては俺の私欲による行動でありお前のためなどではない。俺は俺のために、俺が生き残るために、そして俺の欲のために人を殺し、そうしてここまでやってきたのだ」

 言い訳や反論を一切含まない、人を殺した罪悪感を欠片も感じさせない凍り付くような声色にナナリーは息を吐いた。

 まさか、と思った。自分で言っておきながら、ナナリーは兄が私欲で人を殺すような人ではないとどこかで期待していた。

 

 違うんだナナリー。それは実は全部これこれこういう理由があって、俺は無実で人殺しなんかじゃないんだ。全部父さんとナナリーの勘違いだよ。

 父さんは母さんの葬式に出てくれなかったから気に食わないけど、ナナリーが間に入ってくれるならちゃんと仲直りするさ。

 父さんと仲直りができれば他の兄弟達とも仲直りできるかもしれないね。ナナリーのおかげでみんな仲良く平和におさまるだろうな。

 心配をかけてしまってすまなかった。さあ一緒にアッシュフォードへ帰ろう。

 ナナリーはそういった、どこまでも平和的で大団円でご都合主義な話の終結を望んでいた。

 

 だが現実は遙かに厳しかった。兄は人殺しだ。それも大儀を持たない、自分の私欲のために人を殺せる冷徹な人間であり、自分が想像するよりずっと恐ろしい人だった。

 圧倒的な威圧感に晒されて打ち震えるナナリーに、ルルーシュは凍り付いた鐘が響き渡るような声でさらに言葉を重ねた。

「俺を捨てたブリタニアが憎かった。だからゼロとして戦争を起こした。皇族としての権限を恣にするクロヴィスが気に入らなかった。だから殺した。ブリタニアと日本の戦争が起きれば皇族の俺はまともな扱いをされないことは分かっていた。戦争を生き延びるためには枢木ゲンブを殺して日本軍の目を晦ませて、その隙に逃げる方法が最善だと判断した」

 ルルーシュの声は朗々と響き渡った。

「だから殺した。生きるためだ。それの何が悪い」

 歯を食いしばり、ナナリーは前のめりになりながらルルーシュを睨みつけた。

「お兄様、あなたという人はっ」

「お前の隣にいる男もそうだ。自分の欲のために数えきれない程の人を殺した。ナナリー、俺を信じないというならそれでもいい。だがそれならばシャルルを同様だ。そいつは俺よりもずっと多くの人を殺したんだ。それも自分の命のためではなく、領土や金や権益のために。

 ナナリー、早くその男から離れろ。そしてアッシュフォードに帰るんだ」

 ルルーシュはナナリーの元へ向かって歩き出した。ナナリーは何度も頭を横に振った。

「嫌です!もう、もう私はお兄様のことを信じられない!」

「俺のことは信じなくていい。それでもいい。俺と一緒に暮らすのが嫌だと言うのなら俺はお前の前から姿を消そう。もう、それでもいい……とにかく帰るんだ。

 シャルルと一緒にいてもお前にいいことなんて何一つとしてありはしない。その男には父親として振る舞う価値なんて無いし、お前が傍にいる価値も無いんだ。そいつは最悪の人殺しで、人の痛みなんて分かりもしない男だ。人間として最低な奴で信じる価値なんて欠片も無い。ましてや人の親になる権利なんてありはしない、最悪の、本当は誰も味方なんていやしない……」

「止めて!!」

 張り上げた声はルルーシュを射抜いた。

 その時初めてナナリーはルルーシュを排斥すべき敵として睨んだ。ナナリーは自分よりも弱く、哀れな生き物を庇うかのように車いすを動かしてシャルルの前に立った。

「お父様をそんな風に言うのは止めて、止めて上げてよ……可哀想でしょう……っ」

 はらはらとナナリーが零した涙に、ルルーシュはさらにシャルルへ向けようとしていた悪口雑言の矛を収めた。

 シャルルは巨木のように表情を変えないままルルーシュを見下ろしている。自分を庇っているナナリーの頭をゆっくりと労わるように撫でた。

 その手つきは甘やかで、親が子供に与えるにふさわしい優しさを含んでいることに気付いてルルーシュはぞっとした。今更この男は何をしているのか。今更、許されるとでも思っているのか。まさか許されたいとでも思っているのか。

 生きていないと自分達の命を否定したくせに。日本に捨てて殺そうとしたくせに。

 いい歳をして自分よりもずっと小さい、捨てた娘のナナリーに庇われて。

「気持ち悪い」

 思わず口から出た言葉を耳にして、ナナリーは弾けるようにその眼差しを鋭くしてルルーシュを睨んだ。

 しかしルルーシュはナナリーの怒気に満ちた視線を感じながらも、シャルルへ向けた汚物を見るような目を下げようとはしなかった。

「もうよせナナリー、そしてルルーシュ」

 軽やかな足音を立ててルルーシュの背後から女性が飛び出す。それはC.C.だった。

 C.C.はルルーシュの隣へと立ち、窘めるような視線を睨み合う姉妹と、車いすに座す娘の背後で黙して動かないシャルルへと向けた。

「見苦しいぞ。双方ともにな」

 

 

 

 

 

 


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