時雨が輸送船団に合流した時点で、すでに敵の第一波攻撃は終了していた。やはり敵空母が展開していた。一隻が機銃掃射を受け炎上するも消火に成功、ほか二隻が至近弾を受け速力低下。必死の回避運動が奏功したのか、この程度の被害で済んだのは幸運といえる。
泊地の作戦司令室で報告を受けた司令官は、次の指示を出そうとするが、通信越しの時雨の声は諦めと決意の両方を感じさせるものだった。
「司令官…分かったよ…って言いたいところだけど、ちょっと帰りは遅くなりそうかな…帰れたら、だけど。電探に感あり、敵第二波、一〇…いや一五機。時雨、これより対空戦闘に入るよっ!」
「時雨さん……大丈夫かな………?」
不安を隠せない由良の声。由良だけではない、誰もが不安に押しつぶされそうな気持だ。
◇
「さぁ、ここは譲れない」
一三号対空電探と高射装置付一〇cm連装高角砲を装備する時雨は、的確な照準で次々と深海棲艦の攻撃機を撃墜する。時雨を頼りとして必死に泊地を目指して逃げる輸送船団からも歓声が上がるが、やはり駆逐艦一人での援護には限界がある。時雨の対空砲火から逃れた敵機が、また一機また一機と輸送船団に迫り、さらに一隻が炎上、残り二隻も至近弾を受ける。全ての輸送船が損傷を受け、行き足がガクンと落ちる。時雨自身も決して無傷ではなく、射撃精度も回避運動も鈍くなってきている。
「!! 電探に新たな感ありっ!? 第三波? みんなーーーっ、逃げてーーーっ」
必死に叫ぶ時雨の脳裏には、往時に、そしてこの世界で、繰り返し体験した西村艦隊の最後の姿が、そして司令官の机の上にあった大本営の指令書がフラッシュバックする。敵の第三波に抗する力は自分には残っていない…時雨は自分の運命を受け入れるように、つぶやく。
「最後に司令官のために戦えて、よかったよ」
時雨の電探がとらえた第三波。それは第二艦隊に帯同している軽空母祥鳳から放たれた零式艦上戦闘機の姿だった。
「お待たせしましたっ! 祥鳳航空隊、これより船団を護衛しますっ!!」
敵機を蹴散らす零戦隊をぼんやりと眺めていた時雨は我に返り、傷ついた体にムチを入れ、零戦隊とともに輸送船団の護衛に加わり、敵第二波を全機退けることに成功した。
泊地を必死に目指す一行。やがて、左舷後方より接近する艦娘達-神通を旗艦とし、睦月、如月、そして祥鳳で構成される第二艦隊と無事合流に成功した。
「第二艦隊旗艦を務める神通です。よく一人でここまで戦い抜きましたね」
時雨は、返事をするかわりにコクコクと頷く。もはや喋る気力も尽きかけている。
「敵の軽空母はすでに撤退、これは捨て置いて、私たちは接近中の敵を相手として、これを叩きます! …まだ、動けますか? ならばこの神通の指揮下に入ってください」
敵の軽空母は攻撃力を失いすでに逃走中。しかし、接近中の敵本隊を叩かない限り、輸送船団はやがて追いつかれ、沈められる。気力を振り絞り、時雨は答える。
「やるよ、僕は」
「その意気やよし、です。祥鳳さんは輸送船団を護衛しながら那覇泊地へ。第二艦隊水雷戦隊、神通に続いてくださいっ!」
第二艦隊水雷戦隊は最大戦速で敵艦隊を目がけ突き進む。速力全開の反航戦、その相対距離は目に見えて縮まり、一歩間違えば正面衝突である。
「合図と同時に面舵一杯、すぐに右舷魚雷全門斉射!」
敵艦隊へ肉薄する四人は、先頭を行く神通の合図と同時に左へ大転舵、遅れることなく魚雷斉射。一瞬のすれ違いざまに、駆逐艦一轟沈、駆逐艦一中破、軽巡二を大破と小破に追い込むことに成功した。神通たちは敵を深追いせず、そのまま泊地方面へと一気に遠ざかる。
「…殲滅、とはいきませんでしたか。それでも、あの状態では敵の追撃はないでしょう。今は輸送船団の護衛が優先です。全員両舷全速っ」
神通は号令を発し、輸送船団との合流を急ぐ。
◇
「輸送船団から入電。貴泊地の救援により虎口を脱す。深甚なる感謝を捧ぐ、とのことっ!!」
「作戦成功です、司令官っ!榛名、ほんっっとうに感激ですっ!!」
弾む声で由良が告げ、言葉の通りの面もちで榛名がはしゃぐ。司令官も、安堵のため息をつく。大きな損害は受けたものの一隻の輸送船も失わずに作戦を完遂できたのは成功と言ってよいだろう。他の艦娘たちからも歓声があがる。
「由良、輸送船団を誘導してくれ。扶桑、山城、翔鶴、君たちがこの作戦成功の最大の立役者だ、心から感謝する」
司令官はそう言いながら、目の前にいる三人に頭を下げる。
「し、司令官ともあろうお方が艦娘に頭をさげるなど…」
翔鶴が慌てて制止する。扶桑はみるみる涙目になり、山城は顔が赤くなったのを見られないよう、司令官に背を向ける。
綱渡りだった。限られた時間、限られた戦力の中で、司令官が立てた作戦のカギを握っていたのは、扶桑姉妹と翔鶴。粘り強く単艦で防空戦闘にあたった時雨と敵艦隊を撃破した第二艦隊の殊勲は大きなものだ。だが、扶桑姉妹が瑞雲を、翔鶴が二式艦上偵察機を、それぞれ大量投入し濃密な哨戒網を形成、艦隊の『目』として敵艦隊の規模と位置、中でも敵航空戦力は軽空母一隻であることをいち早く特定し、安全な退避航路の選定、第二艦隊の誘導を適確に行ったこと、それが作戦の成否を決したと言える。
-今度は誰も失わずに済んだ。
司令官は居ても立ってもいられず、港へと向かう。
◇
輸送船団救援作戦発令の際、多くの艦娘が不安な表情を浮かべた理由、それは先任提督が、かつて
時は流れ今、当時に比べ戦力は大きく劣る泊地に迎えた新たな司令官。
劣勢を作戦でカバーし、輸送船団の救援を成功させた。その功を誇るどころか、真っ先に艦娘に対し礼を言う。さらに、帰投する艦隊を港まで迎えに行くと言い出し、作戦司令室を出て行ってしまったのだ。慌てて榛名が、遅れて他の艦娘たちと工廠の妖精さんたちも後を追いかける。
突堤で輸送船団と第二艦隊の帰投を待つ司令官と榛名。
輸送船団は那覇泊地で船の応急修理と怪我人の手当を行った後、本修理のため中城湾にある通常戦力部隊が駐留する沖縄海軍基地へと向かう。沿岸沿いに進み喜屋武岬を経由する短い航路だが、念のため駆逐艦娘を護衛につける予定だ。
水平線に六隻の船団と、それを取り囲む艦娘たちの姿が見えると突堤に歓声が上がる。榛名はこっそりと誇らしげに司令官を見上げる。
長身で細身、軍人にしては長い髪。自分が知っているタイプの海軍軍人とは違う…。的確で果断な作戦を素早く立案し実行に移したのは、才能とかセンスとか、そういう事じゃない。潮の香りのしない不思議な司令官、でもこの方は、きっと
気が付くと司令官に見られていた。見ている事を気付かれた上に、見られている事に気付かず見続けていたなんて―――。
「やだ、こんな…榛名は大丈夫…じゃありません」
目と目が合ったとたん、顔を真っ赤にして慌ててうつむきながら榛名が小さな声でつぶやく。
-はるなさんがたいはしています
-にんげんのことばで、あれは『おちた』というじょうたいのようです
―ふれんどりーふぁいあはほどほどにしたほうが。
駆けつけた妖精さんたちも、半ばあきれ顔でヒソヒソと囁き合う。
◇
「…おかえり、よく無事に帰ってきてくれた」
帰投した第二艦隊の面々は、司令官が自分たちを迎えに来てくれたことを理解し、みな喜びをそれぞれの方法で表現する。
「帰りを迎えていただけるのは、こんなに嬉しいものなんですね」とさわやかに笑顔を見せる神通。
「おぉー、睦月、感激ぃ!」と素直に喜びを表現する睦月。なんか猫っぽいな。
如月は「司令官ったら…好きよ♡」と、小悪魔っぽくいたずらに言う。
「司令官…やりましたっ!! 私、これからもがんばりますっ!!」と興奮気味な祥鳳は、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
鎮守府で待機していた艦娘達と無事に任務を果たし帰投した艦娘達。突堤は再会を喜ぶ笑顔と歓声であふれている。
そんな輪に入るのをためらうように、おずおずと近づいてくる艦娘-時雨だ。
「司令官……」
浅瀬に立つ時雨。服はところどころ破れ露出した白い肌には火傷と傷が目立ち、艤装もあちこち損傷している。司令官からの言葉を待つ姿は、不安げな子犬のようにも見える。沈黙を守っていた司令官が問いかける。
「なぜ、勝手に飛び出していった?」
「怒ってるの? 言っただろ、僕は君の望むことなら何でもするって。それに、死んでもよかったんだ…」
「……そんなことを俺が望むと思うのか? もし、本当に俺の望むとおりにしたいなら………何があっても必ず帰ってこいっ!! 俺は…部下を失うのは…二度とご免だ」
司令官の言葉を聞いた時雨は、その場に立ち尽くし、ボロボロと大粒の涙を流しながら、大声で泣き出した。
「司令官、僕は、僕はここにいてもいいのかい? 本当にいいの?」
司令官は泣きじゃくる時雨に答える代わりに、突堤から浅瀬に降り、海水が白い軍服を濡らすのも気にせず時雨に歩み寄り、彼女の頭をなでながら、眩しそうに目を細めながら笑みを浮かべる。
「にゃにゃっ。あれはなんとっ!」
「いいなぁ…時雨さん」
「次は私もやってもらおうかしら」
時雨を安心させようとした司令官の無意識の行動だったが、艦娘達を大いに刺激したようだ。かくして、遠征や出撃の際は司令官が出迎えることが定着してゆくのだが、そんな騒がしい周囲を知らず、司令官は時雨を迎える。
「おかえり、時雨」
「…初めて僕の名前を呼んでくれたね。ありがとう…」
そこまで言い、時雨は糸の切れた人形のように、意識を失い司令官にもたれかかる。戦闘がもたらしたケガ、出血、極度の疲労と緊張、ついに限界を超えたのだろう。
「救護班っ!! 時雨が意識を失った、大至急入渠の手配をっ!!」