ハルオ「動けメカゴジラ」   作:蚕豆かいこ

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地球(ほし)を継ぐもの

 ハルオたちは、一様に天を仰いだまま、凍りついたように凝然(ぎょうぜん)と硬直するほかなかった。

 青く霞む大空を、光輝あふれる金色(こんじき)が覆いつくす。

 ハルオたちのいる旧静岡県側の黒河内岳(くろごうちだけ)中腹から見て、南の海風を遮るように横たわる真富士山(まふじやま)青笹山(あおざさやま)といった屏風のような山々のさらに向こう、太平洋の水平線のかなたから伸びる、3本の長い首が、別々の生き物のように動く。それぞれの頂きにある龍にも似た頭部が、王冠のごとく何本も屹立した角を振りかざす。2つずつ嵌まった眼には、捕食者の欲望が恒星のごとく赫々(かっかく)と燃える。

 尋常でない大きさのために、地上のハルオたちには、数億の星霜を(けみ)してきたであろうことが容易に理解できてしまう3つの荘重な頭部以外、その全容を掴むことはできない。3本の首の根本である胴体は東南アジア全域から陽光の恵みを奪い、右の翼は西太平洋を、左翼は旧中国から旧インドを覆って、地球の表面積の半分におのれの巨影を落としていた。2本の尾は太平洋と南極大陸の上空を南北に縦断して、先端は南米大陸南端の空にまで届く。

 その全身がくまなく黄金に輝き、さながら天があまねく燃えているかのようで、冒しがたい神々しささえあった。

「これが、ギドラ……!」

 物言わぬユウコの体を抱きかかえたまま、黄金色(こがねいろ)に輝く空という、この世の終わりを告げるにふさわしい壮麗無比な光景を前に、ハルオは畏怖と恐怖に肺が押しつぶされ、呼吸すらままならない。常識はずれという表現すら陳腐に思えるほどの巨大さだった。

 ハルオのそばに佇む神官メトフィエスが、なにかに思い至って彫像のような横顔をしかめる。

「そうか。タウeも、おまえの糧となっていたのか」

 ハルオらはメトフィエスに目を動かした。くじら座タウ恒星系第4惑星e。地球に近似した環境をもつゴルディロックス惑星と目され、ゴジラによって母星を捨てざるをえなかった人類の新天地となるはずだった星。

 だが、ハルオたちを乗せた恒星間移民船アラトラム号が20年かけてたどりついたそこは、重力も気温も大気組成も、地球とはまるで違う、どんな極限環境微生物さえも生存の芽がない荒涼たる地獄の惑星だった。

 なぜ、ビルサルドやエクシフの優れた科学力も借りた予測と大きく異なる結果となったのか。おそらくは、地球からタウeを最後に観測してからアラトラム号が到着するまでのあいだに、ギドラによって滅ぼされたのだ。11.9光年という距離を考慮すれば、地球人類が“約束の地”として白羽の矢を立てたときには、タウ星eはすでに生命を育む星ではなくなっていた可能性さえある。

 震動。富士山麓のゴジラが九天(きゅうてん)を支配する黄金の三つ首龍を睨む。深い淵のような眼は、人類と相対(あいたい)していたときとは比較にならない憤怒の坩堝(るつぼ)となっていた。大樹を束ねたような強靭な足を踏みしめる。長さ1キロ近い尾を叩きつけ、体高300メートル超という自らの巨体を大地に固定。

 その背びれに、雷光として視認できるほどの高電圧が走る。

「まさか……あいつとやり合う気か」

 高台で遠望するマーティンの顔には信じられないという色があった。ハルオも同感だった。いくらゴジラが規格外の怪獣とはいえスケールが違いすぎる。

 人類の思惑など関係なく、ゴジラの(ひいらぎ)の葉のような鋭利な背びれ群で荒れ狂う紫電は光度と勢いを増していく。

 ゴジラの瞳孔が憤怒に細く収縮。

 次の瞬間、青みを帯びた、目もくらむような閃光が、ゴジラから発せられた。

 本来、大気中では荷電粒子はたちまち分散してしまう。水中で水鉄砲を撃ったときのようなものだ。地球上で荷電粒子ビームという水鉄砲を発射するには、大気という水を克服する技術が必須となる。

 ゴジラはその物理的難題を、3テラワットという途方もない膨大な電力による超高電圧で、強引に大気を貫通するという力業で解決していた。単純だが、実現可能であればこれ以上に有効な方法はない。この高加速荷電粒子ビーム……熱線によって、ゴジラはかつて全世界の大都市をことごとく灰塵に帰し、あすを信じて立ち向かった人間たちを細胞すら残さず全滅させてきたのだ。

 その破壊の光が、限界まで引き絞られた矢のようにわき目もふらず、大気圏外のギドラを目指す。空気の存在できる高度から真空の宇宙空間へ瞬間的に飛び出した熱線は、たがわず黄金龍の中央の首なかばへ突き刺さった。

 だが、熱線の放出が終わってからも、ギドラの動向にはなんらの変化も見られない。

 ゴジラが喉からうめきを漏らす。

 その300メートルの巨魁(きょかい)から陽炎が昇る。とくに熱上昇の著しい部分は赤熱して輝く。漆黒の魔獣に燃え盛る炎のような紋様が加わる。背びれで真紅の電光が激しく荒れ狂うさまは、紅蓮の業火そのものだった。

「ゴジラを中心に、周辺の空間ならびに地表面の温度が急上昇!」

 ジョシュ・エマーソン少尉が端末で観測して叫んだ。

「メカゴジラを倒した、あれをやるのか。まだそんなエネルギーが残っているとは」

 マーティンの声にはゴジラへの畏怖とともに希望もわずかながら含有されていた。メカゴジラを、1億トンのナノメタルを完全焼却した無限赤色渦流(インフィニット)熱線なら、あるいは……。ハルオも我知らず拳を握る。

 背びれの赤い発光が最高潮に達して、ゴジラの周囲に展開。それが鼻先の一点に凝集する。

 天が二つに割れた。

 紅炎(プロミネンス)のような渦を巻いた真緋(あけ)の熱線が、黄金の空へ向かって一直線に(はし)り、ギドラの中央の首元へ吸い込まれていく。地上からでも金の体表面で爆発が起きたことはかろうじて目視できた。見かけ上は小指の爪ほどもない爆発だが、小さな島なら跡形もなく消し飛ぶほどの規模だった。

 それだけだった。

 月をも凌駕する体積を誇るギドラにとって、島を吹き飛ばす程度の攻撃など、人間なら蚊に刺されたよりも些事にすぎない。

 ギドラが、ようやくゴジラに気づいたように3本の首をめぐらせる。

 ゴジラが吼える。赤熱が急速に退色していく。

 3つあるギドラの頭部のうち、向かって左の龍が(あぎと)をひらく。舌はない。10万キロの距離を隔ててもなお、鋭い牙の並びがみてとれる。

 ハルオは脊髄に液体窒素をそそぎこまれたような錯覚をおぼえた。それがなんという名の感情なのか自分でもわからなかった。思考を放棄して膝を屈し、ひたすらに平伏して許しを請いたくなる誘惑が、強烈な衝動となってハルオの五体を襲ったのである。現に地球人のなかには、無意識にか手を組み合わせて呆然としているものすらいる。自分たちを屈伏させんとしているその感情こそ、原初の時代に無力な塵芥(ちりあくた)でしかなかった人類が、森羅万象を統べる超越的な存在――神へ捧げた祈りとおなじものであるとは、ハルオは知らない。

 開かれたギドラの口内に、第二の太陽のような閃きが灯った。

 爆光。

 天よりふりそそいだ凄まじい雷霆(らいてい)が、神に歯向かうゴジラを天罰のごとくに打ち据える。ゴジラを中心とした半径10キロの地表は瞬時に蒸発。その外周部では地殻が断裂して数キロ単位の破片となり、巨船が沈没する寸前に舳先が持ち上がるように聳立(しょうりつ)する。

 光に遅れて、衝撃波と爆轟が狂える圧力となって吹き荒れる。爆風ではなく極大の音波がハルオたちにまで及んだ。余波にすぎないにもかかわらず、内臓を震動させられてのたうちながら嘔吐している地球人もいた。ハルオやマーティンは、頭が内側から破裂してしまいそうな激烈な頭痛に叫び、膝からくずおれた。

「ゴジラは……」

 あまりの激痛に視界に原色が飛び交うなか、ヘルメットにつつまれた頭を両手で押さえながら、ハルオは死力を振り絞って前方へと顔を上げる。

 風景が一変していた。

 富士の麓に一面ひろがっていた原野は、目測で直径20キロ、深さ数キロという擂り鉢状にえぐられていた。元よりゴジラとメカゴジラとの戦いで天災のあとのように荒れ果てていた裾野だったが、その痕跡すらもない。圧倒的な破滅の光景に言葉を失う。

 絶叫。アダム少尉が意味をなさない悲鳴をあげながら、ヘルメットに包まれたみずからの頭を引っかきまわしていた。涙とよだれと鼻水を垂れ流し、瞳孔が左右で別々に動いている。マーティンが抱きしめてなだめるがアダムは幼児に退行したように泣き叫ぶばかりだ。だれもアダムの醜態を責められなかった。抱き留めるマーティンも、青くなった唇が震えていた。

「あれは、ゴジラどころの脅威じゃない……!」

 マーティンとまったくおなじ思いをハルオも抱いた。どれだけの楽観主義者であっても、ギドラが人類のためにゴジラを倒しにはるばる宇宙から駆けつけた救世主だとは、とうてい考えられまい。ゴジラが倒れたときが地球の滅亡するときだ。この場にいる全員がそう直感させられていた。

 巨大隕石の衝突痕のような擂り鉢の中心で、動くものがあった。長い尻尾が振るわれる。ゴジラだ。生きていた。しかしその挙動は満身創痍のように弱々しい。立ち上がることさえ精いっぱいとハルオには映った。

「ゴジラには、150発の核弾頭も完全に防いだ非対称性透過シールドがあるはずだ。なぜ傷を負っている」

 ジョシュが機器を操作し、愕然となる。

「ギドラの攻撃のさい、ゴジラを中心に半径5000メートルの範囲で、最大2の10の11乗Gの重力加速度を検知。ありえません!」

「そうか、引力か」

 マーティンの目が見開かれる。

「角運動量が2で質量も電荷もない寿命無限大の重力子を集束し、重力波を媒介として重力相互作用を発生させれば、対象は中性子星なみの重力加速度で急激に引っ張られるため、イオン間相互作用に水素結合、双極子相互作用に中性原子や分子の凝縮力を分断されて、分子レベルで分解してしまう。重力波という振動は真空だろうが大気中だろうが関係なく空間自体を媒介にして光速で進む。重力波そのものは目に見えないが、光子の流れが重力との相互作用で曲げられることによって、われわれにはまるで通過する空間が稲妻のように輝いて見えることになる。さしずめ」マーティンは苦い顔のままだった。「――引力光線、とでもいうべきか」

 質量をもつ物体が存在するだけでその空間に歪みが生じる。水の上にアメンボがいるとその脚が接している水面が歪む。アメンボが動くと波紋が広がっていく。これとおなじように物体が運動すると時空の歪みが宇宙空間へ波となって影響を及ぼす。ただし重力は質量に比例する。観測できるほどの重力波は、中性子星や白色矮星などのように極めて重い星が連星をなしてワルツを踊るような加速度運動をするか、それらが衝突合体するか、あるいは超新星爆発、ブラックホールといった、劇的な天体現象でしか放出されない。それほどの重力波でようやく、太陽と地球の距離が髪の毛の直径の百万分の一程度伸縮する力が生じる。しかしギドラは極微の時空を歪曲させるどころか星の地殻を破壊するほどの強大な重力波を自在に発生、集束、制御しているのだ。

 怪獣という存在が既知のものとなっているハルオらにとってさえ、生物の概念を根底から覆させられる事実だった。

「重力は次元すら越えて作用する。まして同一次元上なら重力波にはあらゆる防壁が無意味だ。天体さえ貫通してしまう。熱攻撃でも砲弾でもない、特定座標の空間そのものに干渉する引力光線には、非対称性透過シールドといえども、まったくなんの役にも立たないんだ」

 立ち上がったゴジラは、しかし、すぐによろめいて片膝をついた。それでもなお戦意は衰えておらず大音響の咆哮をギドラへ浴びせかける。

 はるかな天に座す三首龍が、今度は口を3つともひらいた。

「逃げましょう、いますぐ、ここから!」

 生物としての本能がジョシュ少尉に叫ばせた。だがマーティンは震えるアダムを抱きすくめたままだった。

「逃げるって、どこにだ」マーティンの横顔には苦渋。「あんなもの相手に地球のどこにも逃げ場はない。助かるとしたら、そう、神の気まぐれにでも頼るしかないよ」

 直後、ギドラの三つ首から引力光線が発射され、それは途中で蛇のようにからまり、1射目よりさらに超強力な極太の光の束となってゴジラを呑み込んだ。

 一帯の大地まで最小単位の粒子に分離させて消失させながら、ゴジラを北の方角へ押し飛ばしていく。破壊の道筋はたちまち地平線のかなたへ伸びた。

 ハルオの耳に、ゴジラの断末魔の声が聞こえた気がした。

 

  ◇

 

「いったいどうなっているんだ、地上の状況は」

 高度3万5876キロの静止衛星軌道を周回する恒星間移民船アラトラム号の船橋で副長タケシ・J・ハマモト准将は度を失ってオペレータたちに怒鳴った。アラトラム号からギドラまでは数万キロも離れているが、手を伸ばせば届くところにいるように感じる。ギドラが惑星のように巨大だからだ。退避しようにも下手に動けば軌道から外れてしまうおそれがある。アラトラムにはヒト型種族の居住可能な新たな星を探す出航以来の最重要任務があった。20年以上という長期の放浪で動力炉も燃料も限界に近づいている。だからこその地球帰還という決断だった。外れた衛星軌道にふたたび入るぶんの動力も惜しい。数少ない同胞たる降下部隊の生存者たちを見捨てることもできないため、ギドラ出現後も危険を承知で現状を維持していたのである。

 オペレータが観測機器を駆使し、コンピュータに演算させる。出力された結果にオペレータも信じられない顔となる。

「ゴジラの現在位置、41°24′29.7″サウス、43°16′47.5″ウエスト、半径200キロメートルの範囲内と推定!」

「ばかな!」座標は南米大陸の旧アルゼンチン東1500キロの沖合いだった。「あれだけの質量を、ほんの一瞬で地球の裏側まで吹き飛ばしたというのか」

 上ずった怒号を飛ばすハマモトをよそに、船長ウンベルト・モーリ大将は地球を青い星として俯瞰できる船橋の耐熱ガラス越しに現実を見せつけられて(おのの)いた。日本列島のほぼ中心にあたる富士山麓から北へ、衛星軌道上からでもはっきり視認できる規模の焔の道が描かれ、それは旧ロシア領を縦貫し、北極圏を越え、北米大陸東部にまでなんなんとしていた。地球を半周していてもなんら不思議ではなかった。

「アラトラム、こちらサカキ大尉。聞こえるか」

 音声無線に船橋の面々が我れを取り戻した。

「いますぐ軌道を離れて最大速力で退避してくれ。おれたちに構うな。亜空間航行でもなんでもいい、とにかくこの化け物から逃げるんだ」

「しかし」

 モーリは船長としての責務から逡巡を見せた。降下部隊は次代を担うべき若者ばかりだった。ゴジラとの戦いですでに十数名しか生存していないとはいえ、地球人類の未来は彼らこそが紡いでいかねばならなかった。

「こっちにはアラトラムに戻る手段がない。アラトラムの揚陸艇がいまから大気圏に突入しておれたちを拾う猶予もない。ここでぐずぐずしていたら人類は全滅だ。まだそっちには3000人以上もいるんだろう!」

 映像ごしのハルオが焦燥しきった顔で怒声を飛ばした。その肩に手を置いてマーティンがモニタを覗き込んでくる。

「モーリ船長。サカキ大尉の具申はわれわれの総意です。残念ながらいまのわれわれには奴への対抗手段はありません。あなたがただけでも逃げてください。だれも恨みはしませんよ、こんな奴が相手じゃ……」

 マーティンが上方へ視線を動かした。モーリも窓外に目をやった。いまふたりは軌道上と地上から、月より巨大な有翼の三頭龍を同時に見つめていた。

「ビルサルドはサカキ大尉の進言を受け入れる。3000名余と十数名。現状では即刻離脱がもっとも合理的な選択だ」

 アラトラムの最高意思決定機関たる中央委員会の一角でもあるドルド中将が常と変わらない口振りで表明した。ドルドならたとえ自分が地球降下部隊の(がわ)だったとしてもおなじ決断を下すだろう。ビルサルドはだれもがそうだ。

「献身のみによって道は開かれる。元よりわれらは地球に残留した数多の同朋の献身でここに立っている。いままた彼らの献身によりて命を永らえること、あるいは是非もなし」

 エクシフ代表として中央委員会に属しているエンダルフ軍属神官兼中将が七芒星の印を切る。

 ドルドとエンダルフにモーリ船長を加えたのが中央委員会の中軸となる三巨頭である。そのうちふたりが離脱に賛成していた。

 船長、とハマモト副長が脂汗を流しながら眼鏡の位置を直す。

「やむを得んか……」

 モーリ船長は断腸の思いから左目のそばの長い古傷を歪めた。

「これより本船は3号事案を破棄。現宙域からの退避と同時に、現時点でもっとも移住成功の可能性が高い第1候補地に繰り上げとなった、メシエ第78散光星雲SY-3恒星系第3惑星キラアク星への移民計画を発動する。1600光年の超長距離亜空間航行だが、活路はそこにしかない。全乗員に通達。コンディション・デルタ。宙域離脱(ショック・アウト)に備えよ」

 決まれば生粋の軍人であるモーリの指揮は早かった。地球人とエクシフ、ビルサルドの3種族が連携してアラトラム号をジャンプさせるべく尽力する。

「主機、点火準備」

「了解。通常推進機関停止。船内生命維持以外の全エネルギーを重力コイルへ注入切り換え」

「10秒後に隔壁緊急閉鎖」

「ゲマトロン演算卓、重力コイル制御卓、起動」

「ゲマトロン演算統合システム、スタート」

「主機伝導システムは動力注入を継続」

「重力コイル、出力85%で稼働中」

「注入作業続行。1番ブロックから666番ブロック出力正常。スピン開始」

「ハブステーション異常なし」

「重力コイルへのエネルギー流入、順調です」

 オペレータたちが複数のモニタに表示されるおびただしい情報を捌きながら必要な入力をこなしていく。エンダルフが亜空間航行に欠かせないゲマトロン演算子を用いて無理式を整数へ変換させる。動力区画へ移動したドルドが主機関連作業の陣頭指揮をとる。3000人の乗組員が奔走する。

「初期コンタクト問題なし。第1次チェックリストをクリア」

「全隔壁の閉鎖を確認。乗員の亜空間航行配置確認を終了」

「補機、出力上昇中。異常なし」

「主機システム、臨界まであと5%」

「流入エネルギー圧力、200%」

「構わん。流入続けろ」

「第54番、91番ブロックで爆発! なおも炎上中!」

「どうでもいい! 動力強制注入。警報は無視しろ!」

「フライホイール、ロック解除。回転開始」

「ゲマトロン予言座標突入。時空俯瞰ポイント算出。ワームホール出現確率440%で規定観測」

「ゲマトロン演算子、実体化予測座標入力完了。自己診断プログラムによる確認終了。問題なし」

「フライホイール回転数1万。なおも上昇中」

「重力コイル、出力101%。臨界突破」

「時空間制御を開始」

「亜空間航行プロシージャ、最終段階です」

「いけます、モーリ船長!」

 ハマモト副長にモーリがうなずく。

「カウントは省略だ。重力コイル接続」

「接続、了解!」

 管制室からのモーリの指令を受けたドルドが亜空間航行のトリガーとなるレバーを押し上げる。

 アラトラムの前方に、背景の宇宙空間よりなお暗黒の球体が現れる。奇跡的な確率をゲマトロン演算で操作して、ビルサルドの科学技術を手足にひらいた、人為的なワームホールだ。そこへ飛び込めば1600光年のかなたへ脱出できる。

 アラトラム号がワームホールへの突入をはじめる。

 そのときだった。

 ギドラが動いた。

 まるで羽ばたくように巨翼を打ち下ろす。

 ギドラ自身はアラトラムなど眼中にすらなかっただろう。だが体積と同様に質量も地球に迫るギドラはそれ自体が強い引力をもつ。そのわずかな坐作進退(ざさしんたい)さえ周囲の重力場に大きな影響を与える。

「軌道誤差、修正できません!」

「ワームホールとの距離拡大!」

 モーリとハマモトが愕然とする。アラトラムがギドラの引力圏に捉えられたのだ。

「亜空間航行を中止。通常推進機関を緊急始動!」

「機関始動まで900秒!」

「スラスターで対応できないのか」

「だめです。ギドラの引力が全スラスターの推進力を凌駕。本船が、ギドラに吸い寄せられていきます!」

 開かれた脱出口が無情に遠ざかっていく。全長1.5キロメートルのアラトラム号が姿勢を維持したままワームホールとは反対側のギドラへ流される。すべての船窓はいまや金一色に染まっている。

「なんとかならんのか、このままではギドラに墜落するぞ!」

 喚き散らすハマモト副長が混乱の感情のまま腕を振るう。そこで異変に気づく。ハマモトの右腕から金粉のような粒子が飛散していた。モーリも副長の身になにが起きているのか理解できなかった。

「モーリ船長、これは」

 いったい、とハマモトは最後まで口にすることができなかった。全身が金の粒子に分解されて消失。眼鏡があるじをなくして床にむなしい音を響かせた。

 オペレータたちから悲鳴があがった。彼ら彼女らからも光る粒子が舞っていた。生きながら肉体を分子に還元される未知の恐怖。痛覚さえ反応しないことがさらにおぞましかった。恐慌して両腕を払って抵抗するが無意味だ。なすすべなく光となって昇華する。シートに残ったのは気密服だけだった。

 

 人体が煌めく粒子に変換されていく異常な現象は、船内全体をひとしく襲った。「ママ! 怖いよ!」居住区で金粉へと姿を変えつつある幼女が必死に母親に取りつく。「どうして、どうしてなの」母親は次第に質量を失って軽くなっていく娘を魔手から守るように強く抱きしめる。「ママ!」娘の後頭部が粒子となって分解。さらには首から上が消える。娘は小さな気密服を残して霧散した。「うそよ。こんなのうそよ」母親はひきつった笑いを貼りつけて娘の名前を連呼しながら、空になった気密服のなかを狂ったように探す。だが彼女もまた、すべての細胞を構成する分子が量子変換され、風化するように消滅した。

 

 亜空間航行の要となる重力コイルを擁する第1機関室では、作業に従事していたビルサルドが光の粒に変じて一掃された。最後に残ったドルド中将も原因不明の分解がはじまっている。ドルドはただ現状を打開する方法を脳内で高速検索した。検索結果はゼロ。自分たちを襲っている異変が何なのかすらわからないのでは手の打ちようがない。できることがないのであればあらゆる行動に価値は生まれない。したがってドルドは黙して堂々たる直立不動を保つのみだった。

 老将の脳裏ににわかによみがえる光景があった。永い放浪の果てに、居住可能な環境を有する緑の星、地球を訪れたばかりのときのことだ。移住に先だって、地球側の代表と協議する過程で会食の席が設けられることになった。地球人は食事を挟んで会談を行なう習慣があるらしかった。すなわち地球人は――ゴジラという脅威を前にして異星文明の科学技術という対抗手段を手に入れられる好機だった事情があるにせよ――ビルサルドを異物ではなく、客としてもてなした。絶対真空の宇宙を当てもなく旅する宿命のビルサルドにとって食事は燃料補給の意味合いしかない。そんなドルドから見ても、かつては歴史ある宿泊施設であったという欧州連合軍司令部で提供されたのは、異星人たるビルサルドに対して礼を失しないよう、最大限の配慮をもって斟酌されたであろうことが容易に想像できる料理の数々だった。

 最後に、1本の瓶が封を解かれた。地球人たちが秘蔵していたとおぼしき赤紫の醸造酒。発酵という時間と手間をかけたからといって栄養価が高まったり携行性が良好になるわけでもない、単なる嗜好品である。飲んだドルドにはただエタノールと糖、アミノ酸、タンニンなどが溶け込んだ水としか感じられなかった。ただ味わいや向精神効果を得るためだけに貴重な資源を費やす、それはビルサルドの哲学では無駄以外のなにものでもない、非効率な文化で、忌むべき不合理であった。

 だが、ビルサルドが合理性のみを追求してきたのは、そうでなければ宇宙の旅など耐えられなかったからだ。身も心も(はがね)たれ。ただ生き抜くために。それがビルサルドだった。

 もしビルサルドも、母星がブラックホールの近くなどではない豊かな環境であったなら、地球人のように自然を慈しみ、人生を謳歌し、その一環として食事を楽しむという文化が醸成されていたのかもしれない。生存に必要でない不合理を楽しむ余裕があったかもしれない。それこそが知的生命体の文化というものなのかもしれない。不合理なことにも資源を注力できる世界でこそ、そういった精神的な豊かさは育まれるのだろう。

 (いわお)のようなドルドが厚い唇をわずかにほころばせた。

「また、あの不合理を味わいたかったものだ」

 ビルサルドを束ねていたハルエル・ドルドが、全身を完全に粒子へと変換され、それはアラトラム号の隔壁を透過してギドラへと吸い込まれていく。

 

 エクシフの代表でもあるエンダルフ枢機卿は、自身の存在が瓦解する破局にあって、ひたすらガルビトリウムの結晶に祈った。母星エクシフィルカスでわずかに産する翡翠色の鉱物から成形されたこの神器にして祭具こそは、故郷を想うよすがとしてエクシフたちの心のよりどころでもあった。エクシフが滅びゆく母星から持ち出せたのは自らの命とガルビトリウムだけと言っても過言ではなかったのである。結晶は世代を超えて受け継がれてきた。星を奪われた先人たちの無念と、自分の世代ではなくとも子や孫がいつかは第2の故郷を探し当てるはずという希望を、小さなエクシフィルカスともいうべきガルビトリウムに託したのだ。

「もはや幾度も代が替わり、われらの星を食らいつくした“虚空の神王”の記憶は神話と歴史のかなたのものとなっていた。星を捨て、命をつないで逃げ延びたわれらが、ふたたびきさまの目撃者となるとは、これが定めというのか。エクシフは、きさまからは逃れられぬというか」

 エンダルフはガルビトリウムを捧げもった。

「わが母なるエクシフィルカスよ、その化身たるガルビトリウムよ。献身こそが救済の道。願わくはわれらに救済を!」

 ガルビトリウムの結晶が激しく明滅し、感極まった表情のエンダルフ枢機卿とともに金の光と化して崩壊する。

 

 モーリ船長はガラスのように透けはじめた両手をかわるがわる見て絶句した。ギドラとの距離はもう幾ばくもない。しかも接近するにつれ加速している。重力は重力源との距離が近いほど強くなるからだ。第1管制室の人員はモーリを除いてすべて物理的に消え去った。運命は決していた。モーリは手ずから無線機をとった。

「サカキ大尉、聞こえているか、いいか、奴には、ギドラには近づくな。命を吸いとられるぞ」

 ハルオが反駁しかける音声を最後に無線が途絶えた。船体のきしむ音。すさまじい重力で船殻が圧壊している。モーリは地球で戦っていたころを思い出した。まだ人類が地球を捨てて新天地を目指そうなどと荒唐無稽な計画を立てる前の、怪獣を駆逐して霊長の座を守ろうと奮闘していた時代、若かりしモーリは、エクシフとビルサルドの技術協力を得て建造された当時最新鋭の潜水艦〈轟天〉に副長として乗り組み、北大西洋を支配していた海龍マンダ殲滅の任におもむいたのだ。艦長ジングウジ1佐の指揮のもと、就役したばかりの〈轟天〉はドーバー海峡の深海でマンダと丁々発止の海中戦を展開した。業を煮やしたマンダがその長い体を〈轟天〉に巻きつけた。鋼鉄の艦体がしめあげられて軋り声をあげた。あのときとおなじ音だ。マンダには勝った。だが人類はゴジラに負けた。

 敗北を受け入れ、7億にまで落ち込んでいた総人口から生き延びるに値するとAIに判断されたわずかな人間たちを抽出して、アラトラム号という方舟で送り出した。

 モーリは幸か不幸かそのわずかな人間に含まれたひとりだった。7億の同朋を見捨てたという自責の念から解放された日はなかった。

 いま、人類が自分たち移民船に懸けたすべての犠牲が水泡に()そうとしている。

 モーリの胸に潜水艦乗りとして師と仰いだ武人の顔が浮かんだ。

「ジングウジ1佐! わたしたちがしてきたことは、間違いだったのですか」

 声涙ともに下る告解を吐き出しきる直前に、声帯のある喉にまで量子変換の手が伸びて黄金の砂粒に遷移した。

 無人となったアラトラム号が、打ち下ろされるギドラの右翼に最接近。巨大質量の有する超重力が船体強度の限界を突破し、不可視の巨人に握りつぶされるように圧搾される。

 20年にわたって3種族5000人の家だった全長1.5キロの方舟は、あっという間に人間の握りこぶしほどの大きさに潰され、ただのデブリとなった。

 

  ◇

 

 ギドラの翼手目(よくしゅもく)のような翼の先端で、大気が圧縮されて過熱し、1万度の猛火となる。次いで3つの頭部の先端も焔に包まれた。やがて壮大なる全身へ広がる。さながら三つ首龍のかたちを象った焔のかたまりのようだ。

 現象が意味することはひとつ。ギドラが降下をはじめていた。大気による断熱圧縮の高熱は、地球の最後の抵抗のようだった。

 燃えるギドラの巨躯は、厚さ100キロの大気の抵抗をたやすく突き破り、最下層たる対流圏にまで難なく到達した。天をおおいつくし、はるかかなたまで無限に伸び広がっている焔――のしかかるように降ってくる恐るべき超弩級の火炎に、いまにも押しつぶされそうで、マーティンをはじめとしただれもが、反射的にしゃがみこんでしまった。

 やがて焔は消えた。空は朦々(もうもう)たる黒煙に塗りつぶされている。昼を偽りの夜に変え、天雷の重低音を響かせながら、身にまとう積乱雲のようなその煙を突き破り、とてつもなく巨大な物体がぬうっと姿を現した。雲のなかからいつ果てるともなく延々と、湾曲した下向きの円錐形が降りてくる。その常軌を逸した大きさに肝を潰されたか、森林にひそんでいた金属の翼竜たちが、必死に羽ばたいて思い思いの方向へ逃げまどう。

 天地を震撼させ、ギドラの左翼外縁の爪のひとつが、かつて旧インド北部ニューデリーだった金属質の密林地帯に、杭のごとく打ち込まれる。爪とはいえ、付け根は直径50キロメートルもある。鋭利な爪が突き立った衝撃は地表が波打つほどの大地震となり、旧インドはもとより旧パキスタン、旧アフガニスタン、旧イランの大地までもが裂け、新たな断層が生じ、地の果てまでも続く撓曲(とうきょく)が現れ、顕著なところでは地層がせり上がって、アラーヴァリー山脈に並ぶ高さと幅の断崖を形成した。残りの爪はアラビア海からインド洋の紺碧を貫く。

 右の翼は大気の空気抵抗を極超音速で突き破り、爪が北太平洋、中部太平洋、南太平洋の海に激突。5000メートル級の水深もやすやす突破して、海底に深く食い込む。

 2本の尾のうち1本は南極大陸に垂直に突き刺さった。もっとも厚いところで4000メートルもある氷床ごと、その下にある陸地を剛直が容赦なく深く掘削。氷床の亀裂は南極全域にまで広がった。砕けて分裂した青い氷が大陸からすべるように海へ落ちる。氷床に閉じ込められていた南極大陸は、実に3000万年ぶりに外気を浴びた。もう一方の尾は南極海から地球の地殻を穿孔する。

 ギドラが、両の翼と尾で、地球という星そのものに食らいついていた。

 宇宙超怪獣の接している海では海水が逆さの瀑布となって吸い上げられる。ギドラの質量に起因する重力により、海が空へ落ちていく。それとおなじように、旧インド領では地盤が剥がされ、地形ごと宙に浮いた。

 世界の終末のごとき天変地異に、しかしギドラの3つの頭部は分子ほどの興味も抱かず超然としている。

 

「逃げる、早く!」

 天地創造の再現を垣間見ているような大厄災を呆然と眺めるほかなかったハルオたちのもとに、突如現れたミアナの一喝で、皆はようやく破滅的な光景から視線を剥がすことができた。ミアナの先導で()()うの(てい)ながらフツア族の部落を目指す。ハルオはユウコを抱いてヴァルチャーに乗り込み、上空から障害物を指示、徒歩(かち)組の退却を支援した。

 部落は地下の広大な空洞内にあるとはいえ、地球そのものを破壊しかねないギドラがいる以上は気休めにしかならないが、気休めになることはたしかだったので、ハルオらは雪崩れを打つように逃げ込んだ。ときおり立っていられないほどの揺れと遠雷のような深い轟きで、天井から砂がこぼれ落ちてくる。それでも、ただ見ているだけで正気が原子崩壊させられるような宇宙超怪獣の偉容を目にしなくてすむことは、精神的にいくらかでも幸いといえた。

 ミアナの姉であるマイナが立ちはだかった。無言だが妹に険しい顔をしている。おそらくは、フツアの本来の言語である精神感応(テレパス)でミアナと会話していると思われた。

「この人たち、仲間。だから助けた。いらない、理由、仲間、助ける」

 ミアナが音声言語で姉に宣言した。ハルオたちにも会話の内容が推測できるようにとの配慮だろうか。

 また不思議な間があった。マイナの胡乱げな表情は変わらない。ミアナが胸に手を当て1歩前へ出る。

「そう、仲間。わたしたち、ゴジラと戦わなかった。わたしたち、あきらめてた。でも、違う、この人たち。この人たち、あきらめない。つくること、ゴジラのいない世界」

 マイナが顔をしかめた。ハルオたちを睨みつけて(そびら)を返す。

 

 通された居室の一室で、眠っているように意識のないユウコを(むしろ)のような敷物の上に寝かせる。ユウコは腰から下を失っていた。しかし胴の断面は、溶かした半田(はんだ)でコーティングされているかのように白銀に輝き、血の一滴もこぼれていない。ハルオには彼女の生死すら判然としなかった。

「マーティン博士、ユウコの容態はわかりますか」

「ああ、さっきざっと診させてもらったが」

 ヘルメットを解除したマーティンが汗で額に張り付いていた前髪をかき上げて、

「心肺は機能している。どうやらナノメタルがタニ曹長の生命維持装置の役割を果たしているようだ」

「ナノメタルが」

「おそらくヴァルチャーのナノメタルが、パイロット保護を優先して同化をしようとしたんじゃないだろうか」

 ビルサルドたち10人は望んでメカゴジラシティと一体化し、10体のメカゴジラへと変身を遂げた。メカゴジラⅠ号機に搭乗していたガルグたちも、自身の肉体をナノメタルに明け渡し、あまつさえマーティンら地球人にもそれを推した。指令がなければナノメタルは生きている生物と触れても同化はしない。シティが接近する鋼鉄の翼竜を捕殺していたのは、ゴジラ打倒の命令が翼竜のG細胞に反応したこと、同指令のためにナノメタルが自身を増殖させなければならなかったこと、以上ふたつの条件が、生きている限りは生物を取り込まないというif構文の抜け穴をたまたま突いたかたちになったためだ。

 しかしヴァルチャーには、パイロットが搭乗中に即死しかねない重傷を負った場合、その生存を第一目的として、本人ないし指令の権限をもつ者の承認なしにナノメタル化を実行するルーティンがあると思われる、というのが博士の推論だった。

「ではユウコは……」

「医学的な意味では生きている。だけど、それ以上のことはわからない。なにせナノメタルはビルサルドの技術の粋をあつめたしろものだからね。メカニズムどころか基本的な扱い方すらぼくら地球人にはブラックボックス同然なんだ。タニ曹長と一体化しているナノメタルとどうコンタクトすればいいのか、まずそこからして手がかりもない」

 ハルオはしゃがんで上半身だけしかないユウコの左手を握った。顔だけ見ているぶんにはただ眠っているかのようだ。それは死者によく見られる表情でもあった。激しい後悔の念がハルオの胸にこみあげてきた。ゴジラが追尾熱線を撃つなどだれにも予想はできなかった。しかしそれは免罪符になりうるだろうか。そもそもユウコが志願したからといってヴァルチャーのパイロットに起用しなければ、こんなことには……しかし、その場合はほかのだれかがヴァルチャーに乗っていた。そのだれかがいまのユウコのような状態になっていただろう。結局のところ、指揮官であるハルオがすべての責任を背負わなければならないことに変わりはないのだ。犠牲を強いて作戦を完遂する、その点にだけおいては、自分が船内テロを起こしてまで抗議したアラトラム号中央委員会のタウe移民強行と、どこが違うというのだろう? 揚陸艇に老齢の乗員ばかりを積めこんで、タウeに降下させ、あからさまな口減らしをもくろんだ、あの中央委員会と?

 また、ギドラの来襲も、予知能力でもないかぎりは予見しようもなかったが、現状を考えれば、ハルオがゴジラ殲滅を提言したり、さらにはメカゴジラを用いて決戦を挑んだことが、地球滅亡という最悪の結末を招いていることはたしかなのだ。結果論にすぎないが、結果こそがすべてである。

 だが、ゴジラを倒そうとしたことが間違いだったとは、自分だけは口にしてはならない。ハルオは喉元まで出かけた悔悟を飲み下した。いまさらそれを言ってしまえば、これまで散華してきた地球降下部隊の犠牲が真の意味で無駄になる。人類に退路はない。いまここですべきは安易な逃げ道を模索することではなく、地球を守るためにはどうすればいいか、最後の一瞬まで脳漿(のうしょう)を絞りつづけることだ。なんといっても、自分たちは、もう20年以上も逃げつづけてきたのだ。 

 

 ミアナが水を運んできてくれた。ハルオは礼を言って一気にあおった。隣にメトフィエスが腰を下ろす。

「あれがギドラだ」

「あれがギドラか」

 ひと心地ついてもなお、思い出しただけでハルオの膝は凍えるように震えた。宇宙にはゴジラ以上の怪獣がいるのだ。

「星を喰うといっていたが、ギドラはいったいなにをしに地球へ?」

 マーティンがメトフィエスに訊ねた。

「この星のマナを吸収している」

「マナ?」

「地球を生命あふれる星たらしめているもの。生命の根源。マナなくして星に生命は生まれず、栄えることもない。わがエクシフィルカスも、この地球も、マナあればこそ生命を育む惑星となりえた。ギドラはそれを貪るもの」

「たしかに地球でも、ポリネシアやメラネシアには、マナという超自然的な力が世界の秩序を保っているというような伝承があった、と聞くが、具体的にはどういうエネルギーなんです」

「生命は単なる電気信号の連続ではない」メトフィエスが信徒に説くように滔々と語った。「生命とは星からのマナを宿すもの。肉体とは、なべてマナのまとう鎧。マナは星に存在するありふれた物質を利用して等比級数的に増殖する。ゆえに、いかに生命をかたちづくる物質があろうとも、マナなき星に命もまたありえない」

 いまから46億年前に地球が生まれた。その地球で最初の生命が誕生したのは38億年前といわれている。舞台は海中だった。太陽とのほどよい距離は液体の状態で水が存在する環境をととのえ、数千年にわたる豪雨による海の形成をたすけた。水は多種多様な物質が溶け込む性質をもち、ある物質が混じるとほかの物質もさらに溶けやすくなる特性から、海には地球に存在するほぼすべての元素が含まれている。原始の海でアミノ酸、核酸塩基、糖などの有機物が、二酸化炭素や窒素、水などの無機物と、太陽光のエネルギーで合成され、生命が自然発生した。これが現在、有力視されている生命の起源である。

 だが、地球人類はもちろんのこと、極めて優れた科学力を有するエクシフもビルサルドも、化学物質から人為的に細胞を創造する試みに成功した例は皆無であった。ビルサルドの精製したナノメタルは生物というよりウイルスにちかい。ナノメタルはエネルギーが供給されていても単独では増殖できない。生物の細胞に侵入してはじめて自己複製を可能とする。生物と非生物の相違点が細胞の有無であるなら、ナノメタルは構造的には細胞をもたないので生物ではない。あくまでも生物の挙動を模倣しているだけの「もどき」である。

 すなわち、生命が誕生するには、物質的な材料を揃えただけでは不足している。そこになにかが触媒として働いて生命が完成するのだ。その「なにか」こそが、メトフィエスによればマナだという。

 原始の海という非生物のスープにマナが宿ったことで生命が誕生した。生命は海中の有機物で栄養を補い、やがて無限の資源である太陽光を利用するべく光合成をはじめた。そのシアノバクテリアをまるごと取り込んで栄養にする細菌も現れた。そうして地球にあるエネルギーは生物に利用されるようになった。

 マナは特定の化学物質の集合体に寄生しているともいえる。生物が周囲の物質を集めればマナの寄生する宿主が増えることになる。これが生物の増殖・繁殖のはじまりなのだ。

 マーティンが少し考えて、

「つまり、われわれ人類もふくめたあらゆる生命体は、マナが地球で増えるための乗り物として利用されていたと?」

「生命が死を迎えたとき、マナは星へと還り、新たな生命が誕生するときに祝福として星から贈られる。そうしてマナは増えていく。ギドラは星がそのエネルギーで充溢(じゅういつ)した頃合いを見計らい、降臨する」

「そのマナというのは、いつ、どうやって生まれるのだろう。生命体の増殖にともなって増えるとはいえ、マナがなければ生命が誕生しないというなら、その星には、最初のマナ、種芋みたいなものがあったはず。どういう星に最初のマナが?」

 聞いていたハルオの脳内に、思考の光が閃く。

「ギドラか……!」

 マーティンたちの顔には疑問の色。メトフィエスだけが頷く。

「そのとおり。ギドラは生命が繁栄する物質的な条件を揃えた星にマナを与え、機が熟すのを待って収穫に訪れる。原始の地球は種、生命体は花、そして命で飽和したいまの地球こそは果実」

「それが本当なら、ギドラこそが地球の全生命の創造主ということになる。まさしく神か」

 マーティンが顎を撫でて唸った。

「ゲマトリア演算回路、起動成功しました」

 メトフィエスと協力して調整した端末から得られたマナの観測結果をジョシュが分析する。

「まさに、極度に発達した科学は魔法と区別がつかない、ですね」

 生存者のひとり、ベンジャミンが感心した。アーサー・C・クラークの第3法則である。原始人が宇宙船を目撃したなら神の舟としか認識できないだろう。いまだマナを観測することのできない人類にはその存在を非科学的なものとして本心からは信じられない。だが、エクシフ、ビルサルド両文明と接触するまで、人類は宇宙全体の質量の4%に過ぎないバリオン(陽子、中性子など、いわゆる“ふつうの物質”)しか観測できておらず、74%を占めるダークエネルギーも、残りの22%であるダークマターも、検知することすらできなかった。人類はいまだ宇宙の1割も理解できているとは言いがたい。宇宙を数学に還元するゲマトリア演算は、人類には想像もできないエネルギー、マナの観測と定量をも可能にした。

「現状が維持された場合、マナは24時間後に枯渇すると予測されます」

「あと1日でわれらが地球は生命の育たない星になるわけか」

 マーティンは嘆息した。

「地球に満ちるマナのみならず、最後にはいま生きている生物さえもマナに分解され、ギドラに食いつくされてしまうだろう。むろん、われわれも含めて」

 メトフィエスが付け足した。ギドラが地球の生物に容赦する理由などないのだ。

「そうでなくとも、ギドラの重力で巻き上げられた海水が、1時間あたり800万立方キロメートルのペースで大気圏外へ逃げています。生物の生存できる環境という意味なら、もっと早いかと……」

 ジョシュにマーティンは呆れたように肩をすくめてみせる。

「ギドラにはゴジラでさえ手も足も出なかった。体そのものが強大な重力をもち、しかも引力を自在に操って対象の分子構造そのものを破壊する光線を吐き、なにより大きすぎて対抗しようがない。こちらに残された武器は、サカキ大尉の乗ってきたヴァルチャーが1機。それだけであしたまでにどうにかしなきゃ、地球もタウeの二の舞になる、と」

「万事休す、ですね……」

 ジョシュも絶望を通り越して苦笑いした。

「たとえギドラが創造主だったとしても、食われるためだけに命を与えられたのだとしても、地球はその運命に抗おうとした。だからゴジラを創ったんだ」

 ハルオの言葉に一同がはっとなる。メトフィエスが微笑して目を閉じ、耳を傾ける。

「おれたちがギドラを倒すんだ。そして地球にこう言ってやる。“おまえは、おまえが追い出したものたちによって守られたんだぞ”と。そのときはじめて、おれたちは大手を振って地球で生きる資格を得る」

 ひどく通俗的な弁ではあったが、そのぶん素直に皆の心に届いた。

「地球に向かって、ざまあみろ、か。相変わらずサカキ大尉はおもしろいことを言う」

「しかし、実際問題、あんなでかぶつをどうやって?」

 不敵に笑うマーティンにベンジャミンが切実な問いを投げかけた。

「そもそも、ギドラは死ぬんですか? 何十億年もかけて生命をあやつるような怪物ですよ。死をも克服している可能性だって」

 だれもが考え込んだ。

「牙があった」

 マーティンが唐突に思い出して言った。意図を図りかねてハルオが先を促す。

「ギドラにとって、翼のソーラーパネルで吸収する恒星の光エネルギーが人間でいうブドウ糖、星のマナがタンパク質だとすると、ギドラは食物を経口摂取する必要がない。つまり歯は不要なはずなんだ」

 たしかにギドラがゴジラに向けて引力光線を発射するさい、開かれた口腔には鋭い牙が生え揃っていたような覚えがある。

「歯はその動物の外見よりも生態の本質を表している。歯の形状をみれば食性が類推できるし、傷や磨耗具合には個体の歴史まで刻まれている。ギドラの歯は牙だ。これは肉食動物の特徴だが、さっきも言ったとおりギドラは口での捕食をしない。ギドラにはわれわれでいう足に相当する器官がなかっただろう? 宇宙空間を気の遠くなるほど永く遊泳する生物であるためにギドラには足がないんだ。生物は使わない機能をオミットしていくからね。厳密に言えば、生態がおなじであれば、使いもしない足を維持している個体より、突然変異で足のなくなった個体のほうがそれだけエネルギー効率で優れることになる、それで前者が淘汰されて、足がないギドラが生き残るという図式だがね」

 ガルグに言われていたことをハルオは思い出していた。現状にそぐわない不要なものを切り捨てていく、いま持っているものを捨てる、それが進化だと。退化もまた進化の一側面なのだ。

「では牙はどうか? これは完全な私見だが、ギドラも元は地球の動物と同様に、どこかの星でひとつの動物として生まれ、食う食われるの関係にあった、だから捕食のために顎と牙を発達させていた。それが、何万年か何億年かわからないが、果てしない進化のすえに宇宙へ進出して、経口摂取ではなく、星からエネルギーを吸いとる代謝構造へ変化した」

 かつて、地球で怪獣が出現する前、火山活動で海洋に突然出現したハワイという島に、肉食性のシャクトリムシが生息していたという。ふつうシャクトリムシは葉をかじる草食である。ハワイはその出自ゆえ最初は生物相がまるごと空白だった。渡り鳥の糞に種子や卵が混じるかたちで、あるいは流木に乗って流れ着くことで、植物や動物が徐々に定着し、生態系の椅子ともいえる役割(ニッチ)は埋まっていった。だが虫食性の小型昆虫という椅子はいつまでも空席のままだった。競合する相手がいないということである。そこであろうことか、ハワイにたどり着いた当初は草食だったシャクトリムシが肉食に転じたのだ。これはウマやヒツジがいきなりライオンのような肉食獣に進化するのにひとしい。生物は、ときとして食性さえも正反対に変えるのだ。

「おそらく、宇宙にはギドラと同格の競争相手、敵がいるのではないか。ギドラには引力光線という強力な武器があるが、ときには肉弾戦に迫られる局面もあるのではないか。そのためにもともと持っていた顎、そして牙という物理的な攻撃手段を残す必要があったのではないか」

 ハルオはギドラ級の大怪獣どうしが宇宙で激突するさまを思い浮かべた。

「あまり想像したくはないですが……」

「まあ、いまはその敵の怪獣についてはさておいて、重要なのは、ギドラにも、牙を使ってでも戦って身を守らなければならないときがあるということだ」

 ハルオにも核心が掴めてきた。

「不死身なら、食う以外の目的で牙をもつ理由がない……」

「そういうことだ。必要のない戦いを能動的に仕掛ける動物は極端に少ない。リソースの無駄だから早々に淘汰される。動物が戦うときは、捕食か、自衛か、ふたつにひとつなんだ。純粋な攻撃目的だけで牙を持っているということは、すなわちギドラもわれわれとおなじ、ひとつしか命を持っていない、れっきとした生物であると結論づけられる」

「生きているなら、いつかは死ぬ。つまり殺すこともできるということか」

 たちこめる暗雲からひとすじの光芒が差した思いだった。

「どうせ黙っていても滅ぼされる。なら先を信じて前へ進むしかない。ギドラはお伽噺の神さまなんかじゃない。おれたちとなんら変わらない1匹の生物にすぎない。ましてや、おれたちが家畜のようにしたがう筋合いなどない」

 ハルオに生存者らは、おお、といっせいに応じた。足音が近づいた。皆が振り向くと、アダム少尉が入ってきていた。紅顔の青年は憔悴しきっていた。だが目に光が戻りつつあった。

「さっきは、お見苦しいところを……」

 アダムが所在なさそうに詫びた。

「いや。おれもおまえのようになりかけた」

 ハルオにアダムは苦笑した。

「なりかけたと、なったとでは、全然違うんですよ」

 アダムはあらためて背筋を伸ばした。

「自分も戦います。なんなりと使ってください。もうおれたちしかいないんですから」

 一同は同調して頷いた。地球に降り立ったとき、降下部隊は600名いた。ゴジラ・フィリウス、オリジナル・ゴジラ(ゴジラ・アース)との連戦で13名しか生き残れなかった。アラトラム号も宇宙の藻屑となった。今や、21世紀の記憶を継ぐ人類はこの13名だけなのだ。

 ギドラを倒す。その大方針は決まったが、手段がない。場は重苦しい沈黙が降り積もった。

 そのとき、ごくごく小さなうめき声にハルオが気づいた。

「ユウコ? ユウコ!」

 ハルオが駆け寄って呼びかける。マーティンたちもなにごとかとユウコを覗きこむ。

 仰臥(ぎょうが)させられていたユウコの繊細なまつ毛が震え、東の地平線から朝陽が昇るように――そんな情景は記録映像でしか目にしたことはないが――まぶたが、ゆっくりと開かれていく。

 まぶしそうに眉間をしかめ、明確にハルオの顔が網膜に映ったのは、何度かまばたきをしたあとだった。

「先輩……」ユウコが安心したように表情をやわらげる。「よかった。わたし、先輩を守れたんですね……」

 ハルオは、幼なじみの健気さに「ああ、おまえに救われた」と言ったきり、あとに言葉が続かず、ただ嗚咽を漏らすほかなかった。ベンジャミンらも目尻を拭った。

「ゴジラは、どうなったんですか」

 ユウコにマーティンが話して聞かせた。ギドラという、月より大きな怪獣が襲来したこと。ゴジラでさえギドラには一瞬で敗北したこと。アラトラム号もギドラに撃沈されてしまったこと。アラトラムとの最後の通信から、どうやらギドラは一定範囲内にいる生物の命を自動的に吸収する能力があるらしいこと。そしていまは、地球で生物が生きていくために不可欠なエネルギーであるマナを、ギドラが吸収していること。あと24時間でギドラにマナが喰いつくされてしまうこと。戦おうにもまるで戦力が足りないこと。

 聞き終えたユウコが、覚悟を定めた顔となる。

「メカゴジラがあります」

 皆は顔を見合わせた。

「メカゴジラを構成しているナノメタルは、生物ではありません。また、1000Gの高重力でも変形しない結晶格子構造に組成を変えられますから、ギドラに接近しても機能停止はまぬかれると思います」

「だが、メカゴジラはもう」

 マーティンは言葉を濁した。ゴジラにより11体のメカゴジラはすべて破壊され、蒸発させられた。もはやビルサルド種そのものが全滅している。たとえビルサルドの母語で組まれたソースコードを読み解いて、ヴァルチャーのナノメタルに増殖を命じることができたとしても、じゅうぶんな量を確保するより先にギドラがマナを枯渇させてしまうだろう。

「いいえ、あります」

 ユウコは断言した。

「地下に隠れていた、600万トンの余剰ナノメタル。それが今もシティの跡地にそのまま残されています」

 ハルオは、はっとした。シティをメカゴジラに変身させてゴジラと戦っていたときのガルグの言葉を思い出す――“11体のメカゴジラを建造してもなお、シティ跡地、いや、メカゴジラ開発工場跡地の地下には600万トンの余剰ナノメタルがある”。先の戦闘では、攻撃を受けて部位欠損したメカゴジラにナノメタルを補充することで、瞬時に修復させる役割を負っていた。地下を粘菌のように移動してメカゴジラたちを支援していたため、ゴジラの熱線を受けずにすんだというのである。

「しかし、どうしてそんなことがわかる?」

 マーティンが戸惑いを隠せず質した。

「感じるんです。どう言えばいいのかわからないけれど、わたしのなかのナノメタルが共鳴している、というより、かすかな信号を受信していると言ったほうがいいのかもしれませんが」

 ユウコがまっすぐにハルオを見つめる。

「余剰ナノメタルはスリープモードで待機しています。ですが、わたしが自分のナノメタルを介して、じかにアクセスできれば、コントロールできるはずです」

 ハルオは言葉を詰まらせた。ユウコがなにを考えているのか理解しはじめていた。

「それをやれば、ユウコ、おまえは」

「ガルグ中佐やほかのビルサルドたちみたいに、わたしの肉体はナノメタルと融合して、消えてなくなるでしょう」

 ユウコは率直に明かした。

「でも、いまも似たようなものです。わたしは本当は死んでるんです。ただナノメタルに生かされているだけ……もう、自分の足で立つこともできない」

 下半身を失っているユウコは仰向けのままかすかな吐息をした。

「わたし、もともとこの体が嫌いでした。小さくて、どんなに鍛えても、ビルサルドはもちろん、おなじ地球人の男の人にも敵わない。だから強くなろうとして、パワードスーツの操縦をだれにも負けないくらい練習して……でも、それだって機体から降りてしまえば、元どおり。そこにはちっぽけで弱いわたしがいるだけ」

 はじめて聞くユウコの本心だった。ギドラの超重力に地盤が悲鳴をあげて地下空洞ごと部落を揺らしても、だれひとり気にしない。

「人間は医療の技術を発達させて、それまではどうにもならなかった病気や障害を克服してきました。薬に、手術に、義肢。どれも自然界にはないものです。なぜ、医療行為はよくて、体をナノメタルにすることはいけないのでしょう」

 ハルオには答えられない。人間と自然を互いに相反し対立するものとする二元論では、たとえばある生物が絶滅したとして、その原因が大規模な災害か環境の変化によるものであれば、一般的には自然の摂理として片付けられる。しかし、乱獲や環境汚染など人為的なものが原因であれば、一般論はその罪科を人間という単一種に請求する。ここには、人間も自然の一部であり、人間のあらゆる行ないは、ほかの生物のそれと同様に、自然の摂理に内包されたものである、という論理はない。世界は自然と人間に二分されている、それが歴史的に見ても地球人類にひろく浸透している哲学である。これは異星人たるビルサルド種も変わらなかった。苛烈な環境の星で生まれたビルサルドにとって、自然とは純然たる敵であり、絶滅を受け入れるか、屈服させるか、選択肢はつねにそのふたつだった。ビルサルドは自然に勝つためにナノメタルをつくりだし、母星をまるごと機械化させる道をえらんだ。結局ビルサルディアはブラックホールにより崩壊したが、それとてもビルサルドからすれば、宇宙という、より大きな自然に敗北したということであり、敵の解釈がさらに拡大したにすぎなかった。

 ビルサルドは生命史を顧みるに、適切な変化を遂げることができたものだけが生き延びられるとの結論に到達した。

 もし嫌気性バクテリアに知性があったなら、好気性バクテリアは、猛毒の酸素を呼吸する異形の怪物として映るだろう。

 ハワイの肉食性シャクトリムシが発見されたとき、本来は草食のはずのシャクトリムシが、鉤爪でハエを捕らえてむさぼり食うその異様な生態に、世界中の昆虫学者が戦慄したという。

 バージェス動物群の時代からすれば、陸上に棲み、発達した脊椎をもち、エラではなく肺で呼吸し、体温を自らつくり、二足歩行し、極めて広範な食物を利用できて、体内で子供を育てるヒトという動物は、まったくの異世界からきたエイリアンであるにちがいない。これらの特徴は少なくともカンブリア紀の動物にはどれひとつとして存在しなかったのである。

 ようするに、進化した生物は、それ以前の生物にとっては、例外なく理解しがたい姿かたちをした怪獣にほかならないのだ。時代と環境の移り変わりに対応するためなら生物は自らのありようをも捨てる。正確には、多様性から生じた無数の形質による総当たりで、偶然にも環境に適応し生き残った個体群が優位的に次代へ命のバトンを渡すことができるということだ。ちょうど、太古の魚類のなかで(うきぶくろ)を経由して空気から酸素を取り入れることができるようになったものが両生類となり、あるいは、宇宙を飛翔するギドラが足を失くしたように。

「進化は」ハルオは得心できなかった。「世代を重ねていく過程で、自然に起きるものだ。人の手でなすべきものじゃないはずだ」

「哺乳類も、最初から妊娠という方法で繁殖してたんじゃないんですよ」

 ユウコはハルオと繋いでいるのとは反対の手で自分の下腹部をなでた。

「レトロウィルスの話か」

 ユウコがわずかに頷いた。

 哺乳類も1億2000万年前までは卵生または卵を体内で孵化させる卵胎生で繁殖していた。哺乳類には、自分に侵入してきたウィルスに有用そうな性質があると、それを自分の遺伝子にコピーする能力がある。白亜紀前期ごろ、寒冷化のため卵を体外に産み落とすのではなく、体内保育する卵胎生に移行しつつあった原始哺乳類は、ある内在性レトロウィルスに感染した。そのウィルスは、増殖のために宿主の細胞と自身のエンベロープ(ウィルスのもつDNAまたはRNAを手紙とすれば、エンベロープはそれを入れた封筒のようなもの)とをいったん融合させて、細胞内にRNAを送り込んでDNAにする。細胞の分裂能力を利用してウィルスはDNAを増殖させていく。

 他者と他者を結合させるこのエンベロープ遺伝子を原始哺乳類はコピーした。卵ではなく、胎児と母体をエンベロープ遺伝子によって結合させ、母子間での栄養交換やガス交換をおこなう連絡が可能となったのだ。これが胎盤と妊娠のはじまりである。

 また哺乳類は、すでに有しているウィルス由来の能力の上位互換の遺伝子をもつウィルスに感染すると、後者を積極的に採用する性質がある。このことは、ヒトもまたこのさき、新たなウィルスからなにかしらの能力をコピーして、胎盤を用いた妊娠よりも優れた繁殖方法に変化する可能性があることも意味する。例として、フツアは人類が昆虫に関係するウィルスに感染してその因子を取り込んだ種族と考えられる。

「哺乳類はレトロウィルスを利用して、新しい繁殖方法を獲得しました。なら、人間がナノマシンというテクノロジーを利用して自分を変化させることもまた、正当な進化のうちではないですか?」

「ナノマシンは、ナノメタルは、人工物だ」

「人がゼロから創造したものなんて、ありません。真の意味での人工物なんて、この世にはないんですよ、たとえば、その端末は……」

 ユウコはジョシュの操作しているコンピュータを指し示した。

「それは人工物なのか、それとも自然物でしょうか。多くの人間が人工物と答えると思います。でも、外装のプラスチックは石油由来ですし、石油は地球から採取されたものです。液晶も、希少金属も、シリコンも、HDDのアルミも、筐体を構成するあらゆる原料は地球産ですから、端末は自然物ということになります。ナノメタルもまたおなじです」

 ハルオは反論できなかった。

「ですから、わたしがナノメタルと同化することは、わたしたちの遠い祖先がレトロウィルスで自分を変えようとしたことと、本質的にはなんら変わりないんです、どちらも地球から生まれたことに変わりはないんですから」

 ユウコは小さな声ながらはっきりと言い切った。だが、その黒い瞳がわずかに揺らぐ。

「でも、本音を言うと、ちょっと怖いんです。自分が自分でなくなる、それがどんなものか想像もできない。わたしが逆にナノメタルに取り込まれて、意識も自我も、きれいさっぱり、消えてしまうかもしれない。そうなれば、わたしはどこにもいなくなってしまう。それは怖い」

 ユウコはハルオを見据える。

「だから、ハルオ先輩。わたしに命令してください。わたしに、ナノメタルと融合して、メカゴジラを起動しろと。人類のためとか、地球のためとかじゃなく、ハルオ先輩が生きていくために、わたしに怪獣になれと」

「おれのために?」

「わたしにはこの星の思い出がありません。だから地球のためなんかに命は懸けられない。わたしが勇気を出すには、ずっとずっと好きだった、あなた個人の願いが必要なんです。わたしのわがまま……聞いてくれますか?」

 かたわらで見守るマーティンは絶句していた。ユウコは、ハルオの心の傷になろうとしている。大義名分に逃げることを許さず、自分が生き残るためだけにユウコを犠牲にしたのだと、ハルオに自責の念を背負わせようとしている。もし奇跡的にこの戦いに勝利を収めることができたなら、ハルオは生涯、ユウコを忘れることができないだろう。そうすることで、ハルオのなかで永遠に生きつづける気なのだ。

 自己犠牲によって深い傷を刻むことで愛する者の心に残ろうとする。恐ろしいまでの執念、女としての情念だった。

「わかった」

 ハルオもユウコの本心を察していた。自分が生きつづけるかぎり、ユウコもまた生きつづける。それは罰でも償いでもない。ならばよろこんで受け入れよう。

「ユウコ。おれのために、メカゴジラになって、ギドラと戦ってくれ」

 断固たる口調で言い渡したハルオに、ユウコがにっこりと微笑む。

「わかりました。あなたのために、死にます」

 ユウコを横抱きにしたハルオが部落の出入り口に向かう。アダムやベンジャミンらが気圧されつつも敬礼して見送る。ハルオはユウコとともにヴァルチャーに乗り込み、一路、メカゴジラシティ跡地へと飛んだ。

 

「うまくいくでしょうか」

 ヴァルチャーを見送りながらアダムがだれにともなくごちた。それはユウコがナノメタルを統率できるかどうかという懸念でもあり、ギドラを倒すというそもそもの大目標に対する不安かもしれなかった。

「クラークの第1法則だよ。“可能であると言った場合、彼の主張は正しい。不可能と言った場合、彼の主張は間違っている”。そう信じるしかない」

 マーティンは肩をすくめて返した。

「ほかのフツアの人たちがどこにも見えないようだけど」

 地下部落に戻ったマーティンが思い出したように辺りを見渡した。目の届く範囲にフツアはミアナしかいない。

「みんな、フツアの神のところ」

 思念波で会話をするように、超常的な感覚をもつフツア族は、数値としてマナを観測することはできないまでも、地球の命運が旦夕(たんせき)に迫っていることを、直感的に理解しているようだった。

「みんな、滅ぶときはフツアの神のそばがいい、って言ってる」

「そりゃ神頼みもしたくなるさ」

 マーティンはエクシフの大司教でもあるメトフィエスに水を向けた。

「古来、宗教とは法の支配が行き届かぬ時代、または法治の概念そのものがなかった時代に、権力者が民らに規律を遵守させ、もって共同体として統率し、治安を維持するために考案した原始的な法律であり、個人にあっては日常生活を円滑に営み、精神的な豊かさを得て、ときに苦境を乗り越えるよりどころとして、自然発生したにすぎません」

 メトフィエスはいつものつかみどころのない笑みで答えた。

「雷や日蝕といった脅威的なものから、季節の移ろい、豪雨に干魃などの天災までふくめた自然現象の原因に神話という理由を付与することで、仕分けをし、精神的な制御下に置き、安堵と納得を得ようとした。その“原因”とは実数として観測可能な存在であってはならなかった。見ることも触れることもできぬ、人智を超えた存在でなければならなかった。虚偽であることが露見しないよう、存在そのものを悪魔の証明にする必要があった。それこそが神。われらエクシフの神はわれらが創造し、地球人の神は、やはりあなたがた地球人によって創造された。やがて、豊穣と安寧を求める共同体は、神の怒りを買うとされる行為を設定し、それを忌避することをよしとするようになった。人々は見えもしない神の顔色をうかがうようになった。そんな彼らを統治するには神の概念を流用したほうが都合がよい。ゆえに古代の王はいずれも神の子孫を自称した。その系譜には、文字をもたないゆえに正確な記録を残せなかった未開の蛮族までもが加わった。ときに神として、ときに悪魔や怪物として。宗教は文字なき時代の歴史を後世に伝える手段でもあったのです」

 宗教家らしからぬ持論にマーティンはむしろ面食らった。

「雲の上から天祐を与えてくれる都合のいい存在としての神はいないと?」

「物理的に庇護する超越的な存在があったなら、わが星エクシフィルカスは滅亡しなかったでしょう。考えられる仮説は4つ。まず、神はいない」

 人差し指を立てる。

「つぎに、神はいるが、エクシフを守る神はギドラを守る神でもあるために、座して静観するほかなかった」

 指を2本立てる。

「もしくは、神は滅びゆく星を眺めて娯楽とする嗜虐的な趣味を持っているか」

 エクシフの神官は3本の指を伸ばす。

「最後の可能性は、神はわれわれの運命に興味をもっていないか」

 4本の指が伸ばされ、閉じられる。

「この4つの可能性に共通していることは、神に対して物質的な利益を求めても願いが成就することは事実上、ないということです。神は物質面ではなく精神面での幸福のためにあるからです。真なる神は、信じるものの心に存在するのです」

 よって、地球における宗教は、神が被創造物たる人間を苦難から実際に救済するという欺瞞への追求を避けることに腐心することとなる。現世は試練の場であり、善行を積んだ人間だけが死後に救済されるという教義はその典型である。実際、それをすべての構成員が盲信すれば、その共同体はなんら問題なく健全に運営されていく。

「われらエクシフも、人格を有した存在としての神の実在を信じているわけではありません。われらの神は科学における物理法則のようなもの」

「科学も宗教も、元は自然現象の仕組みを解明し、社会の発展のために有効利用しようとする試みであるという点では共通しているからね。科学と宗教は水と油のように対立するものとして考えられがちだが、アプローチの方法が違うだけで出発点はおなじだ。科学は物理法則を唯一神とする宗教であるともいえるわけか」

 マーティンにメトフィエスが首肯する。

「知性ある生物に利他的な行動を強要するとかならず破綻します。しかし利己的なふるまいばかりでは共同体は崩壊する。そこで宗教により、本人にとっては利己的な行動が結果的に利他的な行動になっているように誘導したのです。われわれエクシフは献身をこそ(たっと)びます。それは、献身でのみ魂は救済されるという建前が存在するからです。本人は自らの救済のために献身する。それが全体の利益になる。エクシフの神は、心弱きわれらが献身の道を進む口実のためにあるのです。しかし――」

 メトフィエスはミアナを見やった。長身のメトフィエスと小柄なミアナの視線が身長差の斜めで結ばれる。

「彼女たちには、彼女たちを実際に守護してくれる神がいるらしい」

「ハルオは」ミアナがメトフィエスに言う。「まだ、あきらめてないの?」

「ハルオは決してあきらめない」

 メトフィエスの返答は確信に満ちている。

「ゴジラを倒すなどもはや不可能であると、だれもが思考を停止させていた。だが、遠い星の海にあって、ハルオだけが、ゴジラを克服する使命の炎を燃やしつづけた。それは地球の住人としての資格を取り戻すため。ならば、たとえ相手がギドラでも、ハルオは最後まであらがうだろう」

 ミアナは胸を打たれた顔をして、つぎに銀の眉をそびやかし、皆に言った。

「来て」

 

  ◇

 

 天翔(あまかけ)る人工の天使は、その秀逸な飛行性能ですぐさま富士の麓へハルオとユウコを運んだ。上空からだと引力光線がもたらした壮絶な破壊の惨状を再認識させられた。地球を卵とするなら、石にぶつけて殻を割られたようなありさまだ。

「ナノメタルは無事だろうか、いくら地下に隠れていたとはいえ……」

 つい、そんな不安がハルオの口をついた。

「感じます。ここで降ろしてください」

 ユウコに請われてハルオはヴァルチャーを着陸させた。

 時刻は日暮れどきだった。地平線ちかくまで傾いた夕陽の赤光が、空をおおうギドラの左翼の付け根と胴体のあいだから射し込んで、荒れ果てた大地を血の色に染め、またハルオの目を射ぬいた。ハルオは手を(かざ)して西日をさえぎりながら、はじめて見る地球の夕暮れだ、と思った。ユウコより5歳上のハルオにも、地球での思い出はほとんどない。強いて挙げるなら、人工知能による選別でアラトラム号への搭乗が決まって、家族3人で軍の施設に身を寄せていたころ、父と母に連れられて、近くの小さな山に登ったことくらいだ。陽射しの暖かな日だった。目にも鮮やかな草花が迎えてくれた。あのときの甘い風の薫りをおぼろげながら覚えている。

 地球はゴジラを頂点とする異界へと変わり果ててしまった。だが地球に生命があふれていること自体には変わりがなかった。

 いま、それさえも根こそぎ奪われ、真に滅びの(とき)を迎えようとしている。

 惑星なみの超巨大な怪獣が黄金の天幕となっているさまは、出来の悪い悪夢にしか思えなかったが、直接の妨害を受ける気配はない。たかが人間などギドラには微生物にひとしいからだろう。ハルオは一瞥をくれてから、ユウコを抱き上げてヴァルチャーから降りた。引力光線で穿たれた直径20キロの大穴は、急速に忍び寄る夕闇を湛えて、奈落のように底が視認できない。その淵に立つ。

 ユウコが瞑目する。ユウコの内臓機能を維持しているナノメタルが、地下で活動休止しているはずの同胞に呼びかける。

 じれったいほどの沈黙が過ぎ去った。

「ハルオ先輩。ここでお別れです」

 腕のなかで口火を切ったユウコの意図が、一瞬わかりかねた。

「ナノメタルがわたしを待ってる。どんな姿になっても、どうか嫌いにならないでくださいね」

 まるで死にに行くような口振りだ、と思った瞬間、ハルオの首の後ろに腕を回していたユウコが、顔を引き寄せた。突然のことで反応できなかった。理解が追いついたのは、ユウコが紅潮した顔を離したあとだった。唇が熱かった。ユウコがはにかむように微笑した。

「えへへ。先輩のそんな顔、はじめて見ました」

 思考が麻痺したハルオの胸を、おもいきり突き飛ばす。上半身しかないユウコが大穴の闇へ躍り出る。

「さようなら」

 果てしない暗黒のなかへユウコが呑み込まれていく。ハルオが伸ばした手は虚空を掴むばかりだった。

 ユウコの姿が見えなくなってしばらくすると、ハルオが膝をついている地面がかすかに震動しはじめた。微震は当初、よほど神経を集中させていないと見逃してしまう程度のものでしかなかった。しかし、徐々に徐々に、それははっきりとした有感地震へと変化しだした。

 大穴の淵が、しだいに崩れはじめる。ハルオは思わずあとずさった。地震はさらに強さを増し、重低音で周囲一帯をつつみこんだ。

 だしぬけに、クレーターから、巨大な、巨大な白銀の腕が伸びあがり、倒れかかってきて、ハルオのすぐそばの地に五爪を食いこませて固定する。ハルオなど簡単に握りつぶせそうな手だった。

 さらにもう1本の腕が奈落から現れ、拳をつくってたたきつけ、連結している本体を地の底より牽引する。

 せりあがってきたのは、鋼の平板を積み重ねて構成されているような無骨な造形。昆虫の複眼にも似た目が左右1対あり、砲身もかねる口吻は、節足動物のように横方向に動く。

 それは顔だった。金属の顔につづき、鏡のように反射する固形ナノメタルで形づくられた頸部、肩、胸がつづく。間近で見ているため恐ろしくでかい。夕陽を背負った機械怪獣の長い影にハルオが呑まれる。

 人類最後の希望(メカゴジラ)が、もういちど立ち上がる。

 大地にそびえ立ったその体高は292.5メートル、総質量600万トンと、さきの戦闘に投入されたメカゴジラたちに比べれば見劣りするが、それでも20年前のプロジェクト・メカゴジラにおいて建造されていたものをはるかに上回る機体規模だ。

「ユウコ! ユウコなのか!」

 ハルオが声を張り上げると、白銀の大怪獣は巨躯を屈曲させ、天空の高みから足元の小さな生き物に機械の顔を近づけてきた。大質量ゆえの圧力はあったが、不思議にも恐怖はなかった。前方へ伸びた吻の先端が地面に触れる寸前まで顔を下げて停止する。

 ハルオは金属の大顎の一方に手をあてがった。気密服の手袋ごしにもぬくもりが感じ取れた。

「そこにいるんだな、ユウコ」

 メカゴジラは無言だったが、もはや確認の要もなかった。

「行こう、ユウコ。おれとともに戦ってくれ」

 メカゴジラが上体を伸ばす。全身の関節部が駆動する轟音は返答のようだった。

 と、機械怪獣の両腕が変形。指のある手ではなく、腕全体が螺旋を巻いて、先端はするどく尖る。

 斧状の背びれは丸鋸のような半円へと変わった。

 プラズマジェット・ブースターが増設され、各部に何基もの排気口が新たに加わる。

 それはメカゴジラとは似て非なる外形だった。かつてムルエル・ガルグをはじめとしたビルサルドたち開発陣は、ゴジラ駆逐のためにいくつもの戦術を考案した。過去の交戦記録をあらゆる角度から分析し、絞りに絞った結果、相反するふたつの戦術案が残った。

 ゴジラを自然がデザインした究極の戦闘生物として、その似姿をとり、正面から大火力と粒子状ナノメタル散布層の防壁で立ち向かうもの。ガルグたちがゴジラ・アースと干戈(かんか)を交えたさいの形態がこれである。

 いまひとつは、ゴジラの熱線が正面方向を完全にカバーしている反面、背後水平方向43度、垂直方向81度の範囲が安全圏であると判明したことから、高速高機動性能を重視し、徹底して背後をつきながら戦うというもの。

 ナノマシンの集合体であるためにどんな形状にもなれるナノメタルの特性を活かし、メカゴジラは必要に応じてどちらの姿にも変形できるようプログラムされていた。

 いまハルオの前に堂々とそびえるのは、ゴジラの模倣への拘泥(こうでい)を捨てた、もうひとつのメカゴジラ。モード名を地球の言語で表すなら、Mobile Operation Godzilla Expert Robot Aero-type(対ゴジラ作戦用飛行型機動ロボット)

 通称、MOGERA(モゲラ)モード。

 ヴァルチャーに乗り込んだハルオが翼を広げて空へ上がる。モゲラも全ブースター・ユニットに点火、600万トンの巨大質量を感じさせない上昇力を見せつけ、ハルオに追随する。

 ともにナノメタルから生まれた天使と怪獣が、地球の傘となっている宇宙超怪獣ギドラへ向かう。

 

  ◇

 

 マーティンらがミアナに連れられた場所は、地下空洞の最奥部だった。えてして人類は自分たちにとって精神的主柱となる重要な施設ほど、拠点の奥のほうへ建造する傾向にある。フツアも例外ではないようだった。岩壁をくりぬいた――あるいは逆に、そこにあるものを中心に磐座(いわくら)を組み上げたか――入り口には、さかんに篝火(かがりび)が焚かれ、地下とは思えないまぶしさが満ちていた。入り口は狭い。人ひとりがようやく抜けられるくらいだ。おそらく大勢の敵の襲撃をうけてもいちどに侵入されないようにするためだろう。戦うにしてもここに(こも)れば各個撃破のかたちになるから楽に対処できる。士気の面でも籠城して徹底抗戦するなら信仰対象の膝元ほど効果的な場所はない。フツアにとっていかに神聖な場か、それで知れる。

「ここが、フツアの神さまを祀っている祭壇というわけか」

 マーティンが興味津々に呟いた。

 ミアナがその細い肢体を入り口へ滑り込ませていく。

「鬼が出るか、蛇が出るか」

 意を決して、マーティンやアダム、ジョシュらも横歩きになって祭壇場に足を踏み入れる。

 内部は狭い出入り口からは想像もできないほど広大だった。アラトラム号の乗員5000人が存命だったなら、そのままここに移住しても問題はないだろうと思われるほどだ。高さもあるので圧迫感はない。

 その広大な空洞には、フツア族の褐色の背が集まり、結跏趺座(けっかふざ)(ぎょう)で一心に祈念している。

 人類の末裔たちの浅黒い海のむこうに、純白の巨塊があった。おおまかに横に長い楕円をしている。長径200メートルほどもあろうか。質感は凝灰岩にも似て滑らかだが、これほどの大きさで一枚岩とは信じられない。フツアはそれにかしずいているのだった。

「岩、でしょうか。変わったかたちをしていますが」

「彼らが何年もかけて磨いて成形したのでは」

 アダムとベンジャミンが口々にささやいた。

「奇岩や巨岩を御神体と崇める民族は少なくない。しかし、これは……」マーティンの両眉が跳ね上がる。「まさか、フツアの人たちがたびたび言っていた“卵”か?」

 地球人たちがおどろいてマーティンに注目した。

「あれが卵ですか」ジョシュが受け入れがたい顔で白い球体を指さす。「卵だとすれば、あんな大きさ、怪獣の卵としか」

「そうとも、物理的に脅威から守ってくれる、そんな力をもつ存在がもしいたとしたら、それは怪獣でしかありえない。フツアの神とは、彼らに好意的な怪獣のことだったんじゃないか?」

 マーティンは興奮をかくしきれない様子だった。

 フツア族が一同へ振り返る。そこからマイナが代表して進み出て、(きざはし)の上で立ち止まって見下ろす。妹を映す双眸には弾劾の色が浮かんでいた。

「ここ、フツアの神、いるところ。入ること、許しがいる」

 マーティンらにも言って聞かせるように、音声言語で拒絶の意思を伝えた。

「フツアの神、言わない、わたしたちに、あきらめよと。だからわたし、あきらめない。この星の未来を。命、つないでいくことを」

「命あるものはいつか死ぬ。遅いか、早いか、それだけだ」

 ミアナが言い募ると最高齢らしい古老が口をひらいた。

「あるがままを受け入れる。さこそ現世(うつしよ)(ことわり)なり。理はわれらの力の及ぶところにあらず、また及ぼすことあってはならぬ。理が生きよと言うなら人は生きる。滅びるときはいかに抗えども人は滅びる。われらとて、われらの運命の主人ではないのだ。世の事象はわれらとは関係のないところではじまり、われらが関知しえぬうちに終わる、たとえそれが、われらの命運を左右するものであっても。おまえはそれを知るべきだ」

「わたしたちの進む道は、本当にそれしかないの? わたしたちは仲間がゴジラの炎に焼かれても、村を踏み潰されても、ただ逃げるだけだった。そうするしかないって、みんな言ってた。でも、本当にそうなの? ゴジラで死んだ仲間たちは、本当に死ぬしかなかったの? だれも考えなかった。わたしたちの親がゴジラをなくしてくれていたら、あの人たちは死なずにすんだって。そして、わたしたちの子供や孫が、おなじことを思うんじゃないかって」

 フツアたちに動揺が広がった。

 認識の違いだ、とマーティンは痛感した。アラトラム号の全乗組員は、マーティンをふくめ、地球人類が総力を挙げてもゴジラに太刀打ちできなかった事実を知っている。だからゴジラは倒せないものという認識が深く根づいた。ゴジラも生物であるから必ず死に追いやることができると頑なに信じていたのはハルオだけだ。ほかの4999名は、ゴジラにはなにか物理法則を超えた力があって、人類の手では打倒できないようになっていると、非科学的ながらも漠然と考えていた。ゴジラに関することだけ思考が停止していたといってもよい。

 フツアはさらにその思想が尖鋭化していて、ゴジラは地震や台風のような自然災害であり、よって倒すものではなく、耐えるものとして受け止めているらしかった。

 これも淘汰の一種だとマーティンは渋さを感じた。

 過去にはフツア族のなかにもゴジラを倒そうと挑んだものたちがいたにちがいない。だが彼らはことごとく敗れた。一方で、ゴジラを災害と認識して、逃げに徹する集団が生き残る。それが2万年もつづけばフツア族が後者のみで純化されてもおかしくない。

「命あるもの、たしかにいつか死ぬ。でも、命の本分は、生きること、生き抜くこと。なにもせずに死ぬことは、負け。死ぬのはいつでもできる。でも死んだあとでは、生きること、できない。だからいまの自分になにができるのか、考えて、考えて、考え抜いて、精いっぱいがんばって生きる。いまのわたしたちいるの、祖先が必死に生き抜いてくれたから。わたしたちはわたしたちのためだけに生きてるんじゃない。この大地は、未来の子孫から預かったもの。ちゃんと返す役目がある。命をつなぐ、使命がある」

 だから、ミアナのような考え方は、おそらくは突然変異のようなものなのだろう。思えばミアナは、保守的なフツア族のなかにあってただひとり、宇宙人にもひとしいハルオら降下部隊を率先して介抱し、魔法にしか見えないであろうハイテクノロジーにも積極的に興味を示していた。

 生物はつねに進化のチャンスをうかがっている。いまの形質が最善とはかぎらない。だから突然変異を定期的に生む。その変異体が環境にそぐわなかったら死んで終わる。それを飽くことなく繰り返すのだ。いつか変異体のほうが通常個体よりも有利な環境になるかもしれない。突然変異と環境変化がたまたまぴったりと噛み合うときがくるかもしれない。進化はそうして起きる。

「あなたはなにを願うの」

 マイナがミアナに問い質した。妹とおなじ青い瞳が揺らいでいた。その目をミアナは正面から受け止める。

「フツアの神に、ワタリガラスとともに戦うことを願う。ギドラを倒してと。神が戦うに足る世界にしてみせるからと」

 フツアがざわめいた。彼らでさえ神の姿は見たことがなかった。

「フツアの神が応じると?」

「応えてくれないなら、わたしはわたしだけでも戦う」

 ミアナは1歩も譲らなかった。

「まるでどこかの不良大尉どのみたいだな。伝染(うつ)ったのか、似たものどうしなのか」

 マーティンにジョシュがほんの小さく吹き出した。

「わかった」マイナが決心した顔で頷いた。「神に歌を捧げましょう。聞き届けるか否か、それはわたしでなく、神が決めること」

 ミアナも顎を引き、きざはしを昇る。ふたりの巫女が進み、フツアの群衆が戸惑いながらも左右に避けて、岩塊へ通じる1本の道をつくる。

 白く巨大な扁球の前に立ったマイナとミアナは、ともに歌を唄いはじめた。未知の言語だった。だが、その平和を希求する思いや、至純の恵愛、フツアの神を衷心から讃えるひたむきさが、てらいなく詞に込められていることは直観で理解できた。傾聴しているうち、マーティンらは彩雲を踏むような気持ちにのめり入った。言語を超えた共通の人間性に到達した高吟は、ふたりの天上の美声もあいまって、渾然一体となって胸に迫り、マーティンたちはその彩雲に乗り、地にいながらにして天を踊躍(ゆやく)した。

 夢を見ているような歌が終わった。

 そのとき、扁球の上部がかすかに動いた気がした。マーティンは見間違いかと目を細めて注視した。見間違いではなかった。扁球の背がときおり盛り上がる。まるで、内部にいるなにかが外へ出ようとしているかのようだ。

「神はかつてゴジラに挑んだ。人々を守るためにその身を犠牲にした。神には忘れ形見があった」

 マイナが語り、

「忘れ形見は、人々の手で最果ての地より海を渡り、この地へ逃れた。だからゴジラの炎をまぬかれた。卵の親とあまたの同胞(はらから)がともにゴジラの足を止めんと戦った。命をなげうち燃え尽きた。その灰が神の卵を生かした。神はその恩をけっして忘れない。かのワタリガラスはわれらの神のために命を賭したものたちの血に連なるもの。時を超え、波を越え、いまこそ恩に報いるとき」

 ミアナが引き継いだ。

 内側からなにものかに押されていた扁球上部が弾性限界を超え、絹のように破れる。裂け目からは七色の粒子が女神の息吹のように噴き出す。色彩豊かな粉が頭上で荘厳に舞うさまは極地の夜天を彩るオーロラのようだ。祭壇場が浄福の気で満たされる。

「これは」舞い降りる鮮やかな粉を掌に乗せたマーティンが、親指と人差し指ですりつぶして確認する。指先は虹に染まった。「まるで、鱗粉のようだ……」

 マーティンは自らの間違いに気づいて顔を上げる。

「そうか、これは卵じゃない。――繭だ!」

「繭?」

 アダムがマーティンを見る。

「卵と繭を同一視する民族もいる。繭は成虫原基の卵のようなものだからだ。なぜ昆虫は幼虫と成虫に分業化がなされているのか。幼虫は養分をたくわえることに特化した形態だ。その養分をもとに成虫がつくられる。逆に言えば、卵のなかでエネルギーが吸収できるのなら、幼虫の段階を踏む必要はない。あるいは卵を繭としていた可能性もある」

「待ってくださいよ、幼虫とか成虫とか、じゃあ今から出てこようとしてるのは……」

 地球人たちをよそに、マイナとミアナはいままさに神を生まんとしている繭にひざまずき、祈りつづける。

「われらが神よ、清き聖なる泉にわれらを導きたまえ、正しき道をあなたの光で示したまえ」

「あなたのいるところこそ浄土。天に栄光、地に平和」

「理を超えた命は罪。理を超えた死もまた罪。弱く短き命のわれらから罪を遠ざけたまえ」

「あなたの祝福が、われらのまとう衣となるように。あなたの祝福が、つねに締める帯となるように」

「神よ、あなたの光輝く御名を語り継ぐわれらを守りたまえ」

 双子の巫女が視線を合わせ、頷き、繭へ向き直る。

「あなたの至尊の御名は」ふたりが同時に声高に唱える。「――モスラ!」

 繭の裂け目をこじ開けるようにして、高密度の毛におおわれた、丸みを帯びた大きな物体が昇ってくる。物体には柔和な眉毛のような櫛の歯状の触覚が1対飾られている。その下にある真円の複眼は、すべての生命の生まれた母なる海を思わせる、至高の青。

 節足動物の特徴そのままの前肢が抜け出て、爪を引っかけて踏ん張り、丸い頭部に続いて、しわしわの(はね)を背負った胸部、さらには腹が繭から脱する。壮麗さにマーティンは陶然となる。

「ゴジラは2万年かけて成長し、メカゴジラは2万年かけて増殖していた。モスラもまた、2万年ものあいだ、力をたくわえ続けていたというのか」

 万華鏡を覗いているように虹色の鱗粉が群舞するなか、巨大な昆虫型怪獣が6本の歩脚で繭の上に乗る。翅に翅脈を通じて体液が送られて展張。極彩色の翅がどこまでも大きく広がっていく。

 それはまるで、日の出のような光景だった。

 蛾と呼ばれる鱗翅目に属する昆虫に似ているが、翼開長はざっと1000メートルはある。

 フツアの人々がひれ伏して拝む。

「われらにも、殻破り、繭ぬぎすてよとおっしゃるか。神がおん自ら、われらの進むべき道を体現しておられるというのか」

 古老が澎湃(ほうはい)と涙を流した。

 羽化したモスラは1000メートルの翅をゆっくりと持ち上げ、下ろした。烈風が吹きすさぶ。柔らかい体毛につつまれた巨体がふわりと浮かんだ。磐座の天井が守護神獣の飛翔を寿(ことほ)ぐように上昇し、空への道を開ける。

 モスラと向き合っていた褐色の巫女ふたりが振り返る。

「モスラは、ギドラと戦うと言っている」

「勝てるか、どうか、わからない。でも、そのために、きょうまでこの命があった、と言っている」

 羽ばたくごとに大気を浄化していくような日輪の怪獣が、ギドラへ向かう。

「サカキ大尉から通信がありました。メカゴジラの起動に成功。こちらに向かっているとのことです」

 ジョシュにマーティンがわずかに安堵する。

「メカゴジラに、モスラ。戦力大幅増だな」

「これに、ゴジラもいれば心強いんですがね」

 ジョシュがなかば冗談という顔でまぜっ返した。ある意味ではゴジラは地球最強の兵器という見方もできる。

「撃沈寸前のアラトラムの通信を傍受していたが、ゴジラはいま地球の反対側だ。マナがギドラに吸いつくされるまであと20時間強。いくらゴジラでも間に合わないだろう」

 マーティンもギドラへの不安が言わせたものだとわかっていて苦笑しながら退けた。ついで真剣な顔になる。

「そもそも、ゴジラが生きているかどうかもわからないのだからね」

「ゴジラ、生きてる」

 祭壇のマイナが断言した。

「ゴジラ、負けない。負ける、死ぬこと。ゴジラ、死なない。だって……」

「だって?」

 訊ねるマーティンにミアナが揺るぎのない決然とした表情で、言った。

「ゴジラは、ギドラを、許さないから」

 

 日本列島から2万キロ離れた――地球の外周が4万キロなので、日本からどの方角を見ようが2万キロといえばおなじ座標を示す――人類に南大西洋と呼称されていた紺碧の海、水深5200メートルの深海底に、異様な海丘(かいきゅう)があった。一片の光も届かない暗黒の世界ではあるが、平原のようになだらかな周囲の海洋底から不自然に盛り上がったその海丘は、稜線にいくつもの板状の突起物が、一定の法則をもって規則的に並んでいた。突起物には葉脈のような筋が走っている。

 海丘から地に沿って力なく伸ばされているのは、筋肉が束ねられた太い腕だ。とてつもなく大きい。海底に倒れ伏して、海丘であるかのように微動だにしていなかった巨大生物、ゴジラのたくましい腕が震えはじめ、先端が爪となっている指が閉じて堆積物を握りしめる。

 閉じられていた眼がひらく。瞳には無限の憤怒。

 ゴジラが地形のような巨体を起こす。口腔から大量の気泡が吐き出される。放たれた咆哮は、大西洋全域の海中に轟いた。

 

  ◇

 

「ハルオ、聞こえるか」

 ヴァルチャーに乗ってモゲラとともにギドラへ向かっていたハルオにメトフィエスからの通信が入った。超音速で直行しているのに、夜空を四方に照らす黄金の雲のごときギドラは、見かけ上、背景のようにまったく動いていない。あまりに巨大すぎるからだ。下方の太平洋からは海水が白い飛沫となって浮き上がり、そのまま空へと吸い込まれている。ギドラの重力が地球の引力の影響を受けにくくなるほどの高度にまで海水を持ち上げているのだろう。地球という惑星そのものがギドラのいる方向に引き伸ばされているといってもいい。マナの吸収などなくともただそこにいるだけで星を滅ぼす厄災だった。

「ギドラの体は、物質化するほどに凝縮したマナで構成されている。生来の細胞ではない。擬似的な肉体といっていいだろう。それゆえ自身の体として統率するには、なんらかの中央制御システムが必要だ」

 動物にせよ植物にせよ、また人類にせよエクシフ・ビルサルド両異星人にせよ、多数の細胞の集合体である多細胞生物であることに違いはない。最初の生物が単細胞生物であったことを考えると、人間という1個体は40兆の単細胞生物からなるコロニーであるともいえる。そして生物の本質は基本的には利己である。自分に利益があるからコロニーを形成している。たとえば免疫細胞は母体を守る使命感からではなく、あくまで病原菌という餌を捕食して飢えを満たしているだけだ。そういった利己の集大成が結果的に人体を維持する利他につながっている。

「ギドラの体はマナを強引に寄せ集めたもので、おれたちの体のように構成単位が全体を維持する仕組みにはできていない……? 自分の体がばらばらにならないよう統轄する支配者が居るということか」

「そのとおりだ」

「全体を一括制御するコントロールユニットで、群体をひとつの個体のようにまとめあげている、という点では、メカゴジラに似ているな」

 ハルオは、ユウコの脳をニューラルプロセッサとして制御システムに搭載しているモゲラをモニター越しに見やった。

「ギドラの体のどこかに、マナを下僕として強制的に支配している王、コアがあるはずだ。そのコアを破壊できれば勝機はある。問題は、この巨大にすぎるギドラのどこにあるかがわからない、ということだが」

 大海から砂金を探し当てるようなものだ。難題である。

「だがメトフィエス、なぜそんなことを知っている?」

 画面のなかのエクシフが、ひどく人間くさく微笑んだ。

「故郷を滅ぼした怪獣を憎みつづけ、落ち延びてより幾星霜、闇と真空を放浪するあいだ、ずっとその打倒に固執しつづけてきたのは、きみだけではないということだよ」

 ハルオがタウeへの旅のなかで寝ても覚めてもゴジラの殲滅に執念を燃やしてきたように、メトフィエスもまた、ギドラへの復仇(ふっきゅう)をひそかに誓って方法を模索していたのだ。似たものだからこそメトフィエスはハルオに共感したのかもしれない。

「わたしのこの手でギドラを倒す日がこなくとも、築いた理論がのちの世代へ受け継がれ、いつか宿願が成就すればいい。そう考えていた。まさか、このわたし自身がやつを拝むことになろうとは、正直言って思いもしなかったが」

「おれがあんたなら、きょうという日をエクシフの神に感謝してるだろうさ」

 メトフィエスが意表をつかれた顔をする。

「自分の手で仇が討てる。つぎの世代に後回しにしなくてすむからな」

 白皙長身の美丈夫は、いままで見たことがない、きょとんとした表情になって、つぎにほがらかに大笑しはじめた。メトフィエスが声をあげて笑うところを見るのも、これまたはじめてだった。

「そうか、そうだな。ハルオ、わたしたちの世界は、わたしたち自らの手で守り抜かねばならない。健闘を祈るぞ」

 画面がメトフィエスからマーティンに切り替わる。

「サカキ大尉、まずはギドラのどこにコアがあるかを探る。モスラというフツアの守護怪獣がギドラの右側面と後方を攻撃する。きみは左翼を、ユウコくんは上空へ回ってやつの背中を攻撃してくれ。手分けしてコアの場所を突き止めるんだ」

「了解。ユウコ、いくぞ!」

 ハルオとモゲラが散開。ハルオはヴァルチャーの運動性能と速度性能を人体の限界まで発揮させて西南西に針路をとる。背中がシートの背もたれと一体化してしまいそうになるほど押しつけられる。対気速度計はマッハ5に届こうとしていた。喉までこみあげてきた胃液が喉を焼く。苦味と酸味の混じった唾液を飲み込んで自らに喝を入れる。ナノメタルの翼は、東シナ海を抜けてからわずか50分足らずで旧中国領を東西に横断し、かつてオペレーション・グレートウォールで2000発の核兵器に崩落させられたまま密林に呑まれている元ヒマラヤ山脈上空へハルオをたどり着かせた。

 南の方角には、純金で建造されたかのような壁がそびえたっている。高さは天空まで、幅は地の果てまでつづいているかのようで、端が見えない。事実、地球に翼と尾を挿し込んでいてなおギドラの背は高度100キロの熱圏にあり、左の巨翼はインド亜大陸全土を南北に分かつだけにとどまらず、インド洋を二分し、下端はオーストラリア大陸西の沖合いにあるのだった。

 コウモリにも似た翼平面形(よくへいめんけい)の翼が、爪のひとつを元ニューデリーに打ち込んで、地球のマナを飲み干そうとしているのだ。右翼はすべての爪が海に刺さっていることから、マナに接触するには地球のどこでもいいらしい。ギドラには地上と海底の高低差など誤差にすぎないようだ。

 近づく生命を無差別にマナへ変換してしまう宇宙超怪獣の重力場に囚われてはならない。ハルオはギドラから50000メートル以上の距離を保って占位した。レールガンの砲身にナノメタルが発電した融合炉なみの膨大な蓄電量を投入。

 弾き出された硬化ナノメタル弾頭はマッハ12の極超音速で飛翔し、過去にエヴェレストのあった地点から、はるか600キロ先の旧インド領元ニューデリーの荒野に食い込んでいる超巨大な爪に着弾した。つづいて翼の皮膜にあたる部分にも次々に電磁加速の砲弾を命中させる。

 宇宙ロケットのように雄々しく急上昇していたモゲラは、大気と宇宙との境目であるカーマン・ラインを越えて、高度150キロに定位した。眼下にはギドラの背中が東南アジア全域とオーストラリア大陸北部まで広がる。高空からの眺めはさながら宵闇に現れた金色の海原だった。

 モゲラが全身の各部から長砲身のランチャーを生成。16門の砲門が、電磁加速によって全長50メートルの銀の槍を射出する。貫通力に特化した完全装甲重質金属侵徹弾頭(フルメタルミサイル)が銀の落雷となってふりそそぐ。

 マッハ13の槍も、ギドラの外皮こそ塑性変形させて相互侵食を起こすことで侵徹したが、黄金龍に動きはない。弾体は穿孔とともに長さが失われていくので、装甲厚に対して十分な全長がなければ貫徹できないのだ。しかし弾芯をいま以上に長くすると初速が落ちる。

 モゲラ自身が急降下。大地のように平面的ですらあるギドラの広大な背に高速で着地する。超重力がモゲラの重量を1000倍以上にも増加させる。

 だが、モゲラは自重で潰れることなく自立していた。

 金属の理論強度に対して、実測値はその1/100ほど。技術的限界に挑戦しても1/10程度でしかない。鉄の理論強度は23ギガパスカルだが、21世紀初頭の自動車用鋼板で0.59ギガパスカル、実用化できた最高強度のものでも2.5ギガパスカル級が限界だった。強度ばかりを追求しても延性が失われるために製品として実用性に乏しいという事情もあるが、物理的な問題として、金属材料そのものの亀裂、繰り返しの荷重が作用して生ずる金属疲労、原子の配列のばらつき、不純物の存在といった構造的欠陥をなくすことはできないからだ。

 だがもし、不純物の混入や、化学的に活性な環境での原子間結合、原子の分布を完璧に均一にできたなら、理論強度を実現できる。

 金属材料を構成するナノマシン1個1個にいたるまで操作し、金属疲労の微視亀裂すらもリアルタイムで排除、原子間の距離を寸分の狂いもなく等間隔にととのえた体心立方格子結晶たる超高張力ナノメタルは、まさに地球最強硬度。ギドラの重力によるすさまじい荷重すらも降伏点が上回るため、モゲラは座屈を防いで立っていられるのだ。

 モゲラが両腕の螺旋円錐体(バスタードリル)を高速回転させる。自身が踏みしめるギドラの背にドリルを突き立て、掘削していく。根元である肘まで埋まってから腕ごとドリルを分離。後退する。

 理想強度のドリルがそのまま肉を掘り進む。しかし一定の深さで超高密度体に阻まれて侵攻不可となったため、起爆。爆炎が穿孔から噴き出す。

 南の水平線が、夜の闇を幽玄な虹色に染め上げている。

 

 ギドラの東側を音よりも速く南下していた巨蛾怪獣モスラから、羽ばたきとともに鱗粉が飛散する。電荷を帯びたそれは意思をもっているように夜気を舞う。鱗粉はモスラの姿に集まって、本体と編隊を組む。

 鱗粉によって形作られた分身は、赤からオレンジ、黄色、緑、青、菫色(すみれいろ)にめまぐるしく色彩を変化させながら追随し、モスラがハワイへ到達するころには、100体にまで増えていた。

 モスラとともにハワイ上空で幻想的に旋回していた、五彩に輝く分身たちが、いっせいに星空に散開する。ある一団は西へ直進してギドラの右翼をめざし、ある一団はさらに南進して赤道を越え、南極大陸と南極海に刺さって地球からマナを吸い上げている2本の尾へ殺到。それぞれがマッハ85という驚異的な超高速で体当たりをしかける。着弾した分身は、翼開長1000メートルのモスラの姿をした爆弾であるかのように爆発し、宇宙超怪獣の表皮に絶え間なく試練を与える。ギドラには針で刺されたようなものでしかないだろうが、100の分身による攻撃は100回繰り返すと1万の打撃になる。

 爆発四散した鱗粉はギドラの周囲を波のように漂う。

 モスラが櫛状の触角からプラズマ化した光線を七色の霧に射つ。ビームは鱗粉で乱反射し、ランダムに駆けめぐって太平洋上空から珊瑚海、タスマン海、南極海の空まで飛び交い、さまざまな角度からギドラを攻め立てた。モスラはホノルル空域にいながらにして、太平洋を南北につらぬくギドラの右側面全体と、南極圏の尾を攻撃できるのだった。

 

「ギドラの体表にシールド、およびそれに類似する電磁波徴候、認められません」

 フツアの集落がある山の頂上に設けられている(やぐら)で、ジョシュが観測データを分析する。日が落ちているのにギドラの輝きで明瞭な影ができるほど明るい。

 マーティンも分析結果をたしかめる。

「シールドがないのは、かえってやっかいかもしれんな」

「単純な防御力だけでじゅうぶんだったということですか」

 

 背中、翼、尾に攻撃を繰り返すが、コアの場所が判明するどころか、ギドラが反撃に出る気配すらない。

「やはり、ここじゃない」

 しかしハルオには想定内だった。

 

「上面、腹部、側面、後方に反応がないとなると」

「前方、ということになるな」

 マーティンの推測をメトフィエスが引き継いだ。前方、つまりギドラの正面から攻撃するしかない。惑星や恒星がそうであるように球体こそが正解の宇宙空間に棲息しているにもかかわらず、ギドラが前方に火力を集中する姿をしているのは、そこに守らなければならないものが隠されているからだ。ハルオたちはそう睨んでいた。それを確認するためにまずは前方方向以外を叩いたのだ。

「これよりギドラの真正面に回る。ありったけ叩き込むぞ」

 ヴァルチャーの翼をたたんだ超高速飛行モードで日本列島にとって返すハルオの命令に、モゲラが全ブースターの最大推力でギドラの引力圏をふりきって雄翔し、マーティンから双子の巫女を経由して伝えられたモスラも、逆向きの雨のなか北太平洋を北西へ飛ぶ。

「はっきり言ってギドラの正面は避けたかったが、しかたがない」

 旧中国領と旧ネパール領の国境からとんぼ返りした沖縄諸島上空50キロで、神々の建築物のように動かないギドラの左の顔とハルオは正対した。ヴァルチャーが両手に抱える2門のレールガンを連射。大気が薄いために初速のまま着弾。龍の鼻先で火花が水飛沫のように散る。

 モゲラがギドラの中央の頭部直上に空中定位して、腕を腰だめに構える。ドリル部分を回転させながら射出。螺旋を巻いた円錐が底部からプラズマジェットを噴かせて翔破する。頭頂部に激突し、外皮をナノメタルの刃で掘削して内部で爆発。爆裂と金属破片でずたずたに引き裂く。

 小笠原諸島の空にある右の首に、モスラが分身を集中させる。長さ2500キロの蛇のような首が七色の火炎につつまれた。伝説に語られるドラゴンのような頭部までが鱗粉に隠される。触角のビームに加えて、額に嵌まる3つの宝玉のような単眼からも光線を照射する。

 単眼の光線は、自由電子レーザーとおなじ原理で光速にまで加速した自由電子を、強力な電磁場干渉で電子軌道を蛇行させ、共鳴的な相互作用によって位相をそろえた高密度レーザーだ。波長が1.315マイクロメートルの赤外線レーザーは大気中での減衰率が極めて小さく、長距離を通してもほとんど拡散しない。俗に大気の窓とも呼ばれる減衰の小さい周波数領域なので、数百から数千キロの距離を隔てて発射しても、威力を落とさず着弾させられるのだ。

 それらの攻撃で、戦端がひらかれてから初めてギドラが反応らしい反応を見せた。中央の頭部が首をもたげる。それだけで遷音速(せんおんそく)に達した角の先端部分の空気圧が急激に低下し、断熱膨張で飽和水蒸気量が急減することで、空気中の水分が水蒸気でいられなくなって凝固して、雲になる。結果として、荒々しい何本もの角が白い煙状の尾を曳く。まるで龍の怒りが具現化したかのような現象。

 大きく裂けた口をひらく。嘲笑うような、あるいは電子音のような、奇怪な響きが夜天を揺らした。顎の稼働音なのだろうが、まるでギドラが咆哮をあげたかのようだ。

 数キロメートル級の牙が並ぶ上顎と下顎のはざまに、黄色矮星のごときまばゆい光が宿る。

 発生された重力子が収束され、指向性を与えられた重力波を媒介として、光子の流れをねじ曲げることで通り道の空間に稲妻に似た光の洪水を起こしながら、引力光線が光速で空中のモゲラを掠めた。

 モゲラがねじ切られるように上半身と下半身に分断される。

 ふたつの残骸と化したモゲラは、そのまま本州へ墜落するかに思われた。

 だが、下半身を構成している各部品がパズルのように組み替えられ、空中で戦闘爆撃機形態であるスターファルコンに変形。

 上半身もまた、落下しながら、左右の砲身を前方へ伸ばした戦闘機、ガルーダへと姿を変える。

 2機のドッグファイターは同時にブースターに点火。ふたたび上昇し、大空を自由に飛び回る。ガルーダが両腕のような砲門から収束中性子砲を照射し、スターファルコンは電磁投射砲で実体質量弾の砲撃を、挟み撃ちのかたちでギドラの頭部に集中させる。

 

 立てつづけに顔面に巨蛾の猛攻を受けていた右の首が、うるさそうに引力光線を放つ。いくつもの分身の輪郭がかき消される。さらに中性子星なみの重力は、北太平洋の海面をえぐり、カムチャツカ半島を南西から北東へ真っ二つにせしめた。破壊の余波がオホーツク海を壁のようにそそり立つ怒濤に変えた。サハリンをふくんだ旧ロシア領のオホーツク沿岸全域が大海瀟(だいかいしょう)に呑みこまれる。

 左の首が動く。ハルオは急旋回して反対方向へギドラの頭が動いたときに、はからずも深入りしすぎていて、強力に引き寄せられそうになったが、ヴァルチャーの推進力でなんとか脱出した。

 接近すれば命を吸いとられる。「これが生身という脆弱な肉体の限界だ」ガルグの冷徹な論理がよみがえった。ナノメタル化すればギドラに近づいてもマナに分解されることはないだろう。激しい葛藤にハルオは揺さぶられた。自分は人として怪獣に勝たなければならないと信じていた。だが、人の姿に拘泥したいがために勝機をのがすことは、果たして人の在り方として正しいのだろうか。だれかのために人の姿を捨てて怪獣となったユウコのほうが、自分よりよほど人間らしいとはいえないか――迷いを忘れるためにハルオはレールガンの引き金を引き続ける。

 

「マナの枯渇まで、あと12時間を切りました!」

 ジョシュが叫んだ。地球の半分をおおうギドラを攻撃するための移動だけでも時間を食う。まだコアの場所も特定できていないのに、地球滅亡まで折り返し地点にきた。

「火力不足だな……」

 マーティンにも焦躁がつのる。ハルオ、モゲラ、モスラが全力を傾注しても、神の威光に届かない。夜空にこだまするのはギドラの笑声なのか。

 

 そのとき――。

 富士山を遠望できるフツアの櫓にいたマーティンたちは、唐突に閃光に漂白された。おもわず顔を腕で庇ったマーティンは、一瞬、引力光線にやられたのか、と思った。だがまだ思考がつづいていた。生きている……ギドラの死の光ではない。おそるおそるまぶたをひらく。光に一拍遅れて、天地が裂けるような特大の轟音と激震が一帯を襲った。櫓が逆さまの振り子のように揺れる。地球人もフツアの人々も、メトフィエスも、時化の船上にあるがごとく柵にしがみつくほかなかった。

「あれを!」

 ジョシュが指差す方向をマーティンも視線でたどった。

 富士山の山頂から、天を衝くような1本の光条がまっすぐ垂直に伸びていた。さきほどの閃光の正体だった。

 ビーム状のその光はすぐに消えたが、その代わりに山頂から紅く煮えたぎる溶岩が、爆発したように勇躍しはじめた。

 夜空を背景にきのこ雲のような噴煙が急速に膨張し、それを真紅に燃えるマグマが下から不気味に照らし出す。大小さまざまな火山弾が流星群のごとくに沛然(はいぜん)として旧関東地方一円の地にふりそそぐ。八神峰(はっしんぽう)からあふれた溶岩が輝く濁流となって流れ落ち、たちまち富士の広大な裾野が、メカゴジラシティのあったクレーターもろとも灼けた鉄色の大海と化すさまは、地球の生命力の力強い躍動を見せつけられる思いで、見るものの胸には畏敬の念が沸き上がった。

「富士山が……噴火?」

 思考が追いつかないという顔でアダムが呟いた。

「いや、これは……」

 マーティンは手すりから身を乗り出した。

 絶えず溶岩を噴き上げる幽宮(かくりのみや)に、なにか蠢くものがあった。その黒いかたまりは、紅蓮に輝く噴火口を昇って、大内院(だいないいん)の縁を形成する8つの峰のうち南側にある三島岳(みしまがたけ)浅間岳(せんげんがたけ)のあいだから、徐々に全身を現す。

 老成した竜のような頭部。深い知性の光を感じさせた瞳はいま、火口のように灼熱の業火に燃える。

 首から下に続くのは、筋肉のみで構成されているかのような、膨大な質量の詰まった堂々たる体躯。

 3列に揃う背びれが、青白い電子の帯をまとっている。

 噴出するマグマで逆光となって、体高300メートルの高峻(こうしゅん)なるシルエットの巨大さを際立たせる。

 ハルオが、マーティンが、アダムが、メトフィエスが、そしてフツアの民が、霊峰の頂点に立つ巨神の名を異口同音に叫ぶ。

「ゴジラ!」

 地球の支配者、ゴジラ・アースが、爆発的に噴火する日本最高峰の轟きを登場音楽として、天の宇宙神に届けとばかりに雄壮な咆哮を響かせる。

 高く跳ねて荒れ狂う溶岩と、成層圏まで届く噴煙中に閃く雷光が、怪獣王の再起を讃えるように壮大に演出していた。

「どうして、地球の裏側にいるはずのゴジラが富士山から……?」

 ジョシュの顔は青くなっている。

 マーティンはなかば呆然としながらも、

「おそらく、海底から地下へ掘り進んで、地球の中心をまっすぐ通ってマントルの流れに乗り、そこからふたたび富士山のマグマへ……」

「そんな無茶な! 364万気圧、摂氏5500℃の地球内核部を、どうやって……」

「……やつは、われわれの常識を超えた生物だ」

 沸騰する玄武岩を浴びながらも、ゴジラは(ごう)も気に留めず、富士の山を厳威として下ってくる。

「ギドラだけで手いっぱいなのに、ゴジラまで来られたら、どうしようもない」

「いや。やつの狙いは、ぼくらなんかじゃない」

 アダムの焦りをマーティンは退けた。

「おれもマーティン博士に同感だ」ヴァルチャーの操縦席でハルオも確信していた。「ゴジラの考えていることは、ただひとつ。――リベンジだ」

 赫灼(かくしゃく)たる鉱滓(こうさい)状溶岩の大河を、ゴジラが1歩1歩踏みしめて進む。スーパードームほどもある足が、烈火の溶岩を押しのける。超高温の荒波が大地を呑み込んでいく。

 ゴジラが(かし)いだビル群のある一画にさしかかる。人類の築いた建造物表面を蘚苔(せんたい)類がおおって枯死したのち石灰化し、建材が完全に風化したあともビルの形状のまま残った、いわば都市の化石だ。2万年前の人類の繁栄をいまに伝える墓標の街を、ビルより大きい巨獣の足が微塵の躊躇もなく蹴散らし、踏み潰し、倒壊させ、粉砕していく。森林も、都市の名残も、ゴジラの目には入っていない。障害物ですらないのだ。

 ギドラの中央の首も、自身がいちど倒したはずの相手がふたたび姿を現したことに興味をいだいたのか、ガルーダとスターファルコンを無視して、地上のゴジラを見据える。

 立ち止まったゴジラが、天空に吼えた。

 応じるようにギドラも開口。目も(くら)む引力光線が、神の怒りのようにゴジラへ放たれた。

 ゴジラは熱線で正面から迎撃した。青みを帯びた光条は、引力光線の途方もない重力にねじ曲げられ、ギドラに届くこと(あた)わず、地をえぐる。

 なにものにも阻害されない重力波の波濤がゴジラに直撃。極大の濁音が響きわたって、初戦と同様にゴジラを中心として半径10キロ以上の広大なクレーターが形成された。ゴジラもたまらず倒れる。

 ギドラがとどめとばかりに第2射を紡ぐ。

 必殺の引力光線がほとばしる寸前、倒れたままのゴジラが熱線を発射。ひらかれていたギドラの口内を狙撃した。

 口腔に亜光速で荷電粒子ビームが飛び込む。そこで暴力的な運動エネルギーを解放。

 九州ほどもあるギドラの頭部が内側から大爆発を起こして、アジア太平洋地域から一瞬だけ、夜が払拭された。

 ギドラの中央の首が、断頭されたような無惨な断面を晒す。飛び散った肉片は宙で黄金の粒子となって霧消。

 モスラと戦っていた右の首が左を見た。

 ハルオがレールガンを撃ち込んでいた左の頭部が、右を見る。

 予想だにしなかった事態に2つの頭はあきらかな狼狽をみせた。首を寄せ、立ち上がったばかりのゴジラへ、同時に引力光線を斉射する。

 双頭の稲妻がゴジラを痛撃し、富士山まで一気に押し戻した。強大な重力波は富士の足元へ432万トンの巨獣を弾き飛ばして、2000億G以上の重力加速度で構成分子を引きちぎるだけでなく、背後にある標高3776メートルの玄武岩質成層火山を分子レベルで分解。かつてその優美な風貌で日本民族が信仰の対象としていた悠久の山体は、粘つくマグマを漏洩させながら地響きを道連れに崩落し、山津波となってゴジラの上におおいかぶさった。日本最大の芸術品だった富士の山は、今やぶざまに崩れた無数の岩石と成り果てた。

 ギドラの直上に、背景の夜より暗い染みが滲む。それは見る間に大きくなっていく。まさに闇の天体だ。

「これは」ジョシュが漆黒の球を観測して得られた情報の津波に目を(みは)る。「まさか、SXDF-NB1006-2? ばかな。線スペクトルは、赤外線のはずが紫外線として観測されてる。青方偏移が起きています」

 SXDF-NB1006-2は地球から129.1億光年彼方(かなた)にある銀河だ。人類が栄華を極めた時代に宇宙望遠鏡で観測したときには、その銀河の水素原子が放つ線スペクトルは、波長1マイクロナノメートル付近の近赤外線として捉えられた。

 しかし、この線スペクトルは本来、波長121.6ナノメートルの紫外線であった。紫外線が地球に届いたときには近赤外線になっていたのだ。原因は宇宙の膨張にある。電磁波が伝わる空間自体が膨張しているので、地球へ到達する長い旅のあいだに波長が引き伸ばされていたのである。

 だが、暗黒球から覗き見る世界では、逆に赤外線が紫外線に縮められていた。空間が圧縮されているからだ。すなわち、地球とは反対の方向からSXDF-NB1006-2が見えているとしか考えられない。

「そんな。ありえません」

 ジョシュの声はさらに困惑を極める。

「観測データからゲマトロン演算が算出したすべての解析結果が、太陽系の観測を示しています。太陽だけじゃありません。地球も捕捉できています。ぼくたちが、ぼくたちを外から見ている。なんだ、これは。なんなんだあれは!」

「時空が局所的に歪んでる。自然発生の特異点だと?」

 マーティンもキーを叩いて解析していくが、各種センサーから吐き出される数値にはことごとく整合性がない。さながら、目の前に自分の後ろ姿が立っているようなものだ。3次元に住むものには全容が知覚できない。

「そうか。どうりでどこにも見つからないわけだ」メトフィエスがガルビトリウム結晶を握る手に力を込める。「そもそも、われらの世界にはいなかったのだな。11次元の世界がおまえの住みかだったか」

 人類は3次元空間と時間の4次元世界しか知覚することができないが、宇宙は11次元で成立している。エクシフは純粋数学と統計を極限まで突き詰めることで、限定的ながら未来を観測し、いわば5次元世界を垣間見るゲマトロン演算を掌中に収めていたものの、7次元より高次の世界には手が届かなかった。優れた科学技術を誇ったビルサルドでさえ、3次元生物の枠を物理的に超えることはついぞ不可能だった。

「星と同等の年月を宇宙で生きるうち、宇宙の真の姿たる11次元に適応した、というのか……」

 マーティンは分析の手も止めて畏怖した。ジョシュやアダムらも、まばたきさえ忘れて凝視している。

 人類の目には、宇宙の暗黒を凝縮した球体のようにしか見えない特異点、その向こうに、もうひとつの球体が覗く。

 富士へ急行しながら最大望遠で特異点を確認したハルオは、最初、そこに浮かぶものを巨大な脳だと思った。さらによく目をこらして、ようやく理解する。

 20年以上におよぶアラトラム号の旅の中途で、ハルオをはじめとした子供たちは、人類の未来をになうものとして徹底的な学習教育を受けた。その一環として、いつか画像で見た人間の発生過程……受精卵から胚となって胎児へ成長する過程のひとコマが、記憶の奥底から掬い上げられる。

 ギドラの真上に浮遊するのは、直径666メートルのヒトの胎児のような物体だった。まだ目や四肢が明確に分化する以前のような、胴体に対して異様に頭部が大きく、みじかい尻尾のある原始的な肉塊が、まるで膝をかかえるように丸くなっている。その奇怪な胎児は白い燐光を放つ半透明の繭のような球状の膜につつまれていた。特異点の黒と、その内側に淡く光る膜の白とで、天に現れた巨大なひとつの眼球のようでもある。

「あれがギドラのコアか!」

 マーティンがハルオに胎児への攻撃を指示する。すでにハルオは砲身を肉色の巨胚へ向けていた。インターフェイスが目標を捕捉。電力を投入。「くたばれ!」爆音とともに飛び出したナノメタル砲弾が、1秒間に3400メートル進む極々超音速で駆け抜ける。

 弾丸はコアをつつむゼリーのような膜に突き刺さった。着弾点の膜が奥へと伸びる。停止。逆再生のように変形がもどる。レールガンの投射体は運動エネルギーのすべてを抹殺され、その弾力によってあっけなく押し返された。

 モスラが自らとおなじ大きさの分身をコアへと飛ばす。触角のビームと、額の単眼からの赤外線レーザーも斉射。

 ガルーダ、スターファルコンも火力を全開にしてコアを攻める。

 だが、それらのあらゆる攻撃は、ただ膜を揺らすだけにすぎなかった。一見たよりなさそうな繭が、コアへの最後の一手を阻んでいた。

 地球の半分をおおうギドラの全身が砂金のように崩壊する。マナに還元されたのだ。コアが集中砲火を一身に浴びるなか、粒子が集合。3本の長い首、左右にひろがる巨翼、2本の尾というギドラの麗姿が、地球の地殻にとりついた状態で再構成される。つづいて特異点がコアごと縮小され、小夜(さよ)の空に埋没するように消え去った。みにくい赤子のようなコアはもうどこにもない。

「ギドラにとって、あの黄金の龍のような巨体は、この世界に干渉するためのアバターにすぎないのか。次元を超えて操作しているため、本体でさえ限られたコマンドしかこちらに入力できない。結果、損傷部分だけを修復させるほどの繊細な芸当はできず、再生させるにはいったん全身を形象崩壊させてから再構成するほかない……」

「そのさい、高次元世界にひそんでいたコアは、じかに復元するためにこちらの世界へ具現化する必要がある」

 マーティンとメトフィエスが推論を組み立てていく。

 ハルオにも理解できてきた。

「もういちどギドラに傷を負わせて、コアを出現させる」

 コアをどうすれば破壊できるのかはまだ不明だが、まずは3次元空間に引きずり出さないことにははじまらない。

「マナ枯渇まで、8時間を切りました!」

 夜明けはまだ遠い。あるいは、地球の生命はもう二度とあけぼのを見ることができないかもしれない。そんな思いを抱きながら、ハルオはギドラの真ん中の頭にレールガンを連射する。

 モスラもまた、触角のビームと単眼の光線を放射、それらが集束して、太陽の表面温度の20%という高熱の(きり)に強化され、宇宙超怪獣の中央の首の一点を穿つ。

 ガルーダが空中で変形して上半身となり、おなじく下半身へ変形したスターファルコンと上下にドッキング。モゲラ形態へもどって、胸部を開放、そこから全ナノメタルの電力を集中させた高出力の中性子砲を照射する。

 3者の総攻撃に、真ん中の首が頭を振る。衝撃波が吹き荒れる。右と左の頭部が引力光線で中央を援護。地を割る威力の稲妻が交差する。発射の兆候を読んでいたハルオは急降下、モスラとモゲラは左右に入れ代わるようにしてまぬかれた。重力波は光速だが直進しかしない。発動と効果範囲さえ見極めれば、回避は不可能ではない。

 交差していた引力光線が消えたとき、その向こうにあったのは、顎をひらいてモゲラを狙う、ギドラの中央の頭部だった。

 左右の首による援護は、こちらの戦力を分断させるための囮だと、ハルオが気づいたと同時に、モゲラへ引力光線が一閃された。

「ユウコ!」

 完全な直撃で、理想金属の躯体でさえ分子間結合が切断される。モゲラを構成するナノマシンの分子構造そのものが崩壊。電子と原子を乖離させられることでプラズマになって、機械怪獣の首が高温の焔に変じて蒸発し、四肢が瓦解してしまい、残った胴体はきりもみに回転して、隕石のように旧福岡の森林地帯へと墜落した。

 金属質の巨木がひしめくなかに倒れたモゲラは、動けない。

 と、列島全土から、そして大陸から、絶望の黒に塗りつぶされた空におさおさ劣らない黒雲がわきあがった。フツアの櫓上空も、その黒い雲霞(うんか)が翼を羽ばたかせて、それらは耳障りに騒ぎながら西へ通過していく。鳥ではない。アダムが思わず注目する。

「こいつら、どこから?」

 これまで地球降下部隊を幾度となく襲ってきた、金属の翼竜が、群れをなして猛進していた。

「ギドラから逃げているのか」

「いや、様子が違う。追い立てられているというより、なにかを目指しているかのようだ」

 と、マーティンには見受けられた。

 そのとおりだった。おびただしい数の飛竜たちは、すべてが旧福岡のモゲラに殺到していた。

「そんな。とどめを刺す気か!」

 ジョシュの報告にアダムが歯噛みした。

 モゲラを中心に黒い渦を巻いていた鋼鉄の飛竜が、怪鳥音をあげて急降下した。

 ナノメタルが自動的に反応し、手も足もないモゲラから棘皮動物のように無数の槍が伸長、近づく翼竜をかたっぱしから串刺しにする。息絶えた怪鳥は菌糸のような銀に染められ、ナノメタルと同化していく。

 翼竜たちはなおもモゲラに(すだ)く。そのすべてがナノ金属に百舌鳥(もず)の早贄よろしく残酷な磔刑(たっけい)にかけられ、体細胞をナノメタルに作り替えられて、吸収される。

 モニターしていたマーティンの目に理解の閃き。

「まさか、あの翼竜たちは、わざとナノメタルに食われているのか」

 ゴジラとほぼ同一の細胞からなる飛竜は、生きた細胞でありながら金属成分も多量に有している。ナノメタルの原料としてはうってつけだ。モゲラの金属は鋼鉄の翼竜をつぎつぎと取り込み、増殖して、ユウコのAIにすすんで隷属し、質量を急増させた。

「彼らもこの星に住まうもの」マイナが言う。

「星に仇なすものと戦うためにわが身をなげうち、おなじ舟に乗った」ミアナも和した。

 アダムがひとしれず拳を握りしめる。

 旧福岡に集結した翼竜が1頭残らず呑み込まれた。

 星々の光に照らされた金属の山が立ち上がった。

 そこにいたのは、体高800メートル、総質量1億2288万トン、五体満足のモゲラだった。すべてのブースターに点火。膝をたわめ、伸ばすと同時に空へと戻る。

 水晶のかたまりのようなモゲラが両腕をあわせてギドラへ突きだす。右腕と左腕が融合。身長すら超える全長1200メートルの大型ドリルとなって回転。

 ハルオに引力光線を射とうとしていた左頭の眉間に真っ向から突撃し、プラズマジェットの推進力もあわせて掘削する。

 モゲラに額を穿孔されている左の首が、右側へしなる。

 ついで、日本列島に匹敵する長大な首が、薙ぎ払われるように振られた。先端にある頭部はたやすく音速の壁を超え、大気が割れて、海といわず地といわず衝撃波を極東の広域に叩きつけた。

 ギドラの重力に起因する脱出速度以上の速度で振りほどかれたモゲラは、空中で姿勢を修正できなかった。いくつもあるブースターからばらばらに火が噴くばかりで飛行どころではない。なすすべなく地面に吸いこまれた。墜落地点は偶然にもフツアの集落近傍だった。

 モスラとハルオが縦横に飛び交って攻撃を続行するなか、大地のモゲラは立てない。四肢が麻痺したかのように立ち上がろうとしては倒れるのを繰り返している。

「まずいな。巨大化しすぎているんだ」

 マーティンが解析機器の横の床を拳で叩いた。

「350メートル級のメカゴジラは、ナノメタルのAIにビルサルド1人の脳がニューラルプロセッサとして組み込まれることで自律していた。あれほど巨大だと、AIとユウコくん1人の脳だけでは、常時要求される膨大な演算処理が追いつかない」

 櫓から望むモゲラは、言うことを聞かない体を引きずり、ただ地を這うだけだった。

 拳を握ってはひらき、握ってはひらいていたアダムが、五指を固く握る。

「なら、おれがいきます」

 地球人ばかりか、フツア族までが驚愕の顔で青年少尉を見た。

「1人より2人です。人の脳を計算機にするというのなら、おれの脳もつかえば、処理速度は少しはマシになるはずです」

「わかってるのかアダム少尉、ナノメタルとの同化に可逆性はない。いちど融合してしまえば、海に落とした1滴の水を掬いなおすことができないのとおなじで、もう二度と、もとの人間には戻れない。自己の連続性さえ失われる。自分じゃなくなるんだ」

 マーティンにアダムは、吹っ切れた清洌(せいれつ)な笑みを浮かべた。マーティンは肌が粟立った。人間がこんな笑みを浮かべてはならない。

「サカキ大尉も命がけで戦ってるんです。おまけに、あんな女の子が戦って、苦しんでるのを見て、なにもしないなんて、おれには無理です」

 アダムは表情を引き締めて敬礼した。

「アダム・ビンデバルト少尉、これよりタニ曹長の援護に向かいます! お世話になりました!」

 マーティンは反射的に答礼してしまった。アダムは軍人らしく回れ右をして、むしろ肩の荷が下りたようにモゲラへ向けて駆け出していった。

「あいつの単細胞な脳みそだけじゃ心配だ。おれも行きます」

「自分も、アダム少尉に続きます!」

 アラトラム号最後の生き残り、つまりは地球人類最後の生き残りである降下部隊の面々がつぎつぎと名乗りを上げ、アダムの後を追う。ゴジラに地球を追い出され、20年もの時間を無駄な放浪に費やし、いままたギドラから逃げ回っているなかで、皆のなかに無力な自分へ対する鬱積したものがあったのだろう。それがついに臨界を迎えたのだ。マーティンとジョシュはここで戦況を分析して指示を下さなければならない。ベンジャミンが立ち尽くしていた。

「おれは……おれは……」

「無理に行かなくていい。きっと、どちらでも正しいんだ」

 マーティンはベンジャミンの肩を叩いて慰めた。

 天上で繰り広げられる爆音と轟音の多重奏のなか、行く手をはばむ倒木と岩石の山を踏破し、モゲラのもとへ急ぐアダムに、ハルオから通信が入る。

「アダム、本気か。ナノメタルに呑まれれば、人でなくなるんだぞ」

 ギドラとの戦闘の余波でできたらしい断層帯を乗り越えたアダムは、ヘルメットの内側に投影されたハルオに滝のような汗を流しながら白い歯を見せた。

「おれたちは、あなたがゴジラと戦っているとき、メカゴジラのなかから見ているだけで、なにもできなかった」

 ひらけた視界の先には、自己の形状すら保っていられず自壊しかけているモゲラの巨体があった。

「でも、今は違う。あなたとともに戦う手段がある!」

 アダムのあとに、7人の地球人がつづく。

「ゴジラに滅ぼされるのも、ギドラに喰われるのもお断りです。どうせ死ぬなら、どんな手を使ってでも、できることをやりきってから死にたい!」

 息があがるのもかまわず走るアダムは、分身やビームなど多彩な技で奮闘するモスラを仰ぎ見た。

 モゲラ復活のために自己犠牲をなした翼竜たちを思い出す。

「怪獣でさえ、この星を守るために自らの命をなげうっている。いまここで傍観者になったら、おれたちは永遠に、この地球で生きていく資格を失うんです!」

 立ちふさがるあらゆる障害を越えていく。

「世界を守るために戦う。男にとって、これ以上の名誉がありますか!」

 制御力を消失して苦悶に身をよじるモゲラのそばまでたどり着いたアダムは、口のなかがからからに渇いているのもかまわず無線機を全チャンネルに合わせた。

「タニ曹長、聞こえるか。アダム少尉だ。おれたちを取り込んでくれ。おれたちの脳を使ってくれ!」

 音声無線を受信したらしいモゲラが、巨大な顔をアダムらに向けて停止する。モゲラはためらっているかのようだった。その間にも機械の怪獣からは、金属部品が弾け、腐った肉のようにこぼれおちる。

「いいんだ、タニ曹長、やってくれ!」

 アダムが仰視しながら敬礼した。ほかの兵士らも倣った。

 ついにモゲラが動いた。

 機械怪獣の体の一部が溶解して液状となり、白銀の激流となってアダムたちに押し寄せる。

「サカキ大尉。地球のために戦うあなたの隣に立てることを、光栄に思います」

 アダムたちは敬礼したまま銀の波濤にひと呑みにされた。逆再生のように大波が戻っていく。そこにアダムたちの姿はなかった。

 新たに8人の脳を取り込んだことで、並列回路の演算能力が飛躍的に上昇、制御系が完全に掌握下に入る。さらに、多量に混入した人間の遺伝子がモゲラのナノメタルに突然変異を引き起こす。

 ドリルだった腕は、5本にわかれた指をもつ手に変わる。

 脚が伸び、尾が吸収されて縮んでいく。

 節足動物に似ていた頭部は、比率として小さくなり、その顔は太古にアジアで信仰されていたという仏像に似た微笑を(たた)える。背負う精緻な造形物が発光して、光背(こうはい)となる。

 各部から排熱しながら2本の足で仁王立ちする。

 均整のとれた全体のバランスは、怪獣というより人間に近い。身長800メートルの巨人だ。

 それは、開発を主導していたビルサルドでさえ、可能性としてしか予想していなかった、ナノメタルの新たな進化。

 その名は、鋼鉄の巨人、ジェットジャガー。

 ジェットジャガーは両手を上へ伸ばして地から離れた。

 

 重力などないように空を貫くジェットジャガーが、ギドラの正面を横切りながら、背中の光輪をいっそう輝かせる。立てた右腕の肘に、倒した左手の指先を重ねる。

 右前腕から、強烈な光の柱が発生。水平にほとばしった光の柱は、ギドラへ一直線に駆け抜け、いましもモスラに引力光線を射とうとしていた左頭部の上顎先端で爆裂。光。爆風。電磁波。都市区画をまるごと廃墟にできるほどのとてつもない破壊光だった。

 右手を粒子加速器としてプラスの電荷をもつ粒子を加速させ、左手の粒子加速器ではマイナスの荷電粒子を加速、両者を合体させて、電気的に中性な粒子である中性粒子ビームとして発射したのだ。荷電粒子砲という点ではゴジラの熱線とおなじ原理である。

 鼻っ面を焼かれた左頭の注意がジェットジャガーに移る。

 巨人は、横にひろげた両腕をそのまま畳んだ。つぎに、左腕を前へ突きだし、右手を振りかぶる。アークプラズマの周囲を不活性ガスで被包すると、外側が冷却されて電流が中央部に集中する熱的ピンチ効果で加速され、高温高速のプラズマジェットが得られる。水を撒くときにホースの口をすぼめると水圧が上がるのとおなじだ。ガスに18%の水素を混入することで、アーク電圧が急激に上昇。

 プラズマに放電する電流量を増大。導体中に電気が流れると導体の周囲に磁場が発生する。核融合炉が磁場でプラズマを閉じ込めるように、この磁場がプラズマの流れを誘導し、さらに狭窄されると同時に、任意の軌道に安定させる収束効果が起きる。

 プラズマの光は、ジェットジャガーの右手を中心に、回転のこぎりのような形状に成形された。

 投擲された縦の光輪は、左の首の眉間に命中。宇宙空間という極限環境にも耐える堅固な表皮を両断していく。

 光輪はなおも荒れ狂い、下半分を黄金の肌に埋めながら、後頭部から抜けていった。龍頭が震える。だが赤色巨星のような瞳の強靭さは衰えない。1平方センチメートルあたり100キロワットの熱量密度でプラズマジェットを噴射すれば、厚さ20センチメートルの鉄板すら、0.8秒で貫通する。それ以上の高速、高熱、高密度をほこる光の刃でも、ギドラにコアを出現させるほどの致命傷には届かない。

 反撃の引力光線は、発射寸前で横合いからハルオがレールガンで殴りつけ、しかも反対側からモスラのレーザーが撃ち抜いて、注意を分散させることで阻止。その隙に巨人はいったん距離をとる。

 

 左頭部の苦戦をみてとったギドラのセンターヘッドが、外見からは想像もできない電光の速度で振られ、爬虫類に似た構造の大顎を開放する。顎の稼働限界までひらかれた口腔は、直径600キロの円周に、高さ2キロから6キロの牙が生えそろった、地獄の入り口だった。

 中国四国地方へ逃れるジェットジャガーに、影。巨人どころか、中国地方と四国全域に、月光をさえぎる暗い影が落ちていた。

 空中で振り返った巨人が、空を見上げる。上から降ってくるのは、夜空をおおうブラックホールのごとき冥暗(めいあん)の咽喉。

 黄金龍の大顎が音速より速く閉じられた。

 ジェットジャガーが口腔内に消える。

 龍は悠然としていた。

 その顔に異変。

 長さ300キロ近い下顎が、わずかに下へ動く。ギドラの眼には戸惑いの色。

 ハルオも、マーティンたちも、きょう何度目かの驚愕に貫かれた。

 ギドラの口内にて、白銀の巨人が、鋼の足で口腔底を踏みしめ、機械の両腕で口蓋を支え、圧殺を防いでいたのだ。

 ただでさえ強大な重力下で、大陸がのしかかってきたにもひとしい質量と咬力の万力に、満身の膂力をもって抵抗する。一瞬でも力を抜けば即座に圧壊して鉄屑となる。

 耐えきれなくなった腕や背中、腰部に太ももから、部品が弾け飛ぶ。

 ギドラの口腔内に飛び散った破片が、生きているかのように蠢動(しゅんどう)、水銀のような液体金属を経て、10メートル前後の大蛇に変身して這いまわる。飛竜と同様にゴジラ細胞と共通の因子をもっていたワーム型の怪物だ。ただし、ナノメタルで再構成されているために、ただでかいだけの芋虫ではない。頭部の先端が、螺旋を巻いた円錐形になっている。

 ナノメタルの大蛇たちは、いっせいにギドラの口内をそのドリルで掘削して、内部へ浸入しはじめた。外皮がどれだけ頑強でも、粘膜まで装甲できるはずはない。理想強度を実現した大蛇が回転する衝角で放埒にギドラの肉を食い荒らす。

 高等生物ほど痛覚には敏感である。センターヘッドは、西へ東へ、頭を振った。上顎と下顎に余裕ができる。喉の奥から金色の光。天と地が閉じるかのような死の(あぎと)から、ジェットジャガーがブースター全開で牙と牙のあいだを間一髪ですり抜けて、横へと脱出。直後に引力光線の奔流がほとばしっていく。

 

 重力波の雷光が墨色の空をわたったとき、富士山だったがれきの山が、内部から爆発したように岩石を四方八方へ飛ばした。マーティンたちはまた視線をそちらに動かした。猛々しい咆哮がフツアの領域にまで轟きわたった。細胞に刻み込まれた恐怖を呼び起こされるにもかかわらず、その大音声(だいおんじょう)には心を奪われるなにかがあった。

 もはや富士の山は原形すら残していない。そこに新たな山岳がぬうっと立ち上がる。

 ゴジラだった。熱線のエネルギーを体内で爆発させ、全身から放射することで、総質量数百億トンはある富士山の岩石と土砂をまとめて吹き飛ばしたのだ。

 賦活(ふかつ)して巨大な(あし)で力強く直立するゴジラは、なんら傷を負っていないようにみえた。

 だが、その左上腕に亀裂が走り、それは稲妻のように急成長して、太い腕を一周する。

 ゴジラが足を踏み出した振動が引き金となり、左腕は枯れ木が折れるように肩から離れ、地球の重力にひかれて落下した。高層ビルほどもある左腕が落着した衝撃で、砂塵が舞い上がる。

 分子のつながりそのものを切断する引力光線は、怪獣王の巨躯に確実に深手を与えていたのだ。

 隻腕となりながらもゴジラは前進をやめない。旧御殿場まで歩を進める。

 ヴァルチャー機内からモニター画面のゴジラを睨みつけるハルオには、忸怩たる思いがあった。ゴジラは両親の仇だ。そればかりか人類を絶滅の危機に追いやり、ハルオたちに屈辱的で過酷な宇宙船の旅を強いた、にっくき敵だ。

 しかし、ゴジラはいま、たとえどんなに傷ついても、この地球(ほし)を守らんと、勝てる見込みのない戦いにかかわらずその身を投じている。

 地球に住むものの義務として、悪しき侵略者に隷従せず、魂の自由のために昂然と立ち向かう。まさに、人間のあるべき姿ではないか!

 天の高みにある、ギドラの3つの頭が、地上のゴジラに指向される。また引力光線の一斉射を受ければ、今度こそゴジラとて命がつきるかもしれない。

 ハルオはギドラの重力圏内に囚われる危険を冒し、急速接近しながら左の頭部の左目にレールガンを撃ち込んだ。何発も何発も叩き込む。無線機に声を張り上げる。

「ゴジラを援護する。ギドラにやつを攻撃させるな!」

 モスラが鱗粉の摩擦で生じた電位差を利用して、胸部からすさまじい電撃の嵐をギドラの右の頭に見舞う。自然雷は1億から10億ボルトの高電圧、数十万アンペアの大電流だが、わずか0.001秒しか発生しない。モスラの水平の雷は、電圧と電流量はそのままに放射時間が長いため、圧倒的な破壊力となる。

 ジェットジャガーが高密度プラズマの円刃を両手に生成。ギドラの中央の頭部に投擲して切り刻む。龍がいらだつように島のような顔をゆがめた。

 右と中央の首がゴジラから照準を外した。左の首はいったんハルオに向きかけたが、やはり優先的に処理すべき敵と認識していたのか、すぐに戻ってゴジラへむけて引力光線を放つ。

 地球最大の生物が、天からのまぶしい光のなかに閉じ込められ、付近にあった権現山もろとも蒸発した。

 ギドラの左の顔が勝利を確信。

 そこへ地上からの赤い熱線が伸びて、大口をあけたままだった左首の口内を射抜いた。熱線を飲まされた、横顔が台湾島ほどもある頭が膨脹。眼球が流星のように飛び出したかと思うと、急激な昇圧に耐えきれなくなった頭蓋が破砕、割れ目からは光を放射するほどの非常に高温のガスが噴出し、圧力が大気中に一気に解放される。まるで大質量の恒星がその一生を終えるときに放つ爆発のような、凄絶な光景。

 残りのふたつの首にも小さくない混乱があった。

 七色の鱗粉が権現山方面からの爆風で流されていく。

 旧御殿場に変わらぬ威厳をまとって立つゴジラの雄姿が、蜃気楼のように現れる。

 モスラの鱗粉が、本物のゴジラ周辺の光と電磁波を歪曲させて周囲の風景を欺瞞し、隠匿させると同時に、やはり鱗粉で権現山付近にゴジラの虚像をつくり、もってギドラをあざむいたのだ。さきほどまで旧御殿場にいたゴジラが40キロも離れた権現山山麓に一瞬で移動できるはずもないのだが、宇宙の支配者にはスケールが小さすぎて誤差でしかないため、疑うことができなかったのである。

 赤色熱線の放出が終わったゴジラが、苦鳴をもらす。

 体表を這う紫電が乱れる。背部で青い火花を散らし、スパーク。

 ゴジラの背に林立する背びれのうち、もっとも大きいものが、弾けるようにして根元からちぎれ飛んだ。

 樹葉のような形状の背びれが緩慢な弧を描く。何度か空中でうなりをあげながら回転して、乾湖となっている山中湖底の極相林に突き立つ。

 ゴジラが限界を迎えつつあることはあきらかだった。櫓のマイナとミアナが、互いの手をにぎる。二重唱のように言う。

「これが、ゴジラの最後の戦いになるかもしれない」

 

 ヴァルチャーの電磁加速投射砲、モスラのレーザーと雷撃、ジェットジャガーの荷電粒子砲と光輪が乱れ飛ぶ。牽制しながらコアの出現を待つが、頭をひとつ粉砕したのに特異点がひらかない。

「こちらが弱点に気づいたことを見抜いたんだ。おいそれとはコアを出さないぞ」

 マーティンが舌打ちした。

「なら、残りの首2つも落とす! クラークの第2法則だ。“不可能と証明する唯一の方法は、不可能であるとされるまでやってみること”!」

 ハルオはひたすらギドラ中央頭部の左目に電磁加速された砲弾を集中させつづけた。蛇にはまぶたがないように見えるが、実際には透明なうろこでおおわれている。だから蛇は脱皮のさいに目の皮も脱げる。ギドラの眼球も、日向で摂氏200度、日影で零下150度という極端な温度差と、大量の宇宙線から防護するために、蛇のまぶたのような遮蔽機構はあるはずだが、それは電磁波を選択的に透過する素材でなくてはならない。よって単純な装甲にくらべれば格段に脆弱なのだ。

 無我夢中で発射した何発めかの弾丸が眼球の透明(りん)を突破。都市なみの直径をほこるギドラの邪悪な目に飛び込んだ砲弾が、内部構造を運動エネルギーと衝撃波で暴力的にかきまわした。

 もだえた中央の首が屈曲。今度こそハルオへと頭を指向する。上下左右どちらに逃げても引力光線の射界だ。しくじった。心拍が跳ねあがる。

 ところが、ギドラは口をあけたまま不自然に硬直していた。モスラとジェットジャガーに反撃しようとしていた右の頭部も同様だった。

「長き旅をともにした、われらがともがらよ、この声が届いているか」

 老いた声が響いた。それは鼓膜を振動させるのではなく、ハルオの脳内で音声に翻訳されていた。まるでフツアたちのテレパシーのような思念波による情報伝達手段だった。

 

「この声は」

 不思議な呼びかけはマーティンたちの脳も受信していた。脳は声音まで再現していた。ガルビトリウムを抱くメトフィエスの瞳孔が、針であけた穴のように収縮する。薄いくちびるが動く。

「エンダルフ枢機卿……」

 エクシフの族長にして、アラトラム号の自治を取りしきっていた中央委員会の一翼、エンダルフ中将にほかならなかった。

「わたしたちはいま、この怪獣のなかにいる。きみたちが戦っていることも把握している」

「まさか、モーリ船長!」

 続く声にジョシュが雷に打たれたように肩を跳ねさせた。

「古来、暴君は大食ゆえに毒酒をあおる。われらはこの(よこしま)なる王に食われて血肉の一部とされた。だがガルビトリウムが、われらの自我を一時的にとどめる奇跡をなした」

 音波ではないエンダルフの声が朗々と告げた。

「われわれだけではない。アラトラム3000人の乗員全員が力を合わせ、このギドラとやらの動きを封じている。いまのわれわれにできることはこれが限度だ」

 と、ビルサルドの長だったドルド中将も説いた。

「長くはもちそうにない。サカキ大尉」苦しげなモーリに名指しされてハルオはほとんど本能的に返事をした。「われわれはもうじきギドラに完全に取り込まれる。その前に、ギドラを殲滅しろ。地球を救う方法はそれしかない」

「それじゃ、モーリ船長やみんなは」

「わたしたちはどうあっても助からん。もう死んでいるんだ。かろうじて意識だけがガルビトリウムの力で残留しているにすぎん」

「だが!」

「最後くらい、わたしの命令を聞け」慈父のようにたしなめるモーリにハルオはなにも返せなかった。「いいな、サカキ大尉。地球人としての義務を果たせ」

「メトフィエス、そなたのもっているガルビトリウムの結晶が、こちらの結晶と共鳴し、力を増幅させていると考えられる。じきにギドラも理解しよう。ゆめ、破壊されぬよう留意せよ」

 エンダルフのその言葉を最後に声は聞こえなくなった。こうしているあいだにも、ガルビトリウムの抵抗をむしばんで、ギドラ内部で乗員たちの自我までが分解されているのだ。

「モーリ船長たちが時間を稼いでくれている。メトフィエス中佐、あんたはフツアの集落へ。ガルビトリウムを死守してくれ」

「これをアラトラム3000名の命と思いましょう」

 マーティンにメトフィエスがうなずき、フツアの戦士たちに案内される。

「マナ枯渇まで、6時間を突破。危険域に入りました!」

 ジョシュの悲鳴にハルオは奥歯を噛みしめた。これ以上マナを奪われると地球の生態系が回復不可能になってしまうおそれがある。

 

 モーリ以下、人類とビルサルド、エクシフの異星人3000人が結集し、最後の力をふりしぼって暴虐の王にあらがい、ギドラの肉体を内側から拘束する。彼らの死にもまさる苦痛と、それすら焼き焦がす闘志は、ガルビトリウムの結晶を通じてメトフィエスにも痛察するにあまりあった。感じ取れる乗員の意識がひとり、またひとりと消えていく。

 

 好機をのがさず、ジェットジャガーが流星人間となってすばやく飛翔し、ギドラの中央頭部のすぐ横に定位。宇宙超怪獣の重力と釣り合う推力のブースターを噴かせながら、合掌。その合わせた両手が、天を衝かんばかりに急激に伸びる。どこまでも伸びる。

 鋼の巨人はハイパーランスの応用で両手を伸長させ、全長50キロにおよぶ長大な剣を形成していた。しかもその剣は正面からでは視認できない。刃の厚さが単分子、つまり分子1個ぶんしかないからだ。質量の大半をつぎこんだナノメタルの長剣、ヴァリアブル・スライサーを大上段に構え、裂帛の気合いとともに真下へ振りぬく。銀の大瀑布となった単分子の巨刃は、ギドラの中央の頭のすぐ後ろの頸部を、断頭台のように縦断。熱線さえ受け付けなかったはずの外皮を分断していく。数千億トンという抵抗の過負荷にジェットジャガーの腕の部品が破裂していくが、止まらない。

 ハルオには、ユウコやアダムたちの血を吐くような勇壮な雄叫びが聞こえるようだった。

 刃が描く半円の軌道はギドラの喉まで両断。完全に下へと振りきった。

 代償として、白刃が切っ先から砂のように崩れる。その瓦解の波は剣の根元、ジェットジャガーの手首を通り越して、両の肩にまで達した。銀の雨。巨人は両腕をなくしたオブジェとなった。大部分の質量を失ったことで発電力が極度に低下。プラズマブースターも息絶えたことで、石のように地表へ墜ちていく。

 概算で直径200キロはあるギドラの首は、刃長50キロの剣でも一刀のもとに断頭することはできない。世界の裂け目のような喉の切り口から、白く反射する芥子(けし)粒がいくつもこぼれ落ちて、ギドラの重力に吸い寄せられて潰れていく。ハルオが注視すると、それはナノメタルの体を得た大蛇の群れだった。口腔からドリルで体内へ浸入していた何千匹という大蛇が、ギドラの首と頭の接合部を内部から集中的に穿ち、外皮の強度をいちじるしく低下させていたのだ。

 内側からの掘削。単分子の大剣。その併せ技が、神にもひとしい宇宙超怪獣の首をなかばまでとはいえ切り裂くという偉業をなしえたのである。

 旋回したモスラが、切り口へ残りすべての分身を突撃させる。マッハ85のおそるべき超高速の分身がわれさきに殺到して着弾。傷の裂け目が拡大していく。ハルオもレールガンを連発する。

 巨蛾とナノメタルの猛禽による追撃が重なる。

 ヴァルチャーの質量を削るレールガンの連射で、機体の維持に問題が発生。これ以上の砲撃は発電力の低下を招く。レールガンにとっては火力の低下にほかならない。ハルオは決断した。光学映像上でギドラの傷口をタップ。自動操縦モードに変更。発電能力を意図的にオーバーロードさせる。

 射出レバーを渾身の力で引いて、座席ごと自らをヴァルチャー機外へ脱出させた。

 操縦者を失ったヴァルチャーが最後の指令のままギドラへ突撃していく。傷口に飛び込んだところで、暴走していた電力により、生成していた重水素と三重水素を極低温で液化させ、マイナスの電荷をもつ負ミューオンを導入。負ミューオンが電気的反発力を中和することでふたつの原子核が容易に近づくことができるようになり、衝突してヘリウム核と中性子と熱量が生まれる。たった1個の原子が17.6メガ電子ボルトの熱量に変換され、自由になったミューオン粒子は次の反応へと向かう。ミューオン粒子は2.2マイクロ秒の寿命が尽きるまでのあいだに250回もの核融合反応を連鎖的に引き起こす。理論上はわずか1グラムの重水素と三重水素から3億3600万ジュールもの熱量が発生することになる。

 禁断の核融合が放出する数百万度の炎は直径70キロのまばゆい火球となり、吠え猛る輻射熱が傷口を抉った。熱波と轟音がパラシュートで降下するハルオにも押し寄せた。

 動けないギドラの中央頭部が、ついにあらぬ方向を向いて折れた。首はしばらく皮一枚でつながっていたが、頭が裏返ってねじれ、質量を支えきれずに伸びきって破断。最後は地球の重力が黄金龍の首をひきちぎった。超々質量が重力加速度にしたがって列島の東海地方に落着し、山を潰し、地を割り、谷を山脈に隆起させ、破滅的に地形を変貌させた。巻き上げられた土砂と粉塵の柱は成層圏のさらに上、中間圏まで届く。口をだらしなくあけて横たわっていたセンターヘッドは量子崩壊。マナの光へ全質量が変換されて消滅した。

 残るは右の頭部のみ。

 死力を尽くして右の首がのたうち、引力光線を乱射する。壮絶な稲妻は、旧ロシア領の極東に大断層帯を生み、旧中国領と旧モンゴル領をまたぐ幅100キロメートル、深さ1キロメートルの溝を掘り、ハワイ諸島を粉砕し、太平洋を越えた旧アラスカ、旧カナダまでも蹂躙した。まるで神話に伝わる天地創造の瞬間を目撃しているような情景。とうとうモーリ船長らでも抑えきれなくなった。

 モスラが雄飛しながら触覚からのビーム、3つの単眼の赤外線レーザー、胸部からの雷撃で、龍の顔を舐める。もう分身はない。鱗粉の乱費で、美しかった翅もぼろぼろになっている。

 もういちど触覚のビームを射とうとしたところで、ギドラがアラトラム乗員らの縛鎖を力任せに引きちぎるようにして、砲台である顔をモスラに指向。引力光線を放射した。

 地球の2000億倍もの重力加速度が、鱗粉が剥げて飛行能力の低下していたモスラに光速の重力波によってもたらされる。わずかに逸れていたものの、巨大蛾の右の翅が付け根から引き抜かれ、6本の歩脚のうち4本が水素結合を解かれて崩壊、被毛につつまれた腹部が破れ、内臓と濃い黄色の体液をぶち撒けた。

 マイナとミアナの悲鳴が長く響きわたった。

 揚力を生めなくなったモスラは、飛行の慣性と重力との合成ベクトルを漏れ出る体液の尾で瑠璃色の空に描きながら、北海道へと墜落した。

 四国で倒れ伏していたジェットジャガーの両目が点灯する。弱々しく明滅している目の光が、巨人の現状を物語る。腕の左右ともないジェットジャガーは、それでもなんとか立ち上がり、ありったけの電力をかき集めて、プラズマブースターを始動。銀の弾道弾となって、北海道をめざす。

 なすすべなく死滅するしかないはずの小さきものどもは、実は剣呑な敵であったと認識しはじめていたギドラが、それを見のがすはずもなかった。長い首に放物線を象らせ、成層圏から北海道をねらう。

 ギドラの首の動きは、見えない手綱に北海道とは反対方向へ引っ張られているかのように鈍い。モーリ船長らが全身全霊をそそいで束縛しているためだ。だがそれももう限界であるだろうということは、ギドラを見上げるだれの目にも明白だった。

 北海道の中央に位置する上川盆地の樹林に、ジェットジャガーはほとんど墜落するように着地した。惰性で何度も転がる。体高800メートルの巨人の天と地が逆さまになるたびに、数十メートル級の大樹が火花をあげ、金属の悲鳴をあげてへし折られ、宙高く舞い上がった。

 回転の終点で右足にたたらを踏ませ、大地を削りながら強制停止。

 巨人がふらつきながらも山に囲まれたモスラに歩み寄る。

 伏せている巨蛾は、中性子星なみの重力にむしりとられた右翅の付け根から、体液に濡れた飛翔筋が引きずり出され、無惨な断裂面を晒していた。乱雑に割かれた腹部からは、太い中腸や後腸、マルピーギ管に卵巣がこぼれ、細長い心臓までが外にはみ出ている。脈動にあわせて粘度の高い血液が流出して、大河を形成していた。

 フツアの守護神といえど、致命傷だった。

 ジェットジャガーがモスラの眼前で片膝をつく。

 瀕死のモスラが触覚を痙攣させつつも、仏像のような巨人の顔を見上げる。

 フツアの巫女ふたりが思い詰めた顔で北の空を見守る。

 

 ギドラが錆びついた機械のようにぎこちないながらも、引力光線の効果範囲内に北海道を収めようとする。

 唐突に、ギドラがぎくりと西へ顔を向けた。

 異変に、降下中のハルオも、遠望していたマーティンたちも、龍とおなじ方向へ首を巡らせる。

 フツアの集落から遠く離れた小高い丘に、孤影があった。長身に金の髪、中性的な白皙(はくせき)の美貌。神に選ばれて神託を授けられる預言者のような人影は、緑の蛍光を放つ鉱石を捧げ持っていた。

「メトフィエス! なにを……」

 ハルオには理解できない。ガルビトリウムを持ったまま外に出ればギドラの標的だ。

「献身こそが救済への道」

 メトフィエスの声には断固たる決意があった。

「わが星を喰らった金色の王よ、おまえのねらうべきものは、これだろう!」

 高く掲げられたガルビトリウム結晶が翡翠に輝く。

 ギドラの2500キロメートルの首は、北海道方面から関東地方上空へ移動をはじめた。死にかけの蛾とロボットにとどめを刺すより、自分を戒める奇怪な力の源泉を断つほうが先決と判断したのだ。メトフィエスを射程にとらえた黄金龍の口腔に、超新星のごとき光が宿る。

「ハルオ」

 ヘルメット内にメトフィエスの声が響いた。春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)とした、穏やかな声だった。

「怪獣のいない世界を、わたしの代わりに見てくれ。きみの勝利をわたしは信じている」

 メトフィエスは腕を横に広げて受け入れた。母星を滅ぼした仇敵を真正面から見据える。

「宇宙知性よ。おまえが食物連鎖の頂点として、ギドラを創造したというのならば」エクシフ最後の生き残りは、自身の絶対の死を前にして、晴れ晴れとした表情を浮かべた。「伏して拝むがいい、黄金(ギドラ)の終焉を」

 龍とメトフィエスが引力光線で結ばれた。メトフィエスは立っていた丘陵ごと分子構造から分解され、ガルビトリウムもろとも、痕跡ひとつ残さずこの世から消失した。

 力がほぼ失われかけていたとはいえ、モーリ船長たち執念の拘束から、ギドラが完全に解き放たれる。

 だが、そのためにギドラが払った時間という対価は大きかった。北海道の密林では、ジェットジャガーの輪郭が崩れ、膨大な液体金属の奔流になったかと思うと、モスラにふりかかり、守護神獣の損傷部位を補填、そこへ地球からの餞別といわんばかりに落雷が直撃する。

 後光を背負って羽ばたかれたのは、鋼と虹の翼。

 体毛でおおわれていた頭部は、白銀に装甲され、胸部と腹もナノメタルの金属光沢を放つ。

 右の翅は機械で復元。左の翅の前縁部が金属でふちどられて強化される。

 力強く打ち下ろされる翅は、その強靭な生命力の発露。

 機械と生物が融合し、さながら、モスラがナノメタルの鎧をまとっているかのようだった。

「まさに……鎧モスラ」

 マーティンが奇跡を目の当たりにしたように驚嘆した。

「神と、毒の鋼が」「わかりあえた」

 マイナが右手を胸にあて、ミアナが左の手を胸にあてる。

「毒の鋼は、この星を呑み込む邪悪なものだった。でもいまはちがう」

「いまは、この星を守るために戦っている。自分がどんな存在であるかは、自分で決めることができる」

 

 ギドラが反応するより早く、鎧モスラが銀と極彩色の全身に過剰なまでの電荷を帯びて、一条の光線になって飛翔。ギドラの右頭部の喉元を通り過ぎざまに重質金属の翅を刃として斬っていく。

 直径200キロメートルの龍の首から、頭部が真下へずれる。なめらかな断面を(あらわ)にして、ギドラ最後の頭が落下。ついに3本の首すべてが無頭となる。

「すごい……」

 ベンジャミンが固唾を呑んだ。

 鎧モスラが緩やかに旋回する。

 首なしとなったギドラが両翼と尾を地殻に刺しこんだまま沈黙している。特異点発現の兆候はない。

「マナ枯渇まで、あと3時間です!」

 われに返ったジョシュが青くなって(しら)せた。

「しまった。やつはぼくらと戦う必要はないんだ。マナさえ吸収できれば、それでやつは自動的に勝利するんだ」

 マーティンはほぞを噛んだ。

 甲冑に身を固めた武神のごとき鎧モスラがギドラの正面に回る。ナノメタル粒子と鱗粉の吹雪が、鋼色の巨蛾を中心に水平の円環をなす。とてつもないエネルギーが雷電となって迸る。そのエネルギーフィールドの直径は、日本列島をふくめたアジア太平洋地域がまるごと入るほどだった。

「なにをする気だ」

 兜をかぶったようなモスラの横顔が、ハルオには幽趣佳境(ゆうしゅかきょう)なほどに凛々しく映った。

「モスラの、最後の武器です」

 双子の巫女が和音を奏でる。ふたりの目尻からは透明な涙が静かに流れていた。

 鎧モスラが、円環の力場を土星の輪のようにまとったまま南下し、ギドラに接近。2500キロの長距離を玉響(たまゆら)のうちに翔破して、宇宙超怪獣の3つの首が分岐する根本に突撃した。

 眩しい光が弾けた。力場は環状から3次元の球状に展開。つぎに等体積の立方体となる。鎧モスラと、ギドラの胴体の大部分が、ちりばめた星のように光る微粒子で構成された、1辺が725.3961キロメートルの立方体に閉じ込められていた。

 その立方体が、3×3×3の27の区画に分けられ、まず各面の中央1個と、中心部の1個、計7個を取り除いて、自己相似形の穴を開ける。残った20個の立方体に対してもおなじことを繰り返す。自己相似形の穴が開けられるたび、表面積は1/3増加して最終的に無限大に発散し、体積は7/27ずつ減少していって最終的には0に収束する。自己相似図形は相似次元であり、log20/log3=2.7268……次元となるが、あくまで3次元の近似値にすぎず、3次元に到達することは永遠にない。

 つまり鎧モスラのエネルギーフィールドにまきこまれた物質は、その空間ごと、2次元と3次元の中間に浮遊する存在となってしまい、永久に3次元世界には干渉できなくなる。次元の壁で隔絶されるのだ。

 モスラのもつ力、ナノメタルの発電力と演算力が噛み合ってはじめて成立する、人智を超越した所行だった。

 立方体が自己相似形の果てに体積を失い、ギドラの胴体と、中心にいるモスラが、視認できなくなっていく。

 この超級の術式を完璧に発動するには、フィールドに均等にエネルギーを供給できる中心にモスラがいなければならない。

 鎧モスラは、ギドラの質量の何割かを道連れにして、死ぬことすら許されない永遠の無の世界、異次元の牢獄にみずから幽閉されることを選んだのだ。

 やがて立方体の体積が0になり、そこに存在していたあらゆるものがlog20/log3次元の虚無へと旅立つ。

 そこに残ったのは、それぞれ後半部のみの両翼と、南極圏に刺さる双尾、それらをなんとか結ぶ胴体の残骸だけだった。少なくとも、胴の上から半分以上は消え去ってしまっている。

 その直上の、青みを帯びはじめた空に、黒い染みがにじむ。球対称に拡大し、未知の銀河が覗く特異点がひらく。闇の球体の中心部分から肉色が現れる。それは体長666メートルの胎児のようなコアとして顕現した。やはり周囲を繭のようなほの白い膜でつつんでいる。

 動物の二大本能は、闘争と逃走である。勝てそうな敵には戦いをいどむ。強敵とみれば逃げる。逃走も重要な生存戦略である。

 だが、ギドラは強すぎた。惑星級の巨体で圧倒し、重力波を行使し、近寄る生物を無条件で量子変換できて、さらには本体ともいえるコアははるかかなたの宇宙にある。攻防ともに、まさに宇宙最強の怪獣にして、神の呼び名にふさわしい究極生物だ。

 ゆえにギドラはおそらく苦境におちいったことがない。負けることがないので逃走の本能が退化していった。それが宇宙超怪獣の進化だった。

 だから、ギドラは肉体の大部分を奪われてなお、撤退という選択肢をとれなかった。弱点であるコアを露出させてまで肉体を再構成させるルーティンを、この期におよんでまで実行したのである。

「コアが実体化した。いまなら倒せるぞ、ゴジラ!」

 マーティンが櫓からあらんかぎりの声を飛ばした。

 地上で、いまのいままでエネルギーを溜めていたゴジラが背びれを激しく発光させる。空気の絶縁限界を超えた青電が、怪獣王の怒気に同調するように赤い迅雷に変わる。

 地球の支配者が鎌首をもたげる。成層圏上層に浮かぶ超巨大な胎児を正確に照準。

 背びれ付近で跳ねていた赤い電光が最活性化し、ゴジラの周囲を半球状につつむようにして、幾星霜を重ねた顔の前に集中。

 老哲人のような雰囲気さえあるゴジラの瞳孔が収縮し、直後、赤く渦を巻く熱線が、ギドラのコアへとわき目もふらずに上昇した。

 大気を貫き、膜に直撃。亜光速まで加速された荷電粒子の超々運動エネルギーが膜を強引に押し込んでいく。内側へ伸ばされた膜の先端が、もう少しで内部にたゆたう胎児に届きそうになる。

 そこで熱線が着弾点から幾条にも分散させられ、膜の表面に沿ってあさっての方向へ、ばらばらに飛んでいった。

 熱線の放射が終わった。

 胎児は傷ひとつついていない。繭が不定形に揺れているだけだ。

 きらめく黄金の粒が、生き物のように配列していく。ギドラの巨体が再構成されようとしている。

 人々の心に、黒い(しずく)が落とされる。ベンジャミンは魂が抜けたように崩れ落ちた。マーティンも足腰から力が抜けて、倒れないように櫓の手すりにしがみついているのがやっとだった。

「全部、むだだったんですね」

 ベンジャミンがこぼした。その顔には表情というものがなかった。ジョシュの手元の立体光学映像にはマナ枯渇までの時間が2時間に迫ったことが表示されていた。

「タニ曹長や、アダム少尉たちや、モスラや、あの翼竜たちや、モーリ船長たちや、メトフィエス中佐……。みんなの犠牲も、努力も、全部、むだだったんだ……」

 だれも、なにも言えなかった。

 沈黙を破るように、隻腕のゴジラが、空にむかって、長い、長い咆哮をあげた。咆哮は四方に轟き、世界をあまねく行き至った。

 

 地表面をくまなくおおう世界中の森林で、動きがあった。

 遠くアフリカ大陸の旧エジプト領が沈む悠久の森から、地響きの伴奏とともに、1座の小山が悠揚迫らずその身を持ち上げた。2本の頑強な後肢で立つと、体高はおよそ50メートルもあった。筋肉だけが組み合わさったような体、広い胸に筋肉質の前肢。山のような背中には、鋸歯状の3列の背びれが連なっている。棘の並ぶ尾はどこまでも続くかと思われるほど長い。

 その姿を目撃した人類がいたなら、彼がゴジラであることをつゆほども疑わなかったはずだ。正確には、大元となるゴジラ・アースから分裂して増殖したゴジラ・フィリウス(ゴジラの子孫)――ハルオたち地球降下部隊が元丹沢で撃破した個体と、同種の系譜である。

 旧エジプトだけでなく、旧ナイジェリア、旧ザンビアの金属林からも、別のゴジラ・フィリウスが目覚めて直立する。

 海を挟んだオーストラリア大陸、北米、中南米、北欧、南欧、中東、東欧、シベリア……世界各地で休眠していたゴジラの子孫たちが、覚醒のときを迎える。体高50メートルのものもいれば、80メートルや100メートルのもの、首回りに襟巻き様の器官を有する個体もいた。

 ゴジラは2万年ものあいだ地球の霊長として君臨してきた。そのゴジラからフィリウスが生まれたのなら、たった1頭しか同族がいないなどということがあるはずがないのだ。

 それらゴジラ・フィリウスが背びれを光らせると、一様に空へ向けて、先史時代の恐竜にも似た顎をひらき、そこから青い光を放射した。熱線ではない。喉の奥から噴射されている。

 地球上に拡散していたゴジラ・フィリウスの全個体から放出されたエネルギーは、ある一点に集中した。日本列島、富士山麓、ゴジラ・アースの上空だ。オリジナルであるゴジラの背びれに、全世界のフィリウスたちからエネルギーがそそぎこまれる。

 蓄積しつづけてきたエネルギーをゴジラ・アースへすべて託したあと、フィリウスたちは立ち枯れした巨木のように指一本動かなくなり、その双肩に担っていた役目を終えて、永遠の眠りについた。

 

 あふれんばかりのエネルギーを一身に注入されたゴジラ・アースは、体内が暴走状態に入りそうになるのを抑え込みながら、ふたたび忌々しい胎児を睨んだ。太い肢で地を踏みしめる。いままでにないパワーがゴジラの背びれから顔前に集束されていく。

「ギドラ、おまえの知らないものが地球にふたつある」ハルオが言葉を投げかける。「ひとつはおれたちのあきらめの悪さ。もうひとつは――ゴジラだ!」

 光輝の高まりが最高潮に達した次の瞬間、世界が白く染まった。

 だれもが顔を背けて腕で庇った。ハルオにせよ、マーティンたちにせよ、光を目にしたのはコンマ数秒にすぎなかったにもかかわらず、眼球の奥が白熱していて、まぶたの裏で偽の太陽が踊っていた。もう数ミリ秒長く直視していれば網膜が焼き切れていただろう。

 ゴジラから発射された熱線は、青でも赤でもなく、あらゆる波長の光が重なった、(まばゆ)い白光だった。白熱光というべき怒濤の奔流が、直線でコアの膜に突き刺さる。

 半透明な燐光の繭が内側に伸びる。防護膜が全力で抵抗。

 かまわず怪獣王の白き奔流が挑みつづける。

 ついに膜の弾性限界を突破。破孔から突入した白く輝く射線が、内部で未発達な手足を縮こまらせている大質量の胎児までも貫通する。

 破られた球状の膜は大気に溶けるように消失。

 裸となったコアはいびつに膨れたと思うと、空気を入れすぎた風船のように薄皮がはじけ、暁闇(ぎょうあん)の空を焦がすほどの大爆発を起こした。環天頂アークを思わせる水平の虹の円環が、爆心から同心円状に何重にも拡がっていく。

 高々度核爆発など比較にならない強烈な電磁パルスが放射され、電磁波遮蔽の施されている電子機器でさえ残らず火花を吹いた。気密服の機能で破壊されなかったのは電子化していない酸素モジュールくらいなものだ。

 コアを喪失したことで、ほぼ完成されかかっていたギドラの全身が、無目的なマナに分解され、塵に帰っていく。

 支える仮想力の源がなくなった特異点は、物理法則にのっとり急激に小さくなって、払暁の東雲(しののめ)に穿たれた黒点となり、それも完全に蒸発した。

 

 ギドラの重力が消失したことで、吸い上げられていた海水が反転、豪雨となって地上と海に叩きつけられる。潮位が急上昇して世界中の沿岸が大津波の洗礼を受けた。東アジアでは山や地盤が落下し、荒々しく地球へ戻ってくる。

 

 塩水の驟雨(しゅうう)が過ぎ去り、東の空が紫とピンクと群青の複雑なグラデーションで彩られ、荘厳な天明で山々から夜を拭っていく。

 ハルオは無限の荒野に低い山を見つけて、岩をつかみながら登った。

 視界がひらける。

 組織に金属成分を多量にふくむとはいえ、樹木が鬱蒼と生い繁って平穏な混沌にあった極相の深山幽谷は、たったひと晩の天変地異に徹底的に掘り返され、踏みにじられ、見渡すかぎりの荒涼たる禿げ山と化していた。列島全土どころか全大陸が似たようなものだろう。あるいは、ここよりもっと苛烈な破壊の嵐が吹き荒れたところもあるかもしれない。

 ふいに、ほぼ正面からの強い光が、ヘルメットのバイザーごしにハルオの目を射抜いた。手を(かざ)す。熱線でも引力光線でもない。茜の被衣(かずき)をかぶった旭日(きょくじつ)が天門をこじあけ、金時山と長尾峠をむすぶ稜線を踏みしめながら歩いてくる。地球の生命を原初より育んできた太陽の光。大気を透過した、燦々たる暖かな恵みの光だった。

 曙光のつくる長い影に、ひときわ大きく、しかも動くものがあったことにハルオが気づいた。

 後肢でそびえるように立つ全身像は太古の恐竜を思わせたが、背景の山襞と比較すると、体高は300メートルはある。

 柊の葉のように縁がぎざぎざの背びれが背部に連続している。後方へ流れる尾の長さは体高をすら超えるだろうか。

 まさしくゴジラであった。怪獣王ゴジラこそ、地球の命運をかけた戦いで、最後まで立っていた怪獣だった。

 静謐な朝焼けのなか、彫像のように立ち尽くすその大怪獣の頭部から、灰のような細片がこぼれ落ちていることを、ハルオの双の眸が捉えた。バイザーの表面を手で乱暴に拭いて、視覚に全神経を集める。真理を探究するために隠遁した老哲人のような顔だけでなく、がっしりした肩や筋骨隆々たる胸板、右腕や、地形にひとしい背中が、風霜に耐えた老樹がその歴史の終わりに末枯(うらが)れするように、こけらとなって崩れはじめていた。

 たびかさなる引力光線の被弾と、全地上のフィリウスから結集した最強の熱線、白熱光の発射の反動で、ゴジラの巨躯が限界を迎えたのだ。

 ゴジラはあらがうこともなく、ただ悠然と、自らの崩壊を曇りのない透徹した瞳で見つめていた。

 ハルオの胸に、種々雑多な思いがいちどきに去来した。気がつけば、ハルオは踵をそろえ、背筋をのばし、崩れゆくゴジラにむけて敬礼を捧げていた。

 ゴジラが両親の仇として憎悪すべき敵であることには変わりがない。だが、ともに死闘をくぐりぬけ、神のごとき破壊者を打ち破ったいま、ただの敵だとは断言できない感慨のようなものがあった。

 いや、そもそも、4歳のときに目の前でゴジラに両親を葬られてから20年間、ハルオの全知全能はゴジラを倒すことだけに傾けられてきた。ゴジラのことを考えなかった日はない。ゴジラしか眼中になかった。至上の純愛にも似た憎悪にわが身を焦がした。ある意味で、ゴジラはハルオの人生のすべてだったのだ。

 その、恋()がれるように再会を希求していた存在が、自らの役目を完璧に遂行し、従容と朽ち果てていく光景を見ることは、ハルオにはまるで半身を裂かれるような思いであった。

 ハルオは溢れる涙をこらえようもなかった。歔欷(きょき)しながらも敬礼は崩さず、仇の最期をそのぼやけた眼底に焼きつけた。

 この地球人と、美しい朝日に見守られ、怪獣王ゴジラは全身が無数の破片に崩れ落ち、地球(ほし)の大地へと還っていった。最後の咆哮が、あくまで誇り高く、(おごそ)かに響きわたった。

 

 フツアの集落に戻ると、マーティンやミアナたちが大喜びでハルオを出迎えた。生きて再会できたことを喜ぶ一方、ハルオの顔は、どこか冴えなかった。

「メトフィエスに、ユウコ、アダム、モーリ船長やアラトラム号のみんな。……あまりにも多くのものを失いすぎた」

 悔やむハルオにマーティンは頷いて、

「だからこそ、いまは素直に勝利を喜ぼう。それが彼らへの手向けになる」

「おれたちは、勝ったんでしょうか」

 ゴジラが崩れ去った方角をハルオは望見した。

「結局、最後はゴジラに救われた……」

 ふむ、とマーティンは顎に手を当てた。

「たしかに最後のひと押しはゴジラがいればこそだった。しかし、こう考えることもできる。いくら2万年ぶんたくわえたエネルギーの熱線があったとしても、異次元に隠れているギドラのコアを出現させてから攻撃するなんて芸当は、ゴジラ単体ではさすがに荷が重い。サカキ大尉やユウコくん、アダム少尉、モスラ、メトフィエス中佐、乗員のみんな、それぞれが全力をつくした援護があったからこそ、ゴジラはギドラに勝てた、とね」

 意表をつく意見にハルオが顔をあげる。マーティンは肩をすくめて受け止めた。

「もちろん、傲慢になってはいけない。けれども、ぼくたちが一丸となって戦ったことで、ギドラを倒して地球を救う一助になれたことはたしかなはずだ。すこしくらいは胸を張ってもいいんじゃないかな」

 マーティンに諭されて、ハルオの表情はいくぶんやわらいだ。

「地球に住む資格は得られた。そう思っていいんでしょうか」

「これはさっき浮かんだ仮説なんだが、ゴジラがとどめに射った白い熱線があっただろう? もし本当にゴジラがギドラから地球を守るために創られた存在だったとしたら、あの白熱光を最初から使っていたはずなんだ」

 言われてハルオは思い出していた。たしかにゴジラはコアを射つとき、個体としては最大出力なのであろう赤色熱線を発射し、通用しないとみると白い熱線に切り替えた。そこにはゴジラの苦渋の決断が見てとれた。白熱光はおそらく一度しか使えない切り札だったのだろう。

「それをゴジラは温存しようとしていた」

 マーティンがなにを言おうとしているのか、ハルオにもうすうすわかった。

「いつかはわからないが、将来的にギドラと同様の、あるいはそれ以上の脅威が地球を襲う可能性がある……?」

 ハルオの推論にマーティンが首肯した。

「その仮定が正しいとすると、ゴジラはそちらよりも目の前のギドラに、たった1枚きりの鬼札を切った。なぜか。なんの論拠もないがね、おそらくは、あとに残されるものたちに、この星の未来を託したということなんじゃないか。そのなかには、ぼくたち人類もふくまれてるんじゃないか」

「だといいですが」

 ハルオは苦笑した。マーティンが自分で言うように根拠は弱い。だがハルオの答えは決まっている。

「そう考えていいのなら、おれたちは地球からもう一度チャンスをもらったということになります。人類は地球に一度拒絶された。地球を裏切れば自分たちにしっぺ返しがくると学んだ。おれたちは忘れないでしょうが、世代が変わっていけば記憶は風化します」

 歴史を見ても、人類は何度もおなじあやまちを繰り返している。世代が入れ替わるごとに先人の教訓を忘れては(てつ)を踏んできた。その連続だった。

「だから、おれたちは、きょうのことを語り継がなければならない。人類が多大な犠牲と引き換えに、この手で地球の住人としての資格を勝ち取ったことを。地球はいつでも人類を追い出せるのだと。かつてそうしたように」

 太陽が一日の生まれ変わりを告げる空の反対側、西の空には、瑞雲が昇っている。

「地球はアラトラム号とおなじです。おれたちは、地球という宇宙船の乗員なんです。宇宙船なら物資は大切に使うし、部品を勝手に抜いたり、壊したりするようなまねはしません。自分たちの命に直結するとわかっているからです。だが、星となると、資源は無尽蔵にあって、どんなに環境を破壊しても元どおりになると、なぜか勘違いをしてしまう。そうして、自分たちの宇宙船を自分たちの手で住めないようにしてしまう」

 アラトラムでの生活を思い出す。食事が水のパックひとつだけという日もあった。船内空間は有限で、出航時に積載できた物資も有限、循環する元素もまた当然ながら有限で、満足な食事すら事欠くほど資源に窮乏していたからだ。規模が違うだけで、地球もアラトラムと本質的には変わらない。資源は有限なのだ。

「おれたちは地球に監視されている。ですがそれは、見守られているということでもあるんです。人類が取り返しのつかないあやまちを犯さないかどうか。自分であやまちに気づけない人類のために、ゴジラが警鐘を鳴らしてくれていたのかもしれない」

 ゴジラが出現しないような世界をつくることが、ひいては人類が地球で繁栄する環境を守っていくことにつながる。

「地球をふたたび裏切らないためにも、おれたちはゴジラが現れない世界を未来に遺していかなきゃならない。高いビルを建てることだけが繁栄じゃない。石油を燃やし、核を、科学をもてあそぶことだけが繁栄じゃない。――人類は特別な生き物じゃない。おれたちは地球を征服するんじゃなく、共生の道を探らなくてはならないんです。おれたちの体の細胞が、協力しあって人体を構成しているように」

 先刻まで宇宙超怪獣に支配されていた空を仰ぐ。

「ギドラから学んだこともあります。欲望のままにすべてを食いつくし、それでもなお、まだ足りないと求めて肥大化していけば、行き着く先は自らの破滅です。人類はギドラになってはいけない」

 マーティンもジョシュも、ベンジャミンも、熱心に聞き入っていた。

「それを忘れずにいれば、たとえまたギドラが襲ってきても、人類はきっと克服できる。ゴジラがおれたちを信じてくれたように、おれたちも、未来を信じなくてはいけない。信じられる未来にしなければならない。たとえそれが、2万年後だとしても」

「ぼくらは地球に監視されている、か。地球で生きるに値する存在かどうか……」

 マーティンが感銘を受けたように言ったとき、腹の音が鳴った。ジョシュだった。赤くなって頭をかく。人々から笑いがこぼれた。空腹を覚える程度の余裕は出てきた。

「2万年後の未来もだいじだが、まずはきょうをどう生きるかも、おなじくらいだいじなようだ」

 マーティンが茶化すとハルオでさえ口元を緩めた。また眉間に亀裂のようなしわを刻んで、旧御殿場方面を見やる。まだそこにゴジラがいるかのように。

「だが」ハルオは虚脱したような顔だった。ゴジラの打倒にすべてのエネルギーを燃やしてきた。その目標が失われた。「おれ個人としての役目は終わった……」

「終わって、ない」

 ミアナが即答した。振り向くと、銀の前髪の下、青い瞳には、必死さがあった。

「生き物の役目、生き抜くこと。わたし、ハルオが戦う姿から、それ学んだ。だから、生きること、ハルオの役目」

 ハルオの右手をミアナが両手で包み込んだ。海色の瞳孔で見上げる。

「わたしは、ハルオといっしょに、生きたい」

 ハルオの胸は高鳴った。新たな目標はすぐそばにあった。自然とほほえむ。

「ありがとう、ミアナ」

 マーティンがジョシュとベンジャミンをけしかけて、3人で気密服の分厚いグローブのまま器用に指笛を吹いて混ぜっ返した。

 

 ハルオたちはフツアの村への帰化を決めた。行き場所はないし、フツア族も歓迎してくれた。気密服を脱ぎ、フツアの衣装をまとい、独自の化粧も覚えた。ほぼ半裸に近い装いに最初は戸惑ったが、周りの全員がおなじ格好なのですぐに慣れた。アラトラムの生き残りでもっともフツアの女性にもてたのはマーティンだった。マーティンが複数の女性に言い寄られているところへ、ハルオはいつぞやの仕返しとばかりに盛大に囃し立ててやった。

 しかし、ジョシュやベンジャミンらもつがいを見つけていくなか、ハルオはまだミアナの想いに答えられずにいた。こうしているあいだも、モスラとともにユウコは異次元の牢獄で永遠の虚無を味わいつづけている。なのに自分だけ幸せになってよいのか、決心がつかなかった。

 そんなある日、ミアナは、どうしても見せたいものがあるからと、ハルオの手を引っ張って連れ出した。地下集落の外だった。

 白雲のただよう青空が頭上にひろがり、薫風がハルオのほほを撫でていく。

「これ」

 ミアナに指し示されて、ハルオは言葉を失った。

 待っていたのは、鮮やかな緑の下生えに、千紫万紅(せんしばんこう)の花々が風に揺れて爽やかにささやく、天然の庭園だった。芳しい香りがやわらかい風に混じって、鼻腔を優しくくすぐった。

「雨季の前、短いあいだだけど、花が咲くの。わたしのお気に入り。だからハルオにも見せたかった」

 色とりどりの花が咲き乱れて命を謳歌する情趣は、地球に降り立ってから金属の植生しか見てこなかったハルオにとって、感動以外のなにものでもなかった。同時に、ハルオの脳裏にうごめくものがあった。こんな風景を以前に一度だけ見た覚えがある。アラトラムでは記録映像ばかり見せられたが、それとは違う。画面越しではない。たしかにこの目で見たはずなのだ。ならアラトラムに乗船する以前だろうか。そこでようやく思い出した。幼少のみぎり、両親に連れられた高原で、いまのように季節の花が咲き誇り、ほのかな甘い香りが漂っていた。そのときの両親の言葉もよみがえった。

「こんな時代でも、厳しい冬はいつか終わって、春がくる。命のよみがえる季節が」

 父が霞に煙る翠黛(すいたい)を眺めながら言った。

「あなたの名前は、そう願いをこめてつけたのよ」

 母が幼い息子の頭を撫でて微笑した。

 父はわが子に視線をもどして、誕生日プレゼントを渡した。ペンダントだった。コケと共生しているという花が閉じ込められていた。何億年ものむかしから共生関係をつづけてきたという、地球の生命を象徴するような結晶物。父はそれを握らせた。

「ハルオ。きっと、人類の春をその目で見ておくれ」

 そしていま、ハルオの前には、2万年前から変わることなく連綿とつづく地球の命の営みが、咲き競う名もなき草花というかたちで厳然と存在している。絶対真空の宇宙にはない、季節という時間の循環。

「そうか、これが“春”……おれの名前……」

 ハルオは、ミアナの前であることも忘れ、身も世もなく泣いた。(はな)をすすり、涙をぬぐい、蒼穹(そうきゅう)へ向けて、声のかぎりに叫ぶ。

「父さん! 母さん!」

 ハルオは、20年のあいだ、ずっと言いたかった言葉を口にした。

「……ただいま!……」

 

  ◇

 

 季節は巡る。月日は流れる。

 ハルオはミアナとのあいだに子供を授かった。つがいになるのがもっとも遅かったのに最初に父親になったハルオは、またもマーティンたちからさんざんに冷やかされることとなった。彼らもまた順々に人の親となった。

 帰化して何度目かの春に、ハルオは外での宴会を提案した。ハルオの両親の祖国では、春になると仲間内で花を鑑賞しながら食事をし、親睦を深める風習があったという。「風流だねえ」とマーティンが乗っかり、フツアも賛成した。それがきっかけで雨季前の花見がフツアの新たな年中行事として定着した。

 季節は巡る。月日は流れる。

 ベンジャミンが孫に狩りを教えている最中に心不全で逝去した。老齢に加え風邪をこじらせて長く病床にあったジョシュが亡くなった。マーティンはあるときから水も食事も受け付けなくなり、衰弱して寝たきりになっていたが、笑顔だけは忘れなかった。雨季の終わりが近づいた夜、寝る前に様子を見に訪れたハルオに「ユウコくんは、いまのハルオを見て、誇りに思っているはずだ」と、すきま風のようなかすれた声ながら、歯の全部抜けた口で笑ってみせた。翌朝、マーティンは眠ったまま息を引き取っていた。

 アラトラム号乗員は、ハルオだけになっていた。

 

 ある朝、目を覚ましたときから、ハルオの心境は凪いだ海のように穏やかだった。ハルオはミアナを誘って出かけた。「花を見に行こう」

 部族総出でひらかれる花見はあしたということになっていた。だが何十年も付き添ってきた伴侶は異を唱えることなく、しわこそ増えたが子供のころとおなじ、屈託のない笑顔で応じた。

 ハルオは介助がなければ歩けない体になっていた。ミアナに手を取ってもらってゆっくり歩を進める。彼女は嫌な顔ひとつしない。ハルオの胸は申し訳なさでいっぱいだった。すまない、許してくれ。これで最後だから。

 

 フツアの人口も徐々にではあるが増加を見た。環境が年々改善されていることもあいまって集落の規模も拡大している。

 だがハルオは、人類という種があらゆる面で大きくなりすぎることは、断固として防いできた。資源を食いつぶし、無軌道に増殖し、その増えすぎた人口を支えるためにさらに資源を消費する。すると職業を職業として維持するために、必要ない時期でも生産するようになる。やがて、余剰生産の捌け口を求め、無限に領土を獲得していかなければならなくなる。いつまでも成長を強要される無限地獄がはじまる。産業革命はその前例だ。

 ゴジラによる鉄槌は、人間の飽くなき消費と肥大の延長線上にある。だとすれば、人類がどのような繁栄の道をとれば地球環境を傷つけないか、言い換えれば、どう生きればゴジラは現れないか? それを歩一歩たしかめながらの漸進的な発展。

 これが、ハルオの新たな目標だった。

 かつて人類が犯した、間違った方向へ文明を進んでしまうことをつねに(ただ)し、地球との共生を念頭においた文化が浸透するよう見守る。属目(しょくもく)の諸事万端がすべて、地球という名の宇宙船の部品なのだと説き、それらを大切にすることが、巡りめぐって自分たちに返ってくるのだと啓蒙しつづけた。

 ゴジラをこの手で倒すことはできなかった。だからハルオは、違う方法でゴジラに戦いを挑んだ。

 地球をもう二度とゴジラが生まれない世界にする。自分の世代だけではなく、次の世代、そのまた次の世代へと、その意志を受け継がせる。そうして未来をつないでいくことが、ゴジラに勝つ唯一の方法である。そう信じて走ってきた。

 ようようたどりついた庭園はひしめくような百花繚乱で、ことしの花見も盛況は間違いないだろうと確信できた。

 ふたりは腰を下ろしてしばらく言葉も交わさず満開の花々を堪能した。ハルオはかたわらのミアナに言わなければならないことがあった。

「ずっと、おれのわがままに付き合わせてばかりだった」

 ハルオとおなじだけ齢を重ねたミアナが、なんのことかわからないという顔を向けた。

「おれたちの子や孫に、ゴジラの災厄を味わってほしくはなかった。だからおれは、いかにしてゴジラを生まないような世界にするか、ずっとそれだけを考えていままで来た。でも、ミアナや子供たちにはなにもしてやれなかった」

 子供たちの黄色い声が風に運ばれる。男たちが狩りから戻ったらしかった。

「きっと寂しい思いをさせたと思う。おまえひとりさえ幸せにできずに、世界がどうとか、何様だと思ったことも何度もある。だが、あのゴジラが、最後の1頭だとは思えない。人類が地球を傷つけ、汚すことがあったなら、また世界のどこかで、ゴジラの同類が現れるかもしれない。そう思うと、立ち止まれなかった」

 花が揺れる。緑の風が抱擁していく。

「だから、おまえには悪いことをした。どう償っても……」

 ハルオの唇に人差し指が触れた。ミアナが純真な笑みをたたえて顔を覗きこんでいた。

「わたしは幸せだった。ゴジラのいない世界をつくるための支えになれた。それがあの子たちに受け継がれていくんだもの。あなたはこの星をくれたのよ。これ以上の喜びなんてない」

 ハルオは、どんな言葉ならミアナの気持ちに報いることができるのかわからず、しゃくりあげながら、「ありがとう」とだけ言った。

「少し、横になるよ、なんだか疲れた」

 落ち着いてからハルオが草地に寝ようとすると、ミアナが「ここ」と自分の膝を軽く叩いた。

「悪いよ」

「じゃあ、わたしのわがままだと思って」

 ハルオは苦笑してその言葉に甘えた。ミアナの膝に頭を乗せる。

 時間の流れがいつにも増して緩やかだった。

「来年もハナミ、できるといいね。その来年も、そのまた来年も。そのころには、ハルオもひいおじいちゃんになってたりして」

 笑みをこぼしたミアナは、ハルオが返事をしないことに気づいた。

「ハルオ?……」

 膝の上に乗るハルオの顔は、目を閉じたまま、その名にふさわしい春の空を思わせる晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 ミアナが震える手をハルオの口元にあてがう。しばらくして、ハルオのほほに、透明な熱いしずくが滴り落ちる。

 ミアナは涙をこぼしながらも気丈に笑顔をつくって、物言わぬハルオを抱きしめた。

「やっと……やっと、“勝てた”ね……」

 高く澄んだ青空のもと、春の甘い風が吹きわたっていく。遠くでは子供たちの歓声が響いていた。


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