正午のチャイムが教室上方の放送スピーカーから室内に響く。
昼を告げるチャイムを目覚まし代わりに目を覚ました。
退屈で暇なだけの授業が終わり、ようやく幸せな昼食の時間だ。
このために学校に来ていると言っても過言ではない。
授業時間に爆睡し、さも何事もなかった可能ように昼食の時間に目を覚ます。この背徳感がたまらんのだ。
ずっと同じ体制で眠りこけていたせいで、伸ばした体からバキバキと全身が軋んだような音が鳴る。
自分の腕を枕にしていたせいで押さえつけられていた眼球と頭の重みで血が止まっていた両腕が痛い。
しびれびれというやつか。いや、違うか。
ある程度体を解したところでカバンからヒヨコ柄の包みに包まれた弁当を取り出す。
さてと、本日のお昼は何かな?
すんすん、と鼻を鳴らして弁当の香りを嗅ぐ。
この匂いはチャーハンにレトルトハンバーグを乗っけて目玉焼きを乗せたやつか。こいつの正式名称なんて言うんだろうな。普段から出して頂いた料理を何も考えずに口の中にぶち込んでいるので料理名を聞いたりしたことはなかった。
あと昨日の晩作りすぎた煮物も入っているように思う。
弁当を軽く鼻先に近づけて匂いを嗅ぐと、芳しいデミグラスの香りを捉えたので、これまでの統計からこの中身を予想することが出来た。
まぁ、実を言うとハンバーグを除いて他はなんとなく適当に言ってみただけだ。
でもたぶんチャーハンは合ってると思う。
なんというか、うちのチャーハン匂いが独特なのだ。だから入ってたらすぐわかる。
今度隠し味はなに使ってんのとか聞いてみようかな。
それにしても俺の予想があってるとしたらなかなか悪くないチョイスだ。さすが母上。俺の好みをばっちり抑えつつ栄養とボリュームも満点だ。
ただ、たまには野菜ジュースじゃなくていちごオレをつけてくれると尚ポイントが高いよ、母上。
体のこと気遣ってくれてるのはわかるのだけれども。
野菜ジュースとにらみ合うが、特に変化はない。中身が急速にどこかへ飛んでいったりしないものだろうか。俺の大嫌いなトマトの風味が強いタイプを連日詰め込まれているのは、学力が一向に伸びない俺への嫌がらせか。
それに比べていちごオレは良い。ミルク香りも味も、それからあのイチゴっぽい味を香味料マシマシで作り上げた、ほら体に悪いピンクの液体だよ、と言わんばかりの味は、人間の本能が求めるものそのものさ。
心の中でいちごオレの素晴らしさについて自分自身に語りかけていると、廊下から声が聞こえてきた。
「ねぇねぇ、またあそこで一人でご飯食べてるんだって。轟さん」
「わざわざあんな見えるところで一人でとかさー、気取ってんのかって感じだよね。たしかに綺麗な顔してるけどさ?人付き合いが壊滅的じゃさぁ」
俺の心の中でいちごオレを手の中いっぱいに抱えた天使が空から舞い降りてきた辺りで妄想の世界から抜け出して現実に帰ってくる。
やれやれ、相変わらず奴は学校の裏手にある木陰でぼっち飯らしい。
話を聞く限り、というか普段の様子を見る限りあいつ自身にも非はあるが、一人ぼっちで飯なんて寂しすぎる。
食事とはみんなで美味しく食べるからより幸福感を感じられるというものだ。
しょうがないから優しい優しい俺が一緒に食いに行ってやろう。
なんたって、数少ないいちごオレの同志だしな。
よっこらせ、という掛け声と共に今し方まで爆睡していた机から離れ、包みに印刷されたでかいヒヨコの顔面部分を握りしめて教室の外に出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おぅい、随分うまそうな唐揚げ食ってるじゃんかよ。そしてお前は相変わらずぼっち飯か?
「そう言うあなたも相変わらずだね。また来たの?
夏もそろそろ終わりが近づき、少しだけ涼し気な風が小さな木陰に吹き抜ける。
風は目の前にいる紅白はっきり別れた特徴的な髪をした女子、轟焦華の肩まで伸びた長い髪を揺らした。
ぱちりとはっきりした目鼻立ちをした彼女の、オッドアイがこちらに向いた。
彼女は地面に座り込み、膝の上に小さな弁当を広げてこちらを見上げている。
無表情で相変わらず何を考えているか分からない女だ。
最近になってようやく大きな感情の変化には気がつけるようになってきたが、微妙な感情の揺れ動きなんかはさっぱりわからん。
たぶん表情筋が死滅してるんだと思う。
細胞ならまだしも筋肉が死滅ってそれ怖いな。
ゾンビの親戚とかだろうか。
「よっこらせっと」
自分もビックなヒヨコ弁当を片手に地べたに座り込み、弁当の中で俺に食べられるのを今か今かと待っているであろうハンバーグ達に思いを馳せる。
座る時についた手に少し付着した土をパシパシと払い、包みを開けて弁当を取り出した。
うーむ、いいかほり。
外から嗅いだだけで分かるデミグラスの強くも芳しい香りが、弁当の蓋という封印を解かれたことで眼前に巻き上がる。
中身はやはり想像した通りであり、我が母上の料理の腕は本日も寸分の狂いもないようだ。
「今日は、ヒヨコなんだ」
「おん?そうだな。ローテーション的に行くとトカゲだったんだが、今朝寝坊して普通に間違えた。ちなみに次はネコだ」
「知ってる。このところ毎日いっしょにご飯食べてるし、もうあなたのお弁当の包みのローテーションは頭に入ってる」
「そっか、なんで俺の弁当の包みのローテーションは覚えられて俺以外のクラスメイトの名前は一人も覚えられないんだろうな。俺はまったくもって不思議でならねーよ?一体何に脳みそのメモリ使ってれば三年間で誰一人学校関係者の名前覚えずに居られるの?むしろ才能だよ。おめでとう」
「――ありがとう??」
キョトンとした顔で小さく首を傾げる轟。
整った顔立ち、傷一つ無い真っ白な肌。
少しだけ垂れた、左右で違う色をした瞳。
さらにこの口下手、或いは無口が相まって周りにはお高く止まったように見えるらしい。
まぁ、事実顔は良いしな。顔だけは。
中身は天然を煮詰めて固めたみたいな性格しているので、きっとみんなも話してみれば何だコイツとこの間抜けさと言うか、馬鹿さに仲間はずれにするのがアホらしくなるに違いない。
もう少し周りの人間に心を開けばいいのにとは思うが、しかしコイツにはコイツの事情がある。他人の俺がとやかく言うことじゃないのだ。
そう思いながら弁当に入っていたハンバーグを一切れ口に運ぶが、ふと普段とは違う異変に気がついた。
「ん、なんかあったか?」
「…………なんで?」
「いや、なんとなく食欲なさそうだなと思って。俺が変わりに唐揚げ食ってやろうか??」
「別に、そんなことない。あとお弁当はあげない」
ただの俺の勘違いだろうか?
もともと轟は少食だが、それにしても箸の進みが遅いと思ったが。
俺が来る前からすでに食べ始めてたはずなのにまだ三分の一も無くなってない。
轟の弁当は俺の包みに印刷されているヒヨコの顔が引っ張られすぎて不細工になるほどでかい弁当とは違い、横に細長い楕円形をした、俺の片手に収まってしまうのではないかと思うくらい小さいものだ。
もともと食うのが早い訳ではなかったが、それでも遅いと感じた。
「そーか?腹の具合でも悪いんかと思ったが」
あ、もしかして。
そう思い轟の方を見る。
「女の子の――あいったぁ!!?」
鼻っ柱めがけて躊躇なく突き出された轟の拳。
めしゃりというあまり聞きたくないタイプの音と共に俺の鼻が物理的に曲がった。
どうしよう、びっくりするくらい痛い。
下手すると鼻血の大量失血で死んでしまうかもしれないくらい痛い。
死因鼻血なんて後世に語り継がれてもおかしくないレベルでダサいんだが。
全くもって勘弁して欲しい。
「い、痛てぇ……」
「……」
俺の鼻に一撃かましたっきり轟は黙り込む。
弁当にも手を付けず、少しだけ細めた目で黙って少し遠くの方をじっと見ていた。
少なくとも他の奴らよりはコイツと一緒にいると自負する俺だが、やはりコイツの考えはイマイチ読み取れない。
だが、こういう時の、コイツが
「また家のことでなんかあったのか?」
「………うん」
「そっか。中々大変だな、ナンバーツーの家系ってのも」
轟の親父は現在ヒーローランキング二位のエンデなんたらさんだ。
それ故の悩みや苦労も多いらしい。
周囲に嫉妬されたりとかだろうか。
俺は特別そういう目立つような家庭に生まれていないからそういった悩みは理解してやれない。
ちなみに轟曰く結構クズだとか。
それにしても名前、何だったろうか。
エンデ、エンデ、えんで………だめだ、ミヒャエル・エンデしか出てこない。
しわひとつ無いつるつるな新品脳みそを一生懸命絞ってみたが、興味の無い事故思い出せなかった。
無意味な思考を適当にその辺へ放り捨てて轟との会話に戻る。
「そんで今回はどうしたんだ?一緒に風呂に入りたいとか言われたか?それともおんなじ洗濯機で下着を洗うのが嫌になったか?」
「……」
再び黙り込む轟。
普段ならば俺が茶化しに入った瞬間拳が飛んでくるはずだが、なんだか今日はやけにおとなしい。
さてはこの後の天気は雪か、或いは槍か。後者はともかく前者がコイツの個性的に無くも無さそうだから困る。
尚も黙り続ける轟に、本当に何事かと思い弁当から隣りにいる轟へ視線を上げた。
普段よりも一層静かになった轟は、元から小さなはずの体を、膝を両手で抱いて更に小さくしていた。
ぎゅっと自分自身を抱きしめて震えている轟。
普段の高潔な雰囲気からは想像もできない弱々しい姿。
どうも、俺が思っているような普段の事案より幾分か深刻らしい。
ふぅっと息を一つ付いて食べかけの弁当に一度蓋をする。
そして一度地面から腰を持ち上げ、しっかりと体ごと轟に向き直った。
「詳しく聞いてもいいか?」
「うん…」
「家庭のこと、というか親父絡みだろうとは思ってるが、合ってるか?」
「…うん」
「そんで、なんか言われたのか?」
「昨日、家に帰ったら、いきなりスマホに写った写真を突きつけられた」
「写真?何のだ」
「知らない男の人」
知らない男の写真を帰ってきたばかりの女子中学生の娘に見せつける父。
うむ、まったくシチュエーションが想像できない。
これどういう状況だ?
轟の親父は実の娘にまったく関係ない男の写真を見せつけて興奮する性癖でもあるんだろうか。
だとすると相当やばいやつだ。
本当にヒーローやってて大丈夫だろうか。
早く捕まえてくれ世の警察官達。
「それで、何がどうなったんだ?」
ピクリと眉を震わせた轟。
少しだけ震えた声で、ポツリと言葉を口にした。
「その人と、高校卒業したら結婚しろって言われた」
――あぁ、そういうパターンか。
今まで轟と話してる中で、コイツの家での扱いをなんとなくだが聞いていた。
コイツの親父が待ち望んでいた個性を持って生まれて来たものの、女という理由で成長の可能性を切り捨てられたらしい。
まぁ、確かに言いたいことはわからんでもない。
ヒーローという職業は災害救助、孤児院の支援等々手広くやってるところが多いが、結局の所ヴィランと遭遇すれば直接的な戦闘をせざるを得ない。
となれば単純に身体的な能力として女では男に勝てないというのが通常だ。
トレーニングによって相手が同等の寝台能力ではない場合はまさることも出来るだろうし、個性社会において個性の強さ、或いは相性で勝ることもある。
しかし、轟の親父が目指してる目標地点はナンバー1ヒーロー『オールマイト』のその先。
計画している側としては、本人と同じく巌のような男児を望んでいたことだろ。
いや、そもそも個性婚なんて古風な考え方をする人だし、「ヒーローならば男でなくてはならん!」という考えなのかもしれない。
そこは所謂本人と神のみぞ知る、ってやつだな。
とまぁ何にせよ今目の前で震えてる少女は早々に見切りを付けられて今度はコイツが産むであろう孫に期待、というわけか。
自分の孫がスーパーヒーローとかおじいちゃん心躍っちまうな。
そのままの勢いで心臓麻痺まである。
そんな死因であれば、末代まで語り継がれること請け合いだ。
勿論笑いものとして。
「そういや轟よ」
「なに?」
「お前さんって志望校どこだっけか」
「……あの人に雄英のヒーロー科以外認めないって言われてるから」
「ナンバーワンヒーローは目指させないけどヒーローには成らせるのか…。よくわからん思考回路だ。まぁ、分かった。ありがとな」
「どう、いたしまして?」
食いかけの弁当をヒヨコの包みに戻し、小脇に抱えて地面から立ち上がる。
手とズボンについた土を払い、木陰から出た。
夏は終わりに近づいているものの、やっぱり日向はまだまだ暑い。
じりりと肌の表面を残暑に焼かれながら、その場を歩き出す。
「もう行くの?」
「おう、ちょっと職員室に用事があってな」
「そうなんだ。なにやったの」
「おい、俺がなにかやらかしたこと前提に聞くのやめろよ」
「でもそれ以外に思い当たらない。あなたは先生の手伝いとか絶対やりたがらないし」
「それは確かに事実だ。本当にちょっと野暮用があるだけなんだ。なんならさっさと終わらせてここに戻って来る」
「そうなんだ。じゃあ待ってる」
「おうよ、待っとけ」
ニヤリ、と口角を上げて俺が笑うと、急になんだと訝しげな視線を向ける轟。
そうさ。
本当にほんのちょっと、たった数分で済む用事だ。
例えば昨日提出した進路希望の第一希望欄を書き換えて来るくらいの。
ふはは、今は無表情なお前の顔が驚きに変わるのが目に浮かぶようだ。
笑いをこぼし、これから来る未来を夢想してニヤけた笑みを一層深めるのだった。
そして俺は翌年の3月、雄英高校ヒーロー科を受験することとなる。