本の虫と髪切り虫のお話   作:てる

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本の虫と退屈な暇潰し
#0 開店前のお話


 ──僕の仕事は人を救えるような大層なものじゃない。そんな事は分かってたんだ。

 

 怠そうに椅子に腰かけて、あの人は静かな声でそう呟いた。

 

 ──でもね、気休めにはなったんじゃないかなって。少しだけ生きてる事が楽しくなるような、そんな小さな気休め。

 

 

 そう言って彼はうっすらと、けれど心底楽しそうな笑みを口の端にたたえて目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 今でも髪の毛を弄びながら考える事がある。

 私はあの人の気休めに少しでもなれたのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 

 

 

 

 男の胸に指を突き付けて言い放つ。

 

 

「だから、うちは貸本屋なんですって!」

 

 

「冗談でしょ!?待って待って、じゃあまだ借りるには延長とかしないといけないわけ?」

 

「延滞金も払って貰いますけどね」

 

 延滞金と延長料金を素早く計算して男に告げると、彼の顔がサッと青ざめた。大した額じゃないと思うんだけれど。延滞って言っても1日だけだし。

 しかし、金……金……と虚ろに呟きながら、家具の隙間に手を突っ込んでいる彼を見ると溜め息が出てくる。

 

 私、本居小鈴は今、延滞本の回収に来ている。普段なら1日や2日ではぴーぴー言わないけれど、場所が場所だ。

 お向かいさんなのだ。

 借りられた本は外のファッション誌が何冊か。

 それ自体はそこまで珍しくない、ただ女性向けの物を選んで借りていったのが印象に残っている。

 

「……ないみたいだね」

 

 男が腕を埃だらけにしながら俯いていた。

 

「……」

 

「開業前でさ、手持ちの金も全部設備投資に突っ込んじゃったって言うか……」

 

 こちらをちらちらと窺いながら申し訳なさそうに呟くが、私だって商売だし払ってもらわなきゃ困る。けど、本当にこの人せっぱ詰まってそうだしどうしようかなあ、と考えていると、

 

「店さえ始めりゃその内返せると思うんだけどな……そうだ」

 

 何かを思い付いたのか、男が口の端に小さな笑みを浮かべた。

 

「お嬢さんがお客さん第一号だ」

 

 ぽかんと口を開けてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 いつものように店番をしていた時の事。

 売り物の本をぺらぺらと捲っていた私は、つい夢中になってしまっていたのか、前にお客さんが立っている事に気付かなかった。

 とん、と雑誌が目の前に置かれたのに驚いて飛び上がってしまったぐらいだ。

 

「す、すいませんすいません。ええっと、ひいふうみい……」

 

 彼は慌てて勘定する私を眠たげな目で眺めながら、

「お嬢さん、この店の子なの?」

 

「ええ、そうですけど」

 私がそう返事をすると彼は嬉しそうに、

 

「へえ、じゃあお向かいさんだね」

 

「お向かいさん?でもあそこって空き家……」

 

 この鈴奈庵の向かいは私の生まれる、いや、私の父や祖父が生まれる前からずっとずっと空き家だったはずだ。

 蔦にびっしりと覆われた、あの昼間からでも幽霊が出そうなぼろ家を思って身震いする。

 あんな所に本当に住むのだろうか。

 

「近いうちにあそこで店を始めるんだよ。さて問題です、僕は一体何を生業としているでしょう」

 

 男は悪戯っぽく笑ってそう言った。

 何だか馴れ馴れしいなあとは思ったけど、お向かいさんになるんなら愛想の一つでも振り撒いておこうと思って真剣に観察する。

 

 だらりとした着流しに茶髪と片耳に付いた大きな耳飾り、どこか芸術家っぽいような感じがするけれど、店を開くって言ってたし……

 

「うーん、仕立て屋さんとかですか?」

 

「おお、凄いね」

 

「もしかして当たってたり?」

 探偵物を読み漁ってたから私にも推理力がついたのかも、と期待したのに、

 

「ううん」

 

  ガクッと椅子から転げ落ちる。

 

「じゃあ正解はなんなんですか」

 

 少しむくれながら尋ねると彼はからからと笑って、

「まだ内緒にしておくよ、正解は店に来てからのお楽しみって事で」

 

「ええ~?」

 

 体よく宣伝されてしまったみたいだ。

 そのまま、彼は雑誌を抱えて仕立て屋……仕立て屋ねえ……と呟きながら出ていってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

「お、お客さんってどういう事ですか!?」

 

 いきなりお客さん認定されてうろたえてしまった。何か売りつけられちゃうのだろうか。

 キッと睨む私にたじろいだ様子もなく、彼は、

 

「大丈夫だって、何か売りつけたりする訳じゃないからさ。なに、折角来てもらったのにただで帰すのは申し訳無いからね」

 

 駄目だ、全て見透かされている。観念して私は大人しく『お客さん第一号』とやらになる事にした。

 

「……びた一文負けませんからね?」

 

 まいったなこりゃ、と女性のように後ろに束ねた髪をかき上げた、困ったようなその笑顔に何だかくすぐったく感じた。

 

「まあ座りなよ、そうそう、そこそこ」

 

 促されるままに椅子に座る。ふかふかしていて気持ちいいけど何だか変な形だ、と思った時にはくるんと景色が回っていた。

 目の前にあるのはきょとんとした私の顔。

 鏡だ。

 

 いつの間にか後ろに立って鋏をシャキシャキと言わせている。

「さてと。改めて僕の店『髪切り虫の床屋 』へようこそ」

 

「と、床屋さんだったんですか」

 

「仕立て屋ってのもあながち的外れじゃなかったでしょう?仕立て屋は服を仕立てるけど、僕は人の髪を仕立てる訳だ」

 

 喋りながら手際よく布を首に巻かれる。

 

「いや、でも私今の髪型気に入ってて」

 

 私がそう言ったにも関わらず、

「けど正直重いでしょ、その髪型?崩さない感じに少々軽くしてあげるよ」

 

 果たしてそんな事が出来るのだろうか。

 今まで髪を軽くしてくれと言うと、大抵めったやたらに梳かれて貧相になるし大変だったのだ。

 

「……じゃあお願いします」

 

 変な髪型にされたらお金なんか払ってあげるもんか、と覚悟を決める。

 顔が強張っていたのか、彼がくすくすと笑った。

 

「変な髪型にされるんじゃないかと思ってるでしょ?安心してよ、これでも向こうじゃカリスマ美容師なんて言われてたんだから」

 

 またまた見透かされた……ん?向こうってどういう事だろうと考えているともう髪に鋏が入れられていた。

 上から口笛が聞こえてくる。それを聴いていると何だか懐かしい気分になってきた。母の子守唄に寝かしつけられているような暖かな気持ち。

 そのリズムに合わせて軽やかに鋏が踊る。落ちてくる髪の毛の音にさえ心地よさを感じた。

 

 

「はい終わり」

 

「え?」

 まだ3分も経っていないのに。

 慌てて鏡に目を向けると、そこには先程と変わらない髪型の自分がいた。

 

「特に何も変わってない気が……」

 

「ちょっと首振ってみてよ、ほらこんな風に」

 

 彼が首を振りながら言った。

 首の振り方ぐらい知っとるわ、と思いながらも言われた通りにする。

 

「きゃっ!?」

 

 ぱらぱらと髪の毛が大量に頭から落ちてきた。

 どうしようどうしよう、こんなに切られるなんて思ってなかったのに。

 

「ちょっとどういう事ですか!?こんなに無茶苦茶に切ったら変になっちゃうじゃないですかあ……」

 最後の声は涙声になってる気がするけど気のせいだ、気のせい。

 髪型に失敗したぐらいで泣くものか。

 けど泣きたい、一応女の子だもの。

 

「泣かないでよ、ほら、鏡見てみて」

 

 彼が二つ折りになった鏡で後ろの方を映す。

 おっかなびっくり見てみると、あれ変じゃない。むしろ全然変化がない。

 

「でもこんなに切ったのに、どうして」

 

 彼がふふんと鼻を鳴らしながら、

「髪を軽くするのに必ずしも梳かなきゃいけない訳じゃない。中の方だけを切って上は弄らずに被せりゃ大して変わりないまま軽くできる訳よ」

 

 髪にそっと触れてみると、中の方を切ったと言っていたけれど全然違和感がない。けれども確かに軽くなっている。

 着物を払ってもらってから、

 

「えっと、お代は」

 手持ちが吹っ飛んじゃうかもしれないけれど、とっても満足できたから良しとしよう。

 

「え、いいよそんな物」

 のんきな顔で彼が言った。

 

「良くないでしょ!?」

 

「開店前のウォーミングアップには丁度良かったし、あのぐらい片手間仕事だからね」

 

「私の良心が咎めるんです!」

 

「それならあの雑誌代チャラにしといてよ、それで十分」

 

「それでいいならそうしますけど」

 

 何だか上手いこと丸め込まれた気がする。

 そう言えばまだこの人の名前すら知らないのだ。お向かいさんだし、名前ぐらい知っておこうと尋ねると、

 

「おっ、名前聞いてくれるんだ」

 と嬉しそうにしていた。

 それを見て怪訝そうな顔をしている私に、

 

「僕の仕事は指名取ってなんぼだったからさ、まあいいや。市木。君の名前も教えてよ」

 

 本居小鈴です、と言うと良い名前だね、としきりに頷いていた。

 何だかとても照れ臭くて、余り変わっていないけれど、それでも確かに少し変わったこの髪を指でくるくると巻いてみる。

 

 

 

 

 これが私と彼が初めて会った日の事。

 本の虫と髪切り虫の為の、ある晴れた昼下がりの微睡みのようなぼんやりとした記憶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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