街の中心部からバスで三〇分ほど、海を見下ろす丘に遊園地はある。多くの家族連れやカップルでにぎわう光景は、今が深海棲艦との戦争中であるとは思えないのんびりとした雰囲気だ。だが同時に、三分の二程度のアトラクションが燃料不足のため動いていない光景は、シーレーンを閉ざされた国の窮乏を物語る。司令官と翔鶴は歩きながら、園内の様子を見る。アトラクションの多くが止まっているため、来場者の多くはレジャーシートを広げ弁当を食べたり、ボール遊びをしたり、ペットと遊んだりするなど、大きな公園としてこの遊園地を楽しんでいるようだ。
「翔」
「ショウさん…あの…なんでしょう?」
今日の二人は司令官と翔鶴ではなく、ショウと翔。最初こそぎこちなかったが、すぐに慣れ、今はお互いをそう呼んでいる。
「家族連れやカップルがたくさんいるだろ」
「はい、幸せそうですね。でも、それが……?」
確かにそうだが、それは見ればわかる。司令官は何を言いたいのか翔鶴は分からず、首をかしげる。
「あれが、君や君の仲間たちが命がけで守ってくれているものだ。改めてありがとう。いつか機会があれば、こういう光景を見てもらいたいと思っていたんだ」
「……はい、ショウさん。感謝いたします!」
自分たち艦娘の存在している意味が、確かにここにある。それを明確に言葉にし、感謝された嬉しさを爆発させるように、翔鶴は司令官の手を取り走り出す。アトラクションをめぐり、ホットドッグを一緒に食べ、とりとめのないことを話すうちに、心の内側から欲求が湧きあがってくる。この人にもっと自分を分かって欲しい、もっとこの人を知りたい、もっと色んな瞬間を分かち合いたい…人間同士のカップルというのは、こんな感じなのかしら。ずっと「翔」なら、この時間もずっと続くのかしら…翔鶴はそんなことを徐々に考え始め、この感情をどう呼べばいいのか、唐突に思い当ってしまった。それこそ音が出るような勢いで顔が赤くなったのを見られたくなくて、司令官にくるりと背を向ると、早足で先を急ぎ始めた。
「シ、ショウさん、喉が乾きませんか? わ、私、飲むものを買ってきます」
小走りに売店に向かう翔鶴の後ろ姿を、ベンチに腰掛けながらぼんやり見る司令官。売店の入り口で、二人組の男が翔鶴に話かけている。やれやれ、またナンパか…司令官はベンチから立ち上がり、翔鶴のいる場所へと向かう。
「あ、彼氏さんですか。いやー、お似合いのカップルですね。今回の企画主旨にぴったりだ。あ、すいません、申し遅れました、雑誌の取材にご協力くださいっ!!」
二人組の男は雑誌社の取材班で、『街で見かけたカップル』なる企画に参加してくれる男女を探しているそうだ。翔鶴と司令官は、全く予想していなかった展開に思わず顔を見合わせてしまった。
「どうでしょう? ご協力、いただけますか?」
「はいっ!」
「はい?」
重ねて取材班から確認された翔鶴と司令官は、二人同時に同じ返事を違うニュアンスでしていた。
◇
取材を快諾してしまった翔鶴だが、司令官はその姿をどこか冷めた目で眺めている。民間接触規制がある以上、どこかで必ず検閲がかかり出版は差し止められるだろうな、と…。その間にも取材班はてきぱきと準備を整え、翔鶴は翔鶴で前髪を手櫛で直したりしている。
「じゃぁ一回テストでポラ取ります。記念に写真をその場で差し上げてるんで。あ、本番はデジカメで撮影ですけど。…ハイ、チーズ!」
シャッター音がし、写真がポラロイドカメラから吐き出されると、少しぎこちない表情の司令官と、彼と腕を組み満面の笑みを浮かべる翔鶴が写っていた。
「これ、貰っていいんですか? 感謝ですっ!!」
宝物のように写真を抱える翔鶴は、よほど嬉しいのか、何度も何度も写真を見ている。
「じゃあちょっと簡単なプロフィール教えてください。まずお名前は? ニックネームみたいのでもいいですから」
「翔です」
「ショウです」
「はい、では次の質問ですが、ご年齢は?」
突如翔鶴が考え込み、不安そうな表情で戸惑い始める。今までの元気溌剌な態度から急に変わったので、司令官も怪訝な表情になり、見つめるしかできずにいた。躊躇いがちに翔鶴が口にしたのは―――。
「…一九四一年? あ、じゃなくて…四か月前?」
取材班の二人組がきょとんとした顔をし、司令官も呆気にとられた。一九四一年は往時の航空母艦翔鶴が竣工した年で、四か月前は艦娘の翔鶴が建造された時期だ。翔鶴から助けを求めるような視線を送られても、司令官もどうしようできない。翔鶴が何歳か、という設定までは考えていなかった。
何となく困惑していた取材班だが、ふと何かに気づいたように助け船を出してきた。
「んー、何か良く分かりませんけど、四か月ってのはお付き合いを始めてからの期間ってことですよね。まぁそれも後から聞こうと思ってましたので、いいとして。じゃ改めて、何歳か教えてもらってもいいですか?」
怯え、そうとしか表現できない表情を浮かべ、翔鶴は後ずさると、くるりと背を向け走り出してしまった。突然の事にただ見送っていた司令官は、はっとした表情になり慌てて追いかける。
「取材拒否ってことで、他のカップル探そうか」
頭をがりがり掻きながら取材班の一人がぽつりと呟き、もう一人もやれやれという表情で頷く。
「まぁしょうがないな。にしても…まさか本当に一九四一年生まれとか? ンな訳ねーよな」
「どうしたんだ…」
しばらく走った後、はあはあと肩で息をしながら、司令官は翔鶴に追いついた。そのまま翔鶴が走り続けていたら完全に見失っていたかもしれないが、翔鶴は観覧車の前に立ちつくし、ゆっくりと回るそれをぼんやりと見上げていた。振り返った翔鶴は、
◇
「…夕日が綺麗ですね、司令官」
この遊園地の大観覧車は、海に沈む夕日が一望できる人気スポットらしい。二人きりの観覧車、翔鶴は『ショウさん』ではなく、普段通りの呼び方で司令官を呼ぶ。窓から見える景色に見入る様に、翔鶴は司令官に横顔を向けたまま、ぽつりと言葉を漏らす。
「…急にどうした?」
司令官は優しく翔鶴に尋ねる。翔鶴の態度が豹変した理由にまるで見当がつかない。
「……翔とショウさん、普通の人間同士のカップルみたいでした。私、すごく幸せで、このままずっと『翔』でいたい、そんなことを考えたくらいです。けれど、さっきの取材で年齢を聞かれたとき、『翔』が何歳か、私には分からなかったんです。自分の年齢が分からない人間なんて、いませんよね。やっぱり私は艦娘で、ただの兵器なんです…」
司令官は翔鶴の話を黙って聞いていた。翔鶴の言葉が胸に刺さる。
「昼間見た家族やカップルを覚えているか? 彼らの幸せを守っていることを、君は喜んでいた。ただの兵器なんて言うな、他の誰かの幸せを喜べる君は、誰よりも優しい心がある。それが何か俺には分からないが、そんな君にふさわしい幸せがあるはずだ。それに、もし君が兵器だというなら、なぜ泣いている?」
びくっと肩を震わせた翔鶴は、初めて司令官に正面から向き合った。赤く染まる観覧車の中、翔鶴の頬を流れる涙は、夕陽を反射し、きらきらと光っていた。
◇
家路につく乗客で込み合う帰りのバスに揺られ、司令官と翔鶴は駅前まで戻り、指定されたホテルへと向かう。そこでは最上階にあるスイートルームが用意されていた。司令官は翔鶴と同室に泊まることにかなり難色を示したが、最終的に翔鶴が司令官を説得した。チェックインを済ませ荷物を片づけて終えた頃に、ルームサービスでディナーが届けられた。
テーブルを挟み向かい合い食事をとる二人。会話の無いまま時間が流れ、食事が終わる。ふと、翔鶴が沈黙を破る。
「………聞いていいですか?」
司令官はうなずく。
「昼間、海運会社のCEOさんが仰っていた…空軍の時のお話。私にも教えてもらえませんか? あなたは私の気持ちを正面から聞いてくれました。私も、あなたのことが知りたいです」
司令官は立ち上がると、部屋に備え付けのバーカウンターからウイスキーを取り出すと、一人グラスを傾けながら淡々と話を始めた。
「……深海棲艦と満足に戦えるのは艦娘だけ。この事実を認めずに、通常戦力だけで戦果を上げ出世の糸口にしたい奴が、俺のいた部隊の作戦参謀だった。ある日俺達第八航空戦団に招集がかかった。君達に先駆けてカムラン半島沖の深海棲艦を強襲し武威を示せと命令されたよ。結果は、君も聞いた通り全滅だ。俺も撃墜され重傷を負った。我ながら良く助かったと思うが、助かっただけだ。二度と空で戦うことはできなくなった」
司令官はグラスを一気に傾けるの見ながら、翔鶴の脳裏にはかつてのマリアナの記憶が甦ってきた。
-当時の『私』から飛立った艦載機の子たちも、帰ってきませんでした。圧倒的な戦力で迫る米軍相手の戦い、あの時の『私』は潜水艦の攻撃の餌食になり…多くの仲間を失いました…。
司令官はもう一杯グラスを空ける。離れて座っていた二人の距離を、翔鶴が縮める。
「生き残った俺は、ただの死にぞこないだ。でも流される様に軍務に戻って、今度は海軍…艦娘のみんなの指揮官だ。軍はよっぽど人材に困っているんだな…。翔鶴、君たちが司令官と呼んでいるのは、こんな男だ。笑ってくれていいよ、情けないだろ?」
翔鶴が静かに首を横に振り、長く豊かな銀髪が揺れる。決して、決して情けなくなんかない。死線を越え戦場に戻って来たこの人が情けなかったら、誰が勇敢だと言うのか
ただ口から出た言葉は、艦娘としてのそれとは程遠かった。そして飲みこんだ言葉もある。
「翔鶴…じゃありません。翔、ですよ」
-私、あなたの下のお名前、知りません。聞いたら…今日なら…教えてもらえますか?
責任者が各拠点に着任する際、艦娘に通知されるのは司令官の姓と階級のみである。艦娘が実戦投入された当初は海軍内部では相当紛糾した。兵器が
「そっか…翔…ごめんな」
一瞬きょとんとした表情になり、再び自嘲するように唇を歪め笑った司令官が、もう一杯グラスを空けようとする。翔鶴は司令官の隣にふわりと座り、グラスを取り上げ、テーブルに置く。司令官は、自分の隣にいる翔鶴がその目に涙をためていることに、そして自分も涙を流していることに、やっと気付いた。
「…今日は泣いてばかりだな、翔…」
「…あなたもですよ、ショウ…」
翔鶴は、司令官の肩にもたれかかる。自分の気持ちに、心に、ただ素直に従う。自分が翔鶴じゃないなら…自分が翔なら、こうするべき、と。
翔鶴の手が司令官の後頭部へとまわり、吐息のかかる距離まで二人の顔が近づく。司令官は麻痺したように動けず、翔鶴の唇が近づいてくるのをただ見ている。
-ガシャン
翔鶴が動いた拍子に、テーブルの上のグラスが床に落ちた。その音で二人は我に返った。
「……っ。お、おれは向こうのソファで寝るよ。翔鶴も早く寝ろよ」
「……っ。は、はいっ。し、司令官も、おやすみなさい」