海と空との間で   作:坂下郁@リハビリ中

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39. 迷子

 何かひらめいた鈴谷は口を手で隠しながら二ヒヒと笑みを浮かべ、後ろにいる六駆四人を振り返り、人差し指を口に当てシーッとポーズを取り、熊野に忍び寄る。上体を屈めて上向きに向けた蛇口から出る水を飲んでいる熊野は、背後から近づく鈴谷に気づかない。

 

 「熊野ー、元気~?」

 

 いきなり後ろから抱きついてモミモミ。むぅ? 分かってたけどこのサイズ、鈴谷の圧勝は間違いないし。

 

 「きゃぁ――――――――っ」

 鈴谷の奇襲を受けた熊野は叫び声とともにしゃがみこんでしまった。

 

 「く、熊野?そーやってしゃがまれると、手、抜けないんだけど……イヤマジスミマセン」

 

 想像以上に過敏に反応され、鈴谷は熊野が落ち着くまでしばらくの間宥め続けることになった。

 

 鈴谷の奇襲セクハラで熊野は半泣きになり、叫び声で駆け付けた六駆にもやりすぎを責められた鈴谷は、お詫びということで間宮アイスを全員分買ってきてくれるよう頼んだ。

 

 「いやー、ごめんねー。あんなに敏感だとは思わなくて♪」

 グラウンド横のベンチの上に、あぐらをかきながら座る鈴谷。

 

 「い、いえ…。ちょっとびっくりしただけですわ。驚かせてしまったかしら」

 警戒しているのか、熊野は少し鈴谷から距離を取りつつ同じベンチに腰掛ける。制服姿の鈴谷に臙脂色の芋ジャー姿の熊野、帰宅部と運動部の生徒のような取り合わせとなる。

 

 「熊野にさー、ちょっち聞きたいことがあって」

 「改まってどうしたんですの? ……まぁいいですわ、よろしくってよ」

 「熊野はさ、司令官のことどう思ってるの?」

 「どうって…。元々海軍出身の方ではない、ということを考えても、とてもよくやってらっしゃるのではないでしょうか。私たちとの意思疎通も積極的に図ろうとしてますし、まともな指揮官だと……鈴谷?」

 

 『どう』という曖昧な問いが生む予想と異なる反応に、鈴谷はかすかな苛立ちを覚えながら熊野の話を聞いている。対する熊野も怪訝な表情で鈴谷を見つめる。聞かれたことに答えたのにどうしてそんな顔なのか、という熊野の表情を見て、鈴谷は自分の苛立ちが顔に出てたのを悟った。だがもう後戻りはできない。指で頬をポリポリとかきながら鈴谷は続ける。

 

 「まともな指揮官、か……うん、そうだね。いや、ってゆーかさ、好きか嫌いか、って聞いたら、どーよ?」

 「司令官として好感の持てる方だと、と思いますわ」

 

 鈴谷の苛立ちが募る。好感か……なんか私と温度差なくない?

 

 鈴谷は昼休み中の会話を思い出す。なぜ? と思うが当事者が理由を明かさない以上、姉妹として、いや、姉妹だからこそ聞くのは避けていた。鈴谷の中でモヤモヤがどんどん広がる。

 

 「好感の持てるって方ってことは、好きってことじゃん? なら……例えば手をつなぎたい、とか思ったりしない?」

 

 瞬間、熊野の顔がこわばる。ぎこちない笑みを浮かべながら、遠まわしに鈴谷の問いを否定する。

 

 「鈴谷なら手ぇつなぎたいっていうかー、もっと過激なことでもOKだけどなー、好きな相手なら。ねぇ、何で嫌なの?」

 

 鈴谷なんて、ぱ…ぱんつ見られたよ? イヤかなり恥ずかったけど……。それに明らかに男性を怖がっている熊野が好感が持てる、とまで言うのは、それはもう司令官を好きってことでしょ? 

 

 熊野は何とか話題を変えようとするが、鈴谷はそれをさせない。押し問答がやや続き、鈴谷が失敗だな、これは……と思い始めたとき、熊野の表情が明らかにそれまでと違うことに気付いた。げ、マジやっちゃった? 熊野を宥めようと慌てて声をかける鈴谷に、熊野が唐突に話し始める。

 

 「……手をつなぐ、ですか……。この熊野に向けられた手は、頬を殴る握り拳でしたわ。それを過激な触れ合いというなら、そうかもしれませんけど」

 

 鈴谷の言葉を所々用いながら抑え気味に話してはいるが、熊野の声がだんだんと震え始める。

 

 「いくら姉妹でも、貴女に言ってないことも沢山ありましてよ?」

 

 熊野は話を続ける。その眼は暗く、目の前の鈴谷を見ているようで、別な何かを見ているようでもある。

 

 

 

 ある日先任提督に執務室に来るよう命じられた熊野。

 

 呼び出される心当たりはある。姉妹艦の鈴谷とほとんど同時に着任し、練度もどちらかが上回ればどちらかかが上回り返す、といった具合に競い合い高めあってきた。ペアで運用されることが多かったが、あの日はそれぞれ別の部隊に編制され出撃した。結果、鈴谷のいた部隊は無事作戦を成功させたが、熊野のいた部隊は作戦失敗に終わった。それも熊野の索敵ミスにより敵の探知が遅れ、とどめに熊野の大破で撤退を余儀なくされたという、ありがたくないおまけつき。

 

 

 急いで廊下を歩いていると、敬礼がなってないとかなんとか、居丈高に人を呼びつける目の前の特警の一人に、思わず溜息を零してしまった。軍人にしては小柄で、本人もそれをコンプレックスに思っているのが丸わかりのその男。戦艦勢や正規空母勢ほどではないが、スレンダーで背の高い熊野とは頭一つほどの差がある。いつも反り返るほどに背筋を無理やり伸ばし、艦娘に対して常に怒鳴り散らすので、艦娘の皆から敬遠されていた。

 

 「その溜息は何のつもりだ? 分を弁えろっ」

 「……」

 

 また始まった、と熊野はつくづく辟易した。そうやって艦娘(誰か)を見下すことでしか自分を保てないつまらない人間……こんなのの相手をして、提督に呼び出されているのに遅参しようものなら、それこそ何をされるか分かったものじゃない。

 

 「私、急いでますの。お説教でしたら用事が終わってからで――――!!」

 

 突然膝を外側から蹴られた熊野は膝を折りがくんと崩れ落ちかけたが、頭だけが勢いを止められる。首の痛みに耐え顰めた顔の真正面には件の特警の男の顔。体勢を崩した熊野のポニーテ-ルを鷲掴みにした男は、目が合った瞬間に熊野の頬を拳で思い切り殴りつけた----。

 

 

 

 「守るべき人間(相手)……いえ、軍の方ですから、共に戦う人間(仲間)と思ってましたのよ、あんな方でも」

 「……分かったから」

 「そうそう、こんな話もありましてよ――」

 「もう分かったからっ!!」

 

 鈴谷は熊野の心に不用意に踏み込んでしまったことを心底後悔した。自分で司令官に言った言葉を思い出す――何も、してあげられないし、無理強いもできないじゃん?――。だが自分がしたのはその逆で、姉妹という関係性に甘えて、何もできないのに無理強いした。

 

 ――ごめん司令官、鈴谷やっちゃったみたい……ん? ちょっち待った……。

 

 ある仮説に気づき、鈴谷の苛立ちはぶり返した。

 

 「……熊野、そんなヤツと司令官を同じだと思ってるわけ? ありえなくない、それ? 鈴谷はね、司令官の手のあったかさ、大好きだよ。知りもしないで決めつけないでよっ!」

 

 熊野の男性恐怖の理由も今なら分かるが、鈴谷は司令官を侮辱されたような気がしていた。それでもこれ以上感情の昂ぶりをぶつけてはいけない、と必死に堪えた。二人の間に、重い沈黙が横たわる。

 

 「「「「いくよ……せーのっあいす、あいす、まみやのあいす~♪」」」」

 

 そんな所に、六駆の四人が間宮アイス六個を携え、妙なメロディの歌を歌いながら戻ってきた。

 

 「……お話はそれだけですの、鈴谷? 私、帰りますわ」

 

 「熊野、アイスいらないの?」

 「あの、あのっ、アイス食べないのですか、鈴谷さん?」

 

 呼びかけに応えず、熊野はベンチから立ち上がり、グラウンドを後にする。

 

 呼びかけに応えず、話の途中からすでに立ち上がっていた鈴谷も、熊野とは反対方向に行く。

 

 

 「二人とも、泣いてたね……」

 

 

 

 「……という訳なのです、司令官」

 「熊野が『言ってないことも沢山ありましてよ?』って言ったあたりから、お話は聞こえてたの」

 「とにかく空気を変えなきゃって必死だったわ」

 

 縋るような目で訴えた電の話に、暁と雷が加えた補足--六駆の四人は相談の末、司令官に助けを求め執務室を訪れていた。

 

 彼女達なりに何とかしたい……その思いが切々と伝わる反面、自分の着任前の出来事がここまで尾を引いているのかと、司令官は鉛を飲み込んだような暗澹とした気分になる。隣に立つ秘書艦の翔鶴に『知っていたのか?』と目で問いかけたが、翔鶴は曖昧な表情で顔を翳らせ、苦し気に呟く。

 

 「特警の方々の横暴ぶりは勿論。でも個々の詳細な事情までは……。戦艦や正規空母(私達)の扱いは、比べれば多少はましでしたが、他の子を庇う余裕は……ごめんなさい……」

 

 自分に非がないことを翔鶴は悲し気に詫び、六駆の面々も嫌な記憶を思い出したように俯き涙ぐみ始める。

 

 「ねぇ司令官」

 

 いつの間にか翔鶴とは反対側の司令官の隣に来た響が、変えられない過去に対する怒りで、固く握られ膝に置かれた司令官の拳にそっと手を重ねる。

 

 「司令官なら何でも解決できるなんて思ってはいないんだ。でも……きっかけは作ってほしいんだ。私にそうしてくれたように……お願い」

 

 

 解かれた拳は掌に変わると、響の小さな震える手をきゅっと包み込んだ。

 

 

 

 とは言ったものの――――。

 

 放置できる問題ではないが妙案もない。六駆の四人が退出してから、司令官は考え込んでいた。無言を続け、時折思い出したように「どうしたものかな……」と繰り返す姿を見かねて、翔鶴は強制的に司令官を応接のソファに座らせると、自分は執務室内のミニキッチンへと向かう。

 

 「こちらをどうぞ。甘い物でも取って気分転換してください」

 

 テーブルに置かれたのは、涼やかなガラスの器に盛られたコーヒーゼリー。手頃な大きさに切り分けられた黒く柔らかな塊には、とろりとした白いソースが掛かっている。

 

 「六駆(あの子達)のくれたアイス、溶けてしまいましたが勿体ないので」

 「ありがとう翔鶴、君も一緒に食べないか?」

 「はい……実は二人分用意しちゃいました」

 

 小さく舌を出した銀髪の秘書艦は、司令官の隣に座ると頭をこてんと肩に預け、嘆息しながら思いを紡ぐ。

 

 「心を預けられる方がいるだけで、私達艦娘はどこまでも強くなれる。貴方なら熊野にそれを気づかせてあげられると……信じてます」

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