本の虫と髪切り虫のお話 作:てる
これも全て評価を入れてくださった方、お気に入り登録してくださった方、何よりここまでお付き合いしてくださっている読者様のお陰です。
改めまして、多大なる感謝を。
……特別話とか書いた方がいいのかなあ。
虹は綺麗だ。
あの雨上がりの空に架かる七色の橋に、自分は幾度も憧れてきた。たとえ届かないと分かっていても。
山の中でも見晴らしの良い守矢神社の鳥居に腰掛けて、出来損ないの天狗はそう独りごちると自分の翼を鬱陶しそうに見た。
「
自分の上司である鴉天狗に名前を呼ばれて、嫌々ながらも返答する。
「なあ射命丸さん、本当に俺がやらなきゃいけないんすか」
「当たり前でしょう、私の頼みをほいほい聞いてくれる天狗は斑くんくらいしかいないんですから」
別にほいほい聞いているつもりはない、と言う代わりに得意気に胸を張る彼女にため息をぶつけて、鳥居から飛び降りた。
隣で歩く彼女は、いつもの天狗装束とは違い洋装に身を包んでいる。人里潜入用との事だ、馬鹿らしい。所詮は
そんな己の鬱屈した自己嫌悪なんて露知らず、彼女は無邪気に訊ねる。
「さっきまでぼーっとしてましたけど何考えてたんです?」
「……別に何も。虹を見てただけです」
「ふうん、虹ですか。そういや昔はよくこんな事言ってましたよね、『俺はいつかあの虹まで飛んでやるんだ』って。そう言いながら崖から飛び降りて全身を複雑骨折したり」
「止してくださいよ、餓鬼の頃の話だ」
「今だって私からしてみれば貴方は充分子供ですよ」
子供。その言葉に斑は自嘲気味に顔を歪めた。
子供ってのは自分の価値や使命、そんな漠然とした物を追い求めて、傷付いて、それでもいつか大人になる。そしてあの頃は若かった、なんて未熟な自分を笑い飛ばす様になる。
出来損ないにはその権利すらない、ただ環境を、世界を、自分すらも憎んで憎んでしょっぱく煮詰まるくらいが関の山だ。酒の肴にもなりゃしない。
自分が軽んじられている事は知っている、そうでもなければ簡単に哨戒の任を解かれて射命丸さんの道楽に付き合わされる事は無い筈だ。
誰にも期待されない、期待される事を期待しない。
「いつからこうなっちまったのかな、俺」
わあ雨降ってきましたよ、と慌てて走り出す彼女の背中を追いながら、声にならない声をそっと秋風に溶かす。
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朝から市木さんはせっせと店の飾り付けに励んでいる。普段は華やかさの欠片も無い店内だが、珍しく花やら何やら努力が見られる。
天井に風船を付けようと背伸びをした時に肉離れを起こして悶絶する彼に、
「ねえねえ市木さん、どうしたんですか。まるでお誕生日会でもやるような感じですけど」
「ふっふっふ、今日が何の日か知ってるかい?」
地面に無様に這いつくばりながら、彼が不気味な笑い声を上げる。
「そう、今日は待ちに待った新人店員がやって来る日!風邪でぶっ倒れてから割と真面目に人手が欲しいと思うようになった二十三歳です」
新人店員。文さんが『天狗の職業体験』だかなんだか知らないが、確か彼の店に下っ端天狗を送り込むとかいう話だったはず。
まだ見ぬ新人店員に思いを馳せていると、彼から『歓迎、新人店員様御一行』とでかでかと書かれた垂れ幕を手渡された。
温泉宿じゃあるまいしそもそも御一行も何も一人じゃないか、とぼやきながらもそれを天井から吊り下げる。
閉め切ってじめじめとした空気に耐えかねて窓を開けると、しとしと小雨が降っていた。
「あら、雨降ってる」
「えっ本当!?まずい、洗濯物取り込まないと!」
騒々しい音を立てながら彼が二階へ駆け登る。
元気があって大変よろしい。
上からどすんばたんと不審な物音が聞こえてくるがまあ日常茶飯事。一度だけ二階を覗いてみた事があるが、あそこは地獄だ。
蜘蛛の巣は縦横無尽に張られているわ、得体の知れない小動物の鳴き声が聞こえてくるわ、もう薄気味悪さが臨界点に達している。
前の家主の持ち物なのか、骨董品とは名ばかりのガラクタが山のように積まれているのも見逃せないポイント。
己の生活スペースの掃除もままならない彼にあれを片付けるのは不可能だろう。
あの古道具屋の人に引き取ってもらうのはどうだろうか、もしかしたら値打ち物があるかもしれないし。
おこぼれに与れるかも、と私がにやりと笑みを浮かべた時に彼の声が上から響く。洗濯物を取り込む際に、文さん達の姿を認めたようだ。
「うわっもう来てる。よし小鈴ちゃん、作戦Bだ!」
作戦Aの存在を知らない私に、これまた騒々しく駆け下りてきた彼がざるを押し付ける。
中には無数の紙吹雪。これを彼が夜なべして作っていたのかと思うと涙が出てきた。
コンコンと扉を叩く音がする。彼がどうぞ、と声をかけると文さんとそれに続くように若い男が入ってきた。
焦茶の御召に黒の羽織、軍帽の庇に隠れたぶすっと不機嫌そうな顔が大変感じが悪い。
腰に付けた二本差しが少々物騒な印象を与える。
市木さんよりは少し若い、少年と青年の境目ぐらいか。妖怪の方は長生きらしいのでまあ見た目は当てにはなるまい。
私が品定めをする中、軍帽を取った彼に向かって市木さんはにこにこしながら景気良く紙吹雪をまきまくっていた。
「ようこそ『髪切り虫の床屋』へ!店長の市木でーす!!」
興奮しているのか幼児退行が甚だしい。普段のおしゃべりではあるものの、どこか枯れた市木さんの雰囲気は明後日の方角へ。
紙吹雪の洗礼を受けた彼はと言えば、濡れた着物にぴったりと紙片が貼り付いて悲惨。かわいそう。
額に青筋を立てながら彼は髪に付いた紙片を払い落とす、あれ、なんかあの髪色見た事ある。
豊かな黒髪に痛々しい程の白髪がぱらぱらと、文さんの部下というだけでさぞかし気疲れするに違いない。
「ああ、君か。久し振りかな、斑くんだったよね?」
それを一目見た瞬間、市木さんがぽつりと呟いた。その言葉に引きずられるように記憶が手繰り寄せられる。
そうだ、確か決闘の折に市木さんに絡んでた品の無い天狗だ。あ、けど帰りに私達を送ってくれたんだったか。良い天狗なのか悪い天狗なのか分からぬ。
彼は驚いた顔で、
「……覚えてたのか」
「まあ職業柄、一度会った人の顔と名前、髪質ぐらいはインプット済みだからね」
とんとんと人差し指で頭を叩きながら、事も無げに市木さんは言う。しかし翼も無ければ天狗装束を着ているわけでもない、いくら天狗だと初めから分かっていても、果たして髪を見ただけで見分けられるものだろうか。
ううむ、プロって凄いなあ。
「という訳で約束通り連れてきましたよ、どうせなら知った顔の方が良いでしょう?」
文さんの言葉に斑くんが顔を顰める。
「知った顔って程でもないでしょう。大体俺はこいつの名前も知りませんし」
「えーさっき自己紹介したのに」
「うるせえ、黙ってろ!」
ぎゃーぎゃー言い合いながらも三人が席についた。何をおっ始める気だろうか、何にしても大した事ではないのは間違いない。
「労働条件の事ですけども」
「わざわざ来てやってんだ、多少は金にならねえとやってられねえよ」
どうやら交渉のようだ。脚を机の上にどっかり乗せながら斑くんは傲岸不遜に言い放つ。
ううむやっぱり感じが悪い。
さてこれに市木さんはどう返すのか。そもそも現金収入が殆ど無いのに給金なんて払えるのか。
彼はしばらく考え込んだ後、斜め下に切り返した。
「……三食おやつ昼寝付きでどう?」
「お前さ、給金の概念あんの?そもそも何で住み込み前提なんだよ、おかしいだろ」
「ふむふむ、中々の好条件ですね。よし、斑くんGO!当たって砕けろ!!」
「……射命丸さん?」
その後、嫌だ嫌だと大暴れする彼を、文さんが宥めたりすかしたり脅したりしてどうにか了承させていた。ぱわーはらすめんと。
「ところでこの職業体験っていつ終わるんすか」
「未定ですよ?斑くんが記事になるくらい面白い天狗になったら帰ってきていいです」
顔を青ざめさせる斑くん、満面の笑みで手を振る私と市木さんにウインクして彼女は店を出て行った。
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市木さんは必要な物を取ってくると言って、奥に引っ込んでしまった。
という事は必然、私は彼と一対一でお話しなければいけないという事である。きつい。
斑くんは布張りの椅子に深く腰掛けて脚を組んでいる。表情はますます険しく、舌打ちが華麗なスタッカートを刻む。
足下に寄ってきたしらたまくんだけが唯一の救いだ。抱き上げて首筋を引っ掻いてやると喉をごろごろと鳴らす。
「おい」
うわっ話しかけてきた。しかし舐められてはいけない、この店においては私の方が古参なのだ。まあ店員じゃないけど。
「な、何」
「お前、名前は?」
「え」
「名前はって聞いてんだよ、里の中で『おい人間』なんて呼べるわけないだろ」
こちらを見る事もせず、ぶっきらぼうに言い放つ。やっぱり私達の事嫌いなのかなあ。
「本居小鈴、ここの向かいの鈴奈庵に住んでるの」
「鈴奈庵ねえ、貸本屋だったか?俺には学が無いんでね、さっぱり無縁だな」
あれ、思ったより喋る。市木さんとは違うタイプだけど案外寂しがり屋なのかもしれない。
と思っていると、奥から市木さんが飛び出してきた。今日は全体的に所作が派手。
手には小さめの革鞄を携えている。彼が斑くんを手招きすると、嫌々ながらも斑くんは椅子から身を起こして市木さんの方に歩いていく。
「さてこれを斑くんに進呈しましょう、名付けて『美容師の七つ道具』!」
そう言って革鞄を開いた。
中に入っていたのは、鋏3本、櫛、ブラシ、髪留め、鋏を入れるシザーケースなる物などなど。やっぱり鋏には拘りがあるのか、種類が豊富だ。持ち手がねじ曲がったりしてるけど持ちづらくないんだろうか。
「七つも入ってねえじゃん」
「そうですよ、詐欺だ詐欺だ」
「小鈴ちゃんも斑くんもまだまだだなあ、最後の一つは愛だよ、愛。お客さんを思う気持ちがあってこその客商売というもので」
「気持ちわりいな」
「うん」
顔を見合わせる私と斑くんを、市木さんが怪訝そうに見る。しばらく首を捻っていたが、まあ仲良くやってくれるんなら良いか、と笑い飛ばした後に彼は珍しく深刻な顔付きになった。
どうせ下らない事しか言わない。
「斑くんには住み込みで働いてもらうつもりなんだけど……住めるような場所が二階しかない訳だ」
「それがどうかしたのか、って何だよその表情。おい小鈴、お経唱えるの止めろ」
お葬式の様に手を合わせて念仏を唱える私達に不安を掻き立てられながら、斑くんは恐る恐る
階段を上る。
上からすぐに怒声罵声が聞こえてきた。ひい、ご近所迷惑。
「お前ふざけんなよ、これじゃ野宿の方が万倍マシだろうが!あっやだ、蜘蛛は無理なんだって、畜生!!」
お前らも片付け手伝え、と叫ぶ声に苦笑いしながら私達はいそいそと二階へ上がるのだった。
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妖怪の山、鴉天狗が下っ端天狗を『髪切り虫の床屋』に送り込んだ後の事。
哨戒天狗の詰所で鴉天狗と白狼天狗が茶飲み話に興じている。
「文さん、また斑を連れ出したんですか。いい加減にしとかないと嫌われますよ」
白狼天狗が呆れ顔で呟く。
「ひゃあ、それは怖いですねえ。けど今回は彼の為を思っての事ですよ」
「外来人の床屋に押し付けたんですっけ?あいつ人嫌いじゃないですか、酷い事しますよね」
「そんな彼が、天狗仲間にさえ心を開かないあの子が唯一興味を示した人間なんですよ……もしかしたら、市木さんと小鈴さんにならあの子の問題を少しでも解決出来るんじゃないかと」
鴉天狗は何時になく遠い目をしてそう言った。
「買いかぶりでしょう、あいつは相当拗らせてますもん」
「かもねえ」
無責任に相槌を打つと、鴉天狗は涼しい顔で茶を一口啜った。
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二階での大掃除は筆舌に尽くし難い、というか思い出したくない。
まあ強いて挙げるとするならば、うず高く積まれたガラクタの雪崩に斑くんが全治2日の怪我を負ったりだとか、突如飛び出してきた鼠の大群をしらたまくんが血祭りにあげたりだとか。
今も男二人は二階に潜伏していた手のひらサイズの蜘蛛と虫取り網を振り回して格闘している。
「おい市木、そっち行ったぞ!」
「ひえー」
「ひえーじゃねえよ、シャキッとしろよ!ジェノサイドだよジェノサイド!!殺せ!」
「あっ斑くん、そっち行ったよ」
「ひえー」
漫才みたいなやり取りを繰り広げている二人を見ながら、どんどん妖怪床屋に近付いているとは口にも出せないのだった。
そもそも店を閉めてまで大掃除する必要はあったのか、まあ楽しいから良いか。
「「小鈴(ちゃん)、そっちそっち!」」
「ひえー」
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人気の無い路地裏を赤黒い空が覆う。
紅霧異変、以前この幻想郷を襲った最初の異変。
あれに比べればこの怪現象は範囲も狭く、格落ちも甚だしい。ただその禍々しさは比較にならない。
無念、悲哀、やり場の無い憤怒。
現実から隔離された路地裏に、卒塔婆の様に無数のコインロッカーが立ち並ぶ。
『おかあさん』
『いやだ』
『おいていかないで』
現実から隔離された路地裏に、墓石の様に無数のダンボール箱が現れる。
『しにたくない』
『なんで』
『だれがわるいの』
無数の泣き声が木霊する中、獲物を絡め取る蜘蛛の巣の様に佇む路地裏に人が足を踏み入れる。
紅白の巫女装束にお祓い棒、妖怪退治の道具を携えて忌々しそうに舌打ちするは博麗霊夢。
「哀れだけど、人に手を出すのはルール違反」
そう呟くとスペルカードを取り出した。
殺気を感じ取ってか、コインロッカーから赤子の様な何かが弾丸の如く飛び出す。
それを難なくお祓い棒で弾き飛ばすと、彼女は唱えた。
「霊符『夢想封印 寂』」
色とりどりの巨大な光弾が鬱屈とした路地裏を手当り次第に破壊していく。コインロッカーを薙ぎ倒し、ダンボール箱を吹き飛ばし、蜘蛛の子を散らすように出てきた怪異を文字通り虱潰しに消し飛ばした。
もうもうと立ち昇る煙が晴れた頃には空は青く晴れ渡り、幻想郷に火種を起こしかけた哀れな外来妖怪は跡形も無くなった。
それを検分すると、巫女は気分悪そうに路地裏から出ていった。
厄払いしてもらった方が良いかしら、なんて呟きながら。今日も幻想郷は平和だ。
『…おかあさん』