本の虫と髪切り虫のお話 作:てる
ちょっと小鈴早くしなさいってば、という母の声に生返事を返す。
お向かいの店がとうとう開店するとかで、一家総出で挨拶に行くのだというが私はあまり乗り気ではない。
靴紐を結ぶ手すら重いように感じるのは気のせいだろうか。
あの店主、散髪の代金は雑誌代で良いなんて言ったけれども、家に帰って立て替えようとした時にその金額に白目を剥かされた。
お陰で少ない手持ちが吹っ飛んでしまった、と今でも若干恨んでいる。
まあそんな事があって余り気分が乗らない訳だ。
……本当の事を言えば、あの人自体が苦手なのかもしれない。まだ一度しか話した事はないけれど、彼が今まで自分が接してきた大人とは全然違っているように感じるからかもしれない。
なんかこう、飄々としているのだ。
それでいてまるで子供のような天真爛漫さ、誰かに似ているような……霊夢さんかな?でもあの人はまだ大人じゃないし、もっと頼りになるし……
「まだなの、小鈴?」
母の声にはっと我に返った。
「今行きまーす」
「もう暢気なんだから、ちゃんと窓も閉めてくれた?手土産も忘れてない?お手洗いは済ませたの?」
「……ねえお母さん」
「何よ」
「挨拶に行くだけなのにどうしてそんなにウキウキしてるの?」
別に~、と母は嘯いているが何だか怪しい。
何か変わった所は無いか探してみると……あった。
「……お母さん、もしかして髪切った?」
そう言うと母はニヤニヤしながら、
「分かっちゃう?なんと、お向かいさんの店って床屋さんらしいのよ!昨日偵察に行ったらね、開店前なのに髪を切ってくれるし。きっと私がお客様第一号に違いないわ!」
偵察って子供じゃないんだから、と思いながらも『お客様第一号』という響きに酔っている母に、この前の事は話さない優しさはまだ持っている。
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扉を開けた途端にからんからん、と涼しげな鈴の音がする。
まず目に入ってきたのは、西洋風にアレンジされた内装だった。
この前訪ねた時には一般的な土間だった筈なのに、ご丁寧に木板が床に敷き詰められている。
外装まで手が回らなかったのか、見た目は普通の民家だったけど。
あちこちに散乱していた物資は綺麗に整理されていて、あるのは雑誌棚、長椅子、それとこれだけは変わっていない。
大きな鏡とそれに向かい合うようになった革張りの椅子。
後は気持ち程度にカウンターが置いてあるぐらいか。
どこで生活してるんだろう、二階だろうか?
彼は長椅子で眠りこけていた。呆れた、今日が開店日なのに。死んだ魚のような目で彼を見下ろす私たちに父が、男ってのは大変なんだぞ、という目を向けながら、
「髪切り虫さん髪切り虫さん、大丈夫ですか?」と揺り起こす。
しばらく唸っていた後、
「うわっ、鈴奈庵さんじゃないですか!?どうしたんです、一体」
「いやいや、今日が開店日とお聞きしましてな。挨拶にでもと」
それから先はハアソレハドウモゴテイネイニ、だの
ドウデスカケイキノホウハ、だのオカゲサマデカクカクシカジカという感じの大人特有の社交辞令の嵐だった。
それを夢うつつで聞き流していると、
「……じゃあ、私どもはこれで失礼しますが娘は置いていくので手伝いにでも使ってくださいよ」
「そりゃ助かります」
ん?と違和感を覚えた時には既に遅かった。
まごついている間に両親はさっさと店を出ていってしまった。
彼はうーんと伸びをしてから鏡の前の椅子にぽすっと倒れ込んだ。
「大人と喋るのはどうも肩がこるんだよね。小鈴ちゃんもその辺に座ってよ」
貴方も大人じゃないか、と思いながらも言われるままに長椅子に腰掛ける。
「それであの、手伝いって何を」
「うん?ああそうだね、暇潰し」
「暇潰し!?」
吃驚して大きな声を出してしまった。
「だって今日が開店初日なんですよね?」
彼は欠伸混じりに、
「散髪稼業ってのはさ、固定客が命なんだ。逆に言えば、それを獲得できるまでは案外暇なもんだよ。開店初日なんて暇の2乗って感じだね」
なるほど、と思ったけどそれならそれで少しは宣伝なりなんなりすれば良いのに。
「ちなみに
顔がひきつるのを感じる。この人は読心力でも持っているのだろうか。
……そうだ、そういえばこの間からずっと気になっている事が有ったんだった。
「一つ聞いても?」
「なんなりと」
「市木さんって、その外来人、なんですか?」
悪戯っぽく彼の目が揺れた。
もしかして聞かない方が良かったパターン?
「ふうん、どうしてそう思うの?」
とりあえず不味くはなかったみたいだけれど、どうにも緊張する。
「今までこの辺で見かけた事もなかったですし、この内装も何だか外の雑誌に似ているみたいで……」
「まあそうだね、
そこで彼は一呼吸置いて、
「ただ『人』ってのは残念ながら
と舐めるような視線を向けてくる。
ごくりと喉が鳴る。口の中が乾いてきて上手く喋れない。膝小僧が笑い始める。
「そ、それじゃ妖怪……」
そう言った途端に、彼が弾けるように笑いだした。
「冗談冗談、そんな怯えないでって。その反応からすると、本当にこっちには妖怪だの神様がいるんだねえ」
全身から力が抜けた。
「冗談って、勘弁して下さいよ……」
「まあ僕が外から来た人間ってのは本当なんだけどね」
外来人というのはこういう食えない人ばかりなんだろうか。外は案外幻想郷よりもよっぽど怖いのかもしれない。
「どうしてまた幻想郷にやって来たんですか?」
「それがさ、分からないんだよ。気が付いたら森の中にいて、うろうろしてたらいつの間にか人里に着いてたんだ」
うーん、本当だろうか?何だかとても怪しい。
それなら何で外に帰らないんだろう。
「巫女さんに頼めば外に帰してもらえるとも聞いたんだけど、どうせだから観光がてら何ヵ月か住んでみようと思ってね。昔から散髪か按摩が出来ればどこでも食っていけるって言うし」
「じゃあいつか帰っちゃうんですか?」
分かんないね、と彼は呟いてまた欠伸を一つした。
束の間の沈黙。
商売道具であろう鋏を指でくるくると回しながら、
「そうは言っても暇だなあ……ねえ、小鈴ちゃん」
「なんでしょう」
「
「賭けですか?けど何を賭けるんです」
彼はにやりと笑って、
「僕が勝ったら──────」
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「じゃあルールはこうね。記念すべき開店初日、初のお客様の素性を、僕が髪を切る間に予想するんだ」
「それで市木さんが当てられたら市木さんの勝ち、外したら私の勝ちですね」
なんだか面白くなってきた。髪を切るだけで人の事が分かるはずがないけれど、この人ならもしかしたら本当に当てちゃうかもしれない。
鈴の音が、店内に賭けの始まりを告げた。
入ってきたのは──────小さな女の子だった。
しかし私はその姿を見た瞬間、勝利を確信する。
私の心の中のガッツポーズに気付く筈もなく、
彼はいらっしゃい、と女の子に声をかけた。
「あの……髪」
前髪を手で隠したまま、おどおどしている女の子に近付くと、
「見せてくれるかな……あちゃー、切りすぎちゃったんだね。お母さんにやってもらったの?」
こくこくと頷く女の子の前髪は確かに極端に短く、ぱっつんになってしまっている。
「いつもの床屋さんに行ったけど、どうしようもないって……」
女の子が目を潤ませ始めた。
「だ、大丈夫よ。ねえ市木さん、大丈夫ですよね?」
慌てて女の子を慰めながら、顎を撫でている彼に訴えかける。
「もちろん。切りすぎた前髪はどうする事も出来ないけど、それを活かす事は造作もないよ」
女の子を例の鏡の前の椅子に座らせると、
鋏と櫛で全体を調え始めた。
この時間を使ってなぜ私が先ほどの賭けの勝利を確信したのか説明しよう。
あの女の子は妖怪である。
もう一度言おう、妖怪である。
寺子屋で人間に混ざって勉強している子狐で、私も時々帳面を提供してあげている。見返りに妖魔本も手に入るし。
さすがにこの食えない外来人でも、こんな可愛らしい女の子が妖怪だとはよもや思わないに違いない。
「何にやにやしてんの、小鈴ちゃん」
「別に何でもないですよ~」
「そう?ちょっと頼みがあるんだけど、そこの箱からヘアピン取ってくれない……そうそうそれ、ありがとう」
じゃあよく見ててね、と女の子に念を押してから、
「まず、前髪をこう取って上で先の方をねじる」
暇潰しに自分もやってみる。
「それで前髪をぐっと押し出してふんわりとさせてから」
案外難しいものだけどなんとかお団子っぽいものができた。
「ヘアピンで先の方を留めてやれば……はい完成、ポンパドールの出来上がり」
おお、可愛い。短すぎた前髪を上手にカバーしている。女の子も顔を輝かせていて何だか私まで嬉しくなる。
「はいお疲れ、ヘアピンはサービスするよ」
一仕事終えたという顔で首をコキコキ鳴らしている彼に、女の子が不安げな顔で代金について尋ねた。
「そういや決めてなかったな……良いよ、君のお好きなように」
「ええ!?ちょっと市木さん、代金未定って商売としてどうなんですか!」
彼はくすくす笑ってから、
「髪を切らなくたって人は死なないだろう?」
「え、まあそうですけど」
「食べ物を買ったり、家賃払ったり……僕は自分の仕事がそういう人の生きる営みを邪魔するのが嫌なんだよ」
そう言うと女の子に向かって、
「だから君は僕に払ってもいい、そう思った物を置いていけば良い。なに、金じゃなくても構わないさ……食べ物、自分の宝物、気に食わなけりゃこのまま出ていっても咎めないよ」
それを聞いた女の子はしばらく考え込んだ後、
懐から指輪をひとつ取り出した。
木彫りで可愛らしい装飾がしてあるそれを彼に差し出した。
「これ、くれるのかい?」
彼が尋ねると、女の子は悪戯っぽく、けれど少し照れ臭そうに笑いながら店を出ていった。
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結局その日はそれ以上客が来ることもなく、
閉店時間を迎えた。
後片付けを手伝いながら、
「ねえ、市木さん覚えてますか 、今日の賭けの事?」
彼はすっとぼけた顔をして、
「子供に素性も何もないでしょー」
「ふっふっふっ、それが実はあるんですよ、恐ろしい秘密が」
「うーん、分からないなあ」
ぐっとガッツポーズを取る。
「じゃあ賭けは私の勝ちですね!約束通り、
負けた方が勝った方にお団子を奢ってくれるんでしょう?」
彼は苦笑いしながら、
「しょうがないね、じゃあ片付けも終わったし行こうか」
意気揚々と店を出ようとしたその時、彼がぴたりと歩みを止めた。
「一つだけいいかな」
「何ですか、どこのお団子屋さんが美味しいのか、とかですか」
彼はにっこりと笑ってこう言った。
「ところでさっきの子は何の妖怪だったんだい?」
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「もう、いつから分かってたんですか?」
不機嫌にお団子を頬張りながらも気になる事は気になる。
幸せそうにお茶を啜りながら彼は、
「ん、適当だったんだけど。妖怪の話が頭に残っててさ」
「……え?」
吃驚したような表情で、本当に妖怪だったの、と続ける彼にため息が出た。
「で、小鈴ちゃん。今回の賭けはどっちの勝ちにする?」
「私が出しますよ、なんか負けた気分なんで……」
食べ終えて勘定を払おうとすると、もう連れの方から頂いています、と言われた。
彼は私を見て無邪気に手をひらひらと振っていた。
……本当によく分からない人。
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月が顔をのぞかせ始めた帰り道、最後に彼は呟いた。
────狐の毛ってやっぱりふわふわしてるんだね。