クラブハウスに到着する頃には太陽が傾いていた。ルルーシュはクラブハウスの扉を勢いよく開いて見慣れた玄関へと飛び込んだ。
「ナナリー、ナナリー!」
声を張り上げてここにいる筈の妹の名前を呼ぶと、声を聞きつけた咲世子が焦った顔でぱたぱたとかけてきた。日本人らしく黄色がかった肌は蒼白に染まり、顔中に沈鬱な色が乗っていた。
咲世子がこんな顔をしているのは珍しい。家主であるルルーシュが家に戻って来たことに芯から戸惑っている様子だった。
「ル、ルルーシュ様、どうしてこちらに、」
「咲世子さん、ナナリーはどこですか?学校に遅刻してしまうからと思って急いで帰ってきたんです。俺がいないとナナリーは学校に行けませんから」
ルルーシュがそう言うと咲世子は見る見るうちに顎を震わせて、力なく頭を横に振った。
「……咲世子さん?どうしたのですか」
「―――ルルーシュ様、ナナリー様はこちらにはいらっしゃいません……」
なんとか絞り出したような咲世子の言葉は酷く掠れていた。思いもがけない返答にルルーシュはきょとんと眼を見開いた。
「どうしてでしょう。もう学校に行ってしまったんですか?」
「……いえ、いえ、申し訳ございませんルルーシュ様、私は……」
「っ、まさか一人で出かけてるのか!?」
詰まる咲世子の言葉に、まさかナナリーが一人で家を抜け出したのかとルルーシュは血の気を引かせた。
いくら目が見えるようになったと言ってもナナリーの足は動かないままであり、社会的弱者であることに変わりは無い。
それに加えて、合衆国日本の設立に伴って日本人が勝ち得た人権の中には、自分たちを虐げたブリタニア人へ復讐する権利も含まれているのだと勘違いする馬鹿もいる。現に日本人によるブリタニア人への暴行事件は数多く検挙されていた。
路地裏をうろつくナナリーに破落戸どもが群がる光景を思い浮かべると顔が青褪める。震える手足を無理やり動かして玄関扉を押し開いた。
「ルルーシュ様、」
「咲世子さんはここにいて下さい、ナナリーが帰って来るかもしれません!何か変わったことがあれば連絡をお願いします!」
そう言うや否やルルーシュはクラブハウスを飛び出した。
咲世子は目に涙を滲ませて、喉奥から肯定の返事を絞り出した。それ以外にどう答えていいのか分からなかったのだ。
ルルーシュが何をしようと全て無駄だと伝えるには、咲世子は仲の良い姉妹の姿を長く見過ぎていた。
ルルーシュが真っ先に向かったのは繁華街だった。昼間は多くの客が集まるショッピングモールが賑やかな笑い声を立てているが、夜が深まるにつれて色が変わる。
バーや学生向けの居酒屋も多く軒を連ねているため夜中もそれなりに賑やかではあるものの、一本路地を越えると雰囲気は埃っぽくなり、娼婦やチンピラの姿がちらほらと見えるようになる。戦争という台風一過の影響でエリア11であった頃より治安は改善しているものの、薄暗い影はどの時代のどの町にも存在した。
特に敗者であるブリタニア人に対して合衆国日本国民の心情は厳しくならざるを得ない。ここ最近では夜に街を歩くブリタニア人の姿は珍しく、額に汗を滲ませて路地を歩き回る美貌の少年は非常によく目立った。
太陽はその姿を半分以上地面に隠していて、黄昏が街を照らしていた。
以前シャーリーやリヴァルと遊びに来たことのあるカフェの一本奥の道へと入る。昼間の陽気な雰囲気はどこかに流れ去り、今は冷ややかで沈鬱な空気が満ちていた。
タバコや空き缶、生ごみが点々と落ちる道を踏みしめながら歩く。奥まった路地は高いビルに囲まれているせいで夕暮れ時にしても薄暗く、人気が無かった。
「ナナリー、」
ナナリーの名前を呼びながら視線を周囲に走らせる。
耳を澄ませるが酔っ払いが嘔吐する声や、娼婦が客引きする艶めかしい声ぐらいしか聞こえない。どこか遠くから、路地裏で客を取っている娼婦のわざとらしい喘ぎ声が反響していた。
まだ日も暮れていないのにと上を見上げる。ビルのてっぺんが黄昏の陽に照らされて燃えるように輝いていた。
黄昏の色に目が焼かれるようだ。何かを忘れているような気がした。
「ナナリー」
ルルーシュは足を止めてその場に立ち尽くした。燃えるような黄昏に目を囚われた。
美しい黄昏だ。こんな路地裏の薄暗がりであっても変わらず眩しく美しい。
赤い黄昏が網膜に染み渡る。眩し過ぎて目を閉じると、瞼の裏に黄昏を背にして車いすに座るナナリーの姿が思い浮かんだ。
ナナリーは敵意の籠った瞳でこちらを睨み据えていた。ゆっくりと口を開いて、
「違う、嫌だ。違うんだナナリーっ、」
ルルーシュはぶんぶんと頭を振った。思い出したくない。それを思い出してしまったら終わってしまう。
しかしぐんぐんと速度を上げて回転するルルーシュの脳はどこまでも現実的に容赦無くルルーシュを追いつめた。確実な過去が夕陽の光に照らされて瞬いた。
そうだ。夕陽はいつだって美しい。いつだって、美しかった。
邪魔なビルの群れが無いためかブリタニアで見た夕陽よりずっと美しい。日本という土地にあって、海面を照らす夕陽はどこか郷愁を感じさせた。
現実ではビルに囲まれているせいで夕陽なんて碌に見えもしない。精々がビルが反射する赤い光が視界に映る程度だというのに、ルルーシュの瞼の裏には海原に沈む陽光が煌めいていた。
体が崩れ落ちる。
「違う。これは、違うんだ」
都合の良い夢を見るために、ルルーシュの意識は幸せな過去を切り貼りして現実と滑らかに繋ぎ合わせようと苦悩していた。17年の過去の中で幸せと感じた記憶だけが膨大化して、他の辛い苦難の記憶は矮小化し、微睡むような心地よさが意識を乗っ取ろうと試みている。
しかし同時にルルーシュの意識は滾々と自分に言い聞かせていた。
こんなことをしている暇はない。早く立ち上がらないと。
立ち上がらないと。戦わなければならないんだ。
ルルーシュは呻きながら体を引きずって現実と夢の境界をふらふらと彷徨った。空虚な現実と満ち足りた夢、どちらかから逃げようとしていて、どちらかを探していた。しかし一体自分がどちらを求めているのかは、体を焼き尽くすように照らす黄昏のせいで目が眩んでしまい、とても分からなかった。
空き缶を蹴飛ばした拍子に酒瓶に足を取られて転げて、生ごみの詰まったバケツに頭から突っ込んでしまう。
腐った魚の腸がぶちまけられたような酷い臭いがした。体中に巻き散らかされたありとあらゆる汚物をぼうっと見下ろし、ゆるゆると立ち上がって振り払う。
恐らくは、自分は酷く疲れている。ナナリーが誘拐されて即座に黒の騎士団を集結させて、南極へ飛び、戦場の指揮を執って、色々なことがあって、その間一度も足を止めることは無かった。疲れを自覚すると、体の内からじくじくと蝕むような疲労が巨大化したような気がする。
それでも足を止めずにナナリーの名前を呼びながら歩いた。日は落ちて周囲は帳を降ろし、街灯の小さな明かりが夜光虫のようにぽつぽつと周囲に漂う。
薄暗がりの中で気まぐれに姿を現す街灯と月明かりのみを頼りにふらふらと歩く。もう幾つめか分からない角を曲がると行き止まりで、溜息を吐いて踵を返した。
振り返った先には一人の男が狭い路地を塞ぐように立っていた。街灯は遠くにほんのりとマッチのような火を灯しているばかりで、唯一の頼りである月明かりでは顔もよく見えない。
しかしたったそれだけの明かりだけでも分かる程に、男は憤怒の形相でブリタニア人らしく白い肌をしたルルーシュを睨みつけていた。肝臓が悪いのか黄疸の目立つ眼球は眼窩から飛び出しているようであり、ぎょろりとした視線は魚に似ていた。
誰だ、と聞く前に大股で近寄られる。そのまま一切の容赦無く横っ腹を殴られた。
容赦の無い殴打に息が詰まる。体が壁へ叩きつけられてそのまま地べたに落ちた。
ゆるゆると顔を上げると、いきなり殴りかかってきた男がこちらを見下ろしていた。顔面には悪役をコテンパンに倒した正義のヒーローを彷彿とさせる愉悦が浮かんでいた。肌の色や髪の色から推測するに日本人のようであり、年の頃は中年の後半に差し掛かった頃だろう。
寄生虫のブリタニア人が、だの、合衆国日本になったんだからブリキの国に帰れ、だのととりとめのない事を引っ切り無しにわあわあと叫んでいる。しかしルルーシュには彼の口から漏れ出る音を意味のある言語だと理解するだけの余裕が無かった。
ルルーシュの眼はその男性の背後に見えるビルの非常階段に注がれていた。階段は石造りでとてつもなく長く続き、幼いルルーシュが見上げても先が見えない程だった。
聞いてんのかよと男が喧しく罵りながらルルーシュの胸倉を掴み上げる。乱暴な動作のせいでボタンが弾けて男の指が制服の後ろに隠された柔らかい脂肪を感じ取った。
男は途端に無言になった。
まさか、という驚きの後に、自分の指先の感触が間違いではなかったことを確かめようと生地の厚い学生服を剥ぎ取る。学生服の下には男性にはあり得ない細い曲線で描かれた体躯があった。薄いシャツは肌を滑る汗に吸い付き色味の薄い肌を見え隠れさせて、見る者を挑発させた。
女か。そう気づいた男は、虚ろな表情であっても稀な美貌を一切損なってはいない、宝石細工のように繊細な容姿をじっと見つめて、獣欲を顔に貼りつかせた薄ら寒い笑みを浮かべた。
その類の笑みには吐き気がするほどに見覚えがあった。体中に染み込んだ恐怖が6年間の眠りから息を吹き返す。脳の奥がかっと熱くなり、同時に下腹部が永久凍土のように冷たくなった。
ルルーシュは嗚咽に似た喚き声を歯の隙間から吐き出した。手足を振り乱して男を少しでも引き離そうともがく。しかし華奢な手足の抵抗は何の実も結ぶ事無く、シャツは呆気なく剥ぎ取られた。
首から臍までが空気に晒されて、小さいながらも白く柔らかい乳房が露わになる。獣のような荒い呼吸が聞こえたかと思えば、男性特有の骨ばった太い指が小さな乳房を鷲掴みにした。
ちぎり取ろうとするかのように爪が肌に食い込む。鋭い痛みに声が口から零れそうになるが咄嗟に耐えた。
痛みに呻くような真似をしてもこの類の男は喜ぶだけだと既にルルーシュは知っていた。せめてもの抵抗にと男を睨むと、濁った碧色の瞳が抵抗する術もない惨めな女を嘲るように見下ろしていた。
日本人にしては珍しい碧の瞳に見間違いかと瞬きをすると、男の背後に長く続く石階段が酷く鮮明に目に映った。ゆるゆると視線をその上に向けると皇帝/枢木邸が立っている。
威圧感のある佇まいのそれを目の前にして、とうとう自分は狂ったのかと呆けていると、意識が自分から逸れたのが気に食わなかったらしく、男は目の前に流れる黒髪に指を通して拳を思いっきり握り締めた。ぶちぶちと髪が頭皮から引きちぎられる音と痛みを知覚はしたものの、意識が現実と夢の狭間から戻ってくることは無かった。
男/枢木ゲンブの舌打ちがした。これは男が不機嫌である合図だからこれ以上機嫌を損ねないために従順な振りをしなくてはならない。でなければとても、とっても痛い目に遭うのだ。
一切の抵抗を止めた腕を骨が軋む程の握力で握られて、白い壁/ベッドに顔を押し付けられる。埃っぽい臭いがした。
ベルトを引き抜かれてあっという間にズボンを引き下ろされる。下着越しに股座を掌で摩られて背筋に怖気が走った。耳元ではあ、はあ、と湿度の籠った息遣いがしてこの上無く気持ちが悪い。耳の中をミミズがのたくっているような気さえする。
怖気のあまりに身を捩るとニタニタとした醜悪な笑みが視界の端に映る。ズボン越しに膨らんだモノを太腿に押し付けられる。
嫌という程に慣れた懐かしい感覚だった。
「―――あははっ」
またか。またなのか。
ナナリー一人さえ守れず、こうして現実を直視することさえ出来ない。似合いの末路というわけか。
視界が潤んで、それだけはと頬の内側を肉が抉れる程に噛みしめた。泣いてたまるか。泣いてたまるか。
泣く程のことじゃない。殴られるのも罵倒されるのも初めてじゃない。また立ち上がれる。
何回だって、自分とナナリーが生きていれば立ち上がれる筈だ。
でも、ナナリーがいなくなったらどうなるんだろう。
力が抜けて人形のように地面に崩れたルルーシュを、男は恐怖のあまり気絶したのだと判断して下着を引きちぎった。生まれたままの姿を晒すルルーシュはどこもかしこも美しい造りをしていた。露わになった淡い色の女性器を目の当たりにして、餌を前にした犬より呼吸が荒くなる。
あまりに美しい姿に、これは本当に犯してよいものなのだろうかと男はほんの一瞬だけ戸惑った。
日本に寄生する薄汚いブリタニア人と言えども、自分が組み敷いている生物は触れることさえ躊躇われる程に美しかった。若く瑞々しい女の、全身に蜜でも垂らしているように輝く完璧な造形は、人種の別を超えた神々しさをその身の内に秘めていた。
しかしその美しさへ向けられた純粋な畏敬の念は、次の瞬間には届く筈の無い半神めいた美貌を組み敷くことへの征服感へと姿を変えた。
下卑た笑みを口の端に浮かべて、男の指が剥き出しになった淡色の花弁のような女性器へと伸びる。
ぼんやりと現実と夢の境を行きつ戻りつしていたルルーシュは視界の端に赤い影を見た。
きょろきょろと視線を動かしながら彷徨っていたらしきその影は、ルルーシュを視界に入れた瞬間に弾けるように駆け出した。ぐんぐんと近づく人はあまりに見慣れた顔をしていた。
「………ジェレミア?」
脳裏に真っ先に浮かんだ名前を呟いたが、しかしその人物はジェレミアにしては小柄で、そしてずっと若かった。何より女性だった。
空気に擦れる小さな音がしたかと思えば、ルルーシュを組み敷いていた男はすさまじい勢いで宙に吹っ飛んで壁に叩きつけられた。骨の二三本でも折れるような破裂音が小気味よく弾ける。
「ぎゃあぁあっ」
短く悲鳴を上げて地面に落ちた男をサッカーボールのようにカレンが蹴り飛ばす。男は再度吹き飛び、またどこかの骨が折れるような音と共に壁に衝突し、また地べたに落ちた。そしてまた蹴り、また壁に衝突し、また蹴る。
目の前で繰り広げられる暴行事件に段々とルルーシュの混乱も治まってきた。と言うよりもカレンは破裂しかけたトマトのような顔をしていて、見るからに頭に血が上っており、逆にルルーシュの方が冷静になったのだ。
よく見るとあの男は年齢と背丈以外は全く枢木ゲンブに似ていない。ビルの外付け階段はどう見てもアルミ製だし、無論のこと枢木邸の姿もシャルルの姿もどこにもない。周囲を見回しても飲み屋街の袋小路らしい薄汚い景色しか広がっていない。
意識が確実に現実に戻ってくるのを感じながら、何を馬鹿なことをしていたのかとため息が零れる。こんなことをしても結局何も変わりはしない。無駄な時間を過ごす暇など自分には無い筈だ。
そうやって内省している間にも、カレンは飽きもせずに男を何度も蹴り飛ばしていた。その度に猫が踏みつぶされたような悲鳴が短く上がる。
しかしとうとう悲鳴も上がらなくなってからカレンはようやく壁打ち人間リバウンダーを止めた。日本人らしい愛嬌のある容姿を仮面でも被ったかのように冷ややかに作り変えて、死にかけた羽虫を見る目つきで男を見下ろす。
「選ばせてあげるわ。3分の4殺しで楽になるか、それとも3分の3殺しで死ぬまで苦しむかどっちがいい?」
ごきごきと指を鳴らすカレンに、それどっちでも死ぬんじゃないかと呟きながらルルーシュはよっこらせと立ち上がった。
ここで自分が首を挟まなかったら冗談でなくカレンはこの男を殺すだろう。正義感の強い少女だ。友人でありゼロでもある自分がレイプされかけた現場に居合わせて、それほど長くも無い堪忍袋の緒はとっくに引きちぎられている。
とはいえ敵とあれば躊躇も後悔もなく人を殺せるジェレミアと違い、カレンは未だまっとうな倫理観を持っている若い女性だ。カレンの将来を考えると人殺しに慣れるのはそう良いことではない。
「止めろカレン、死体は後始末が面倒臭いんだ。もういいから放っておけ」
「大丈夫よ。サクラダイトぶっかけて火をつければ一瞬で始末できるわ」
「飲み屋街でそんなことをしたら大惨事だろう。大騒ぎにはしたくない」
ヒーロー戦隊ものの悪役のように顔を歪めたカレンは、苛立ち交じりに男の脇腹を思いっきり蹴上げた。鈍音と共に頭から地面に落下した男は息も絶え絶えといった様子だった。ぴくりとも動かない。しかしまだ息はあった。
ルルーシュは男の瞼を無理やり開かせてその瞳を覗きこんだ。瞳の色は碧ではなく、日本人に最も多いダークブラウンをしていた。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる。ここで起こったことを全て忘れて家に帰って……そしてその薄汚いペ〇スを包丁で切り落とせ」
「……ああ、分かった」
何の感情も籠らない返答を返して、奇跡的に足の骨は折れていなかったらしく、男はふらつきながらも立ち上がった。瞳を赤く染め上げてそのまま歩いて去って行く。運よく失血死しなければ明日には二度と女性に暴行を振るえる体ではなくなっているだろう。
いい気味だ。ルルーシュは鼻で笑った。
カレンは去って行った男を気に食わないと見ていたが、捕まえて警察に突き出すことはルルーシュの立場のためにできない。かといって殺すというのも、頭に血が上った状態だったからそう口にしただけであって、戦争中でもないのに躊躇なく人殺しをすることのできないカレンには無理な話だった。それよりも今はルルーシュの無事を確かめようと駆け寄った。
「ルルーシュ大丈夫?怪我は?」
「怪我は無い。下着を破かれたぐらいだ」
カレンは般若のように顔を歪めて男が去って行った方向を一瞥した。もう2、3発は殴っておけばよかった。
喉元に込みあがる苛立ちをなんとか抑えて、地面に落ちている学生服を拾ってルルーシュに手渡す。
ボタンはちぎれていたが運良く上着もズボンもそれほど汚れてはいなかった。下着は台無しになってしまったが、帰るまでだけだと思えば我慢もできる。
素肌の上にズボンと上着を身に着けるルルーシュに、カレンは視線を彷徨わせながら、その、と話しかけた。
「ルルーシュ……ナナリーがあんなことになってショックなのは分かるけど、でもああいうときは怖くても助けを呼ぶのよ。そもそも最初からギアスを使っていればあんなことには、」
「怖くなんてないさ」
あっさりと言ったルルーシュは何も表情を浮かべておらず、言葉に嘘は見当たらなかった。
しかし怖くないのならばさっさとギアスを使うだろう。ギアス使用が躊躇われるならば大声で助けを呼んだ筈だ。ルルーシュのプライドの高さが、女として襲われたことへ拭い難い嫌悪感を抱いているのかもしれないが、プライドの使いどころが間違っているとカレンは顔を顰めた。
「そんな虚勢張らなくても、怖くて当然でしょ。あんな、その、ああいったことは、慣れてなかったらそりゃあ、」
怖くて当たり前だし。ごにょごにょと顔を赤くしながら呟く。
思春期の女性らしい可愛らしい反応にルルーシュは苦笑を零した。苛烈な言動の目立つカレンだがこういった方面については年相応だ。
「いや、怖くないというのは本当なんだ。だがナナリーが……」
その名前を口にすると胸が痛くなる。しかし顔は平静のままなんとか耐えた。
「ナナリーが、行方不明になって。それで混乱していたんだ。大丈夫だよ」
「……そっか、でもそういったことは好きな人とだけすることなんだから……助けは呼ばないといけないわよ」
なんて純粋な子だろう。凛とした目元が清々しい強気な容姿からしてみれば意外なほどの―――猫を幾重にも被った令嬢然とした時のカレンであればそう意外でもないが―――純朴さに自然と胸奥から笑いが込みあがってきた。
その笑いがいつもとは違う、自身を苛むような響きを伴っていることに気付いてカレンは眉根を下げた。
「ル、ルルーシュ?」
「くははは、いっ、今更だ、カレン。俺は処女じゃないんだから、そんな、好きな人とだけって、はは、あははは」
堰が切れたように笑い続けるルルーシュに、え、とカレンは顔を真っ赤に上気させた。
それはつまり、ルルーシュにそのような相手がいたということだろうか。知らなかった。
恋する乙女として多大にショックを受けながらも、しかしカレンは薄らと納得もしていた。ルルーシュは同年齢だというのにどこか大人びた雰囲気がある。それが行政特区日本の騒動の時までゼロのことを成人男性であると思い込んでいた一因だった。
しかしだとすれば相手は。
そんな場合ではないと十分分かっていながらも、親衛隊としてではなくクラスメイトとして、そしてルルーシュに恋をしている身として好奇心と嫉妬心がむくむくと頭をもたげた。
ふらつくルルーシュに肩を貸して、2人で薄暗い路地に籠るアルコール臭を嗅ぎながら生ごみを踏みしめて歩く。未だにくつくつと笑いを零すルルーシュにカレンは恐る恐る問いかけた。
「ええ、あの、え、ええと……ス、スザクと付き合ってたの?」
「スザク?まさか。あいつはユフィ一筋だよ。それに好きな女がいるのに他に手を出すようなタイプでもないだろう」
「そ、そうよね。じゃあ、ええと、リヴァル……はミレイ会長にぞっこんだしね。じ、じゃあクラスの誰か?もしくは他校の生徒とか?」
「違う」
違うのか。学生のルルーシュなら付き合っている相手も同じ高校生だと思ったのだけれど。
しかし違うのだとするのならばもう可能性があるのは1人しかいないではないか。
あのロリコン野郎と米神に血管が浮かぶ。付き合うにしても、せめて18歳まで待てなかったのかと苛立ちが募った。沸き上がる嫉妬心と好奇心と苛立ちと、ほんの少しの老婆心が混ざり合ってつい口早になる。
「それじゃあジェレミアさん?だとしたら、あたしたちより10近く年上の大人が未成年に手を出すってどうなのよ。いくら同意の上でもちゃんと守るべきラインっていうのがあるでしょ。そ、そりゃあ色々と事情はあるでしょうけど、あたしは何にもその、あんた達がどういった付き合いなのか知らないわけだけど、でもまだ18歳になってないんだし、そういったことはまだ早いというか……」
「……ジェレミア?ああ、あいつか、あははっ、そうだな、そうか、俺達はそう見えるのか」
弾けるような笑い声を上げてルルーシュは地べたにひっくり返った。ばんばんと掌で地面を叩く。
楽しくて笑っている訳ではないことは一目瞭然だった。狂騒に近い笑い声だった。
「まさか、それこそ、まさかだ。あり得ない。違うよカレン。売ったんだ。俺は体を売ったんだよ」
瞠目するカレンを既に視界に入れていないのか、ルルーシュは笑いながら視線を自分のうっすらと膨らんだ胸に落とした。鷲掴みにされた爪痕が深く残っていた。
「別に好きな人が相手でなくてもできる事なんだよ。僅かな金や食料を乞う手段でしかない事だ。俺は何回も自分から股を開いたよ。媚びるような声を上げて、自分から腰を振って、男に跨って。娼婦も顔を青褪めるようなことを何度もやった。何度も、何度も」
笑い声はすぐに勢いを無くして、口内でこごもった唸り声になった。体は胎児のように小さく丸めて、何もかもを拒絶しているようだった。
こんなに小さいルルーシュをカレンは初めて見た。幼い子供のような有様だった。
ナナリーが死んだかもしれないという、極限まで精神的に追い詰められた状況でなければ絶対に誰にも、いや、ジェレミア以外には見せることが無いだろうルルーシュの根底の、一番脆い部分が剥き出しになっていた。それは触れるのも躊躇われるような無様で痛々しい姿だった。
「―――何もかもが今更だ。俺は汚いんだ。取り返しがつかないくらいに汚れている。でももうそんなことはどうでもいいんだ。ナナリーが綺麗だから。俺が汚くても、人殺しでも、ナナリーが綺麗で、純真で、優しければ、俺は報われる。俺に理由ができる。ナナリーさえ……俺はナナリーさえ、」
祈るようなルルーシュの声にカレンは神経がぴりぴりと軋む感触を覚えた。それは単に、惨めな格好を晒すルルーシュへの同情だけではなかった。
確かにルルーシュは可哀想なのだろうと思う。酷い目にも遭ってきたのだろうし、ナナリーも死んでしまった。
しかしそれにしたって、さっきから随分とルルーシュは自分勝手な事ばかり言っているのではないか。
ナナリーのためと言いながら、しかしルルーシュのしたことは結局は自分の自己満足のためでしかない。心優しいナナリーが自分のために姉が体を売ったと知って、どう思うのかと考えたことは無かったのか。一度でもナナリーを護られるべき無力な少女としてではなく、ちゃんと感情を持つ対等な存在と目して、相談したことはあったのだろうか。
それに今更だとか汚いんだとか言っているが、それではずっとルルーシュを守ってきたジェレミアの立場はどうなる。ずっとジェレミアに護られてきただろうに全く救われていないだなんて、それこそジェレミアにとってはいい面の皮だ。
さらにナナリーのためだけに動いてきただなんて、それではゼロに付き従ってきた黒の騎士団はどうなるのだ。本人がたとえナナリーのためだけに行動してきたのだとしてもゼロとして動いてきた責任はあるだろう。ナナリーが死んだとしてもまだ黒の騎士団としての仕事は残っているのだ。どうでもいいとまで言われて黙っていられるか。
そして何より、同情を誘うような言葉遣いで哀れっぽく叫んだところで、結局ルルーシュは誰の救いも求めていないのだ。ここで手を伸ばしてもその手を取ることは絶対にしない。馬鹿みたいにプライドが高いから。
なんて面倒な女なんだ。しかしそれがルルーシュだった。
呆れる程に自分勝手で傲慢でプライドの高い、何もかもを一人で抱えようとする女なのだった。一人では生きていけない程に弱い生き物ではないけれど、誰かに縋ることができる程に強い生き物ではなかった。
カレンは胸を突き上げる勢いのままに手を振り上げて、地面に蹲るルルーシュの頬を思いっきり引っぱたいた。
パァンと高い音が響いた。ルルーシュは唇を動かすのを止めて、目を見開いてカレンを見上げた。
「さっきから黙って聞いてりゃあねえ……ルルーシュ、あんたの理想をナナリーに押し付けてんじゃないわよ!ナナリーはナナリー、あんたはあんたでしょう!?」
胸倉を掴んでがくがくと揺さぶる。人形のように頭が前後に揺れた。頬を真っ赤に腫らして、ルルーシュはぽかんと揺さぶられるがままになっていた。
「大体あんた女を馬鹿にしてるの!?その程度のことで汚くなるなんてある訳ないじゃない!セ、セックスするぐらい何よ、そんなことで人生最悪に不幸せですみたいな面してんじゃないわよ!!ばっかじゃないの!?」
「……そんなこと、」
「そんなことよ!!」
揺さぶる腕からは段々と力が抜けていった。カレンは歯ぎしりしながらどこにも向けようのない怒気を体中にため込んだ。
ルルーシュに乱暴をした男
男からルルーシュを護れなかったジェレミア
いなくなってしまったナナリー
フレイヤを撃ったスザク
フレイヤの製造を命じたシュナイゼル
自分勝手なことばっかり口にするルルーシュ
一緒にギアス嚮団に向かったのにナナリーを救えず、何もできなかった自分
本当に理不尽なことばかりで嫌になる。何もかもを放り出して、安穏とした学園に戻って何もかもを忘れられたらと思う。しかしそうすることはできないのだ。それは目を閉じてベッドに逃げ込むのと一緒だ。
それでは現実は何も変わらない。現実を変えるためには戦うしかないのだ。カレンはもうそのことを知っていた。
「だから、だからルルーシュは、汚くなんてないんだから。確かにあんたは馬鹿で卑怯でシスコンで自分勝手で馬鹿で人殺しなのかもしれないけど、でも綺麗なんだから。他の誰が汚いって言っても、あんたの敵になっても、あたしだけは絶対にルルーシュを護るんだからっ」
「―――なんでカレンが泣くんだ」
「あんたが泣かないからよ!!」
わあわあとカレンは声を上げて泣いた。
赤ん坊しかしないような泣き声を上げるカレンの頭をルルーシュはおどおどとしながら撫でた。頭を撫でる柔らかい感触にカレンはさらに音量を上げて泣きわめく。
ルルーシュは肩をびくりと震わせて、戸惑いながらも恐る恐るカレンを抱きしめた。 即座に強く抱き返してくる両腕に息が止まりそうになる。しかしルルーシュは抱きしめる腕の力を決して緩めようとはしなかった。
徐々に泣き声を小さくして、とうとう啜り泣き始めたカレンに、ルルーシュは抱きしめるという行為の尊さを再確認した。
こんな風に言葉が意味を無くす瞬間に、体温を分かち合う以外に意味のあることは存在しない。
自分のためにこうして泣いてくれる人間はこれまで一人しかいなかった。カレンは二人目だ。ジェレミアは傷ついた自分のために涙を流して、いつでも抱きしめてくれた。その度に自分は、生きていてよかったと思うのだ。
自分のために涙を流す人間がいること。その人を抱きしめてあげられること。抱きしめ返してくれること。それがどれだけ貴重で幸福なことか。そのことに気づかないような人間なんて死んでしまえばいいんだ。
ルルーシュはすすり泣くカレンの首筋に顔を埋めて涙を零した。
■ ■ ■
「―――つまり、ゼロがブリタニアの皇子であると?」
「はい。そうです神楽耶様」
会議室には黒の騎士団の幹部が揃っていた。
全員が顔を沈鬱に顰める中で藤堂だけは額に汗を掻いていた。
何故この最悪のタイミングで、最悪の事実が発覚したのか。運の悪さに歯噛みをするしかない。
ナナリーがあのフレイヤの爆発に巻き込まれて死亡したことを藤堂はカレンから聞いていた。ならばゼロであるルルーシュが部屋に引き籠って出てこれないのも分かる。6年前から2人は非常に仲の良い兄妹、いや、姉妹だった。暫くルルーシュは戦える状態ではないだろう。
しかしだからといって、皇族としての嫌疑がかけられている今この時点においてゼロが引き籠るとゼロの立場が危うくなる。最悪、ゼロの立場を誰かに移すという話になるだろう。
そうなればその最有力候補は誰なのか。何となく予想がつく。胃がねじ切れる音が聞こえるようだった。
「おい、それって証拠は?」
「ゼロの部屋からブリタニアの皇子である、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが出てきたところが目撃された。その現場の映像をディートハルトが持っている」
視線がディートハルトに集まる。肩を竦めてディートハルトは一本のデータチップを差し出した。
南が無言でプロジェクターにチップを差し込む。画面に拡大表示された映像には一見女性にも見える美貌の青年がゼロの私室から出てくる様子が映っていた。
「間違いない。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。残存している写真とも一致する」
朝比奈がブリタニア皇族年鑑に残されていた12歳頃のルルーシュの写真を画面に表示させた。
うわ、と声が上がる。神楽耶は懐かしい顔を見て口元に手を当てた。初恋の少年が画面に映し出されていた。そしてその姿はゼロの私室から出てきた青年と瓜二つだった。同一人物であることは疑いようも無かった。
「……確かに似ていますが、6年という時間が経過している訳ですしよく似た他人という線もあります。それに所詮は解像度の低いハンドカメラの映像。断定するのは聊か早過ぎませんか?」
「よくもいけしゃあしゃあと」
ルルーシュの姿を見てカオスだ何だと騒いでいたのは誰だったか。向けられる非難の視線を鼻で笑い、ディートハルトは視線を懐かしき英雄の雛へと向けた。
一応はゼロの嫌疑を逸らすような発言をしたが、ブリタニア人である自分の発言の重みなど高が知れている。黒の騎士団は根本的にブリタニア人を敵視しているために、ブリタニアの血が入っているというだけで蔑視される傾向にあるのだから。
誰もが口を噤む。沈黙に耐え切れなかったのか玉城がうじうじと口を開いた。
「……ていうかよお、扇はどこなんだよ。こんな時こそあいつが皆の意見を纏めるべきじゃねえの?出てこないっつーことはもしかしてあいつもゼロみたいに愛人といちゃいちゃしてんじゃ、」
「違う。俺とゼロを一緒にするな」
会議室の扉が開く。扉の向こうには顔に影を落とした扇が立っていた。黒の騎士団服を着た扇は見慣れぬ女性を後ろに伴っている。
女性は水色に近い青みがかった長い髪と褐色の肌をした凛々しい容姿の美人であり、いかにも日本人らしい中肉中背の扇と並ぶとあまりに容姿の釣り合いが取れていないように見えた。だがその場にいた面々が顔を歪めたのは、その女が明らかにアジア人ではなくブリタニア人だったためだ。
事務総長という扇の役職を鑑みて藤堂が控えめに誰何する。
「扇、その女は誰だ。この会議は部外者禁止になっていることは知っているだろう。どうして連れてきたんだ」
「彼女は千草という。ゼロに関しての情報提供者だ」
軽くお辞儀をして千草は扇の隣に腰を下ろした。その動きには一切の無駄が無く、恐らくは軍人だろうと藤堂は早々に気付いた。
「ゼロの情報提供者?」
「千草はゼロの仮面の中身を見たことがあるらしい。それがルルーシュだったそうだ。ゼロは、ルルーシュは……俺達を裏切っていたんだ。ずっと嘘をついて、俺達を利用していた」
最悪だ。藤堂は扇の頭をぶん殴りたくなる衝動に駆られた。
千草という女の証言が本当だろうと虚偽であろうとどうでもいい。問題は黒の騎士団の前身である扇グループのリーダーであり、現在は事務総長である扇がゼロを疑っているということが何よりも問題なのだ。
「待て扇、たとえゼロがブリタニアの皇子であったとしても彼が成した功績は何も変わらない。黒の騎士団の理念は生まれ育ちに関わらないで弱者を救済するものではなかったのか」
「でもあいつがブリタニアの皇子だってんなら、もしかしたら黒の騎士団を利用して皇帝になろうとしたのかも……」
「そ、そんなわけがあるか!ゼロだぜ!?ゼロがそんなことするわけねーだろうがよ!大体その女にしたって、しょーこはあんのかよ!!ゼロがブリタニアの皇子だっていうしょーこはよお!」
千草を指さして叫ぶ玉城に、千草は至って冷静に頷いた。
「ああ、ある。シンジュク事変の時に私はゼロらしき少年にKMFを奪われた。そいつは間違いなくルルーシュだった。その直後にゼロは旧扇グループへ向けて私のKMFから通信を出したんだ」
「それでは証拠にならない。むしろ現状では、お前が虚偽の告白で黒の騎士団の瓦解を目論んでいるブリタニアの工作員である可能性の方が高いくらいだ。これ以上証拠の無い虚言で会議を惑わすのなら即刻出て行ってもらおう」
「それだけじゃないんだ。ゼロが連れてきたジェレミアとかいうブリタニア人はルルーシュの選任騎士候補だった男だ。だから、」
「だから何だと言うんだ!!」
机を叩く音が高らかに響いた。
敵国であるブリタニアにではなく、初めて味方に向けられた奇跡の藤堂の怒りに全員が肩を震わせる。
しかし恐る恐ると言った体で扇が口を開いた。千草を背中に庇いながら小声で呟く。声自体は小さいものの、藤堂の一喝で湖面のように静まり返った会議室に扇の声は良く響いた。
「だから、ルルーシュは皇族なのかもしれないと……そもそもどうしてゼロは俺達に顔を見せてくれないんだ。それこそがおかしいじゃないか。仲間だって言うのに……」
「そうですよ。家族や知り合いを人質に取られないためにメディアに顔を出さないのならともかく、幹部の俺達にまで顔を隠すなんておかしいじゃないですか。その時点でゼロに信頼なんてありませんよ」
「今更それを言うのか!?これまでゼロが仮面を被っていたことを容認してきておいて、その中身がブリタニアの皇子である可能性を示唆された程度で態度を覆すなんて、道理が合わないではないか!」
「日本人じゃないってことは確かに桐原から言われていたさ。だから皆ゼロは中華連邦か、E.U.か、もしくは他の小国の人間だと思っていたんだ。まさかブリタニア人だとは思ってもいなかったし、それも皇族だなんて……受け入れ難いのもしょうがないだろう」
「それにもう争いは終わったんだ。日本は帰ってきた。だからゼロがいなくたって問題は無いんじゃないか?」
扇の呟きは奇妙な程に会議に染み渡った。
それは全員が感じていた事だった。もう日本は取り戻されたのだ。
英雄ゼロがいなくてもこれからはなんとかなる。無論いないよりもいた方が色々と便利だが、戦争が終結した現状においてゼロは絶対不可欠で代替不可能な英雄ではない。
そんな状況でゼロが皇族かもしれないという面倒な事態が起きてしまったのだから、いっそのことゼロなんていなくても、という考えが沸き起こる。
普段は高らかなゼロの声色に対して反論をしたり賛同の声を上げたりと紛糾することが多い会議室にあって、異様な程の静けさが空気に溶け込んで部屋を満たした。
肌寒く、居心地の悪い空気に真っ先に耐えられなくなったのは玉城だった。
「お、おいおいおい、なんかおかしくねえか!?俺達はゼロのおかげでここまで来たんじゃねえのかよ!なのになんだよ、扇も、てめらもよ、おかしくねえか!?よく分かんねえけど、よく分かんねえけどよう、」
「……玉城、何だかおかしいことは、俺達も何となく分かってる。でも……」
「彼は……彼がブリタニア人で、皇族であったとしても、一緒に戦ってくれたことは事実だ。感謝はしよう。藤堂さんではなく、ゼロの下で戦ったことに私は後悔は無い。しかしもう、これからは無理だ」
「彼は俺達に嘘をついた。そして人を殺させた。だから俺は……俺はもう、ゼロの下では戦えない」
ぽつぽつと心情を吐露する面々の中で、藤堂はどうすればいいのか分からず口を噤んでいた。
ここで、自分は前からゼロがルルーシュだと知っていたことや、実はゼロが女性であったことを告白すれば事態は変わるだろうか。
鬱々とした顔色のメンバーの中でたった2人、背筋をぴんと伸ばして鋭い目つきをしている千草と、顎に手をやって思索にふけっているディートハルトへ視線を向ける。ディートハルトは何やら企んでいるようだがその意図までは読み取れない。
ふと奇妙な笑いが込みあがってきた。黒の騎士団の会議室にあってブリタニア人だけが凛としているのもおかしな話だ。
最早自分が何を言っても変わらないだろうと藤堂は力なく首を振った。
多くの面々がルルーシュを受け入れられないのは彼女の所業ではなく血統だ。ならば彼女がこれまでどのような偉業を成し遂げてきたにしても、全くもって意味は無い。その生まれからして彼女は日本人に受け入れられることはありえないのだから、彼女の有能さをいかに藤堂が熱弁しても結局ゼロは黒の騎士団から排斥される運命にある。
むしろ彼女からしてみれば、ここらで黒の騎士団を辞める方が幸せなのかもしれない。
その考えが浮かび藤堂は口を開くのを止めた。17歳の少女に散々に色々なことを押し付けた。この上唯一の家族であるナナリーが死んでしまった彼女に、さらに戦えと言う権利は自分には無い。
彼女はゼロを辞めて休むべきだ。きっとそれが正しい。
ただしそれは排斥という形ではなく、他者に職務を委任しての勇退であるべきだった。血統というただ一点でもって仲間が排斥されるような組織のために、何故自分はここまで戦ってきたのか。
馬鹿らしい。冷ややかな視線で項垂れる黒の騎士団達を見回した。
戦争が長く続き過ぎたのだ。多くの者がブリタニア人とみれば敵とみなしてしまう程に長い戦乱だった。今ではルルーシュという人間を評価するのに個人の性格や能力ではなく、皇族というラベルだけを見て判断してしまう。
それではナンバーズだからと差別したブリタニア人と同レベルだろうに。
「お待ちください皆さん。私から一つ質問を」
静まり返った会議室の中で神楽耶が声を上げた。白い指先で千草を挿す。
「そちらの千草という方は、どうしてゼロ様がルルーシュ殿下と知っていながらこれまで黙っていたのですか。お話を聞く限り、シンジュク事変の時からゼロ様の正体に勘づいていたというように聞こえましたが」
「それは……」
「千草は記憶喪失だったんです。撃たれて、海に落ちて。俺が見つけて助けたけど、最近まで記憶は戻っていなかったから、」
「撃たれた?」
「はい。千草がゼロの正体に勘づいていると知った誰かが、」
扇はじろりとディートハルトを睨みつけた。
ディートハルトは軽く肩を竦めた。馬鹿な男だと思うも、これでは長居は難しそうだ。ディートハルトは掌の上に乗せた盗聴器を軽く摩って弄んだ。
シュナイゼルは背もたれのある椅子にゆったりと腰かけて、耳に当てたイヤホンから漏れ聞こえる黒の騎士団幹部の会話に耳を傾けていた。
ルルーシュがゼロであるという事実に多くの者が混乱を抱いたまま一旦会議に休憩が挟まる。それと同時にシュナイゼルも深く息を吐いた。
ここまで来てしまうと、たとえルルーシュがゼロであることを否定しても深い禍根が残るだろう。そもそもナナリーがいなくなり、さらに合衆国日本の戸籍が手に入った以上ルルーシュがゼロとしての地位に固執する理由は何もない。
詰め寄られるとあっさりとゼロの座から身を引いてしまいそうだ。それで困るのは当の黒の騎士団なのだが、そのことに彼らはまだ気づいている様子がない。
つまりこちらにとっては好機と言える。シュナイゼルは端末を取り出してスザクへと連絡を繋げた。スザクはワンコールで通信に応えた。
『はい。こちら枢木スザクです。どうかされましたかシュナイゼル殿下』
「君への処分が決まったよ」
言われるまでも無く、それがフレイヤを勝手に持ち出した所業への罰であることは明らかだった。
スザクはしかし他人事のようにそうですかと答えるのみだった。通話の自動応答とも大差の無い温度を感じさせない声色だった。
『何であろうと、殿下の御決定を謹んで承ります』
「君をナイトオブラウンズに昇格させる。二心なく皇帝陛下にお仕えしなさい」
シュナイゼルの言葉の意味をスザクは暫くの間噛みしめた。そうしてやはり淡々とした声で返答を紡ぐ。
『シュナイゼル殿下が次の皇帝におなりになるということでしょうか』
「違うよ」
それでは駒が足りない。シュナイゼルは脳内で絶対に勝つ手段を模索していた。
あのフレイヤでナナリーと一緒に皇帝が死んだと思う程にシュナイゼルは楽観的ではなかった。いつだって最悪を想定して、そして最悪の状況に至っても勝つ手段を確保しておくのがシュナイゼルの戦い方だった。
感情を取り戻したシュナイゼルの敵はシャルルであり、そしてギアス嚮団だ。自分の感情を奪い、兄弟たちの命を弄び、自分勝手に振る舞うあの馬鹿な父親をのさばらせておくことは沸き起こる怒りという感情が許させない。
あのシャルルが生き延びている確率が僅かながらであるにしても残っているのならば、対策を練っておかないと言う選択肢はシュナイゼルには無かった。勝つためにはそのための最善手を打っておく必要がある。
シュナイゼルは手のひらの内にある最強の駒を摘まみ上げた。
「次の皇帝はルルーシュだ。君には、ルルーシュのナイトオブラウンズになってもらう」