そしてなし崩し的に始まった歓迎会だが、何の準備もないまま、鳳翔と間宮が慌てて用意したありあわせの品がいくつか用意され司令官の前に皿が並ぶ。ありあわせと言っても、常に新鮮な食材が食堂にある巨大な冷蔵庫に保管されているため、一般的に言えば豪奢な品々があっという間にテーブルを飾った。
顎に手を当て首を傾げむうっと唸る司令官の表情に、鳳翔と間宮は誤解をしたようだ。和装で包んだ小柄な体をさらに縮こまらせ恐縮する鳳翔、同じ姿勢をとりながらも豊満な体型の間宮は女性らしさを強調したようになる。むしろ意図してそうすることで自分に目を向けようとしているようにも見える。
「し、司令官…お気に召しませんでしたか? 申し訳ありません、申し訳ありません…」
「あの…もしお気に召さないようでしたら…その、鳳翔さんではなく私を…」
一瞬で打ち解けかかっていた空気が固まり、艦娘達が固唾を飲んで司令官を見守る。自分の考えに没頭していた司令官はようやく状況に気付き、むしろきょとんとした顔で周囲を見渡す。
「すまない、どれから食べようか考えていたんだ。俺が手を付けなきゃ皆食べられないか。………モグ…ん! 美味いっ! 訓練中に食べてたのは出来合いのものばっかりだったから。ああいや、比べるのも失礼だ。みんなもせっかくだから食べよう」
近くにあった箸と取り皿を手にし、鳳翔の用意したオードブルを司令官は嬉しそうにあれこれ食べ始める。その様子を見ていた艦娘達は、比喩ではなく安堵のため息を漏らし、表情を明るくし料理へと集まり始める。
鳳翔と間宮は顔を見合わせ、むしろどうしてよいか分からない、という表情になる。二人とも自分の腕には自信があり、今回の食材もいいものだ。それにしても準備時間が足りず、下拵えや調理時間に不足があるのは確かで、完璧と呼べる仕上がりではない。味覚が鋭敏で舌が肥えていた先任提督は、そういう細かな点も
『我等は他者の命で己の命を繋ぐ存在だ。なればこそ、一切れの食材も無駄にせず、全身全霊を込め調理に当り、食さねばならぬ。翻ってうぬらの今日の皿、技に溺れた驕り、僅かに味に濁りがある。貴様らには命の重さ、分からぬのだろうよ。人らしく振舞っておるが畢竟ツクリモノ、詮無きなり。貴様ら、兵器として兵士として、生死の際を超え己の生を賭け、命の重さを学ぶが良い。愚者には体に刻むのが教育だ』
そして身柄は特警隊に引き渡された…そこから先の事は言いたくない。泣く暇さえ与えられなかった。身体の傷は入渠で直る。でもいくら入渠しても記憶までは上書きしてくれない。
ふいに司令官が自分達を見ていることに鳳翔と間宮は気が付いた。そして深々と一礼され、二人の混乱は頂点に達した。
「本当にありがとう、俺なんかのために、忙しい中これだけの料理を用意してくれて。二人のその気持ち、本当に感謝する」
-ああ、その言葉が聞きたかったんだ。
唐突に鳳翔は理解した。今まで調理方法や手順、味を聞かれた事はあっても、それを作る自分たちの思いは一度たりとも聞かれた事が無かった。今回、確かに調理時間を短縮するためいい意味で抜ける手は抜いた。それでも、せめて心づくしを、と掛けられるだけの手は掛けた。その気持ちが嬉しいと、この司令官は言ってくれる―――。間宮も鳳翔が何を感じたのか気が付いたようで、目の縁を赤くしながら鳳翔の手を取る。司令官も二人の様子に何かを感じながら、それが何か分からない以上詮索はせず、重ねて礼を言うと、二人にも一緒に食べようと箸と取り皿を渡す。おずおずと鳳翔が手を伸ばし皿に指先が触れようとした瞬間、再び食堂の空気が凍りつく。
「夜分に何を騒いでいるかと思えば。いかんなぁ…規則は守られねばならない!
泥塗れのブーツで廊下や床を汚しながら、三人の特警が居丈高にことさら大声を上げ食堂に乗り込んできた。那覇泊地に配置される特別警察小隊は合計六名、その半数がわざわざやってきた。
「首謀者って言い方は失礼ではないか? 彼女達は何も悪い事はしていない、俺の着任を祝して心ばかりのパーティを催してくれただけだ」
こいつらが例のやつらって訳か…艦娘達の多くが怯え始めたり、攻撃的な雰囲気を纏い始めたのに気付いた司令官は、特警達に対応するため前に出ると、つとめて冷静に話し始める。すでに連中の一言で、この連中がどれだけ思い上がり、専横を振るっていたのか十分に理解できた。
「おお、これはこれは司令官。さっそく艦娘達を手なずけパーティーを開催させるとはっ! さすがに色男はやることが違いますな。なるほど、そう言う事でしたら特例案件として会の延長を認めましょう。
特警小隊の隊長が意味ありげにニヤリと嫌な笑い方をすると、後ろの付き従う二人の部下も下卑た笑みを浮かべる。生理的な嫌悪感を押し殺しながら、司令官はさらに一歩前に進み出ると決然と対する。
「何を言っているのかよく分からないが、まず、これまで先任提督の離任と俺の着任までの間、施設の利用時間…そのような些事まで
お前らの好き勝手にはもうさせないぞ。
簡単に言えば司令官の発言はそういう意味であり、彼の後ろで怖々と状況の推移を見守る艦娘を驚かせるのに十分だった。虚を突かれたような表情を見せる特警小隊長が次の言葉を発する前に、司令官は畳みかける。くるりと艦娘達を振り返ると、宣言する。
「艦娘の皆、今後泊地運営の方針を決定するため、明日より全員にヒアリングを行う。本当ならもっと皆と語り合いたかったが、わざわざこんな細かい事まで介入…ああいや、指示を出してくれた特警隊に敬意を表す意味で、今日はここでお開きにしよう。全員部屋に戻ってくれ。明朝〇七〇〇、またここに集合で頼む。明日の朝まで、君達は完全休養を命じる。部屋の施錠をしっかりとするように。また誰に呼び出されても対応しなくていい」
それは明らかに特警隊への皮肉であり牽制であり、艦娘達の身の安全を図る発言。その意図は艦娘全員に伝わり、全員がびしっと綺麗に揃った敬礼で応える。司令官は眩しそうに目を細めるような笑みを浮かべ応えると、自分の予想とあまりに違う話の展開にぽかーんと口を開けている特警小隊長を振り返り、艦娘達に向けたのとは打って変わった厳しい表情で対する。
「期待に添えなくて申し訳ないが、俺は司令官として本来すべき事をするだけだ。お前達と馴れ合う気はさらさらない。これまで通りに欲望のまま振舞えると思ってるなら、今のうちに考えを変えた方がいいぞ」
「まあまあ、そういきり立たずとも。貴方とは
殊更冷静さを装う特警小隊長は、伴った部下達を引き連れ食堂を立ち去ろうとしたが、司令官に呼び止められる。
「待て。土足で汚した床を綺麗に掃除してから帰るんだ。『施設設備の取り扱いは整理整頓清掃清潔を旨とすべし』、泊地総則に明記されている。規則は守らねばならないんだろう?」
さすがに冷静さを装いきれず憤懣やる方ない顏になり、ギロリと司令官を一瞥すると無言で足音も荒く、特警隊たちは今度こそ立ち去っていった。
◇
くいくい。
くいくい。
「あれー…本当に寝ちゃってるのかなー」
「…なんですの? 起きてますわよ」
艦娘寮は艦種別に分けられ、基本二人一組となる。ここ重巡寮の一室は最上型重巡洋艦の鈴谷と熊野が相部屋となる。部屋の真ん中を共用部として大きく取り、左右の壁に寄せたベッドという簡素なレイアウトの室内を、窓から差し込む明かりだけが照らす。パジャマを着た鈴谷は、壁の方を向いて眠っている熊野の掛布団をくいくいと引っ張り、躊躇いがちに声を掛けていた。返事がないので諦めて自分のベッドに戻ろうとした鈴谷に、壁を向いたままの熊野から声がかかる。鈴谷は跳びあがるほど驚きながらも、慌てて熊野のベッドににじり寄る。
「何だよー、起きてたならさっさと返事してよー。ねえ、今度の司令官だけどさー、どう思―――」
「鈴谷好みの顔立ちでしたね。嫌味なく鳳翔さんや間宮さんにお礼の言えるスマートさ、特別警察隊への毅然とした対応、何て言いますか…一本筋の通った殿方に見えますわね」
「だっしょーっ!! もう怖い思いしなくて済みそうじゃーん!」
「…見えるだけ、だったらどうしますの?」
両手を胸の前でくねくねさせながら満面の笑みを浮かべていた鈴谷が、はぁ? という表情に変わる。改めて熊野の方を見れば、僅かに肩を震わせている。
「私も同じですわ、鈴谷。新しい司令官を見て、思わず期待してしまいました。でも…でも…勝手に期待して裏切られて失望して…私はそんな思いをしたくありませんの。戦場でもないのに殴られたり蹴られたり…それも守るべき人間から…。もう、痛いのは嫌ですわ…」
途切れ途切れに残す熊野の言葉が、彼女の置かれている境遇を如実に示す。ぎしっと音が鳴り、鈴谷が熊野のベッドに腰掛け、そっと伸ばした手で優しく髪を撫でると、熊野はそのまま声を殺して泣き始めた。
すすり泣く声はどれだけ続いただろうか。やがて泣き声が静かな寝息へと変わった頃、ぼんやりと天井を見上げた鈴谷が他人事のように呟く。
「…新しい司令官、とっけーの連中を敵に回すつもりみたいだけど、これからどーなるんだろう? …でも、きっと鈴谷の見る目は間違ってないと思うし。司令官、お願いだから負けないでね…って他人事じゃないし! …決めた、鈴谷、司令官のためになんかするよ! や、何すればいいかは、これから考えるけど」
満足気ににひひ、と笑った鈴谷は、もう一度熊野の髪をさらっと撫でると自分のベッドに戻っていった。