「要らん」
「あぁん」
纏わりつく悪女を引っぺがす。肩を掴んで押し返したときにエロい声されたが気にも留めない。逆に興醒めしたといってもいい。
『ねぇ……わたくしのモノになってくださらない?』
フン、と鼻を鳴らして青髪の女を見据える。
「そーいう依頼ならお断りだ。オレは誰かの所有物に成り下がるつもりはねーよ」
男を惑わす色香で籠絡する算段だったのだろう。が、生憎と逆効果でしかなかった。
打算に塗れた色仕掛けなどオレには通用しない。繁華街で幾度の夜を過ごしてきた。その積み重ねてきた経験の為せる技だ。中には人を都合よく利用してやろうと、ハニートラップを企んでいた女連中にも何度か覚えがあった。そしてこの女は、そいつらと同じ匂いがする。
「覚えておけや痴女が。企画モノのAVみたいな見え透いたマネはむしろ冷めんぞ」
だからこそ、無自覚とか天然でグイグイ迫ってくるようなタイプには困るワケで。なにせ、そっちの方が耐性がないのだから。またもや淡い桃色のミディアムヘアの幻が頭の片隅にチラつく。まったく、お前のことだかんな。
いずれにしても、こんなわざとらしい美人局紛いに引っかかるとしたら童貞か女好きぐらいなモンだろ。フッ、夜を生きる男に搦め手は意味がないということを知るが良い。
やはり今夜は碌なことがなかった。青娥娘々とやらも既に話す内容は尽きたハズ。当然、オレから話すようなこともなし。
「悪いが用済みならオレはもう行くぞ。あばよ」
こういう場合は、余計なコトを言われる前にとっととズラかるのが正解だ。捨て台詞を残して背を向ける。
すると、振り返ったその先に誰かが突っ立っていた。得意の夜目が効いているおかげで、暗がりに紛れた輪郭であってもスタイルの良さが把握できる。柔らかな桃色の髪を夜風に靡かせ、薔薇付きの中華衣装を着こなした人物となれば、もはや心当たりなど後にも先にも一人しかいない。
「んだよ、いたんかい」
軽口を叩きながらお馴染みの仙人サマと鉢合わせる。
青い女に抱きつかれた最中に微かに耳に届いたアレは幻聴じゃなかったらしい。つーか、見てたんだったら止めてくれたっていいだろーが。見捨てんなよ。
ところが、どういうワケかオレが声をかけても華扇は棒立ちのまま動こうとしない。まるで時間が止まったかのような彼女を不審に思い、眉をひそめて凝視する。
「…………」
「オイ、どうした」
再度声をかけてみたものの、やはり応答なし。どうしたんだ一体?
呆然と立ち尽くす彼女の足元に何らかの包みが落ちている。恐らくはコイツの物であろう。それすらも気付いていないってぇのか。ったく、しゃーねぇな。
彼女のところまで行き、その場で屈んで代わりに拾ってやる。おう、焼き鳥のテイクアウトじゃねーか。旨そう。
幸いにも包みごと落下したため地面に直接バラ撒かれる悲劇は避けられていた。これならば三秒ルールも必要あるまい。それにしても、この女が食いモンを疎かにするとは珍しい。
「お前、食べ物を粗末にすんなよ。勿体ねぇだろーが」
折角だ、拾ったついでに一本貰っておく。口に運ぶと鶏肉のクセのない味わいがじんわりと染み出してきた。購入してからまだ間もないのかそこそこ温かさが残っている。塩か、悪くねぇ。
ちなみにオレとしては皮は好きじゃない。あのゴムみてぇな食感がどうにも苦手だ。やはりモモ肉こそ至高といえよう。安いし。
「何を勝手に食べてるんですかぁあああああ!!」
ようやくハッと正気に戻った華扇が間髪入れずに大声で叫ぶ。いや、うるせーよ。
赤みがかった瞳は先ほどまでの虚ろな暗い色ではなく、確かな生気と色彩をしっかり宿していた。相変わらずテンションの落差が激しいやっちゃな。とりあえず怒気は引っ込めてほしいところである。
拾い上げた包みと食いかけの焼き鳥をそれぞれ手にして肩をすくめる。
「一本ぐらいイイだろ。分けてくれや。つか、落し物を拾ったヤツは一割貰えるんだぜ」
「ばかッ、ばかばかばか! この大馬鹿者ぉ!」
「いやバカ言い過ぎじゃね?」
こっちの両手が塞がっているのを良いことに、桃色の女が体当たり気味に飛び込んできた。目尻に薄らと涙が浮かんでおり、ガーネットのような眩い瞳が艶やかに潤んでいた。そいつがやけに綺麗だったせいで、不覚にも身動きを止めてしまう。
オレの動揺などお構いなしに、彼女は駄々っ子みたいに鼻を啜りながら胸元に縋りつき、そのうえでポカポカと左右の拳で叩いてくる。されるがままに今度はこちらが立ち尽くす。
マジか……そんなに焼き鳥を取られたのが嫌だったのかよ。さすがに罪悪感を覚えちまうわな。あと今でこそ威力も軽くて可愛らしいが、コレがいつリバーブローに発展するのかと思うと気が気でない。
バカ呼ばわりと連続パンチを立て続けに受けつつ、全然離れようとしない華扇を宥めようと、ぶっきらぼうに言い聞かせた。
「わぁーったっつの。あとで一杯奢ってやっから。そいつで勘弁してくれ」
「すんっ……そういう意味じゃ……でも、約束ですよ?」
「へいへい」
むー、と変な唸り声を上げる仙人サマをようやく引き剥がす。それと同時に――
「交渉決裂、ですわね」
深い青色の髪をもつもう一人の仙人が会話に割り込んできた。さも残念そうに見せかけて。されど、それさえも上回って愉しげな声音が夜の空気と戯れる。こっちもまだいやがったのか。
「青娥! 貴女という人はッ!」
「まぁ怖い。別に良いではありませんの。ただお話ししていただけですわよ?」
「白々しい……ッ!」
仙人と仙人が睨み合う。華扇の方はといえば、さながら背中の毛を逆立てて「フシャーッ!」と威嚇している雌猫の如く。あまり仲はよろしくなさそうに見受けられる。同業者であっても仲間に非ずってか。
軽く嘆息してから一歩前に出る。華扇を背中に庇うような立ち位置につく。ちょうど二人の女の視線を遮る形になった。オレの不意な行動によって両者が目を瞬かせた。
悪いがキャットファイトを見たい気分じゃねぇんだよな。やけに華扇からの妙な視線を後ろに感じるが、ひとまず今は置いておこう。
色仕掛けの悪女と対峙する。
「ったりめーだ、出直してこいや。もうちょいマシな別の仕事持って来い。そしたら話ぐらい聞いてやる」
「あらあら……フラれてしまいましたわ」
よよよ、と泣き崩れる格好でおどけてみせる青い美女。だが、オレが無反応を貫くとあっさり切り替えて、妖艶な笑みを貼り付けた。早変わり過ぎんだろ。やっぱり芝居だったか。
兎にも角にも、どうやらあちらさんは今宵のお遊びはここまでにするつもりらしい。
色っぽい女仙人が後ろ向きに一歩下がりながら、他愛のない挨拶を交わすかのように別れの言葉を紡ぐ。
「また会いましょう」
こちらの返答は聞かなかった。暗闇に美女の香りを滲ませて、青娥娘々がさらに奥へと消えていく。徐々に溶けていくかのようにして、ついには跡形もなく姿を眩ました。もはや気配すら残っていない。最初からそんな輩が居たことさえも疑わしくなってくるほどに。
野良猫一匹通らない細い路地裏に、男女二人が残される。
いつまでも無言のまま突っ立っていても仕方ない。こちらも行くとしよう。迂闊にも一杯奢ると口走ってしまった手前、どのみち酒場に戻らなければなるまい。
「あーあ、結局今夜は無収入かよ……」
ボヤきつつ歩き始めると華扇も続く。横に並ぶと、おもむろにオレの片腕に自身の両腕を絡ませてきた。身体がくっ付けられた際に、彼女から仄かに石鹸の香りが漂ってきた。少し前に風呂に入ってきたばかりなのだろうか。ふわりと鼻孔をくすぐられて、どこか落ち着かなくなる。
表通りに出たことによって周りの目も気になり始めたのもあって、
「とりあえず離れろって」
「嫌です」
どうにか冷静を装って口を開くが、華扇からは即答でしかも是非もなし。断固拒否といわんばかりであった。
極めつけに桃色仙人の巨乳に己の腕がカンタンに挟まれてしまっているのだから手におえない。この女、どんだけデカいんだ……
というか、お前まで引っ付いてくんのかよ。仙人ってヤツは皆そうなのか?
「オイ……」
「いーやーでーすぅー」
「ったく、我儘か。つーか焼き鳥の包み持たせたままじゃねぇか。もう一本食っちまうぞコラ」
こちらが文句を垂れても言うこと聞かず。それどころか、何故か不満そうに唇を尖らせて頑なに離れようとしない。むしろ余計に強く腕に抱きついてくる。そのせいで、むにむにと当たるご立派な双丘の柔らかい感触がより一層しっかりと伝わってしまう。
だーもう! だからッ、こーいうのがオレにとって最も性質が悪いんだと言ってんだろうが!
青髪の女に絡みつかれた時には感じなかったハズの、得も言われぬ感情が込み上げてきた。そいつを意地でも押し留める。結局、道中ずっと変に意識させられながら歩き続けるハメになった。
「それじゃあ、ごゆっくり」
何だか無駄に気疲れしたが、とりあえず場所はいつもの酒場に戻る。
数十分前と変わらずに呑兵衛どもでごった返している店内を進み、どうにか空いたテーブル席を見つけて華扇と相席する。今回はちゃんと注文したので、テーブルの上には徳利が数本並んでいる。オレの支払いになるのは言わずもがな。
野太い喧噪や音程外れの演歌モドキが波乗りするドンチャン騒ぎの海を、赤蛮奇が手馴れた様子で捌いていくのをぼんやり眺める。
「結局、何者だったんだ? アイツは」
「霞青娥。彼女もまた私と同じく仙人なのですが、あまり良い噂を耳にしたことはありません」
「霞青娥……そいつがあの女の本名ってか。やっぱりコレは源氏名だったんだな。んだよ、娘々って」
なし崩し的に受け取ってしまった名刺を扇子で煽ぐみたいにして振る。それを見た華扇の目つきがすっと細められた。
「彼女から貰ったんですか……?」
やけに冷め切った声音が喧騒を縫って突きつけられる。その研ぎ澄まされた怒気はどうにかできねぇのか怖ぇだろーが。
「成り行きだっつの。欲しけりゃやるよ」
「いえ、結構です」
雑な答えとともに紙切れを渡そうとすると、彼女はゆっくりと首を横に振って断った。ついでに少しだけ機嫌も直ったようだ。それと小さい声で「よかった……」とか呟いていておった。もっとも、何がどう良かったのかは皆目見当もつかねぇ。
その後も引き続き、霞青娥について華扇から情報を集める。時折、酒やつまみを口に運びつつ集まった内容を整理した。
壁抜けの邪仙、霞青娥(別名を青娥娘々)邪な考えで行動する仙人。つまり邪仙。自分の利に繋がることであれば周りがどうなっても構わないという、ある意味清々しい性格だという。なお、簪だと思っていた髪飾りは正しくは鑿で、アレが壁抜けの二つ名を持つ所以らしい。これまで虜にされた男の数は不明。あとエロい。
「さらには死人使いでもあり、その実、キョンシーを従えています。他にも仲間はいるそうですが、彼女の場合は単独行動か従者を連れているのが大半ですね。自らの気持ちの赴くままに動いているのでしょう」
「っかー、仙人でネクロマンサーとか何やねん。いくらなんでも矛盾し過ぎだろ。しかも無駄にエロいしキャラも濃いしよ」
エロい、という単語を口にした瞬間に再び華扇の目つきが鋭くなったのはさて置いて。
あくまで推測でしかないが、青娥がオレを手中に収めようとしたのは華扇への当てつけにするつもりだったのではないだろうか。もしそうだとしたら勘違いも甚だしい。
オレはこの女の弟子でもなければ、付き合っている関係でもない。邪仙の邪推はお門違いってワケである。ったく、迷惑なこって。
去り際にまた会おうなどと言われちまったが、オレとしては当分会いたいとは思わなかった。あの女が美人なのは認めるけどよ。そういう相手ならこちとら華扇がいるから十分だ。
「ま、しばらく出くわすこともねーだろ」
「だといいのですが……」
「さすがに懲りただろ。テメェの目論見が外れちまっただけじゃねぇ、ご自慢の色仕掛けが効かなかったんだからよ」
フッとニヒル且つ楽観的にのたまって、オレは麦酒の入ったジョッキに口を付けた。霞青娥、敗れたり。
なぜならオレは夜に生きる男。そう易々と手玉に取られるようなことなどあろうものか。おとといきやがれってな。
ただし、世間一般ではそれをフラグと呼ぶ模様。
つづく
主人公は嘘偽りのないピュアな好意にタジタジになっちゃう系男子
変化球より直球勝負に弱いんですねぇ(解説)