登校中
聖杯戦争は全三箇所で順に行われる。
その三箇所のうちの一つが日本の冬木市。『第一の聖杯』が設置された極東の地である。
願望機である聖杯を求め、魔術師たちは何百年も争いを繰り返し、血を流した。
そして十年前、冬木市では四度目の聖杯戦争――第十次聖杯戦争が行われた。
もう十度目にもなる為、すでにルールは明確になっており、第一次や第二次の頃のようなルール無用の殺し合いではなかった。
けれどこの第十次聖杯戦争ではイレギュラーが起きた。いや、聖杯戦争とは常にイレギュラーが起きうるものだ。正確に言うのならば、十年前の聖杯戦争は最初から最後まで異常だった。
聖杯に呼ばれていない英霊の侵入、監督役の行動、そして死徒のマスターとしての参加など。これら全てが重なった結果、冬木市の鍾乳洞内にあった聖杯戦争のシステムそのものである大聖杯――『第一の聖杯』が消滅し、舞台となった街は炎に包まれた。
多くの命が消え、多くの者たちが悲しんだ。
神の救いなんてない。
街を支配したのは絶望のみ。
あれほど酷い結末を迎えた聖杯戦争はかつてなかった。
――だからこそ、彼……言峰士郎という存在がこの世に生まれたのかもしれない。
***
ショッピングモールの事件から二日後、高校は通常登校だ。事件現場であるヴェルデと穂群原学園では距離が相当離れているので当然と言えば当然である。
月曜はたまたま祝日だったので休息十分に取ることができている。士郎の体に不調はない。
「――………?」
聖堂教会への報告はディーロがしてくれていた。その際、リカルドという名の死徒につての情報があるかどうかも聞いていたのだが、収穫はなし。やはり未発見の強力な死徒は、世界にまだまだいるのだということを代行者である少年は改めて認識した。
「――……う?」
現段階で最大の問題はリカルドなわけだが、他にも考えるべきことはある。
砂川家の生き残り、砂川愛梨。実質的な第十次聖杯戦争の勝利者であるという女性のことだ。
なぜ自分のことを知っているのかということのも気になるが、彼女の立ち位置が不明だ。一昨日は挨拶するだけすると彼女はさっさと帰ってしまった。そのため目的がわからないままなのだ。
「――…ろう」
リカルドが『第一の聖杯』と言っていたことも気になる。この言葉を知っていることは別に何の問題もない。あの様子だと大聖杯と小聖杯についても知っているのだろうが、それは十年前に公になったことなので知っていてもおかしくはない。だから問題はそれらの事情を知った上で、リカルドがここを訪れたことだ。一般人を半死徒化させ、どこかへ消した。これらの行動からして、確実に何かしらの目的があるはずだ。
(ただの学生でもいられないな)
士郎を悩ませる要因は多々ある。そろそろそれらを解消するために、代行者として本格的に動いた方がいいのだろう。
「――士郎!」
「うわぁ!?」
花蓮に耳元で名前を呼ばれ、士郎は素で驚いた。
「まったく…。朝から大きい声を出させないでください」
「ご、ごめん。それでどうしたんだ?」
「いえ、あなたがボーっと歩いているので声をかけたのですが、応答がないので大きな声を出しただけです」
つまり用事はないらしい。
「なにか考えてたんですか?」
「ん…まあ、色々と」
「何かあれば相談を」
「わかってる」
花蓮は頼りになる。でも、あまり頼りたくないのが士郎の本音だ。
と、そこに近づいて来る人物が一人。
「――言峰くん」
呼ばれて振り返れば二人の少女がいた。
「おはよう」
「おはよう、遠坂。桜もおはよう」
「おはようございます」
意図的に被せているわけではないのだが、彼女たちとは通学路が同じなのでどうも登校が一緒になる。
「体は大丈夫?」
「とりあえず問題ない。花蓮と遠坂のおかげだ」
あそこでの治療は正解だった。あの状況で数分でも放置していたら、未だに士郎はベットの上で横になっていたかもしれない。
それほどリカルドとの戦闘で士郎はダメージを負っていた。
「今日はどうするの?」
凜のどうするのというのは、代行者として今日は何をするのかと質問してきているのだろう。具体的には決めていなかったので、パッと出てきたことを口にする。
「そうだな…。まず砂川さんから話を――」
「呼びました?」
「――――!」
突然かけられた声。
士郎は飛び退き、今にも戦闘態勢に入る寸前だった。
「私ですよ、私。砂川愛梨です」
にっこりと笑う女性がそこにはいた。
「愛梨さん、なんでいるの?」
「たまたまここを通りかかったら皆さんを見かけたので来ちゃいました」
「来ちゃいましたって…」
能天気な愛梨を前に凜は呆れ顔だ。
「でも愛梨さんが外にいるなんて珍しいですね」
「桜ちゃん、それは語弊があるよ? 外にはちゃんと出てるから。外で出会ってないだけだから」
愛梨は未だ自分と距離をとったままの士郎へと目をやった。
「ほら、神父さんも学校ですよね。そんないつまでも警戒していないで学校に行きましょう」
「――――」
なぜこの人も一緒に行くつもりなのかということはひとまず気にしないで、士郎は歩き始めた。他のメンバーも止めていた足を動かし始める。
「体は大丈夫なんですか? 神父さん」
「――あの、神父はやめてください」
「? なんでですか?」
きょとんと不思議そうに愛梨は首をかしげて尋ねてきた。
「神父って呼ばれるような人間じゃないんですよ、俺は」
あくまで殺す者。
聖職者を目指しているわけではない。やれるからやっているだけだ。
「うーん…。なるほど。わかりました。では士郎くんと呼びますね」
士郎の顔を数秒眺めると愛梨は納得したように頷いて、彼を士郎と呼ぶことにした。
「…それでお願いします」
「はい。あ、士郎くんと花蓮ちゃんも凛ちゃんたちと同じで、私を愛梨さんって呼んでくださいね。愛梨お姉ちゃんでも可です」
そんなやり取りをしつつ、学校に向かう四人と共に愛梨は歩く。
「今日はどうする予定なんですか?」
「それについて話そうとしてたところで愛梨さんが来たんです」
「あー、そうだったんですか。ごめんなさい。…それでどうするんですか?
「愛梨さんから色々話を聞いておきたいと思ったんですけど…」
放課後にでも話を聞きに行こうかと思っていたのだが、ちょうどよかった。ここで聞いてしまってもいいだろう。と、思っていたのだが意外な言葉が彼女の口から発せられた。
「協力はしたいんですが、私は下手に情報を口にできません。申し訳ないです」
「どういうことですか?」
「――見られていますから。本当はこうやって会うのも避けたほうがいいんですけど…」
愛梨は天を仰いだ。
士郎もつられて空を見上げるが、何もない。ただの青空だ。
「よくわかんないけど…。それじゃあなんで接触してきたのよ」
凛は怪訝な目を愛梨へ向ける。
「そうやって深く聞いてこない凛ちゃん好きですよ。…というわけで話を戻しますが、伝えておきたいことがあったので来ました」
「伝えたいこと?」
「はい。ちょっと昨日ヴェルデを調べたんですよ」
「どうやって調べたんですか? 確か今は閉鎖されてるんじゃ……」
「そうやって細かいところを気にする桜ちゃん嫌いですよ」
「えぇ…」
理不尽な嫌われ方をした桜だった。
「とりあえず、昨日愛梨はヴェルデに侵入して店内を調べたんですよ」
「結果はどうだったんですか?」
「案の定死体はなし。ヴェルデ内は以前と変わらないただの綺麗なショッピングモールでした」
「つまり収穫はなしということですか?」
彼の言葉に対して、首を横に振った。
「人が殺されていたのに死体がない。これはこの際どうでもいいんです。それを踏まえて私の報告は何かおかしいと思いませんでしたか?」
「――――」
士郎は考える。確かに彼女の言葉には引っかかる部分があったのだ。愛梨の言葉を脳内で何度か再生し、ようやくおかしな点に気づいた。
「――綺麗だった…?」
「流石です。士郎くん」
愛梨は以前と変わらないただの綺麗なショッピングモールだと言った。だが、それはおかしな話なのだ。
「確かに…。綺麗っていうのはおかしいわね。だってあそこで…」
彼女の思っている通りだ。
一昨日、あそこでは死徒が人を襲っていた上に、士郎たちだって死徒を殺して血を撒き散らしていた。それだというのに店内が綺麗というのは確実におかしい。
「――今日帰ったらディーロ神父に詳しい話聞いておく。事後処理の最中だろうし」
ディーロは事後処理という名の隠蔽工作の真っ最中だ。今朝はそれのせいで彼が頭を悩ませていたのを士郎は覚えている。
「それと最後に。これに関しては確証はないんですが、近々またリカルドの襲撃があるかもしれません。それは気を付けてください」
「わかりました」
「――そろそろ着きますね。では、私は調べたいことがあるので行きますね。また近いうちに会いましょう」
言うだけ言った愛梨はくるりと回転して四人の向かっている学校とは反対方向、つまり来た道を戻っていった。
「――――」
士郎はその後姿を見つめる。彼女はその視線に気づいているだろう。
「――どう? 愛梨さんは」
凛から尋ねられるが、どうも何もないだろう。
「怖い」
「怖い…? どこが?」
「何考えてるかわからないところ」
彼女の思考は全く読めない。士郎の経験上、あのような手合いが一番油断ならない。
「ふーん」
「お前たちの知り合いなのはわかってるけど、あんまり現段階だと信用できないな…」
信用できるか否かを判断するにはいかんせん情報が足りなさすぎる。今の状況では全く彼女のことは信用できない。
「いいんじゃない? 私もあの人のこと全部把握してないし。怪しく思うのは当然よ」
「――それに…」
「それに?」
今まで出会った魔術師の中でも砂川愛梨は異質だ。
その片鱗を士郎は彼女が現れた時に感じ取っていた。
最初に花蓮に名前を呼ばれた時とは違い、今回は意識が確かにあり、警戒も最低限していた。そのおかげで凛たちの接近にも気付けたのだ。だというのに僅か一メートルまで近づいていた愛梨に気づくことができなかった。
彼女が攻撃をしていたら今頃士郎は死んでいたかもしれない。
「いや、なんでもない」
おそらく考えても無駄なのだ。ある人物を思い浮かべながらそう思う。
(――そうだよな…。先生に似てる…気がする)
愛梨の雰囲気が彼の師匠に似ていた。呪われているような、黒い空気を纏っている。
(まあ、あの人は気心知れてるというかどんな人かわかってるから信用できるけど…。そうだ、相談してみるか)
師匠ならリカルドのことも知っているかもしれない。そう考え今日中にでもイタリアに電話をすることにした。
***
「さて、どうしましょうか…」
どこまでがセーフでどこからがアウトなのかわからない。いや、それ以前に彼に助言をした場合何かあるのかというのも確証はない。
けれど――
「――見られてはいましたね」
天を見上げる。もう目はない。
「やっぱり神父さんはモテモテだなぁ」
そういう性なのだから仕方ないのだろう。
これから彼がどのようにして成長していくのか少し楽しみだったりする。
「それにしても…」
一人の少女が脳裏に浮かぶ。
「…愛って怖いですね」
このお話と関係性のある『並行世界に迷い込んだ藤丸立夏』も投稿再開したので、興味があればぜひそちらも読んでいただけると幸いです。