片想いエントロピー増大則   作:外清内ダク

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03.蜜のごとく甘く

 

 

【お手紙ありがとう。あなたの気持ちを嬉しく思います。

 この手紙は、裏通りの店で買った矢で届けています――きっとあなたもご存知の、あの店です。

 あなた同様、私もあなたを見ています。いつのまにか私もあなたを愛してしまったようです。あなたが喜ぶことならなんだってしたい。この気持ちをあなたに届けたい――】

 彼からの手紙にはそう書いてあった。私は貪るように文面を読み尽くし、裏面をひっくり返してなにか続きがないかと調べ、ないと知るとまた表を読み返した。彼の文字は思いのほか流麗で、きちんと硬筆を習ったような書き方だった。その字で、私を喜ばせるようなことがたくさんたくさん書いてある。一語一語が私の鼓動を高鳴らせる。とうとう私は熱狂して声を挙げてしまった。味わったことのない快感が下腹部にこみ上げてきて、私は……私は……少し下着を汚してしまった。

 涙が出た。手紙を胸に掻き抱いた。愛した人に愛される、ただそれだけのシンプルなことが、これほどまで胸を満たしてくれるなんて。愛するたびに退けられ、生きているだけで揶揄され、かと思えば肉欲に駆られるばかりの男にいいように弄ばれ、そんなことの連鎖の中に生き続けてきた私だ。思い、思われる。恋文を交わし合う。ずっとこんな関係を夢見ていた。裏切られ足蹴にされてもなお、いつか得られると信じ続けた――そして得た。

 

 それから、私たちの“文通”が始まった。

 初めは、たあいもない話から。

 天気の話。ネットで見た面白い動画の話。先週見た映画の話と、タニス・リーの新作の話。不思議なことに、私たちの世界には誰ひとりとして同じ人間はいないようだったけれど、小説や、雑誌や、映画、テレビ、そんなものはほとんど同じらしい。私の知るタニス・リーと、彼の知るタニス・リーは全くの別人で、Wikipediaによると全く違う人生を歩んでいるが、タニス・リーを名乗る作家は両方の世界に存在するし、その作品は一言一句違わず同じ。これはちょっとした衝撃だった。作品は作家の人生に宿る――そのはずだ――しかし別人が別の世界で完全に同じ作品を造り得るのだとすれば――?

 正直に言って好奇心の虫がうずうずと騒いでいたけれど、今はそんなことより、彼のことを知るのが先決だった。彼は1978年10月13日生まれ……すると、あと3か月で40歳(ほぼ推定通り!)。古いファンタジー小説をいつも読む。好きなお酒はウイスキー……飲んでるところ見たことないけど、特別な時に飲むのかな。ひとつ情報を得るたびに、私の中の彼のイメージが確立されていく。落ち着いていて、孤独で、実直で、誠実で、ときどきちょっと抜けていて、それがとってもかわいい彼。

【私のこと、好き?】私はいつも、手紙の最後で問う。

【大好きだよ、何よりも】彼は答える、その都度異なる言葉遣いで。

 私は完全に満足していた。彼とセックスしたくないと言えば嘘になる。でも正直に言って私はセックスがあまり好きではなかったし(あれは、いつも痛いし、汚くなるから)、性欲は自分で片付けてしまうことができる。そんなことより、彼と通じていることが、彼の心を掴んだことが、お互い時空の壁を越えて想い合っているという事実が、私を幸せにしてくれる。これ以上の何が必要だというのだろう?

 最近は、彼に手紙を送り、彼がそれを拾い上げるさまを、あの噴水池で見つめるのが日課のようになっていた。彼は以前のようにキョロキョロと落ち着かないそぶりを見せることはなくなり、受け取った手紙をじっと見つめて黙考するようになっていた。彼が私の手紙を手にして、私に馳せている。その姿を上からそっと見下ろすことに、私はひそかな喜びを感じていた。

 密のごとく甘いひととき。身体を重ねるよりも親密な、心と心の重なり合い。私は、これで充分だ。

 

 それなのに――

 

 その瞬間は、唐突に訪れた。

 

 私はいつものように彼に手紙を送ろうと、噴水池に足を運んだ。覗いてみると、彼はどこか雑貨店のような場所にいた。あっ、と私は声をあげてしまった。見忘れようはずもない、艶めかしい蛙の置物に、浮遊する小石の入った瓶。“ヤドリギ魔法堂”。

 彼は店主と何か話していた。店主が飲み物を勧めているのが分かる。一体なんの用事だろう? もしこちら側と同じ仕組みなら、あの矢はどれだけ送ってもなくなりはしないはずだが……

 店主が彼に、何かを渡す――黒い帯のようなもの……

 その瞬間。

 池の中の映像が、消えた。

 私は驚愕して立ち上がった。腰を折り、水面に鼻先が触れるほどに顔を近づけ、よくよく目を凝らした。手のひらで水面を叩いてみた。縁のコンクリート・ブロックを蹴ってみた。池の周りをぐるりと回り、彼の姿を探してみた。何もかも無駄だった。見えるのは、何の変哲もない、公園の池の底の敷石ばかりだ。

 彼が消えてしまった!

 私はパニックになり、持ってきた手紙と矢を水面に投げ込んだ。しかし矢は、池の中にポチャリと落ちて、そのまま池の底に沈んで倒れた。手を突っ込んで拾い上げた。もう一度投げ込む。同じことの繰り返し。手紙が、夕べ書いた宛名の文字が、水を吸って滲んでいく。

 一体なにが起きたというんだ!

 

 私は“ヤドリギ魔法堂”に走り、店のドアを蹴り開けた。店主は前と同じように窓辺に佇んでおり、息を切らせて駆け込んできた私を、悲しげに見やるのだ。私は目を細め、奥歯を噛み締め、店主に詰め寄った。私よりたっぷり頭ひとつ分は背の低い店主が、しかし物怖じすることもなく私の敵意を受け止める。

「聞かせてよ。何が起きたのかを」

 私は語った。私が彼に届けた手紙のこと。彼から届いた返事のこと。幸せのこと。満足のこと。そして突如私を襲った不幸のこと。でも、どれだけ言葉を尽くしても、私の喪失感を言い表すことはできようはずもない。あの幸福を言葉で言い表せないのと同様に、私は、私の心は、あまりにも乱雑で――

「分かるよ」

 店主が穏やかに慰めてくれる。

「ちっぽけな人の身で認識できることには限りがある。大切なひとのために尽くしたつもりが、そのひとを地獄に落としてしまう――ままあることさ。僕もかつてそうだったんだ。

 だから僕は事実を述べよう。僕が《アーゼング》から許されていることは、ただひとつ、それのみなんだ」

 店主は奥の戸棚から、黒い帯を取ってきた。私の表情を見て店主は頷いた。これだ。彼が、彼の世界の店主から受け取っていた品物。恐らくこれも、魔法の道具の一種なのだろう。そしてたぶん、これのせいで彼は消えたのだ。

「《暗闇に横たわるもの》。効果は――ある種の合成写像をつくること。ありていに言えば(ポータル)の繋がりかたを変えるんだ。この合成は基本的に不可換で、しかも右逆写像が存在しないから……」

「私は挫折した人間なのよ! 難しい話をしないで!」

「君の想い人は、どこか別の場所と繋がってしまった。君には見ることのできない、別のどこか。もう、元には戻れないんだよ」

「できるはずだわ。あなたは何でも知ってるんでしょ」

 私のしゃがれ声に、店主はそっと首を横に振った。

「だからこそ、不可能と分かることもある――」

 私は膝から崩れ落ちた。店主が音もなく駆け寄り、とっさに私を抱きとめてくれた。生ぬるく、頼りなく、それでいて異様な力強さを感じさせる腕だった。まるで、夏の夜、街灯の途切れた道のわきに、黒い闇が溜まっている――あの暗闇のような生温かさ。

 店主に導かれて椅子に身を沈め、私は組んだ手の親指をじっと見つめた。頭の中は、彼を再び手に入れる可能性を探して、目まぐるしく回転していた。

「どこか別の場所って……」

「どこか、この世界の中のどこかさ。この惑星にあるとも限らない」

「でも、あるかもしれない?」

「宇宙の広大さを知らない君でもあるまい?」

「何か別の道具でもう一度彼と繋がることは?」

「僕の知る限りでは無理だ」

「じゃあせめて、お別れの手紙を彼に!」

「君への(ポータル)は閉じてしまった。もう、完全に閉じてしまったんだよ……」

 私は泣いた。涙は、私の外殻を突きぬいて溢れ出るかのように溢れ、川となって世界の全てを押し流すかに思われた。その悲しみの濁流の中にあっても店主は平然と立っており、私に寄り添い、私の肩をさすってくれる。だがそれが何だというのだ。好きでもなんでもない相手からの中途半端な優しさなどが、どれだけ私を癒してくれるというのだ。

「いいかい――」

 私は彼の手をぴしゃりと払いのけた。

 店主は手のひらを押さえ、あの、死にゆく小動物を見守るような、腹立たしい悲し気な視線を私にくれながら、そっと店を出て行った。扉が閉まる。私はひとり、取り残される。

 行き場を失くした私は、私は――

 

 

(つづく)

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