楽園爆破の犯人たちへ 求   作:XP-79

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7. 人は成長する。そしていなくなる。しょうがないことなんだ

「何の用だC.C.」

「大した用じゃない。こいつの妹を取り返しに来たんだ。ついでに旧友と話し合いにもな」

 この世界で唯一皇帝と称される男を前にしてC.C.は微塵も怯える様子も無く胸を張った。シャルルもC.C.の不遜な態度を見咎めることも無くただ静かに喋り続ける。

「我々の計画にはナナリーの協力が不可欠だ。それを知っていて邪魔をすると言うのかぁ?」

「それを決めるのはナナリーだ。シャルル、お前じゃない。確かにナナリーもルルーシュも、シュナイゼルもユーフェミアもお前の血から生まれた人間だろうがな、だからと言ってお前の所有物ではないんだ。お前が父親の所有物でありえなかったように」

「分かっておる。分かっておるよ……だからこそ、わしはナナリーの意思を確認した上で計画を完成させるのだ」

「ほう。ではナナリー、お前はシャルルから計画の全貌を聞いたのか?」

 琥珀色の瞳に見据えられてナナリーはゆっくりと頷いた。

「はい。全てを。まだ……協力するかは決めておりませんが」

「計画?」

 C.C.の方を振り向いたルルーシュに、どう説明したらいいのやらとC.C.は俯いた。

 

C.C.はシャルルの計画内容をほぼ全てを知っている。陰で暗躍しているマリアンヌのことも、ギアスキャンセラーが計画の中でどのような役目を負っているのかもだ。そしてその計画の目的についても知悉していた。

だが計画に賛同したことのある身として、全てをルルーシュに伝えるのは躊躇われた。一応自分は、彼らの共犯者であったのだから。

そして何より計画の全貌を説明したとしてもルルーシュにはとても理解できまいとも思う。

永遠の楽園を作るなど、常に前へ前へと進み続けることを願う生命力に満ちたルルーシュには考えもつかない愚行でしかない。

 

 言葉を失ったC.C.の代わりにシャルルが口を開いた。川底を這うような質量を伴う声をしていた。

 

「―――全人類の意識をギアスにより肉体から引きはがし、そしてCの世界と現実世界を結ぶ思考エレベーターを利用することでこの星に存在する全生命をCの世界で1つに纏める。そして唯一存在となった我々は思考エレベーターによってCの世界から現実世界へと凱旋を果たす。

 唯一存在、集合無意識となった我々には最早物理的存在は意味を為さない。肉体は存在価値を無くし、ただ意識だけがこの地球に存在することになる。

これによりこの星には“他者”という存在が無くなる。自分という絶対多数の前では全ての諍いは存在する意義を無くし、全ての嘘の存在理由も無くなる。而して我々はこの宇宙に永遠の楽園を築く。わしはこの計画を、ラグナレクの接続と命名した」

 

 シャルルが口を閉じた時には、ルルーシュはぽかんと口を開いていた。何か返事を返すべきなのだろうが、何を言っていいのか分からない。真面目な会議中にいきなり大道芸人が乱入してきたような、理解が追い付かない感覚に脳内をかき回されている。

 現実主義の寵児であるルルーシュはシャルルの言った言葉の半分も理解出来なかったのだった。

 ようやく何となく、本当に何となくシャルルが意図する計画をぼんやりと感じ取ったルルーシュは、まずシャルルの正気を疑った。

「……本気で言っているのか?」

「本気だ」

「本気で貴様は旧約聖書に出てくるような楽園を再現しようというのか?精神科を受診した方がいいんじゃないか?医療保護入院が必要となれば同意書ぐらいは書いてやるぞ」

「これは誇大妄想などではない。元よりイブがいたことが間違いだったのだ。全ての存在が余計な感情や経験を持たない、たった一つの存在(アダム)でいれば世界はずっと平和なままであっただろうに」

「そ、そんなっ、馬鹿なことがあるか!アダムとイブが荒野に進出する前の、神の言うことをはいはいと聞くだけの家畜のような日々に戻って、それが楽園だと、平和だと、お前は本気で思っているのか!?馬鹿馬鹿しい。人間は前に進む生き物だ。嘘や戦争や差別があったとして、それがどうだというんだ。完全な平和を作ることができないから、これまでの人類の進歩を全て否定して足を止めるだなんて認められる筈がない!」

「それはお兄様が強者だから言えることです」

 鋭い瞳でナナリーはルルーシュを睨んだ。

「足を動かし続けることのできない人だっているんです。足を止め、ひたすらに穏やかで優しい世界の中で生きることを望む人だっているんです。その人たちにとってこの世界はあまりに残酷過ぎるのです。お兄様は、戦えない人のことを考えたことはあるのですか」

「確かに戦い続けることは不可能だ。休息は必要だろう。足を止めて過去を振り返り、思い悩む時間は必要かもしれない。でもこの世界から戦いが無くなることなんて無いんだ。生きるためには戦うことが絶対に必要なんだよ」

「では、ではっ、戦いたくない人はどうすればいいんですか!人を傷つけることも、傷つけられることも嫌な、戦う力の無い人々はどうすればいいんですか!何千年も戦争が無くならない、いつまでたっても差別が蔓延る理不尽なこの世界で、戦う力の無い人はどう生きればいいんですか!!」

 空気を裂くナナリーの訴えにルルーシュは一つしか答えを持たなかった。

 それ以外の答えを返すことはルルーシュにはできなかったのだ。ルルーシュはまだ若く、そしてこれまで生きてきた人生はあまりに過酷過ぎた。ルルーシュはナナリーが理想とする安楽な、何も心配のいらない世界というものを想像することすらできないのだった。いつだって人生には暗い影が付きまとい、そしてそれはルルーシュにとって当然のものだった。

 生きるということは戦い続けることであり、自分の安寧のためには他の何かを犠牲にしなければならないという考えが深くルルーシュの中に根付いていた。一瞬でも足を止めれば、それは即ち死に繋がることだという思考が彼女の意識の根底に横たわっていた。

「戦えなければこの世界では死ぬだけだ。この世界は優しくない。いつだって理不尽にできている。だから戦うんだ。剣でも銃でも、言葉やペンでも、知識や技術でも、何かを自分の武器にして死ぬまで戦うしか俺達には道は無い」

「だからそれがっ、耐えがたいのではありませんか!」

 ルルーシュには何故ナナリーがそう悲痛な顔をしているのか、何故シャルルの妄言に付き合ってるのか理解ができなかった。

 確かにナナリーは足は動かないがもう目は見えるし、頭脳は明晰で、容姿は他に比較するものが無い程に美しい。そして兄である自分もいる。それら全てがナナリーの武器になる。皇族出身という経歴が邪魔をするかもしれないが、合衆国日本が設立して正式な戸籍を得ることができたのだからそう問題になるとも思えない。

 だというのにどうして永遠の楽園などというシャルルの甘言に惑わされるのか。明日を捨て去ってまで。

 戦うことに慣れた、戦わない生活を思い浮かべることさえできないルルーシュには、戦う力が無ければ明日を迎えることも出来ない世界を厭うナナリーの心情はとても理解できないものだった。

「お兄様には分かりません。弱者の味方をすると言いながら、お兄様はきっと死んでも、本当に弱い人の気持ちなんて分からないのです……」

「しょうがないだろう。俺は弱者じゃない。弱者になりたいとも思わない。負け犬のままでいいという奴らの気持ちなんて分かってたまるものか」

「っ、だから、それだからお兄様はっ」

 激高するナナリーの前にC.C.が立ち塞がった。

 クラブハウスで幾度か見かけたことのあるC.C.はこれまで見たことの無い深い思慮を讃えた瞳をしていた。

「もう止めろナナリー。誰かが誰かを本当に理解することは不可能なんだ。結局お前はお前にしかなれないし、ルルーシュはルルーシュにしかなれない。お前の考えをルルーシュに押し付けるな。ルルーシュ、お前もだ。お前にはナナリーの考えを否定する権利なんてない。そうやって意見を戦わせても何の意味も無いだろう」

 C.C.の意見は正論だが、現状においては容易に肯首し難かった。

 ルルーシュはナナリーを説得して同道することを承諾させなければこの場から脱出することはできない。無理やり連れて行くことも出来なくはないだろうが、コードを持つシャルルが傍にいてはそれも難しい。シャルルのコードがC.C.の持つコードと同じ力を持つのであれば、触られただけで昏倒してしまう。

 もうナナリーにギアスを使うしかないのか。だがそれだけはどうしてもしたくない。

 歯噛みをしながら頭を悩ましていると、突如目に痛みが走った。またか。だがそんな痛みに構っている暇も無かった。

 ルルーシュは両目を見開いて真っすぐにナナリーを見た。

 

 左目は深紅に染まっていた。ナナリーは黄昏のように赤く光る瞳に見入った。

 

 瞠目したC.C.が止める間もなくルルーシュは口を開いた。

「ナナリー、お前はお前の一番正しいと思うことを、お前の好きなようにしたらいい。そうする権利は誰にだってある。でもな、」

 何気なく言い放たれたその言葉はナナリーの意識の根底に深々と突き刺さった。ナナリーの瞳の淵がうっすらと赤く染まっていた。

 

 正しいと思うことを、好きなようにする。

 

 その言葉が脳裏に浮かび唐突に一つの姿を表した。

 その考えは弱者である自分の道を照らし、争いと差別が蔓延る暗鬱としていた世界を輝かしく見せかけた。

 

 そうか。自分はそのために生まれてきたのか。

 その馬鹿馬鹿しいまでに壮大な計画のために。本当に、誰かが誰かを心から理解することを可能とするために。

 全世界が手を取り合う唯一の可能性のために。

 寄り添い合う愛し合う夫婦でも、心から信頼し合う親友でも、誰よりも愛おしい姉妹であっても、死ぬときは一人だ。それはきっと世界で一番寂しく、残酷なことだ。

 その残酷な世界を否定するために自分はきっと生まれたのだ。

 本当に大好きな人と理解し合って、一つになるために。愛し合うために。

 

 その考えはナナリーに心地よい使命感を齎した。生きる意味というものが生まれて初めてはっきりとした形を持ってナナリーの中に去来したのだった。

 それはルルーシュにとってのナナリーを護ることへの使命感と似た、魂を燃やすような力に満ちていた。

 

「――――分かりました」

 ナナリーはシャルルへと目を向けた。狂気にも似た生命力が赤く瞳に瞬いていた。

「私はお父様の計画に協力しましょう」

「はっ!?ナナリー!?何故、」

 悲鳴を上げるルルーシュを睨みつけて、ナナリーはとてもこの間まで平穏を享受していた少女とは思えない冷ややかな声を出した。その瞳の淵が赤く染まっていることに気付いてルルーシュは驚愕した。

「な、何故だ、俺はギアスを使っていないのに!」

「お兄様はこの計画に賛同されないのでしょう?」

「あ、当たり前だ!なんて馬鹿なっ!」

「ならばお兄様は私の敵です」

 ナナリーの瞳は痛いほどに澄んでいた。ギアスの支配下に置かれたその瞳は、これまでのナナリーの人生の中で最も生命力に富んでいた。

 ナナリーはルルーシュから自分が一番正しいと思うことを、自分の好きなようにするというギアスを受けた。

 ギアスの力によりナナリーは兄の庇護下から完全に脱して、自分の意思で決断を下すことを可能とした。ギアスによりナナリーは自分自身のはっきりとした自我の形を認識したのだ。それは自己意識とも呼べるものだった。

 ナナリーは自己意識を持つ一人の人間として、全ての個を否定するラグナロクの接続こそが自分の使命だと決断を下した。

 爛々としたナナリーの赤い瞳を目の当たりにして、ルルーシュは懐から拳銃を取り出して銃口をシャルルに向けた。シャルルさえいなければナナリーが惑わされることは無かったのだ。あの男が全ての元凶だ。

 しかしナナリーがシャルルを庇うように前に立つ。あまりに体格が違うためにナナリーがシャルルを庇ったところで大して意味も無いのだが、予想着弾点の近くにナナリーがいるだけでグリップを握る手が震えて、銃口がぶれる。

 

 何故だ。自分がナナリーにかけたギアスは、自分の正しいと思うことを、自分の好きなようにするというギアスだった。

 だから今、ナナリーはシャルルを護ることが正しいと思っていることになる。

 コードを手に入れたシャルルが不死身であることは分かっているだろうに。

 そもそも、あの男にはナナリーが庇うような価値などありはしないのに。

 

 拳銃を下ろすことも撃つこともできないまま膠着状態に陥る。解決策を思い浮かばせようと脳を動かすも、その前に突如として携帯端末が鳴った。こんな時になんだと、銃口を構えて視線をシャルルから逸らさないままに懐から携帯を取り出す。発信源はスザクだった。

 他の人間だったならば無視しただろう。しかしルルーシュがナナリーの救助に当たっていると知っていて尚もスザクが通信をしてくるというのだから、尋常ならざる事態であることは明らかであったために無視するわけにもいかなかった。

 拳銃を構えたまま通信ボタンを押す。芝居のセリフを読み上げているような、温度の無いスザクの声がマイクから響いた。

『ルルーシュ、聞こえるか。すぐにそこから脱出して欲しい』

「っ、まだ駄目だ。どうしたんだスザク、何か不測の事態でも起こったか?」

『起こってないよ。予定通り僕たちはギアス嚮団を蹂躙している。ただ、』

「ただ、何だ」

 焦りが籠るルルーシュの声に反響するように、スザクは酷く冷たい声色で宣言した。

 

『これから10分後に僕はフレイヤを発射する。ギアス嚮団は瓦礫も残さず崩壊することになるだろう』

 

 あまりのことに言葉を失ったルルーシュに追い打ちをかけるようにスザクが言葉を重ねる。

『V.V.を消滅させるためにはフレイヤしか手段が無い。逃げられる前にフレイヤで消滅させる方が得策だ』

「待て、待つんだスザク!もう、」

『蜃気楼がまだギアス嚮団内部にいても10分後には僕はフレイヤを撃つ。ナナリーのGPS信号はもうギアス嚮団内には無いから安心して欲しい。だからすぐに君は逃げてくれ』

「駄目だ、駄目なんだ!頼むスザク、話を」

『嫌だ!!!』

 破裂するような声は強い非難と疑念を含んでいた。スザクの絶望と怒りが撃ち放った声はルルーシュを一瞬黙らせるのに十分な威力を有していた。

『嫌だ!ユフィをギアスで操って、僕の父さんを殺して、そのことをずっと黙っていた君の言葉なんてもう信じない!!信じられるか!!信じてたまるかっ……君に嘘をつかれるのは、もう沢山だ……っ』

 端末を握る手が震えた。

 枢木ゲンブを殺したというスザクの怒号は、既にナナリーに深々と傷つけられていたルルーシュの心の弱い所に突き刺さって血が噴き出した。

 6年前の、今もまだ脳細胞に染みついているあの屈辱の日々の欠片が水面に浮上するようにフラッシュバックする。

 

 太い指が股座を蹂躙する痛み、胸に吸い付く唇と舌の湿った感触。

 腹の中に放出される悍ましい液体の熱。

 太腿の間からこちらを見上げる淀んだ碧の瞳の色。

 

 嗚咽が喉奥に込み上げてルルーシュは体をくの字に折り曲げた。そうだ。確かに自分は枢木ゲンブを、スザクの父親を殺した。でも、でもそれは。

 弁明しようとルルーシュは端末を握る手に力を込めたが、何も唇から言葉として出てはこなかった。それを言うことはどうしてもできなかった。

 その一瞬の空白の間にぶつりと通信が切れた。通話が切れる断絶音によりルルーシュは一瞬手元から離れた意識を取り戻して、焦りのために声を荒げた。

「ま、待て、待つんだスザク!!」

 携帯端末を再度スザクに繋げようとコールする。だが通信は拒絶され、すぐさまに切れた。

 駄目だ。

 ルルーシュは端末を放り投げて階段目掛けて走り出した。

 石畳の階段を駆け上がる。その光景にナナリーは昔、枢木家へ向かうため自分を背負って階段を上った時も兄はこんな顔をしていたのだろうと思った。ルルーシュはひたすらに前だけを向いて、必死の形相でナナリーを見つめていた。

「ナナリー、すぐに逃げるぞ!」

「私はここにお父様と一緒におります」

「そんな我儘を聞いている場合じゃないんだ!フレイヤが来る!あれが炸裂すればギアス嚮団は一瞬で消滅するぞ!」

「それでも私は、」

 ナナリーは目の前まで迫ったルルーシュを静かに見据えた。

 瞳は静かな決意に満ちていた。

「私は計画を完成させます。それは私にしかできないことなのです」

 腕を伸ばしてルルーシュは無理やりにナナリーの体を引き寄せようとした。だがその手をC.C.が阻んだ。

 ルルーシュの手首を握ってC.C.は首を振った。  

「悪いルルーシュ。だがこれ以上はもう無駄でしかない」

「何を、」

「ギアスがかかってしまった以上、ナナリーの説得は不可能だ。私はお前だけでも逃がす」

 そう言うや否や、C.C.が触れた個所から体が力を失い階段の上に崩れ落ちた。コードのフラッシュバックだと気付く頃には、視界は朦朧とした霧に覆われて、意識は虚空へと埋もれていた。

 眼球をナナリーに向ける。敵を見据える冷たい表情はこれまで散々に向けられたことがあった。

 だがナナリーがどうしてそんな表情を自分に向けるのか理解ができず、ただ胸が痛んだ。

「どうして、ナナリー」

 向けられる敵意にそれだけを言い残し、ルルーシュは意識を手放した。暗転。

 

 

 がくりと倒れた華奢な体をC.C.が支える。

 C.C.はルルーシュを背中に背負おうと身を捩るが、自分よりも長身のルルーシュを抱えられる程にC.C.の筋力は強くなかった。

 見かねたシャルルが意識の無いルルーシュを軽々と抱え上げて横抱きにする。長身とはいっても細身のルルーシュの体重など、巨躯を誇るシャルルにとってそう重いものではなかった。

「おい」

「………あのKMFに乗せればいいのだろう」

 シャルルはそう言って階段を下りた。ルルーシュと同じ色をした瞳は腕の中に横たわるマリアンヌに似た妖艶な美貌にじっと落とされていた。

 そのまま蜃気楼のコックピットへと横たわらせる。丁寧なシャルルの動作を呆れ交じりで眺めながら、C.C.は蜃気楼の操縦席に身体を押し込んだ。

 蜃気楼の操縦はしたことは無いが単純な飛行程度なら問題なく可能だ。メインエンジンを起動させるとモニターが白く発光し、出撃を待ちわびるように蜃気楼は唸り声を上げた。シャルルは名残惜しそうにルルーシュの頭を撫でてその傍から離れた。

 シャルルが離れるなりC.C.は操縦桿を握りながらも愛おしそうにルルーシュの髪を撫でた。珍しく優しい表情をしているC.C.へ、シャルルは咎めているにしてはあまりに心細そうな声色で問いかけた。

「わしらを裏切るのか、C.C.」

「悪いなシャルル。私はもう暫く生きることに決めた。この世界は興味深い。500年ではまだ足りないようだ――――コックピットを閉めるぞ、離れろ」

 深い諦観の滲む顔をしてシャルルは巨木のような体を蜃気楼から離した。

 娘に触れた手を見る。ルルーシュに触れるのはあれが最初で最後になるのだろう。

 ルルーシュは思っていたよりも華奢で、軽い体をしていた。ブリタニアへ反旗を翻す程の膨大な生命力が詰め込まれているとは思えない程に彼女の体つきは弱弱しかった。シャルルは手を強く握りしめた。

 

 

 蜃気楼の飛翔滑走翼を起動させながらC.C.は思考エレベーターを開いた。

 計画を実行するというのならばシャルルはもう現実世界に戻る気は無いのだろう。だが自分は違う。そしてルルーシュもそうだ。

 自分達が生きる場所はあの残酷で理不尽な現実でしかありえないのだ。虚数世界に引きこもって夢を見続けるなどまっぴらごめんだ。それは生きているとは言わない。通信をジークフリートに繋げる。

「おいオレンジ君、聞こえるか」

『C.C.か?今は待て、ナイトオブワンとまだ交戦中、』

「あと7分程度でフレイヤがギアス嚮団にぶっぱなされる。スザクの仕業だ。私は今ルルーシュを連れて逃げている」

『………はあ!?』

 驚愕のあまり言葉を失ったジェレミアに、しかし驚きが治まるまで待つ余裕も無いためにC.C.は畳みかけるように言葉を繋げた。

「すぐにCの世界を脱出して現実世界に戻る。お前たちも逃げる準備をしておけ。あと6分も無いぞ」

『わ、分かった!』

 そう言うや否やジェレミアは通信を切った。蜃気楼が現実に戻るなりすぐにギアス嚮団を脱せられるよう、黄昏の扉からナイトオブワンとナイトオブトゥエルブを引き離してくれるのだろう。話が早くて助かる。

「――――すまない」

 C.C.は床に横たわりすうすうと寝息を立てているルルーシュに向けて小さく呟いた。 聞こえていないだろうと分かっていても言わずにはいられなかったのだった。

 人の日記を勝手に見てしまうのと似た罪悪感がC.C.の中で渦巻いていた。

「さっきお前を気絶させた時な、お前の記憶を見たんだ。だから……だから、どうしてお前がナナリーに自分が女性だと言えないのか分かった。お前がそうやって、傷だらけになりながらも必死になってナナリーを護ろうとしていたんだってことも知った。だから私は……私は、お前を選ぶよ」

 ルルーシュはいつだって戦いながら生きてきたのだ。不器用に。

 C.C.はルルーシュのために一粒だけ涙を流した。

「その程度でお前が汚れるわけがないだろう――――馬鹿な子だなあ」

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

 Cの世界にはナナリーとシャルルだけが残った。2人しかいない空間は鼓膜が痛む程に静かだった。

 シャルルは自分の隣で飛び去った蜃気楼の後姿を見つめるナナリーに目を落とした。

「どうしておぬしは、わしに味方をしてくれるのだ……?」

「哀れだからです」

 ナナリーはきっぱりと言い放った。

 その姿からはスザクと対面したときの弱弱しさは完全に払拭されていた。凛と背筋を伸ばし、ナナリーは自分よりもずっと体の大きな、年上の、この星で最も強大な権力を持つ父親を、本来ならば雨の中を彷徨う小動物へ向けるに相応しい慈愛と同情を煮詰めた蜜を含んだ瞳で見上げた。

「お兄様よりもお父様の方がずっと寂しくて、ずっと弱い、孤独で、哀れな生き物だからです」

「……わしが、可哀想だと?わしはブリタニア皇帝だ。この世界の三分の一を手に入れた、最も権力を持つ人間だ。それを知っていてナナリーはこのわしを哀れむのか」

「お父様はこの世の栄華を極められたでしょう。その気になればブリタニアの宮殿を宝石でいっぱいにして、美しい女性を何百人と侍らせてお父様への愛を口にさせることもできるでしょう。お父様がそれらに価値を見いだせる程に即物的で短絡的な男であったのならば、お父様は幸せになれたのかもしれませんが」

 そうではないでしょう、とナナリーは目を落とした。

 

 それらにだけ価値を見出す人間の、なんと幸せな事か。世界中の人間が物理的な世界で、物理的な欲を満たすことで幸せになれるのならばギアスやコードなどに頼らずとも世界から戦争を無くすことは可能なのではないかとナナリーは思った。

 しかしそれだけが世界の全てではないのだ。目には見えず形として触れることもできないものへの欲は、小さな人の体の中ではち切れんばかりに蠢いているのだ。自立欲求、知性や理性への欲、承認欲求、他者に服従したいという甘えた欲。愛欲。

 ナナリーの目に父がとてつもなく哀れに見えてしまうのはまさに、父がこの世界で一番権力を握っているからだった。三角形の頂点はいつだって一点でしかない。

 馬鹿な男だ。衣食住に不自由しない恵まれた立場にあるというのに、少し周囲を見回せば自分を愛する人間なんて簡単に見つかるだろうに、嘘が嫌だと駄々をこねて馬鹿な計画に人生の大半を費やしている。

 その有様は今の自分と似ているように思えた。自分だって兄の下へ戻れば物理的には恵まれた生活が送れるし、兄は一身に自分を愛してくれるだろう。自分を見る人間がいれば一様に自分を馬鹿だと貶すに違いない。自分だって馬鹿な真似をしていると分かっている。

 そうと分かっているのに自分がここにいるのは完璧な兄への反抗であり、父への同情であり、そして何の瑕疵も無い完璧な優しい世界のためだ。この3つの中で最も優先順位が低いものはどれかなどと考えるまでもなかった。

 

「お兄様には沢山の友人と、何人もの騎士と、強い精神と知性があります。少なくともお兄様はお父様のように、世界中の生きとし生けるものを一つにして孤独を埋めようなどという馬鹿な真似はしないでしょう」

「馬鹿な真似だと……」

「馬鹿な真似です」

 はっきりと言い切り、ナナリーは皮肉気に唇を歪ませた。馬鹿な真似と知っていながら自分も加担しているのだから救いようがない。

「お父様はお兄様より弱い。お兄様どころか、この世界の大半の人より弱い。本当に強い精神を持つ人が、地球上全ての生物の意識を統合させて孤独と嘘を無くそうなどというふざけたことを考える筈が無いのですから。そして私もお父様と同じくらい弱い。

……だからその馬鹿な計画に乗ってあげましょう。馬鹿馬鹿しいですが――――もしかすると本当に、それこそが優しい世界に成り得る唯一かもしれません」

 馬鹿馬鹿しいですが、と再度ナナリーは繰り返した。

「あまりに強い人は弱い人の心が分からない。強いお姉様より、弱いお父様の方が私が思う優しい世界により近いところにいるのかもしれませんもの」

 シャルルはどう言っていいのか分からなかった。自分を弱いと言い切るナナリーの精神がそう弱いとも思えなかったし、ブリタニア皇帝たる自身が弱い生き物だともこれまで思ったことが無かった。

 ただナナリーの言葉は容易に否定できない力を以ってシャルルを屈服させようとしていた。

 

 暫くの静寂の後に、ナナリーとシャルルの間に割り込むようにしてビスマルクが姿を現した。

 戦闘を終えた直後だからか少し汗を纏いながらも確かな足取りでビスマルクはシャルルの前に跪き、朗々とした声を上げた。

「ただいま帰還致しました。ジェレミア卿のギアスキャンセラーは予定通りに機能しております。計画に十分使えるかと」

「よろしい。では予定通りに進めよ」

「はっ」

 まるで犬のように父の足元に蹲るビスマルクを見やり、ナナリーは鼻で笑った。

「お父様は、本当にお可哀想な人です」

 

 

■  ■  ■

 

 

 黄昏の扉の前に白い光が走り、次の瞬間には蜃気楼がそこに佇んでいた。

『ルルーシュ様!』

『意識は無いが無事だ、私が今は操縦している!!』

 珍しく張りのあるC.C.の声にジェレミアはよし、と拳を握った。

 残り時間はあと5分といったところだろう。蜃気楼の速度ならばギリギリだが間に合う。

『カレン!』

『はいはい!』

 ジェレミアの言葉だけで意図を察したカレンはギャラハッドとフローレンスの前に立ち塞がり拡散輻射波動弾を放った。その隙に蜃気楼は全てのエネルギーを飛翔滑走翼に回して、放たれた矢のように飛び出した。

 ジェレミアはジークフリートを飛ばしながら蜃気楼に向けられる攻撃を先んじて防ぐ。背後でギャラハッドが黄昏の扉に向かったようだが、そんなものを気にしてられる余裕は無い。時間はあと6分あるか無いかというところだった。

『カレン、これ以上相手をする必要は無い!すぐに離脱しろ!』

『分かってるわよ!ていうかあんた、ルルーシュの代わりに黒の騎士団に指示を!』

『承知している!』

 ジェレミアはジークフリートの通信を蜃気楼に繋げた。そこからドルイドシステムを呼び出し、ルルーシュに任されている自身の全権限を以てゼロの代理として自分を認めさせる。

 ジェレミアの声はジークフリートにより電子化され、無線通信で蜃気楼に飛んでゼロの声に変声された。

 ゼロの声をしたジェレミアの言葉は黒の騎士団に所属する全てのKMFに響き渡った。

『こちらゼロ、黒の騎士団全軍に告ぐ。即時この地下空間から離脱し全速力で南極大陸から離れよ!!』

『っ、はあ?』

『え、どういうことですか?』

『ゼロ、まだ任務は、』

『現行の任務は全て中止だ!即座に離脱せよ!今すぐにだ!』

 ゼロの、ジェレミアの命令には質問を許さない迫力があった。

 普段とは違う声色と突然の命令に戸惑うものの、蜃気楼から発せられているゼロの声なのだからこれがゼロの命令であることは疑いが無い。各々はすぐさまに命令に従いその場から離脱した。

 黒の騎士団にとってゼロの命令は絶対だ。それに加えてこれまでも作戦中にイレギュラーが起こり、ゼロから変則的な命令が下ったことが幾度もある。そしてそういった時のゼロの命令が間違っていたことは無かった。

 ギアス嚮団のあちこちからKMFが宙に浮かび上がり、日没寸前の蝙蝠のように洞穴から飛び立ってゆく。

 

 通信を終えたジェレミアも、ギアス嚮団の地下空間から抜け出ようとフロートシステムにエネルギーを籠めようとした。だがそこで偶然外部カメラに映った濃いストロベリーブロンドの髪を持つ女が眼に入った。

 見覚えのある顔にまさかと思うも、同時にV.V.の悲惨な死体を思い返す。そういえばあの死体は自分が惨殺した枢木ゲンブの死体とどこか似ていた。

 執拗なまでに痛めつけられたV.V.の死体には復讐というやりきれない感情が籠っていた。ただ殺すだけなのであればあそこまで無惨に切り刻む必要は無い。

 V.V.に恨みを持つ人間は世界中に多々いるだろうが、あそこまでの剣技を持ち、さらにギアス嚮団本部の場所を探るだけの調査能力のある人間は限られている。

 ではやはり。

 ジェレミアはジークフリートの進行方向をその女の方へと向けた。

 

 

 

 

「時間か」

 スザクは時計に目を落とした。ルルーシュに通信を入れてからもう10分を過ぎている。

 最後の確認のため液晶画面に目を落とす。南極大陸の上空には多数のKMFが浮かんでいた。蜃気楼もその中に紛れて空中を浮かんでいる。その両隣には紅蓮とジークフリートが蜃気楼を護るように立ちはだかっていた。

 いずれもフレイヤの影響範囲外まで到達している。

 スザクは口元に小さな微笑みを浮かべた。

「ユフィ、約束したね」

 小指を見る。ユフィと小指を結んで約束した時のことを、今でもスザクははっきりと思い返すことができた。

 あの時に手を離さなければ、一緒にブリタニアへ戻っていればと何度も後悔した。

 しかしいくら後悔しても何も戻ってはこなかった。ただ何度も思い出したユフィの笑顔と、最後に交わした約束だけがスザクを縛っていた。

「僕は生きて帰って来る。ゼロも死なない。コーネリア様も死なない………ルルーシュも、ナナリーも死なない。そう約束したね。約束は守るよ。千本の針なんて怖くないけど、約束を破ったと怒る君は怖いから」

 その光景を想像して、喉奥から笑いが込みあがってきた。約束を破らなかったとしても自分が成した復讐のためにユフィは怒るだろうことをスザクは分かっていた。

 

 だがそれでもスザクは良かった。ユフィが自分を怒ってくれるのなら、それでも良かったのだ。

 あの可愛い顔を真っ赤にして、自分を小さな拳で殴ってくれるのなら、自分は何だってできるだろう。

 

 永遠に訪れることのないその想像のために、スザクはフレイヤの発射スイッチを押した。

 楕円形の砲弾がランスロットの背中から発射されてギアス嚮団の内部へと飛ぶ。多くの砲弾に紛れたそれは、やや巨大ではあれどそう目を惹くようなものではなかった。

 逃げ遅れた黒の騎士団員が紡ぐ喧しい戦場の唸り声はその砲弾一つを気にする余裕も無く、フレイヤは誰に邪魔されることも無く悠々と戦場を飛び、その中心部へと達した。

 ランスロットから発射されてから約5秒後のことだった。

 それは閃光だった。

 非戦闘員だった研究者、ギアス嚮団のモルモットにされていた被害者、虐待を受けていたギアスユーザー、何も知らない黒の騎士団団員。それら全てをフレイヤの光は差別なく平等に覆い尽くし、静かに飲み込む。

 眩いばかりの光の中で全ての物体は粒子レベルにまで分解された。

 分解された粒子は個の別の無い存在として一つになった。

 極密度まで圧縮された無数の粒子には意識も欲も信念も無く、ただ圧倒的なフレイヤという存在の前でモザイク状の塊となり、そして爆散した。

 目にも見えない大きさの粒子が大気圏に達する程の速度で吹き飛ばされ、フレイヤの影響力圏内は真空と化した。

 文字通り何も、誰も無くなった完全な調和を誇る真空空間は、しかし物理的世界において存在が許容されない。

 空間を埋めるべく大量の空気が爆風となって吹き荒れて二次的災害をまき散らす。

 

 後にはただ真円状の荒廃だけが残った。

 

 

 

 

 

 


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