本の虫と髪切り虫のお話 作:てる
朝と言えども、暑さはろくすっぽ和らいでいる気がしない。
これが外の雑誌に載ってた『地球温暖化』という奴だろうか、怖い怖い。
日課である打ち水をする為にまだろくに開かない目を擦りながら私が通りに出た時、
「ウヴォアァァア!?ちょっとマジで無理無理無理無理!!」
朝っぱらから恐ろしいデスボイスが近所に響く。もちろん彼の床屋からだ。
どうせまた面倒臭い事になってるんだろうなあ。しかし放っておく訳にもいかないので嫌々ながら店に向かった。
ご近所さんの安眠を妨げるのもなんだし。
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「ちょっと市木さん、うるさ…ウヴォアァァア!?」
「ミンミンミンミーンミンミンミンミンミンミーンミンミンミンミンミンミーンミンミンミンミンミンミーンミンミンミンミンミンミーンミンミンミンミンミンミーンミンミンミンミンミンミーンミンミン!!!!!!!!!!?!」
店の中に足を踏み入れた途端に襲いかかる轟音。啞然としている私に、彼が虫取り網を振り回しながら、
「おはよう小鈴ちゃん!!「ミーンミンミンミンミンミン!!」早速なんだけど「ミンミンミン!」この蝉捕まえるのちょっとてつだ「ミンミンミンミンミンミンミーンミンミン!!!」うるせえ!!」
普段ぽやぽやしている彼でさえこの突然の闖入者には動揺を隠せなかったようだ。
とても広いとは言えない店の中で長物をぶんぶん振り回したせいで、物があちこちに散乱している。
ポルターガイストかな?
「捕まえるってどうす「ミーンミンミンミンミンミン!!」大体なんで店の中にこんな「ツクツクオーシッ!ツクツクオーシッ!ジーーーー…」なんか別の混じってませんか!?」
駄目だ、あたまがおかしくなる。
乱舞する蝉、半狂乱の彼、意味の無い笑いを発する事しかできない私。
「…!市木さん、ドア開けましょう!絶対出ていきますよ」
「嫌だ嫌だ、こいつに釣られてどんどん集まってくるに違いない!ウワァァァ、戸棚の裏は蝉の卵でいっぱいだーー!」
「ちょっと落ち着いて…ひいぃ、なんか液体が降り注いでますよぉ!?まさかこれ、おしっ…いやだぁぁ!!」
その時だった。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した髪切り虫の床屋に救世主が現れたのは。
店の奥から、うるせえな、というような憮然とした表情でしらたまくんがのっそりと起きてきた。
彼は蝉に翻弄されている私達を一瞥すると、
迷う事なく飛んだ。
そのまま彼を踏み台にして、飛んでいる蝉に強烈なアッパーカットを喰らわせる。
「ナイスジョブ、しらたまくん!褒めて遣わす!!」
「よっ日本一!」
最大級の賛辞を送る私達に照れているのか、そっぽを向いてしまった彼の後ろ姿に、
「いやあ、猫ってのは凄いねえ」
「一家に一匹置いといてもお釣りが来ますよ」
と安心しきっていた私達の耳に不審な音が聞こえてくる。
パキッ、ボキッ、ゴリッゴリッ、シャリッシャリ………。
「どうしたのしらたまくん、そんな物騒な音を立てて……ウヴォアァァア!?」
彼が何を見てしまったのかは、ここでは触れまい。
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もはや恒例行事と化した店の掃除を手伝いながら、私は彼にどう切り出そうか悩んでいた。
ちらりと彼の様子を窺うと、もう掃除に飽きたのか、しらたまくんを膝の上に乗せて蚤取りをしている。
このほんわかした雰囲気ならいけるのではないか、そう判断して、
「そう言えばどうですか、この前買っていった新聞」
「『文々。新聞』だっけ?なかなか面白かったよ、新聞ってよりはゴシップ紙に近い気がするけど」
よし、いけそうだ。
「…この新聞屋さんが市木さんのお話を聞きたいそうなんですけど」
「うーん、悪いけど無理」
「やっぱりかあ」
予想はしていたけど、即答とは。
彼ともそこそこの付き合いになってきて、分かった事がいくつかある。
その内の一つに『宣伝嫌い』というものがある訳だ。
仕事をするのは好きだが金を取るのは好きではない。ましてや、自分から広告してまでお客さんを増やすなんてもっての外、らしい。
一体どんな生活を送ってくればここまで商売に向かない性格になるのだろう。
それは兎も角、どうにかして彼を説得しなければ。
しょうがない、これは最終手段のつもりだったんだけど。
「まあ聞いて下さい市木さん、その記者さんは───」
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店に帰ると、話題の記者様が勝手にお茶を淹れて飲んでいた。
新聞を眺めている、と思ったが『文々。新聞』ではなく外から流れ着いたもののようだ。
「…ふむふむ、『新宿での少女連続殺人事件、犯人未だ特定できず。遺体から必ずある部分が持ち出されており、新宿のジャックザリパーと呼ばれている』、と。怖いですねえ、外の世界は。
あっお帰りなさい、どうですかお茶でも?」
「…頂きます、お客さんにお茶を淹れて貰えるなんて商売人冥利に尽きますよ」
ちくりとした皮肉を全く気にする様子もなく、
彼女はお粗末様で、とのんびり言いながら、
「それでどうでした?あの床屋さんにアポ取って頂けましたか」
「……大変だったんですよ、あの人そういうの嫌いらしいんですから」
「って事は取れたんですね?いやあ流石の手際の良さですよ」
彼女が大喜びで私の手を握る。その柔らかさで、天狗といっても人間と変わらない所もあるんだなあ、と今更ながら当然の事に思い当たる。
「明日の昼過ぎなら何時でも構わないらしいですよ」
「いやあ本当に助かりました、じゃあ明日も宜しくお願いしますね」
え、明日?その意味を頭が飲み込む前に、
「もちろん小鈴さんにも来てもらいますよ。一応通訳というか、共通の知り合いがいた方が円滑に進むので」
悪びれる素振りもなくニコッと微笑む彼女にため息が滲み出る。
大なり小なり、やっぱり私はあの人に振り回されるのだ。
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明くる日の昼下り、いつもの洋装に身を包んだ
文さんが店の前にやってきた。両手に大きな荷物を提げて。
「どうしたんですか、その荷物」
彼女は大層くたびれました、という顔をして、
「どうしたって、手土産に決まってるじゃないですか。マスコミ嫌いの店主ってのは往々にして物凄い堅物と相場が決まってるんですよ。何事も第一印象が肝心ですからね、初期投資と考えればこのぐらいへっちゃらですよ」
その割には未練がましくその手に提げた物を見つめている。
まあ私には関係のない事だ。面倒臭い事はさっさと済ませてしまおう。
ついでに手間賃代わりに彼に氷あずきでも奢らせてしまおう。
彼女は深く深呼吸すると、ドアノブに手を掛けた。
「こんにちはー!お話を伺いに来た文々。新聞の者です、いや本日はお忙しい中どうもすみません」
いつも以上に丁寧な営業口調にこれ以上ないほどのナイスな笑顔を浮かべてドアを開けた彼女を迎えたのは、長椅子に倒れ臥している市木さんの姿だった。
もういっぺんだけでいいから海の幸が食べたいなあむにゃむにゃ、といった寝言付きで。
前にもこんな事があった気がするなあ、デジャヴってやつかなあ。
乾いた目で彼を眺める私に文さんが不安げに訊ねる。
「……アポ取ったんですよね?」
「死んでるんですよ、よくある事です」
あっはい、と困惑する彼女を尻目に彼に近付くとその顔をべしべし叩く。
「市木さん起きて下さいよ、昨日言ってた記者さんが来ましたよ」
「うぅん、なんでここには海が無いの………はっ」
目が覚めた彼は私の呆れた顔と、文さんの戸惑いを隠しきれていない顔から瞬時に状況を判断したようだ。
恥ずかしげに微笑みながら私に目で合図した。
ため息をつきながら私は三人分のお茶と菓子を用意する。
「…おほん、いやよくいらっしゃいました、店主の市木です。申し訳ない、今日が楽しみで昨晩眠れなかったもので」
文さんが曖昧な笑顔を浮かべている。おそらく彼女が思い描いていた人物像と余りにもかけ離れていてキャパオーバーしているのだろう。
それでもやっぱり回復は早い。
「いえいえ、全然お気になさらず。改めまして、私はこういう者です」
そう言って彼に名刺を差し出した。
私も以前貰ったものだ。
「『社会派ルポライター あや』さんねえ、じゃあ今日は宜しくお願いします」
こちらこそ、と笑顔で応じる彼女に、彼が爆弾を放った。
「ところで、あやさんって天狗なんでしょ?」
「ぶほっ!?ゴホッゴホッゲホッ、し、失礼。まあ天狗になってるって言われる事はよくありますね」
派手にお茶を噴き出しながらも何とかリカバリーを決めた。
さすが物書き、機転が利くなあ。
「それで質問なんですけどね、『天狗の詫び証文』ってあるじゃない?あれって結局どういう事が書いてあるんですか?」
みるみるうちに文さんの顔が青ざめていく。
シツレイシマス、と一言述べたかと思うと恐ろしい勢いで私の肩を抱くと耳元で囁く。
(ちょっと小鈴さん、私が天狗だって彼に話したんですか!?)
(しょうがなかったんですよ、あの人の興味を惹くにはこれぐらいやらないと)
(本当に勘弁してくださいよ、バレたら人里で商売上がったりなんですから…)
(大丈夫ですって、あの人の口の固さときたらまるで木綿豆腐の如しですよ)
(絹ごしよりはマシってレベルじゃないですかぁ!?)
ひそひそ話をする私達に退屈したのか、
彼はいそいそとしらたまくんのブラッシングを始めている。
ちなみに最近彼はしらたまくんのご機嫌を取るあまり、食事の献立も猫が食べられる物に切り替えたそうだ。
独り身のペットへの愛情は凄いと聞くが、
食べ物まで自粛するとは恐れ入っちゃうなあ。
「…えー、私が天狗だという事はどうかくれぐれも内密に」
「構いませんよ、別に。じゃ取材とやらの続きを始めましょうか」
多少のごたごたはあったけれど、ようやく始まるらしい。
文さんの狙いは何なのか、そして市木さんはそれに何と答えるのか。
これこれ、この下らない緊迫感が『暇潰し』に丁度いいんですよ。
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手帳を手にした途端、文さんの目付きが変わる。いつもの人を食ったような態度とは違い、一言も聞き漏らすまいといった佇まいだ。
「いつから
「この夏の初め位だったかなあ。いや驚きましたよ、気付いたら全く見た事もない森の中に一人ぽつんと立ってたんですから」
「ふむふむ…それでどうして帰らなかったんですか?あ、いやちょっと邪険な言い方に」
頭を掻く文さんに、気にしないで、と彼は笑って何かを思い出すように目を瞑った。
「小鈴ちゃんには観光がてら住んでみる、みたいな事を言ったよね?」
「ええ、はい……もしかして嘘?」
取り繕うように慌てて彼は手を振る。
「嘘って訳じゃないんだけどね、あの時は開店初日でごたごたしてたからさ。実はもうちょい詳しい経緯があるのでございますよ」
ほうほう、詳しい経緯と。
それは是非ともお聞かせ願おうではないですか。
「すみませんね、あやさん。つまらない上に長ったらしいかもしれないけれど、しばしお付き合い下さい」
彼が記憶を探り出すようにゆっくりと語り始める。
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────あの日は初夏にしては割と涼しい晩だったのを覚えてるよ。
今日の業を為し終えて、って訳じゃないけど少し早めに店を閉めて散歩に出たんだ。
ちょっと悩みがあってね、気晴らしに……え、意外とセンチ?
そうなんだよ、僕はこう見えてもメンタルが絹ごし豆腐の如くなんだから。
さて、話を戻そうか。
ぼんやりと月を眺めて歩いてたからかな、周りの風景が徐々に変わっている事にも気付かなかった。
そろそろ帰ろうかな、と思った時には鬱蒼とした森の中さ。
いや本当にめちゃくちゃ驚いたよ、これでも東京は新宿に住んでたから……分からない?失礼、とにかく人が多いんだよ、都会だね。
…怖い人もいっぱいいたなあ、その為に僕は通信空手やってたんだよ、使う機会は結局なかったけど。
まあそれで、森の中を出口求めてさ迷ってたんだけど、そのうち気分が悪くなってきたんだ。
聞いた話によると、その森は茸の胞子やらで人にはあまり良くないんだってね。
そういう訳で半死半生になってたんだけど、
悶え苦しむ僕の目にぼんやりと薄明かりが見えた。
幻覚かとも思ったんだけど、何もしないよりはマシだから這ってその方に向かったんだよね。
幸運にもその光の正体は白い洋館だった、いやあ助かったと思ったよ。
しかし哀れにも市木くん、ドアノブに手を掛けた所でギブアップ。
日頃の運動不足がたたったんだろうなあ、
小鈴ちゃんも本ばかり読んでちゃ駄目だよ?
次に目が覚めた時にはベッドに寝かされていたんだ。
夢オチかって思ったんだけど、よく考えたら僕の家ベッドなかったなあって。
下らない事考えてると、女の子が部屋に入ってきてさ、
『死にかけの蝉みたいだったけど大丈夫?』
って。
確かアリス・マー…マーナントカみたいな名前だったはず。
綺麗な子だったよ、あの稲穂のような黄金色の髪、絡め取られそうな緩やかなウェーブ……。
やばい、これじゃ僕が只の気持ち悪い人みたいじゃないか。
そこで一晩泊めてもらって
お礼といってはなんだけど、彼女の邸には人形が沢山あってね。
最初はぎょっとしたけど、よく手入れもされてたし見事な物だった。
それらの髪をまあ調えたり、ちょっと弄らせてもらったよ。
明くる日にこの人里まで送ってもらって、
慧音って人に紹介してもらった。
今度ちゃんとお礼に行かなくちゃなあ。
兎にも角にも、彼女の計らいで寺子屋に住み込みで働かせてもらえる事になったんだ。
その時の話は長くなっちゃうからまたいつか。
そう言えば前に団子を賭けた時があったよね、あの時の女の子、実は顔見知り程度ではあったんだよ。
…ずるい?ははは、けど妖怪だったとは知らなかったから許してよ。
しばらく働いて金も貯まったし、店を開きたいって慧音さんに相談したら、色々探し回ってくれて結局この家に落ち着いたんだ。
『タダ同然の家が見つかったぞ!』って聞いた時には怪しいなあって思ったけど、背に腹は代えられないからね。
設備投資もしなきゃいけないし。
……結果はあのポルターガイストだけど。
そして暇潰しをするために鈴奈庵を訪れたのが僕と小鈴ちゃんの初めて会った日、開店前にして初のお客さんがやってきた日、と言う訳さ。
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興味深そうに文さんがメモを取っている。
「面白い話でしたよ、外来人のリアルな生態が垣間見れて」
…よく考えてみれば、私は彼の事をまだ全然知らないのだ。
外の世界ではどんな生活を送っていたのか、
なぜ美容師になろうと決意したのか。
けど、今はいい。
先の楽しみが無くなってしまう、私達の『暇潰し』はまだまだ終わらないのだから。
「…じゃあ最後に一つよろしいですか?」
「どうぞどうぞ」
彼女はメモもペンも置くと、じっと彼を見据えた。
彼も怯むことなくそれに応える。
「あなたは自分の仕事をどのようなものだと思っていますか?」
一時の静寂。永遠にも思われたその間を縫って彼が一言呟いた。
「…気休めですよ」
「き、気休めですか?」
「僕の仕事は人をお腹いっぱいにする事も、
死んだ人を生き返らせる事もできない。
寧ろ無くたって誰も困らない、気休めに過ぎません。
けど、誰かが悲しみに沈んでいる時、絶望している時にその人を救ってあげられるのは案外、一時の気休めじゃないかと僕は思ってます」
「…本日はどうもありがとうございました。
貴重な体験に感謝を」
彼女が席を立とうとした時、彼が、
「あっ、ちょっと失礼。どうせだったら気休め、していきませんか?お代は入りませんよ、『天狗に取材された美容師』って能書きだけでお釣りが来る」
彼女は少し驚いたような表情で私達を見ると、
「…ぜひ」
恥ずかしげに微笑んだ。
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件の取材から一週間ほど経った日のこと。
店番の途中で彼が楽しげに、
「小鈴ちゃん、今日でしょ?文々。新聞の発行日。一部買うよ」
「まいどあり、どうぞ」
彼は当然の様にその辺の椅子に座ってしばらくぺらぺらと新聞を捲っていたが、
「あれ?僕の記事が載ってない」
「なんででしょうね。人里、外来人、話題の床屋、記事にするにはもってこいなのに」
「…なんかあれだね、別に宣伝したかった訳じゃないけどそこはかとなく悲しい」
「まあ良いじゃないですか、それより貰い物のお饅頭があるんですけどどうです?」
「じゃあお茶でも淹れてくるよ、僕は粒あんがいいな」
「ええ?普通こしあんでしょ」
「粒あんは潰せばこしあんになるじゃない」
「馬鹿な事言ってないで早く淹れてきて下さいよ。私あっつあつのお茶で」
「ええ?普通水出し緑茶でしょ」
「もういいです!!」
今日も今日とて、私達はせっせと暇潰しに励んでいる。
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──神社にて。
エプロンドレスに三角帽子を身に着けた少女が、
「おい霊夢、これ見ろよ、これ」
相対するは奇妙な巫女装束を纏った黒髪の乙女。
「何よ、文々。新聞じゃない。これならもう検閲済みよ」
「違うんだって、これは人里に出回ってる奴じゃない。あの天狗が妖怪向けに発行してる物だ。例によって号外」
どれどれ、と巫女装束の少女がぱらぱらと新聞を捲る。
「えっ、これ一面に出てる人ってあの外来人の床屋と小鈴ちゃんじゃない!?
『人里に突如現れた外来人の美容師!妖怪、神様、誰でもウエルカム、昨日とは違う自分に生まれ変わろう!!』
なんの記事なのよ、これ……」
「何にしても大変だぜ、これから。あの店にうじゃうじゃ妖怪がやって来るかもな」
「鈴奈庵と同じぐらい要注意ね、ここ……」
二人は顔を見合わせると、これから起こり得る面倒事に思いを馳せてため息をついた。