良い感じの区切りどころが見つからなかったので、今回は短めです。
カツカツという音が教室の至る所から鳴り続ける。そして度々聞こえる音の中には紙が強く擦りすぎたのかグシャッと紙が潰れる小さな音もあった。
自分の机の上にある解答用紙も初めは真っ白だったが、徐々に解答欄の部分を中心に黒い部分が増えていく。この調子なら時間内に全ての問題を解答できるはずだ。
(えーと、確かこっちだったよな……)
そしてまた新たに空白だった四角い欄にアルファベットが刻まれた。少々自信はないが、四択の問題だから25%の確率で当たる可能性はある。何も書かないよりは点数が上がる可能性が高まるだろう。
6月中旬、トールズ士官学院ではいよいよ中間試験が始まっていた。今日はその初日、帝国史の試験の時間である。
俺は帝国史をはじめ座学自体は得意ではなかったが、連日の雨で剣が振れなかったことやトワさんたちに勉強を見てもらっていたこともあり、試験勉強は十分にできていた。今解いている帝国史の試験も予想以上に手ごたえを感じている。
結局、試験期間になるまでリィンたちとは一緒に勉強をする機会はなかった。いや、機会がなかったわけではない、ただ単に自分が彼らを避けていただけだろう。
(――っと、集中、集中)
ともかく今は中間試験に全力を尽くさなければならない。これからのことは試験が終わった後にでも考えるべきだ。
俺は頭を切り替えてその後も所々迷いながらも問題を解いていった。そして、試験時間も残り15分といったところで俺はある問題を見てピタリとペンを止めてしまう。
問:七耀歴952年7月。エレボニア帝国の帝都ヘイムダルにおいて、後の皇帝ドライケルス皇子の手によって《獅子戦役》が終結に導かれた。この際、ドライケルス皇子と協力して戦争を終結に導いた《槍の聖女》とも呼ばれる人物の名前を答えよ。
問題の答え自体は別段難しい内容ではない。むしろ、この問題は日曜学校でも習うレベルの帝国人なら殆どの人が答えられるであろうサービス問題だった。
しかし、俺はこの問題を見た瞬間に固まってしまった。無論、答えは分かっている。《槍の聖女》――リアンヌ・サンドロット。レグラムで生まれ育ち、武術において天賦の才を持っていたとされる帝国の伝承でも色々と名前が登場する有名人だ。
答えが分かっているのなら早く解答欄に名前を書くべきだ。まだ問題も残っているし、こんな簡単な問題に時間をかけている暇は無い。
しかし、俺の脳内ではあることがフラッシュバックしていた。
再生されていくのは炎の中で苦しそうに走る少年と少女の姿。無数の死体とそれをやった見知らぬ者たち。やがて少年と少女のもとにも、その者たちが迫る。そしてあと僅かで少年に触れようとした瞬間、一陣の風と共に脅威は消え去っていく。
少年の前に立っていたのは銀色の甲冑を着た女性の騎士。呆然とする少年に女騎士は優しい声で話しかけて――
「――大丈夫ですか?」
「え――」
意識が急に現実に引き戻される。俺の目の前いたのは甲冑を着た女性ではなく、心配そうな表情でこちらを見るメアリー教官だった。
「大丈夫ですか、ライガスト君?ペンを落としていたから声をかけていたんですけれど……」
メアリー教官の手には俺のペンが握られている。どうやら俺はテスト中にペンを落としてしまったらしく、それをメアリー教官が拾ってくれていたようだ。
「……はい、大丈夫です。ちょっとぼーっとしてたみたいで」
「そうですか?もし熱があるのなら、無理せず保健室に行った方が良いですよ」
「いえ、本当に大丈夫です」
心配するメアリー教官からペンを受け取りながら、ふと周囲の視線にも気づく。同じく試験を受けているⅦ組の面々もペンを止めてこちらを心配そうな表情で見ていた。そして、それに気づいたメアリー教官は俺も含めて教室にいる生徒たちを試験に集中させる。
「皆さん、試験時間は残り10分です。最後まで集中してくださいね」
メアリー教官のアナウンスが流れた後、教室には再びカツカツという音が響き始めた。俺もまだ問題を解き終わっていないため、急いで残りの解答欄を埋めていく。
結局、帝国史の試験は自分が解けたのかどうかわからなかった。
6時19日。4日間のテスト期間も終わり、生徒たちは試験の重圧から解放されていた。それを祝福するかのように、連日パッとしない天気が続いていたトリスタの空は雲ひとつない快晴となっていた。
「……ようやく、試験も終わりか」
そんな中、俺は一人今ひとつ晴れない心持ちで廊下を歩いている。他のみんなは試験が終わったことで、一足先に第三学生寮に戻っているはずだ。俺は花壇の様子を見てくると言って、寮には帰らずに中庭に向かっているのだ。
初日の帝国史の試験の手ごたえは正直覚えていないが、それ以降は気持ちを切り替えて挑んだため、自分の中でもかなり点数が取れているという自信がある。と言っても俺はマキアスやエマのように頭は良くないため、あくまで自分の中でのベストを尽くしたといったところだ。
試験のことを思い返しながら歩いていると、いつの間にか中庭に出ていた。俺はそのまま当初の目的である花壇に向かう。すると、そこには先客がいた。
「あ、来たんだ」
「フィー……」
花壇の前にはフィーが座り込んで花の様子を見ていた。お互いの存在に気づいてから、しばしの間沈黙が続く。思い出したように俺がフィーに話しかけた。
「えっと、花壇を見てたのか?」
「ん、水をあげた方が良いのかなって思って」
「いや、ここのところ雨が続いてたから今日はいいと思う」
「そっか」
そういえば、こうしてフィーと二人きりで話すのは結構久しぶりだ。寮でも会ってはいたが、お互いに軽い挨拶程度しかしていなかった。
「じゃ、先に戻ってるね」
水やりの心配はいらないとわかり用が済んだフィーは、俺を残して寮に戻ろうとする。その後ろ姿を見送ろうと思ったが、なぜか自然と自分の口から言葉が漏れていた。
「――フィー、良かったら一緒に帰らないか?」
「…………」
「…………」
俺とフィーはトリスタの街を横並びに歩いていた。二人とも特に寄りたい場所もないため、今は真っ直ぐと第三学生寮に向かっている。周囲にはあまり人影がなく、石畳を歩く二人分の足音だけが聞こえるだけだ。
「フィーは試験どうだった?」
「まぁ、ぼちぼち。イクスは?」
「俺も似たようなもんだ」
「ふーん」
共通の話題である中間試験の手ごたえをお互いに尋ねるが、短いやり取りで済んでしまって会話は弾まない。これがマキアスやユーシスたちなら色々と張り合ったりするのだろうが、そもそも俺たち二人は試験の結果で張り合うような点数を取れるわけでもなかった。
短い会話が終わると、再び俺たちの間に沈黙が流れる。普段はこういう空気になってもあまり気にしないはずなのだが、今はこの沈黙がやけに嫌だった。
話題ならいくらでもあるはずだ。特に俺にはフィーに聞きたいことが色々とある。しかし、それらの質問はいくら言おうとしても喉から先に出なかった。
「ん、着いた」
そうこうしている間に俺たちは第三学生寮に辿り着いていた。俺もフィーも無理に会話をするつもりもなく、そのまま寮に入っていく。
「みんな、こんなところでどうしたんだ?」
「あ、ああ、イクス。それにフィーも」
寮の玄関口には何故かみんなが集まっていた。帰ってきた俺たちを見て、リィンは皆苦笑いを浮かべている。
「えっと、どこから話せばいいんだろう……」
「この場合は最初から説明した方が良いのではないか?」
「そうですね……」
エリオットたちもまた困った表情をしていた。彼らの会話から察するに、俺とフィーが寮に帰ってくる前に何かが起きたようだ。
困惑しているⅦ組の面々を見ていると、横にいたフィーがあることに気づく。
「……そういえば、アリサは?」
「……確かにいないな」
玄関口に集まっていたⅦ組メンバーの中にはアリサの姿だけがなかった。彼女はリィンたちと一緒に一足先に寮に戻っていたはずだ。そして、アリサがいないことに気づいた俺たちにリィンが事情を説明しようとした。
「えっと、アリサなら今――」
「――お嬢様でしたら、今は部屋に閉じこもっていますわ」
リィンの言葉を遮って2階から一人の女性が降りて来た。
淡い紫の髪に少し特徴的な色使いのメイド服。ゆったりとした喋り方ではあるものの貴賓さを感じさせる声。階段を降りてくる足取りも上品さを残しながらも無駄のない所作だ。
困惑する俺とフィーを見た見知らぬメイド服の女性は優雅に一礼をしてから挨拶する。
「皆様お揃いのようですので、改めてご挨拶をさせて頂きます。わたくし、アリサお嬢様のご実家である“ラインフォルト家”でメイドを務めている、シャロン・クルーガーと申します。本日より第三学生寮の管理人として皆様のお世話をさせて頂きますので、どうぞよろしくお願いしますね」
こうして、第三学生寮の管理人として新たな住人が加わることになったのだった。