本の虫と髪切り虫のお話 作:てる
その日、私が店番の合間に彼の店でお茶を飲んでいた時の事。
私も突如現れた胡散臭い外来人に少しずつ慣れ始めて、時々『暇潰し』に付き合うために彼の店を訪れるようになったが、相も変わらず閑古鳥が鳴くばかりだ。
でも、やっぱり彼は気にする事もなく、長椅子に寝そべりながら暢気に鋏を弄んだり、本を読んでいたり。
「ねえ市木さん、何か面白い話とか無いんですか?こう、外の知られざる秘密とか市木さんの昔話とか」
「僕の昔話?大して面白い事はないよ、僕はただのしがない美容師なんだから」
けれど私はどこかで彼の顔を見た事がある気がするのだ。他人の空似、気のせい、色々な可能性があるにしても、どの道この人は少々胡散臭すぎる。悪い人ではなさそうなんだけど。
大体、あの空き家を店にすると考えただけでも普通の人ではないだろう…………いや、もしかして知らされていなかった?
「そう言えば、市木さんはここがなんで空き家だったのか知っ…………え?」
急に固まった私を見て、彼は不審そうに、
「小鈴ちゃん?なに、どうかした?」
呆然としながら私は指差す。
そこにはさっきまで棚の上に置いてあった花瓶が、宙に浮いていた。
重力など意に介さないかのように。
刹那、花瓶は恐るべき速度で私に向かって襲いかかってきた。私が何をしたっていうのだろう。
ひいっ、と頭を庇う私の頭上を何かが横切った。
顔を上げると彼が空中で一回転している。
そのまま回転の勢いに乗って花瓶に綺麗なカウンターキックを決めた。大当たり、と叫びたくなるようなクリーンヒット、花瓶はしめやかに爆発四散。
粉微塵になった花瓶の片付けを手伝いながら、
私はますます彼への疑念を募らせた。
仕方ないだろう、どこの世界にあんなに鮮やかな飛び後ろ回し蹴りを打てる床屋がいるというのだ。
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「最近よく飛ぶんだよね」
「物がですか」
「ううん、意識」
「医者に行って下さい」
「冗談はさておき、本当に家具が飛びます」
衝撃のカミングアウト。
家具が飛びます、じゃないだろう、普通。
鈴奈庵でもたまに本が飛ぶことはある。
しかしそれは妖魔本だったり、飛ぶ物自体に要因がある事がほとんどだ。
彼の話を聞くと大小にかかわらず、家にある物が無差別にぽんぽん飛ぶらしい。
花瓶なんかは可愛い方で、いきなり手入れをしている途中に鋏が零距離から飛んできたりだとかは日常茶飯事、箪笥が突進してきた時にはさすがに家から飛び出したそうだ。
頭がおかしい。
「他に何か変わった事はありませんか」
十中八九、妖怪が関わっているに違いない。
事と次第によっては霊夢さんを引っ張ってこないといけないかもしれない。
状況説明のためにも情報はできるだけあった方が良いだろう。
「変わった事……うーんとね、たまに誰かに見られてるような気がする」
視線ねえ。自意識過剰なんじゃないですか、と言おうと思った時に、
「昨夜もさ、夜中に目が覚めたら誰かが僕の顔を覗き込んでたんだよ」
「ぶっ!?ごほっごほっ、それもう不審者じゃないですか!?」
衝撃のカミングアウトpart2にお茶菓子を喉に詰まらせてしまった。
「ちょっと大丈夫?なんかこう、爛々と光っててさ。目を離したら負けな気がしたけど途中で寝ちゃった」
あっけらかんとした顔で狂人染みた事を言う彼に、拳一個分の距離をおきながら、
「分かりました分かりました、私に任せてください。なんとかしてみましょうとも!!」
「本当?そりゃ助かるけど」
「その代わりですね、上手くいったら市木さんの昔の事を一つで良いから教えて下さいよ」
別にいいけど、と苦笑いする彼の顔の中に暗い陰りがちらりと見えたのは私の気のせいだったのだろうか。
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「という訳なんですよ、魔理沙さん」
一体どういう訳なんだか、と私の前でぼやく少女は白黒のエプロンドレスに身を包んでいた。
本の返却のために鈴奈庵を訪れたところを捕まえたのだ。
「それで私は何をすればいいんだ?要するにそのポルターガイスト現象の元凶を突き止めてどうにかすればいいのか?」
「さすがに察しが良いですね。お願いしますよ、今度サービスしますから」
しょうがないな、とため息をつきながらも約束してくれた。やっぱり頼れるなあ。
善は急げと早速現場に向かうと、
「え、もう着いた?なんだよ、向かいの家じゃないか」
呆れたように言いながらもその視線は彼の床屋に注がれていた。何か妖気のような物を感じているのだろうか。
「ふむ、見た感じでは特に異常は無さそうなんだけどな。ここ、床屋なんだろ?目をつけられるような事もしないだろうし」
ですよねと応じるものの、あの人は知らず知らずに地雷とかぶち抜いてそうな気がする。
悪い予感というのはつくづく当たるものだと思う。良い予感がした事なんてないけれど。
ドアを開けると市木さんが血まみれで倒れていた。
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「マジで三途の川が見えた」
「急にフランクな感じになりましたね」
彼の頭を包帯でぐるぐると巻きながら軽口を叩き合うが、店内は明らかに異常を来していた。
内装は滅茶苦茶に荒れており、下手すれば彼が来る前の廃屋状態の時の方が綺麗なのでは、というレベルだ。
「強盗でも出ましたか」
「それなら僕の通信空手が火を噴いたんだけどね。
錯乱したのか訳の分からない事を言う彼を放っておいて、
「魔理沙さん、どう思いますこれ?」
しげしげと辺りを観察していた彼女に尋ねると、
「まず何が起こったか、心当たりはあるのか、色々詳しく聞きたいな」
ここでやっと彼女の存在に気付いたのか、彼が必死に(あれ誰!?ねえ聞いてる!?)とサインを送ってくる。
面白いのでそのまま話を進めようかとも思ったけどその前に、
「そういや自己紹介が遅れたな。私は霧雨魔理沙、魔法使いだ。あんたの事は小鈴から大体聞いてるよ、胡散臭い外来人なんだろ?」
「胡散臭いかどうかはともかく、まあ外来人ではあるよね…………ところで閉店の時間なんだけど」
「今日は散髪に来たわけじゃない。小鈴に頼まれてあんたん所の怪現象を解決しにきたんだが、酷いなこりゃ」
まあ確かに酷い。まるで家中の物が反乱を起こしたみたいだ、そう感想を伝えると彼はため息混じりに、
「いや本当に酷いよ、小鈴ちゃんが帰った後にさ、冗談抜きに家中の物が飛び回ったんだ。死ぬ気で刃物やら鈍器やらは避けてたんだけど、台所からやかんが飛んで来て……殺しにかかってきてるよ、これ」
「けどそんな状況でよくそれだけの怪我で済んだな。刃物も避けきれる量じゃなさそうだし」
床に散乱している鋏は優に二十本は超えている。ベーシックだのセニングだのスライドだの名前がついているらしいが全然見分けがつかない。これがあの職人技を支えているんですね、はい。
冗談はさておき、一つ思い付いた事がある。
「もしかしたらなんですけど、このポルターガイストって、市木さんをどうこうするのが狙いじゃなくてこの家から出ていかせようとしてるんじゃないんですかね」
きょとんとした顔で魔理沙さんは、
「どうしてそう思うんだ?まあ市木が狙いじゃないってのはまだ分かるが、出ていかせようってのは少々飛躍しすぎじゃないか?」
「それがですね……曰く付きなんですよ、この家」
彼の愕然とした顔を見るに詳しい事は聞かされていなかったみたいだ。
「元々この家は鈴奈庵よりもずっと昔からあったんですよ。それがいつの間にか主人が居なくなっちゃって。何回も取り壊そうとしたらしいんですけど、その度に死人が出たり不吉な事が続いたらしいです」
どんどん血の気が引いていく彼とは対照的に
魔理沙さんは興味深そうに、
「しかし家そのものには特に妖気も感じないし。となるとあれだな、何かが住み着いたんだろう」
よし、と手を打って魔理沙さんは私たちにとりあえず家を出るように言った。
明日の朝までには捕まえといてやる、との事だ。
夜風に吹かれながら、
「明日の朝に来いって、じゃあ僕今日宿無しじゃん」
「良かったらうちに来ます?親も別に文句は言わないでしょうから」
「助かります」
「ただ……分かってますね?」
「分かってるとも」
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本居家に酒宴という手荒い歓迎を受けた彼が、私の部屋にやって来たのはもう丑三つ時を回る頃だった。
「いやあ飲まされる飲まされる。本日二度目の三途の川が見えたよ」
どさっと腰を下ろすと彼は後ろに束ねていた髪をほどいた。華奢な体も相まってなんだか女性みたいだ。
「さて、じゃあ僕の昔話を一つしようか。約束だしね」
正座して姿勢を正している私を見て、そんな大した話じゃないよ、と彼は笑いながら語り始めた。
────僕は、
とにかく、僕は少なくとも自分の世界ではないばしょに迷い混んでしまったのさ。まだ、子供と言ってもいい頃にね。
ただ人里や森の中じゃない、あれは多分誰かの屋敷だ。
しかもどう言えばいいのかな、すごく違和感のある場所だった。草花は咲き乱れていたけれど香りはない。晴れてはいるが光はない。死んでるみたいに生きてる、いや、生きてるみたいに死んでるような所だった。
きっと人間の居ていい場所じゃなかったんだろうね。けど、何も分からないまま其処をさ迷っていた市木少年は案外その状況を楽しんでいましたとさ。昔からそういったオカルトチックなのに憧れてたんだ。…………何、子供の頃から怪しい奴?ひどいなあ、僕ほど誠実な人間もそうそういないのに。まあそこで市木少年はなんと…………ありゃもう夜明けか、話しすぎたみたいだね。じゃあこの続きはまたいつか。
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にゃーん。
「猫ですね」
「猫みたいだね」
「ああ、猫だ」
夜明けと共に私たちは髪切り虫の床屋を訪れた。鬼が出るか蛇が出るか、幾多もの人間を祟り殺してきたに違いない何かに対して私たちはなんかこう、もっとえげつない物を想像していたのだけれど。
「えっと魔法使いさん、これがその怪現象の原因なわけ?」
魔理沙さんも困り顔で、
「そうとしか思えないんだよな、これでも一晩中家の中を探し回ったんだぜ?地下室から屋根裏まで。けど化け猫なら尻尾が二股だって聞くのにな」
えっこの家地下室あったの、と驚いている彼を猫がどんよりとした目で眺めている。
闇夜を思わせる黒毛の中でほっぺたに白く丸い箇所がある、お餅みたいだなあ。もちろん尻尾は一本きり、どこから見ても普通の猫だ。
「とりあえずこいつはあんたに渡しておくよ、それでも収まらないんなら霊夢を当たってくれ」
そう言って埃だらけのまま彼女はふらふらと店を出ていった。
猫を押し付けられた彼は、霊夢って誰だよ、とぼやきながらも店の掃除に取りかかっている。
なんという切り替えの早さ。
それを嘲笑うようにまた猫が鳴いた。
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しばらくぶりに床屋を訪れた。
あの時の混沌とは見違えるように綺麗に、いや、元に戻っただけか。珍しくお客さんが来ていたので大人しく長椅子に座って待っていると、あの猫が寄ってきた。
飼っているのだろうか、なかなか根性あるなあ。
抱き上げてやるとふんわりとお団子みたいな匂いがする。そのままじゃれて遊んでいると、
一仕事終えたらしい彼がお茶を出してくれた。
「この猫、結局飼うことにしたんですね」
彼は納得のいかないような表情で、
「一応あれからもう物が飛んだりしなくなったしね。ただどうしても、こんな猫っころにあんな力があるとは思えないんだけど、まあ招き猫代わりにでも置いとく事にしたんだ」
確かにこの猫のとぼけた顔を見ているととてもじゃないけど信じられない。世も末だ。
「ちなみに名前はしらたまくんにしました」
「しらたま、可愛いじゃないですか。このほっぺたの模様から取ったんでしょ」
「ちっちっちっ、ノーしらたま。『しらたまくん』ね、くんが重要な訳よ」
「じゃあ私呼び捨てにするのは忍びないんで『しらたまくんちゃん』って呼びますね」
一休さんみたいな事を言うな、と不機嫌になっている彼に嫌気が差したのか、ぷいと奥の方へしらたまくんは引っ込んでしまった。
…………あれ?ごしごしと目を擦る。
「どうかしたの小鈴ちゃん?」
「……いや、なんでも」
果たしてあれは私の見間違いだろうか。
──姿が見えなくなる寸前、ゆらりと凪いだ尻尾が二つに別れて見えたのは。