ポケモンマスターへの道   作:ほりぃー

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VS アーボ

 がたがたと音を出しながらバスは進んでいく。

 見回した車内にはあまり人はおらず、運転手のかける緩やかな音楽とエンジン音だけが鳴っている。

「あれがお月見山だ。レッド君」

 タケシが窓の外を指さした方向をレッドは体を乗り出して見た。

 バスの走る両側が山に囲まれた道の先。その彼方にひときわ大きな山の頂が見えた。

 突き出た山腹は緑少なく、灰色の山肌が雲の近くまで続いている。レッドはバスの窓に手をついて道の側面を流れている小さな川を見た。水量が少ないのはやはり自然が少ないのだろう。

「高いですね……」

 もう一度山に目を向けたレッドにタケシは頷いた。

 あのジムでの戦いから三日。レッドは次なるジムのあるハナダシティへ向かっていた。タケシはレッドの入院した病院にお見舞いに来た時、彼が出発することを知り、このお月見山までの案内を買ってでてくれたのだ。タケシはよく化石調査を山で行っており、ジャケットに厚手のズボンという慣れた格好だった。

「お月見山は高いうえにあの急峻だ。さすがにハイキングにはむかないから登る人間はほとんどいない」

 レッドは帽子をかぶりなおして口を開く。帽子にはきらりと光るバッジが付いている。

「……でもぼくはハナダに向かわないといけないので」

「レッド君。焦るな。登る人間はいないが『潜る』人間なら大勢いる」

「潜る?」

 タケシはその細目をレッドに向けて。

「トンネルがあるんだ。ハナダまでな」

 ふむとレッドは顎に手を当てて想う。手には包帯が巻かれているがバトルでの負傷はほとんど完治している。ただレッドの頬に小さな傷が痕を残していた。

 がたとバスが揺れる。やはり道が悪い。

「このあたりはピッピの生息地があってな……それにそこかしこで古代のポケモンの化石が出てくる。それだからあまり開発がされないんだ」

 タケシは肩をすくめて。

「化石調査をやっている俺としては嬉しんだか、不便なんだかわからないけどな」

 と苦笑した。

 ピッピとはカント―でお月見山だけに生息するポケモンだ。ピンク色の体に丸っこい体、それに温厚な性格の為か世間でも人気のあり人形の題材に使われていたりする。個体数が少ないことで保護もされている。

 山のふもとにある広場でバスが止まった。

 タケシとレッドがバスから降りると大きなトンネルが見えた。中は電燈があり、奥まで見える。レッド達のほかにも何人があたりにいた。トンネルから出てくるものもいるし、入っていくものもいる。

「見ての通りだ。洞窟は歩いていくしかないが危険な道ではない。多少ポケモンも出るが……大丈夫だろう」

 レッドに忠告しながらタケシは笑った。彼の強さは知っている。

「はい。ここまでありがとうございましたタケシさん。……またニビシティに戻ってきます」

「ああ、レッド君その時はまた勝負しよう。これからの旅。長いものになるとは思うが、それだけ楽しいことも多いはずだ……元気でな」

 タケシが手をレッドに差し出した。日焼けした大きな手だ。レッドはその手を握り返した。強くお互いに力を入れる。

 ニビシティ行のバス停に向かう途中でタケシは振り返った。

「そうだ。大切なことを言い忘れていた。レッド君、『ロケット団』を知っているか?」

 レッドは頭を横に振った。

「そうか……ロケット団はヤマブキシティなんかの都会に根拠を持つらしい犯罪組織だ。普段はこんな田舎には現れないのだが、最近このお月見山の近くでも黒衣を着た連中が目撃されている。もしそんな奴らを見かけてもかかわりあいにならないようにな」

 タケシは少し目線を落としてレッドの拳を見る。

「レッド君が強いことは分かるが。あいては容赦のない奴らだ。それの相手は俺のようなジムリーダーや警察の仕事だからな……これだけは念を押しておこう」

「わかりましたタケシさん。気を付けます」

 タケシはレッドの返事に満足して頷き。「じゃ、またな」と手を振って帰って行った。

「行くか」

 レッドは山の中に入っていく。洞窟ではない「山の中」に入っていく。

 レッドはこのお月見山を見た時、その高さに少なからず驚きを覚えた。マサラやトキワでは見ることもできない高山。その頂上ではどんな光景が見えるだろうか、それが少年の好奇心を刺激した。

「はっ」

 レッドは跳躍しながら登っていく。通常ならば固い岩肌は、人間が登るには全く適さない。だが一足飛びに駆けていくレッドにはいい足場だった。

 風が冷たい。

 レッドは沈む夕日を見ながら思った。すでに夕焼けが世界をオレンジ色に染めている。それでもレッドの見上げた先には高さを誇るように岩の道が天へ続いていた。

 お月見山とはよく言ったものだ、登ってものぼっても果てのない道は月へ向かっていくような気さえレッドにはする。

 だっと突き出た岩を斜めに蹴りレッドは立ちどまった。

 汗を袖でふく。レッドの頬を玉の汗が流れていた。レッドが山の下を振り返ってみると遠くにニビシティの家々が点々と明かりをつけている。

 ふと、黒い点が空に浮かんでいることにレッドは気が付いた。目を凝らしてみると点は一つではない。だんだんと大きくなりながらレッドの方へ向かってくる。

「? あれは」

 風を切る音がする。ばりばりと激しく。

 レッドはやっと黒い点の正体がわかった。プロペラをつけた大きく丸い体をしているそれは

「ヘリだ」

 ヘリコプターが小さな群れを作って上ってくる。それはあっ言う間にレッドを追い越してお月見山の頂へと向かっていく。そのヘリの腹には「R」の文字がある。

 無粋だなとレッドは思った。頑張って登ってきたことが馬鹿にされたような気がする。もちろん相手にそんなつもりはないことぐらいは分かっている。

 はあとレッドは息を吐くと白い煙になって立ち上った。

 すでに空は暗く、月が顔を出している。レッドはそれを立ち止まって見上げ、それから残念に思った。少し雲がかかっているからだ。

「ぴっぴっ」

 ととととレッドの目の前をピンク色の影が走って行った。

 はっとレッドが振り返った時にはもういない。

「まさか……ピッピ?」

 タケシの話を思い出しながら、レッドは喜んだ。珍しいポケモンに出会えたことが純粋に嬉しいのだ。

 レッドはあたりを見回して、ピッピの姿を探した。少し先にくるりとまかれた尻尾を振りながら離れていく姿が見えた。レッドは気配を絶ち、尾行を開始した。

 ピッピの足は遅い。それでも通常の人間ならば追えまいが、レッドには欠伸が出る程度の速さだ。小さな体を振りながらピッピは進んでいく。その後ろで物音をひとつ立てずにレッドがつける。吐いた息が白く立ち上ることすら警戒しつつ。

 ピッピの体が消えた。レッドはあわてて追う。

「こんなところが……」

 なんてことはない、ピッピが消えた先には坂があった。ピッピは其処を降りて行っただけなのである。レッドは坂の縁に身を伏せて下を伺った。

 坂というよりも巨大な穴が円周上に空いている。中央に行くほどに深く、のろのろとピッピが降りていく、大量に。

 レッドは驚いた。レッドが追ってきたピッピだけではない。四方八方からぞろぞろとピッピが降りていく。「こんなところ」とレッドが言ったのはこのことである。

 レッドは身を起こして近くにあった草むらにもぐりこんだ。背の低い草に隠れるため、身を小さくする。一瞬遅れてレッドがいた場所を別のピッピが通り過ぎた。気が付かれなくてよかったとレッドは胸をなでおろした。

 この穴はクレーターである。いつかは分からないがその昔に落ちた隕石が作ったものだ。

 ピッピは宇宙から来たという伝承を持ったポケモンだ。それは本当かどうかわからない、だがこのクレーターの中央には「宇宙から来たもの」があった。ピッピ達はそれに引き込まれるように集まってきたのだった。

 レッドは体を隠しながら穴の中をうかがえる場所を見つけた。

 ピッピ達は三十匹はいるだろうか。まるで雑談をするように穴の中央を囲んでいる。

不意にレッドは自分の影が大きくなったことに気が付いた。

 レッドが振り返ると月があった。あったと形容したくなるぐらい真ん丸とした金色の球体がそこに浮かんでいる。レッドは一度顔を振る。魂を吸い取られそうになるほどの美しさから意識を離した。魔性の月とはこのことを言うのだろう。

 ピッピ達がざわめき始めた。レッドが顔を向けるとピッピ達の中央、つまり穴の中心が輝いている。

「なんだ?」

 レッドが身を乗り出して目を凝らす。穴の中央で輝いているのは、スイカ程度の大きさの石。月の光に反応しているらしい。

 つきのいし。レッドは知らないがお月見山などの一部の地域しかとることのできない貴重な鉱石である。あまりに数が少なくポケモンの進化を促進する石の中でも珍しく市場に出回らない。ピッピも「つきのいし」で進化できるポケモンの一種だった。

 ピッピ達が跳ねたり、手を上げたりして喜びあっている。レッドは「つきのいし」について知識もなければ目的もない。ただ珍しい光景を見られただけで十分だった。

 微笑を漂わせてレッドは静かに去ろうとした。

 だから見えた。

 浮遊する物体が穴を降りてピッピ達に近寄っている。でこぼこした浮かんだ球体はポケモン、ドガースだ。

 レッドが反射的に飛び出した。駆ける。

 ドガースは音もなくピッピ達の後ろに行く。何匹かのピッピは気が付いたようだが、のんきに見上げるばかりである。

 

 ドガースのスモッ――レッドのメガトンキック――

 

 足に力を込めて飛び込んだレッドの蹴りがドガースを直撃する、1秒遅れれば毒ガスをそのでこぼこの体から噴出していただろう。ドガースは不意の衝撃に吹き飛ばされ斜面に当たってその動きを止める。

 レッドが着地すると異変に気付いたピッピ達が声を上げて四方に逃げ出した。レッドはせっかく集まっていたことを邪魔したようで申し訳ない気持ちになる。しかし何故ドガースがこんなところにいるのだろうか。

「んーん? なーんか変なのが来たぞ?」

 頭上から声。レッドが見上げると、穴の縁に足をかけた黒衣の男がいた。髪は金髪で口元をいやらしく歪めている。

「誰だっ!」

「そーりゃこっちのセリフでしょーがしょーねん。おじさんの仕事を邪魔しちゃあいけないぜ」

「仕事だと……どうい!?」

 レッドが殺気を感じて手刀を横なぎに放つ。柔らかい手ごたえがあり、何かが飛んでいく。ドガースと同じように坂に当たって動きが止まった。

 長く柔軟な紫の体を持つ蛇。アーボ。それが正体。

 大した相手では決してない。レッドの一発でひんしになったことからもLVの低いこともわかる。だが問題はそれではない。

 レッドがいかりに滲んだ目をうけて、男は涼しげに笑う。あのアーボもドガースもこの男の持ちポケモンだとレッドは直感した。ならばである、最初の毒ガスの攻撃。そのあとの毒蛇の奇襲。

 男は明らかに「殺す」行動をとっている。レッドは本能で男を「敵」と認識して構えをとる。冷たい殺気を男の笑顔から感じる。初めての感覚だった。

「いやー怖い怖い。おじさんもポケモンを素手で倒す奴は初めて見るよ。でもな小僧。あまり調子に乗るなよ」

 ゆらりと男が揺れて、腰からモンスターボールを取り出す。レッドが力を足に込める。

「少年。おじさんと勝負しようか」

 黒衣がはためく。そこでレッドは気が付いた。

 タケシの忠告が頭によみがえる。犯罪者組織ロケット団がこの山にいると言われていたはずだ。それならばこいつがそうだろう。

「退治してやる! 来い、ロケット団」

 急にピッピ達が逃げた先から戻ってきた。

「!」

 レッドが驚いてあたりを見回すと。穴の周囲に対峙した男と同じような服を着た男たちがいた。数は五人、レッドに話しかけた男を合わせて六人。やはり同じようにボールを構えている。

「くっ」

 ピッピ達がレッドの後ろで固まった。何匹かが怪我をしているのはロケット団に攻撃されたのだろう。

「六体一か、上等だよ。ぼくが相手になってやる」

 金髪の男にレッドは叫ぶ。男は首を回して、笑う。その笑顔がレッドは嫌いだった。

「一応自己紹介しておこうか少年。俺はご存じ『ロケット団』のナナシだ」

 ふざけている。周りの男達の笑い声が響く。名無しなどという名前はなどあるわけがない。レッドは油断なく構えを解かない。男が続ける。

「六体一ってのはちょっとちがうなあ」

 ナナシがさらにボールを取り出す。五つ、計六つ。

「一人六匹。つまり三六対一だ!」

 ナナシが投げたボールが穴の上を舞う。ぱんぱんと連続して音が鳴り六匹のアーボが牙を剝いて降ってきた。

 レッドは息を落ち着けた。アーボは落下してくる、そのわずかな時間に精神を集中させる。

 手刀を両手で構える。左手を腰に、右手を胸の前に。

 アーボが落ちてくる。レッドが目を見開いた。

 乱れ突き。一匹目のアーボが首に手刀を受ける、流れるように二手、三手の突きが残りのアーボを仕留めた。一瞬の出来事。全てのアーボが「ひんし」になってばらばらと地面に落ちた。ピッピが歓声を上げる。

「三十六匹で足りるのか?」

 レッドは月光を映した瞳でナナシを睨んだ。ナナシはひゅうと口笛を吹いて笑う。余裕の笑みは崩れない。

 ナナシが手を上げる。残りの男達もボールを投げ込んだ。

 紫色の濁流。

 ボールが坂に当たると三十匹のアーボが現れた。一匹一匹が毒の牙を立てて四方に展開する。そして「群れ」として一気に獲物へ向かいだした。

 ピッピの歓声が悲鳴に変わった。上に下に逃げようとして仲間同士で衝突する。レッドは落ち着いて心を落ち着けた。手刀は力を入れず、その刃を研ぐように均質に構える。足にピッピが当たるがびくともしない。

 電光石火。レッドは地を蹴って飛ぶ。降りたった前にアーボの一塊がいる。反射的に飛びついたアーボに手刀を繰り出して飛ばし、腰を落とす。水平に地面をなぞるようにレッド蹴りを繰り出す。アーボが数匹空を舞う。

 転瞬。レッドの体が消え、別のアーボの群れに突っ込んだ。飛びついてくるアーボは手刀で、地を這うものには蹴りで対処する。

 実力は歴然と言っていいだろう。アーボにロケット団は指示を送ったりしているわけでもなく、アーボ自体も鍛えられているわけではない。それでもレッドは苦戦した。

「ぴいい」

「ちい」

 襲われていたピッピがアーボに噛まれる前にレッドが駆けつけ弾き飛ばす。そしてまた駆け出した。

 全力で駆け回るレッドのスピードは緩やかに落ちている。いかに鍛え上げたとはいえ彼も人間である。それも山を登った後となれば消耗も早い。

「くっ」

 アーボがまた数匹飛んでいく。地面に落ちた中で数匹がまた身を起こした。攻撃の威力も落ちている。

 レッドはそれでも跳躍する。ピッピ達を守りつつアーボを撃退していく。

 ナナシは薄らにやけた表情を張り付けて、無言で見ているだけだ。

「おおおおおおお」

 レッドのメガトンキック。アーボが飛ぶ。

「ぴいい」

 レッドがピッピの叫びに身をひるがした途端。右肩に衝撃が走った。見るとアーボがかみついている。レッドは顔をしかめて、引きはがした。そのまま投げ飛ばす。

 毒を食らったか。レッドは自分の体をそう診断した。まだ症状は現れていないが、毒ならば前に受けたことがある。

 レッドが駆け出そうとして。びりと肩にしびれを感じた。

「?!」

 崩れそうになる体をたてなおし、レッドは駆け出した。そしてさっき逃げていたアーボに追いつき攻撃を――

 アーボが向きをかえてレッドに飛びつく。「な、に」と驚愕の声をレッドは出して右肩にまた牙を受けた。

「ぐう」

 痛みと混乱に顔を歪め、レッドは左の手刀でアーボを払う。右腕が動かない。

 

レッドはマヒしている。

 

「くそ」

 悪態をついても状況は変わらない。レッドは近付いてきた三匹のアーボを足で払いつつ、前へ出る。

 崖の上でナナシが片手を上げた。それに呼応するように穴の中のアーボ達が集まってくる。レッドの元へ残りのアーボ達が向かっていく。集中攻撃。

 レッドは左手に神経を集中させた。右足を軸に構えをとる。退くという考えは彼には存在しない。迎え撃つ、それだけだ。

 

レッドのみだれづき。

 

 アーボがとびかかってくる。レッドは叩き落とす。

 後ろに影、気配だけを感じたレッドは即座に回避を諦め、腰を回して右腕を後ろに回す。痛みはない。多少の衝撃を感じたことで見なくてもアーボに右腕を噛まれたことがわかる。

 左手の絶対防御。右手の無防備。レッドはその場で円を描くように回転しつつ手刀を繰り出す。使えぬ右腕を盾にしながら。

 ばらばらとアーボが宙を舞う。それに合わせて赤い鮮血が飛んだ。レッドの血だ。

「なめるなあ」

 レッドは腰を落として左手を一閃させる。風を斬り、蛇の群れを払う。

 3匹。アーボが倒れる。

「ぐ」

 左足を噛まれる。ぐらりとレッドの体が揺れる。よろけた、のではない。マヒが回る前に左足をアーボごと旋回させる。弧を描きアーボ達を蹴り飛ばす。かみついたアーボも勢いよく飛んで行った。

 攻撃はやまない。レッドの蹴り終わり、その一瞬の停止にアーボ達が襲い掛かる。レッドは腰を回して無理やり迎撃する。二閃。十字に切り上げ、切り払い。不意を突いたはずのアーボが地に落ちる。

 レッドは重心をずらす。左足が言うことを聞かない。右足を中心に手刀をふるう。

 レッドは目線を四方に走らせ、残りを確認する。5匹。数を頭に刻む。

 アーボ達がとびかかった。単調な攻撃を「同時に」行い、回避不能の技へと昇華させる。これこそ弱いものたちの戦い方と言ってよい。

 牙を剝きだしに蛇がレッドの目に映る。ゆっくりと近づいてくるのはレッドの脳内麻薬が見せる幻影。レッドの思考が高速で回る。

 なんどこれを見ただろうか。なんど感じただろうか。危機に瀕するたびに世界が音を消し、その時間をゆっくりと流す。心地いい気分だった。レッドはそう思う。

 アーボが迫る。レッドは薄く笑う。

 レッドは左手をさげた。目の前の敵へふるうでもなく下へ。

 速さが足りない。鋭さが足りない。レッドは無音の世界で声を聞く。それはどこから聞こえるのだろうか、などと言うのは無粋。ここには彼しかいない。そうレッドしか。

 魂が叫んでいるのだ。

 レッドが前へ踏み出した。役にたたぬ左足からすべての体重を右足へ乗せ。下げた手刀を神速の速さで前へ出す。乱れのない一刀が頭に描いた剣線をなぞる、ゆえにそれは「居合切り」。

 

レッドのいあいぎり。アーボ達は倒れた。

 

 ナナシは少しだけ眉をうごかした。仕留めたと思った矢先にアーボが吹き飛んだのだ。彼の目にはレッドの絶技の影すら映らぬ。それにアーボの牙に仕込んだ「しびれごな」すらも少年は意に介せぬ風であった。それも解せない。倒れてしかるべきだろうと思う。

 そのような心情も薄笑いに隠して。ナナシは手を叩いた。ぱちぱちと拍手しながら馬鹿にしたような声を出す。

「すごい、すごい。ははは。少年は強いなあ。おじさんたち驚いちゃったよ」

 ふらふらと揺れるレッドが目を上げてナナシを睨みつけた。そして言う。

「……足りなかったな」

 ぴくとナナシは挑発に反応しながらも。拍手を続ける。やはり顔はにやけている。

 周りの男たちは何も言わない。動いているのはナナシとレッド、それと身を寄せ合うピッピ達だけだ。

 ナナシは拍手をやめて。ポケットに手を入れた。そして何かを掴んで取り出し、指で撥ねる。一円玉が宙を舞ってレッドの足元に落ちた。レッドは見向きもしない。

「少年。この勝負おじさんたちの負けだ。賞金としてあげよう」

 ナナシはふうと息を吐いて。黒衣を上げた。

 ボールのついたホルスター。三段になったそれは一段目には何もなく。二,三段目に一二個のボールが付いている。ポケモンを六匹もつというのは一般トレーナーに過ぎない。彼は、いや彼らは一般トレーナーなどではない。

 レッドは驚愕した。そしてあたりを見回す。残りの男達も同様のホルスターをつけていた。つまりその総数七十二個。その総勢七十二匹。

「じゃあ、少年もう一回勝負だ。ここで死ねや」

 

ロケット団のナナシが勝負を仕掛けてきた。

 

 ここが死に場所か。レッドは即座に覚悟を決める。

 体得した技も用をなすまい。今までの戦歴も意味を消していく。だが引かぬ。なぜならば引く理由がない。ピッピを置いてはいけない。足は動かない。覚悟は決まっている。ならば戦い、死ぬ。それだけだった。

「こおおおお」

 冷たい息をレッドは吐く。熱さの引いた心が穏やかに戦いを受け入れる。そしてナナシに言う。

「それで、足りるのか?」

 レッドは左手を手刀にして構える。

 

「気合を溜めろおお」

 空気を揺らすような声が響き渡った。レッドとナナシが同時に声のした方へ眼を向ける。

 そこには男が立っていた。破れた胴着をつけ、その下から見える胸板は雄々しく隆起している。

「誰だ?」

 ナナシが言った。だが男はそれを一瞥もせずに穴の中に降りていく。そしてレッドに向かって声をかけた。気合のこもった声が穴の中にこだまする。

「見事な覚悟だ少年。しかし、気合がこもっていない!」

 レッドは目だけで男を見る。ピッピ達は唖然としているのか、動かない。

「気合を込めろ少年。死合と覚悟しても生き抜こうとせねば死ねぬ!! 『きあいだめ』だっ!!」

 ナナシは急な闖入者に驚いたが。男の言葉にはじけるように笑い出した。

「ははははははははは『きあいだめ』だっ? もうすこしましなことが言えねえのか」

 きあいだめ。これには少し説明がいるだろう。格闘ポケモンに見られる奇異な行動の一種である。その行動には意味があるわけでもなく、攻撃力や防御力が上がるわけではない。「無駄な技」として多くのトレーナーを悩ますものだった。ナナシが笑ったのもそのためだった。

 レッドもそれは知っている。だが、男の穢れなき声に偽りを感じない。レッドは応じるように目を閉じて息を静かに吸う。そして気合を溜める。

 

レッドのきあいだめ。

 

「はああああああああああああああああ」

 レッドの声だけが響く。意味がない、体が強くなるわけでも速くなるわけでもなく、また状態異常が治るわけでもない。それは多くの人々が言っているとおりである。しかしならば何故格闘ポケモンたちはこの行動を繰り返すのか。

 違うのだ。人間の「理」とはその根本を異にする。ゆえにわからない。

 レッドはそれを理解した。実際にやってみなければわからない、その意味を。

 攻撃の為、防御の為、状態回復の為。見ている場所がおおいに違う。人々は見誤っている、「きあいだめ」は意味のない技などではない。

 気合を溜めるための技なのだ。それこそがこの技の神髄。

「そういうことか……!」

 レッドの目に炎がともる。気合の入ったレッドの様子に男は頷く。そして彼もナナシと対峙して構え取った。

「それでこそだ! 少年!! 俺も助太刀しよう」

 ナナシは言葉を発しない。唯手を上げる。彼の部下達が二人に向かってボールを投げ込んだ。ピッピなどもはや眼中にもないらしい。

「来る」

 レッドが呟く。男が応じる。

「応! 俺達のスーパーパワーを見せてやろう! ウー!ハー!!!」

 

 七二の蛇の群れが迫る。地を覆い尽くしたアーボの流れは大河のようだ。

 レッドは腰を落とす。男は腰を落とす。まるで演武をするような共鳴。濁流に押しつぶされまいと、いや押し返そうと気合を溜める。

 

レッドのきあいだめ。

男のきあいだめ。

 

 闘気が空間を歪める。蛇たちが其処へ突っ込む。

 手刀が走る。

 拳が唸る。

 無数アーボ達が吹き飛ぶ。黒い膜が空にできる。一瞬遅れて雨のようにアーボ達が地面に転がる

 レッドは居合の速さを。男はその剛拳を存分に発揮する。

 前を行くアーボ止まれない。後ろを進むアーボは知らない。群れは愚直に前へ進んでいく。流れに身を任せて渾身の力をその体に込めて流れていく。流れに逆らえば踏みつぶされる。

 蛇の毒牙が光る。レッドの手刀が払う。一歩遅れて一陣の風が吹く。風さえも遅い。

 男は右手に力を込めた。左手で「れんぞくぱんち」を繰り出しながら。

「おおおおぉぉぉぉぉおおぉぉお」

 猿叫。優雅さ取り払った戦いの雄叫びが空気を振動させる。古の武士、その中でも精強を誇る「シマズ」の闘法。

 男が拳を振りおろした。轟音が鳴り、アーボの群れに向かって一文字の亀裂が走る。

 

男のじわれ。一撃必殺。

 

 多くのアーボ達が落ちていく。その地の底へ。物理的に蛇の波を叩き斬る。

 群れの行動が停止した。三秒にも満たないだろう隙。攻勢の空白。

レッドが右足だけで飛ぶ。その群れの中心へ。降り立った、一秒の空白に手刀が舞う。人の目では追い切れぬ早業。アーボの体が宙を舞う。

 

レッドのいあいぎり。

 

 風が起こる。何もわからぬ雑魚を蹴散らしていく。

 ナナシは踵を返した。勝敗は決した。

「おじさんの勝ちだ。少年」

 彼は後ろ向きにホルスターに残ったボールを投げる。4体のドガースが現れた。アーボではない。

 ナナシの足元を一匹のアーボが這いずる。他の物よりも大きく、その上異常なまでに腹が膨らんでいる。

「撤収だ。つきのいしは手に入れた」

 ナナシは部下達にそう指示すると戦いの場から去っていく。穴の中で死闘を繰り広げているアーボには一切の関心を見せない。所詮道具でしかない。百九のポケモンを動員したのは足元の一匹に「つきのいし」を回収させるつもりだった。

 黒衣の男達も去っていく。やはりアーボを回収しようとはしない。 

「なんだ」

 異変を察知してレッドが空を見上げる。四つの影。

「む、いかん」

  影。ドガースが毒ガスを体から噴出した。男はアーボを殴り飛ばして、レッドに叫ぶ。

「少年。アーボは片づけた。この狭い穴の中で毒ガスを受けてはひとたまりもない、脱出するぞ!!」

「で、でも」

 レッドはかばう。自らの体ではない。目線を落としピッピ達を見る。男はレッドの真意に気が付いたが、これではどうしようもない。穴に毒ガスが充満すればみな死ぬ。

 空が紫色の雲に覆われ。ゆっくりと降りてくる。死をはらんだ邪悪な雲。

男は歯噛みした、敵が固体なら、少なくとも拳で打てる相手ならば造作もなく倒せる。しかし気体となっては打つ手がない。

「少年! もてるだけのピッピを持て、君は足をまひしている。俺が担いで空を突っ切る」

「だめだ、ここまで来て見捨てるなんて!」

「死んではどうしようもない! 急げ」

 

ピッピのはねる。こうかはないようだ。

 

「!?」

「!?」

 レッドと男が顔を見合わせた。ピッピが何故撥ねたのかわからない。

 ピッピは他のものたちより一回り小さい。はねた拍子に尻から地面に落ちて、さすりながら立ち上がる。

 そしてちっちっちっと

 

指を振る。

 

ピッピのすてみタックル。ピッピを倒した。

 

 勢いよくピッピの群れに突撃した指を振ったピッピはまたちっちっちと指を振る。

「そうか!」

 男が叫ぶ。そしてレッドに言う。

「ゆびをふるはランダムで技を出す技だ。俺も君もピッピもあの空を突き破る方法はないが……それを引き当てれば」

「あっ……!! ピッピ、がんばれ」

 

ピッピのなきごえ。

 

「違う、そうじゃない!」

 レッドが唸る、焦りが声を荒げる。

「少年」

 レッドが男を見た。男は腕を組んでレッドを見つめる。

「君はピッピを見捨てないと言った。己の身も顧みずにだ。……ならばピッピもそれに応えてくれるに違いない」

 男はやさしく笑って。

「信じろ」

 とだけ言った。それだけでレッドには十分だった。

 ピッピ達が祈るように。指を振るピッピを見ている。他のピッピが指を振らないのは一匹にすべてを任せているのだろう。つまり信じているのだ。レッドは笑った。一度腹をくくった命には死ぬか生きるかの賭けもわるくない。

「がんばれ、ピッピ」

 今度は静かに言う。暗雲の下、希望は消えない。

 ピッピが指を振る。そして動きを止めた。輝きを体から放つ。まばゆい光が世界を照らし。強烈な熱気がほとばしる。

 ピッピが口を開けて上を向く。そして天を貫く極大の光を発射した。毒雲を切り裂きドガース達が光りの中に消えていく。

 

ピッピのはかいこうせん。ドガースたちをたおした。

 

 

 

 光の柱。ナナシはヘリの窓から見えるそれに少なからず驚いた。

「はかいこうせんか……どうやってだしたんだ?」

 そして目を背けて、興味を失ったように目をつぶった。

 

 

 

 

 

 黄金の月が見えた。雲一つない空にぽっかりと浮かんでいる。

 レッドは腰を落とした。さすがに疲れたといっていい。男もその前にどっかりと腰を落とす。

「終わりましたね……シバさん」

 シバは驚いて薄く目を開いた。

「俺の名を知っていたのか?」

「いえ、さっきまで知りませんでした」

 シバその答えに満足したように笑う。そして言った。

「ウワーハッハッハ。さすがだ、少年。いやレッドよ」

 名乗り合うのに言葉などいらない。お互いの名前など肩を並べて戦えばわかる。

 シバは腰に付けた小さな包みを下ろした。それを開くと、三つのまんじゅうが入っていた。

「月見団子……と行きたいところだが、あいにく持っていない。月見まんじゅうといこう。食えば疲れが取れる」

「いただきます……」

 シバが差し出すまんじゅうをレッドはとろうとして。ピッピにとられた。

「あっ、こら」

 ピッピに群れに囲まれるレッド。膝にのる、頭に乗る。無礼千万と人間ならば言うかもしれないが、野生のポケモンがここまでなつくのは親愛の証しである。

「ウワーハッハッハッ」

 シバの豪快な笑い声が夜空に響く。

「良い、月夜だっ!!」

 

 

アーボ、ドガースLV5-9 百八体撃破(レッド 六十二体)

 

レッドはいあいぎり、きあいだめをつかえるようになった。

 




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