本の虫と髪切り虫のお話   作:てる

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お久しぶりです。無駄に長いです。10000字超えてます。


#6 決闘のお話(下)

 烏の鳴く声が私の焦燥感を掻き立てる。

 荒い息を吐きながら上る神社の石段はちっとも本殿に近付いている気がしない。

 急がなきゃ、手遅れになる前に。そう思えばそう思うほど脚に何かどす黒いものが絡みつくような錯覚に襲われ、やっと上り終えた時には

 着物が冷や汗でじっとりと湿っていた。

 霊夢さんは境内を暇そうに箒で掃いていて、私を見つけるとサボる口実が出来た、とでもいうような笑みを浮かべてこちらにやって来る。

 

「あら小鈴ちゃんじゃない。何か用かしら、貸本なら大体返し終わってると思うけど」

 

 口の中が乾き切って舌が上手く回らないのを強引に唾を飲み込んで、

 

「…市木さんが、一人で、行っちゃって」

 

「行っちゃってってどこに?」

 

「妖怪の山、です」

 

 彼女の顔がさっと青ざめる。

 それを見てやはり一大事なのだ、と急激に心臓が鼓動を早めだす。呼吸が激しくなる。気分が悪くなる。

 軽率についてって良いですか、なんて聞いた自分を罵るのと同時に、重りのような不安に耐え切れず座り込んで吐いてしまう。

 嘔吐(えず)く私の背中を霊夢さんは優しくさすってくれた。

 

「大丈夫、大丈夫よ。それで彼が今どの辺にいるか分かる?」

 

「…平気です、地図は彼が持ってっちゃいましたけど場所なら覚えてます」

 

 彼女は頷くと、私に負ぶさるよう促した。

 何するつもりだろうか重くないだろうか、と不安になりながらおっかなびっくり背中に乗る。

 正直に言うと体格にそこまで差がある訳ではないので、やっぱり霊夢さんはよろめいている。

 

「ん、やっぱり少しきついわね……じゃあしっかり掴んでて、離さないでよ」

 

「離さないでって、ええぇぇ!?」

 

 ふわっと体が浮いたかと思うと神社がみるみるうちに霞んでゆく。身を切るような風が顔を撫でる。

 これってもしかして…

 

「飛んでるぅ!?」

 

「だから離さないでよって言ってるじゃない。それと耳元で大声出さないで、キンキンするのよ」

 

「ああ、ごめんなさい…って言うか寒っ」

 

 高い所に行くほど気温は下がる。

 理屈じゃ分かっていたけど、今ほどそれを実感する事は今後果たしてあるだろうか。

 そっと下を見るとちょうど人里の真上を通過していた。

 模型のように小さな里の中で米粒のような人が往来を行き来しているのを見て、私は胸が締め付けられるような不思議な感覚に襲われた。

 

「霊夢さんっていつもこんな景色を見てるんですか」

 

「もう見飽きたけどね、そんなに良いものかしら?」

 

「ええ、まるで鳥になったみたいな気分で。

 市木さんにも見せてあげたいなあ」

 

「流石に墜ちるわ」

 

 

 あっという間に人里を抜けて山へと向かう。

 ここから先は獣も妖怪もいつ出てもおかしくない場所になっている。

 あの手紙には、地図は安全な路だと書いてあったけど本当かどうか分かったもんじゃない、送り主は市木さんに怒ってたみたいだし。

 

「そもそも彼はなんで妖怪の山に乗り込もうとしてるのよ、気でも狂ったの?」

 

「なんか果たし状が来たんですよ。お前なんか気に入らんわあ俺と戦えや、みたいな」

 

「なんで関西テイストなのかは聞かないけど、普通受けないでしょそんなの」

 

「それが受けちゃうんですよ、あの人。自称、『誠実に手足が生えた生き物』らしいんで」

 

「ふうん。ちなみに小鈴ちゃんの中の誠実な人番付だったらどれくらいなの?」

 

「なんですか、誠実な人番付って。…紙魚の次くらいですかね」

 

「比較対象が人間ですらないじゃない」

 

 

 中々の危機的な状況だと言うのに霊夢さんはいつもと変わらない顔で下らない冗談を言っていた。

 だけどそれに救われている自分もいる。

 やっぱりまだまだ人に助けてもらってばっかりだなあ、と憂鬱になっていると誰かが言い争う声が聞こえてくる。

 

 

 

 

 

 

「…外来人がなんでこんな所ほっつき歩いてんだよ、死にてえのか?なら俺の間食にでもなってくれよ、小腹空いてんだ」

 

「え、やっぱりヤバい感じ?うわぁ、ちゃんと阿求ちゃんの言う事聞いときゃ良かったなあ」

 

 山へ続く閑静な道を、呆れたような声と聞き覚えのあるのんびりとした声が劈く。

 小さくてよく見えないが、確かに市木さんだ。

 普段の着流しと違って洋装に身を包んでいるが。

 

「まずいですって霊夢さん、なんか妖怪っぽい人と接触してますよ!?」

 

「妖怪っぽい人って凄い事言うわね、分かった分かったから暴れないでって…あっ」

 

「えっ」

 

 おかしいなあ、うえにれいむさんがいるぞ、おかしいなあ。

 

「落ちてるぅぅ!?」

 

 じたばた暴れた拍子にバランスを崩したのか、気付いたときには空中に投げ出されていた。

 咄嗟に受け身を取ろうかとも思ったけど、冷静に考えればぺしゃんこになるのがオチだ。

 というか冷静に考えられる訳がない。

 上から落ちてくる私を見て、驚いたような声で、

 

「なんか落ちてき…えっ、小鈴ちゃん!?ちょっと申し訳ない、これ持ってて!」

 

「あ、はい。持ってて、ってあんた何する気…」

 

 そんな会話の意味すら風を切る音がかき消してしまう。

 霊夢さんが何か叫んでいる、風圧が私の目を閉じる。

 衝撃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …死んでない。

 恐る恐る目を開くと、ぺしゃんこになる筈だった体はかすり傷もなく五体満足だ。

 なんで──

 

「ぐええ…絶対に今の腰いわしたって…」

 

 市木さんの顔が目の前にあった、冷や汗を垂らして顔を青ざめさせながらも、確かに私を受け止めて。

 

「やあ小鈴ちゃん、元気?」

 

「…腰から物凄い音がしてましたよ」

 

「やっぱり?」

 

 彼はそっと私を地面に下ろすと、悪戯が見つかった少年のような顔をして、どこか気まずそうに微笑んだ。

 どうしてだか顔が熱くなったように感じて拭うと、頬が何かで濡れていた。

 

「え、泣いてるの!?ごめんね、痛かったかな」

 

「…泣いてないです」

 

「目から水が出てるよ」

 

「泣いてないです!!」

 

 無事で良かったです、の一言が照れ臭くてどうしても口から出せなかった。

 そんな自分がもどかしくてしょうがなかった私の服の砂埃を払いながら彼はしみじみと、

 

「探しに来てくれたの?どうして?」

 

 その口振りは、まるで来るとは思っていなかった、と言っているようにも聞こえた。

 そうだ、彼に前から感じていた違和感はこれなのかもしれない。

 施しを受ける事を良しとしない、いや違う、ただの好意にすら対価を払おうとする所。

 それは裏を返せば、人の善意すら信じていない、代償なしに親切にされる事を恐れているような印象すら感じる。

 けど、彼がそんな荒んだ心の持ち主とはどうしても思えなかった。

 

「はあ、もう心配させないでよ」

 

 霊夢さんがぼやきながら下りてくる。私に言ったのか、彼に言ったのか、いや両方か。

 彼は首筋を犬の様に引っ掻いて、困ったように目を伏せた。

 そんな彼の顔にドスッと鞄を突き刺したのは、

 何だか背伸びしている、そんな印象を与える青年だった。苦労人なのか、たっぷりとした黒髪には白髪が何本も混じっている、が、特筆すべきはその背中に付いている翼。

 左右の大きさは歪で、色も黒と白がちぐはぐに絵具で塗られたようになっている。

 猛禽類を思わせるそれは、人の背中から生えるべき物ではないだろう。

 

「イチャイチャするなら他所でやって貰えますかね、人に荷物押し付けといてよ」

 

 はっ、忘れてた。

 そうだ、市木さんは確かこの妖怪っぽい人と険悪な感じになっていたんだった、いや、なっていないか。

 市木さんがごめんごめんと鞄を受け取ると、その人は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 それを霊夢さんがじろりと睨む。

 

「…あんた天狗ね、物騒な話が聞こえたんだけど?間食がどうとか」

 

 天狗?って事は文さんのお仲間なんだろうか。

 市木さんもほお~天狗ね、と目を細めている。

 絶対よく分かってない。

 青年は鬱陶しそうに手を振りながら、

 

「外来人については博麗の巫女もノータッチ、だったんじゃないんすか?」

 

 そう言って彼はにやりと笑う。

 ノータッチ?どういう意味だろうか、と霊夢さんを見ると言葉を詰まらせている。

 それを満足気に一瞥すると、

 

「冗談ですよ、冗談。天狗に荷物押し付けるような肝っ玉を持った奴なんか喰ったら腹壊しそうなんでね」

 

 後ろで酷いなあ、と市木さんが呟く。

 霊夢さんは苛立たしそうに舌打ちすると、私達にもう帰ろう、と告げた。

 が、市木さんは苦笑いしながら、

 

「どうしても行きたいんだ、ここまでのこのこやって来て帰るのはどうにも性に合わないんだよ。それに約束をすっぽかすのは気分が悪いと思わない?」

 

 彼女は苦虫を噛み潰したような顔で彼を見た。

 これ以上面倒事に巻き込まないでくれ、と目で訴えている。

 彼はそれに気づいているんだかいないんだか、ニコニコ笑っていた。

 こういうのなんて言うんだっけ、そうだ、百万ドルの笑顔だ。

 

「はあ、全く何考えてるんだか……分かったわよ。一つ貸しね」

 

 大儀そうに応じているけど何だかんだ言って面倒見は良いのだ。

 言うが早いが、天狗と呼ばれた青年に向き直る。

 

「あんた、道案内してもらうわよ。こんな所でぶらぶらしてるぐらいなんだから暇でしょ、どうせ」

 

 初対面の人に物凄く失礼な事をぬけぬけと言える所が霊夢さんの素晴らしい所だと私は思う。

 しかもちっとも悪びれた感じがない。

 

「は?嫌っすよ、何でせっかくの非番をあんたらに付き合ってやらなきゃ……」

 

 霊夢さんが口笛を吹きながらお祓い棒を弄り出した。汚いなさすが巫女きたない。

 市木さんも申し訳無さそうに両手を合わせている。

 これがアメとムチって奴だろうか。

 青年は苦瓜を食べた時のような表情で二人を交互に見ていたが、無駄だと分かったのか、とぼとぼ歩き出した。

 慌てて私達はそれを追いかける。

 霊夢さんは彼を不審そうに眺めていた。

 

「天狗なのに歩いていくの?変な奴ね」

 

 彼の歩みがピタリと止まった。

 

「一つ言っときますけど、俺の名前は『天狗』じゃない、『(まだら)』だ。ああ、あんたらの名前はいい。別に興味無いし。とにかく俺は天狗って一括りにされるのは気分が悪いんだよ、特に人間風情にはな」

 

 人を見下すような態度とは裏腹に、その言葉にはどちらかと言えば劣等感の方が滲んでいた。

 顔は見えなかったけれど、怒気が籠もっている。

 その刺し貫くような荒々しい雰囲気に私はたじろいだが、霊夢さんは別に気に留めた様子も無く、あっそ、と言い返しただけだった。

 うーむ、感じが悪い。

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 地元民は流石に地の利に通じているのか、曲がりくねった道を躊躇いなくずんずん進んでいく。

 日はどんどん落ちていき、烏もさっさと帰れと鳴いているように思える。

 ぶっちゃけ私は帰りたい、帰りたいのだ。

 やっぱり市木さんは私にとってトラブルメーカーなのかもしれない。

 そんなとりとめもない事を考えながらぼーっと

 後に続いていると、市木さんの背中に顔をぶつけてしまった。

 急に止まるな、と文句をつけようとした時、

 

「ついたぜ、ご所望の通り妖怪の山の麓でございますよ…ったく、何だってこんな所に用があるのかねえ」

 

 夕陽に照らされて夏の緑が赤く燃えている。

 風に靡いてそよそよと揺れるそれはまるで寄せては返す波のようだった。

 そんな幻想的な光景をぶち壊すように『いつまでたっても入山禁止』と書かれた看板が立っている。

 ええ、頼まれたって入りませんとも。

 

「あやや、斑くんじゃないですか。しかも団体連れ…で?」

 

 聞いた声がする。声の主は一息つくのにお誂え向きな大石に腰掛けていた。

 斑と名乗った青年は露骨に嫌そうな顔をしながら、

 

「げっ射命丸さんじゃん、逃げよ」

 

 くるりと方向転換するとさっきまでの道を恐るべき速度で走り出した。

 流石は天狗、早い早い。

 文さんは動じる様子も無く、翼をはためかせるとこれまた星のような速度で後を追いかける。

 ものの数秒で彼に追いつくと襟台を掴んで引きずって戻ってきた。

 

「おや、小鈴さんじゃないですか。こんな所で何してるんです、子供はお家に帰る時間ですよ」

 

「子供扱いしないで下さいよ、私だって帰りたいんですよ」

 

 そう言って市木さんに怨嗟の籠もった眼差しをぶつける。

 まあ効果はないけど。

 それを見て合点がいったように、

 

「…もしかして髪切りさんに呼び出されました?」

 

 恐る恐る市木さんに尋ねた。

 こくこくと頷く彼に申し訳無さそうな顔をしながら、こっちです、と斑さんを引きずりながら手招きした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 この類を見ないほど面倒臭くてしょうもない事件の発端となった妖怪。

 市木さんに朝っぱらから脅迫状、じゃなかった果たし状を送りつけた妖怪。

 記録に残っている悪行が人の髷を勝手に切り落とす、というコメントに困る妖怪。

 

 そう髪切り、本人といよいよご対面なのだ。

 一体どんな小物妖怪なのだろう、と思っていたのに────

 

 

「貴殿が『髪切り虫の床屋』と名乗る者、かね?」

 

 今、私達がいるのは妖怪の山の麓に佇む小さなあばら家。

 目の前には豊かな髭を蓄えた白髪の老人。

 鷹のような鋭い目に見据えられるだけでお腹いっぱいになる。何なのだ、この圧は。

 よく分からないけど市木さんだけじゃなくて私と霊夢さんも正座させられてるし。

 横を見ると霊夢さんは苦悶に顔を歪ませている。

 まさかそんな大物妖怪だったとは、と思っていると、

 

「…ああもう足が痺れたじゃない!大体なんで私達まで正座させるのよ、おかしいでしょ!」

 

 やっぱり霊夢さんもよく分かっていなかったようだ。

 老人はたじろいで、

 

「いや、誰が件の床屋なのかと…」

 

「こいつよ!」

 

 彼女は足を子鹿のようにぷるぷるとさせながら市木さんに指を突き付けた。

 当の本人はどこ吹く風で、よく見れば正座しているように見せかけて足を崩していた、許せん。

 白目を剥きながら彼に食ってかかる霊夢さんは置いておいて、私が気になるのは老人の後ろにいる三人。

 文さんとさっきの斑とか言う人、それにもう一人、白髪の女の子が言い争っている。

 なんか犬みたいな耳が生えてるが気にしてもしょうがない。

 

「よく考えたらなんで椛がいるんですかね、お仕事はどうしたんですか?」

 

「はぐらかさないでくださいよ!文さん何度も言ってますけどね、斑は哨戒天狗なんですから非番とは言え連れ回さないで下さい。横暴ですよ横暴!」

 

「そうだそうだパワーハラスメントだ、労基に訴えるぞ」

 

「ええ~、でも今回は私のせいじゃないわよ。彼が勝手に霊夢さん達に捕まったんじゃない」

 

「…そうなの?」

 

「黙秘権を行使したいと思います」

 

 

 何やらあの斑なる人の処遇で言い争いになっているらしい。話半分で聞いていると、どうやら文さんは結構な頻度で彼をこき使っているらしく上司っぽいあの白髪の少女とばちばちやっているようだ。

 

 髪切りと思われる老人が白々しく咳払いをする。

 

「おほん、えー改めて。貴殿が『髪切り虫の床屋』と名乗る者、かね?」

 

「たぶんそうです」

 

「たぶんじゃなくて絶対この人です」

 

 私がナイスフォローを入れる。

 

「裏切りおったな」

 

「もとより貴様の仲間ではないわ、ふははは」

 

 和やかな雰囲気が流れる中、一声。

 

「…宜しいかね?」

 

 老人は浮ついた空気を引き締めるように重々しく、

 

「そこな鴉天狗の瓦版で目にしたのだが、貴殿は人里で『幻想郷一の床屋』を名乗り口に糊しているらしいな。無礼だとは思わないのかね、私だけでなく他の先達にも」

 

 市木さんは人が変わったように澄んだ目をして真っ直ぐ老人を見据えた。

 その佇まいは全く引けを取っていない。

 

「まず一言弁解させてもらえるなら、僕は新聞には載っていない筈です。取材はまあ、受けましたけど」

 

 そうだそうだ、文々。新聞に載っていないと二人で首を傾げたものだ。

 その言葉を聞いて霊夢さんがぴくりと反応したかと思うと、文さんの肩におもむろに手を回した。

 

「何か言う事あるんじゃないの?」

 

 巫女とは思えない凶悪な笑顔を顔に貼り付けて彼女の顔をじっと覗き込む。

 彼女はいやあそのふふふ、としばらくごにょごにょ言っていたけれど観念したのか、懐から一枚の新聞を取り出した。

 人里に出回っている物とは違うらしい。

 なになに、『俺に敵はいねえ!傲岸不遜に嗤う外来人の床屋!』。

 …まず見出しから酷い。内容は真実ニ割、誇張

 十三割くらいか、あれおかしい、計算が合わないぞ。

 要約すると市木さんは『神に愛された美容師であり、自分に並ぶ者はいないと豪語する超実力派若手スーパースター』であるらしい。

 当の本人は蟹のように口から泡を吹いている、相当ショックを受けているようだ。

 

「いや、私も悪気があった訳じゃないんですよ?ただ、市木さんの記事がナウでヤングな女性にバカ受けでして…つい盛っちゃったっていいますか何と言いますか」

 

 と言う割にはあまり悪びれた様子がない。

 見れば老人も口をあんぐりと開けている、かわいい。

 

「…じゃあ特に君に非はないのか?」

 

 まあそうなりますかね、とすました顔で市木さんが答えると、老人は無礼を詫び文さんを睨み付けて私達を帰そうとした。

 そう、あとちょっとだったのだ。

 

「え、決闘は?」

 

 間抜けな髪切り虫のたった一言、カーテンコールにはまだ少し遠いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 文さんが困惑の表情を浮かべながら確認する。

 

「えっと、これから市木さんは小鈴さんの、髪切りさんは霊夢さんの髪を切る事で決闘する、という事でいいんですか?」

 

 市木さんは鞄をごそごそやりながら、

 

「そうそう、それで文さんと斑くん、そこの犬耳のお嬢さんにどちらの髪型の方が良いかジャッジしてもらうわけ」

 

 そう言ったかと思うと彼は急に白髪の少女の顔をじっと見た。どこかで見た事ある気がするんだよなあ、と首を捻っていたが、ぽんと手を打つと、

 

「ああ、今朝手紙を持ってきたのは君か」

 

 どうして分かったのだ、とでも言うような驚いた顔をする彼女に、彼は苦笑いで答える。

 

「朝はそんな耳付いてなかったから少々時間がかかったけど」

 

 文さんが彼女に不思議そうな顔でどういう事か尋ねる。確かになんで見ず知らずの天狗が彼に手紙を渡さなければいけないのだろう。

 

「昨夜に髪切りさんから頼まれたんですよ。明朝、里にいる床屋に手紙を渡してもらえないかって。まあ非番だったから引き受けたんですけど、まさかこんな人を危険に晒すような手紙だったとは思わなかったんですけどね」

 

 老人は目を伏せて、

 

「実は前に私自ら手紙を渡そうとしたのだがね、人違いしてしまってな。間違えて君ではない外来人(・・・・・・・・)に渡してしまって面倒な事になった訳だ。もうそんな事がないように千里眼を持つ白狼天狗殿の力をお借りした」

 

 市木さんも目を点にしている。

 君ではない外来人?全く耳にした覚えがないが

 人里に他にもいるというのだろうか。

 まあ昔から外来人を一人見かけたら近くに三十人はいるって言うし。いや言わない。

 彼は興味をそそられているようだったが、霊夢さんがぱんぱんと手を叩いた。

 

「ちゃっちゃっとやりましょう、早く帰って夕餉の支度しなきゃいけないんだから。やっぱりもう帰っちゃおうかしら」

 

「ああ待ってくださいよ霊夢さん、いいお酒が入ってるんですけどお」

 

 媚びた声で文さんが霊夢さんを引き留めようとする、多分機嫌取りの接待のつもりなのだろう。

 それを聞くと慌てて彼は鞄の中から鏡を取り出した。かと思うとそれを捻ったり伸ばしたり、

 うわっ、鏡台になった。

 これが文明の利器なのだろうか、浪漫と利便性が合わさって最強に見える。

 二人が鋏を手に私と霊夢さんの後ろに立つと、

 文さんがさっと手を振り下ろす。

 

「始め!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 

 帰り道、夏の大三角形を仰ぎながら彼がぽつりと呟いた。

 

「負けちゃったかぁ」

 

「でも私は良いと思いますよ、この髪型。それにあの人も『人とは思えぬ鋏さばき、お見事』なんて言ってましたし。あっ、けど『何故本気を出さないのか』って怒ってもいましたね」

 

「酷いもんだよ、あれが今僕に出来る精一杯の仕事なのに」

 

 そう言って出来たばかりのお団子をそっと触る。いつもの櫛でといた髪とは違って逆毛が立っているのが面白い。

 以前見たことのあるポンパドールなる髪型に似ているけど、こっちの方が何だか大人びていて気に入った。

 肝心の勝負の結果は向こうの勝ちだったけれど。

 

 確か時間は四半刻にも満たなかったと思う。

 髪切りさんの手によって調えられた霊夢さんの髪は、見た目には大して変化がなかったけれど艶というか何と言うか、とにかくオーラが凄かったのだ。

 子供みたいな感想しか出ない自分が情けない。

 市木さんは見た途端に『あ、負けた』とか口に出すし。

 モデルに差が有った訳ではない、はずだ、多分。

 

「まあ良いんじゃねえか、人間風情にしちゃよくやった方だろ」

 

 私達を送っているのは霊夢さんではなく、あの斑なる天狗だった。

 件の彼女はまだ山で酔っ払っている所だろう。

 結局なし崩しに文さんに彼女を引き留められて、どうやって帰ろうかと右往左往していた私達を見るに見かねたのか、彼が送ると名乗り出たのだ。

 どの道、最初から里に呑みに行くつもりだったらしい。

 

「君が『俺はこいつの方が良いと思いますよ』って言ってくれたのには救われたよ、本当。

 他の二人は申し訳無さそうな顔しながら髪切りさんの方を指差してたのに」

 

「別に憐れんだりした訳じゃねえよ、ただあの巫女よりこの餓鬼の髪型の方が派手だったからだよ」

 

 ぷいとそっぽを向いてしまう。

 それきりしばらく誰も口を開かなかった。心地良い静寂が辺りを包む。いつの間にか嫌気が差すほどだった蝉の声もまばらに、秋の虫が弱々しくも音色を奏で始めていた。

 もうそろそろ夏も終わりだなあ、としんみりしていた最中、斑くんが

「…おい人間、あんたは怖くなかったのか?」

 

 相変わらず顔も見ずに乱暴に尋ねた。

 彼はきょとんとした顔で、

 

「怖いって何が?」

 

「何がって普通に考えてみろよ。あんたは外来人だぞ、里の人間じゃない。一歩里から出りゃいつパクっといかれるか分かったもんじゃないだろ」

 

 彼は少し考え込むと、あっけらかんと言った。

 

「僕はね、自分の事がそんなに好きじゃないんだ」

 

「…は?」

 

 私も、は?である。自分の事が好きじゃないとしても、問の答えになっていないじゃないか、と思った。

 

「あっ二人とも答えになってない、とか思ってるでしょ」

 

 彼の他心通の術が久々に発動したのを見てしまった、やっぱり妖怪かなんかなのかもしれない。

 それなら確かに怖くはないだろう。

 

「自分の事が好きじゃない。だからあまり自分の事を可哀想に思ったり、大切にしてあげようって思わない…なんちゃってね」

 

 それを聞いて斑くんは理解できない、とでも言うように鼻で笑って、散々色んな奴に迷惑かけといて自分が好きじゃないなんてよく言うぜ、と返した。

 隣を歩く彼の顔は夜に紛れてよく見えなかった。けれど先程の声はいつものおちゃらけた彼と少し違うような気がして、何だか落ち着かなかった。

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 やっとの事で里の門前に辿り着くと、斑くんは

 さっさと引き返してしまった。

 おかしいなあ、里に呑みに来たとか何とか言ってたのに。

 まあ家まであと少し、と思っていると足に激痛が走った。どうやら長く歩きすぎて靴擦れを起こしたらしい。

 

「どったの、小鈴ちゃん」

 

「いやあ靴擦れしちゃったみたいで、痛つつ…先行っててください」

 

 そう言ったのに彼は私の手を取って立たせたかと思うと、あっという間に私を背負ってしまった。

 

「えっちょっと、良いですってば、下ろしてくださいよ」

 

「だって靴擦れ痛いんでしょ?僕は平気だからさ」

 

 貴方が良くても私が良くないのだ。

 この年になってまさか人におんぶされるとは、

 夜遅くの事で誰かに見られていない事が救いか。

 いや、よく考えれば行きは霊夢さんに背負われていたじゃないか。ならなんだってこんなに気恥ずかしいのだろう。

 灯りの絶えた里に、こつこつと彼の靴音が響く。

 

「ねえ、市木さん」

 

「なあに?」

 

「自分の事が嫌いって言ってましたけど、私は割と市木さんの事、好きですよ」

 

 言ってからはっと気付く、これじゃあまるで恋人に愛を囁くのぼせた若者みたいじゃないか。

 いやいや別にそういう意味じゃないんですよ、

 だからその何と言うかうんたらかんたら、と取り繕う私をからからと笑って、

 

「いやあ僕が女の子だったら今のはイチコロだよ、本当。…本当、ありがとね」

 

「え、何ですか?」

 

「何でもないよー」

 

 最後の方はかすれてよく聞こえなかったけれど、彼の背中は思ったよりも大きくてほのかに暖かくて、もう少しだけこの時間が続いてもいいかな、なんて思ったり思わなかったり。

 

 

 

 ─────────────────────

 

 妖怪の山は天狗の詰所、丑三つを越えた頃に一人の天狗が戻ってきた。

 

「お疲れっす、ってなんすかこれ?」

 

 白髪混じりの青年が床に転がって寝息を立てている巫女を指差した。鴉天狗が不思議そうに、

 

「何って霊夢さんですよ、ご機嫌取っとかないと後々面倒臭いんで。斑くんこそどうしたんですか、里で呑んでくるとか言ってたのに」

 

 青年は欠伸混じりに、

 

「…ああ、止めにしました。明日も仕事あるんで」

 

「ふうん。そんな事言って本当は市木さん達と話してみたかったんじゃないですか」

 

 残り物の酒に手を付けていた彼がぶっと噴き出す。汚いですねえ、としかめ面をする彼女に詰め寄って、

 

「なんでこの天狗たる俺があんな人間風情と話したがるんですか!?」

 

「冗談ですって、近い近い……あ、良い事思いつきましたよ」

 

「聞きたくないっす」

 

「哨戒天狗やめて、彼の床屋に就職してみたらどうですか?」

 

「は?」

 

 夜の山に鴉天狗の高笑いと、下っ端天狗の悲鳴が響く。

 

 

 

 

 

 




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