ゆっくりと上がっていく瞼の隙間から徐々に白い光が入ってくる。
ぼんやりと見えるのは白い天井。自分の部屋の天井でもなければ炎でもなく、ましてや銀色の騎士の姿も無い。あるのはただ無機質な白い天井だった。
「おや、目覚めましたか」
知らない人の声が聞こえた。
起き上がって声の方を向くと、そこには灰色の服を身にまとった女性がいた。まだぼんやりとする脳内から記憶を探ってみるが、やはり見たことも無い女性だった。
「あの、ここは……?」
「ここは鉄道憲兵隊専用の車内になります。そして申し遅れました、私は鉄道憲兵隊所属のフィリカ・レメルト少尉です。早速ですが、異常が無いか確認するためにいくつか質問をさせてもらってもよろしいでしょうか?」
今の日付は七耀暦1196年7月26日。自分の誕生日からすでに夜が明けていた。
自分がいたのは鉄道憲兵隊専用車の簡易ベッドの上、保護された自分はそのベッドで数時間寝ていたのだという。
フィリカ少尉の話によれば、昨日自分の故郷である《ロウフェル》が襲撃を受けたという匿名の通報がありそれを受けた鉄道憲兵隊が昨日の夜に到着したらしい。そこで唯一無事に発見された自分とマシロが彼らに保護されていた。
現在は襲撃を受けたロウフェルで鉄道憲兵隊が事件の調査を進めていて、大量にあった遺体も回収されているらしい。
精神状態などに異常が無いかどうか調べるため自分の名前や年齢など軽い質問を受けてからそのような現在の状況を事務的に説明された。そこまで聞いてからどうやら昨日の事は夢でも何でもない現実だったということを理解した。
マシロは自分よりも先に目覚めていたようで状況を説明された後にフィリカ少尉が自分のところに連れてきてくれた。マシロも自分と同じくどこにもケガはないようだったが、目の下には泣きはらしたのであろう赤い跡が残っていた。
自分を見たマシロは泣き出しそうな表情を見せてから抱きついてきて、途端にわっと泣きながら自分の名前を呼び続けた。生きていることを確かめるように強く強く抱きしめるマシロを自分も抱きしめると、彼女の人としての温もりが肌を通して伝わってきた。
一旦マシロが落ち着いた後、今度は自分の要望で回収した遺体がある場所へと連れて行ってもらった。
ロウフェルにあった遺体は住人のものと襲撃した猟兵のものとがあったが、自分達以外の住人の死体は全て回収できたわけではなく、行方不明になっている人がいくつかいた。その中には自分の姉ユスティアも含まれていた。
本当に現実かどうか確かめたかったのか、自分は父と母の遺体を見させてもらうことにした。母は何発も銃弾が撃ち抜かれた跡があって、父の方は体の至るところに戦いで負った生々しい傷跡があり、更には片腕が斬られていた。
二人の遺体に触れると、嘘のように冷たくなっていてまるで生命の息吹を感じなかった。そして不思議なことに二人の遺体を見ても涙は出てこなかった。
自分が両親の遺体を確認したからか、マシロも両親の遺体を確認したいと言った。こちらもやはり無残な殺され方をしていて、それを見たマシロは自分の手を握りながらまた泣き崩れてしまった。
「…………」
「…………」
ザッザッザッと地面を歩く二人分の足音だけが聞こえる。お互い何も喋らずに襲撃されたロウフェルの町を歩いている。ただし、その片手は離さずに握られたままだ。
用意された食事を食べ終えた後、自分達は許可をもらってこうして二人でロウフェルの町を歩いている。食事はパンとスープなど普通のものだったが、いくら食べても味が感じられなかった。
一夜にして何もかも無くなってしまったロウフェルの町の跡は酷く淋しい。建物もその半分以上が焼け落ちてしまっていて、マシな方のものでも半分くらいが崩れていた。
町に咲き乱れていた花たちも無惨に散り、いつもは花の香りで包まれていた町も今は木が燃えた残り香と鼻にこびりつくような血の匂いが漂っているだけ。
自分もマシロも好きだった美しいロウフェルの町並みはどこにも見当たらなかった。
周りには作業をする鉄道憲兵隊の人達がいて、必要最低限の会話で皆黙々と作業を進めている。歩いている自分達に話しかける者たちは誰一人としてなく、なるべく自分たちの邪魔をしないように配慮しているように見える。
彼らも軍人、この中でも同僚を亡くした経験のある者もいるはずだ。あくまでも部外者である彼らが下手に同情する方が自分たちを苦しめるというのは理解しているという事なのだろう。正直なところ、その配慮はありがたかった。
「…………」
ここでようやく目的地に到着する。着いたのは町の東側にある周りよりも少しだけ広い土地の家。
自分が昨日まで住んでいた《ライガスト家》だった。
幸いなことにライガスト家は被害の方はまだマシな方のようで家の中には辛うじて入る事ができるようだった。が、家の中に入る前に横にある瓦礫の方へと足を向ける。
「……ペロ……」
半壊してしまった小さな犬小屋の中には当然ながら何もいない。猟兵に襲われそうになった自分たちを助けてくれたペロは鉄道憲兵隊の厚意でその遺体を回収してくれていた。
マシロと一緒に近くで残っていた花を一輪ずつ犬小屋の前に供えてから女神に祈りを捧げ、勇敢だった愛犬に感謝の言葉を心の中で贈る。不意に自分の顔を優しく舐めるような感覚を覚えた気がした。
祈りを済ませた後、今度は家の中に入っていった。
無事だった部分にはまだ家族と過ごしていた時間が感じられて少し涙が溢れそうになる。崩れていない場所を一通り回り、リビングにあった家族写真を持っていくことにしてその場所を後にした。
ライガスト家を出た後、次は町の北側に位置するガーデニア家の屋敷に行くことにした。少し高台になっているその場所を二人で手を繋いで登る。やっと着いた高台の上にはほとんど壊れてしまった屋敷の残骸だけが残っていた。
今度はマシロが主導になって瓦礫のところを気をつけながら進む。進んでいるときにあるものが視界に入る。『―――生日、おめでと―――』という文字だけが残っている垂れ幕らしきものだった。
マシロも自分と同じく家族が写っている写真を探しているようだったが、建物がほとんど崩れている事もありアルバムなども瓦礫の下敷きになっているらしい。子供二人の力では到底持ち上げられそうにないため、何か別のものを探していると彼女はようやくそれを発見する。
見つけたのは一つのオルゴールだった。
彼女の母親が持っていたものらしく、彼女自身も母親にその音色を聴かせてもらった事がある思い出の残ったものだった。
あまり多くのものを持ち歩く事も出来ないため、マシロはそのオルゴールを持って再び手を繋いで歩き始めた。
帰り道、彼女が泣くことはなかった。
お互いの家に行った後、自分たちは自然とある場所へと足を向けていた。
「……ここだけは、昨日と同じね」
「……うん」
一面に広がる色とりどりの花たち、丘状になっているその場所の上には紫や青のラベンダーが綺麗に咲いている。
《ラフノの花畑》、ここだけは昨日見た光景と全く変わっていなかった。
誰もいない花畑を二人で歩いていく。鼻に入ってくるラベンダーの香りも昨日とまるで変わらない良い匂いだ。
一番上、少し高い場所になっている場所に腰を下ろす。しばらくの間お互いに黙っていて、自分はぼんやりと家から持ってきた写真を眺めていた。
「あのね」
「うん」
ぽつりとマシロが話を始めた。
「お母さまの妹、私の叔母さんがね今は帝都に住んでるんだって」
「うん」
「それで明日にはここに来てくれて、叔母さんのところで暮らすことになるんだって」
「うん」
「イクスは、この後どうなるの?」
マシロに聞かれたことに自分はすぐに答えられなかった。
自分はマシロと違って親戚というものが他のところにいるという話を聞いた事がない。実際いない可能性も高いし、居たとしてもかなり遠い親類になっているのだろう。正直なところ、これから自分がどこで暮らしていけば良いのかも検討はついていない。
答えを言い出せないでいると、こちらの事情を予め知っていたのかマシロはとある提案をした。
「もしイクスが良かったら、私と一緒に叔母さんのところに来ない?」
「え―――?」
「きっと叔母さんももう一人くらいなら大丈夫だって言ってくれるだろうし、それにイクスは少なくともガーデニア家と関わりがあるもの」
「それは……」
マシロの提案はこれ以上ないものだった。
身寄りがほとんどない状態の自分を引き取ってくれるという話は非常にありがたい話だ。それも間接的ではあるものの一応の関わりのある人の場所である。
魅力的な提案に自分が迷っているとマシロはこちらの手を握りながらさらに付け加えた。
「それに、ね。私もイクスと一緒に帝都に行くなら安心する。ううん、イクスと離れ離れになりたくないの」
「ぁ―――」
「ダメ、かな……?」
こちらを見るマシロの丸い瞳は今にも泣き出しそうなくらいに潤んでいた。
一夜にして家族を失ったのは彼女も同じ。故郷をいきなり離れて親戚の元で一人で暮らすというのは寂しいことに違いなかった。
マシロの表情を見た瞬間、答えはもう決まっていた。
「――わかった。もし良かったら僕もマシロの叔母さんのところに連れて行って欲しい。僕からもお願いするから」
「うんっ!」
初めて今日マシロの笑顔を見た。そして同時に天真爛漫な彼女にはやはり笑顔が一番似合うと改めて思う。
自分が一緒に帝都について来てくれると分かり安心したマシロにはもう一つ重大な話があった。
「ねぇ、イクス」
「何?」
「私ね、一つ考えてる事があるの」
「それって?」
「うん、あのね―――」
そう言うと、マシロは一つ大きな深呼吸をする。ラベンダーの香りを含んだ風が彼女のホワイトブロンドの髪を揺らした。
「―――いつか、ロウフェルを元に戻したいの」
「元に戻す、って……」
「うん、そのままの意味。私たちでもう一度ロウフェルっていう町を取り戻すって事」
マシロの口から出た考えに言葉が出なかった。
ロウフェルを取り戻す、口で言うのは簡単だが実際にやるとなればかなり難しい事だ。領主も領民もほとんど失ったロウフェルの領地はおそらくどこかの四大名門の領地になるか皇族に一旦返還されるかのどちらかになる可能性が高い。
そうなってしまえば、いかに当主の権利を持っているマシロでもそれを取り戻すのはかなり困難になる。少なくとも彼女が正式にガーデニア家の当主になるまでは絶対に無理だ。
そして仮に土地を取り戻せたとしても、そこに住む領民や新しい住宅などクリアしなければならない問題は山積みであり、とても今の自分たちの力ではどうにもできない問題ばかりだった。
「もちろん難しい話だっていうのはわかってるわ。でも、私はロウフェルを失いたくない。何年かかるかわからないけど、いつかもう一度あの風景を取り戻したいの」
「…………」
ロウフェルの風景は自分も大好きなものだった。もし本当に取り戻せるのなら自分もそれが見たい。
ふと持っていた写真に目を落とす。そこに写っていた父を見て、ある一言を思い出す。
『任せたぞ』
その一言にはマシロを逃すという意味以外にも様々な意味が込められているような気がした。父が自分に何を任せたのかは今になっては聞く事が叶わないが、その言葉を思い出しマシロの決意を聞いた自分も一つの決意を固める。
「マシロ」
「何?」
「僕―――いや、俺も一つやりたい事が出来たよ」
「え―――?」
「ロウフェルを取り戻すのがマシロの目標なら、俺はそれを支えられるよう強くなりたい、今よりももっと強く。そして俺はいつの日か俺の誇りである《ライガスト流》をもう一度取り戻す」
「イクス……」
父も死に、姉もおそらくはいなくなった。そうなれば事実上《ライガスト流》を受け継いでいるのは自分一人。
初伝の身である自分はその先を父や姉から教えてもらってはいない。おそらく本来の形を取り戻すというのは不可能になるだろう。
だが、新たな《ライガスト流》をつくることはできる。
マシロの決意同様難しいことだというのはわかるが、おそらく父の最後の言葉にはその意味も込められていたのではないか。それならば自分が新たにまた始める、マシロの夢を守れるように、二度とあんな悲劇を繰り返させないためにも自分自身も強くなるために。
涙はもう十分流した。これ以上は必要ない。生き残った自分にできるのは死んでいった人たちの無念も背負って前に進むことだけだ。
決意を胸にした俺はマシロと共に立ち上がって花畑を眺める。
「―――マシロ、約束しよう。二人で必ずこの場所に戻ってくるって、そしてそれぞれの目標も絶対に叶えるって」
「うん、約束。そしてお互い今よりももっと色んな意味で成長しなくちゃね」
「ああ、そうだな」
誓いをここに。
これは決して違えることの無い約束。どれだけ時間がかかっても必ずやり遂げる二人の約束。
花たちはそれを見届ける。
決して散ることの無いこの花畑の景色は二人の『約束』の象徴となるのだった。
随分とお待たせしてすいません。
時間がかかった理由というのも第0話は3つの話に分けてやりたかったということ。そしてそれを3話一気に更新したかったというのが主な理由です。
(ちなみに“10”という数字がイクスの象徴なので本当は昨日の朝10時に投稿したかったんですが、ちょっと間に合いませんでした)
さて、ある意味でのプロローグとなる第0話が終了した訳なんですが、この話はあくまでイクス視点での話となっているためまだ色々と謎が残っています。
例えば、なぜロウフェルが隻眼の狼に襲われたのか、イクスの父がイクスに伝えようとしていたこと、そしてなぜあの人がイクス達を助けたのか、イクスとマシロを見て呟いた意味深なセリフの意味など。
その他にも色々とありますが、上記の謎も含めて今後の物語で分かっていきます。
次回からはまた時間軸が現在に戻って本編が進んでいきます。
1話ずつの更新にも戻るので今回みたいに日が空く事もないかと。それではまた次回。