漢だったら拳で語らんかい!(熱気)
――どうして。胸騒ぎがする。
不穏な予感を覚えた。静めていた気に微かな乱れが生じて、修行に支障をきたしてしまう。仙人にあるまじき己の不甲斐なさを叱咤しつつ、茨木華扇は精神統一の座禅を解いた。
「ふぅ……」
屋敷を覆う瓦屋根の上に居た。天には幾多の星々が煌めいており、邪なものなど欠片も存在しない。今日はサボりの死神も我儘な天人も茶化しに来ていなかった。美しいまでの夜の訪れ。
だというのに。彼女の心には拭い切れない違和感が残る。
例えば、あずかり知らないところで問題が起こっているかのような、言いようのない気持ち悪さ。
「少し様子を見てくるべきかしら」
そうぼやきながら、気晴らしがてらトンと地面に降り立つ。主の気配を察したのか、寝そべっていた虎がのっそりと起き上がる。ぐるる、と気遣うように低く唸り声を漏らして擦り寄ってきた。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
強面だけど従順なペットに優しく語りかけて顎を撫でてやる。慣れた手つきに黄金色の獣は心地よさそうに目を細めた。かの仙人にかかれば虎も猫も大差なく、手懐けるのは容易い。
ライオンに匹敵する肉食獣を傍らに、撫でる手を止めることなく華扇は思考を巡らす。
(妖怪の山で諍いがあったのでしょうか……?)
否。正しくは今まさに
「ここは一つ仙人として、行かないわけにはいきませんね」
人を導く者として。我が道は天道と共にある。そう決意したのだから。そうと決まれば行動は早い。
「あとはお願いね」
華扇はペットたちに留守番を任せ、自らの屋敷を発った。
確証はない。思い過ごしかもしれない。けれど……
「綿間部……」
この胸騒ぎの渦中に、
はたして仙人ゆえの察しの良さだったのか、それとも女の勘だったのか。どちらにしても、彼女が抱いた不安が決して杞憂ではなかったと知るまで、そう遠くない。
妖怪の山の中腹から麓にかけてのおおよそ中間地点にあたる場所。
「やっぱり、変だわ」
名探偵華扇はズバリ結論を導き出した。自身が立っている地面の足元を見下ろす。
あたかもモグラが地中をほじくり返したような凸凹や、地上に這い出た痕跡らしき穴が幾つもあった。挙句の果てに、頭蓋骨まで転がっているという有り様。ここまできたら怪しむなという方が難しい。
決め手に、
「ここだけ嫌に淀んだ気配がする」
酷く歪な気が残り香となって漂い、包帯の右手で鼻を覆った。
地獄を彷彿とさせる骸の臭い。腐臭という意味ではなく、妖気あるいは怨霊の気質に近いもの。この類は覚えがあった。
屍を配下として従える忌み術。
こんなものを好き好んで使う輩など、あの邪仙を除いて他にいない。毒々しくも艶やかな色気を振りまく青髪の美女が脳裏をよぎった。
もっと詳しく見ようと、その場に屈んで土に指を這わす。
(キョンシーを増やそうと目論んだのかしら? そのわりには手抜きが過ぎる。いいえ、彼女のこと。ほんの手慰み程度に試みただけなのでしょう)
あまりの適当さゆえに失敗したのか。無造作に散らばる頭蓋骨や人骨の残骸を見やれば、芳しくない結果に至ったのだと推測できる。失敗を気に留めることもなく、あっさりと匙を投げたところまで。
「それよりも」
問題なのは、邪仙の失敗がどちらに転んだかということ。
何も生まれなかったのならまだ良い。だが、もし彼女の意に沿わない愚物が出来上がってしまったのだとしたら?
あの女が律儀に失敗作の後処理をするだろうか。まさか。現場ですら放置されていたのだ。そんなの、怠るに決まっている。興味がないと一蹴して。
足跡らしき陥没まで見つけてしまった。いよいよもって悪い予感が確信に迫る。
「もう少し調べる必要があるわね」
仮に何者かが生み出されたとして、それが人に害をなす存在であれば放っておけない。
あの邪仙の尻拭いをさせられているのが少し癪に障るものの、かといって無視するわけにもいかなかった。
ふいに、彼女の赤みがかった瞳がとある光景を映した。
「あれは……?」
虫の妖怪、リグル・ナイトバグ。氷の妖精をはじめ、子供たちとよく遊んでいたはず。その子が見知らぬ少女の手を引いて走っている。やけに急いだ様子だったのが気にかかった。
声をかけようか迷う。しかし、偶然にも二人の会話が聞こえてしまった。
「お姉さんは自分の身の安全を考えて! 一番弱いんだから!」
「でもっ、あんな場所に置き去りなんて危険すぎるわ! ねぇ、戻りましょう!?」
「お姉さんが戻ったってどうにもならないよ!」
「わかってる……! だけど、このままじゃ
その名前を耳にした瞬間、華扇はすでに動き出していた。
「待ってください」
「――シッ!」
黒い鉄を纏った拳が顎を捉える。耳障りな音を立てて首の関節が歪な方向へ捻じ曲がる。不気味に動いていた人型の骨があっさりバラけて崩れていく。
そいつを尻目に横にいた別個体の肋骨に左ストレートを捻じ込む。バキバキと容易く砕けいき、ついには反対側に突き抜けちまった。
「ハッ、脆ぇな。カルシウム足りてねぇんじゃねーのか?」
空洞の体内に減り込んだ腕を振り抜き、再び構えをとる。じわじわと取り囲まれつつあったが焦りはなかった。
こちとらとっくにスイッチ入ってんだよ。それよか大鎌振り回して襲ってきた小野塚小町に比べりゃ屁でもない。向こうは全員素手なのだ。
「どうした、見掛け倒しかよ? 大した事ねぇなオイ」
安い挑発を放つが反応は薄かった。ここで頭に血が上ってくれりゃ好都合だったのに。さすがにそこまで上手い話はないってか。
トン、トンとバックステップで距離をとり、助走をつけて一気に接近する。
「これでも食らっとけ!」
密集している連中を狙ってまとめて蹴り飛ばした。効果てきめん。後方に押しやられた拍子にドミノ倒しとなって他のガイコツどもも巻き込まれる。
かと思いきや、派手にいったわりに数を減らせなかった。転ばされた敵どもがカタカタいいながら自力で起き上がってくる。
「チッ! しぶといんだよこのダボがぁ!」
立ち上がりかけの隙だらけ集団に追い打ちをかける。頭蓋骨にヒビを入れ、腕や胴体をへし折ってやった。右と左を交互に駆使して次々と相手を屠った。
勇敢、あるいは無謀に挑んできた単体を迎え撃つ。まずは右拳で肘を叩き割り、さらに左でもう片腕も同じ有様に陥れ、トドメに喉元を鉄拳で貫く。
「ちっと本気を出しすぎたか――うおっ!?」
いつの間にか真後ろにいた一体に羽交い締めで組み付かれた。チャンスとばかりに他の髑髏どもまで押し寄せ、どんどん覆い被さってくる。
「クソッ……!?」
生き埋めにさせるつもりか。それとも重みで押しつぶそうってぇハラか。
さながら山でも築くかの如く、白骨がオレの頭上を埋め尽くす。次から次へと数が増していって、ついにはマトモに立っていられず膝が折れ始めた。
しかし、決定打には至らない。さもありなん、重さで勝負しようってぇのが最初から間違いなのだ。
「んだくそっテメーら筋肉も脂肪もねぇだろうがぁあ!!」
圧し掛かってきた集合体をまとめて持ち上げ、力任せに振り解いて撒き散らす。ボーリングのピンみたいに飛び散る白骨。万歳のポーズでがら空きだった阿呆を正拳突きで刺し仕留める。
胴体を貫通されて無事でいられるハズもなく、動くガイコツはただの骨へと成り下がった。
「来いよ。まだまだこれからだろ」
「大丈夫ですから、落ち着いて。何があったのか教えてください」
「助けてください……黒岩君っ、知り合いが、私たちを逃がすために怪物の囮に……!」
「ボクはこのお姉さんの護衛と人里までの道案内を頼まれて」
息も絶え絶えになりながら、まだ若い金髪の女性が仙人に事情を伝える。リグルはいっそ暢気なくらいに平然と受け答えた。
見た目はさして自らと大差ない年齢そうなのに思わず助けを求めたのは、彼女が混乱状態にあったためか。あるいは、桃色の髪をもつ女性が纏う雰囲気に一縷の希望を見出したからであろうか。
どっちにせよ、彼女――マエリベリー・ハーンが頼った相手は正しい。
茨華仙が少女の瞳をしっかりと見つめて頷く。
「分かりました。あとは任せなさい。必ず無事に連れ出しますから」
なぜならば、かの乙女こそ、人と近づきたいと願う仙人だったのだから。
多勢に無勢? だからどうした。
数の不利などものともせず、黒い単身が白の群れを蹴散らす。山奥のストリートファイトは大詰めを迎えていた。
「オラオラオラオラァ!!」
襲い来る無法者どもを相手取り、顎を勝ち割り、背骨を砕き、さらに同じ轍は踏まぬと背後に回った輩は裏拳でなぎ倒す。まさに一騎当千。これこそが夜の繁華街を生き抜いた男の真骨頂と知れ。
手近な木の幹を駆け上り、そこから宙返りで落下する。真下にいた二体がそれぞれ左右の靴裏でグシャリと踏み潰された。
「ぃよいしょオッ」
今度は別のヤツを踏み台にして高くジャンプして枝を掴む。
足の位置とガイコツどもの頭の高さが一致した、二度蹴り。顔面を直撃した髑髏が放物線を描いて遠くへシュートされる。頭部を失った体はしばしカタカタを動いていたが、ほどなくして最期を迎えた。
「げ……!?」
足首を掴まれた。マズい。がむしゃらに振り回すが、奴さんもここにきて意外な根性を発揮して離れない。
徐々に形勢が不利に傾く。
「このっ、離せっつの!」
足にばかり気を取られちまったのがいけなかった。枝を握っていた手の力が緩んだ。蜘蛛の糸に群がる罪人の如く幾つもの手から引っ張られ、地面に引きずり落される。
「あで!?」
受け身も取れずモロに背中から打ち付けた。
ようやく落ちてきた獲物に動く骨たちが喜々と集まる。さながらゾンビ映画。しかも似ていたのは絵面だけじゃなかった。
「ぐおおお!?」
ヤツら殴るでも蹴るでもなく、ホントに噛みついてきやがったのだ。腕や脛に続々と歯型をつけられる。痛覚が悲鳴を上げた。
「このヤロッ噛む力は一丁前しやがって……! リカルデントかっ」
肉を食い千切らんとする歯牙。衣服の所々に血が滲み始める。仰向けに組み伏せられたせいで抵抗し辛い。それも仇となった。
なれど、この程度でくたばってて何でも屋が務まろうものかよ。
「なめんなぁぁあああああ!!」
全身を噛みつかれてんのもお構いなしに意地でも起き上がってみせる。そのまま四方の樹木やら岩やらに捨て身の体当たりをかましまくって、纏わっていたヤツを全て叩き落とす。
「ガァアアアアア!!」
ケモノ染みた咆哮を上げながら人型の骨をへし折り、砕き、壊す。二桁に届く数をでたらめに殴り続けたせいでいつしか手の甲にも血が滲み出ていた。打ち砕いた際の破片で生じた切り傷だ。
それでも傷ついた拳が鈍ることはない。
「テメェでラストだ!」
バカ正直に真正面から突っ込んできた最後の一体をアッパーカットで打ち上げる。ブッ飛んでいった頭は運悪くその先にあった岩に激突し、ヒビ割れたオブジェと化した。
「ふー……は……」
静寂が戻ってくる。
自分の荒い呼吸だけが取り残される。喧嘩の構えを解いた腕がだらりと下がり、肩で息を繰り返した。
四方八方に散らばる骨の残骸を見渡す。油断なく確かめるが、幸い、復活して動き始める兆しはなかった。どれもこれも微動だにしない。完全に事切れている。
いや、そもそも骨だけの体な時点で生きてすらねぇのか。フツーは。これだから異世界ってやつはよ……
「ハッ、さすがに疲れたわ……」
久し振りに大立ち回りしたせいだろう。疲労感が一歩遅れて押し寄せてきた。アカンわ。
ふっと力が抜けて真後ろに倒れ込む。その先が固い地面なのがアレだが、少しだけ休んで……
「お疲れ様でした。綿間部」
春のそよ風を思わせる温かな声とともに、若い女の両腕に身体を受け止められた。
誰かなんざ確かめるまでもない。きっと今のコイツは柔和な笑みをたたえているのだろう。この声色を聞けば分かる。
とりあえず、前を向いたまま強がって悪態をついた。
「へっ……朝飯前だっつの」
もしくは夜食前と言った方がオレの性に合ってたかもな。
「黒岩君っ!」
「ってオイ、なんで戻ってきてんだよ」
なぜか人里まで逃がしたハズのマエリベリー(とリグル)までやってきやがった件について。何してくれんだ。
「私が連れてきました。道中の安全は保障してましたから」
「ふーん……」
ま、仙人サマがお付きだったら護衛としちゃ上等だわな。
いつまでも女に抱き留められたままなんざカッコつかねぇ。休みたかったのを我慢して華扇から身体を離す。
俺の元まで駆け寄ってきたマエリベリーは「よかった。無事で……」と見るからに安堵した表情を浮かべた。
「平気だっつったろ」
「あの状況で鵜吞みにできるはずないじゃない」
「っかー、信用ねぇなぁ」
というか、今更過ぎんのだがコイツどうすりゃいいんだ。まさかこの女子大生まで幻想入りしちまうとは思うまい。これも八雲紫の筋書きなのか?
「心配無用。今の彼女にとって、この幻想郷は夢でしかありません」
「あ? お前まで何言ってんだ」
「眠っている間、夢の中でだけ幻想郷に入り込む症状があるのです。彼女の場合はそれでしょう。今回に限って言えば、八雲紫は関わっていないと思います」
「んだそりゃ。というか、当たり前みてぇに心を読むな」
「まぁまぁ、見ててください」
そう言うや否や、仙人サマは女子大生の額を指先で軽く小突いた。すると、マエリベリーの体が淡く光り、次第に薄れ始めていく。
いきなり自身の体が消えそうになっている展開に本人も困惑を隠せない。そらそうだ。
「あの、これは……?」
不安に瞳が揺れる少女を前に、桃色の仙人が安心させるように微笑みかける。
「怖がらなくていいわ。これは夢。目が覚めればいつもの日々に戻れます。さぁ、おはようの時間です」
仙人の穏やかな口調に金髪の女子大生もほっと表情を和らげる。イマイチ状況は掴めずとも、おおよそ雰囲気で察したのであろう。ようやっと恐怖体験から解き放たれるのだと。
むしろオレの方がよく分ってねぇのだが。結局どういうこった。幽体離脱でもしてたのか?
「……ま、どっちでもエエか」
彼女が仲良し宇佐見のところへ戻れるなら余計な口を挟むこともなかろうよ。
「黒岩君」
ほぼ透明になりかけたマエリベリーがオレの名を呼ぶ。
「助けてくれてありがとう。夢の中だけど、また会えて嬉しかった」
「フッ、そーかい」
「うん。じゃあね」
「おぉ」
顔を綻ばせて軽く手を振りながら別れの挨拶を口にする女子大生。それと同時に、彼女の姿は掻き消えて、その場に僅かな光の粒子が残った。
「また会えて嬉しかった、か」
ついさっきまでガイコツの群れに追い掛け回されていたってぇのに、大したやっちゃな。だからこそ、あの女も秘封倶楽部の一員なのだろう。
「んじゃオレらも帰るか。ってかリグルよ。お前、頼んどいた釣り竿とバケツはどーした?」
「あっ、いけなーい。すっかり忘れてたよ」
「マジかよ。まずソレ回収してこねぇとダメやんけ」
「いやー、ごめんねごめんねー」
「全然反省してねぇだろうが」
もっとも、途中までとはいえマエリベリーのボディガードをしてもらった手前もあるし、あんまり強く言えた立場じゃねぇけど。ったく、やれやれだ。
来た道を引き返し始める途中、華扇がオレの腕にすっと自身の細腕を絡めてきた。どういうつもりだと横目で見やれば、仙人サマは事もなげに言った。
「支えてあげます。ゆっくり行きましょう」
「大げさだっつの。かすり傷ばっかで大したことねーよ。一人でも歩けらぁ」
「いいえダメです。それに綿間部には聞きたいこともありますから」
絡めた腕をさらに密着させて華扇が寄り添う。柔らかな肢体とついでにデカい胸が当たった。
いつも通りの無防備さ。一体いつになったら自覚するのやら、この天然は。
「へーへー……で、何が聞きたいってぇ?」
ただ、今回はそこに加えて確固たる意思があるように思えた。そしてそれは気のせいじゃなくて、
「あの女性とはどういった関係なのでしょうか? 随分と親しげな印象を受けましたが。お互いに名前も知っていたようですし。しかも去り際に『また会えて嬉しかった』と言ってましたよね?」
にこやかに、されど決して逃さんとホールドしながら華扇が笑顔をみせる。
「ん、んん……!?」
はて、なんかおかしいぞ。主に雲行きが。
あえてゆったりとした足取りで歩く華扇に合わせざるを得ない。急ぎ足になろうにも拘束されては叶わないのだ。どうなってんだ。
よろしくない気配を感じ取り、リグルに助太刀のアイコンタクトを送る。
救難信号を受けた虫っ娘がドヤ顔でサムズアップした。どうやら伝わってくれたらしい。さすが虫の知らせサービスだ。誉めてやろう。
「ボク、先に行ってるね。釣った魚もミスチーに渡しておくから、あとは若いお二人でごゆっくり」
「違うそうじゃない」
思わず真顔で返しちまった。むしろ分かっててやってんじゃなかろうか。コイツ、毒舌キャラに加えて腹黒疑惑まであんぞ。
そそくさと立ち去って行った蛍の少女に見捨てられ、山道にはオレと華扇だけが残された。当然、腕を組んだまま離れない。
甘く蕩ける声で桃色の仙人サマが逃げ道を塞ぐ。
「人里までまだまだありますし、ちゃーんと聞カセテクダサイネ?」
帰るまでが遠足とはよくいうが、どうやらオレの本当の戦いはこれから始まるらしい。
……どうもこうもただの知り合いなんだが。
分かってもらえるのだろうか。
つづく
ガチな戦闘描写やった反動でラッキースケベの発作が出そう
というか出ちゃう
むしろ出す