本の虫と髪切り虫のお話 作:てる
キャラやキーワードなんかはまだまだ随時受け付けているので活動報告や感想欄にでもぽんぽん放り込んで頂いて構いません。
寧ろ下さい。
#8 柿くへばのお話
今日できる事は明日やる。
市木さんの口癖だ。別に勝手にしてくれ、と言いたいけれども貸本を期限いっぱいまで頑なに返さないのは本当に止めて欲しい。
今日できる事は昨日やれ。
そんな切ない思いはいつまでたっても届かず、何度目かの催促の為に私は彼の店を訪れていた。
開口一番いい加減にしろ、と怒鳴ろうとした私に、鏡の前の布張りの椅子に座ってくるくると回りながら、どうこれ、と市木さんが誇らしげにひび割れた鉢植えを見せびらかす。両手に丁度収まるくらいのそれには小さな芽が頼りなげに揺れている。
毒気を抜かれた私が、
「どうって言われても。大体なんなんですか、それ」
「柿、それは秋の味覚」
「柿って鉢植えで育てる物じゃないと思うんですけど」
「八百屋の御隠居さんがお代替わりにくれたんだよ、『これはそのうち美味しい柿が成る素晴らしい鉢植えじゃ』とか言って」
この人いっつもお代替わりに何か貰ってるな、現金収入はあるのだろうか。
「大体その鉢植えぼろぼろじゃないですか。あっ分かった、もう要らなくなったのを体よく押し付けられたんですよ」
「ちょっと待った、それじゃ僕が猿蟹合戦の蟹みたいじゃないか」
「鋏も持ってるし似たようなものでしょ、こうして市木さんは意地悪じいさんに貴重な労働と柿の種を交換させられてしまうのだった」
「変なナレーションを付けるのは止めなさい」
柿見れば 腹が減るなり 命蓮寺、などと彼が愚にも付かない俳句を詠んでいると、扉に付けられた鈴が来客を知らせる。
勝手知ったるという様子でずかずか入ってくるのは文さんだった。相も変わらず人里でネタ集めに励んでいるのだろう。
新聞記者の突然の登場に彼の顔が歪む。
何やら最近彼女のせいで悩みがあるんだとか、まあ知ったこっちゃないが。
彼女は特に悪びれた様子も無く、長椅子に腰掛けた。
ん?お茶の一つも出ないんですか、と言わんばかりに屈託のない笑顔を向けられて彼は渋々お台所に向かった。
その背中に私も紅茶一つ、と注文をぶつけてから文さんに尋ねる。
「今日は一体どんな御用で?そう言えば彼、文さんに嵌められたってぼやいてたんですが」
「人聞きが悪いですねえ、今日は取引に来たんですよ。それもとびきり美味しい話を」
猫の柄が可愛いティーカップに紅茶をとぽとぽと注ぎながら彼が茶々を入れる。各々がカウンターなり長椅子なりに腰を下ろすと、文さんは檸檬、私は牛乳、彼は醤油をそれぞれ紅茶に垂らす。
やっぱり味蕾が腐っているんじゃなかろうか。
「美味しい話なら文さんが独り占めすれば良いじゃない、ただでさえ最近君のせいで忙しいんだから」
「有難うございます…熱っ。ふーふー、いやあ商売繁盛に貢献できて私も嬉しい限りですよ」
負けました、とでも言うように彼は紅茶を煽ると続きを促した。どうせ面倒事に巻き込まれるならなるべく早く済ませた方が良いと気付いたに違いない。
「実は今『天狗の職業体験』と題した記事を考えてるんですけどね、うちの下っ端を一人
彼が紅茶を噴き出す。汚いなあ、と私達が向ける侮蔑の視線も意に介さず訴えた。
「冗談きついって、こないだ魔理沙ちゃんになんて言われたか知ってるかい?お前の店は人の客より妖怪の客が多い『妖怪床屋』だってさ、ぼかあ悔しくって涙が出たね」
断固お断りと言う意思表示なのか腕を胸の前で交差させている。私はというと、この床屋で顔も見た事のない新人店員が働いている姿を想像しようとしてみたがやっぱり上手くまとまらない。
そこをなんとか、そうはいくか、と押し問答を二人が続けているうちに再び鈴が来客を告げる。
秋を感じさせる甘い風と共に颯爽と店に入ってきたのは、だぼっと袖の膨らんだ黄色い上着に橙色のエプロンの少女が一人。
その後ろを赤から裾にかけて黄色に色が移り変わる独特なロングスカートの少女が一人ついてくる。
双子だろうかよく似てるなあ、なんて間抜けな感想しか出てこない私を差し置いて、彼は先程とは打って変わってにこやかに二人に声をかける。こういう所はそれなりにちゃんとしているのはずるいと思う。
「いらっしゃい、二人共かな?ちょいと待っててね、今片付けるから。その間にどちらから始めるかでも決めといてよ」
言うなり彼が文さんと私のティーカップをひったくる。ああ、まだ飲み終わってなかったのに。
不貞腐れながらも私は布張りの椅子の高さを調節し、上半身がすっぽり入るような大きな鏡に掛けられた覆いを取る。
ずいぶん手慣れたものだ、と自分でも感心する。鈴奈庵が潰れたら床屋さんでも始めてみようかしら。いやいや洒落にならない事は考えまい。
順番決めのつもりなのか彼女達はしきりにじゃんけんを繰り返しているが全く勝負がつかない。やる事もなしにそれを眺めていると、どうやら話がまとまったようだ。
「じゃあお姉ちゃん、お先に失礼」
どことなく甘い匂いを漂わせる少女の見せる勝ち誇ったような顔つきに、お姉ちゃんと呼ばれた彼女はやれやれと呆れながらも慈愛に満ちた表情を向ける。
そういえばさっきから何故だか文さんが静かだ、商売の邪魔になるとかそんな事気にするタイプじゃないのに。キャスケット帽を目深に被ってまるで誰かの目を気にしているかのようにどこか落ち着きがない。
「あの、『文々。新聞を見て来た』って言えばお代に手心を加えてもらえるとかどうとか聞いたんだけれど」
彼が準備万端と言わんばかりに鋏を掌でくるくると回しながら、妹と思しき人を鏡の前の椅子に座らせた時に不安そうに彼女が尋ねる。
それを聞いて彼の手がピタリと止まる。
市木さんの記事は人里には出回っていない、という事は必然この人達は……それ以前に料金不定の店に手心を加えるも何もないのは言わずが花。
「ねえ文さん、もう記事云々は諦めた訳よ。妖怪さんだろうが何だろうがお客さんが来てくれるのは嬉しいし。けどさ、この謎の割引告知は止めてよ、勘定の時にいっつも説明に困るんだから」
恐らく文さんに嵌められた、というのはこの事だろう。
もはや人ではない者がお客さんという事実は既に彼には些細な事であるようだ。妖怪床屋の主人として箔が付いてきて私も鼻が高い。
恨めしそうに見つめてくる彼を、文さんが突然一喝した。
「妖怪とは何事ですか、この不届き者!」
「え」
「ここにおわしますは幻想郷の四季の一つ、秋を司る神様が二柱、秋静葉様と秋穣子様ですよ、控えおろう!」
「え」
彼はきょとんとした顔つきで彼女達に向き直ると「神様?」と一言。
彼女達もおずおずと「神様」と一言頷く。
トドメと言わんばかりに文さんがお茶も出ないのか、と怒鳴ると、えらいこっちゃ、と動転しながら再び台所に引き上げて行った。
危機一髪という顔で額の汗を拭う文さんに静葉と呼ばれた女性が、
「誰かと思えば文だったのね、それにしてもちょっと誇大広告じゃない?」
「まあ大体合ってるじゃないですか、少々力押しが過ぎた気はしますけど。いやあ危なかった」
へえ、秋の神様。道理で美味しそうな匂いがした訳だ、お芋が食べたい。
騒々しい音を立てながら彼がティーポットとカップを二つ携えて戻ってくる……あのお盆に乗っているのは私が大好きな水羊羹ではないか。
隠していたとは許し難い。
どうぞどうぞと菓子を勧めるその手はぷるぷると震えている。天狗が取材に来ると言っただけで一晩眠れなかった彼である、ましてや神様が店にいらっしゃるとは感無量なのだろう。
要するに珍しい人が好きなだけ。
「それで本日は如何しましょうか?その辺の雑誌から気に入ったものを選んでもらっても良いし、ふわっとしたイメージでも充分ですけど」
雑誌棚を指差す彼に、うーんと考え込む二人。
熟考の結果、静葉さんは雑誌から『大人綺麗な小顔見せボブ』、穣子さんは『何でも良いから可愛いやつ』とのお達しだ。
彼は何時になく快活な返事で応じると先に静葉さんの方を椅子に座らせた。
私のほうが先だったのに、と口を尖らせる穣子さんを見て彼が「接待しててよ」とそっと耳打ちしてくる。
接待って何をすれば良いのか、とりあえずいつの間にか水羊羹に前足を伸ばしていたしらたまくんに足払いをかける。貴様にこれはもったいない。
穣子さんは長椅子に腰掛けてしばらく彼が鋏でちょきちょきやっている所を眺めていたが、
無造作に置いてある鉢植えに目を向けた。
「ねえ、これって柿かしら?」
不意に話しかけられて面食らう。
「え、あ、はい。なんか貰い物らしいんですけど、彼は秋の味覚だって喜んでました」
「桃栗三年柿八年、暢気な事で羨ましいわ」
まだ芽のそれを見て彼女は幼子の様にくすくすと笑った。神様ってのはもっとこう、威厳ましましな感じだと思ってたけれど案外接しやすいのかも。
彼はと言えば静葉さんにぺらぺら話しかけている。普段へらへらしてるのに。
「神様って普段どんな事してるんですか?人のお願い事聞いたりとか?」
「えっと紅葉させたりとか…寧ろそれが本業で」
「紅葉!?凄いなあ、あの綺麗なのをお一人でやってるんですか。いや僕もね、以前紅葉をモチーフにした髪型を開発しようとしたんですけど、実際に観に行くとこりゃ僕には無理だって圧倒されちゃって。自然の芸術には敵いませんわ、後でサイン貰えます?」
興奮を隠しきれずに早口で喋りながらもその手は一切スピードを落とさない。
カット自体は終了したのか、鏡の横に備え付けてある棚から小さな薬壺の様な物を取り出す。
彼はそれを少し取って静葉さんの髪になじませ始めた。
『わっくす』とか言うそれは髪に立体感を持たせるのに重宝するそうだ。薬売りさんと何度も膝を突き合わせて交渉し、何とか作ってもらったらしい。
頬を包み込むように毛先まで軽やかに形作っていく指はまるでステップを踏む踊り子の様で、ついつい見惚れてしまう。
軽く手櫛が入った立体感のあるその髪型は、来店した時よりも静葉さんを何処と無く垢抜けて見せた。
彼女の華奢な首元や背中を小さな箒で払うと、己の業を確かめるように彼は目を細めた。
「よし、お疲れ様。じゃあ次いこうか」
そう言って静葉さんに穣子さんと交代するよう促した瞬間、突如耳を塞ぎたくなるような甲高い金属音が響いた。
何事、と音の正体を探ると床に落ちているのは彼の自慢の鋏。
気を付けて欲しいなあ一応刃物なんだから、と呆れながらもそれを拾って渡そうとした時、彼が咄嗟に左手を隠したのが目に入る。
抑えきれないのか小刻みに痙攣するその手は、どう見ても只事では無く、アルコール中毒者の振戦を思わせた。
「どうしたんですか、それ!?」
「…何でもないよ。最近働き過ぎたのか知らないけど、持病の腱鞘炎が酷くってね」
力無く笑いながら着流しからすらりと伸びる左手を宥めるように
美容師の大敵は腱鞘炎だって本にも書いていたが、これではまるで重病人ではないか。
早急に休暇を取らせねば。
そんな私の密かな決意も知らずに、彼は落ち着いた腕をぶんぶん振り回すと、やるぞー、と吠えた。
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穣子さんを椅子に座らせたのはいいものの、彼女の顔はどこか引き攣っている。
まあしょうがないだろう、私だって髪を切られている時に急に痙攣を起こされたらたまったものじゃない。
それを気にした様子もなく、色んな角度から彼女を眺めて何やら思案しているようだ。
「こんな髪型にしてくれ、ってイメージが固まってる人は確かに楽だけどね。僕は一任してもらうのも嫌いじゃない。寧ろ嬉しいんだ、なんか信用してもらってるみたいじゃない」
以前、近所の子供達を相手にした時『かっこいいやつー!』、『女の子にもてるようなの!』などと抽象的表現が限界突破している注文に彼は目を回しながらも、私に笑ってそう言った。
何時になく真面目な顔をしながら、彼は一つ一つ手探りで確かめるように髪に鋏を入れる。
槌と蚤を振るう彫刻家のように、絵具の微妙な色具合一つに固執する画家のように。
何処と無く厳かな雰囲気が漂うのは、相手が神様だからだろうか。神を讃える芸術家は案外彼のような人間だったのかもしれない。
元々のふんわりとしたボブに容赦無く鋏を入れながら、首元までばっさりと髪を落とす。
毛先をさらに小さな鋏で弄って、櫛で丁寧に梳かすと秋の涼やかなイメージにぴったりの爽やかな髪型へと大変身。
最後にワックスで軽く立体感を付けて完成。
無造作に跳ねた毛先がさっぱりとした髪にふわふわ感を両立させている。
手持ち鏡を駆使して後ろの方も見せながら、
「こんな感じでどうでしょう?」
「わあ、素敵!似合ってるかしら?」
毛先におっかなびっくり触れる彼女に、彼は笑いながらただ一言、
「その為に僕は鋏を握ってるんですよ」
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「「料金未定!?」」
彼女達の伸びやかなソプラノが髪切り虫の床屋に響く。初見の人は大体この反応だ、まあ当然でしょう。
目をぱちくりさせる彼女達に彼は、
「強いて言うならサイン下さい、飾るんで」
色紙と筆を差し出しながらにこにこと微笑む彼に、怪訝そうな目を向けながらもサインをしてくれる所は流石に神様。
「お金とか、欲しくないの?」
「金を積んでも神様とおしゃべりなんか出来るもんじゃないし、これで充分幸せですよ」
沁み沁みと語る彼に甚く感動したのか、ギュッと握手する三人。友情って素晴らしいなあ。
彼女達は礼を述べながら、手を振り振り店を出て行った。
思えばもう秋、あの二人もこれから引っ張りだこなのだろう。
緊張の糸が切れたのか、カウンターの椅子に彼はぽすっと倒れ込んだ。
なんだかとっても騒々しい一日だったなあ。
ねえ、文さんと彼がぽつりと呟く。
「はい、何でしょう?」
「さっきのね、店に天狗を置かせて欲しいって奴、やっぱり受けるよ」
「え、はい……有り難いんですけど、一体どういう心変わりで?」
「『美容師心と秋の空』って訳じゃないけど、今日みたいにお客さんを待たせるのは余り褒められた事じゃないからね。戦力が欲しくなったんですよ」
疲れ切った、という顔でぽつりぽつりと言葉を紡ぐ彼に文さんは胸をどんと叩いて、
「ええ、任せて下さい!とっておきの人材を派遣しましょうとも!」
それを聞くと彼は薄く口を歪めて、
「じゃあ前祝いだ、鍋やろう鍋。小鈴ちゃん、猪肉買ってきてくれない?」
「牡丹鍋ですか?石狩鍋にしましょうよ、今日は魚の気分で」
「そう言えば部下に良い冬瓜を貰ったんですよ、ちょっと持ってきましょう」
「本当?次いでにお酒も買ってきて貰えないかな、天狗酒に憧れてたんだ」
「あれは人には無理ですってば」
かくして騒がしくも髪切り虫の床屋、初秋の夜は過ぎていくのであった。やっぱり鍋は皆でつつくに限る。
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翌朝、すやすやと眠る私の耳にこつこつと扉を叩く音が入ってくる。煩いなあ、まだ朝なのにと目を擦りながら開けると鈴奈庵の前に立っているのは市木さん。
「何ですか、朝っぱらから。昨夜の疲れがまだ抜けてないんですけど」
「これ見てよ、これ」
彼が抱えていたのはあのひび割れた鉢植え。
一目見てその異様な変化に気が付く、芽だった筈の柿が小さいながらも立派な幹に葉を付けている。
どう考えても一晩でこんなに育つ訳がない、あの穣子さんも『桃栗三年柿八年』と笑っていたではないか。いや、もしや……
「よく見たら実まで成ってるんだよ、柿の生長力って凄いね」
そう言って彼はからからと笑うと、小ぢんまりとした実をもいで私に差し出した。
「まあお裾分けといこうか、今年最速の柿のお味は如何に」
「食べて大丈夫なんですか、これ」
平気平気と言いながら彼がぽいっと口の中に放り込むのを見て、躊躇いながらも口に入れる。もぐもぐと口を動かして彼は一言、
「…渋柿だ、これ」
秋の訪れを祝ってか、はたまたぺっぺっと柿の渋さに顔を歪める私達を嘲笑ってか、どこからともなくしらたまくんの鳴き声が聴こえてきた。