司令官が医務室にいる間、泊地に自室を持たない大和は、司令官の執務室と寝室を勝手に使っていた。大和が手持ち無沙汰で執務机に突っ伏していると誰かが入室してきた。顔を上げると視線の先には司令官がいる。すぐに席を立ち、そばに歩み寄る。
「……………………ケガをしてないお顔を、初めて見ました」
確かにそうかと司令官も苦笑する。出発から数えれば約一週間、司令官は書類が山積みになっているのを覚悟していたが、日付順目的別優先度別に整理されているのを見て驚いた。この手の作業は扶桑や榛名が得意だが、それに勝るとも劣らない。
「こちらが電話連絡を取りたい申出のリストで、こちらが面会希望のリストで…」
箱入り娘どころか、よどみなく情報を整理する大和の仕事ぶりを見て、司令官は秘書艦経験の有無を聞いてみた。
「いいえ、そんなのはしたことがありません」
あっさりと否定しながら、大和の言葉が続く。
「ですが、どうすれば司令官が楽にお仕事ができるようになるかを考えると、自然に体が動きました」
微笑みながら、少し誇らしげにする大和。司令官はいつものように眩しそうに目を細めながら微笑み、無意識に他の艦娘にするのと同じように、大和の頭をなでる。一瞬驚いたような顔をした大和だが、すぐに頬を染め、司令官との距離を詰めるように近づいてゆくが―――電話の着信音をきっかけに司令官は大和から離れ、対応する。
「……いえ、いいんですけど…」
大和が口をとがらせながら不満を口にしている傍らで短い会話を終えた司令官は、固い表情で大和に呼びかける。
「
◇
時間通りに指定された港の先にある入り江にやってきた司令官と大和。そこで待つ人影が二つ-大将の第一艦隊に所属する赤城と加賀を見て、大和の表情が一気に険しくなる。
「…お父様から言われてきたのでしょうが、大和は佐世保には戻りませんっ!!」
不機嫌な顔と声で言い切る大和を加賀は無表情なまま無視し、司令官に向けて用件を切り出す。
「大佐…ではなく中佐でしたね、大将から命令です。『戦艦大和を佐世保鎮守府から解任、那覇泊地にて解体または近代化改修の素材化を命じる』だそうです。これが命令書よ」
赤城が悔しそうに唇を噛み締め大和から視線を逸らす。淡々とした口調で非情な命令を告げた加賀だが、よく見れば握りしめた拳が震えている。
「そう…ですか…お父様がそのように…」
無表情のまま、大和はゆっくりと振り返り元来た道を引き返してゆく。観艦式の日から今日にいたるまで、佐世保の大将からの連絡は一切なかった。大和は自分のために書類を整理していたのも確かだが、父と呼ぶ大将からの連絡を待っていたのだと、司令官は理解した。
帰らないと強がれるのは、いつでも帰れると思っていたから―――そう信じていた大和は、見事に裏切られた。
「……すでに大将は新たな大和の建造に成功しています」
悄然と去りゆく大和の背中を見送り、加賀が表情を曇らせながら言った言葉に赤城も表情を歪める。
「話がそれだけなら電話や書類で済むんじゃないか? なぜ二人が那覇まで?」
予想していた中で最も厳しい処分を伝える使者としてわざわざ姿を見せた加賀と赤城。一体何が目的なのか、と司令官も身構えてしまう。
「…大和が抵抗した時に撃沈するように、那覇が大和を庇う様ならこれも同罪として処断するように…そう命じられました。沖合には飛龍と蒼龍、伊勢と日向が待機しています」
表情一つ変えず、司令官の目を見ながら加賀ははっきりと言い切った。内心の衝撃と焦燥を隠しながら、司令官はごくりと唾を飲み込む。一航戦二航戦による空襲と戦艦二人の艦砲射撃を受ければ、那覇泊地では到底支えきれない。だが、なぜ加賀は手の内を明かすのか…司令官の疑念は深くなってゆく。
「佐世保の軍門に下るなら、悪いようにはされないと思います」
「貴方の艦娘育成の手腕には、大将も一目置いているようです」
加賀と赤城が声を揃えて、大将の目的を明らかにする。要するに自分の派閥に入れ、ということか。司令官の声は怒気を孕み、視線を外さず見つめてくる加賀の目を真っ向から受け止める。
「大和を犠牲にして保身を図れ、そういう話か? …俺が大将の派閥に入れば…大和は解体されないのか?」
「それとこれとは話は別です。大将は逆らう相手を…ましてどれだけ強力でも所詮艦娘、絶対に許しません」
目を伏せた赤城は諦めを滲ませた声で司令官の反問をすぐに打ち消す。ふうっと息を吐き首を左右に振った司令官だが、すっと背筋を伸ばすと、僅かに憐れむような色を帯びた視線で静かに宣する。
「どう生きるかは、大和が自分で選ぶことだ。彼女は大将の人形じゃないんだ、分かるだろう」
「貴方は大和を庇う…そう言うの? …そう言ってくれるの?」
赤城が大きくため息を吐き、力が抜けたように両膝に手をつく。加賀も珍しくそれとはっきりと分かる、安堵の表情を浮かべている。
「大和に関する命令は確かに受領したわ。でも、命令の遂行を見届けろ、とはどこにも書いてないし、言われてもいない。貴方は命令通りにする、そうよね?」
眩しそうに目を細めた笑顔を二人に向けると、司令官は大和を追いかけて走り去っていった。
「上々ね」
「それなりに…信用しています」
◇
狭いようでも人ひとり探すとなると泊地は広く、大和を見つけることは容易ではなかった。司令官と艦娘が手分けして泊地内を探しているが、なかなか見つけられず時間だけが過ぎていった。
「…いつまでそうしてるつもりなの?」
工廠の隅で膝を抱えて座っている大和に、諭すよう話しかける夕張。捜索のどたばたで、夕張が工廠を出たり入ったりしていた隙に、当の張本人が工廠に隠れていた。
「…司令官が必死に探してるんだよ」
司令官、という言葉を聞き、大和の肩が大きくビクッと震える。
「探してい
肩で息をしながら、司令官が工廠に現れた。工廠の妖精さんが知らせてくれ、文字通り駆けつけてきた。司令官の声を聞き、一瞬だけ顔を上げた大和だが、またすぐに亀のように縮こまり、顔を伏せる。司令官は息を整え、ゆっくりと大和に歩み寄り、隣に腰を下ろす。
「夕張、申し訳ないが今日の工廠作業は全て白紙にしてくれないか。あと、誰も工廠には立ち入らせないでくれ」
工廠の天窓から差し込む光が夕方を知らせる中、司令官と大和は何もしゃべらず、隣り合って座っている。少しずつ、ほんの少しずつ、大和が司令官の方へ近づいてゆく。司令官は気づかないふりで、そのままでいる。やがて肩が触れ合う距離になり、大和が口を開く。
「…………司令官が、初めての人だったんです」
大将は強さ以外の価値観を大和に教えず、大将の目を気にして、取り巻きの将官はもちろん、他の艦娘でさえ、腫物を触るように、自分に話しかけてこない。自分が『人形』のように思えていた日々。そんな時に見た、圧倒的な数の敵に囲まれながら、死に物狂いで戦う一機の戦闘機。中には当然それを操る搭乗員がいる。あがく命、というものを初めて感じ、初めて何かを自分の力で守りたいと思った…大和がそう打ち明ける。
またキスの話か、と思っていた司令官はすぐに自分の勘違いを強く恥じた。力及ばず撃墜され脱出した搭乗員を見つけた時には、その命は消えかけようとしていた。死なせてはいけない、この人を死なせると、自分の中に微かに芽生えた何かまで消えてしまいそうで、必死だった…大和は途切れ途切れの小さな声で続ける。
-バシャンッ
大きな機械音がしたと思うと、工廠の主電灯が自動で消え、代わりに仄暗い保安灯が灯る。大和がここまで話し終えたときには、工廠の天窓から差し込むのは月明かりに変わっていた。
「だから、大和は最強の艦娘でなければならないのです。そうでなければ…司令官をお守りできません。でも…大和はもう…」
天窓からの月明かりが落とす影が位置を変える。もう何時間こうしているだろう。たまに大和が思い出したように、自分の思いを語る以外、設備維持の機械音だけがする工廠内部。緊張が多少は和らいだのか、司令官の肩に頭を載せもたれかかる大和。司令官は何も言わず、大和のしたいようにさせている。
強さの意味を、いわば自分自身のあり方を大将に委ねながらも、司令官を守りたい、という純粋な思いに駆られて動いた大和。感情のある兵器と意志のある兵器は似ていて異なる。大将が大和を切り捨てたのは、ある意味で当然かもしれない。大和もまた、これまで司令官が出会った艦娘とは違う形での兵器扱いをされていたといえる。
「…どうして、何も言ってくれないのですか?」
「これまでどう思っていたのかを君は教えてくれた。でも、これからどうしたいのかはまだ聞いていないから」
肩に頭を預けたまま、上目使いで司令官を見上げる大和に、沈黙を守っていた司令官が答える。薄暗い工廠の中、大和には司令官の表情が読み取れない。
「…大和が、どう、したいか…ですか?」
「何のために、強くありたいんだ? 大将がどうとか俺がどうとかじゃなく、その強さで、君は何をしたいんだ?」
「それは…」
大和は答えに詰まる。考えたこともなかった。司令官は何がしたくて、何のために戦うのですか、そう聞き返すのが精いっぱいだった。
「この鎮守府にきて二年以上経ち、艦娘のみんなと過ごす日々が、とても大切で、誰ひとりこんな戦争で失いたくない、そう思うようになった。そのためにできることをする、それが今俺のしたいことかな。深海棲艦との戦争が終われば、きっとなにもかも変わるだろう。その時、本当の意味で何をしたいのか、考えるんだろうな。ごめんな、聞いたくせに自分はこんな答えしか持ってなくて」
大和はその言葉に答えず、再び長い沈黙が二人を支配する。
「大和は、司令官の質問に今すぐは答えられません。でも、その答えを一緒に探してもらいたいです………………だめでしょうか?」
司令官は答える代わりに、大和の肩を強く抱く。いつしか、大和は規則正しい小さな寝息を立てはじめ、司令官もつられるように、そのまま眠りに落ちた。
◇
司令官が目を覚ますと、大和が隣にいない。慌てて周囲を見渡すと、少し離れた場所に、工廠の天窓が差し込む朝日を見上げるように、きれいな姿勢で立っていた。大和はすぐに司令官の視線に気づき、今までとは違う、花が咲いたような笑顔を向ける。
「空が、白み始めちゃいました。…素敵な夜を、ありがとうございます」
その物言いに司令官は肩を竦めると苦笑いを浮かべたが、朝食を食べに行こう、と大和を誘い工廠を後にする。大和もそれに続き、司令官の制服の上着の裾を小さく掴みながら、背中に声をかける。
「司令官、大和の練度が上限になるまで待っていて下さいね」