家の中で血飛沫が飛ぶところだった
「手加減したとはいえ狸の十八番をこうもあっさりと見抜きおったかー……やれやれ儂も老いたかの」
「あー嫌だ嫌だ」と冗談めかして茶髪の女が丸眼鏡を掛け直す。いかにもクサいおどけた芝居は八雲紫とか霍青娥とはまた別の胡散臭さが付きまとう。
その後はのらりくらりと自前らしき貧乏徳利で酒をかッ喰らう。そのザマは年季こそあれど老衰とはかけ離れていた。何なら老眼鏡っぽい眼鏡も伊達かもしれん。
やけに個性的なマイボトル持ってんなコイツ。ま、本物の華扇も百薬升を持ち歩いているワケだが。ついでに言えば伊吹萃香は瓢箪だ。
「結局何者なんだオメーはよぉ」
「だぁから二つ岩マミゾウだと言うたじゃろ。人の話しはちゃんと聞かんか、若造。耳垢が詰まっておるならそこの嬢ちゃんに耳掻きしてもらったらどうじゃ?」
「うるへー。大体、人間じゃなくてタヌキなんだろうが」
「それもそうじゃの。お主が外来人なら儂は『外』の世界からきた外来妖怪じゃ。佐渡と言えばわかるかぇ?」
「まーな」
オレの記憶違いでなけりゃ新潟にある小さい島の名称だったハズだ。しかも化け狸とはまた古典的な妖怪なこって。藍ネーチャンとの仲が気になる。マブダチかそれとも犬猿のライバルか。当人らは狐狸だけどよ。
一方その頃、奥野田美宵がぬいぐるみっぽい鯨の帽子ごと頭を押さえてショックを受けたツラで蹲っておった。お前どうした。
「うぅ、全然わかんなかった。これじゃあ接客業失格だわ」
「ったく、んなコトねーだろ」
「クロくぅん……」
さすがに極端過ぎんだろうが。そもそも変装なんつー生温いモンじゃなかったのだ。姿形ごと変えてこられたら、もはや接客スキルとかあんま関係なかろう。万引きGメンだってそこまでのスキルねぇかんな。
野暮ったい口調でフォロー?してやると、外ハネしたピンクショートの女が緑の瞳を潤ませた。可愛い系で容姿もイイのもあって大した男殺しの技。ミスティアじゃねーけどあざとい。
「本当に? 見損なったりしない?」
「するか。オメーは自称看板娘なんだろうが。しゃきっとせぇや」
「うん、ありがと。クロくん優しいね」
「……っ、そーでもねぇだろ」
励ましにもならない雑な言葉であっても多少の効果はあったらしい。仲居コスの店員は立ち直って、ソプラノ声と和やかな笑みをオレに向けた。
あと、この会話を目敏く嗅ぎ付けて茶化す輩もおった。
「おーおー、見せつけてくれおって」
丸いレンズ越しに茶色い眼を愉悦で満たして、二つ岩マミゾウがやらしく口の端を吊り上げた。この手のツラには見覚えがある。コレはメンドクセェ絡まれ方するやつだ。
されど心配無用なことに、オレがどうこう言うよりも先に看板娘が慣れた様子で受け流した。百点満点のスマイルのオマケ付きという見事な手腕でもって。ただし、満更でもなさそうな感じに見えなくもないってぇのが些か誤解を招きかねない。
「もうマミゾウさんったら、そんなのじゃないよ」
「そうかの?」
「そうなの」
「何じゃつまらん」
「つまんねーじゃねぇぞコラ」
恋バナに興味あり、というよりただ単に面白そうなネタとして食い付いたのであろう。もっとも、奥野田があっさり否定してくれたおかげで拍子抜けしたようだが。
からかうネタを入手できなかったのを残念がり、タヌキ女が背もたれにグッタリ仰け反った。だらしない姿勢のままムダに男らしくデカい酒器を煽って、グビグビと豪快に喉を鳴らす。重くねぇのかソレ。
あまつさえ酒臭い息を深くブッ放して「じゃがなぁ……」とグチを零し始める。
「ここで引いたら負けっぱなしになってしまいぞい。こうなってはやられた分はやり返さんと儂の気が済まんぞ」
「いやその理屈はおかしい。全部あんたの自爆やんけ」
「そう言うでない。これでも儂は化け狸の頭領なんじゃ。外来人の若人に後れを取ったとなれば子分らに示しがつかん。矜持に関わる」
「っかー、ややこしいやっちゃな。だったらどーするつもりだってぇんだ」
「ふーむ、そうさな……どれ、ちと本気を出してみようかの」
「ハ……?」
そう言うや否や、再びドロンというベタな効果音とともに化け狸が白い煙に包まれた。つーかそんな頻繁に飲食店で煙焚くなよ焼き肉じゃねーぞ。
実際、不運にも近くにいたばかりに奥野田が白煙をモロに吸っちまったみたいだ。ヘンに気管に入ったのか可哀想なくらい咳き込んだ。ちょい前とは違う意味で涙目になっている。
「オイ、大丈夫か」
「こほっ、こほっ……あはは。うちは禁煙じゃないから平気。ちょっと不意打ちだっただけ」
『そらスマンかったな』
「え? クロくん?」
「いや今のはオレじゃねーぞ」
されど紛うことなきオレ自身の男声であった。録音した音声を再生された時にありがちな違和感もない。あまりにもリアルな生の声を聞いた。もはやこの時点でイヤな予感しかしねぇ。
白っぽい煙幕が薄れていく。その中から全貌を現したのは一人の男。黒髪オールバックのヘアスタイルはワイルドに。黒カラーで統一したファッションはスタイリッシュに。まさに夜に生きる男を体現したかの如きハードボイルドが気障ったらしく座っていた。
「フッ、こんなモンよ」
「げ――!?」
この女、よりにもよってオレのことパクりやがった……ッ!
化け狸の衆を統べるボスの本懐ここに極まれり。陳腐な例えだが、鏡の世界に映った己が現実に出てきたかと思うほど。完コピと認めざるを得ないクオリティをまざまざと見せつけられて顔面が引きつった。
顔かたちどころか声帯まで寸分の狂いもなく写し取った二つ岩マミゾウ(オレ姿)が、元々の口調に戻して勝ち誇る。
「どうじゃ?」
「うわわぁ……えーどうしよう、仙人さんになってた時もそうだったけど全然見分けられないかも。あれ? どっちがどっち?」
「いや座っている位置からわかれよ」
「あっ、そうだね」
オレともう一人のオレ(正体マミゾウ)を交互に見やってガチ迷い中の看板娘に思わずツッコミを入れる。コイツ意外にポンコツなのか天然なのか。それとも狙ってやっとるのか。いや、それはねぇか。
「ったく」
気疲れを起こしてカウンターに頬杖を突く。すると、わざとらしく向こうもマネしてきやがった。目が合うとオレの見た目でウザったらしくドヤ顔をかます。やめーや。
その時、またもや鯢呑亭の入り口がガタついた音を立てて開いた。
「夜分遅くに申し訳ありません。こちらの店の灯りがわずかながら見えたものですから。もし邪魔でしたらすぐにお暇しますので」
マジメさが沁み込んだ澄み切った声音が店内を通り抜ける。
柔らかな桃色に色付いたミディアムの髪は夜桜のように美しく。白いシニョンを結わえて、ミニスカ中華衣装の雅やかな仙人サマが遠慮がちに顔を覗かせた。
「大丈夫よ、仙人さん。さぁさぁ入って入って」
「ありがとうございます」
奥野田に受け入れられてホッとした表情で華扇が鯢呑亭に入ってくる。
しかし、その足取りはすぐに止まった。そらそうだ。目の前でドッペルゲンガーもかくやな同一人物が横並びで座っておったのだから。誰だってそうなる。オレもそうなる。
「あ」
『よう』
だからマネすんじゃねーよ。見事にハモっちまったじゃねぇか。双子芸人みたいになってんぞ。
整った顔立ちが何度か瞬きを繰り返す。ガーネットを彷彿とさせる赤みがかった瞳は、オレと二つ岩マミゾウ(変化中)をバッチリ捉えていた。にしても、なんつータイミングの悪さだ。
「…………」
仙人サマが黙り込む。コレはまた何事かと騒ぎ始める兆候か……?
ところが、予想に反して華扇はエラく落ち着き払っていた。それどころか納得した様子で顎に手をやって、
「なるほど、どうりで人里の中を何匹も狸がうろついていると思ったら。彼らの親玉がここにいたのですね」
「わかってんじゃねぇか。言っておくが本物はオレだかんな」
「違ぇわオレだよ。さらっとウソついてんじゃねぇ」
「このヤロ……ッ!?」
テメェ何てコトしてくれやがんだ!?
オレに化けた二つ岩マミゾウが、我こそがオリジナルなのだと悪ノリしてきやがった。もしかしなくてもオレへのリベンジ代わりに華扇を騙す腹積もりってぇのか。もし仙人サマが間違えればオレにも精神的ダメージがいく。ヤツにとっては一粒で二度美味しい仕返し。
華扇が動く。
注意深くオレと偽物をもう一度見比べ――ることすらしなかった。
ツカツカと淀みなく真っ直ぐにオレのところに来ると、ちょっぴり不機嫌そうに眉をひそめた。
「まったく、マミゾウと協力して私を困らせる算段だったのですか? こんな下らないことしてないで、もっと世のため人のために働きなさいと常日頃から言っているでしょうに」
「って、即答かい」
「? 綿間部とマミゾウを見間違える筈がないでしょう。こっちが本物です」
キョトンとした顔で「何を当たり前のことを」と言いつつ包帯の巻かれた人差し指をオレに突きつける。だからって指差すなよ。
これも仙人としての為せる技なのであろうか。全くこれっぽちも悩む必要がなかったのだと紛れもない本心で言っている。そして、心なしかそれを少なからず嬉しいと思っている自分がいた。何考えてんだオレは。
今さらになってオレと顔を間近に寄せてまじまじと見つめて、桃色ミディアムヘアの女は綺麗な笑みを咲かせた。
「うん、やっぱり綿間部です」
「……あぁ、そーだよ」
だから近ぇっつの。この異性に対する無防備さも本物の華扇で間違いなかった。
そんな光景を目の当たりにした偽物のオレが、こりゃ敵わんと大っぴらに降参を告げた。
「あーあ、完敗じゃ。二人も立て続けに見破られたんじゃ立つ瀬もないわい」
そう言うなり半ば諦めた態度で変化を解く。また奥野田が咽ないように気を使ってか、今度は煙控えめで正真正銘の素面に戻った。もう何もしないと意思表示に嘆息して両手をホールドアップしながら。
「してやられた。今回ばかりは相手が悪かったのぅ。愛の力を前にすれば変化の術なぞ何の意味の為さなかったか」
化け狸のボスが丸眼鏡の弦を指でなぞりつつ言い訳をボやく。愛の力って何や。
「どういう意味ですか?」
「ふぉふぉ、聞きたいか?」
二つ岩マミゾウの発言に引っ掛かりを感じて華扇がヤツに向き直る。真面目な瞳と狡猾な瞳がしばし交錯する。もっとも、見えない火花が散るほどのモンでもなかった。
もはや隠す気もないらしく、頭に葉っぱを乗せた女が洗いざらい全部ぶちまけた。余計なコトまで。
「そこの若いのにも仕掛けたんじゃよ。お主に化けてな。だというのにこやつときたら、難なく儂がお主でないと見破りおった」
「あ、えっ、へ!? そそ、そうだったのですか……? へ、へぇ」
「そうとも。我ながら悪くない変化だったんじゃが、ちぃとも通用せんかった。悔しいことにのぅ」
「綿間部……ッ!」
何かを期待するかのようなキラキラした瞳で仙人サマがオレを見つめる。ほんのり上気した頬は色っぽく、少なからず興奮しているのは明らか。また何か早とちりしてやがんな。
しゃーねぇ。期待を裏切るのは忍びないが、勘違いは早めに訂正しておくのがせめてもの優しさってぇヤツだろう。それこそ変な恥をかく前に。
そう決めて、オレは仏頂面かつぶっきらぼうな感じに現実を教えてやることにした。
「タバコの臭いがプンプンしてんだ。イヤでも違和感に気付くだろ」
「あ……はは。そ、そうですよね。やだ私ったら」
「あぁ」
「あはは……」
桃色ミディアムヘアの女は指先で頬を掻きつつ愛想笑いで誤魔化していた。あれでも平常心で振る舞っているつもりなのだろう。けれど、寂しそうな笑みが隠しきれていなかった。
いたたまれない。つっても、別に嘘は言ってねぇ――
「でもクロくん。座る前から様子がちょっと変じゃなかった? ねぇマミゾウさん」
「そうさな。一目見た時から儂のことを警戒しておったように思うぞ。まだ煙草の臭いなぞ嗅ぎ取れない距離だったろうに。ふぉっふぉっ、おおよそ最初から彼女じゃないと気付いたのじゃろう。変化などでは到底真似できん二人だけの確かな繋がりでの」
「ブフッ!?」
奥野田美宵と二つ岩マミゾウのツープラトン攻撃をクリティカルにブチ当てられて、呑んでる途中でもないのにおもっくそ吹いちまった。ちょバカやめろ!
違う。そーゆーのじゃねぇから。そら一体いつからってぇ聞かれたら、確かに初っ端から怪しいと思った。百歩譲ってそこは認めよう。つっても何となくわかっちまったんだからしゃーねぇだろうがよ。オレは悪くねぇ。
「――ハッ!?」
いや待て。今のをしっかり聞かされたあの女はどうなっている?
恐る恐るそっちを見やると、
「………♡」
数分前よりも顔を赤くした仙人サマが両手で口元を隠していた。まるで嬉しくて思わずニヤけてしまったのを一生懸命に隠しているかのように。
そのうえ頬だけじゃなく目元も緩んでいる。さらにピンク色のどこか幸せそうなオーラをぽわぽわさせておった。早い話、どう見ても浮かれていやがった。
「や、やだっ。綿間部こっち見ないで!」
「ちょ待て。オレの話しを聞けって」
「う、うるさいです! 話ならあとで聞きますっ」
「だーもう! いいからこっち向けって」
「ちょ、ダメぇ! 触らないでエッチ!」
「おま……ッ!?」
オレが見ているのに気付いた華扇が慌てて後ろを向いた。初心に恥じらう仕草がいつもの凛々しい立ち振る舞いとのギャップを生んで、不覚にも心臓が高鳴った。だから何やってんだオレ。
それを誤魔化すのと誤解を解くために華扇と取っ組み合いしていると、二つ岩マミゾウが堪えきれず吹き出した。まるで痴話喧嘩でも見ているかのような生暖かい目をしながら、
「ふぉっふぉっふぉっ、青いのぅ」
「うるせぇよコンチクショウ!」
一泡吹かせてやったぜと高笑いするタヌキ女に、オレはなけなしの力で噛みつくしかなかった。負け犬の遠吠えでしかない。
嗚呼、ハードボイルドが遠ざかっていくぜ……
「どっこいせ、と。そろそろお暇しようかの。嬢ちゃんや、今夜もツケで頼むぞい」
「はーい、またのお越しをお待ちしております♪」
やがて満足したツラで丸眼鏡の女が帰り支度を始めた。やはり年寄りとは思えぬ軽やかな身のこなしで椅子から下り、あと最後にオレたちを見やってニヤリと口角を上げる。
「じゃあの」
「けっ、さっさと帰りやがれってぇんだ」
「こら。口が悪いですよ」
「ほいほい。あとは仲睦まじい同士でごゆっくり」
鯨帽子の看板娘の見送りに付き添われ、飄々と手を振りながら去っていく。その後ろ姿で焦げ茶と黒の縞模様なフサフサ尻尾が小躍りしていた。勝利の余韻に浸っているのが見え見えであった。今宵はヤツの逆転サヨナラ勝ちなのか?
店先で奥野田が「またのお越しを」をお決まりのセリフを口にした後、いい加減に直せよと言いたくなる建付けの悪い音を鳴らして引き戸が閉まる。
その直後、ヤツが鯢呑亭を出て行って間もなくして素っ頓狂な悲鳴が聞こえた。
『ぬぉおおお!? 儂の子分たちが
「オイ華扇。お前何した」
「失礼な。ちょっとお腹を撫で回しただけです」
ムツゴロウかよ。
今宵の真の勝者はこの仙人サマであった模様。
つづく
なんだかんだ言って仲が急接近してる二人