本の虫と髪切り虫のお話 作:てる
秋は鈴奈庵の書き入れ時だ。
秋の夜長を少し知的に過ごしたいから、秋雨に予定を潰されたから、理由は多様だが他の季節よりも明らかに客足が多い。
わらわらとやって来る客をへとへとになりながら捌くと一息ついて茶を啜る。渋い。
渋いと言えば、彼に貰ったあの柿は本当に渋かったと今更ながら苦笑いが出る。
……なんで来ないんだろう。
市木さんは今日、昼下りになっても鈴奈庵に一度も姿を見せていなかった。
普段なら昼前には必ず顔を出してうちで昼餉を食べていくか、逆に彼の店に招待されてくっそ不味い不定形の何かを「一緒に食べようよ」なんて抜かされるかのどっちかなのだが。どっちにしても私に特にメリットはない。
知らず知らずの内にこつこつと指で勘定台を叩いていた事に気が付いて、慌てて腕を組む。
「暇潰しに行こうかな……そう、只の暇潰し」
誰ともなしに呟くと、私は座りっぱなしで岩のように凝り固まった背中を伸ばして、少し湿った秋風に目を瞬かせながら徒歩数十秒、最早お馴染み『髪切り虫の床屋』に向かうのだった。
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ひゅー。
相も変わらず飾り気の無い外装に寒々とした風が吹く。床屋を名乗るならもうちょっと店もそれらしく改装するべきだと思う。
それはさておき、やっぱり店は開いていなかった。出かけているのでは、とも思ったが、彼はたとえ僅かでも店を空ける時には張り紙を残す。
今見る限りではそれすらない、ただしっかりと施錠されているだけ。
これはいよいよ怪しい、店にいるのに開店しない、ましてや昼餉を集りに来ないなんてはっきり言って異常事態だ。
「市木さーん、居るんですか?居るんなら返事して下さーい」
どんどんと扉を叩くが返事は無い。ただのしかばねのようだ。
冗談言ってる場合じゃない、独り身男性の孤独死なんて洒落になったもんではない。
軒先の観葉植物をひっくり返して鍵を見つけるとなりふり構わず扉に差し込む。
音を立てて軋む扉を押し開けて中に入ると、まだ昼間なのに薄暗い。換気していないのか、空気もどこか澱んでいる。
「市木さん、何処ですかー?というか生きてますか?」
呼びかけるがやはり返事は無い。
どうしたものか、と思案していると視界を黒い何かが横切る。しらたまくんが店をたぱたぱ走っているのだ。それを目で追った先に、ボロ雑巾のように床に這いつくばっている男が一人。
奥から出てこようとしたが力尽きたらしい。
慌てて駆け寄ると、彼はか細い声で
「……ぅあ、小鈴ちゃん、か。ごめん吐きそう、ってか吐く」
言い終わらない内に口に手を当てて真っ青になる彼の顔に、屑籠を蹴り飛ばす。
おろろろ言いながら屑籠にご飯の成れの果てを吐き戻すと、彼は力無く笑って、
「なんか朝から気分が悪くってね、とりあえず吐くためにお手洗いに行こうとしたんだけど……やっぱ無理」
言うなり糸が切れたように倒れてしまった。
額に手を当ててみると凄い熱、呼吸も荒い。
季節の変わり目にやられたのか、それとも最近の働き詰めが仇になったのか、どちらにしても芳しくはない。
放っておく訳にもいかないので奥まで運ぼうとするがとにかく重い、小柄かつ細みのかいわれ大根みたいな体型をしているとはいえ伊達に二十過ぎの男性ではない。貸本より重い物を持った事のない、蝶よ花よと育てられた私には土台無理な話だ。
パニックになってあっちこっちを行ったり来たりしている私、よく分からないけどうろちょろするしらたまくん、床で白目を剥きながら伸びている彼。
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図の中、
「失礼、薬の交換にやって来たんですが……どうかしたんですか?」
怪訝そうに扉を薄く開けて呼びかける声。
傾げた笠からちらりと見えるくりくりとした目。
普段少し不気味に感じていた薬売りさんが、この時はまるで神様のように見えた。
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薬売りさんと協力して彼を奥に運んで、布団に放り投げる。
情けない声で呻く彼の様子をしばらく診た後、彼女は私のいる仕事場まで戻ってきた。
固唾を飲んで診断を待つ私の前に腰を下ろすと事も無げに、
「そんなに気負わなくてもいいですよ、只の風邪です。少々熱が高過ぎる気はしますが、とりあえず熱冷ましを置いていくので起きたら飲ませておくように」
彼女は薬箱の中身を検めては、適宜補充していく。出したお茶にも口を付けない程に淡々としているが逆にそれが頼もしい。
「いやあ本当に助かりました、私一人だったらどうにもならなかったですから」
「構いませんよ、仕事ですから。彼に薬の代金はまた後日とでも伝えておいて下さい」
言うなり葛籠箱を背負って出ていってしまった。凄まじいまでのビジネスライク。
しかしあの薬売りさんは何者なのだろう、
市木さんのワックスとかいう無茶振りにも応えられるし。
まあ何にせよ一安心、と胸を撫で下ろして長椅子に座った私の視界に、何かキラリと光る物が目に入る。
床に無造作に転げ落ちているそれを拾ってみると、銀色の古びたロケットペンダント。
どこかで見た事あるなあ、なんて微かな記憶を手繰り寄せてみる。
そうだ、確かこれは────
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市木さんはアクセサリーが大好きだ。
どこから手に入れてくるのか毎日指輪やらピアスを取っ替え引っ替えしては無邪気に笑っている。
前に狐の女の子に貰った木彫りの指輪は特に気に入ったのか、割とよく付けている所を見る。
そんな伊達な彼が唯一いつでも身に付けて外さないもの、それがこのロケットペンダント。
ある日、彼の店で日向ぼっこをしながらうつらうつらしていた時のこと。
長椅子の上でついそのまま眠りこけてしまった私が目を覚ますと、なんだか体が重い。
上に乗って寛いでいるしらたまくんを払い除けて、思いっ切り伸びをした。
少々ダイエットさせなければなるまい、私も人の事はあまり言えないが、なんて考えていると彼の姿が見えない事に気が付いた。
全くちょっと目を離すとふらふらどこかへ行くんだから。
服に付いた毛を払いつつ、しらたまくんを抱っこしながら店内をうろつく。
案外彼は早く見つかった。なんの事はない、奥に引っ込んでいただけだったのだ。
ちゃぶ台で頬杖をついて座っている彼に声をかけようとして、ふと躊躇う。
どうしてかと聞かれても困る、強いて挙げるなら彼の表情が何時になく曇っているように見えたからかもしれない。
そっと様子を窺うと、彼は首から下げたペンダントの中身をじっと眺めていた。
いつまでも、いつまでも眺めていた。
燃えるような情熱も、薄ら寒さを感じるような偏執さも、絡みつくような後悔もそこには感じ取れなかった。
ただ、いつまでも眺めているだけ。
「ああ、おはよう小鈴ちゃん」
私に気が付いたのか、彼はまたいつもの微笑を顔に貼り付ける。その澄んだ目で彼は何を見ていたのか、私は結局訊ねる事ができなかった。
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そうだそうだ、確かあのペンダントだ。
奥から這い出そうとした時に落としてしまったのだろうか。
今のところ、とりあえず彼は起きる様子もない。好奇心がうずうずと鎌首をもたげ出す。
布張りの椅子に深く腰掛けて、弄んでみる。
いや、良くない良くない、許可も貰ってないのに勝手に中を見るほど私は悪い子ではないのだ。
棚の上にそれを置くと、視界に入らないようにそっぽを向く。
…………何が入ってるのかな。
考えないようにしても自然と意識は惹きつけられていく。
無難に考えれば写真だろう、だが誰の?
自問自答が新たな疑問を生み出していく。
試しに例を挙げてみようとした時、私はまだまだ彼について何も知らない事を実感した。
そもそも彼の家族についての話を聞いたこともない、考えてみれば妻や子がいてもおかしくはない年齢ではないか。
なんだかもやもやとしたものが湧き上がってくる。ええい、気になるならば見てしまえ、きっと彼も怒る事はあるまい。
精々しらたまくんの写真でも入っているのがオチだろう、こないだ文さんに撮ってもらってたし。
勝手に結論を出した私はさっき手放したばかりのペンダントを手に取ると、開けようと四苦八苦する。
うーむ固い、外では指紋認証なるものが主流だと聞くがまさかこれも?
がちゃがちゃとやっている私の背中に、
「失礼、市木君はご在宅かな」
突然後ろから聴こえてくる声に文字通り飛び上がってしまう。
恐る恐る振り返ると、扉を開けて立っていたのは黒い外套に身を包んだ初老の男性。
ハットに隠れた皺が刻み込まれた柔和そうな顔つきはなんとなく市木さんを思わせる。
脚が悪いのか、杖を突きながらゆっくりと脚を引きずるようにこちらに歩いてくる。
「彼は今風邪を引いてまして。奥で寝てますが」
それを聞くと彼は悲しそうに、
「風邪。それは良くない、美容師は身体が資本だというのに」
「あの、失礼ですがどちら様で?」
「ん、お嬢さんとは初対面でしたか。私は
そう言って彼はハットを脱ぐと、私に右手を差し出した。
少しぽかんとするが、すぐに握手だと気が付いて慌ててその手を握る。
「えっと、本居小鈴です。ここのお向かいの鈴奈庵の娘です」
彼は繁々と私を見つめていたが、何か合点が行ったように頷いていた。
「しかし風邪とは。実は私、ここに以前にも何度か足を運んでいるのですがね、いつも巡り合わせが悪くて会えないのですよ」
そう言って彼は薄く笑った。やっぱり市木さんとそっくりだ。彼の知り合いという事は、この人が髪切りさんの言っていた『もう一人の外来人』なのだろうか。
「さてそろそろお暇しましょうか、彼の休息とお嬢さんの仕事を妨げるのもなんなのでね」
「あの、何か彼に言伝しておきましょうか?」
私がそう聞くと、彼は顎に手を添える。
「いえ別に構いませんよ、出来れば私が来た事も内緒にしておいて貰えませんか。それにしてもよく気の付くお嬢さんだ、市木君もさぞ大助かりでしょう。彼、とてもズボラですからね」
唇の間からちろりと見えた舌は燃えるように赤く、それはまさしく蛇を思わせた。
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突然の闖入者に大慌てだったが何とか乗り切る事が出来た。やはり私は有能で聡明なのだ、この調子で頑張れば霊夢さん達にも一人前だと認めてもらえるかもしれない。
高く掲げた右手にペンダントをぐっと握りしめていた事に気付いて、そっと開いてみる。
あのごたごたしていた時にいつの間にか外れたのか、蓋が開いていた。
ごくり。
ちょっとだけ、ちょっとだけだから。
自分に言い聞かせて気持ち薄目で中を覗く。
……女の人だ。
満開の桜の木の下に立つ、私と同じ飴色の髪をした綺麗な人。派手ではないが整った顔立ちは余裕のある上品さを感じさせる。
年の頃は市木さんと同じくらいだろうか、
こちらに向かって慈愛に満ちた微笑みを向けている。
胸にはすやすやと眠る赤ん坊を抱いており、幸せな雰囲気が写真越しにも伝わってきた。
……そう、彼にも家族がいるはずだもの。
分かってはいたのだ、けれど何だか悲しかった。何が?
彼が私に何も話してくれない事か?
彼について何も知ろうとしなかった事か?
それとも……。
得体の知れない暗い感情が渦を巻く。
「……ぅぅ」
ふと耳に入った彼の呻き声が私を正気に戻した。熱冷ましを飲ませなければ。
薬箱の中から目当ての品を探す。
傷に効く軟膏、二日酔いに効く丸薬、ワックス、etc……。
やっとの事で熱冷ましを見つけ出すと、急いで奥の方へ向かおうとする。
その拍子に薬箱から何か落としてしまった。
拾い上げたそれには抗鬱薬と書いてある。
抗鬱薬?なんだってこんな物が彼の薬箱に入っているのだ。いつもにこにこしているのだけが取り柄みたいなものなのに。
再び彼の呻き声が聞こえてきた。その薬の意味が具体的な形を成す前に私はそれを薬箱の中に戻すと、奥へ足を進める。
布団に横たわる彼は目を覚ましてこそいたが、高熱のためか意識がはっきりとしないようだった。
「市木さん、はいこれ熱冷ましですよ。飲んで下さい」
前後不覚の彼の口に粉薬を突っ込むと、水をどぼどぼ注ぐ。
草木に水をやっているような気分だ。彼はがぼがぼ言ってしばらく咳き込んでいたが、何とか飲み下したようだ。
じっとりと汗で濡れている顔を、手も切れるような冷水で絞った手拭いで拭いてやる。
さて熱が下がった後のためにお粥でも作ろうかと腰を上げた時、何かに手をぐっと掴まれた。
吃驚して腰を抜かしかけたがなんの事はない、市木さんだ。
「な、なんですか。もしかして薬を無理矢理突っ込んだの怒ってるんですか、あっそれとも市木さんが戸棚に隠してたどら焼きを勝手に」
「……行かないでよ」
耳を疑った。いや聞き間違いに違いない、いかが食べたいだとかそんな事を言おうとして舌が回らなかったのだろう。
「行かないで、行かないで……頑張るから、もっともっと頑張るから」
壊れた蓄音機の様に行かないで、と彼は繰り返し続ける。いつしかその声には嗚咽が混じり始めている。
「ねえ、僕を見てくれよ。こんなに頑張ってるんだよ」
泣きじゃくりながら益々強く私の手を握る。
「だから置いてかないでくれよ、お願いだから……」
ポルターガイストに頭をかち割られた時も、たった一人で天狗と出くわした時も、いつだって彼は笑っていたのだ。いつだって飄々としていたのだ。
いつだって私に弱い所を見せなかったのだ。
私にはただ、彼の手にそっと自分の手を重ねる事しか出来なかった。
悪い夢でも見ているのかうなされ続ける彼を救う事も出来ず、ただ彼の『行かないで』という言葉に従う事しか出来なかった。
彼のその手が誰へ向かって伸ばされているのかも分からないまま。
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「よお、邪魔するぜ」
やっとの事で落ち着いた彼から解放された私に新たな来訪者。
こんな時に限って何でこんなに人が来るのだ。
「魔理沙さん、今あの人寝込んでるんですよ」
「ああ知ってる。ほらこれ差し入れ、きのこの雑炊。滋養があるぜ」
そう言って彼女は手に持っていた土鍋を差し出した。温かそうな湯気を吹きながらきのこの芳ばしい香りがぷんと漂ってくる。
面食らいながらもそれを受け取ると私は疑問を口にした。
「何で彼が風邪だって知ってるんですか?」
「里に寄ったから次いでにお前らの所にも顔を出していこうと思ったんだけどな、変なおっさんが『床屋さんは風邪でお休みですよ』なんて聞いてもないのに教えてきたんだよ。しょうがないから家まで戻って拵えてきてやったんだ」
馬塚さんの事だろうか。それにしても魔理沙さんが見返りもなしに人に施しを与えるとは。
「今の内に恩を売っとけば後々役に立つからな、何の役に立つか見当もつかんが」
顎に手を当ててへへへと楽しそうに笑う。
異変解決に臨む時とは違ってその笑顔は、その辺の少女と全く変わらなかった。
けれど私はそんな魔理沙さんも良いと思う、そう、霊夢さんだって魔理沙さんだって妖怪退治云々の前に一人の女の子なのだ。
裏を返せば私にも『向こう側』にいくチャンスはあるという事でもある、うん、そうだ。
「じゃあぼちぼち引き上げるとするか、あの妖怪床屋によろしく言っといてくれ」
「え、もう行っちゃうんですか」
「躾の良い魔法使いは長居をしないもんさ」
とんがり帽子を目深に被ると、彼女は手をひらひらと振って店を出ていった。
これじゃ私が躾の良くない子みたいじゃないか。あっつあつの土鍋と少しの不平を抱えながら彼のいる奥へ引き上げる。
熱冷ましが効いたのか、彼はひとまず布団から上体を起こせるくらいには回復したようだ。
腫れぼったい目をこすりながらぼーっと私を見ている。
「…あれ、小鈴ちゃん?ああやばい、全然記憶がないや」
「暇潰しに来たら市木さんが倒れてゲロったんですよ。放っておく訳にもいかないので何やかんやしたんですけど」
「マジ?」
「マジ」
彼は大儀そうに髪をかき上げてため息をついた。やつれた雰囲気と相まって何だか女性よりも艶めかしい。その後申し訳無さそうに私に詫びる。
「ごめんね、最近余り調子が良くなくてさ。働き過ぎってのも身体に毒だね」
「何言ってるんですか、道楽に片足突っ込んだような仕事のくせして」
そう詰りながら私は彼に土鍋を差し出した。
「これ魔理沙さんからの差し入れですよ、妖怪床屋によろしくって」
酷いなあ、と彼は顔を歪めながらその蓋を開ける。湿った部屋に温かなきのこの香りが充満する。病気だとか涙だとか、そんな暗いものを全て払拭するように。
「へえ、雑炊。美味しそうだなあ、最近温かい物食べてなかったから」
「じゃあ普段は何を」
「冷や飯に冷や汁をぶっかけて軽く一杯」
「地獄みたいな猫まんまですね」
幸せそうにぱくぱくと雑炊を食べる彼の顔は、いつもと変わらず微笑みが貼り付いている。
ペンダントの女性、彼の涙、抗鬱薬、もう一人の外来人。
それらは私が知っている彼、いつもへらへらしながらも人が笑っている所が大好きな彼とはかけ離れていた。
本当の彼はどんな人なんだろう、そんな疑問を胸の底に押し込めながら私は彼のほっぺに付いたご飯粒を取る。
抗鬱薬おにいさん(ボソリ