海と空との間で   作:坂下郁@リハビリ中

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38. フラジャイル

 執務室のドアがノックされ、デスクワークの手を止めた司令官は顔を上げ返事をしようと口を開きかけたが、やれやれ、という表情に変わる。

 

 返事を待たずに開いたドア、すたすたと室内に入り込んできた、ブレザーを模した制服にライトブラウンの長い髪をポニーテールにした艦娘-ー最上型重巡洋艦四番艦の熊野がきょろきょろとしている。

 

 「ごきげんよう司令官、私、鈴谷を探していますの。今日は秘書艦を務めていたのでは?」

 「……ごきげんよう熊野。返事を待ってからドアを開けてほしいのだが。鈴谷なら各種資材の実棚のチェック中だが、急ぎの用事かい?」

 「いえ、急ぎというほどではありませんけど。そ、そうでしたか。いえ、べ、別に鈴谷がいないから寂しいとか、そういうことではありませんのよ、ええ」

 

 ちなみに実棚とは実地棚卸、システム上のデータと倉庫や工廠の現物在庫の差異を確認する作業となる。秘書艦グループのローテーションの谷間に、はいはいはいーっと喜び勇んで立候補したのが鈴谷だが、タイミングが悪かった。二か月に一回行っている実棚とかち合ってしまい、執務室で早朝に打ち合わせをした後は倉庫と工廠に行ったきりになっている。

 

 ぷいっと横を向いた熊野は、小さな声でぶつぶつ言いながら何か考え込んでいるようだ。熊野については、司令官には気がかりなことがあった。

 

 熊野の目を見たことがない。

 

 正確には目を合わせたことがほとんどない。着任以来演習や作戦で何度も指揮を執っているが、円らな青い瞳はいつもぎこちなくおびえたように視線を逸らしてしまう。

 

 「そろそろお昼ですし、鈴谷を誘いにきましたが、仕方ありませんわね」

 「後で連絡させようか? それか、もう少しで戻ってくる頃だと思うから、ここで待っていても構わないぞ」

 

 朝からの事務作業で固まった背中をほぐそうと、司令官は席を立ち背筋を伸ばす。執務室内のミニキッチンへと向かいながら身振りで熊野に応接のソファに座るよう示すと、インスタントコーヒーを二つ用意する。一つは勿論自分に、もう一つは熊野に。熊野は困ったような表情のまま立ち尽くしていて、司令官は手にしたコーヒーを渡そうと手を伸ばす。

 

 --ビクッ

 

 体を震わせ、すでに涙目になりながら顔を背ける。この反応……最初は緊張のせいだと思っていた。しかし時を経ても一向に熊野の様子は変わらない。事情を聴きたくても当の本人がこの調子では……。

 

 「そ、そうでしたわ! わ、私、用事があるのを思い出しました。それでは失礼します」

 

 コーヒーを持った手をさまよわせる司令官を残し、逃げるように熊野は執務室を後にした。

 

 

 

 入れ替わるように鈴谷が実棚から戻ったので、熊野が探していた事を告げた司令官だが、意外な反応が返ってきた。

 

 「そっかぁ。でもまだ書類関係終わってないからやっちゃおうよ? 熊野とはいつでもお昼食べられるし」

 

 秘書艦にそう言われては断る理由がない。切りのいいところまで終えようと、司令官は仕事を続けることにした。

 

 「そういえばね、工廠で明石さん見かけたよ。声かけようとしたらすごい勢いで逃げてったけど……」

 「明石を? そう、か……」

 

 上ノ根島からの帰還後は自室に籠り切りだった明石が工廠へ? 前向きな反応ならいいのだが……考え込む司令官を怪訝な表情で眺めていた鈴谷が、徐に秘書艦席から立ち上がる。

 

 「なーんか暗っ。悩み事なら鈴谷に話してみ?」

 「俺の悩みを解決する気があるなら、まず机に座るな。そして仕事の手を止めないでくれ」

 

 上ノ根島での特務に関わる事は、依然として多くの艦娘には秘密のまま。これ以上この話題を続けたくないと思い、司令官は話の行き先を変え、雰囲気を察したのかどうかは不明だが、鈴谷が乗っかってくる。

 

 「鈴谷倉庫で頑張ってたもーん。なのに昼休みになっても休憩もなし? ねー、間宮アイス食べたいー。たーべーたーいっ!!」

 「書類の上に横たわるなっ! とりあえず午前中にやらなきゃならない物だけは片づける。終わったら間宮さんの所に行ってもいいぞ」

 「やった! もちろん司令官のおごりね☆」

 

 一方的にアイスのおごりが決まった瞬間、鈴谷は仕事を再開する。

 

 「ねー、これ間違ってるよ、はい、やり直し」

 「む……確かに」

 「えへへー、やるでしょ、鈴谷。褒めていいよ」

 「はいはい」

 「あー、真面目に聞いてない。鈴谷、傷ついたー」

 「俺の話は真面目に聞かないだろ……」

 

 やる気にさえなってくれれば優秀なんだが……司令官は鈴谷の仕事ぶりを見て思う。実際、午後までかかるかも知れないと思っていた仕事にきっちり目処が立った。ちらっと時計を見ると昼休みも半分を過ぎた頃。

 

 「よし、鈴谷。仕事のキリが良さそうだ、間宮さんの所に行こうか」

 「あ~司令官、鈴谷をさぼらせようとしてる? 不良だふりょー」

 「嫌なら行かなくてもいいぞ?」

 「なにしてんの? おいてくよ?」

 

 すでに鈴谷は執務室のドアの辺りで、司令官を手招いている。だから俺の話も聞けよ、とは言わず飲んだ司令官は、苦笑しながら鈴谷の後を追い、間宮へ向かう。

 

 

 

 「いつ来ても何食べても、間宮さんのランチ、まじやばいから」

 「……鈴谷、椅子の上で片膝立てるな、行儀悪すぎだ」

 「ん?」

 司令官に言われ、鈴谷は自分の格好に気づく。提督側からはスカートの中が見えても不思議はない。顔を真っ赤にしながら慌てて足を椅子から下すと、鈴谷は照れ隠しのように司令官を冗談めかしてからかう。

 

 「司令官も男じゃーん? 鈴谷に興味津々? どうする? なにする?」

 

 そんな掛け合いをしながら、明石の事を思い出していた司令官はふと無口になり、その落差を鈴谷は見逃さなかった。

 

 「どしたの? 鈴谷のぱんつ思い出してんの?」

 「ん、いや、そうじゃなくて。あ……熊野の事を、なっ-ー」

 

 口を突いて出かかった明石の名を飲み込み、代わりに無意識に口に出したのは熊野の名。朝のやりとりを含め気に掛かっているのも事実だ。するとテーブルを乗り越え、目の前に鈴谷が身を乗り出し、ほとんど顔がくっつきそうな距離まで迫ってきた。

 

 「鈴谷といるのに他の女のこと考えてて、しかもそれをヘーキで言う? まじありえなくない?」

 「他の女って、妹だろう?」

 

 フンッとふくれっ面で横を向き、すねる鈴谷。ややあって司令官をジト目で見ながら尋ねる。

 

 「で、何かあったの? 聞いたげるよ?」

 

 司令官は熊野の態度について気になっている点について鈴谷に話し、コーヒーを渡そうと手を伸ばした辺りにさしかかると、鈴谷がテーブルの向こうから手を伸ばして話を遮る。

 

 「はいアウト。司令官、やっちゃったねぇ……」

 

 いつもの軽口ではなく、真面目な表情になり、アイスを食べながら鈴谷は話を続ける。

 

 「熊野は、男の人が怖いんだよ」

 

 以前曙もそんなことがあった。ということは特別警察隊絡みかと、司令官は顔を顰めてしまう。無法に振る舞っていた特警が那覇泊地から追放され随分時が経ったが、記憶は容易には消えない、ということか……司令官の推測に、あんみつを食べながら鈴谷が答える。

 

 「んー、ぶっちゃけまだ……ダメみたいってゆーか、いろいろ我慢はしてると思う。でも、熊野なりに司令官のことは信用してるみたいだけど」

 

 ……そうだったのか。それにしても一体何がそうさせているのか? 鈴谷は店員を務める妖精を呼び止め、クリームソーダを注文しながら、その問いに答える代りに言う。

 

 「本人じゃないと分かんない部分もあるしねー。司令官が自分で聞いたら……って司令官も男の人かぁ、う~ん。でも、そーいう過去のトラウマ的な? 何かって、最後は自分じゃなきゃ超えられない部分ってあるじゃん? そりゃ鈴谷も気にはなってるけど……何も、してあげられないし、無理強いもできないじゃん?」

 

 鈴谷は表現や立ち居振る舞いが軽く見られがちで誤解を受けやすいが、物の本質を理屈ではなく感覚であっさり掴む。その鋭さに驚きを隠せない司令官に、鈴谷は続ける。

 

 「司令官の気持ちは分かったけど、簡単じゃないと思うよ? じゃ、鈴谷はもう行くね。午後の予定変更しといて。ちょっと熊野が心配だから様子見に行くよ。また後でお部屋に顔出すから。あとこれもよろしく~」

 

 伝票をひらひらと目の前で動かし、言いたい事だけ言って鈴谷は立ち去ろうとする。

 

 「なっ、お前…」

 

 再びズイッとくっつくくらい近い距離に顔を寄せる鈴谷。

 

 「熊野のこと、心配してくれてありがと。こんな話するの、司令官だけだからね。ほんと、ありがと。今度は鈴谷のこと、うーんと心配してもらおっかな」

 

 じゃーねー、と手を振りながら、鈴谷は明るく間宮を立ち去っていった。

 

 

 

 「…………………………」

 

 結局熊野を見つけられなかった鈴谷は、グラウンドの端にある鉄棒の上に腰掛け、足をブラブラさせながらぼんやりと前を眺める。陸上用のトラックでは、暁、響、電、雷の四人が、お互いを励ましながら周回している。出撃や演習、遠征などの予定のない艦娘は、自主練習を欠かさない。

 

 「あー鈴谷だー」

 「やぁ」

 「こんにちは、なのです」

 「今日は秘書艦じゃなかったの?」

 

 予定のメニューをこなしたのか休憩か、六駆の面々は鉄棒に腰掛ける鈴谷を見つけ、体操服姿で汗だくのまま集まってきた。

 

 「んー、ちょっと訳ありってやつ。お子様たちには難しいかな?」

 

 水飲み場によく知っているポニーテールの艦娘がやって来たのに気がついた鈴谷は、肘を少し曲げ、伸び上がる反動で鉄棒からふわりと降りる。

 

 「……見えた?」

 「……見えてはいけないのが見えたのです」

 「Хорошо さすがにそれは……凄いな」

 「す、鈴谷、はしたないわよっ! ……ところで、それ、どこで買ったの?」

 

 鈴谷が鉄棒からふわりと降りる際、スカートもふわりとめくれ、四人に中が見えてしまうが、気に留める様子もない。

 

 「また今度遊んであげるからねー」

 

 きゃーきゃー騒がしい四人にひらひらと手を動かしながら鈴谷は鉄棒を後にする。向かう先の水飲み場には、同じく自主練習のあとなのだろう、汗ばみ上気した顔の熊野がいる。

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