振り返ると凜の方もちょうど二体を絶命させたところだった。
額に穴の開いた半死徒たちが倒れている。
「うぷ…」
目の前で起きた光景をすべて見ていた綾子は床に膝をつき胃の中にあるものを吐き出していた。
「刺激が強すぎたな」
漂う異臭。自分たちと同じ人型だったものの肉片が七人分散らばっている。初めてこんなものを見たら普通の人間は綾子と同じ反応をするだろう。魔術師である凜ですらそれらを見て口元を抑えている。
「…言峰くん。やっぱりあなた聖堂教会の代行者なのね」
凜は苦しそうにしている綾子の背中を摩る。
「――俺が代行者であることを知ってたのか」
魔術師であることが気付かれたのならまだわかる。教会の人間だということも、彼の保護者がディーロが教会に属しているというのは凜も知っているはずなので、そこから士郎が教会の人間だということも予想は可能なのでまだ納得はできる。だが結局それは憶測に過ぎない。
そのはずなのに凜は士郎が教会の人間、しかも代行者であることをまるで知っていたかのような口ぶりで話していた。
「私も思い出したのはあなたの名前を聞いた時だけど、ディーロ神父より前に冬木教会に務めてた神父の名前が言峰だったのよね。あとそれとは別に言峰って代行者にこの冬木市で助けてもらったことがあったから、同じ名前のあなたももしかしたらそうなんじゃないかなって思ってたの。魔術師だったのは驚きだけど」
「――ここで親父に助けられたってことは…十年前か」
「ええ、そうよ」
十年前、聖杯戦争の起きた年。士郎と花蓮の父親、言峰綺礼は冬木市を訪れていた。士郎を養子にしたのはその時だ。
「まあ、今はそれよりも…」
凜は口を服の袖で拭っている綾子に目をやった。
――魔術師には掟がある。一般人にその力を見られてはいけない。目撃された場合は即座に殺す。そういったものだ。
「殺さないぞ」
士郎は魔術師ではない。魔術使いだ。彼にはルールを守る道理はない。
「あと言っとくが殺させない」
「――――」
お互いの視線が交差する。
士郎はどうあれ凜は正真正銘の魔術師。ならば掟は守らなければならない。
位置的に凜の方が綾子に近いが彼女が攻撃を終えるまでにその距離を一瞬で詰められる自信が士郎にはあった。
「――ああ、そのこと? 別にそんなつもりないわよ」
「は?」
「だから綾子を殺すつもりなんてないって言ってるの」
凜の言葉に士郎は困惑する。
遠坂は由緒正しき魔術師の家系。ルールは守らなければならないはずだ。
「………こう聞くのもあれだけど…いいのか?」
「あのね、モールの内側だけでも何人魔術を見てると思ってるの。外側なんてもっと人がいるかもしれないのよ? 一人二人殺したからってどうにもならないでしょ」
実際に結界魔術を何人も目撃してしまっている。それで既に百人以上は目撃者がいるのだ。しかもこれほどの結界ならヴェルデの外側からも視認できる可能性も高い。
「口封じするには殺す数が多すぎる…そういうことか?」
「そうよ。私ひとりじゃ到底対処しきれない。だからやらないの」
「――――」
(こいつならこの状況でなくても殺さなさそうだな)
彼女ならおそらく今回のような場合でなくとも綾子を殺さないのでないか、そんな気がした。
「甘さか…」
魔術師には必要のないものを凜は持ってしまっている。士郎の目には彼女は真の魔術師ではないように映った。
「何か言った?」
「いや何も」
わざわざ本人に言う必要もない。言ったとしても何が起こるかわかったもんじゃないので彼が思ったことを口にすることはなかった。
「で、さっきしようとしてた話はなんだったんだ?」
「……これよ」
生物として機能していないものを指さす。
「なんなの?」
「お前も知ってるだろ。死徒と呼ばれてるものだ」
「これが? 話に聞いてたのとはだいぶ違うけど」
「正確に言うなら死徒擬き。人間の道は外れたが完全な死徒にはなれなかった者達だ。教会では半死徒と呼んでる。人の血を吸い、吸った相手を自分と同じ存在へと変化させる。ゾンビなんて言った方がわかりやすいか」
「――――」
士郎から聞いた話を整理しているのか次に凜が口を開くまで少しの間があった。
「――どういうものなのかはわかったけど。なんでそんな奴らがここにいるの?」
「……気付くのが遅れたけどさっき半死徒じゃない本物の死徒を見た。多分そいつが原因だと思う」
「確証はないの?」
「ない。恥ずかしい話だが気を緩めてた」
「そう…。ならとりあえずこれからどうするか決めましょう」
原因がわからなくても、次の行動に移らなければならない。同じ場所にいるのはかえって危険だ。
「遠坂。あの結界はお前から見てどうだった?」
伝統ある家系の魔術師。士郎もある程度魔術に関しての知識は詰め込んでいるが、ここは専門家の知識を頼った方がいいだろう。
「まだ分析してないから詳しいことはわからないけど…それでもいい?」
「構わない」
「――範囲の広さの割に頑丈。物理的な攻撃にも魔術的な攻撃にもなかなかの耐性がある…そんなところかしら。少なくとも今の私の手持ちの宝石じゃ壊せないわ」
詳しいことはわからないと言った凜だったが士郎からしてみれば十分すぎる情報を提供してくれていた。
「そうするか…」
手詰まりというわけではない。凜は現在持っている宝石では破壊できないと言っていた。裏を返せば石さえあれば破壊は可能だと言ってる。
「俺なら突破できる…? わからないな。試すしかないか」
「――おい…」
少し落ち着いた様子の綾子が声を発した。
「…なんなんだよ、これ」
綾子は死体を見て再び吐き出しそうになるがなんとか寸前で耐える。
「――遠坂も言峰なにもなんなんだよ」
純粋な問。自分にとっての非常識をついさっきまで一緒に遊んでいた友人がしたのだ。綾子からしてみれば、訳が分からない。この一言に尽きるだろう。
(なんなんだろうな)
綾子の問いに対して士郎は真剣に考え込む。自分が何者なのかについて。
考える。
考える。
考える。
自分が何者なのかを。
「士郎」
「……大丈夫だ」
花蓮の言葉で独り歩きしていた意識が引き戻された。
「綾子、そのことは後で話す。それよりもいつ死んでもおかしくない状況だから、今はここから生き延びるために動かないといけないの。いい?」
「――――」
それは綾子が今まで聞いてきた凜の声の中で一番真剣なものだった。
「――わかった」
嘘は言っていない。真実だと直感的に察知する。
彼女は凜の言葉を信じて承諾した。
「言峰くん。綾子はどうする?」
綾子は一般人。三人とは勝手が違う。
「ロビーには戻したくないな…」
それは躊躇われた。安全なところに彼女を送りたいが、モール内で一番安全なのは士郎、花蓮、凜の傍だ。
「なんで? あそこ人多いだろ?」
「だからだよ。俺たちが殺した奴らで最後じゃないだろうし、あそこにいるのが今日モールに来た客全員じゃないはずだ」
人の多いところにいた場合、不安はもちろんだが逆に同じ境遇の存在がこんなにもいるのだと安心感にも包まれる。しかしあの場は安全ではない。
人が多いということは狙われやすいということ。ここに現れた半死徒たちには知能がほとんどないようだった。思考能力が皆無の彼らは本能に従い人の多いところに集まるだろう。
ロビーにいるのは一般人だ。知能がないとはいえ、人の力を上回っている半死徒にかなうわけがない。
「安全が確認できるまでは連れていこう。それが一番安全だ」
「了解」
反対する声はなかったので士郎の言った通り綾子は脱出できるまでこのまま同行させることになった。。
「とはいってもな…」
元凶である可能性が高い黒ジャケットの死徒を探すか、一旦ロビーに戻って状況確認をするか。
「とりあえず――――」
「――隙だらけだ」
聞いたこともない男の声がちょうど士郎の真後ろでする。それと同時に男から蹴りが繰り出されていることに彼は気付いた。
「――――」
死角からの攻撃。もはやその蹴りの速度は弾丸と同等と言っても過言ではない。ただの人間ならば蹴られたことにすら気付かずにその命を終えるだろう。
だが、士郎は違った。
彼の人生が変わってからの十年間で培った危険予知能力。それのおかげで振り返りながら反射的に体を反らせてなんとか回避する。
そして、
「その足、貰うぞ」
無理やり体を捻り右手に持つ黒鍵で謎の男の右足を裂いた。
男は少しだけではあったが苦痛の声を漏らし、その場から飛び退いた。
「言峰くん! 援護を――」
状況をやっと理解した凜が士郎の援護をするために魔術刻印の光る右腕を突き出す。
「――必要ない。二人を頼む」
彼は凜の援護を拒否して追撃を始める。士郎が斬ったのは男のアキレス腱。攻めるなら今だ。相手に一秒も時間を与える気はない。
瞬き程の刹那の時間で士郎は男との距離を詰める。
「面白い」
黒ジャケットを着た男――人類史の否定者である死徒は笑った。
もうあと少しで前編は終了です。閉ざされたモール内での戦闘がここからどうなっていくのか、お楽しみください。