海と空との間で   作:坂下郁@リハビリ中

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37. 忘れられない

 最近秘書艦グループの様子がおかしいと司令官は思っていた。那覇泊地では翔鶴・榛名・扶桑で構成されるグループが持ち回りで秘書艦を務めている。一週間七日を三人で割ると一日余るが、そこは立候補制で任意の艦娘が担当する。事務処理能力を平均的に担保するのが狙いだが、やはり那覇の秘書艦といえば、この三人、中でも翔鶴が筆頭と目される。いずれも第二次改装を経た泊地の中核戦力であると同時に高い事務処理能力で司令官の多岐にわたる業務をサポートしているのだが――――。

 

 「秘書艦を外れても、榛名は大丈夫で……す」

 榛名がぎこちない笑顔の中に、目の端に涙を光らせたある日。

 

 「いつかこんな日が来ると思っていて、同じだけ来なければいいと……」

 目から完全に光が消えた扶桑が、ぶつぶつと呟いていたある日。

 

 「多分必要ないかと思いますが、引継ぎの資料は用意しておきます」

 遠回しだが、自分が秘書艦を外れることを前提とした翔鶴の言葉に驚愕した今日。

 

 「ちょっと待て翔鶴。一体何を言ってるんだ? いや、君だけじゃない、榛名も扶桑も似たような事を……」

 

 椅子から半ば腰を浮かせ立ち上がりかけた司令官は、堪らず大きな声を出してしまった。三人の発言に共通しているのは、彼女達が秘書艦から外れる点。

 

 気まずそうに目を逸らす翔鶴の長い銀髪が揺れ、表情を隠すが感情は隠しきれず背けた肩が細かく震えている。もちろん司令官に彼女達を秘書艦から外す意図などなく、それが揃いも揃って役目を退こうと言うのだ。むしろ何らかの理由で自分の方が見限られたのではと考え、司令官は顎に手を当てむぅっと唸り、意を決したように翔鶴に語り掛ける。

 

 「指揮官としてまだまだ未熟な俺だが、いきなり秘書艦を退く結論に行く前に話し合えないだろうか。気になる点があれば遠慮なく言って欲しい、改善できるよう努力するつもりだ」

 「そ、そんなっ! 気になる点だなんて……。司令官ほど私達艦娘のことを思いやってくださり、それでいて確実に戦果を上げる方はいらっしゃいません! 先日の戦いだって……貴方がいなければ、きっと……」

 

 即座に反応した翔鶴は驚きを満面に浮かべ振り返り、慌てて司令官の言葉を否定する言葉を重ね始める。ならどうして……と司令官の疑念は晴れず、堂々巡りのやりとりが続いた後で、ようやく翔鶴が口を開いた。

 

 「大淀さんが復調された以上、あの人が秘書艦になるものだと。私は……ううん、私達三人が束になっても、彼女の処理能力には及びませんので……」

 

 そういうことか、と司令官は納得した。確かに大淀の情報処理能力は群を抜いて優れている。艦隊司令部機能を有することも関係しているのだろうか。だからといって――――。

 

 「君達を秘書艦グループから外すなんて考えたことは無い」

 「ほ、本当ですかっ!? ……でも、君達、なんですね

 「ああ、そうだ。……君は特に、だ

 

 ぱぁっと笑顔の花を咲かせながら、少し唇を尖らせ拗ねたように小さな声で呟いた翔鶴に、眩しそうに目を細めて微笑みかけた司令官は、滑らかな銀髪が飾る頭をぽんぽんとし、業務に戻る。去っていった手の重さを確かめるように、自分の頭を押さえていた翔鶴も、えへへ、と嬉しそうな表情で秘書艦席に戻る。お互いぼそりと言い添えた小さな呟きは、お互いの耳にちゃんと届いていたようだ。

 

  --大淀もそこまで復調したか……。

 

 司令官はここに至るまでの道のりを一人思い出し始めた。

 

 

 地獄のようだった上ノ根島から生還して暫く経つが、帰還組の五名の状況は大きく異なる。

 

 姉妹艦と同室になったのが奏功し、響と霧島の精神状態は安定の方向に向かっている。北上の場合は、元気を取り戻さないとおはようからおやすみまでべったりくっつく大井を振り切れない、と逆効果的な立ち直りを見せている。

 

 一方、医療妖精さんの指摘通り、大淀と明石の状態は芳しくないようだ。これまでの事情聴取を踏まえた報告を聞いた司令官は、暗澹とした表情で苦し気に頷くことしかできなかった。

 

 艦娘への生体実験、海空軍の通常戦力部隊と技術本部を追われた非主流派の技術者が独自開発した艦娘もどき(IT)、そのITを制御ユニットに用いる生体レーダー……上ノ根島で行われたこれら実験の実働部隊に、明石は強制的に加担させられていた。帰還後は那覇で業務を共に担当していた夕張にケアを頼んでいるが、明石は工廠に近寄ろうとせず自室に引き籠っている。

 

 大淀は当時の那覇泊地の秘書艦として、先任提督による艦娘の不法売却に関する情報を知るものとみられる。が、彼女の場合、帰還後の診察で解離性健忘症―強いストレスの原因となった過去の出来事や感情の一部や全てを思い出せない状態-が判明した。医療妖精さんによる催眠療法が慎重に行われた結果、症状は改善した反面その分思い詰めることが増えており、同室の香取から強い懸念が寄せられている。

 

 ここにきて那覇を巡る絵図面は朧気だが全容を示し始めた。艦娘への非合法実験を行ったH2機関、その背後にいる復権を目論む空海の通常戦力部隊、当時の那覇泊地は艦娘の供給元にされたと見て間違いない。背後の背後でこの連中と結託していたのが、当時の那覇泊地司令官で現在の佐世保鎮守府提督ということになる。

 

 「だが……一体何が目的で……」

 

 これまでの長い暗闘の末に、司令官はある確信を得ていた。佐世保の大将は金銭のような私欲では動かず、まして通常戦力部隊の下風に立つこともない。ならば一連の出来事は全て過程や手段でしかない、と。何を目指しての事なのか……? 思索を断ち切る様に、執務室のドアがノックされ、司令官が入室を許可する声を掛ける。

 

 「失礼致します。お願いの向きがあり参りました」

 

 綺麗でよく通る声だが、抑揚はない。執務机を挟んで目の前に立ち敬礼する艦娘――大淀型軽巡一番艦の大淀。

 

 長い黒髪を青のヘアバンドでまとめ、青い瞳を隠すアンダーリムの眼鏡……立ち姿はまさに有能な秘書である。ただ能面のような無表情にじぃっと見つめられ、これは聞いていた以上に深刻かもしれない、と司令官は内心で考え込む。

 

 「お願いです、私を……解体してください」

 

 は? 司令官は完全に虚を突かれ、ぽかんとしてしまった。解体は言うまでもなく人間の死と同義で、処分後に多少の資源を残しその艦娘は無に帰す。大淀は司令官の返事を待っていたが反応がないので、もう一度同じ言葉を繰り返した。

 

 「俺が了承するとでも?」

 「それだけの罪があります」

 

 過去と現在の繋がりを自己の中で取り戻した大淀だが、その結果で行き着いた答が解体(それ)なのか。しかも罪とまでの強い表現で自分を苛みながら。返答に窮する司令官を気にすることなく、大淀は自分自身に言い聞かせるように語り始めた。

 

 「拠点及び艦隊を指揮官と一体的に運用し、意思疎通を図りながら、その指揮言動を客観的に判断し、必要な意見具申により補佐、時には是正する……それが秘書艦の役目ですが、私は全うできす、そればかりか…………」

 

 大淀の声が徐々に震えだし、言葉に詰まる。眼鏡の奥に見える青い瞳にはうっすら涙が浮かんでいるようにも見える。

 

  ――刺激するな、と言われているが……。

 

 医療妖精さんの助言を思い出しながら、それでも司令官は大淀が飲み込んだであろう言葉を引き受ける。

 

 「そればかりか、艦娘の不法売却に関与した、とでも言いたいのかな?」

 

 大きく息を呑んだ大淀が、項垂れるように力なく頷く。

 

 「……忘れられないんです」

 

 『任務娘』の二つ名を持ち、秘書艦としての適性で翔鶴が白旗を上げる大淀は、艦娘の耐久力や攻撃力、艦砲の射程、航空機の航続距離、電探の索敵距離……拠点と艦隊の運用に必要な全てのデータを記憶している。そして、それらデータと同様に、だれをいつどこにいくらで……艦娘の不法売却に関わる取引の全てを彼女は記憶しているという。

 

 「全てが司令官、いえ、先任司令官のためと信じて……でも、その行き着く先が……あの島での惨劇だとすれば……私は、何を以て償えばよいのでしょう」

 

 映像記憶――大淀の高度で高速な情報処理を支える能力。視覚で捉えた情報を写真のように精緻に記憶し、本人によれば毎分六万字相当の情報を処理可能で、一度記憶した情報を忘れることは無いと言う。その優れた能力は、彼女に()()()ことを許さなかった。忘れられないなら、せめて思い出さない――それが大淀の解離性健忘症の原因。

 

 淡々とした口調に込められた、血を吐くような激情……大淀の必死の告白を前に、司令官は顔を歪めてしまう。青葉の調べた情報と、大淀の情報を突合すれば必ず答が出て、それは佐世保の大将を追い詰めうる貴重な武器となる。彼と対立する横須賀の大将あたりに情報を流せば狂喜するだろう。

 

 だが――――司令官は自問自答する。こんな戦争で誰も死なせたくない、そのために出来る事をする、それが自分の答のはず。大淀が那覇を舞台とした艦娘の不法取引に関係がないとは言わない。だがそれを罪として背負い、自らの命で贖うと言う大淀もまた犠牲者ではないのか。裁かれるべきは、佐世保の大将……いや、彼女をここまで追い込んだ人間そのものなのだから。

 

 すっと椅子から立ち上がった司令官は、威儀を正し大淀に向き合う。項垂れていた大淀も気配に気づいて姿勢を正す。

 

 「大淀、君が不法取引に関与したのは、君の中では変えられない事実なのだろう。だが君にその行為を命じた首謀者……つまり佐世保の大将を特別軍事法廷に引きずり出さねばならない。君に処分が必要なら、その時に確定するだろう。なので君の申出は却下する。以上だ」

 

 自分を許せなくなっている大淀の感情に訴えても受け入れないだろう。ならば強引で無理筋だとしても理屈で押し通すしかない、と判断した司令官は、凛とした声で一気に告げると、着席し別な報告書を手に取り読み始めた。

 

 呆気に取られていた大淀は、ふるふると首を振ると司令官に反論したが、淡々と問い返され言葉を失った。

 

 「君はそんなに死にたいのか?」

 「……………………しに、たく……ない、です……。でもこんな狡いこと、許されない……」

 「君が自分を受け入れられなくても、俺が受け入れる。今はそれでいいだろう」

 

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