04. 通り雨
早いもので司令官の着任からすでに約一ヵ月ほど経とうとしている。着任直後から対立関係になった特別警察隊だが、不思議とその後沈黙を守っている。このまま黙っている事はないだろうが、着任したてで万事目まぐるしい司令官にとっては、そのような暗闘に力を注がずに済んだ事は助かっていた。
そんなある日、司令官は早朝からデスクで考え込んでいる。今後のことでいろいろ不足があるのは明らかだ。事実、未消化の任務が積み上がっている。
着任してから取り組んだのは、まず全員と話し合う時間を設けたこと。訓練中にメンタルケアの重要性、特にPTSD対策と実例に基づくハラスメント防止は繰り返し講義を受けていた。が、事実は小説より奇なり、皆に話を聞く限り、この泊地では様々な虐待が横行していたようだ。司令官は魔法使いではなく、彼女たちのその傷を一瞬で癒せたりはしない。ただじっくり話を聞きくことしかできなかった。
さらに目の前にある火急の課題は資源不足。最低限基地機能を維持できる程度の資源と資材で、文字通りゼロから鎮守府運営を余儀なくされていた。この財政で養わねばならない艦娘は三〇名程度。練度は、ある程度の艦娘が第一次改装以上第二次改装未満、あとは着任時期にもより多少の差はあるが総じて低い。そして司令官の着任以来、新たに着任した艦娘は…ゼロ。
過去に那覇泊地で起きた事実はすでに艦隊本部に報告済だが、司令官は報告したからと言って、劇的に事態が好転する思うほど『軍』を信じていない。今頃艦隊本部では、現状と書類のつじつまをどう合わせるか知恵を絞っている事だろう。そして今に至るまで状況に変化はない。いや、多少の変化はある。悪い方にだが。
那覇泊地向け定期補給便が
兵糧攻めで根を上げさせる…あのいかすけない特警小隊の隊長が好きそうなやり口だな、と司令官が考え込んでいた所に、ドアがノックされる。こちらの返事を確認した後、静かにドアを開け、今日の秘書官を務める扶桑型戦艦一番艦の扶桑が入室してくる。
「おはようございます、司令官。艦隊本部から手紙が届いております。はい、こちらです」
扶桑はそう言いながら、胸元から手紙を取り出す。なぜそこに…と突っ込みたい気持ちを抑え、平静を装い手紙を受け取る。扶桑の体温でほんのり暖められたその手紙は、確かに艦隊本部印で封されている。司令官はペーパーナイフで封を切り、中身を取り出す。
「扶桑はそこのソファにかけていてくれ。とりあえずこの艦隊本部からの手紙…というか指令書を先に読むよ」
「かしこまりました」
「どうしました、司令官? 何か悪いことでも…?」
「新しい任務が二つ、特務の類だな。一つ目は、達成報酬資材四種各一万トン。でも、いったんこれは保留にする」
「す…すごいです、司令官っ! 私、そんな単位の資材、今まで見た事がありませんっ。あ…でも、それだけ大量の資材、保管しきれるのかしら…弾薬庫がちょっと心配です…」
扶桑は目を白黒させながら、驚き、喜び、最終的には不安を口にしたが、司令官の結論に表情を変える。
「えっ、保留…ですか? ということは司令官、私達では達成の難しい作戦なのですか?」
「いや、達成条件はたった一つしかない」
「なのに、司令官はあまり喜んでいるようには見えませんが……なぜでしょう?」
確かに
「………喜べないのは、行方不明の艦娘たちの捜索依頼を取り下げる、という条件付きだからさ」
指令内容を聞かされた扶桑は、頭に血が上るのを感じ、我知らずテーブルに両手をつき身を乗り出しながら声を荒げるのを止められなかった。
「なっ!! ……し、司令官は、どうされるおつもりなのですか?」
「先手を打たれた、というのが正直な感想だ。こちらに十分な証拠が揃う前に、兵糧攻めの後に懐柔に乗り出してきた、ということだろう」
扶桑の目が暗く曇りはじめる。司令官は、この申し出をどうするつもりなのだろうか。先任提督が自分たちに何をしたのか…扶桑自身はまだいい、欠陥品と罵られ無視され放置されただけだ。だがオークションに出されたり、無理な出撃の果てに沈んでいった仲間たちのことを思うと…。彼の対応によっては、私は…。司令官は扶桑の座るソファへと移動し、思いつめる彼女を現実に引き戻すように語り始める。
「俺が今切実に欲しいのは、時間だ。資源はいずれ回復できるし、君たちの練度向上にも必要だ。何より、先任提督と戦うのに必要な二つのものを揃えられる」
「二つの…もの、ですか?」
「軍という組織はどんな時も建前と書類で動くんだ、扶桑。言い換えれば、その二つを揃えられれば、意外と無茶ができるもんだよ。ただ問題は、それを用意する時間をどう稼ぐか…」
扶桑は司令官の言葉を受けて考え、理解した。先任提督を追及する材料、こちらには山のような証言はあっても決定的な証拠はまだ揃っていない。今これ以上騒ぎを大きくしても、大将にまで上り詰めた先任提督に握りつぶされるだろうし、艦隊本部もいい顔はしないだろう。その悪影響は確実にこの泊地に跳ね返ってくる。それでも、司令官ははっきりと『先任提督と戦う』、そう言ってくれた。ただそのために時間が必要だ、とも。
扶桑は、自分の司令官が、正義感と現実感を併せ持つ男性であることを誇らしく感じていた。でも、この人は、自分の保身だと安全だとか、そういうことを度外視している。なぜそこまで私たち艦娘に肩入れするのか? いやもちろんそれは嬉しいし、感謝もしている。艦娘としてこの人のためなら戦える、信じて、いい…そう思い始めた。とはいえ、そんな風に上層部に楯突くようなやり方が上手くいくのか?
けれど―――。
目の前で顎に手を当て考え込む一人の男性を見ていると、ふつふつとある思いが浮かんでくる。国を守り国民を守るために再び甦ったこの身である。だが肝心の軍がこの有様だ。もし、自分たちがこの司令官とともにあげる声が、軍の在り方に一石を投じられるなら、どうせ失うものは何もない自分達だ、万が一事破れ処罰されることになっても怖くない。
それでも、ひょっとしたらこの人なら、この人と一緒なら何かを変えられるかもしれない…扶桑は自分に芽生えた気持ちは心に秘めながら、司令官と一緒に、艦隊本部への返事を引き延ばす口実を夢中で話し合っていた。
「コンコーン。何度もノックしたんだよ。でも返事がないから入室してるんだけど、構わないよね?」
ハッとして司令官と扶桑が同時に執務室の入り口を振り返ると、見慣れない艦娘が立っている。
「僕は白露型駆逐艦、『時雨』。本日付でこの泊地に来たよ」
扶桑から『知ってたのですか?』と視線で質問されるが、司令官もまったく初耳の人事だ。無言のまま首を横に振ることで扶桑の疑問に答える。赤いタイ付の制服は、時雨の練度が第二次改装済であることを示している。この練度の高さは、どの拠点にとっても重要な戦力となる。だが、こんな高練度の艦娘をやすやすと手放す拠点があるというのか?
時雨は珍しそうに執務室をキョロキョロ見回した後、司令官のデスクへやってきた。デスクの上に腰掛け、書類を眺め、一瞬だけ目を伏せ、何事もなかったように、ソファに座る扶桑へと向き直り、話しかける。
「……この鎮守府にも扶桑がいたんだね。でも僕の知ってる扶桑とはずいぶん違ったから最初は分からなかったよ」
いくぶん揶揄するようなニュアンスの時雨の口ぶりに、扶桑が露骨に嫌な顔をする。
「…そうね、私の知っている時雨も、どこか不思議な娘でしたが、少なくともそんな喋り方はしませんでした」
言い返しながら扶桑はソファから立ち上がり、時雨に近づく。
艦娘が現界する形態は大きく二つ。古神道に道教の陰陽五行思想や、密教などの秘儀を習合し体系化された技術により召喚される船魂を、あるいはドロップと呼ばれる、戦闘海域で稀に回収される艤装とそこに宿る船魂を、建造により素体に定着させる。そうやって現界する艦娘だが、在りし日の記憶をベースに、環境に応じて独自の個性を備えた別の艦娘として生き、同時に同じ艦娘が存在できる。扶桑も、時雨も、もちろん他の全ての艦娘も。
「『西村艦隊は任務』だって、僕が元々いた鎮守府の提督は言ってたよ。扶桑も山城も、最上も満潮も山雲も、みんな勇敢に戦って沈んだ。でも今僕の目の前にいる『扶桑』、君は…違う。さっき君がその司令官と話をしていた姿、なんだい、あれは?ただの『女』の顔だったよ。その司令官もまんざらそうじゃ―――」
「無駄口はそろそろ止めにしたらどう? これ以上司令官への無礼は許しませんよ」
赤い瞳が冷めた光を放ちながら扶桑は詰め寄るが、時雨はここではないどこかを見ているような目で、話を止めようとしない。