海と空との間で   作:坂下郁

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35. ねがい

 砲撃で揺さぶられた建物で、これまでの戦闘で脆弱になっていた壁の一部が崩れ始め、拘束されていた研究員の職員の多くと数名の特殊部隊ががれきの下敷きになる。そこに血相を変えて飛び込んできた榛名と神通が現れ切迫した表情で叫び声をあげる。

 

 「司令官! この島からの緊急退避を進言しますっ!! 扶桑さんが食い止めていますが、もうすぐここにもやってきます!!」

 

 砲撃の元は扶桑なのかと驚いた司令官だが、依然として榛名が何を言ってるのか分からずさらなる説明を求める。その間にも断続的に砲撃音は続いているが、聞き覚えのある四一cm連装砲の砲声よりも、聞き覚えの無い砲声の方が多い。

 

 「榛名にも分かりません! ですが…正体不明…深海棲艦ではありませんが、艤装らしき武装をまとう何かからの攻撃が!! 数が多く支えきれません! 無事だった艦娘五人は保護しました、さぁ、早くっ! はやぶさの皆さんもっ!!」

 

 説明というよりは断片的に事象を話す榛名も切羽詰まっている。とにかく逃げてください、と榛名に強引に引っ張られ、司令官は宙を飛ぶような勢いで連れて行かれる。ぎしっと鋼鉄を軋ませ主砲を元の位置に戻した大和もそれに続く。

 

 難を逃れた特殊部隊の面々は状況が把握しきれずにいる。だが自分たちの役割は施設接収、資料押収、関係者の拘束で、いずれもまだ完了していない。それに目の前でケガをしている大勢を放ってはおけない。瓦礫に挟まれながらも、所長や多くの研究所職員、そして特殊部隊の数名は生きているのだ。無事な面々は必死に救出活動をしていたが、何かを引きずるような音が近づいてくるのに気付いた。

 

 その場にいる全員が不安そうに顔を見合わせる中、それは現れた。IT-艦娘になれなかったそれは、地下の処理場に廃棄していたはずだが、度重なる砲撃でゲートが破壊されたのか、外にさまよい出てきた。

 

 濃やかな愛情と海を守る信念が息づく艦娘と違い、癒されない憎悪と怨念、飽くなき破壊衝動に突き動かされている。素体()は作れても、(中身)が決定的に異なり、生み出されながら役に立たないと廃棄されたそれが、求めるのは---。

 

 「…うわぁぁぁぁぁぁ――――!! た、助けてくれ、助けてくれぇっ!!」

 「所長、こんな時まで騒がないでください。私たちに助かる余地がない、と子供にでも分かりそうなものですが」

 

 虐殺は続き研究棟に悲鳴が満ちていたがそれもいつしか止み、怨嗟とも慟哭ともつかない悲しい声だけが遠く響いていた。

 

 

 

 上ノ根島の沖合約一〇kmに停泊するはやぶさの上部甲板に立つ翔鶴は、潮風に長い銀髪を預け祈るように思い詰めた表情で海を見つめている。帰投直後に比べれば顔色もよくなり、汚れた着衣の着替えも既に済ませている。元々戦闘による損傷ではなく、過度な負荷を強制的に脳神経に掛けられた事による一時的な神経耗弱状態であり、時間の経過とともに体調は回復した。だが司令官の厳命で同行は許されなかった。

 

 「……ご無事で…」

 

 上ノ島攻略戦の終盤はほとんど覚えていない。大和からの通信を受けて必死に攻撃隊を退避させたあたりで意識が途切れ、気が付けばはやぶさのCICで司令官の腕の中にいた。時雨から聞いた話…うわごとのように司令官の名を呼んでいたらしく、思い出せば出すほど恥ずかしさで顔が赤くなる。

 

 翔鶴のそんな煩悶は、戦闘が終わったはずの島に響く砲撃音で強制終了させられた。舷側に駆け寄り上ノ根島の方向に目を向けると、明らかに砲撃のものと分かる黒煙と発砲炎(ブラスト)がいくつも立ち上っている。何より---那覇の特務艦隊が後衛を務めながら六.三メートル型RHIBが全速力ではやぶさに向かい疾走してくる異様な光景。

 

 「一体何が……?」

 

 戸惑いと不安に彩られた翔鶴の瞳は、あっという間にはやぶさに接舷したRHIBと、収容のためはやぶさの乗員が駆け付け作業を手際よく進めるのをぼんやりと映していた。

 

 

 

 那覇泊地の特務は、厳しく言えば失敗に終わった。戦術的にはH2機関側の攻撃をさばき切り抵抗を排除したが、戦略的には空海軍通常部隊の不法行為を明かす物証を部分的に押収したものの、関係者を確保することが出来なかった。

 

 通常戦力部隊の暗躍も問題だが、何より艦娘部隊の側にも不法に艦娘を引き渡す役割を担った者がいなければ起きえなかった事件で、この問題がどれほどの範囲まで広がっているのか---深い問題の根を掘り起こしきれなかった。そしてIT…名前さえ与えられなかった、ヒトの形をした艦娘ではない何かが島にいる。

 

 帰還した司令官と仲間たちが明かした上ノ根島での惨状に、はやぶさの乗員たちはRHIBに司令官と艦娘しか乗っていなかった理由を理解し衝撃を受けていた。それでも彼らもまた精鋭である、戦闘はまだ終わっていないと即座に気持ちを立て直し各自の持ち場に戻ってゆく。そして---。

 

 「上空からの偵察では生存者がいるかは分かりません。ただ、その……所属不明艦(アンノウン)、動きは緩慢ですが島の東側へ移動中です。このまま進むと海へ出ることに…」

 

 躊躇いがちに翔鶴が上げる報告に、はやぶさのCICを緊張が覆う。帰投した司令官から話を聞き、翔鶴が即座に発艦させた彩雲が上ノ根島上空を旋回し、艦隊の目として齎した情報は深刻さを増している。

 

 H2機関がこの島で何をしたのかのを示す証拠、どの程度の戦闘能力を持つのかは不明だが、敵意と殺意は明確で対話による投降は期待できないIT(相手)…それが大挙して海に出ようとしている。CIC中の視線を一身に集める司令官は、苦渋の表情で無言のままでいる。

 

 特務を真の意味で成功させようとすれば、数に勝る正体不明の相手と戦い、数体を生きたまま捕らえる必要があり、那覇艦隊にかかる負担はあまりにも大きい。あるいははやぶさの速度なら相手を振り切って那覇に帰投できるが、海に出た相手はどこに向かうか分からない。本土に増援や迎撃を要請できるが、こんな話をいきなり持ち出して信を得られるとは到底思えない…決断が責任者の役目だが、どちらを選んでも生じるリスクが大きすぎる。だが、何もしない選択肢だけは存在せず、司令官が重い口を開きかけた時---。

 

 

 「……全機、突撃!!」

 

 凛として、それでいて語尾の震えた翔鶴の声がCICに飛び込んできた。何を考えている、と吐き捨てるように言い残した司令官は、CICを飛び出し翔鶴のいる上甲板を目指して駆け出していた。

 

 

 

 荒い息の司令官が上甲板に着き目にしたのは、逆ガルの翼を連ねて空を行く八四機の流星改が急速に小さくなる姿と、儚げな後ろ姿の翔鶴だった。

 

 「翔鶴っ!! …一体、何をするつもりだ!?」

 

 聞かずとも見れば分かる、偵察の彩雲さえ呼び戻し、全搭載機を攻撃隊に充てた全力投射。翔鶴は上ノ根島のITを海に出る前に殲滅しようとしている。手数を重視し各機とも二五〇kg爆弾二発を装備した大規模空襲。上ノ根島は地形の関係で海に出られるポイントが東側の抉れて小さな湾になった場所に限られ、ITの群れはそこを目指している。翔鶴の技量なら、狭い場所に密集した大群に急降下爆撃を叩きこんで殲滅も十分可能だ。

 

 問いに答えず、無言のまま銀髪を揺らして翔鶴は振り返り、止まることの無い涙を琥珀色(アンバー)の瞳から流しながら初めて司令官と目を合わせた。涙を流しながら精一杯装う笑顔の痛々しさに、訥々と語られる翔鶴の思いに、司令官の胸も痛む。

 

 人の手で生み出され、人のために戦い、やがては海に還るだろう艦娘(自分)、同型艦が複数併存しアイデンティティさえもあやふやな、そんな存在(自分)を、海水と吐血と吐瀉物で汚れた翔鶴(自分)を、躊躇わずに抱きしめてくれた貴方がいる。その想いだけが自分を自分でいさせてくれる。けれど---。

 

 「私を含む艦娘に施される制御プログラム……あの時の自分は…不快感や恐怖感、あらゆる負の感情を掻き集め頭に一気に叩き込まれたように神経が苛まれ動けなくなったんです。でも私には司令官が…私が私でいられる全てを教えてくれた人がいる。もし…IT(あの娘)達にあるのが、あんな苦しさだけで抱きしめてくれる人がいないなら……。司令官、私のしたことが正しいとは言いません。でも、あの娘達が救われるのは……」

 

 「死ぬことだけ」

 

 司令官は翔鶴が口に出せなかった最後の言葉を引き取った。深くうなずいた翔鶴は、これ以上ない悲しい笑顔で司令官に向かい合う。

 

 「貴方は優しいから、分かっていてもこんな命令は出せない。だから私が…私の全てで、貴方の全てを守る盾になります」

 

 自分はここまで思われる価値がある人間なのだろうか--独白を聞いて自問自答していた司令官だが、気が付けば翔鶴を強く抱きしめていた。一瞬だけ目を大きく開いた翔鶴は目を閉じると、同じように司令官を抱きしめ返し、少し背伸びをして司令官の耳元に囁きかける。囁きは司令官により一層力強く翔鶴を抱きしめさせた。

 

 「もし私が…あんな風に壊れてしまう日が来たら…司令官の手で解体…してください。貴方になら…」

 「もし君が…あんな風に壊れてしまうのを恐れるなら…いつだって俺は抱きしめる。二度と解体なんて口にするな」

 

 

 上ノ根島攻略戦--小さな無人島に隠れて行われた、空海軍通常戦力部隊による艦娘を犠牲にした技術開発は中止に追い込まれた。背後にいる首謀者を追求する物証はあらかた消失し、記憶から消すにはあまりにも悲痛な事件は、誰が勝者とも言えない苦い結末を迎えた。不法な生体実験の犠牲となる前に五人の艦娘--霧島、響、北上、大淀、明石-を救出できたことを僅かな救いとして…。

 


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