海と空との間で   作:坂下郁@リハビリ中

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28. 出会いと別れと

 

 『―――だから、大将の命令を遂行できないんです。大和のことを変えた、責任……取ってくれますか?』

 

 これも作戦とか駆け引きなのだろうか、と思いっきり怪訝な表情を浮かべる司令官。ふいに表情を引き締めた佐世保の大和は、左耳に手を添えるようにし視線を遥か沖合へ向ける。一瞬だけ寂しそうに目を伏せた後、てへっと舌を出して誤魔化すように微笑むと、すっと距離を取る。

 

 「失敗しちゃったなぁ。最初っからこっちの路線で行けば良かったのかな。けれど時間切れみたいです。帰投中の那覇艦隊が第二哨戒線まで近づいてきたって報告が入りました。これ以上ここにいると、帰りがけに彼女達の電探で探知されちゃいますから。…那覇の大和(もう一人の私)がいなければ、私は…大和はこの基地に置いてもらえたでしょうか? そうすれば私は、心が感じた通りに…ううん、何でもありません」

 

 太陽は沈み始め、照らすもの全てをオレンジ色に染める中、大和は司令官の言葉を待たず突堤に沿って歩いてゆく。突堤の先端でくるりと振り返った大和は、儚げに微笑む。微風に表面を揺らされる海面に夕日はきらきらと乱反射する。海だけでなく、大和の目の端の涙にも。

 

 「駆け落ちも悪くないかな、って思ったのはほんとですよ。でも……さようなら」

 

 とーん、とつま先で突堤の端を蹴り、ふわりと後ろに跳ぶ。思わず駆け寄った司令官が見たものは、海面に波紋を広げながら奇麗な立ち姿で立つ、世界最強の砲を備えた艤装を纏う戦艦娘の姿。夕日を遮るように傘を差しかけ、振り返らずに海面に航跡を描いて去ってゆく。視線の先では、自律型砲塔を周囲に走らせる黒髪をポニーテールにした背の高い駆逐艦娘と、白い弓道着に青いミニスカートを揺らすサイドテールの空母娘が合流し、一気に速度を上げて遠ざかる。

 

 「あれは加賀と秋月…」

 

 司令官が佐世保の加賀の姿を見るのは今回が二度目。前回は、今那覇に居る大和の解体命令を届けに来た。今回は新たに佐世保で建造された大和の護衛、おそらくは監視役も兼ねてだろう。そして司令官は唐突に思い出した。

 

 『大将は逆らう相手を…どれだけ強力でも所詮艦娘、絶対に許しません』

 

 命令通りに自分を懐柔することもできず、殺すこともできなかった佐世保の大和。帰投した先で、彼女を何が待っているのだろうか? 叫びだしそうになった所で、司令官は大和の言葉を振り返る。

 

 -駆け落ちも悪くないかな、って。

 

 佐世保に戻れば何が待っているのか、きっと見当がついているのだろう。そして自分の言葉に司令官が頷くことはないと、見当がついていたのだろう。いっそ二人で逃げちゃいませんか…心で感じたことがそうだとすれば、あまりにもやり切れない。

 

 「悪くない、か…」

 

 佐世保の大和は帰投を選択した。その理由は彼女にしか分からない。世の中は綺麗事だけで成り立っておらず、四大鎮守府の中でも最強を謳われる佐世保を統治し、元帥の座さえ窺う大将を相手取るには、軍事力も政治力も、那覇泊地は小さな存在。唯一世界有数の海運会社からの個人的支援(資材と情報の提供)は相応にあるが、相手も善意だけで支援を続けている訳でもなく、何より政治的な強権を軍部に振るわれればどうなるか分かったものではない。

 

 そんな中で、僅かな時間で短い言葉を交わしただけの一人の艦娘に何ができるのか。

 

 艦娘は濃やかな情感と傷つきやすい心を確かに持っている。そして精神的に成長を続け、それが彼女達の強さに繋がる。そんな彼女達艦娘の献身に、果たして人間は値するのだろうか。深海棲艦との終わりの見えない戦争なのに、いや、そんな戦争だからこそ好機なのだろう、軍内部での抗争にこそ、よほど真面目に力を注ぐ上層部。何よりも、それが分かっているのに何もできない自分。空を仰ぎそのまま立ち尽くしていた司令官は、一言だけ残して埠頭を後にした。

 

 「変わらなきゃならないのは、俺達人間の方じゃないのか…」

 

 

 

 手作りの昼ご飯が司令官に好評ですっかり嬉しくなった翔鶴は、晩ご飯も用意しようと考え、ふと時計を見た。午後執務室を後にした司令官が、夕方を過ぎても戻ってこない。何の気なしに瑞鶴に『司令官を見なかったかしら』と何気なく聞き、その何気ない問いが、さざ波のように広まり、泊地全体がざわざわし始めた。そこに北方海域への出撃部隊が帰投、報告のため執務室を訪れた大和と出迎えた翔鶴や青葉、さらに他の艦娘達の会話で、ついに騒動へと発展した。

 

 「あれっ!? 大和さん、お昼頃に戻って来てましたよね!? え? え?」

 「え? 大和は今帰ってきたんですけど…? それよりも司令官はいらっしゃいますか?」

 「え? 第三埠頭で待ち合わせてたじゃないですか?」

 「え? そんな素敵な約束してないですよ? 司令官、お出迎えにも来てくれないし」

 「は?」

 「は?」

 

 噛み合わない話を辛抱強く解きほぐした結果、状況の奇妙さと深刻さが発覚した。

 

 青葉が昼前に会ったという港で待っていた大和と、今執務室にいる出撃から戻ってきた大和。つまり那覇泊地の所属ではない、もう一人の大和がいたことになる。演習や補給要請などで他拠点の艦隊が寄港することは間々あるが、艦娘単独で、しかも公式な連絡もなく那覇にいる事はあり得ないと言っていい。あり得るとすれば元いた拠点からの逃亡。それなら真っ先に保護を求めてくるはずで、さも那覇の大和のように振舞う必要などない。そして帰ってこない司令官…そこまで考えが至ると、執務室にいた艦娘達は大騒ぎになり、ただちに司令官捜索が始まった。

 

 

 基地としては大きい規模ではない那覇泊地も人ひとり探すとなると難題である。入れ代わり立ち代わり現れる艦娘達に引っ切り無しに連絡が入る通信機。執務室で捜索の指揮を執るのは翔鶴を中心とする那覇泊地の中心メンバー達、そして…ひどく悄然とした青葉と、明らかに不機嫌極まりない表情の大和。

 

 「つまり…青葉さんは()()()()()で、司令官を所属不明の()の待つ場所に行くよう促した、と?」

 「あ、青葉、き、恐縮です……」

 冷ややかな大和の言葉に、青葉がますます肩を縮こまらせ、今度は仲裁に入ろうとする榛名に大和は食って掛かる。

 「大和さん、そこまで言わなくても…青葉さんだって悪気があった訳じゃ…」

 「悪気があってもなくても、司令官に万が一のことがあったらどうするんですかっ!」

 空気が険悪になり始める中、秘書艦席に座っていた翔鶴が静かに立ち上がると、ひどく真面目な顔で独り言のように淡々と語り始めた。

 

 「かくなる上は…戒厳令を発令して那覇泊地を封鎖、徹底的にお探しするべきでしょうか」

 

 普段物静かで大人しい人ほど、いざとなると大胆で苛烈な行動に打って出る。さすがに戒厳令は…と大和と榛名が唖然としているのを気にも留めず、いっそうっすらと微笑みながら、翔鶴はマイクのスイッチを入れ泊地全体に通達を出そうとしている。止めるべきかそのままにすべきか、誰もが中途半端に翔鶴に向け手を伸ばした所で、執務室のドアががちゃりと開く。

 

 「………何してんだ、みんなで?」

 「「「「し…司令官―――――っ!!」」」」

 

 まるで普通に、ちょっとコンビニにでも行って帰ってきたような気軽さで司令官が戻ってきた。きょとんとした顔で、居並ぶ艦娘達にしゅたっと手を上げて笑いかける。司令官をわなわなと震える指で指さしながら、艦娘達は一斉に叫び、再び執務室が大きく揺れる。

 

 

 

 「よ、よかった…」

 と腰が抜けたようにぺたんと女の子座りで座り込む榛名。

 

 「那覇泊地でこんな不始末が…はぁ…」

 とがっくり項垂れる扶桑。

 

 「し゛れ゛いか゛ーん、よ゛か゛ったぁー」

 「司令官、分かりますよねっ! 私が大和ですよっ!」

 司令官の顔を見た途端安心のあまり大声で泣き出した青葉に、自分が()()だと主張し(何を以て本物とするかはともかく、那覇所属であることは事実だ)司令官に捲し立てる大和。

 

 無事を確認し終え一息つくと、当然のごとく皆から説明を求めて詰め寄られた司令官だが、彼にしては極めて珍しく曖昧ではっきりしない返事に終始し、艦娘達の苛立ちを招いていた。

 「司令官、所属不明艦(アンノウン)がいたんですよ? 何をそんな悠長に…っ!」

 「同じ艦娘、だろ。とにかく俺が話をして穏便にお引き取り願ったから、そんなに殺気立つなよ」

 

 特に納得できない大和がさらに詰め寄ろうとした所で、沈黙を守っていた翔鶴がすっとドアに向けて歩き始める。殺気立った雰囲気の中、一人だけ温度の違う行動をとったことで注目が集まるが、意に介することなく、翔鶴は笑顔を浮かべる。

 

 「私は…晩ご飯のご用意をしてきます。司令官にしか分からない何かが、きっとあったんだと思います。必要な事なら、きっとお話ししてくださるはずですから」

 

 

 

 「…ほんとに用意してきたんだ?」

 「そう言ったと思いますけれど?」

 

 夕食と呼ぶにはあまりにも遅い時間、両手でお盆を持った翔鶴を司令官は執務室に迎え入れた。執務机にお盆を置くと、柔らかく微笑みかける翔鶴に対し、司令官は無言のまま箸を取り食事に一礼してから食べ始める。

 

 静かな、時折食器が鳴る微かな音だけがする執務室。翔鶴もまた何も言わず静かに司令官の執務机の横に立っている。不意に司令官が箸を置き、何か不都合があったのかと翔鶴が小首を傾げる。

 

 「…大和に……佐世保の大和に、会ったんだ」

 「はい…」

 「佐世保に従えって、さ」

 「…はい」

 「でなきゃ殺すってさ。でも…彼女はできなかった」

 「………」

 「守るはずの人間(相手)にそんな事を言わなきゃならない…いや、そんな事を艦娘(君達)に言わせるなんて…俺達人間は一体何なんだろうな…」

 

 「目の前にいるのが…そこまで私達を思いやってくださる方だと、分かるだけで十分です。だから…ご自身を責めないでください…お願いです…」

 

 ゆっくりと一言ずつ言葉を選ぶように語り終えた翔鶴は、そうするのが自然であるかのように、司令官を背中からそっと抱きしめる。

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