「–––はい、終了です。答案用紙後ろから集めてきてください。ほら、そこ、悪足掻きしない」
授業終了のベルと同時、脱力する生徒多数。悪足掻きか時間が足りなかったのか、見直して間違いに気づいたのか、それとも名前を書き忘れたのか、それぞれが違った反応を見せる。目を光らせる先生はまるで合コンで男を狙う狩人の目付き。ともあれ、これで良くも悪くもテスト期間は終了だ。
この後は解禁された部活動に行くか、とある生徒ならヴァイオリンの稽古か、そしてその彼女ならばお稽古等の習い事、ただカフェで駄弁るだけの者もいる。
テストからの解放がよほど嬉しいらしい。
僕としては、テスト期間は勉強ではなくゲームに費やしていたために名残惜しく残念に思う。
いっそ、テストが永久的に続けばいいのに、とも思っている。
テストの日は午前中だけで学校が終わるし、まるで天国のようなものだったのだが……。
補習にさえ引っ掛からなければ、僕にとっては割とどうでもいい話だった。
–––そして、翌週。
僕は戦慄した。驚愕した。崩れ落ちた。
返却されたテストの答案用紙。科学、数学、国語とまずまずの結果だった。元々、理数系は得意なだけに勉強はしなくても八十は取れる計算だった。そこは抜かりない。国語も文章を読むだけに、文を書けなんて出題されない限りは問題はなかった。
問題は次、英語と歴史(日本の歴史)である。
見滝原中学校の赤点ラインは学年平均の三分の二。
それが、前のテストより断然高く、ラインを下回った。
補習だ。再試だ。お小遣いカットだ(特に重要)。
「今回は平均点が高く赤点の人が続出していますが……サボることのないように。明日から補習は始まりますので、それでは」
教師がトドメの一撃を放って教室を出て行く。魂の抜け出た生徒は僕も含め僅か三人、そのうちの一人が僕の机に突貫してきた。
「どーしよ青葉、私再試だよーっ!」
さやかだ。回答用紙を握り締めて、突き付けてくる。その点数を見るに僕よりやや上。男として負けたプライドとかへったくれも湧き上がらないが、もっとも不味いのは再試を乗り越えられないことだ。
「安心しろさやか、僕も再試だ」
「やっぱ持つべきものは友達だよね」
がっしりとお互いの手を握り合う。固く友情?を深く繋いだところで、茶々を入れる余計な影が一つ。
「まったく、さやかも二木もどうしてこうなんだ」
「そういう恭介は何点なのさー」
「待って、それ地雷……」
言い終わる前に上条君は手に持っていた回答用紙を見せてくる。次元が違いすぎるそれ。ヴァイオリンもやっているくせに無駄に高いそれ。彼女がいる上に腹立たしいな、おい。有能さアピールか?将来性アピールか?泣くよ?
「あーやだやだ、これだから完璧人間は……ねぇ、君の幼馴染どうにかならない?一つくらい欠点とか」
「あーないない。……ん、いや、ある?」
言ったそばから上条君は自ら欠点を曝け出した。
「よかったら教えるよ。僕の家で」
「ほら、こういうとこよ」
「あぁ、なるほど……良くも悪くもってやつだね」
ただ、一つ言わせてもらうなら……。
「そんなことする暇あるなら、志筑さんをデートにでも誘えばいいのに」
「え?なんで?」
「うわぁ、ダメだこいつ……志筑さーん。旦那が浮気しようとしてるよー」
「なんで!?」
「なんですの?」
呼べば出てくる志筑仁美。現在、上条君の彼女。ステータス的には悪くはない、かなり優良物件だ。もっとも僕には価値のない石ころみたいなものだが。
善意であるのだろうが、もう少し上条君は自分の言動を省みるべきである。
「……はぁ。こういうとこだよねぇ。ま、追試乗り切ってまた青葉の家でパーティーでもしよっか。今度はまどかも込みで」
え。なにそれ。僕聞いてない。
突然やる気を出したさやかに振り回される役は僕に回ってきたようだ。
◇
補習が行われている今日この頃。僕は堂々と補習をサボった。追試だろうが再試だろうが結局は合格してしまえばいいわけである。それに教師達はテスト用紙の再構築はしないので、テストする内容はまったくもって同じなのだ。僕の暗記力と一夜漬けがあればそれくらいは余裕なわけである。
「さて、今日はどうしようかな?」
レンタルサービスサイトを開き、契約画面を眺める。
さやかとまどかはダメだ。僕が補習ということを知っている。さやかは家で自主的にやっているらしいから、呼び出すのは可哀想というものだろう。暁美ほむらも補習で揺すってくる可能性もある。
そうなれば、あとは二人。佐倉杏子と巴マミ。どちらかということになるが、僕は癒しを求めていたので年上女性に頼むことにした。
「じゃあ、ここは順当に巴マミで」
ポチッと。
「巴マミ」で〈契約〉をタップ。
契約は完了した。
–––ピンポーン–––
程なくしてインターホンが鳴る。スキップとタップダンスを織り交ぜながら玄関へ。毎回恒例の魔法少女の衣装はどんなのだろうかと割とワクワクしていた。僕にはそれが少し楽しみになっていた。だから僕は、拍子抜けすることになる。
玄関のドアを開けると、そこには……。
「巴マミです。よろしくお願いしますね」
淑女然とした、まるでどこかの学校の制服のような服を着た少女がにっこりと微笑む。その姿。さやかやまどかのと違ってどこか淑女らしいそれはなんというか拍子抜け。基準がまどかのものであるから仕方ないが、というかもっとも想像する魔法少女としての形を体現していたのがまどかで……。
まぁ、こういう淑女的なのは悪くない。もっとストレートに表現するならば、好みだ。
「……ところで、二木君、よね?」
「え、えぇ、はい?」
「補習はどうしたの?」
–––スパンッ。
びっくりした。びっくりしすぎて扉を閉めた。
グイグイとドアノブが捻られる。僕は断固抵抗する。
まさか、こんなところに教師の回し者が来るなんて……!
まさかまさか。あのレンタルサービスは教師が!?(錯乱)
だとしたらとてもまずいだろう。生徒にこんな仕事をさせるなんて。突き止めて、握られた弱みを見つけ、逆に弱みを握り返し教職から追放しなければ。
「ちょっと二木君、開けなさい!」
「すみません人違いです。僕の名前はアララギです」
「嘘言わないの。知ってるんですからね、君が二木青葉君だってことは」
「いえ、僕の名前は斧乃木ですっ」
「さっきと言ってることが違うわよ!?」
「あれ、貝木だったかな?」
咄嗟に思いついた名前がそれで、脳内には詐欺師の顔がちらつく。僕もそうなるんだ。そうしなければ、ここは乗り切れない。
「……俺は二木という男を知っている少女達を知っているだけで、会ったこともなければ話したこともない」
「表札に二木って書いてあるわよ」
「……それは『ふたき』と読むのではなく『にき』と読むんだ」
大嘘。なれなかった。詐欺師にはなれなかった。だが、勝ったぞ。
ドサクサに紛れて鍵を施錠した。ガチャンという音が安心感を生む。
「あっ、こら」なんて聞こえない。続いてドンドンと扉を叩かれるが無視だ。
「ちょっと二木君! も、もう、開けなさい!」
「すみませんがお引き取り願えますか。料金は支払いでいいんで、あとはご自由に余った時間を過ごしていただいて」
「……うぅ…ぐすっ…」
……泣き始めた。
扉越しに、鳴り止む叩く音。
代わりに聞こえてきた、小さな啜り泣く音。
なんだかとても居た堪れない気分だ。
僕は思わず素に戻ってしまう。
「あの……な、泣くほどですか?」
「…ぐすっ…ひぐっ…」
扉に手を合わせて、僕は彼女が扉に背を合わせて膝を抱えているのがわかった。仕方なく鍵を開けてみる。それでも扉は開かない。今度は押してみる。扉は開かない。もう、鍵は開いているはずなのに。諦めてしまったのだろうか。
「あの、巴さん……?」
やはり、返ってきたのは啜り泣く音。
「僕が悪かったですから。泣き止んでくれると……」
「ぐすっ、私ね……」
唐突に語り始めた巴さん。扉越しの泣き声でもそれは明瞭に聞こえてきた。
「こんなの初めてなの。レンタルサービスを利用してくれるお客様にこんな仕打ちされたの……つい悲しくなっちゃって、泣いちゃって、こんなのいけないとはわかってるんだけど……プロ失格よね」
「……」
どこでプロ意識出してきてるんだこの人。呆れを通り越して、もう尊敬するまである。しかし泣かせてしまったのは事実な上、呼び出したのは僕の方なので全面的に悪いのは僕の方だ。たとえ、私用とか私情が挟まれているとしても。
「巴さん、鍵開けましたから」
そう伝えるも扉の向こうに反応はない。覗き穴から外を見る前に彼女の気配が消えたような気がした。僕は気配を読める特技を持っている。よくあるだろう、背後に誰かいると感じることが。その感覚が誰よりも鋭いのだ。故に気配のしない外に気を配れば、巴さんの姿は確認できなかった。
思わず僕は帰ってしまったのかと扉を開ける。しかし、開いた扉の向こうには誰もいない、ただの道路だけが存在した。まるで霞のように消えてしまったのだ。
「……はっ」
–––刹那、背後に感じた気配に振り返るより早く視界が黒に染まった。
「だーれだ?」
生温かい感触。塞がれた目。
決定的なのが背中に触れる柔らかい感触ッ!
僕は戦慄した。
いったいこの人は何処から入って来た。
「あの、先輩。これはいったいなんの真似で?」
目隠しをしてきた彼女に問う。
すると、おそらくは微笑を浮かべながら彼女が答える。
「……私ね、本当に傷ついたのよ?皆には優しい子だって聞いていたのに私だけこんな対応だし」
–––否、文句だ。
「本当、この仕事していて閉め出されたなんて初めてよ」
「……そうですね」
そりゃそうだ。呼び出しておいて拒否するとか本末転倒である。
「補習に出ろとまでは言わないわ。勉強しなさい。……頑張ったらご褒美あげるから」
僕は泣かせた手前、拒否することができなかったのだった。渋々、渋々顔ながらも了承する僕に巴マミは表情を崩したのを見て、やっぱり綺麗な先輩だなと改めて思う。
それから約一時間後。
机に齧り付かされている僕は“勉強”していた。「優しさも時には残虐性を持つ」ということを。今の拷問的な補習授業も巴マミという真面目人間からもたらされているものであり、泣かせた上で美人な泣きっ面には弱く、僕は貝木ほど詐欺師が向いていないところがわかったところで僕の中の打算は確実に成果を出し始めている。
元々、契約内容は一貫して“二時間”と決めてある。財力的に中学生が消費できる金銭の問題である。それが功を制してあと数十分で僕はこの家庭教師から解放される。そこまで耐え切れば、僕の勝利だ。だが、真面目に勉強するだけで時間を過ごすのは頂けない。
隣に座って手元を覗き込むマミに僕は切り札を提案した。
「あの、マミ先輩。そろそろ休憩にしてお茶にしませんか?」
「……そうね。その通りよね」
案外軽く釣れたマミはジッと僕を見てくる。話を聞いているということは、同僚であるまどかやさやかから何かしらの報告を受けているということ、そしてお茶した事実などは絶対に知っている。素知らぬふりして提案を待つマミへ、最後の餌をぶら下げる。
「じゃあ、お茶淹れてきますね」
「わ、私も手伝うわ」
「いえ、お客様なので手伝わせるわけには……」
お客様? ……はて、何かを忘れている気がする。
家庭教師–––じゃない、レンタル彼女だ。
僕は平然と忘れていた。家庭教師されているが、僕が雇ったのは家庭教師じゃない。
だとしたら家庭教師はオプションか?そういうシチュエーションか?
何か決定的に違う気がするが、わかることといえば僕が選択をミスったくらいだ。こうなるくらいなら『佐倉杏子』を選んでおくべきだったのだ。
「いえ、お茶を淹れるのは僕の楽しみなので盗らないでいただけると有り難いです」
「そ、そう……わかったわ。でも、今度は私がやるからね」
「今度」が来ないことを祈りながら、僕は一人お茶の用意をする。二人分の紅茶とケーキを持って僕の部屋に戻ると何やらフリフリしている小山があるではないか。ひらひらと揺れるスカートに覗く太もも、マミ先輩のお尻だった。何やら本人はベッドの下を覗き込んで何かを探している様子、捜索対象はなんとなくわかる。
「そんなところにエッチな本は隠してありませんよ」
「ぴゃぁっ!」
–––ゴンッ。
痛そうな音が鳴り、うぅ〜と唸りながら頭を出すマミ先輩を見やる。
「頭隠して尻隠さず」っていい言葉だなと思うと同時、彼女は弁解してくる。
「ち、違うのよ。君のテストを探していただけなんだから」
「テスト用紙なら鞄の中ですけど」
見られても困るものではないのでそう告げると、あははと取り繕った笑みでマミ先輩は佇んでいた。
「……興味あるんですか、そういう本」
「ち、違うのよ。私じゃなくて友達がね、男の子のベッドの下にはそういう本が隠してあるっていうから本当なのか確かめたくて……!」
「見つけてどうする気だったんですか?」
「えっ、えっと、それは……その」
まぁ探したところで見つかりはしない。父さんの部屋を探せばいくらでも出てくるが、そちらを持ってきた方がいいのだろうか。ロリ限定だけど。生憎と母さんがぼんきゅっぼんな本は始末したのだ。徹底的に浮気の原因は潰す所存である。
「先輩ってエッチな子なんですね」
「……ち、違うわ」
顔を真っ赤にして否定しているが、年相応には色々と知ってそうである。巴先輩ってエロいって有名だからな。男子には。もっとも興味無さすぎてサイトでその名前を見つけるまでは本当にどうでもいいことだったが。
「……そういえば、勉強頑張ったご褒美ってなんでもいいんですか?」
「!?」
この話の流れで『ご褒美』の話。
制限時間はあと少し、僕は押し切る。
持っていた盆を机の上に置き、居住まいを正していた彼女の前へ。
出来るだけ近づき、耳元に囁く。
「…………ごにょごにょ」
「ふぇぇ!? …そんな、こと…」
狼狽える先輩の姿はとても可愛らしいもの。
どうやらその間にも時間は過ぎていたようで、時計を確認すると契約は完了していた。
「時間ですね。お茶、飲んだら送っていきますよ」
これで勉強をしなくて済む。気乗りしない勉強ほど苦痛なことはない。そう思って紅茶とケーキを配膳していたのだが、マミは考え込むようにして俯いた後、顔を上げた。
「二木君、私ちゃんとお仕事できてないと思うの。だから、もう一度チャンスを頂戴」
「そうですね。気づくのがもう少し早ければ……」
もう手遅れだ。きっと手遅れだ。
憔悴しきる前に提案してもらいたかった。思い出して欲しかった。
それは叶わない。
だってもう契約完了してるんだもん。
そうこうしてるうちに僕の部屋の扉が開く。
帰って来ていた母親が顔を出したのだ。
それも、マミ先輩より童顔で、身長が低い母親が。
スタイルもロリ巨乳でなければ幼児体型。
「あらまぁ、うちのアオちゃんが女の子を連れてくるなんて……どこまでいったの?A?B?C?」
「初対面の相手に何言ってんだよ母さん。マミ先輩はそういうんじゃ……」
「お母様、ですか……?」
「あらマミちゃんっていうの?」
二人は僕抜きで会話を始めてしまった。
「母です。それで〜、アオちゃんとはどこで知り合ったのかなぁ?」
「そ、その……私、レンタル彼女をしていて」
徐ろに口を開いたかと思えば暴露し始めたマミ先輩。
朗らかに笑うのは母である。
「懐かしいわぁ。私もパパと出会う前はよく小銭稼ぎしてたのよねぇ」
「あんたもかよ!」
突如、判明した母の過去に驚嘆する。
でもやっぱりそっちのけでマミ先輩は暴露を続ける。
「でも、やめます。私一人暮らしで生活も苦しいけど、二木君が『マミ先輩が欲しい』って言ってくれたから。寂しかったけど、二木君がいればもう私は一人じゃないから」
「あらやだ、アオちゃんったら大胆」
……確かに言った。言ったが、それは冗談で……。
「お母様、心細いんで二木君を借りて行ってもいいですか?」
「アオちゃんでいいなら、好きなだけどうぞ。もういっそうちの子になっちゃう?」
僕の与り知らぬところで会話は続く。
会話を最後まで聞くのも面倒になって、僕は天井を仰いだ。
–––話が終わったのはもう夜に差し掛かった時。
「じゃあお母様、二木君はお借りしますね。今度は私の家でお勉強よ。……それで、そのあとは、ちゃんとご褒美あげるから」
「ちょっと待って。行くのはいいけど、勉強は勘弁して!」
–––そして、マミ先輩のサービス残業は始まった。