本の虫と髪切り虫のお話 作:てる
起き抜けに渇いた喉を宥めながら井戸まで歩く。ぼんやりと薄明るい景色を眺めていると、行商人が威勢の良い声を上げていたり、逃げ出したのであろう鶏を追い掛けて近所のおばさんが走り回っていたり。
ようやく辿り着くと、釣瓶の重さを楽しみながらゆっくりと引き上げる。
釣瓶になみなみと満たされた清水は朝の光を受けて鈍く煌めく。
しんと冷えたそれを釣瓶に直に口を付けて一気に飲み干すと、身体の中に一筋の水脈が通ったような心持ちがしてとても涼やかだ。
さてもう一杯、と釣瓶を井戸に投げ入れて再び引き上げる。
今度はゆっくりと、身体中に染み渡らせるように味わう。
するとただの水には違いないのに何故だか仄かに甘く、爽やかに感じるのだ。
ふと顔を上げると朝焼けが寝惚けた顔を洗い流すように優しく照らす。
『酔い覚めの水千両と値が決まり』なんて言うけれど、起き抜けの水も三文の得ぐらいはあるのではないかと思う私であった。
「…というのが私の持論なんですよ」
「『酔い覚めの水千両に値が決まり』か。
『ムショ明けの煙草は女房を質に入れてでも』なんてのもある」
「なんですかムショ明けって。初鰹でしょ、それ」
「そうだっけ?」
鈴奈庵のカウンター越しにどことなくとぼけた会話を彼とするのは半ば日課のようになっていた。
どちらの商売も客が一杯で大わらわ、というタイプのものではないからだ。
彼がお茶菓子や果物なんかを持ち寄り、私がお茶を淹れる。時折、阿求や霊夢さん達が混ざる事もあるが概ねこんな毎日だ。
これでたまには本の一冊でも借りていってくれれば言う事はない。
「ところで今日はこんな物があります」
そう言うと彼は床に置いていたそれを抱えてカウンターの上に載せた。その衝撃で貸本が微かに震える。
ぎゅっと詰まった艶のある緑の玉に、目も覚めるような黒の縦縞。
「西瓜ですか、どうしたんですこれ」
「さっきお客さんがお代替わりに置いていったんだよ。しっかり果肉も詰まってるし結構な物じゃない?」
そう言って彼は西瓜をこつこつと叩いた。
ポンポンと弾むような音が薄暗い店に響く。
涼しくなってきたとはいえ、茹だるような暑さに参っていた私はそのみずみずしい果汁を思い描いて喉を鳴らしてしまう。
「時に小鈴ちゃん、お昼から暇?」
「ええ、まあ。店番は母と交代ですし」
「それは良い。じゃあやろうよ、西瓜割り」
目を輝かせながら私にそう言う彼はどこかやっぱり少年の様だった。
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母親とバトンタッチすると神社に向けて歩き出す。彼が言うには『神社なら人が居ないし、境内も広くて西瓜割りにはお誂え向き』との事だ。
霊夢さんが何と言うか考えていないのが彼らしい。
そう言って彼は西瓜に悪戦苦闘しながら一足先に神社まで行ってしまった。
手土産でも持っていた方が良いかしら、なんてぼーっと歩いていると誰かに肩を叩かれた。
振り返るとそこにはご無沙汰、とにまり笑う眼鏡の人。
「ああ、お久しぶりです。最近余りお見かけしませんで」
「最近は野暮用続きでな。ところでそんなにボケっとしてどうしたんじゃ、転ぶぞい」
私が手短に話すと彼女はひらひらと手を振った。
「ええじゃろ別に。霊夢やお前さんへの、あの阿呆床屋なりの心配かけた詫びだと儂は思うが」
そういうものか、だろうかと首を捻るが、彼は案外回りくどいしなあ。それよりも何で彼が心配かけた事知ってるんだろう。
里の人は彼がいつもの様に気まぐれで閉店したとしか思ってないのに。
訝しむ私に気付いたのか、慌てて取り繕うように彼女が誤魔化す。
「いやまあその…な?それよりどうじゃ、儂も混ぜてくれんかね、その西瓜割り」
「ええ、良いと思いますよ。どうせ三人じゃ食べきれないですし」
旅は道連れ世は情け、美味しいものは皆で食べた方が味や栄養が三割増しなのだ、と彼が言っていたのをふと思い出した。
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相も変わらず馬鹿みたいに長い神社への石段を、この前とは違ってゆっくりと上る。
こんなの毎日上り下りしていたら脚力が強化されてしまう。
いや、霊夢さんとか魔理沙さんは空が飛べるから良いのか。つくづく一般参拝客に優しくない神社だ。耳を澄ませばカナカナカナ…と静かな音が聴こえてくる、まだ日暮れには早いのに。
あんなに騒々しかった油蝉の声も、いつからか
眼鏡のお姉さんもいつもより心持ち静かな気がする。
何時になく厳かな気分で鳥居を潜ると、神社の縁側で市木さんが縁側に座って誰かと話し込んでいる。
「ほお、なかなか珍しい組合せじゃな」
緑のベストに白髪が良く映える少女だった。
彼女の隣になんかふわふわと人魂みたいなのが見えるけど気にしない。ごしごしと目を擦っても消えないけど気にしない。
どうやら彼はその少女から受け取った何かを眺め回しているようだ。
それはやや傾き始めた陽の光を受けて黒く鈍く輝いた。
「ふうん、庭師ってこんな普通の鋏も使うんだね。僕はてっきりあの何か、でっかい鋏で全部やってるものだと思ってたよ」
安定の語彙力不足が炸裂している。言うに事欠いてもでっかい鋏はひどい。
「高枝切鋏の事ですか?あれ案外重くって肩壊しちゃうんですよ。横着せずに脚立を引っ張り出して地道にチョキチョキやっていった方が断然早いですね」
「うーん、胸に沁み入るお言葉。地道にチョキチョキかあ」
彼女も物珍しそうに市木さんの鋏を眺めている。確かベーシックとかいう名前のそれは彼曰く『一番普通で、だからこそ一番使いやすい』らしい。いんぐりっしゅで言えばしんぷるいずべすと。
形は一般的な鋏とさして変わらないが、刃渡りは少々長めの五尺(約16cm)程もある。
これは外でも割と特殊な方らしく彼自身も『暴れ馬』なんだと笑っていた。手の中でブレたり色々難しいからなんだとか。
チャームポイントは柄の部分に小さく付いてる猫の顔の飾りらしい。
私達に気が付いた彼が、よっこいしょ、とジジ臭い掛け声と共に腰を上げる。
「案外早かったね…あれ、眼鏡の人もいる」
「やあ阿呆床屋、西瓜を馳走になるぞい」
阿呆床屋と呼ばれて彼の顔が引き攣る。
何も言い返せないのだろう、そりゃそうだ、本当に阿呆床屋だもの。
拝殿からのっそりとした足取りでげっそりとした顔つきの霊夢さんが出てくる。
さながらこの間外から流れてきた『バイヨハザード』なる異変の攻略本に載っていたゾンビみたいだ。
「ねえ、別にわざわざ割らなくても普通に切って食べればいいんじゃないの?後片付けが面倒なんだけど」
「西瓜を割らない夏なんて夏じゃないよ、そんなのただの暑い春じゃないか」
春・暑い春・秋・冬。考えてもあまりゾッとしない。
無茶苦茶な理屈を述べる彼に霊夢さんは、分かった分かった、と鬱陶しそうに手を振る。
「さっき裏で冷やし始めたばかりだからもう少し待ってもらうわよ、
皮肉混じりに冷やかな目を向ける彼女から、彼はそっと目を逸らす。
さては未遂だな。
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日はまだまだ高いとはいえ、やっぱり少しずつ沈む速度は日に日に速くなっている気がする、いや当然か。
石畳を箒で掃いて、そこに筵を敷く。最後にぎっしり身の詰まってしんと冷えた西瓜を設置すれば、さあいよいよ楽しい西瓜割りのはずなのだが…
「太子様ーっ、出ましたよ西瓜が!我がスパンと一刀両断にしてみせましょうとも!」
「うん、まあほどほどに。あくまで余興だからな、余興」
「余興と言えども勝負事なんですから勝ちにいきますよ。構いませんよね、聖様?」
「それは別に良いけれど、やるのは貴方じゃなくて雲山なんでしょう?」
「妖夢、早く割ってちょうだいねえ。お腹空いたわー」
「というか何で幽々子様が居るんですか。はっ、まさか遅かったから心配して私を迎えに…」
「食べ物の匂いがしたから」
「……」
多い、人が多い。いや人じゃないのも絶対混ざってるけど。
魔理沙さんぐらいならまだしもあれは里のお寺さんに仙人量産道場、その他諸々と大盤振る舞い。それに釣られてか里の人達も集まってきて何やかんやでお祭り騒ぎなのである。
もともと猫の額ほどの境内が輪をかけて狭い。
西瓜一つ割るだけのはずがどうしてこんな騒ぎになってしまったのだろう。
「そういや今日は仙人連中と寺の奴らが、
隣でうんざりとした表情の霊夢さんが呟く。
慰める私に乾いた笑いを向けながら、
「まあこれで少しは参拝客も増えればいいんだけど。これじゃまるで催し物場じゃない」
そんな彼女の嘆きを掻き消すかのように間延びした声が神社を包む。
「それじゃあ今から西瓜割り大会を始めまーす。ルールは簡単、さっき当たり籤を引いた選ばれし四名が順番に西瓜を割るだけ、あんまり多くの人にやってもらうと長くなっちゃうから。まあ目隠しやら何やらはしてもらうけどね」
待ちかねた皆の歓声が響き渡る。
美容師だけあってやっぱり間のとり方が上手いのか、穏やかな調子でも喧騒の隙を縫って言葉を紡いでいる。
たぶん詐欺師とか向いてるタイプ。
「さて栄えあるトップバッターは命蓮寺出身の『雲山』さん。見るからにパワーファイターな彼、西瓜を割るとか通り越してジュースにしてしまうんじゃないかって若干心配ですがどうぞ」
雑な紹介と共に出てきたのは桃色の入道雲。
正確に言えば雲で形作られた老人の顔に、大きな拳が二つ浮いている。
でかい、絶対つよい。私の胴体程もある剛腕から生み出される一撃は市木さんを木っ端微塵に爆発四散させられるだろう。
いつの間にか西瓜と彼が入れ替わっていたけど、まあいいや。
西瓜を囲むように遠巻きに円になった私達がさらに一歩距離を取る。
市木さんから渡された白い鉢巻を彼が巻こうとするが、するが巻けない。
長さが、太さが足りないのだ。目にうどんを貼り付けてるようにしか見えない。
何回やってもぽてっと落ちる鉢巻を持って、困り顔で二人は顔を見合わせている。
「…失格ゥゥ!」
どないしよ、とぶつぶつ呟いていた彼がやけくそで怒鳴った。観衆からの怒号も凄い。
なんとも締まらない結末だ、漫才やってるんじゃないんだから。
桃色の入道雲さんは切なげな表情を浮かべながら人だかりに戻っていく。寺の人達に冷たい目を向けられているその背中には哀愁が漂っていた。
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「気を取り直してお次は太子大好き『物部布都』さん。弱小妖怪とは比べ物にならない仙人パワーで粉砕するぞ、との事だけど西瓜は普通に割ってね」
紹介に応えて白装束に身を包んだ少女が飛び出してきた。頭に乗った烏帽子の主張が強い。
「はっはっはっは、まだ残っている二人には悪いがここで西瓜は我がパッカーンじゃ!さっさと鉢巻と棒をよこすがいい」
彼女が威勢の良い声と共に鉢巻で目を覆うと、
「それじゃこの棒を軸にして十回ぐらい回ってくれる?…ああそうそう、そんな感じ」
勢い余ってニ十回ぐらい余計に回ると、彼女はふらつきながら一目散に駆け出した。
…西瓜とは反対方向に。
知ってか知らずか、ちょうどその先には仙人のお歴々が嫌な予感に顔を引き攣らせている。
「違う違う、西瓜は向こうだ!」
そう言った全体的に薄緑の大根脚(直喩)少女の脳天に重い一撃が振り下ろされる。
割ったのは西瓜ではなく、もろに食らってピクピクと痙攣している彼女の頭であった。
「よっしゃー、手応えあり……ってなんだ屠自古か。まあ緑だし西瓜のような物か」
目隠しを外してつまらなさそうに言い放つ彼女が突如、轟音と共に光り輝く。
気付いた時には黒焦げになって気絶している彼女の姿があった、クワバラクワバラ。
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「不慮の事故で約二名の負傷者が出てしまったけどどんどん行こうか。続きましては白玉楼の庭師『魂魄妖夢』さん、なんか色々切れるらしいぞ、かっこいいね」
どんどん紹介が感情論になってきている。
さっきの緑のベストの少女が手慣れた手付きで鉢巻を巻くとくるくる回った。
仙人でさえふらついていたのにその立ち姿はとても綺麗だ、迷いがない。やっと西瓜割りらしくなってきた。
じりじりと摺り足で進む彼女に、
「もうちょい前ー」
「左、左だぞ!」
「おい布都、嘘教えるんじゃないよ」
「一歩下がった方が良いんじゃない?」
「ちくわ大明神」
周りからの野次が飛ぶ。的を射ているものもあれば丸っきり出鱈目なものもある。
これを如何に取捨選択するかが西瓜割りの醍醐味なのだ。
しかし彼女はそのどれをも意に介さず、着々と西瓜へと歩みを進める。遂に射程範囲内に西瓜が収まってしまった。おもむろに棒を振り上げると、チェストー、という掛け声と共に唸りを上げて振り下ろされた。
市木さんがその辺で拾ってきたただの棒とは思えない程のしなりと威力が何の罪もない西瓜を襲う、まさにその時、
「妖夢、もう少し右ー」
水色の着物に身を包んだぽやぽやした女性の声に釣られてその一撃は虚しく空を切った。
勢い余ってすっ転んでしまった彼女が恨めしそうに、
「幽々子様、出鱈目言わないで下さいよ!ああ、あと少しだったのに…」
「だって妖夢ったら全然粋じゃないんだもの、こういうのはもっと楽しく肩の力を抜いてやるものよ」
屈託のない笑顔に妖夢なる人は溜め息で答えた。とぼけた人が近くにいると苦労するのはなんだかよく分かる。
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「さてさて宴もたけなわではございますが、じゃないや、楽しい楽しい西瓜割りもいよいよ最後の挑戦者。鈴奈庵の看板娘小鈴ちゃ…『本居小鈴』さん、そろそろビシッと決めて欲しいなあ」
そう、四人目とは何の因果か私であった。
こんな下らない所で運を使いたくはなかった、とは口にも出せず渋々人だかりの中から出ていく。
彼はもたもたしている私に鉢巻を巻くと、そっと棒を私の手に握らせる。
────頑張って。
え、と聞き返そうとする私の背中を彼が優しく押した。
墨で塗り潰したような暗闇が視界を覆う中、何とかバランスを取る。無闇矢鱈に歩き回るも、前も後ろも分からないような状況の中で頼れるのは聴覚だけ。
──ああ、反対反対!
へっぴり腰になってるぞい!──
──左、左じゃぞ!
だからお前嘘つくなって!──
訂正します、頼れるものは何もない。
四方八方から聴こえてくる野次は当てになるのかならないのか、そもそも私は西瓜と向き合えているのか、いくら私の頭が高性能なすーぱーこんぴゅーた並みとはいえ、流石にきゃぱおーばーで煙が出そうだ。
ええい、もうこうなったら当たって砕けろ、砕けるのが西瓜か、それとも誰かの頭なのかは神のみぞ知る。
そんな思いで振り下ろそうとした時、
「あっ、UFO」
市木さんの何の脈絡もない未確認飛行物体報告にガクッと力が抜ける。逆にそれが良かったのか、驚いた事に私の一撃は確かに西瓜を捉えた感触をこの手に伝えた。
ぽすっ、と軽い音がする。辺りが静まり返る。
まさか私の剛腕が西瓜を爆発四散させてしまったのでは、と不安を抱きながら鉢巻を恐る恐る解くと──
割れてない。というかひびすら入ってない。
きょとんとしている私の顔を見て彼が、これじゃあ西瓜叩きだね、とからからと笑った。
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星明りが未だ喧騒の止まぬ神社を照らす中、
私達は神社の石段に腰掛けてそれぞれ楊枝に突き刺さった西瓜を眺めていた。
「…分かってたけど小さいねえ」
「まああれだけの人数に配ろうと思えばしょうがないですよ」
ぼやく市木さんの手に残ったのはサイコロ状に切られたちっぽけな一欠片。
ちなみに私は四人の中では一番マシだった、という事で一切れ丸ごと頂いた、やっぱり私は凄いのだ。
にゃーん、と気だるげに鳴きながら夜に紛れて黒猫がのっそりと上ってきた。最近ご無沙汰、ほっぺが可愛いしらたまくんだ。
市木さんは不思議そうにどうしてここが分かったんだろう、と首を傾げていたが、
「まあいいや。しらたまくんも喉が乾いたろう、さあ僕の貴重な西瓜をお食べ」
なんて未練たらたらに楊枝ごと放り投げる。
うにゃうにゃ言いながら格闘しているしらたまくんを横目に彼は大きな欠伸を一つした。
少し考えてから私は手にした西瓜にかぶりつくと、半分ほどになったそれを彼に差し出す。
「私、真ん中の方あんまり好きじゃないんですよね。捨てるのも勿体無いからあげますよ」
「えー?寧ろ西瓜って真ん中が一番甘いと思うんだけど。まあお言葉に甘えるとしますか」
幸せそうな顔で口を動かす彼の頬に黒い種がくっついているのを見るとなぜだか笑いが込み上げて、止まらなくなった。
それを無気味そうに眺める彼に、
「ああお腹痛い、ねえ市木さん」
「何?西瓜返せってんならもう聞けないなあ」
「違いますよ……また来年もやりたいなあって。今度は阿求や他の人達も誘って」
「…楽しかった?」
「ええ、そりゃもう。確かに夏って感じがしましたよ。西瓜割らない夏なんて夏じゃない、って屁理屈が悪くはないかも、なんて思うぐらいには」
「それじゃあ秋は焼き芋大会でもやろうか、芋を焼かない秋なんて秋じゃないからね。それで冬は…」
「蜜柑を剥かない冬なんて冬じゃない、とか?」
私と彼の馬鹿笑いが夜空に流星のようにかき消えていく。こんな時間もいつか懐かしく思い返すだけの想い出になってしまうのだろうか。
ふと隣を見ると彼がぼんやりとどこともなしに空を見つめている。
彼がそうやって夜空を眺めている所はよく目にしていた。感傷に浸っているのか、自分の境遇を憂えているのか、それとも明日の朝餉の内容でも考えているのか知らないが。
何考えてるんですか、と聞いてみると彼は苦笑混じりに嘯いた。
────夜のほころびを探してるんだ。運が良ければこじ開けられて、その先に行けるような。
どういう意味なのか、と私が尋ねる。
「好きな作家の受け売りなんだけどね。この夜空のずっと先に、朝も夜も越えたその先に、もしかしたら自分が生きてきたその意味があるんじゃないかって」
「よく分かんないなあ、夜の先には朝があるんじゃないんですか?」
「だよねえ。いい歳こいてこんな事ばっかり言ってるんじゃやりきれないな」
そこにヌッと霊夢さんが顔を出す。暗闇からやつれた表情で出てくる様子は妖怪にも引けを取らない無気味さをたたえている。
「あんた達ったらこんな所にいたのね。来なさい、あいつらがあの気狂い外来人を呼んでこいって煩いのよ」
それを聞いた彼は、逃げようか、とそっと私に耳打ちする。まるで夏休みの宿題から逃げる少年のように、無邪気さを滲ませて。
いちにのさんで一斉に石段から駆け下りる。
聞こえてくる彼女の怒声を背中に受けながら、
私と彼としらたまくんは深い夜に哄笑を溶かして走る。
隣でくしゃみをしている彼を見て、私も少しだけ、ほんの少しだけ見てみたいと思った。
一応ここで一区切り。
活動報告に次章予告があるのでよければ是非。