36. ホットミルク
上ノ根島攻略戦は終えた艦隊は那覇港に帰投した。連絡を受け出迎えのため港に勢ぞろいした艦娘達だが、青葉を除けば徹底して秘匿された特務に対し、程度の差はあるが不満げな表情を浮かべている。
特務に参加した六名は那覇泊地でも上位の練度だが、彼女たち以外の高練度の艦娘――泊地トップクラスの練度を誇る金剛、特務が決まってから姉が何も話してくれなくなった山城、そしてその両方が重なった瑞鶴あたりは、とにかくムクれている。口が軽いとまでは言わないが、秘密を秘密のまましまっておけない三人なので、司令官はこの三名を特務部隊から除外せざるを得なかった背景がある。
「はぁ……司令官が頼りにしてるのは、やっぱり翔鶴
唇を尖らせて自分と姉を比較していた瑞鶴だが、放っていた艦上偵察機から入った報告に色めき立ち叫び声を上げる。その声に導かれるように、港に集まっていた艦娘達の視線が一斉に水平線へと注がれ――――入港してきた傷ついたはやぶさの姿を見て、誰もが言葉を失った。
司令官が前線に赴くだけでも異常事態なのに、艦娘が守っているにも関わらず座乗する旗艦が損傷を負う……激戦を示す状況に誰もが息を呑む中、接岸したはやぶさからタラップが伸び人影が下りてくる。
冴えない表情の司令官を先頭に、いずれも固い表情で疲れを露わにした特務参加組の六名。え? 海域邂逅? それにしては人数が多くない? ……と、六名に守られている
「……え? え? き……きたかみさぁ~んっ!!」
「My Gosh!! き……霧島ぁーーーっ!?」
建造という謎技術で同一の艦娘が併存し、軍艦だった時代同様に同型艦は姉妹として縁が繋がる世界だが、同じ泊地でともに過ごした、いわば“本当の姉妹”に対する絆は深く、姿形が同じでも明確に“違う”。その差を鋭敏に感じ取った大井と金剛は驚愕の表情で叫び、駆け寄ろうとして特務組に制止される。
「なるほど、な……極秘任務なのも頷ける」
「司令官は……やってくれたんだ……やってくれたんだ!!」
公然の秘密と淡い期待――――元々那覇泊地にいた艦娘なら知っている、暗い過去。先任提督が特別警察隊を抱き込み行っていた、裏ルートでの艦娘の不法売却により多くの仲間が作戦、遠征、護衛、転任……様々な名目で姿を消した。一方で、現在泊地にいる全ての艦娘の輿望。現在の司令官は、軍の上層部からの圧力を受けながら行方不明の仲間の捜索を続けていた。
相手は元帥の座をも窺う佐世保の大将。軍と言う巨大組織の頂点に近い相手に、時には正面から、時には強かに、硬軟交え挑み続ける司令官の苦闘。この人なら……という声にならない願いは、部分的とはいえ、ついに叶えられた! 多くの艦娘はそう感じ、ざわめきは収まり自然と敬礼を司令官に送ることで満腔の謝意を示しだす。
古巣に帰ってきた五名だが、喜びの表情はかけらもなく、皆怯えたような顔をしている。迎えの艦娘達をかき分けながら、五人を守るように足早に医務室へと向かう一行。その光景を遠巻きに眺める三人の艦娘がいた--驚きの声を上げた電、涙声で精いっぱい強がる雷、堪え切れず号泣する暁。
◇
帰還組五名には医療妖精さんの手で念入りな検査が行われ、入渠後は絶対静養が必要と診断された。特に体ではなく心のケアが必要な状態とのこと。
――からだのきずはもんだいではありません。けれど……。
――とくにおおよどさんとあかしさんは、こころをとざしています。
――おねがいです、しばらくのあいだはやすませてあげてください。
無論司令官に異論はない。くれぐれも彼女達のケアを最優先に、と司令官と医療妖精さんたちが医務室の前で話していると、六駆の三名がやってきた。雷と電はお菓子やジュースを、暁は古ぼけた白い戦闘帽を持っている。
「司令官、響ちゃんのお見舞いに来たのです。入ってもよろしいでしょうか?」
三人を代表して電が司令官に尋ねる。響……第二次改装を経ている彼女は正確にはヴェールヌイだが、三人にとってはあくまでも『響』なんだろうな、と司令官が考えているうちに、妖精さんたちが残念そうな表情をしながらはっきりと面会を拒絶し、司令官も補足で説明を加える。
「ごめんな電、雷、暁。今はヴェー……響を休ませてあげた方がいいみたいだ。それに他の艦娘達もいるんだ、静かにしてあげよう」
目線を合わせるため中腰になりながら、電の頭をなで、司令官は眩しそうに目を細め微笑む。くすぐったそうに電は目を細め、雷は残念そうに肩を落とす。長姉の暁はむぅっとした表情だが、話の主旨は理解したようで話を纏めに入る。
「分かったわ司令官、今はそれが大事なのね。会えるようになったら絶対教えてね!」
北上と霧島に会わせろと医務室に強行突入しようとして、妖精さん達に返り討ちにあった大井と金剛にも見習ってほしいものだ……と、司令官はため息を零す。
その頃医務室では、ベッドに横になる響の枕元で別な医療妖精さんたちがふよふよと飛び回っていた。
――ひびきさん、きぶんはどうですか?
――のどがかわいてませんか?
――さあさあ、おみずをどうぞ
「放っておいてくれないかな」
ぼんやりと天井を見つめていた響だが、静かな、それでいて暗い拒絶の声を上げ、ブランケットを引き上げるとすっぽり頭まで覆うように潜り込んでしまった。ベッドの中で響が零した、小さな、壊れそうな呟きは誰にも届かなかった……。
「……やっぱり私には、愛とか恋とかは、分からないよ……」
ケッコンカッコカリの相手から、再転売される際に指輪を取り上げられた事を思いだし、響は声を殺しながら涙を流す。
◇
医療妖精さんの許可が出て、帰還組の五人が日常生活への復帰が決まった。
メンタルの安定を優先し各自と縁の深い艦娘と同室になるように司令官は指示を出し、艦娘宿舎では少しだけ引っ越しが行われた。霧島は金剛型の三人と、北上は大井に拉致られ、明石は夕張と、同型艦のいない大淀は香取と、そして響は六駆の三人と同じ部屋で暮らすことになった。
復帰後初めて部屋に入った響は、何の違和感もなく、物の在り処で困ることもなく、ごく自然に振舞っていた。
だが、以前のように打ち解けられない。
響だけでなく、電も雷も暁も同じことを感じていた。元より物静かで淡々とした所のある響だが、以前に増して無口になり、ぼんやりと視線を中空に彷徨わせている。時折つぶやく司令官、の言葉が
要するに、厚い心の壁がある。六駆の三人も、すでにどういう状況で響たちが保護されたか聞いている。今は響にとって気持ちと体を休める大切な時期だ。じれったく思いながらも、響のためと思い、余計な事は聞かず、息をひそめるようにしている。
そんな薄皮を纏ったような日常の、ある日の深夜。
「……こんな時間に何をしてるんだ、響?」
「司令官こそどうしたんだい、こんな夜更けに?」
押した仕事の中休みに、見回りを兼ね散歩に出かけた司令官は、窓から差し込む冴えた月明かりの他は保安灯だけが光る作戦司令棟の廊下で、響とばったり出くわした。
医療妖精さんからの報告によれば、体の回復は順調、だがすっかり無口になってしまった響は不眠症になっているようだ。それを裏付ける深夜の出会い。聞いても答は分かってはいるが、聞かざるを得ない。
「……ちゃんと眠れているか、響?」
「たまに意識と記憶が飛んでいる時間があるから、そこは寝ていることになるんだろうね」
元々抜けるように色白な響だが、蒼白に近い顔色で、目の下のクマも色濃い。少し話そうか、と司令官は少し強引に響を自室へと誘う。最初は警戒するそぶりを見せた響だが、すぐに諦めるように司令官について歩き出す。
司令官が執務室内のミニキッチンで何かを用意し戻ってきた時、ソファに座っていた響は虚ろな目で制服の上着を脱ごうと手をかけていた。湯気の立つマグカップを載せたトレイをもったまま、司令官は一瞬固まってしまった。
「……どういうつもりか、聞いていいか?」
「……そういうつもりで、呼んだんだよね?」
やれやれ……という態で首を振った司令官は、明確に響の誤解を否定し、改めて本来の目的通りマグカップを響の前に置く。
「これ飲んで。眠れない時にはいいらしいぞ」
ホットミルク。響はバツの悪そうな表情で司令官を見上げマグカップを両手で持ち、口をつける。
「……あたたかいな……」
しばらくして、響は訥々と言葉を零し始めた。先任提督の転任時に連れていかれた事、ほどなく別な拠点に売却された事、その地の司令官とケッコンカッコカリの間柄になった事。そしてその司令官の手でH2機関に引き渡された事……司令官は口を挟まず、折々深く頷きながら響の話を聞いていた。
「ねぇ司令官、どうして……取り上げるのなら指輪なんか渡したのかな? 私は……それでもあの人を信じて、い、た……」
言いながら響はソファで静かに眠りに落ちていった。
「体は心に引きずられるが、心も同じだ。無理にでも寝ないと……もたないぞ」
司令官は手の中にあった睡眠薬の瓶を片づけると、響を六駆の部屋まで運んでいった。
翌日目を覚ました響は、いつになく体が軽くすっきりしているのを感じた。そんな自分を嬉しそうに見守る暁、電、雷を見渡しながら、心を決めた。
ようやく今まであったことを話した。三人は泣いたり怒ったりしながら、常に響に寄り添い続けた。ひび割れた心が癒えるのは容易ではないが、少なくとも心の壁は消えていった。
そんな四人と廊下ですれ違った司令官。
「司令官、待ってくれないか。……お願いがあるんだ」
明らかに昨夜とは違う表情の響に、司令官は眩しそうに目を細め微笑みながらうなずき、響は少し照れたように、精一杯背伸びをして司令官の耳元でこっそりと言う。
「……次は、