英雄伝説 花の軌跡   作:阿賀美 アクト

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第0話② Catastrophe

 

 

 

 

 

 

 《ロウフェル》―――エレボニア帝国北東部にある《カラブリア丘陵》の東側に位置するその町は辺境といってもおかしくない場所にある小さな人里だった。

 

 

 《花の町》として知られるその場所では花だけでなく小麦や野菜、果物など様々な種類の作物を一年中育てている農業の盛んな土地で、大陸横断鉄道が開通してからはそれらを貨物で他の場所に輸送している。

 

 ここまで農業が盛んなのはその土地の特性が大きく影響していた。

 

 

 ロウフェルのすぐ近くを流れる《レグルス河》という豊富な水資源に加えて、夏もそれほど暑くなり過ぎず冬も雪があまり降らない農業をやるにはうってつけの気候。そして何よりも最適なのはロウフェル一帯の土地自体が持つ特殊な土地性にあった。

 

 

「わぁ、向日葵畑もそろそろ満開になりそうね」

 

「この前、シャガおじさんのブドウ畑の方も行ったけど今年も豊作になりそうだって」

 

「それじゃあ小麦の方も大丈夫そうね」

 

「うん、そうだと思う」

 

 

 農業では基本的に豊作の年もあれば不作の年もあるのが当たり前であり、大規模な穀倉地帯のあるケルディックでも不作の年は存在する。そういう年は小麦やライ麦の物価が高くなって国民も生活が苦しくなるのが普通のことだ。

 

 しかし、このロウフェルでは基本的に不作の年というものが存在しない。

 たとえ帝国の他の場所で不作の年だったとしても、ロウフェルでは毎年変わりなく豊作になる。

 

 それもイクス達が知っているここ数年の話ではなく、“何十年も前からずっと”それは変わっていない。

 

 そんなある意味で異常とも言える土地性は『種を蒔けば勝手に作物が育っていた』という言い伝えも残るほどのものであった。

 

 そんなロウフェルの豊穣な土地を象徴していると言われる場所こそ今イクスとマシロが向かっている場所である。

 

「前に行ったのっていつだったかしら」

 

「3月だよ。花祭りの時に花飾りを作るのマシロも手伝ってくれただろう?」

 

「そっか、そうだったわね」

 

 青空の下、花や木々に囲まれた道を他愛ない話をしながら歩く二人。郷の東側から出た二人は向日葵畑を抜けて魔獣の出ない長閑な道を進んでいた。

 

 

 少し背の高い木もあることで空から降り注ぐ日光も幾分か和らいでいて、辺りからは一生懸命に鳴くセミの声が聞こえている。土と木の匂いに野花の香りに包まれた道を15分ほど歩いた先に彼らの目的地はあった。

 

 

「ふぅ、着いた」

 

「いい香り……ラベンダーが綺麗に咲いてるわ」

 

 

 林を抜けた先に広がっていたのは一面が花に覆われた美しい丘。夏に咲く色とりどりの花が咲く中、一番その面積を占めていたのは今が開花時期である紫や青のラベンダーだった。

 

 

 

 《ラフノの花畑》。低めの丘になっているその場所は一年中季節によって様々な花が咲く花畑であり、驚くべきはその花畑が誰かが手入れをしているという訳では無い天然の花畑であることだった。

 

 

 その場所には花が無いという時期は存在せず、いつ何時でもその季節に咲く花が満開に咲いているというまさに奇跡としか言いようの無い場所である。ロウフェル一帯の特殊な土地性もこの場所の恩恵を受けているとされ、郷の者からは『女神が創りし花畑』として神聖視されている場所でもあった。

 

 

 イクスとマシロはその丘の上で蜂蜜パイを食べることにし、二人で花畑を進んでいく。ラベンダーのいい香りが鼻をくすぐり、自分達の周りは青と紫の色で埋め尽くされていた。

 

 丘の上に着いた二人はそこに腰を下ろして持参した紙袋の中からパイとフルーツジュースを取り出す。このフルーツジュースはロウフェルで食堂をやっている店のメニューで、こちらもイクスの誕生日ということでタダで貰っていた。

 

 

「「いただきます」」

 

 

 行儀よく手を合わせてから二人はパイを口いっぱいに頬張った。

 

 サクサクの生地の中にはとろりと甘―い蜂蜜がいっぱいに入っていて、濃厚な蜂蜜の甘さが口いっぱいに広がっていく。隠し味に入っているレモンがその甘さを少しリセットすると、またパイ生地と蜂蜜の甘さが味わいたくなってもう一度パイを口に運んでしまう。

 

 その無限ループが永遠に続き、気づけば手からはパイが一つ消えている。

 そして二人はまた紙袋の中からパイを取り出してそれを口にした。

 

 ちょうどおやつの時間ということで甘いものを欲していたイクスとマシロは蜂蜜パイを2つずつペロリと平らげてしまった。あっという間にパイを食べ終わった二人はフルーツジュースを口に運んだ。

 

 乾いていたイクスの喉を爽やかな果汁が潤していく。ふぅ、と一息ついていると隣に座っていたマシロが彼に話しかけた。

 

 

「ねぇイクス」

 

「ん?」

 

「イクスはどう思う?『銀色の騎士』のお話」

 

「うーん……」

 

 

 マシロが言った『銀色の騎士』の話というのは郷に伝わっている一種の噂話である。

 

 

 曰く、このラフノの花畑にはごく稀に銀色の甲冑を着た騎士が現れるのだという。そしてその騎士というのが美しい金髪の女性で、かの《槍の聖女》リアンヌ・サンドロッドにそっくりの女性なのだそうだと。

 

 

 イクスももちろんその話は知っている。だが、彼はいまいちその話が現実味のないただの噂話に感じていた。

 

 

「ただの噂話だと思うけどなぁ。実際見た人がいないし」

 

「でも、本当かもしれないじゃない。ロウフェルにも聖女さまの像はあるし、私の屋敷にも聖女さまの絵があるもの。ロウフェルが聖女さまに関係ある土地かもしれないわ」

 

「じゃあなんでその家の娘のマシロが知らないのさ」

 

「それは私がまだお父様達から教えられてないだけよ。イクスだってそうかもしれないわよ?」

 

「それは……」

 

 

 いつもなら否定するところなのだが、マシロの話を聞いていたイクスの頭には父の『自分に話すべきことがある』という言葉がよぎっていた。

 

 

 確かにガーデニア家の方も、マシロが一人前になった時に彼女の父親から領主として色々と教えられるのだと彼女の口から聞いたことがある。そしてそのために彼女が日々子爵家の娘として成長していることもイクスは知っていた。

 

 

 そんな事を思い出していたイクスは一瞬迷ったものの、やはりそれは無いと自分の中で結論を出した。

 

 

「やっぱりただの噂だよ。そもそも250年前の人が生きている訳が無いし」

 

「それはそうだけど……」

 

「まぁ本当にこの花畑に現れるんだったら、もしかしてゆうれ―――」

 

「わあ!言っちゃダメ!そんなのいないもん!」

 

 

 イクスがとあるワードを言おうとする前にマシロがそれを遮る。

 

 

 いわゆる怖い系の話題はマシロの数少ない弱点で、それが平気なイクスにとっては普段振り回されがちなマシロをからかう事の出来るものだった。

 

 

 結果、その話題はただの噂話という結論に落ち着きマシロとイクスはその後花畑の周りで遊ぶことにした。そうして遊んでいるとあっという間に時間は過ぎ、気づけば青だった空も茜色に染まっていた。

 

 

「あ、もうすぐ帰らないと日が暮れちゃうわね」

 

「うん、父上も日暮れまでには帰るように言ってたしそろそろ郷に戻ろうか」

 

 

 遊んでいた二人も夕焼けに染まる空を見てロウフェルに戻らなければならないと思い、紙袋などを置いていた丘の上に登っていく。忘れ物がないか確認しようとした時、二人の耳にある音が届いた。

 

 

 

 

 ―――ドォーン!!―――

 

 

 

 

「え……?」

 

「今の何の音……?郷の方から聞こえたけど……」

 

 

 遠くから聞こえた音は二人にとって聞き覚えの無い音だった。魔獣の声かとも考えたが、それにしては生き物っぽくない音であり、そしてその音はどうもロウフェルのある方から聞こえたような気がする。

 

 二人が何か言いようのない不安に駆られていると、また続けざまに二度三度似たような音がロウフェルの方から聞こえてくる。連続する音を丘の上から聞いていると、ここでマシロがある異変に気付いた。

 

 

「イクス、あれ……!」

 

「あれは、煙……?」

 

 変な音が聞こえるロウフェルの方からもくもくと黒い煙が上がっていた。そして良く見ればその煙の下の方は少しオレンジ色の光で照らされている。

 

 

 それを認識した瞬間、イクスの頭にはある予想が浮かんだ。

 

 

 

 ―――何かが燃えてる……?

 

 

 

 あれほど大きな煙が上がるということは郷で火事でも起きたのだろうか、そんな考えが一瞬よぎったがイクスの脳が何故かそれを否定する。自分でも良く分からないが、先ほどから聞こえる大きな音がイクスの胸を掻き立てていた。

 

 

「―――行こう、マシロ」

 

「う、うん……」

 

 

 不安そうなマシロの手を強く握る。小さな彼女の手は少し震えているように感じる。

 

 

 高まっていく胸のざわめきを振りほどくように少年は少女と一緒に走り出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃えている。

 

 

 

 

 数時間前まで自分達もいたはずの場所が嘘みたいにごうごうと燃え盛っている。

 

 

 家屋は今も焼け崩れ、その周りには赤い血を流したヒト達の姿もある。ヒトと認識出来るものならまだいい。中には思わず目を逸らしたくなってしまうほど無残な肉塊もあった。

 

 

 これは一体何なのだろう。そんな現実逃避な考えが頭を支配して、目の前の光景を理解するなと警告を鳴らしている。

 

 

 自分の隣では信じられないものを見るマシロが小さく震えている。彼女の震えはしっかりと握られた左手からひしひしと伝わって来ていた。

 

 

 

 花畑を後にし林を抜けた先に待っていたのは地獄だった。

 

 

 

 自分達の故郷《ロウフェル》が燃えている。言葉にすればたったそれだけの事実だが、その現実はあまりに残酷で非現実的な受け入れがたい光景だった。

 

 

 十数秒の間、自分とマシロは茫然としてその光景を見ていた。そしてようやく脳の機能を取り戻した自分の頭には雪崩のように色々な考えが浮かび始める。

 

 

 一体ロウフェルに何が起きたのか。

 

 家族は無事なのか。

 

 誰がこんな事をしたのか。

 

 一刻も早く状況を確認しなくては。

 

 

 ぐちゃぐちゃになる頭をどうにか落ち着けようとしてマシロの手を握って歩き出そうとする。その時だった。

 

 

 

 

「お、何だ。まだこんなトコに獲物が残ってんじゃんか」

 

 

 

 

 足が止まる。恐る恐る声の方を向くとそこには一人の男が立っていた。

 

 

 ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべる男の手には血の付いたサーベルがある。遅れて理解する。この男は今から自分達を“殺そう”としているのだと。

 

 

(逃げなきゃ――)

 

 

 頭ではそう思っているはずなのに体は石になったかのように動かない。そうしている間にも男と自分達との距離はどんどん縮まっていく。明確な死の恐怖は自分の体を一瞬のうちに支配していた。

 

 

 

「そんじゃ、まずはこっちガキの方から―――」

 

 

 

 そう言って男が剣を振り上げようとする。炎の明かりに照らされた刃が自分に迫ろうとしたが、その刃は自分に届くことは無かった。

 

 

「はあああっ!」

 

「なっ――!?ガアッ!」

 

 

 振り上げられていた刃は突如横から来た剣に阻まれそのまま男の後ろに飛ばされる。男が状況を理解する間もなく、続けて2本目の剣がザクリと鈍い音を立ててその男の心臓辺りを貫いていた。

 

 程なくして男の目から生気が失われる。男を剣で貫いた人物はゆっくりとそれを引き抜いてから振り返った。

 

 

「大丈夫か、二人とも」

 

「父上……」

 

「おじ、さま……」

 

 

 自分とマシロを助けたのは双剣を携えた父ノインだった。優しくこちらに話しかける父の姿を見て安心したのか、先程まで石のように固まっていた自分の体にも熱が戻り思い出したように目から涙が出てくる。

 

 

「父上、一体何があったんですか!?姉上や母上は、郷の人達は無事なんですか!?」

 

「落ち着くのだ、イクス。落ち着いて私の話をしっかりと聞きなさい」

 

 

 宥めるような父の声を聞き、溢れそうになる涙を堪えながら深く息を吐く。良く見れば目の前にいる父は所々に傷を負っていて、息も心なしか荒く感じる。そもそも今日は体の調子はあまり良く無かった筈だ。その状態で剣を振っていれば最悪命に関わることにもなるかもしれない。

 

 

 しかし、こちらを見据える父の瞳は全くそんな様子を感じさせない。自分と同じ灰色の目には夜空に輝く星のような煌めきを持っていた。

 

 

 

「少し前にロウフェルは何者かの襲撃を受けた。おそらくはどこかの猟兵だろう」

 

「猟兵……?」

 

「そうだ。今は私やユスティア、郷の若い者たちでなんとか食い止めている。だが、このままでは全滅する可能性もある」

 

「そんな……!だったら僕も一緒に―――」

 

「駄目だ!」

 

「っ!?」

 

 

 

 自分もライガスト流の剣士の一人。剣士として姉や父とともに戦うという自分の言葉はいつになく必死な父の声に遮られた。

 

 

 

「イクス、お前はマシロお嬢様を連れて郷の南の方に逃げなさい。そこには先に避難させた子爵閣下達や他の住人達もいる。合流したらそのままロウフェルから離れるんだ」

 

「マシロを連れて……」

 

「ああ。これはお前にしか出来ない事だ」

 

 

 

 マシロと一緒にロウフェルから逃げる。

 

 

 それはつまり父や姉達を置いていくということ。敵の戦力がどれほどのものかはわからないが、父や姉ともう一度無事に会える保証はない。

 

 

 父と話すのもこれが最後かもしれないというあまりに唐突すぎる事実を前に、その言葉に頷くことができなかった。

 

 

 

「イクス」

 

 

 

 大きな父の手が自分の頭の上に置かれる。名前を呼ばれてから少しの間、父も何を話すべきか迷っているようだった。

 

 

 

「いつか教えたライガスト流の極意を覚えているな?」

 

「えっと……『意志なき力は力に非ず、真なる力は己の内に』……ですか?」

 

「いいか、その言葉を決して忘れるな。いずれその言葉がお前を導いてくれる」

 

 

 

 自分がまだ初伝にもなっていない頃に父から教えてもらったライガスト流の極意。なぜ今その言葉を確認したのかはわからないが、それが重要なことだというのはなんとなく理解できた。

 

 

「お嬢様もどうかお気をつけて。辛いとは思いますが今はどうか逃げることだけをお考えください」

 

「おじさま……。また、会えますか……?」

 

「――ええ、必ず。猟兵を倒した後、私達もそちらに合流します」

 

 

 半ば願望のようなマシロの質問に父は優しい笑顔で答えた。その願いが現実になるかどうかは彼女もうっすらと分かってはいるのだろうが、それでも聞かずにはいられなかったのだ。

 

 少し遠くからは今もなお激しく戦闘している音が聞こえる。マシロにも話しかけた父は最後ちもう一度自分の顔を見た。

 

 

 

 

「ではな、イクス。任せたぞ」

 

 

 

 

「……はい……!」

 

 

 溢れ出そうになる涙を必死に堪えて頷く。

 

 

 マシロの手を決して離さないように握って音のする反対方向へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――走る

 

 

 

 決して後ろを振り返ることなく、ただひたすらに前へと足を進める。離さないよう強く握った幼なじみの手もまたこちらの存在を確認するかのように強く握り返されている。

 

 周りには燃え盛る炎といくつかの屍。煙と死臭の漂う酷い匂いを無視してただただ前に。

 

 これが夢なら早く醒めてほしいが、今目にしているものも先程までの事も全て紛れもない悪夢のような現実だった。

 

 

 

 ――走る

 

 

 

 気づけばもう郷の南の方まで近づいていた。もう少し走れば先に避難した人達がいる。その中にはマシロの両親もいるはずだ。

 

 燃え崩れている建物の方をちらりと見ると、南の方にあった町の雑貨屋らしき残骸が見えた。

 

 

 もう少し、もう少し。

 

 

 はやる気持ちを抑えて転ばないようにできるだけ速いスピードで走り続ける。

 

 

 そしてようやくそこにたどり着く。いや、たどり着いてしまった。

 

 

 

「―――え?」

 

 

 

 思わず情け無い声が出る。

 

 

 マシロの両親も含む避難した人達がいるはずの場所には誰もいなかった。

 

 

 目の前に広がるのはおびただしい数のかつてヒトだったものたち。刃物でズタズタにされたものや手足の無いものもあれば、銃弾で撃ち殺されたものなど見るに耐えない無残な死体の数々が横たわっている。

 

 

 そして確認できる限りそれら全てが自分の知っているヒトたちのものだった。

 

 

「おとう、さま?おかあさまも……? いや、いや、やだよ……」

 

 

 隣で手を握るマシロは小刻みに震えている。涙ぐんだ声はたどたどしく、目の前の光景を受け入れられない彼女の気持ちが手から伝わってきた。

 

 

 二人揃って茫然と立ち尽くしていると、ここでようやくおびただしい死体の中に立つ死神達に気づいた。

 

 

 

「オイオイ、まだガキが残ってるじゃねーか」

 

「ヒュウ、マジじゃん、ラッキー♪」

 

「俺はいいや。ガキ殺っても面白くねーし」

 

「右に同じく」

 

「えー、じゃあ俺が一人占めさせてもらっちゃお♪」

 

 

 

 地獄のような光景の中に似つかわしくないほど愉快に笑う者達が四人。返り血を浴びたボロボロの衣装を着たその姿はまさに死神だった。

 

 

 その内の一人がゆっくりとこちらに近づいてくる。震える足はまたしても自分の意思とは正反対に動こうとしてくれない。

 

 

「んー、どーしよっかなあ。やっぱ最初は男の方かなー?」

 

 

 まるでお店で品定めをしているかのような軽い声で近づく男は銃剣をくるくると回しながら歩いている。後ろで待機している三人は気味の悪い笑みを浮かべて見物していた。

 

 

 男の武器であればたとえ今から背を向けて走り出そうとしても後ろから撃たれるだろう。しかし逃げなければ刃か銃弾が待っている。

 

 

 どうすべきか必死に考えながら立ち竦んでしまっている時、視界の横から何かが飛び出してきた。

 

 

 

「ワン!」

 

 

「は?って痛ってえ!?」

 

 

 

 飛び出してきた影は素早く男に飛びつきその左腕に噛み付く。予想外の出来事に男は思わず悲鳴をあげる。そして自分は飛び出してきた者の名前を叫んだ。

 

 

「ペロ!?」

 

「んの野郎……!離しやがれ!」

 

「ワン、ワン!グルルルル……!」

 

 

 噛み付かれた左腕からペロを振り払う男。その腕を離したペロは低いうなり声をあげて男を威嚇していた。

 

 

 男の腕からペロが離れた拍子にちらりと反対側の腕に何かのエンブレムが見える。そのデザインは『眼帯をつけた狼』のエンブレムだった。

 

 

 

「バウッ!」

 

「ちっ!危ねえ!」

 

「あははは、アイツ犬に苦戦してやがるぜ」

 

「手伝ってやろうかー?」

 

「るせぇ!このクソ犬、ぶっ殺してやる……!」

 

 

 

 自分とマシロを守ろうと必死に男に立ち向かうペロ。だが、その奮闘も長くは続かなかった。

 

 

「喰らえ!」

 

「キャンッ!」

 

 

 銃剣から放たれた弾がとうとうペロの体を撃ち抜く。そしてさらに三発銃弾がその体を貫いた。

 

 

「ペロ!!」

 

「クゥ、ン……」

 

 

 

 撃たれたペロはやがて力なくその場に倒れこむ。最後にこちらを案じるような優しくか細い声を出してから完全に力尽きた。

 

 

 

「ってぇなおい………。なあ、どうしてくれんの?ちょっと血が出てきちゃったよ……」

 

「……っ!」

 

 

 

 男はペロを撃ってからゆらりとこちらに振り向く。その表情には薄い笑みが浮かんでいるものの、目は明らかにイラついている。

 

 

 ゆっくりと近づいてくる男を前にし、マシロをなるべく後ろに下がらせてから自分の足元にあった剣を拾い上げて構える。拾い上げた剣は木剣よりもはるかに重い。勇敢な愛犬の姿を目にした自分にはもはや男への恐怖心は殆ど無くなっていた。

 

 

 勝ち目など殆ど無い。しかし、ここで逃げようとしても二人とも殺されるだけだ。だったらせめて自分が少しでも時間を稼いでマシロを逃がすしかない。

 

 

 男との距離がどんどん縮まっていく。恐怖に負けないよう必死に歯をくいしばる。

 

 

(ごめん、マシロ)

 

 

 心の中でマシロに謝ってから自らの死を覚悟して剣を振りかぶろうとした。

 

 

 

 

 

 

 瞬間、剛風が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 

「な―――!?」

 

 

 訳がわからないといった表情で目の前の男が吹き飛ばされる。その衝撃は凄まじく、10アージュ以上後ろに頭から叩きつけられた男は二度と立ち上がる気配は無かった。

 

 

 

 

 そして自分とマシロの目の前には一人の“騎士”が立っていた。

 

 

 

 

「『銀色の騎士』……」

 

 

 その姿を見たマシロが後ろでポツリと呟いた。

 

 

 仰々しいほど立派な銀色の甲冑を身にまとった騎士の手には身の丈よりも大きな《騎兵槍》、あり得ないほどの大きさの槍をその騎士は軽々と持っている。

 

 そしてその後ろ姿からもわかる美しい黄金の髪はまさに『銀色の騎士』の特徴にそっくりだった。

 

 

「……なるほど、あなた方が彼の手駒ですか」

 

「な、何でアンタがここに……!?」

 

「問答無用――!」

 

 

 再び風が吹き荒れる。驚愕の表情を浮かべていた死神たちを突如現れた銀色の騎士は一瞬のうちに蹴散らす。死神たちの体を次々と槍で貫くその姿でさえ自分には美しく感じた。

 

 

 戦闘とすら呼べない一方的な蹂躙。圧倒的な実力を持った騎士は死神たちを始末してから自分達の方へ歩いてきた。

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 

 先程の堂々とした声とは違い、慈愛に満ちた声。そしてその顔はあの《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットにそっくりだった。

 

 そのあまりの美しさに自分もマシロも声が出せず騎士をじっと見つめていると、騎士はふと何かに気づく。

 

 

 

「……そうでしたか。あなた達が“彼”と“彼女”の―――」

 

 

「え―――?」

 

 

 

 自分とマシロを見た騎士はどこか安心したような表情を見せた。

 

 

 その言葉は一体どういう意味なのか、あなたは一体何者なのか、なぜ自分達を助けてくれたのか。様々な疑問が心の中に浮かび一つ一つ尋ねようとしたが、それはできなかった。

 

 

 

「――大丈夫、目覚める頃には全てが終わっています。ですから今は少し休みなさい」

 

 

 

 騎士が優しくそう言うと、不意に意識が遠くなり始めた。暖かい何かに体が包まれ、瞼が重くなっていく。

 

 

 

 騎士の顔がおぼろげになる。そしてやがて視界は暗闇になっていく。

 

 

 

 

 薄れゆく意識の中最後に思ったのは、銀色の騎士に『ありがとう』と言えなかったことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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