本の虫と髪切り虫のお話   作:てる

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半獣教師と終らぬ問答
#13 先生、目玉焼きには何をかけますか?


「おはようございます、先生」

 

 寝ぼけ眼をこすりこすり部屋を出て食堂に向かうと、そこには既に例の外来人がいた。

 箒片手に朝っぱらから掃除に勤しんでいたのか、右手一本を器用に操ってごみを掃いている。

 昨夜はいきなり重いカミングアウトをぶち込まれて、しどろもどろになりながら別れたが本人はそこまで気にしている事もないようだ。

 

「ああ、おはよう。それにしても早いんだな、まだ日の出前なのに」

 

「それは先生もじゃないですか。仕事柄か朝は結構早い方だったんですよ、僕」

 

 そう言うと彼はちりとりにごみを集め始めた。

 その間に台所で手早く朝餉を作る。

 昨日の残りの冷や飯に熱々の茶をかけた手抜き茶漬け、あと半年は持つであろう年始めに大量に漬けた沢庵、蛋白質を取るための目玉焼き、これが毎日ほぼ代わり映えのしない私の朝食だ。

 しょうがないだろう、生徒達が来る前に一日の授業の確認をしなければいけないのだから。

 日の出前に起きても化粧も満足に出来ない有様だ。

 

「……お節介かもしれませんが、もう少し滋養のある物食べたらどうですか」

 

 食卓の向こう側で席に付きながら市木がぼそりとこぼす。余計なお世話だ。

 

「朝は忙しいんだ、黙って食べろ」

 

 茶漬けを啜りながら睨むと、彼はくすりと微笑んで沢庵に手を付けだした。

 暁の静かな一時にさらさらと茶漬けを啜る音と沢庵をぽりぽりと齧る音だけが響く。

 しかし特に気まずさは感じなかった、寧ろ落ち着く。ふと前を見ると市木が茶漬けを箸で必死に掬おうとしていた。左手が使えないと言っていたのは本当らしく、茶碗を持ってかき込む事もできない。

 しまった、と私は慌てて席を立つ。

 

「すまなかった、すぐに匙を持ってくるよ」

 

 しかし市木はそれを押し留めた。首筋を犬のように引っ掻きながら彼は笑って言った。

 

「いいんですよ、別に」

 

 後片付けが遅くなるから私が良くないのだが。

 米を一粒一粒、律儀に箸でつまんでは口に入れる彼の姿は何かと戦っているようにも見えた。

 どことなく重くなった空気を払拭しようと話題を変える。

 

「そういえば『仕事柄、朝が早い』って言ってたが外では何をやってたんだ?」

 

 悪戯っぽく口を歪めると、市木は逆に私に問い返した。

 

「何に見えます?当ててみてくださいよ」

 

 分からないから聞いているのに、と苛立ったがこれからしばらくは一つ屋根の下で暮らす訳だ、コミュニケーションを取っておいて悪い事はない。

 長年教師として培ってきた観察眼を活かすときが来たようだ。右手で頬杖をつきながら面白そうにこちらを眺める奴をぎゃふんと言わせてやろう。

 この放蕩者の様な気怠げな雰囲気、動かぬ左腕……。

 

「……そうだな、まず君は堅気の人間じゃない」

 

 市木が渋茶を盛大に噴き出す。ごほごほと咳き込んで涙を浮かべながら彼は理由を尋ねた。

 上手く一撃食らわせてやれたようだ。

 

「まあ何となくだがな。雰囲気が勤め人っぽくない」

 

「酷いなあ、それだけでですか?」

 

 にやにやとする市木の顔の前で人差し指をぴんと立ててみせる。

 

「後はその身体付きだな。ぱっと見痩身だが筋肉質、何か格闘技とかやってた口だろう。普通、君みたいな優男がそんなのに手を出すとは思えないしな。物騒な臭いがする」

 

 目をぱちくりとさせた後、市木は火がついたように笑い出した。本当によく笑う男だ。

 

「教師の勘ってやつかなあ。それでどうです、もし本当に僕がそういう物騒な人間だったとしたら怖いですか?」

 

「いや」

 

「即答かあ」

 

「私の方が絶対強いしな」

 

 参りました、とでも言うように市木は右手を上げる。それから腰の辺りをごそごそと探り始めた。取り出したのは一挺の鋏、うっすらと射し込む朝日を受けて鈍い光沢を放つ。

 

「正解は美容師でした。利き手が動かなくなっちゃって廃業しましたけどね。大方やくざ者が面倒事に巻き込まれて腕が動かなくなった、くらいに予想してたんでしょう?」

 

 何だこいつは、読心術でも使えるのか。顔が引き攣るのを感じる。それを満足気に眺めながら市木は続けた。

 

「けどかなり惜しかったですよ。これでも新宿は歌舞伎町、って分かんないか、兎に角物騒な場所で商売してたので。格闘技って言っても護身術みたいな物です」

 

 彼は右手をひらひらと振ってみせると、また沢庵をぽりぽりとやり出した。今までの経験から言わせてもらえばこういう奴こそ案外危ない。

 平気でいきなり人を刺したりするタイプだ。

 素性が分かるまでは生徒に近付けるのはあまり得策ではなさそうだ。

 目玉焼きに箸を伸ばしながらそんな風に私が考えを巡らせているのを知ってか知らずか、市木が間の抜けた質問をする。

 

「ところで先生、目玉焼きには何をかけますか?」

 

「へ」

 

 唐突な問いかけに上手く言葉が出てこない。

 なぜこいつはそんなどうでも良い事を聞いてくるのだろうか。そして目玉焼きにかける物なんて塩以外に何かあるのだろうか。

 机の上に置かれた壺から匙で塩を掬うと、半熟の黄身にぱらぱらと振り掛ける。水分がきゅっと朝露のように浮いてくるのが目に楽しい。

 

「塩だが……皆そうだろ?」

 

 信じられないとばかりに首を傾げながら奴は卓上の醤油瓶を手に取る。

 

「醤油一択でしょう、塩ってのはあっさりしすぎじゃないですか」

 

 黄金色に輝く満月が黒一色に塗り潰されてゆくのを私は見た。見るだけで胸が悪くなりそうなほどにどぼどぼと醤油をかける奴に苦言を呈する。

 

「味蕾が腐ってるんじゃないか、私まで気分が悪くなりそうだ」

 

「まあまあ先生もどうぞお一つ」

 

「うわっ、やめないか」

 

 勝手に醤油をぶちまけられ、顔を顰める私に不思議そうな顔をしながら目玉焼きを頬張る姿はどこか幼子の様に見えた。

 目の前に座る男はどちらかと言えば童顔だが、時折見せる表情は疲れ枯れきった老人を思わせた。かと思えばこのように無邪気な振る舞いを見せる事もある。

 まあ要するに、掴み所が無いという事か。

 やっとの事で片付いた皿を流しで手早く洗う。

 市木はそれを頬杖をつきながらぼーっと眺めていたがスラックスのポケットから何かを取り出した。

 精巧な兎の細工が彫られた金のかかっていそうなライターに……煙草か。右手でライターに火を起こすとそれを机の上に置き、紙パックから一本抜き取ると慣れた様子で火を付けた。

 気怠げに紫煙を吹かしていたが、私がじっと見ているのに気付いて慌てて揉み消そうとした。

 

「あっすみません、つい癖で……外で吸ってきますよ」

 

「嫌、別に良いんだ。それより煙草というのはそんなに美味い物なのか?ああ気にしないでくれ。知り合いがいつも煙管を吹かしていてな、少し気になって」

 

 彼は苦々しそうに煙草をライターに押し付けて揉み消した。綺麗な細工が勿体無い。

 

「もう美味いとかじゃなくて習慣なんですよね。身体にも悪いし女の子受けも良くないし、なのに止められない。困ったもんですよ」

 

 そうは言いながらも本気で煙草を憎んでいる訳でもなさそうだった。その語り口は子供の頃からの悪友を照れ臭そうに紹介するようで、長い付き合いなのだろうと推測できた。

 市木はふわりと眠たそうに欠伸をすると、鋏を右手の指に引っ掛けてくるくると回し始めた。

 掌から甲、空中に投げ上げてまた指に引っ掛ける。曲芸を見ているような気分だ。

 下らない遊びだが、その軽妙な指捌きからも手先の器用さが窺える。外では割と名のある美容師だったのかもしれない。

 

「そう言えば、この後どうするつもりなんだ?里の案内でもしてやりたい所だが生憎と授業が入っているんだ」

 

「そうですねえ……まあ取り敢えずはぶらぶら見て回ろうと思います。今僕に必要なのは情報ですからね」

 

 それを聞いて私はがま口から幾許かの銭を取り出す。

 

「じゃあこれを持っていくといい。雀の涙だが無いよりは良いだろう」

 

 市木は大袈裟に手を振りながら、

 

「いやいや、結構ですって。寝屋に食事の面倒まで見てもらっておまけに小遣いなんて」

 

 恐縮する彼の手にそれを強引に握らせる。申し訳無さからか、泣きそうな顔をしながら市木はぼそりと呟いた。

 

「……どうしてこんなに良くしてくれるんですか」

 

 謂れのない親切に怯える外来人はこれまでにも割といた。外の世界というのは人様の親切に理由が無いと不安になる様な悲しい所らしい。

 少し脅かしてやろうか。

 

「監視だよ」

 

 意味が飲み込めないのか、市木は「漢詩ですか、風流ですねえ。よく分かんないですけど」と惚けた感想を述べている。

 

「漢詩じゃなくて監視だ、見張る方。ここ(幻想郷)についてはアリス、人形遣いから少しは聞いてるだろう?」

 

「ええ、少しは。妖怪だとか神様がいるって」

 

「すんなり信じるんだな」

 

「オカルトとか好きなんで」

 

 やっぱり何を考えているのか分からない。これまで会った外来人はそれを聞くと大抵鼻で笑い飛ばし、里の外をうろちょろとし、後悔する。

 後悔した時には既に遅いが。

 

「まあ物騒な場所ではある訳だ。しかしこれで案外バランスが取れてるんだ、歪ではあるがね。本当に怖いのはそのバランスを壊すもの

 、それはいつだって外からやって来る。だから君のような外来人は目に付く所に置いておく方が安心できる、とでも言ったところだ」

 

 どう答えたものか、と困り顔で市木は口をもごもごさせた後、一言ぽつりと嘯いた。

 

「……買い被りですよ」

 

「私もそう思う」

 

 それを聞いて彼はしかめ面をしながら「なんですかそれ」と呟き、少し嬉しそうに微笑んだ。

 和やかな雰囲気が辺りを包む中、玄関口から騒々しい音が聞こえる。

 

「おはようございまーす!!……あれー、先生ー?」

 

「今日って休みだっけ?」

 

「んなわけあるかよ、先生だってたまには寝坊するんじゃない?」

 

「それこそありえねえよ」

 

 はっと窓の外を見ればもうすっかり日が出ている。つい話し込んでしまったらしく、生徒達がわらわらと寺子屋にやって来ている。

 これは非常に不味い、授業の準備どころか満足に身繕いも出来ていない。

 大変ですねえ、とにやにやする市木の顔を見て名案を思いついた。

 

「君、ちょっと相手をしててくれないか」

 

「嘘でしょ」

 

 顔を初夏の空を思わせる綺麗な青色に染めながら市木が後ずさる。待ったをかけるように右手を顔の前でぶんぶん振っているが、私には関係のない事だ。

 

「僕は美容師であって教師じゃないんですよ、若い子を相手にするって言ってももうちょっと年齢層が上の方なわけで」

 

「家に帰っても夕餉が無いのは辛いだろうな」

 

「うわこの人汚いっ、面倒見てくれるって言ったのに」

 

「働かざる者食うべからず、と言うやつだ」

 

 渋々とした様子で奴は食堂を出て教場へと向かった。そうは言えども生徒に悪影響を与えかねない、早めに準備を終わらせなければ。

 射し込む朝日に少し目が眩む中、今日も変わらぬ日々が始まる。多少の異物が入り込もうとも本質的には変わらない、この時はそう思っていた。

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 やっとこさ作業を終えると急いで教場に向かう。近付くにつれて、生徒達の歓声が聞こえてくる。次第に私の心に暗雲が立ち込めてきた。

 明らかに外来人だと分かる服装、突然現れた見た事のない顔、なおかつ人当たりの良さそうな態度、生徒達がはしゃぐのも無理はないだろう、校庭に犬が迷い込んできてと大喜びするのと大して変わらない。

 しかし些か度が過ぎている。

 何か白熱した議論でも行われているような……。面倒な事になっていなければ良いが、と不安をたたえながら教場の扉をがらりと開いた。

 さっきまでの賑やかさが嘘のように静まり返る。どことなく白々しい雰囲気の中、教壇に立ちながら市木がへらりと薄笑いを浮かべた。

 

「あれ、思ったよか早かったですね。僕としてはもうちょっと少年少女達と語らっててもよかったんですけど」

 

「……もう少し年上が好みだとか言ってなかったか」

 

 教場がざわめき始めた。年上が好みなんだって、とかなんとかひそひそ話が聞こえる。それを意にも介さず市木は胸を張って言い放った。

 

「何か言い方に悪意を感じますけどまあ良いでしょう。そもそも美容師たるもの客の選り好みはしませんよ、老若男女、妖怪神様エニータイムカモン」

 

 男でもいいんだって、お前とか危ないんじゃない、とひそひそ話は一層明後日の方向に向かい始めた。これ以上奴を生徒と接触させると取り返しのつかない事になる気がする。

 じゃあバトンタッチしまーす、と間延びした声を残して市木は教場から颯爽と出ていった。

 何故か生徒達の万雷の拍手を受けながら。

 その後しんと静まり返る教場。どこか不気味さを感じながらも授業を始めようと生徒達に向き直った時、

 

「ねえねえ先生、あれ誰!?」

 

「先生の彼氏!?」

 

「外から来たって言ってた!」

 

「みんなの目玉焼きに勝手に醤油をかける悪の秘密結社の幹部なんだって!」

 

「俺しそ巻いて食べるのが好きー!」

 

 あっと言う間に生徒達が、目玉焼きに何をかけるか論争を始め出してしまった。結局その日は皆授業に手が付かず、私は市木を恨む事になった訳だ。

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 日も暮れ始め、生徒の波がやっと引いた頃。

 疲れ果てて教壇の机に突っ伏している私の耳に下手糞な口笛が聞こえてくる。

 耳にした覚えのないメロディだったが、どこか懐かしい。顔を上げると風呂敷包みを右手に下げた市木が立っていた。

 

「やってくれたな、お陰でさっぱり授業にならなかったぞ」

 

「酷いなあ、僕はただ皆に真理を伝えただけなのに」

 

 嘯きながら奴は手にした荷物を差し出した。微かに甘い匂いが漂う。どうぞ開けて下さい、と言わんばかりに市木が肩をすくめる。

 結び目を解くと重箱が入っていた、開けてみると数個のおはぎが詰められている。

 

「お土産ですよ、どうぞ」

 

「どうぞって、私の金じゃないか。恩着せがましく言うなよ」

 

 それもそうですね、と噴き出す奴を無視して一つつまんでみる。しっとりとした餡は甘過ぎず、品の良さを感じさせた。

 美味いな、とつい漏らしたのを耳聡く聞いて奴は顔をほころばせた。

 

「こういうのには目が利くんですよ、僕。達人は達人を知るって感じの趣ですかね」

 

 軽口をぽんぽん叩きながらも不快には感じさせない話術は、若いながらも客商売としての経歴の長さを物語っていた。

 だから尚更気になったのかもしれない、なぜ市木は幻想郷に訪れたのか、どうして美容師にとって命である利き手が失われてしまったのか。

 だから暗い陰を落としながらも、奴がいつも笑みを顔に貼り付けている理由を暴きたい、と思ってしまったのかもしれない。

 

 

 和菓子を齧って満足気に頷く市木の顔を見ながら、私は密かな決意をした。

 斯くの如くして始まるのがこれからの話、『(教師)』と『(美容師)』の馬鹿馬鹿しくて呆れた、ちょっぴり謎めいた一月のお話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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