空軍の戦死者のための巨大な石碑の前、目を閉じ静かな祈りを捧げ続けた一行。黙礼と言葉なき対話はやがて終わり、一人また一人と目を開け、ほうっとため息を漏らす。
ただ一人、大和だけは爽やかな風に長いポニーテールを揺らしながら、伸ばした手を石碑に当て一向に動こうとしない。結構な時間が経った後、ようやく大和は司令官を振り返った。待ちくたびれた者、その行動に特別な意味を感じた者…様々だが、後で戻ってきますね、と言葉を残し他の五人は連れ立って出店の方へと歩き出した。司令官も大和の行動の意図が掴めず、軽く揶揄うような口調で話しかけたがその返事に固まってしまう。
「まるで石碑と話をしていたみたいだな」
「はい、みなさんとお話していました」
この石碑が空軍の戦死者のために建てられた物である以上、大和の言う『みなさん』はパイロットを指しているのだろうか。だが、そんなことが…怪訝そうな表情をする司令官に対し、大和は胸の前で手を組み、目を閉じて静かに語り始める。
「今も昔も、戦い抜いた果てに散華された軍人達の魂は、静かで優しく…そして少し悲しい。
司令官は驚きのあまり言葉を失ってしまった。大和は自分の認識票を持っていた、だから根拠地や所属部隊を知っていても不自然ではない。だが部隊の通称、まして誰にも話したことのない、自分の今の身体の状態など知る訳がない。
大和が話をしていたのは、やはり戦死した自分の部下―――そんな訳はないと打ち消したいが、大和の言葉は不思議と司令官の胸に響いた。そして気付いた時には、大和に抱きしめられていた。甘い香りが鼻腔を擽り、囁くような声が耳元で踊る。
「大和に…あなたを守らせてください、その証をお見せします。だから今夜…お待ちしています」
大和は司令官の頬に軽く口づけると、意味深な目線を送りつつ、他の皆を追うように走り去っていった。
◇
神社を後にし、一行を乗せた車はいったんホテルに戻る。この後、今日は特に予定はない。希望を尋ねる司令官に、意見は分かれた。司令官のご希望通りにという榛名、疲れたから部屋で休みたいという時雨と大和、鎮守府のみんなにお土産を買いたいという翔鶴とそれに同意した瑞鶴と扶桑。結局、夕食までの間は自由時間ということになった。
瑞鶴を除く五人は、司令官を巡るライバル同士でもある。一方で生死を賭けた時間を共有する艦娘同士、共通する思いもある。誰か一人が選ばれるなら、この五人の誰かであってほしい。一方で艦娘特有のケッコンカッコカリのシステムに乗るなら、全員が選ばれることもある。それでも、“最初の一人”に選ばれることには特別な意味がある。
ドアがノックされ、司令官はドアスコープで榛名が立っているのを確認し、ドアを開ける。
「司令官、もし、お時間があったら、ご一緒していただきたい所があるのですが…」
そして今、二人は榛名のたっての希望で、ホテル内のプールに来ている。
「お待たせしました、司令官。榛名の水着姿、どうでしょうか……?」
長い黒髪を揺らしながら、ビキニ姿の榛名が近づいてくる。男性からも女性からも注目を集める抜群のスタイルだ。顔を赤くしながらも自分から目を離せないでいる司令官の表情で、彼が何を言いたいかは分かった。でも、やっぱり言葉にしてほしい、と少しだけ不満に思いつつも、榛名も司令官の姿から目を離せない。引き締まった筋肉質の体に、左肩から上腕部にかけて幾筋も走る手術跡が人目を引く。人によっては怖がるかもしれないが、榛名にとっては一種凄みのある色気に感じられた。二人はプールサイドにあるカップル用の長椅子に移動し、ドリンクを注文し寛ぎ始める。
「空軍時代の最後の作戦で、ね…。プールとか温泉とかでは気味悪がられることもあるから、正直来るかどうか迷ったんだ」
榛名が気にしているのに気付き、司令官は自分から傷跡のことを話す。自嘲気味なその言葉に、榛名が反駁する。
「司令官は立派なお方です。誰に何を恥じることがあるのですか。もし、司令官のことを少しでも悪くいう人がいるなら、榛名が許しませんっ!」
榛名が上気した顔で勢い込んで話し出す。あまりの勢いに、司令官が口を挟めない。
「…でも、司令官は分かっていません…。…榛名は司令官を独り占めしたい…その思いがあふれてしまいそうです…」
隣の長椅子に寝そべっていた榛名が、自分の方に移動してきた。お互い限られた面積の水着だけを着ているのに、これは色んな意味でマズい。そして司令官は気が付いた。自分が注文したカクテルのハーベイ・ウォールバンガーがほとんど空になっていることと、榛名が酔っていることに。
「司令官…榛名なら、大丈夫です…」
寄り添う榛名が、熱に浮かされたような目で、迫ってきた。
「…お客様、お取込み中申し訳ございませんが、続きはお部屋の方でお願いできますでしょうか」
引きつった笑顔を浮かべたプールの監視員に注意され、平謝りの司令官は榛名を連れてプールを後にする。
◇
こんこん。
ディナー後のゆったりとした夜、部屋のドアが静かにノックされる。ベッドに横たわっていた大和は、ゆっくりと身体を起こし、大きく深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着けようとする。この時間に自分の部屋を訪れる相手に、一人しか心当たりがない。
「司令官…来てくださったんですね…」
きゅっと唇を噛み締め、ぺしぺしと頬を叩いて表情を引き締める。
昼間、司令官を自分から誘った。今夜部屋で待つ、その意味はもう、それは一つしかない訳で。もちろんそんな経験もないし、はしたない女の子と思われたら…そういう不安がない訳ではなかった。でも、そう言わずにはいられなかった。そして実際にその時が来ると………緊張で思うように体が動かない。
こんこんこん。
お待たせしちゃってますね、と慌ててベッドから降りようとして、ブランケットに足を引っかけてしまい転げ落ちる。
「いったぁ~いっ!」
鼻を強打してしまった。痛む個所を涙目で擦りながら、真っ白いブランケットを体に巻き付けドアへと急ぐ。ドアの前でもう一度深呼吸。
どんどんどんっ!
………ムード台無し、です。どれだけ欲しがりさんなんですか…と溜息をつきながら大和がドアロックを外しキーを解除すると、待ちわびたようにドアが力強く開かれた。
「大和ひゃんっ、抜錨でしゅっ! おしゃけの海へ、いざ、しゅつげき~♪」
酔っぱらってこの上なく上機嫌の榛名が満面の笑みでフラフラしながら立っていた。見れば榛名の背後には全員揃っていて、司令官も苦笑しながら微妙な表情を浮かべている。もう一度、はぁっと深いため息をついた大和は、一瞬だけ司令官に意味ありげな視線を送る。むしろ、どこかほっとしている自分を感じた大和は、肩を竦めてぺろっと舌を出す。
-言ってるほど、心の準備…できてませんでしたね。
「みんなでパーティですか? 着替えますので、ちょっと待ってくださいっ」
◇
翌日。
東京から車で数時間の所にある隣県の寺に、司令官の今は亡き婚約者の墓所がある。旅の途中で語られたその話―――。
第二次東京大空襲の日、司令官の実家を婚約者が訪れていた。結婚まで秒読みと誰もが思っていたが、その日は永遠に来なかった。空を埋める深海棲艦の艦載機の跳梁を止められず、司令官の生家のある東京の東半分が灰塵と化したその夜、当時の司令官は東京上空で必死の防空戦を繰り広げていた。
墓所の中を、司令官は迷わず目的の場所へと向かう。その後ろを言葉もなく付いてゆく六人の艦娘たち。司令官はとある墓所の前に立ち止まると、そこに誰かがいるように語りかける。
「…元気かい、と聞くのもバカな質問だよな…。俺は結局戦っているよ。何一つ守れたことのない俺を、それでも信じて一緒にいてくれる艦娘のみんながいるんだ。…君を亡くし、撃墜され重傷を負い空にも戻れず、流されるように生きていた俺だけど、今は彼女達のために何が出来るか、そればっかり考えてるよ。俺は前に進む、君との全てはきっと思い出になるけど、許してくれる、よな…」
司令官を後ろから見守る全員が泣きはらした目をして、声を上げるのを必死に堪えている。どれだけの思いで、司令官が自分たちと接してくれていたのか、初めて本当の意味で分かったように思う。車に戻る道すがら、翔鶴が忘れ物をした、といい、元来た道を逆戻りして走ってゆく。何かあったかな、と思うが、すでに翔鶴は行ってしまった。車で待ってるぞ、と司令官は背中に呼びかける。
墓前に戻ってきた翔鶴だが、忘れ物など本当はない。ただ、かつて司令官が想いを寄せた女性に、今司令官に想いを寄せる女性として、どうしても伝えたい事があった。
「……司令官は、貴女のことを忘れないと思います。それでも構いません。私は、司令官を愛しています。貴女との思い出ごと私は共に翔び続け、何があってもそばにいます」
翔鶴は墓石に向かい深々と一礼をし、元来た道を引き返してゆく。
◇
深夜、司令官がちょっとした買い物を済ませ部屋に戻ってくると、ドアの前に誰かが立っている。司令官に気づき、微笑みながら小さく手を振る長い銀髪の女性。翔鶴だ。
「……お礼が言いたくて…。今回の休暇にご一緒させていただいて、本当にありがとうございました」
「いや…お礼を言うのはこっちの方だ。本当に…ありがとう」
眩しそうに目を細めて微笑む司令官の笑顔に、翔鶴の胸は自然と高鳴ってしまう。
「もう遅い時間だ、部屋に戻った方がいいぞ、
司令官はいたずらっぽく翔鶴に言う。翔鶴と司令官だけが知っている暗号のようなもの。
「――、あなたが私を守りたいと思う以上に、私もあなたを守りたいのよ」
司令官が固まる。翔鶴が知る由も無い、自分の下の名前とそれに続いた言葉。それは、軍人だけが戦ってる訳じゃない、と勝気な亡き婚約者の口癖。翔鶴も訳が分からず、あたふたと戸惑っている。まるで誰かが自分の口を借りたかのように、不自然に自然とその言葉が口をついた。
司令官の目から伝う一筋の涙を見て、翔鶴はもう自分を抑えられなくなった。司令官を乱暴にドアに押し付け、胸元に顔を埋め強く抱きしめる。
「…私、こんな気持ちになったのは初めてで、どうしていいか分かりません。でも…私は貴方の事しか、考えられません…」
抱き返される腕に力が籠ったのを翔鶴は感じ、びくっと震える。知識として知っていることは勿論あるが、経験はない。もうどうなってもいい…そう思いながら、司令官の温もりがあまりにも心地よく、翔鶴は時間を忘れて身を委ねていた。