呉の鞍馬大佐は那覇に爆弾を持ち込んだようなものだ。単なる派閥の合従連衡に留まらず、海軍中枢の変革を目的とする若手軍人集団への参加要請…ここまで聞かされた以上、返事として許されるのは「はい」か「イエス」だろう。それでも---。
「…申し上げた通り、こちらにも『事情』があります。しかもこんな大きな話にハイそうですか、と乗れると思いますか?」
海軍に歪みがあり、そのしわ寄せが現場と艦娘に押し付けられていることは司令官も十分に理解している。中でも佐世保の大将とは対立状態にあり、横須賀の大将には利用されている現状…行方不明の艦娘の件さえなければ、軍の正常化というトピックは非常に興味深い。一方で鞍馬大佐の行動は、一歩間違えれば反乱と見做されかねない危険なものだ。やる以上成算はあるのだろう、だが加担して万が一失敗すれば、企てに参加した将兵は言うまでもなく処分、艦娘も間違いなく解体されるだろう。
現状を良しとはできないが、正義は勝者が行う結果に対する理由付けに過ぎない…司令官が逡巡を明らかに表情に出している傍らで、榛名は最早状況に付いてゆけずにいる。素直で生真面目な性格の彼女にとって、いくら腹立たしい存在とはいえ軍上層部に反旗を翻すなど、想像力の限界を超えていた。不安を少しでも和らげようと、司令官を見上げながら彼の腕に取りすがっている。
鞍馬大佐も、司令官が自分たちの計画に容易に乗らない理由に見当はついていた。佐世保の大将が那覇泊地在任時に行った数々の不法行為の中で目を引くのは、所属艦娘をオークションまがいに売り払って大金を手にしていた事。現任司令官-目の前にいる那覇の少佐が行方不明の彼女達を追跡している事も知っている。苦し気に表情を歪めた鞍馬大佐は、それでも告げねばならないと腹を括る。事実を事実として受け止められないようでは、那覇の少佐を仲間に迎え入れることはやめた方がいいだろう。
「…そちらの榛名さんの様子を見ていると、少佐が艦娘から信頼されているのはよく分かるよ。けど少佐、那覇さえ…自分の艦娘さえ守れればそれでいいのか? 」
今度は司令官は顔を歪める番となった。自分さえよければそれでいいのか、そう問われている。鞍馬大佐は持参したファイルを取り出し、司令官に手渡す。あまりにも凄惨な内容なので、瑞鶴にさえ見せていない。
「少佐の『事情』も俺はかなり把握している。海と空の通常戦力部隊が裏で動いていて、今も数名の艦娘がその島に拘束されているらしい。相当イカれた相手のようだな…」
ぱらぱらと捲ったファイルを流し読みする間に、みるみる司令官の表情は青褪めていった。効果を完全に認識した上で司令官に情報を渡した鞍馬大佐も、流石に気まずそうに目を伏せる。だが『理想郷』計画実現のために、那覇泊地の占める役割は大きい。穏便に政治的に決着を付けるつもりなのは言うまでもないが、だからといって武力行使をタブーとしている訳でもない。
万が一そういう段階になれば、九州方面に進攻するにせよ、東南アジア方面から進んでくる敵対勢力を迎え撃つにせよ、那覇は攻防両面での要石となる。あるいはそんな混乱した状況で深海棲艦が侵攻してきた場合、当然その抑えは必要になる。目を伏せたまま、司令官が言葉を継ぐ前に断定的に言う。
「どうするかは任せるさ。よく考えて…その上でどうするか知らせてくれ」
それだけ言うと、鞍馬大佐は瑞鶴に目で合図をして帰り支度を始める。司令官が動けばよし、動かなければ自分たちでやる。
「…お待ちください」
司令官が鞍馬大佐と瑞鶴を呼び止め、自分が持っていたファイルと車のキーを鞍馬大佐に向け差し出す。
「…せっかくなのでこちらをお使いください。車は帰るときに港湾事務所に預けて頂ければ構いません」
鞍馬大佐と瑞鶴がファイルを覗き込む。鞍馬大佐は苦笑し、瑞鶴は目がキラキラと輝く。那覇泊地の艦娘達から情報収集して作った『おすすめデートコース in 那覇』は、実在した---。
◇
泊地に戻ると司令官は雰囲気にすぐ気がついた。艦娘のみんながどこか殺伐としているように感じられる。
「そりゃぁそうですよ司令官。私たちにおすすめデートスポットを聞いておいて、突然出かけたと思ったら、榛名さんと鳳翔さんと帰ってきたわけですからねぇ~。スキャンダルですよ。……で、一言取材よろしいですか?」
青葉がからかうような口調でチクチク非難する。つまりデートに誘う口実として行きたい所を聞かれた、みなそう思ったという訳か―――言われてみりゃそうだよな…とアチャーっと顔を顰める司令官に、「自業自得ですね」と他人事のように声を掛けた青葉だが、それでも少しは気の毒だと思ったのか、最低限のフォローには協力すると言い残し、すたすたと立ち去っていった。
「翔鶴さんと、できたら大和さんのフォローはしておいてくださいね~。他のみんなは青葉の方でなんとかしますから」
同日夜―――。
司令官の執務室に集められた翔鶴、榛名、大和、扶桑、時雨、神通。背景-鞍馬大佐との会談-を知る榛名は硬い表情を崩さない。全員が揃ったのを確認した司令官は、思い詰めたような表情を変えず本題に入り始めた。集められた六名は那覇泊地有数の練度を誇る精鋭、そしてこの場にはいないが青葉と鳳翔には共通点がある。性格的に口が堅い、もしくは司令官に絶対の信頼を置いていて、これから話すことを口外する心配がない---。
「………ここから話すことは、何があっても極秘にしてほしい。君たち六人には、特務として俺と一緒に作戦に参加してもらう」
司令官自ら前線に赴く、の発言に全員が反応するが、皆の声を無視するように司令官は無言で資料を用意し、会議の準備を整えている。顔を見合わせていた六人だが、淡々と語られる司令官の言葉に、顔色を失い、やがてそれぞれに異なる反応を示す。
「はぁ…空が青く晴れる日は…来るのでしょうか…」
「止まない雨はないって思ってたけど…」
短く嘆息すると暗い目を伏せるのは時雨と扶桑、そして完全に言葉を失い青ざめた表情の神通。両手で口を覆い目に涙を溜め、それでも司令官から視線を逸らさずにいる翔鶴。
そして---。
「……次の作戦は特務ですね。通常戦力部隊……つまり人間の部隊を相手に戦う、そういうことですか?」
胸の下で両手を組んだまま、困惑を隠さずに大和が司令官を問い詰める。苦しげな表情に変わった司令官は、振り絞る様に答えを返す。
「施設接収と関係者の拘束が第一目標となる。戦力差を見せつけて降伏を勧告、が妥当な線だろう、必ず戦うと決まった訳ではない。明日払暁より現地情報の収集と機材の準備に入る。実行は情報の精査を踏まえた上で決定する」
◇
那覇泊地の北東約二五〇kmに位置する上ノ根島、有史以来人が居住した記録がないこの無人島だが、コードネーム『
改めてこの世界における艦娘という存在を振り返ってみよう。素体と呼ばれる、人工的に製造された人間を凌駕する能力を備えた強化生体に、古神道や密教などの秘儀により召還された在りし日の戦争で沈んだ軍艦の船魂や共に戦い散った兵士の想念を
ここまでは現状の再確認となるが、問題は勝者がいれば必ず敗者がいる事。
艦娘が深海棲艦との戦争における主力となった現在だが、ここに至るまで技術的な紆余曲折は当然のようにあり、試作開発競争に敗れた研究者グループもいる。上ノ根島のH2機関は、そういう艦娘開発のメインストリームから外された技術者や学者と、復権を諦めない海空軍の一派-艦娘の登場とその後の活躍により、対深海棲艦との戦争から締め出された通常戦力部隊-が手を組み発足した。
現用兵器群が深海棲艦に抗しえない理由、それは最大の武器となる誘導兵器による超アウトレンジ攻撃の要となる電子兵装が敵を捉えられないことにある。空軍の航空戦力も海軍の戦闘艦艇も、設計思想上想定していない有視界戦闘で壊滅的な被害を受けた。言い換えれば、現用兵器のレーダーやソナー、センサーで深海棲艦を捕捉できさえすれば、通常戦力部隊の兵器システムは効果を発揮する。発想それ自体は決して間違いとは言えないが、問題は方法だ。
元空軍のパイロットとして通常戦力で深海棲艦と戦ったから理解できる--深海棲艦を補足できるレーダーを開発し、通常戦力を強化する意味。
那覇泊地の司令官となった今だからこそ、受け入れられない--通常戦力強化のために艦娘を犠牲にして素材に用いる人間のエゴ。
空海軍の通常戦力部隊が背後にいるとはいえ、H2機関がどうやって艦娘を入手したのかなど、謎はいまだ残る。知りたいなら自らが前に出るしかない…こうして異例ともいえる指揮官が前線に出る作戦は決断された。