今年一年、東方扇仙詩を閲覧いただき、誠にありがとうございました。
来年もこの物語にお付き合いいただければ嬉しゅうございます。
皆々様方、良いお年を。
オレは走った。
必ず、かの桃色仙人の女から逃げおおせねばならぬと決意した。気持ちだけならば少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。野を越えて山を越えて、どこまでも道なき道を突き進む。
ただし、限界も早かった。
そもそも夜型の人間が日中に全力疾走するなど苦行でしかない。これは酷い。
「ぜぇ……ぜぇ……おえっ」
案の定、スタミナ切れを起こして崩れ落ちる格好で道端に転がった。ご安心ください、吐いてませんよ。
人里からどのくらい離れただろうか。幸いにも、待てど暮らせど追手の姿はなかった。フッ、勝った。
ダサいことに身体中が悲鳴を上げていやがる。運動不足のつもりはないが、いかんせん無理をし過ぎた。仰向けのまま大の字に両手両足を伸ばす。視界一杯に夏色の青空が広がった。
「あーくそ、ダメだ動けねェ……」
緩やかな傾斜になっている草原。青春ドラマにでも使われそうなロケーションに居た。下り坂の麓あたりから清涼なせせらぎが聞こえてくる。
荒い呼吸はしばらく収まりそうもない。汗で衣服が張り付いて不快だった。唯一、涼しい風が吹くのが救いといえた。
ところで、何故にオレはこんな運動部みたいなマネをさせられているのであろう。いや、全てあの早とちり仙人が悪い。オレは悪くねェ。ありゃ不可抗力の事故だろうが。バッチリ見ちまったのは認めるけど、別にガン見したワケじゃねーぞ。って、一体オレは誰に言い訳してんだ?
まぁいい。もう少し休もう。どうせ他には誰も――
「ぐー……すやぁ……」
居たらしい。
「………oh」
怠い身体で起き上がりそちらを見やると、
若い女だ。先のろくろ首に続いて二人目の赤い髪。こちらは左右で二つ結びにしてあるものの、ツインテと呼ぶには些か短かった。髪を下ろしてもせいぜいセミロングくらいだろう。
女性の中では背丈がある方か。さらに、華扇に負けずとも劣らない豊満な膨らみが衣服を押し上げていやがった。紺色と白を組み合わせた和服モドキの装束を黒い帯で締め、その上をなぜか小銭付きの紐で留めている。どういうセンスしてんだ、コイツ。
「むにゃむにゃ……」
盛大に眠りこけていても女としての矜持は残っているのか、いびきや鼻提灯は見受けられなかった。とはいえ、組んだ両手を後頭部に敷いて、いかにも三つ葉を咥えていそうな寝姿には逞しいものを感じる。男前なやっちゃな。
こんな場所でうら若き乙女(もはや慣れたが結構な美人)が無防備に昼寝している様子を晒して、色々と大丈夫なのだろうか。が、彼女の傍らにあるブツを見てしまえば、そんな邪な考えは跡形もなく消し飛んだ。
「うぉい、何やねんコレ……」
件の女の身長とほぼ同等の長さの得物。湾曲した刃が鈍い光を渡らせる。一目見ただけでもゾッとする、禍々しい大鎌が横たわっていた。
異議なし且つ弁解の余地なし。この女、誰がどう見ても死神である。そういえば、いつぞや華扇から仙人について聞いたとき、死神に関してもどうたら言っていたっけか。マジで出やがった。
しかしながら、コレを見ちまったら最後、巷に溢れる死神のイメージが覆されると言わざるを得ない。漆黒のローブにフードを被った髑髏アタマかと思いきや、現実はご覧の通りの有り様。そして、もはやツッコむまいと思っても言わずにはいられない。
なんだこの女子レベルの高さ。ラブコメの世界みてぇだなオイ。一体主人公はどいつだ。
「う~ん……んぅ?」
声に出さずにツッコんだのだが、こちらの視線を受けたせいか女が目を覚ました。
寝ぼけ眼でのっそり起き上がると、「んーっ!」と大きく背伸びをしてついでに欠伸も一つ。それから瞼を擦ると、ようやくオレと目があった。
死神女が呑気に尋ねてくる。
「誰だい、お前さん?」
「そらこっちが聞きてぇわ」
思わずそう返してしまった。幻想郷に招かれてからツッコミ役になりつつある気がする。いや待て、状況に流されるな。オレは夜に生きる男。クール&スタイリッシュにいかねば。
それにしても、とても魂を刈り取る輩とは思えないのんびりした態度。飲み屋に行けば誰とでも打ち解けてしまいそうな、気さくな印象を受ける。だが、そこの物騒なブツが彼女の持ち物なのは間違いあるまい。
赤髪の女はその場に胡坐をかいてオレに向き直ると、にひっと笑ってみせた。
「じゃ、今から自己紹介しよっか。あたいは小野塚小町。しがない水先案内人さ」
「こりゃご丁寧にどーも。オレは黒岩と呼ばれている。夜に生きる何でも屋だ」
「夜に生きるって、今昼じゃん」
「不本意かつ複雑な事情があんだよ。そう言うお前こそ船頭気取りみてぇだが、ソレがあるってこたぁ死神なんだろーが」
刃が剥き出しで野ざらしにされているデカい鎌を指差す。あの世からのお迎えの象徴としては最たるものだろう。それも天ではなく地の方から来た者として。
オレが示す先を目で追った小野塚小町とやらが、納得した表情を浮かべて肩をすくめた。
「確かにあたいは死神だけど、そっちの担当じゃないよ。あたいの仕事は、あくまで魂を三途の河の向こう岸まで運ぶこと。自分の船でね。だから船頭というのも間違いじゃない」
そう言ってカラカラと陽気に笑い飛ばしてみせる。
つーか担当部署あんのかよ。まるっきり会社じゃねーか。かなり昔に観たドラゴンボールでもそんな感じだったが、死神ってぇのはあの世の公務員なのか。就職率高そう。
そんな具合で地獄とはまるで無縁そうな女子が、楽しげにオレとの距離を詰めてくる。近ぇよ。どっかの仙人を思い出すだろうが。
「これも何かの縁ってやつだね。ちょうど休憩時間だったんだけど、手持無沙汰で暇してたところでさ。ちょいと話し相手になっておくれよ」
「あ? 休憩中だぁ?」
「そ、休憩中」
休憩というフレーズを繰り返して頷く赤髪の女。
死神が休み時間とは平和なもんだ。ひょっとすると、桃色の仙人サマが言っていたサボりの死神ってコイツのことなんじゃねーのか?
その女は話し好きな性格だった。まるで立て板に水を流すような勢いで、彼女の身の上話が続いた。
小野塚小町は幻想郷を担当する死神であった。されど肝心の幽霊が無口なため話し相手が務まらず、船の上では一人語りばかり。その一方で、彼女の上司はとんでもない説教好き。一度始まると終わりが見えなくなると愚痴を零していた。説教と聞いてオレまで頭が痛くなってくる。類友ってか。
ついでに、かつて幻想郷中の花々が季節ガン無視で咲き誇る異変があったことも聞かされた。魂が溢れて輪廻が云々とか解説もされたが、一言だけ言わせてもらおう。なるほど、分からん。
やがて死神少女がひとしきり話し終えれば、必然的に今度はオレの話題に移り変わる。
「で、なんでお前さんはこんな所にいるのさ? 彼岸に行きたいなら別の道だよ」
「とある理由で説教バカの仙人から逃げてきたんだよ。来たくて来たワケじゃねェ。気付いたらここまで来ちまっただけだ」
「あー……あいつかぁ。うちの上司といい勝負だよ? あの説教好きときたら。いやはや、お互い様で嫌になっちゃうね」
おどけるように小町が大げさなリアクションをとってみせた。やはり知り合いだったか。
ところで死神の上司って誰だ。もしや魔王あるいは閻魔大王か。しかも、そいつも女の予感しかしないんですけど。
「って、今彼岸とか言わなかったか?」
「そうだよ。あれ、お前さん知らなかったのかい?」
きょとんとした顔で返される。
聞けば、生きている人間も三途の河へ歩いて行けるというデタラメっぷり。妖怪の山の裏側、中有の道を通ると件の場所まで繋がっているそうだ。駅から徒歩五分みたいな軽いノリで言える方も大概である。ま、死神だから仕方ない。
もっとも、死者の通り道にわざわざ足を運ぶとかオレだったら御免被る。
「それよりもお前さんの話も聞かせておくれよ。外来人なら『外』の世界の面白いネタの一つぐらいあるんだろう?」
「どうだかなぁ。笑い話は少ねーぞ」
期待の籠った眼差しを向けられる。実際は少ないどころか、人に聞かせられる類いの面白エピソードなんて持ち合わせていない。
無論、繁華街で何でも屋として生きていくのは一筋縄ではいかなかった。ドン底の最底辺から這い上がってくるような日々。今のオレに至るまで、それはもう幾つものヤマを越えてきた。
楽しかったかどうかはさて置き、そういう意味では多少なりとも充実していたと思う。
そこには確かに生きている実感があった。「オレ」という存在を証明できた。不良グループやヤクザ紛いのチンピラ連中が関わってくる危ない依頼になるほどに、その感情はより一層強くなる。
ギリギリのスリルが、命を張る瀬戸際が。そして、失うものがない己だからこそ実行できるという自負が、この身体を駆り立てた。
自分にしかできない依頼を引き受ける、フリーランスの何でも屋。それこそが他ならぬオレの個性であり、同時に、有象無象に埋もれてなるものかという叫びでもあった。
別に死にたがりだったワケじゃない。だが、少なからずオレも狂っていたのかもしれない。まったくもってオチもなければ救いもない、どうしようもない話だ。
八雲紫と出会った時のように、初対面の相手にそんなコトまで喋ってしまっていた。場の空気が辛気臭くなる。何やってんだ、オレは。
気分転換に小さな水流にまで近付いて頭を冷やす。綺麗な水で顔の汗を洗い流していると、背中越しに小野塚小町の声が聞こえた。
「お前さん、碌な死に方しないだろうね」
「だろーな。天国なんてオレには眩しすぎるってもんだ」
憐れむトーンにはあえて気付かないフリ。というか話題を蒸し返すなよ。あとで思い返した時に恥ずかしくなるだろ。
しかし、死神に言われると説得力が半端じゃないわな。地獄に落ちるほどの大罪を犯した覚えもないが、決して褒められた生き方はしてこなかった。ったく、まともじゃねーよな。
ま、何でも屋などと名乗っちゃいるが、それで誰かのために生きたことなんざ――
『あなたの仕事は、困っている人を助ける立派な仕事なんでしょう? そういうところ、私は尊敬しているんですよ。綿間部、引き受けてくれますか……?』
「…………」
「どうしたのさ?」
ふいに思い出した。いつぞやあの女に言われた、何てことない会話の切れ端が記憶の映像となって表れる。報酬次第で依頼を引き受ける。ただそれだけの仕事だと、そう思っていた。けれど、そういう見方もできるらしい。
やれやれ、そんな大それたモンじゃねーんだけどなぁ……どういうワケかあの女が絡むとどうにも調子が狂ってしまう。どうなってんだか。
濡れた顔のまま、死神少女に向き直る。タオルやハンカチを持ち歩くような几帳面ではない。この程度なら自然乾燥で良いだろ。
フッとニヒルに笑い、夜に生きる男らしく気障に答える。
「何でもねぇよ。どのみちオレ自身が地獄だ。とっくに落ちるとこまで落ちているってな」
「へぇ……」
ただし、どうやらその一言は彼女にとって禁句だったらしい。
その身に纏う雰囲気がガラリと変わった。相棒の大鎌を携えながら、死神が立ち上がる。
「人間風情が一人で地獄を名乗ろうなんて、死神も舐められたもんだねぇ」
「何だ、気に障ったか?」
「いいや。ただ、ちょーっとお灸を据えてやる必要はありそうだと思ってねぇ。寿命を延ばすのも大罪だけど、死にたがりってのも辛気臭くていけない。それに、命を粗末にするのは罰当たりってもんだろう?」
陽気な笑みは変わっていない。にも拘わらず、声色は冷たく化していた。もしやこれは俗にいう地雷ってヤツではなかろうか。僅かに背筋が凍る。そもそも死にたがり違うと言ってんだろ。
そう訂正したところで目の前の相手は聞く耳を持つまい。飄々としながらも見せつけるように大鎌を弄んでいやがる。フッ、これあかんやつや。
とはいえ、お灸を据えてやると言われてハイそうですかと受け入れる筈もなし。生憎と、こちとら説教も折檻も間に合っているのだから。
「本当ならあたいの仕事じゃないんだけどね。たまには死神らしいマネするのもありかな」
「あーそうかい、そら仕事熱心なこって。さぞかし上司も鼻が高いだろーなぁ?」
「あ、やっぱりそう思う? これなら多少のサボりは大目に見てもらえるかも」
「って、サボりかい」
物騒な状況とは正反対に、オレと死神は他愛のない軽口を交わした。なお、休憩は自主的なものだった模様。サボりと自覚しておきながらこの堂々たる佇まい。さすが死神である。
禍々しく曲がった刃がこちらに向けられる。当たれば即死の威力を兼ね備えているのは想像に容易い。
「心配しなさんな。なにも命までは取らないよ。ほんの少しだけ痛い目に遭ってもらうだけ。そうすれば、死ぬことがどんなに恐ろしいことか身を以って知るだろう? 『限りある命、大事にしましょう』っていうお勉強の時間だと思って受け入れなよ」
「そういう気遣いならノーサンキュー……つっても遅いか」
諸君、本物の死神を前にして安易に地獄を語るなかれ。脅しでも冗談でもドッキリでもない、偽らざる本気なのだとその瞳が語っている。
というかさぁ、死なない程度に手加減しながら相手をいたぶるとかドSかコイツ。峰打ちだから安心――なワケあるかい! あんなリーチの長い棒切れ(下手すりゃ鉄製)で打ん殴られたら一発で骨まで達するわ!
さて。本日のオレのスケジュールには死ぬ予定も殺される予定も入っていない。当然、死神女にボコられる予定も。だったら、どうにかしてこの場を切り抜けるしかないだろ。お前こそ、夜の繁華街を生き抜いてきた何でも屋をナメんじゃねーぞコラ。
小野塚小町が得物を掲げ、さながら大道芸人のような華麗な手さばきで回していく。得意げな顔が若干腹立たしい。コイツもドヤ顔しやがってからに。
再び凶器を構え直し、黄泉の使いがハッキリと告げる。
「お前の魂いただくよ!」
ってオイ!? やっぱりタマ取る気満々やないかーいッ!
つづく
今年ラストの投稿でヒロイン不在という無念
来年もよろしこ