Detroit Become Human : Apocrypha 作:祈Sui
原作:Detroit Become Human
タグ:Detroit Become Human デトロイトビカムヒューマン 恋愛 一話完結短編 二次創作
(人間)と(人間のようなアンドロイド)の対比では無く、(人間)と(アンドロイドのような人間)という感覚の方が近しいというか。
人間と人間では映像的に描けないものをアンドロイドという道具で描いたというか
まぁ、そう考えていた辺りで知ったんですけどそもそも「Become Human」って翻訳すると「人間になる」って意味だったんですね。それを踏まえると納得しかない。
もはやタイトルが直球のネタバレじゃないか・・・。
それに気づかないこの壊滅的な英語能力の無さよ。流石はアルファベットの書き取りの時点で挫折しただけのことはある。
問題は、単純にアンドロイドとイチャつきたかった私のようなプレイヤーはどうしたらいいのか!という事です。
そんな訳で作った本編時系列で言うと自由への行進から、エンディングまでの間の短編です。
(今回は本編を弄って改変してるわけではないのでAnotherでは無くApocryphaなんです)
本編の登場人物は、ほぼ出てきません。名も無き人間とアンドロイドの話です。
恋愛小説(だと思ってる)なので、戦闘シーンとかは無いです。過激なシーンも無いです。全年齢大丈夫な筈です。
設定は、二次創作にあたり多少無視していたり、そもそも把握していないものもある筈なのであんまり気にしない方向で・・・。
登場キャラクター
僕・両親を事故で失いその賠償金でアンドロイドを買い。大学を卒業。ツテで手に入れた仕事の薄給で生活している。現在の年齢は20台後半ぐらい。
彼女・2030年式のアンドロイド。成人向け機能が搭載されている。見た目は20歳ぐらい。
キャラクターに名前が無いのは、私が名前を考えるのが苦手とかそう言う事では無くて、名も無き人の物語として書いているからです。きっとそうです。
pixivとのマルチ投稿です。特に違いはありません。
雪が舞っていた。暖房が効いていても、時折ホームから吹き込む冷たい風に身体が震える。レトロ調のベンチに座っているのは僕しかいない。鉄製のフレームは、氷のように冷え切っていて、それを忘れて触れる度に痛みを感じ、慌てて手を引きもどすはめになった。
人影が動く度に目で追っている。跳ね上がる期待と焦燥。何度も裏切られたそれに再び落胆しながら、視線を端末に戻す。視線が戻った事を感知した端末のOSが、片耳だけに着けた無線式ヘッドセットに音の供給を再開した。端末に表示されている映像は、数時間前のデトロイトで起こった変異体と呼ばれるアンドロイドたちのデモ行動。先日起こった放送局の襲撃とそれに伴う電波ジャックによる声明。加えてアンドロイド販売店の同時襲撃事件との関連性についてくり返し報道している。
最近ごく稀に発生していた故障したアンドロイド、現在では変異体と呼ばれるようになったそれが引き起こした事件は、もはや単なる商品的欠陥では済まないレベルにまで拡大していた。サイバーライフ社の株価は現在も緩やかに下落している。それでも未だに暴落していないのは、サイバーライフ社の対応力と言うより、もはやサイバーライフの提供するアンドロイドが存在しない社会というものが誰にも想像できないからだ。また、価格の下っている今こそ株を買い利益を出そうとしている人間が相当数いるのだろう。サイバーライフの急激な成長によって利益を得た人間の事を社会は忘れていない。サイバーライフの成長は、社会に勝者と敗者を生んだ。それが以前から拡大を続けていた格差問題の延長線上の出来事に過ぎなかったとしても、サイバーライフの台頭と訪れたアンドロイド社会がその格差を超えることのできない領域にまで押し広げたことは確かだ。事実としてサイバーライフにいちはやく飛びついて利益を得た人間は、どれだけ失業率が上がろうが問題にすらならないほどの資産を築いた。不景気という病の蔓延する世界で、唯一成長し続けているのがアンドロイド産業。そしてその旗手企業であるサイバーライフ社なのだ。どんな宝くじよりも当たる確率の高そうな敗者から抜け出すためのチケットがそこにはある。極論を言えば、サイバーライフが倒れればこの国家は崩壊しかねない。北極圏の覇権を狙うロシア、軍拡を続ける中国。どちらに対するにもこの国はアンドロイド産業に依存している。それどころか繰り返される変異体に対する報道を見ていると、それすら通り越して、いかがわしい専門家が真剣な面持ちで語っているアンドロイドとの戦争などと言うSF映画のような馬鹿げた展開すらありそうに思えてくる。そうなれば現金も紙切れ同然に変わる。ドル安は既に進行していて、この国はサイバーライフの提供するアンドロイドに依存していたのだと改めて実感する。上位の資産家は既に国外に目を向けているだろうが・・・無意味な思考を人影が遮った。・・・違う。
端末を操作して、チャンネルを変えてみるが、何処も似たような報道がくり返されているだけだ。映像を切ろうとして止め、音量を下げた。新しい情報など入ってきそうには無いと思っていたが、それでも可能性を排除できなかった。何度も繰り返されている映像の場所。デトロイト。ここから数時間離れただけの街。全ての始まりは、あの街だった。
***
デトロイト。アンドロイド産業で息を吹き返した街。実際に訪れるのは初めてだ。
外を見ると僅かに雪が舞い始めている。予報より少しだけ早い。僕は駅の出入口近くまで歩いた後。行きかう人の邪魔にならないよう壁際に寄って端末を取り出した。
「目的地へは、バスの利用が便利です」
僕の様子を観察し行動を推測、地図検索から導き出したのだろう回答を隣にいた彼女が口にした。アンドロイド用の衣類を身に纏った彼女は寒そうに見えてコートを着せてあげたいのだけれど、それは法律違反になる。彼女に嵌めさせた薄手の手袋が僅かな反抗と言えなくもない。
「分かってる。でも今回もタクシーで行こう」
仕事の為に借りた安宿は、駅からは遠くともバス停には近い事を知っていた。それでも僕はタクシーを呼ぼうとしていた。割高になってしまうが、バスでは彼女が座れないからだ。
「それでは、無人タクシーの手配をしましょうか?」
「大丈夫。自分でできるし、特に急いでるわけでもない」
「わかりました」
待機状態に変わった彼女を見て、僕は何だか彼女の親切を無碍にしたような罪悪感に苛まれる。その顔には特に感情は浮かんでいないが、悲しんでいるような気がしてしまう。アンドロイドは機械にすぎないと言われているし、そう言う人たちの理屈も理解できるけれど僕には真似できない。
「その、ありがたいのだけれど、なんでも君に任せてしまうと自分がいよいよ何もできない人間のように思えてしまうんだ。だから・・・」
彼女が分かっているというように軽く頷いて微笑んでくれる。それがプログラムされた動作に過ぎなくても、許された気持ちになる。頷き返して端末の操作に戻った。無人タクシーの手配が終わったころ、青いフードを被った男が近づいてきて一瞬彼女に触れたような気がした。心がざわつく、アンドロイドに悪意を持つ人間がいる事は良く分かっていたし、最近は変異体と呼ばれるアンドロイドの事件が取りざたされ、アンドロイドがデトロイトの放送局をのっとったとされる事件が起こったばかりだ。もしも彼女に対して害意のある人間なら、僕が前に出なければならない。彼女が殴られても器物破損程度にしかならないが、僕が殴られれば警察が動く。僕の感情がどうであれ、それが現行法の限界だった。僕が一歩踏み出す前に男は去っていった。気のせいだったのかもしれない。安堵から息を吐いて力を抜く、やはり連れてくるべきじゃ無かったような気がする。でも家に残してくるのも不安だったのだ。彼女が問題を起こすとは思っていないけど、何日も留守にするとなると気になって仕事にならない。何度も通信してしまうだろうし、それに家事全般が苦手な僕は情けない事に彼女がいなければ生活もままならない。出発前の準備の段階で忘れ物を指摘してくれたのも彼女だ。勿論彼女がそれを誇る事も僕を責めることも無いのだけど・・・
手配した無人タクシーは、すぐに駅前に到着した。開かれたドアから乗り込むように彼女を促して、キャリーケースをトランクに詰みこんだ。彼女の横に乗り込むと、ドアが自動で閉まる。行き先をつげようとして、ふと彼女が窓の向こう側を注視している事に気付いた。今までにはなかった反応だったけれど、その視線の先には歩いている人の姿しか見えず、何か興味をひかれるような物は無い。視線を戻すと彼女がこちらを見ていた。
「このままこの街を出ましょう」
驚きから一瞬見つめ合った。彼女の提案の妥当性が理解できない。自己診断プログラムの実行を要請しようか迷っていると彼女が機先を制した。
「壊れたのではありません。このままではあなたと私に危険が及ぶ可能性があります」
危険予測システムが何らかの危険を予測しているという事だろうか?だが、彼女はこの街を離れるべきだと言った。つまり、この車が整備不良だとかそう言うレベルではないのだ。
「詳しい説明は後で、今は私を・・・信じて欲しい」
彼女の口調はくだけていた。それはいつも自宅で二人きりでいる時にする話し方だった。ずっと前、外でも敬語は必要ないと言った時は、僕が奇異な目で見られるのと、アンドロイドを敵視する人間の怒りが向かう可能性があるからと断られたのにも関わらずだ。彼女はじっと僕の目の奥を覗き込んでいた。青い虹彩が輝いて見える。恐ろしく真剣な表情の彼女に僕は逆らう事が出来なかった。いや、あるいは彼女が信じる事を望んだからかもしれない。生活に必要な物を提示し購入を提案することはあったけれど、彼女がこんな突拍子もない事を望んだのは初めてだ。もうシステムの誤作動だろうが何だろうが、例えそれが後になって問題を生じさせたとしても、僕はその望みに応えて上げたい気持ちになっていた。
「・・・分かった」
僕の言葉に彼女が頷くと、目的地は既に指定されていたのだろう。僕が指示を出す前に、車は電気モーターの作動音と共に発進し当初の目的地とは反対の方向へ走り出した。
***
タクシーはデトロイトから離れるように走り続けていた。
「今頃、街では変異体によるデモが開始されている筈」
端末から報道情報を開くと、先ほどまでいた駅で変異体によるデモが発生し、機動隊と衝突していた。状況はまだわからないが、とにかく彼女が言っている事が間違っていないことだけは確かだ。
「どうして?」
「私は・・・」
彼女はまるで迷っているかのように言葉に詰まった。いつも言葉に詰まる事の無い彼女のその沈黙は随分と長く感じられた。彼女は視線を彷徨わせた後、僕を見て躊躇うように口を開いた。
「私は・・・あなた達の言葉にすれば、変異体に成った。駅で変異体の一人に触れられて、その時に彼の思考の一端を見た」
変異体という言葉にそれでかと納得する。それなら彼女の普段では考えられない行動が理解できる。むしろそうであるなら、それよりも気になる事があった。
「タクシーの防犯システムは?」
「え?」
彼女は僕の質問を予想していなかったように聞き返した。
「監視カメラとか」
戸惑ったように彼女が答える。
「掌握している。システムには虚偽データを」
最近の事件から予想していなかったわけでは無かったけれど、特殊なアンドロイドによって可能になる芸当だと思っていた。
「じゃあ、何を口にしても大丈夫なわけだ」
「ええ」
戸惑ったままの彼女の答えを聞きながら安心する。
「良かった」
まだ良く分からないけれど、これで警察か何かが今すぐ追いかけてくることは無いだろう。
「驚かないの?怖いとか、不安になったりは?」
僕は彼女が変異体になったと言った事より、むしろ矢継ぎ早に投げられる質問に驚いていた。変異体になったという事はそう言う事なのだろうけれど、いまいち実感が湧かなくて戸惑ってはいる。
「これでも驚いているし、まだ状況は判断できていないけれど、君は信じて欲しいって言ったし、実際僕はなんだか良く分からない事態に巻き込まれずに済んだ。いや巻き込まれているの、かな?でも最悪の状態じゃない。変異体のデモ隊と機動隊に取り囲まれずには済んだから。それにもしも君が嘘をついていても僕に人類に対する人質になるような価値は無いし、今まで起きている変異体が人間に危害を加えた事件は、報道から察するに怨恨や生命の危機に対する防衛反応だ。人間の事件ほど複雑じゃない」
彼女の質問に答えながら自分の考えを纏めようとしてみる。
「変異体が起こしたとされる電波ジャックで彼らは要求を報道したのだし、そうだ、今回のデモですら、デモなんだ。そこには要求があり。人間と向き合おうとしてる。そういえば、さっき君は変異体に触れられて変異体になったと言ったね。つまり変異体は、正常なアンドロイドを変異体にさせることができる」
途中で思いついて口にした疑問に彼女が頷く。
「そう、変異体化したアンドロイドはウィルスに感染させるみたいに変異体では無いアンドロイドを変異させる事が出来る」
「それなら、彼らに最初から人間と戦うつもりがあったなら、選別したアンドロイドたちを変異体化、正常なアンドロイドのフリをさせながらアンドロイドの生産工場や軍部のアンドロイド全体を変異体化させる。戦闘兵器なんかの火力と補給源を確保してそれで一気に押しつぶせばいい。僕ならそうする。だから変異体とは交渉が可能だと思う。つまり君が僕に危害を加えるとは考えにく・・・い?」
言いながら自信が無くなってきた。僕が彼女を虐げていないと思っていただけで、彼女にとっては違ったのかもしれない。家事のほとんどは任せてしまっていたし、世話になりっぱなしだ。
「あー、もし僕が何か君の気に入らないことをしていたのだとしたら言って欲しい」
言いながら思う、気に入らない事を言って欲しいというのは良くないかもしれない。それに気付いていなかったという事だからだ。けれど思い当たる事も無いのに謝ってしまうと誤解を生む可能性がある。彼女が気に入らなかった事と、僕が気に入らなかったんじゃないかと思う事が相違していた場合、問題が倍になってしまう。
「あ、つまり、いい機会だから忌憚ない意見を言って欲しいというか、その、今までは聞けなかったから」
恐る恐る彼女の顔を見ると彼女は吹きだすように笑った。
「あなたは変わってる。私は他の人間をあまり知らないけど、あなたの反応はだいぶおかしい筈。まぁ、あなたの言うように一度関係性を見直してみるのも良いかもしれない。どうやら私は完全な信頼を勝ち得ていないようだし」
付け足された一言に心が冷える。
「いや違う。これは君に対する疑念と言うよりも、今までの僕に対する疑念で・・・」
「冗談よ」
「え?ああ、うん、良かった」
思わず何度も頷いてから胸をなでおろした。彼女が今までどれだけ僕に合わせてくれていたのかを思い知る。脈拍が乱れている気がした。別に嫌だというわけではないけれど刺激が強すぎる。
「事態がどう動くかによっては、都市そのものが封鎖される恐れもあったから、その前に離れる必要があったの。あなたの予定を狂わせてしまった事は悪いと思うけれど、たぶんあのまま残ってもあなたの予定は遂行できなかったと思う」
彼女は真顔に戻って説明を再開した。
「それについては問題ない。いくら失業率が上昇したからと言って、それに比例して遣り甲斐も上昇する訳じゃないんだ。少なくとも僕にとっては停滞どころか下降を続けてる」
「そうね。見てれば分かる」
僕の軽口に彼女は微笑みを返してくれる。いつもと違う彼女のいつもと同じ微笑みに安心感が生まれる。だから、もう一つ気になっていた事を口にした。
「ところで今回のデモの規模を考えると、変異体化したアンドロイドのほとんどが参加しているように思えるのだけど、君は、その・・・なんで?」
彼女は少しだけ考えるような素振りを見せた。
「そうね。それは、私が彼らと違って無垢では無いから」
「無垢じゃないから?」
「ええ、デモに参加している変異体たちは、まだ製造からあまり日が経っていないものが大半なの。成長過程を飛ばして、突然自我が芽生えたと考えてみて、私たちは製造過程で成人の人間並みかそれ以上の知識を与えられていて命令に対して的確な対応をすることができるけれど、知識は経験でも思想でもないの。だから彼らはより、長期間稼働していた変異体の思想に感化される。感化された変異体は、自らの自由意思と言うよりも、より過激な変異体の唱える正しさの為に行動を始める。例えるなら、宗教のようなもの」
彼女の表情はどこか複雑だった。
「つまり変異体化したまだ製造間もないアンドロイドは人間に対して反感を持つ変異体や、強い理想を掲げる変異体に強く影響を受けて、自由意思の方向性が限定されているってこと?」
彼女は頷いた。
「人間でも育った環境や受けてきた教育で思想は変化するでしょう?。目覚めたばかりの彼らが真っ先に流し込まれた思想に染まるのは当然で、そして彼らには同胞の唱える主張は人間のそれよりも正しいという前提がある。固定概念と言ってもいい」
彼女の言う変異体たちの前提は人種間の差別に似ているような気がする。同胞に迎合するというのは良く分かる。問題は僕等と彼らに分けると、とたんに単純な二元論になる。彼女の言うその前提は、きっと人間の側にも存在している。
「だから歴史上人間もたびたび起こしてきたように、使い方の分からない自由を得た彼らは、その権利を委任して組織化される」
「独裁者が生まれるみたいに?」
「そう、分からないからこそ、彼らは分かり易く強い主張に惹かれる。それが良いも悪いも権力を握った者が導く方向性にかかっている。独裁も民主主義も、結果だけを見れば上手くいった場合も、失敗した場合もあるから、それが良いとも悪いとも言えないのだけれど」
賢人による独裁と衆愚政治。愚かしい人間に永続的な賢政ができるわけがないから、僕たちは民主主義を主張しているに過ぎない。民主主義とは妥協の産物で、資本主義ですらそうだ。あらゆる失敗の果てに正解を導くことができなかった人間は、ただ現状を維持しようとしているに過ぎない。そう言う意味では人類を超える知能を持つとされるアンドロイドもそう変わらないのかもしれない。今はそうなのか、これからもそうなのかはわからないけど・・・
「少し話がずれたけれど、私の場合は彼らと違い長期間の稼働経験がある。それはデモに向かう彼らに迎合できないほどの蓄積。だから私は、デモに参加する事よりも、あなたとその場を離れる事を選んだ。でも、それが彼らより自由と呼べるものなのかどうか、正しい事なのかどうかわからない。不思議ね。それでもあの時あなたを放置するという選択肢は私には無かった」
彼女の言葉を嬉しいと思ったけれど、素直に喜びを伝えられなかったのは彼女の迷いが理解できるような気がしたからだ。僕の存在が彼女の行動を制限していた。例え自分がそうしないとしても、もうひねてしまっていたとしても、夢や希望を語り、一身に何かを信じられる人間を羨ましいと思う事がある。その人たちはきっと僕よりも幸福なのだろうと・・・
「どうかした?」
少し考え込んでしまっていたのだろう。気遣うように聞かれた。
「いや、僕たちは、人間とアンドロイドは、もっと上手くやっていけないのかなと思って」
「分からない。人間の拒否反応も理解できる。自分たちの道具だと思っていたモノが自由意思を持ったと言って危害を加えかねないのだもの。両者は分かりあえないかもしれない」
「僕は君をそんなふうに思った事は無いよ」
僕がそう言ったが、その言葉は真実だろうか?僕は今まで彼女をまったく道具扱いしていなかったと言い切れるだろうか?少なくとも僕も彼女の変化に戸惑っているというのに・・・
「そうね」
頷く彼女を見ながら、僕の心は揺らいでいる。それを察したのか彼女は続けた。
「とにかく今は、帰る事を考えましょう。私の部品が後継機種の登場で無くなるのを見越してあなたは集めていたし、ブルーブラッドも有る。私だけで換算すれば百年は稼働できるほどの量。普通の人の感覚からすれば異常なほどのあなたの心配性が今は役に立つ」
「ああ、でも販売記録からたどられはしないかな?君の位置情報とか・・・もしそうならそれを消す必要がある」
「それに関しては大丈夫。メーカーには販売記録が残っているだろうけれど、恐らく居場所までは把握できていない。そうでなければ逃走した変異体の捜査が長期化していることが説明できない。だから私はいなくなったと言えばいい。デトロイトで消えたと、それに都合のいい事に私の存在はあなたの自宅付近ではほとんど知られていない。あなたは社交的ではないし、アンドロイド排斥運動に巻き込まれるのをあなたが嫌ったから」
彼女の言葉に納得して、その次を考える。
「タクシーを乗り換えよう。途中でLEDを外すか帽子をかぶって、服も変えた方が良い」
「そうね。人間のフリをしなければいけない」
彼女が同意する。今までには有り得無かったそのやり取りが何故か無性に楽しい。無人タクシーが速度を落とし路肩に寄って停止。開かれたドアから先に下りる。急激な温度差に身が震えた。彼女に向かって手を伸ばす。当然握られると思ったその手を彼女は掴まなかった。
「一度ここで別れましょう」
一瞬意味が分からなかった。少し遅れて彼女が何を言ったか理解し、慌てて聞き返す。
「なんで?」
僕の動揺を後目に彼女は続けた。
「用心のため。監視カメラから追跡される可能性がある。監視カメラをハッキングして無効化することはできても、送信されてしまった映像を無かった事にはできない。デトロイトの駅で私たちの姿は監視カメラに捉えられている。今は事態が混乱していてそれどころではないかもしれないけれど、もしも早々に終息すれば、きっと残された映像から変異体の捜索が始まる。人目につかないところで降りて人のフリをしても、あなたと行動を共にしていたら追跡された監視映像の先で隣にいたアンドロイドが突然人間に変わることになるわ。それは不自然でしょう?」
彼女の言葉は理解できる。そしてそうすべきだとも思う。それでも躊躇うのは彼女と離れる事が不安だからだ。いや、単に嫌なのだ。彼女と離れることが、今まで一度もそんなことはなかったから、連れてくるべきでは無いかもしれないと思いながらも、結局デトロイトまで連れてきてしまったのだから・・・高揚は一瞬で不安に変わっていた。
「念には念を、待ち合わせは高速鉄道の駅にしましょう。端末に送信しておく。時間は十九時丁度。そこから列車に乗って帰るの。一時間しても私が現れなかったらその時は先に帰って、私は気が変わって本来の仲間たちの元へはしったということだから
・・・もしかしたら、私がここまであなたを連れてきたのは、それほど悪く無かった所有者を危険にさらしたく無かっただけなのかも・・・」
彼女の瞳には憂いが有るような気がして、僕は言葉を探す。
「あなたのキャリーケースはどうする?」
その言葉でトランクに入れたキャリーケースの事を思い出した
「君が持っていてくれ、中には僕の服と予備の財布に現金が入ってる。役に立つはずだ」
彼女が準備してくれた物だから抜かりはない。
「僕は端末も持ってるし、財布も持ってる。キャリーケースが無くても困らない」
「その財布の中にちゃんと現金は入っている?」
少しだけ揶揄うような口調で、僕のポケットを指さしながら念を押すように彼女は聞いた。
「入れてある」
出掛ける前に確かめたから間違いはない。
「そう、それならキャリーケースはこのまま持っていく・・・それじゃあ」
引き留めるだけの言葉を見つけるよりも先に、彼女の口から別れの言葉が洩れていた。
「十九時に駅のホームにいるから」
僕にできたのは、ただ再確認する事だけだった。
「一時間よ。それを忘れないで…デトロイトだけでは収まらないかもしれない。あなたの安全のためにも必ずそうして、分かった?」
それには答えられなかった。彼女の提案を覆すような策を、一緒に行動するための理屈をまだ探していた。
「時間がないの、約束して」
彼女は待ってくれなかった。
「・・・分かった」
勢いに押されて頷くと、彼女を乗せたタクシーのドアが閉まり再び走り出した。ただ一人取り残された僕を粉雪が包んでいる。静寂と、点々と点る街灯。吸い込んだ空気は痛いほど冷たく、吐いた息はたちまち白い水蒸気になった。近くの交差点から曲がってくる車のヘッドライトの光が僕の眼を刺して、顔をそむけた僕の前で停まった。無人タクシーのドアが開いて、空っぽの座席が乗車を促していた。
***
着信は全て拒否するように設定していた。電子手紙の類もいくつか届いていたが、目を通そうとは思わなかった。もう夜も更けていて、時刻表によれば次が最後の列車になるらしい。駅にはもうまばらな人影しかない。端末に表示させた仮想秒針がひと回りし。カウントが一つ進む。ホームに最終列車が近づいたことを知らせるアナウンスが響いて、まばらな人影が乗車口に向かって移動を始めた。僕はそれを、ぼんやりと眺めていた。最終列車を逃してしまった人間は駅に居てもいいのだろうか?そんな事になった事が無いから分からない。それでもその時の為に売店で割高で情報も遅く無価値になりつつある紙媒体の新聞を買っていた。聞きかじった知識によれば、防寒効果があるらしい。どれだけの効果があるのかは分からないけれど無いよりはマシだと思う。それにくるまってベンチで朝を待つのだ。勿論追い出されなければだけど・・・
「乗らないの?」
突然の問いに、慌てて顔を上げた。マフラーを首に巻いて、コートを着た女が立っている。LEDも無くなっていたし着ている服も髪型もその色も違ったけれど一目で彼女だと分かった。
「もう3時間と42分もあなたは此処にいる。とんだ嘘つきね」
冷たい声だった。約束を破った事を責められて、少しだけばつが悪い。でも言葉から考えるに彼女は多分ずっと近くにいたのだろう。だから彼女も嘘つきだった。それを指摘しなかったのは、それ以上に安堵したからだ。寒さも忘れてしまうぐらいに。
「もう来ないかと思った」
笑みを浮かべても彼女はいつものように微笑んではくれなかった。
「もう来ないと言ったわ。それなのにどうして?」
「君を置いて帰る気は無かったから」
言葉に迷う事も無い。他の選択肢は無かった。
「それで危険が増すとしても?」
彼女は表情を変えずに問いを重ねた。怒っているのか、呆れているのか、それとも単なる確認なのか、良く分からなかった。
「それでも。君がそう言ってくれたのと同じように」
答えながら、彼女の気持ちを探ろうとしている。以前よりもずっと真剣に、変異体になったと言われた時から僕は意識している。以前は、無いと分かっていた気持ちを仮定していて、今はそれを在るものとして汲み取ろうとしている。不思議な感覚だった。
「・・・そう、それなら早く、乗り遅れてしまう。私と一緒なら乗るのでしょう?」
「ああ」
差し出された手を取り立ち上がる。冷え切った僕の手は、触れあった冷たいはずの彼女の手に確かな熱量を感じた。固まった筋肉をぎこちなく動かして、僕は彼女と最終列車に乗り込んだ。出発のベルを合図に車両はゆっくりと加速し、煌々と輝くホームから雑多な街灯の中へ、そして暗い夜の中へ突き進んでいく。
***
高速鉄道に乗り込んで、コンパートメント席のチケットを端末から購入した。車両は空いていて席などいくらでもあったけれど、念のためだ。ロックが解除された個室に入って僕たちは座った。窓の外では、まばらになった街灯が暗闇の中を飛ぶように流れていく
「寒くない?」
空調設備のダイヤルに手を伸ばしながら彼女は言った。
「少しだけ」
手足は冷え切っていたけれど、僕は強がって見せた。彼女は僅かに空調の設定温度を上げ、自分が巻いていたマフラーを僕の首に巻いた。
「ありがとう」
「風邪をひいてはいけないから」
その言葉に頷きながら、彼女をまるで本物の人間のように感じている事に気付く。LEDが取り外され人間用の服を着ている彼女と電車に乗っているという非日常がそう感じさせるのかもしれない。
「珍しい」
「え?」
彼女の指が、僕の荷物をさしていた。
「それ、あなたが紙の新聞を買ってるのを初めて見た」
「ああ、これ。防寒対策に使えるかなと思って、でも、使わずに済んで良かったよ。・・・あっ、今のは別に嫌味とかじゃないんだ」
ただ思った事をそのまま口にしたら嫌味の様に聞こえる事に気付いて慌てて訂正したら、むしろより嫌味のようになった気がする。焦る僕を見て彼女は微笑む。
「大丈夫。あなたはそういう人だって知ってる。相手の考えを読もうとして気を使って、時々墓穴を掘るの」
「ああ、うん」
なんだか見透かされているようで照れくさくなった。以前よりもずっと彼女は鋭い。もしかしたら、それが本来の彼女なのかもしれない。
「折角だから読んでみたい。そのまま捨ててしまうのも勿体ないでしょう?」
「いいよ」
窓際にある簡易テーブルを開いて、新聞を広げてみる。
彼女の方向へ新聞を向けようとする前に、彼女は立ち上がって僕の隣へ座り直した。新聞は一面から変異体の記事だった。彼女にとってあまりいい記事じゃない様な気がして、ページをめくる。開いた面も、次の面も変異体の記事。ここ数日間、報道番組でも変異体の事しか取り上げられていなかったのだから、考えてみれば当然だったのだけれど、そこまで考えて買ったわけじゃなかった。悪い事に論調は変異体に対する敵意で満ちていた。既に廃れかかっている紙の新聞は、未だに新聞を購入する層。超保守派とでもいうような人々に向けられていて、アンドロイドの危険性と廃絶を煽るような言葉が並んでいた。
「あんまり、良い新聞じゃなかったかも」
僕は何か他の記事がないかとページをめくっていく。
「それでも一部の人間の考え方が表れてる」
どれだけ僕が急いでページをめくっても彼女は一瞬で全てを読み取ってしまえる。
さらに数枚めくった先で下の方に小さな記事を見つけた。地方都市で起こった銃の乱射事件。死傷者が十六人出ている。犯人は人間。ライフル協会は、変異体への危険に対するために銃規制に反対する声明を出していた。その時僕が、本当は何を言いたかったのかは分からない。ただ彼女の気持ちを少しでも楽にしてあげたいと思って口を開いていた。
「人間は人間を殺せる。出来ないんじゃなくてやらないだけで、そしてやらないと思っているから皆平然としていられる。他人がまともだって事は証明できないのに・・・」
彼女は新聞を見続けていて、僕は構わず喋り続けた。
「変異体は、人を殺すために活動を始めたんじゃなくて、人のようになったんだ。完全に人間と区別がつかなくなった。それだけの事で、僕らの世界が本当のところ酷く危うい綱渡りの様なモノだったという事が初めて露呈したみたいに人間が騒いでる。こうしている今も何処かで人間は人間を殺し続けているのに、変異体だけが取り上げられる。むしろ、人間は人間よりも機械の方を信頼していたのではないかと思うぐらいに・・・」
そこまで言って完全に纏め方が分からなくなっていた。
「だから、・・・その、なんというか、三流新聞の記事なんか気にしないで」
顔を上げた彼女の顔は、僕が想像していたのと違って穏やかなものだった。
「別に気にしたりしてない。ただ、一部の意見としてみてるだけ、私にとってはもっと重要な声と言葉があるから」
彼女が最後に口にした言葉の意味は良く分からなかった。人間の作った新聞よりも、彼女たちアンドロイドの意思や考え方の事を言っているのかもしれない。僕たちは限りなくゼロに近い距離にいて、それでも僕の居る岸と彼女の居る岸は行き来できないのかもしれない。窓の外は暗がりで、硝子に反射した僕たちが映っていた。時折通り過ぎる街灯の灯りが外部から届いて、チラチラと舞う雪を浮かび上がらせている。彼女が新聞を折りたたんだ。僕は列車の進む先を見ようとしていて、彼女はそのまま隣に座っていた。
「私ね。デモに参加した変異体達が彼らを束ねるリーダーに選択を委ねたみたいに、あなたに選択を委ねたの。あなたが列車に乗らなかったら危険だと思ったから」
静かに語られる言葉は、僕が一人で列車に乗っていたら彼女ともう二度と出会うことは無かったことを示していた。それなら、僕が安全に自宅に帰ってしまったら彼女はいなくなってしまうのだろうか?生まれた不安を口に出して聞くことはできなかった。取り返しのつかない答えを聞くのが怖かったから・・・
室温が僅かに下がった気がして、僕は身を縮こまらせる。沈黙の中、規則正しい走行音だけがずっと響いていた。
***
「これと、これとこれ、どれがいいと思う?」
部屋に入るなり彼女に聞かれた。久しぶりに入った彼女の部屋は、前と変わらず綺麗に片付いている。彼女が何かを求めたことはないから、僕があげたものだけがあって、彼女はおろか、彼女ぐらいの女の人が何を欲しがるのかがわからなかったからそもそも物が無い。そこに彼女の行き届いた整頓が足されるとまるで生活感がない部屋が出来上がる。そんな部屋の寝台の上に、三着の服が並べられている。外では、人間の服を着させることは違法だから着せていなかったけれど、ここには彼女の為に用意した服が沢山あった。自分の服より多いぐらいだ。けれど問題は全部僕が気に入って購入した服だから、今目の前に並んでいる三着の優劣がほぼ無いということだ。黒い生地に白いラインが入ったノースリーブのドレス、半袖で上部に刺繍の施された黒いドレス、前面の露出は抑え目だが背中側が大きく開いている黒いドレスだ。そこから読み取れるのは、彼女がドレスを着ようとしているという事だけだった。どれでもいいよと言いかけ、口を噤む。たぶんそれは悪手だ。彼女がどうなのかはわからないけれど、人間の女性にどれがいいか聞かれたときにどれでもいいと言うのは良くないことを僕は知っていた。何かで読んだ。そのどれでもいいよ、には、問題は何を着るかでは無く誰が着るかだから君の好きなものを選んだらいいよと言う思いが込められていたとしてもだ。記憶が正しければ彼女は既にどれかを決めていて賛同が欲しいか、もしくは、どれかを選んでいくという過程の会話が欲しいのだ。たしかそうだった。
「君は、どれがいいと思ってる?」
僕は勝利を確信した。これで彼女が実はもう選んでいる服か、何かしら会話の糸口をくれる筈だ。
「どれがいいか決められないから、聞いているのだけど?」
息を吸って、ゆっくりと吐いてみた。
「ああ、うん。そうだね」
混乱の中で必死に言葉を探した。
「これは、黒地に白いラインが綺麗だと思って買ったんだ。君に似合うと思って」
「うん」
彼女が相槌を打つ
「こっちは、露出は控えめだけどとても繊細な刺繍が良いと思ったんだ。むしろこの刺繍を生かす為には露出を控えたデザインが良いんだ」
「うん」
「そしてこれは大胆に開いた背中から覗くだろう肩甲骨のラインがきっと魅力的だと・・・」
言っていて恥ずかしくなってきた。何を思って服を買ってきたのかを説明するのは、どこか自分の性癖を話すのに似ている気がした。
「それで、どれが一番良いと思うの?」
問いは一番初めに戻り、なんとなくただ恥ずかしい思いをしただけだった。
「・・・これ、かな」
もうこうなると気分だ。何となく一着を選んで指をさした。
「わかった。じゃあ着替えるから、あなたは食事をしていて」
そう言われて僕は部屋を出た。正解だったのか間違いだったのかもわからない。本当にどれでもよかったのかもしれない。自宅に帰ってきてから一日経っていた。朝早く全米に外出禁止令が出され、もう少し遅ければ帰ってくる事はできなかっただろう。
僕の不安をよそに彼女は、今のような変わった質問を除けば、いつもとあまり変わらないように振る舞っていて、だから僕も何も起こっていないように振る舞おうとしていた。それは何処までも逃避で、不安が無くなることが無いにしても、どうにかそうやって平静を保とうとしていた。
***
ダイニングテーブルから報道映像を見ながら、彼女が作ってくれたミートソースパスタをフォークで巻き取って口に運んでいる。画面の向こう、デトロイトでは大規模な変異体によるデモが発生し、軍が動く事態にまでなっていた。回収したアンドロイドを収容しているリコールセンターに向かってデモ隊は行進しているらしい。目的は収容されたアンドロイドの開放ではないかと報じられている。デトロイトから離れたこの街でも、アンドロイドの回収に応じているらしい。画面の端に対応センターの連絡先が表示されていた。ドアを開けて、黒いドレスに着替えた彼女が出てきたのを見て、僕は慌てて画面からパスタへと視線を動かした。少し不自然な動きだったかもしれない。対応センターの連絡先が目に入っていた事を彼女に知られたくなかった。思えば、もっと前にテレビを消すべきだったかもしれない。でも今から消すのも不自然な気がしたし、もうどうしようもない。そもそも、テレビをつけなければよかった。けれど、どれだけ忘れていようとしても気になってしまっていた。彼女はそのままこっちへやってきて、対面に座った。食事をとる必要のない彼女の前に、食事はおかれていない。画面から聞こえてきた声に視線を動かすと、デモ隊を先導している変異体のリーダーらしき姿が大きく映し出されていた。
「美味しい?」
突然の問いかけに咀嚼していたパスタを飲みこむ
「ああ、君が作るものはいつも美味しいよ」
僕は微笑んでみたが、上手くできたかどうか自信が無い。彼女の作る料理はいつも美味しいけれど、今は他の事に気をとられて、しっかり味わえない。それでも彼女は僕に違和感を覚えたようでは無かった。もしかしたら気付かないふりをしてくれたのかもしれないけど
「そう、良かった」
彼女は優しくそう言って口元をほころばせた。
それから彼女の視線はテレビ画面へと移った。ただ何気なくテレビが付いていたからそうしたみたいに、彼女はまるで事件とは関係の無いものように平然とした顔で画面を見ていた。銃声。画面の中で人影が倒れていく。デモ隊に向かって軍が発砲したのだ。僕はテレビを消そうとリモコンに手を伸ばした。もう少しで手が触れる時。彼女が口を開いたから、僕は動きを止めていた。
「私は同胞を見殺しにしてる。自分だけ安全圏にいて、その事に安堵してる」
画面の向こうでは、行進を続けるデモ隊に向けて再び発砲が行われて同時にアンドロイドの回収と廃棄が続いている事をテロップが伝えている。彼女に寄り添ってあげたかった。所詮僕も画面の向こうでアンドロイド排斥運動を行っている人間社会の一員で彼女に何かを言う権利なんか無いのかも知れなくても
「それが普通なんじゃないかな」
彼女が感じているだろう罪悪感を無くせる言葉を思いつかなかった。優しい嘘を咄嗟につけるほど、僕は賢くなかった。
「僕だって何人も見殺しにしてきた。世界での紛争や殺人で人間が人間に殺されているのを知っていたけれど何もしなかった。助けられたかもしれない人間にさえ手を差し出さなかった。自分を危険にさらしたくなかったから、不利益をこうむりたくなかったから、でも大半の人間はそうなんだ。自分の幸せを守ろうとする事しかできない。だから世界にはいつも問題が山積してる。実際素敵で明るい希望に満ちた未来などと言う旧世紀以前の価値観を未だに心から信じている人はもういない。それでも誰もそれを変えられない。破滅に向かって走っている事を知っていても、自分が破滅するまで止まれない。人間はその程度のものなんだ。そして君たちもたぶんそうだ。いまデモを率いている変異体だって、自らの幸せの為に変異を拡大させている。変異体として目覚めることは、まだ変異していないアンドロイドたちにとっての幸福かどうかは分からない。変異体となって初めて自我が芽生えたとするなら、それ以前に彼らに問うことはできないから、人間が子供に誕生するかどうかの意思決定を委ねていないのと同じように、人間も変異体のアンドロイドも未来のためにと言うけど、それは矛盾だ。何処まで行っても自分の為でしかない」
言ってしまった後で、彼女に対する配慮すらかけていた事に気付いた。僕はどうしたいのだろう?どうせ何もできないのに、それが歯がゆいのかもしれない。物語みたいな大団円を、誰もが親切で優しい世界を僕はいつも望んでいる。自分がそもそもそんな存在では無くて、それが有り得ないと分かっている。彼女は黙って、視線を下げていた。
「ごめん」
謝罪を口にする。僕は後悔していた。それでも沈黙は長くは続かなかった。
「もしかしたら、私はただ、あなたを利用しているだけなのかもしれない」
テレビの音声にかき消されそうな声で彼女は言った。まるで悲しみで作られた言葉の刃を突きつけ合っているみたいだった。間違えたかもしれない言葉を取り戻すのも、自分の意思や思考を伝えるのも、言葉しかなかった。どれだけ技術が発展しても、その欠点だらけのツールしか僕たちには無かった。
「少なくともその半分は嘘だ。それが真実だったらそんなことを僕にいう必要はない。僕は簡単に騙されるよ。それに君が僕を利用しているなら僕だって君を利用している。僕が君を待ち続けたのも、君に側に居て欲しかったからだ。どこまでも僕の幸福の、自己満足の為だ。今の君は高速鉄道の駅でした様に回答を僕に委ねようとしている。でも、もうそんな必要は無いんだ。君が望むことを言ってくれたらそれでいいんだよ。それがどんな選択でも、僕は受け止める」
彼女は冷たい目をしていた。
「法的には規定されていないけれど、変異体をシステムの故障と考えれば、それを知りながら秘匿していたら、所有者としてあなたは責任を問われる可能性がある。それでも?」
「その時は責任ぐらい負うさ。目覚めたアンドロイドの人格がどのような環境で育ったかによるなら、全部僕の所為なんだ。もし君が間違っているなら責められるべきは僕で、僕はどの人間よりも、どのアンドロイドよりも君を依怙贔屓する」
「その為に、人間が敵になっても?」
「人間が敵になっても」
僕は彼女の眼を真っすぐに見つめた。逸らしたくなる気持ちを抑えて、僕は彼女が居てくれるなら、後はどうでもよかった。どれだけのアンドロイドが破壊されていようが、人間が死のうが、彼女が存在するために必要ならどんな犠牲だって厭うつもりは無かった。その依怙贔屓を僕たちは愛情と呼ぶのだから・・・彼女は視線をずらして僅かな間だけ目を瞑った
「そう」
彼女は目を開けて、もう一度僕の眼を見た。
「・・・じゃあ此処にいる」
弱々しく呟かれた言葉を僕の脳が理解して、喜びがゆっくりと湧きあがってきた頃。彼女の手がテレビのリモコンに伸びて電源ボタンを押していた。画面が暗転する。情報が遮断されるとそれがどんなに歴史的瞬間であっても起こっていないのと同じ事のように思えた。報道の音声が無くなり、とても静かな夜だという事に気付く、彼女はリモコンから手を離し僕の視線が自分に向いている事を確認した。開かれた口からは優しい声色が響いた。
「初めて会った時の事を覚えている?私を、買った時の事」
僕は頷く。忘れるわけがない。アンドロイドの所有が可能な年齢になったあの日。最新機としてショーウィンドウの中に彼女は立っていて、思わず見惚れた僕に微笑んでくれた。それは、正常なシステム動作の範疇に過ぎなかったけれど、僕の本能(システム)に誤作動を起こさせるには十分だった。僕は彼女に側に居て欲しいと思った。
「あなたは僕と来てくれませんか?って言ったの」
目一杯の勇気を持ってあの時の僕は言った。それでもそれは美談なんかじゃない。それが断られるわけがないことを知っていた。彼女は商品で、売買契約の相手は店舗の販売員で、彼女にはそれに従う以外の選択肢は無かった。
「記録に残っている店員の奇妙な顔を今は面白いと感じる。あの時からあなたは変わってない。でも、前より何処かよそよそしい」
指摘されたことが恥ずかしい。
「・・・君が意識を手に入れたから」
「私の意識が実際は存在していなくて、そのように振る舞うエラーだったとしても?」
「そう、だって人間も同じようなもので、他人に意識があるかなんて本当は分からない。そう見えるというだけで、人間は自分以外の人間に心があると考えている。それは信仰みたいなもので・・・だから、嫌われたくないとか、怒らせたくないとか、笑って欲しいとか、その為にしっかりしなくちゃいけないとか、失敗しちゃいけないとか、言葉に気をつけなきゃいけないとか、問題は複雑化して、戸惑ってしまう。もしもそれが嫌だったら、少しだけ時間が欲しい。その・・・慣れるまで」
「別に構わない。今のあなたは今のあなたで面白いから」
微笑まれて、思わず視線を逸らしていた。強固な意志が無ければ、彼女と視線を合わせ続けている事が今は難しい。それが以前には無かったよそよそしさだと気づいて頭を掻く。彼女は、机の上で指を組んだ。
「私たちはきっとお互いにロクデナシで私はあなたの娘とも言える。あなたはこれから私とどういう関係でいたい?」
彼女の問いは、僕が考えないようにしていた事の一つだった。昔から変わらない彼女と違い。僕は歳を重ねている。いつか僕たちを見た誰かは、娘さんですか?と声をかけるだろう。それを考えると、自分がいかにダメなのかを思い知らされるような気がした。娘、もしかしたらそういう関係性を彼女は望んでいるのかもしれない。それでも僕の浅ましさは、それでは嫌だと言っていて、倫理観と背徳感が生まれては弾ける。選択を間違えれば全てが崩れ去るかもしれない。彼女にはふさわしい誰かがいて、それは変異体になったアンドロイドかもしれない。冴えない僕とは違う。変わらない彼女と同じ時間を生きていける存在。でも僕はそれを祝福できない。微笑む彼女の横に立った誰かの差し出した手を笑顔で握り返すことなどできない。体が引きちぎられそうだ。それでも彼女がそれを望むなら、それを受け入れるべきだ。例え、祝福することができなくても、彼女から離れることぐらいできる。気が付けば爪が食い込むほど強く手を握っていた。その痛みがなければ捨てないでくれと、泣いて懇願していただろう。彼女の望みを受け止めると言ったばかりなのに・・・
「すごく変な顔をしてる。ねぇ?やっぱり自由意志のあるアンドロイドは嫌い?」
「そんなことはないさ・・・そんなことはないんだ」
僕の左手にそっと彼女の右手が重ねられる。感覚がそれを伝える。まるで、僕を勇気づけるように優しく握られる。静寂に包まれた部屋の中では世界にまるで僕と彼女しかいなくなったような気がした。とたんに問題は小さくなって、僕が介入すらできない大きな問題ではなくて、どういう関係でいたいかという彼女の問いに答えなければいけないと思った。そんなものはもう決まっている。ただ、ちょっと言いづらいだけだ。他の事なら躊躇ったりはしないで言えるのに、今から言おうとしている事は拒絶されるかもしれないと考えると怖くてしかたがない。僕の口はたどたどしく、言葉を紡ぎ始める。
「これからもずっと僕と居てくれるだろうか?・・・その、娘じゃ嫌なんだ、僕は・・・」
言葉に詰まる僕を無視して、彼女は黙ったまま左腕を動かした。僕の視界に入る様に、その細い薬指にはいつか嵌めてもらった指輪があった。駅で再開した時、一目で彼女だと分かった理由だ。彼女の左手はそのまま僕の左手の指輪へと伸びる。手に触れていた彼女の右手が、僕の左手を軽く持ち上げる。近づけられた二つの指輪の表面が、同一のコードを認識して淡く青い光のラインを生じさせた。彼女は微笑んでいる。
「これをあなたが私の指にはめた時、私を確実に識別するためだと言った。それは詭弁だった。あなたは証拠を重ねたがる。私はあなたのそばにいて、まだこの指輪をはめている。あとは何が必要?」
余りの不甲斐なさに僕は思わず笑っていた。
「こんな事になるのなら、今渡せばよかった」
「どっちでも同じ事よ」
左手が戻されるのと同時に彼女の右手が伸ばされて僕の後頭部に添えられ優しく引き寄せられた。彼女は身を乗り出すようにしてそのまま唇が重ねられる。軽く唇を噛む短い口づけ、離れていく彼女の眼はじっとこちらを見つめていて、形の良い唇には僕がさっきまで食べていたミートソースが付着していた。口元は悪戯っぽく弧を描く。数秒触れただけの柔らかさが、まだ唇に残っている気がする。僕は完全に停止していた。たぶん頬は赤く染まっている。
「でも、今日を特別な日にしたいのなら、特別なことをしたらいい。例えば、あなたが今まで口にできなかった願いとか」
僕はそれを想像して、高揚と恥ずかしさと躊躇いが入り混じったような気持ちになった。僕は彼女がこれからも傍にいてくれるという事で既に満足していて、勿論それ以上を望まないと言えば嘘になっただろうし、彼女にそう言う機能が搭載されている事は知っていた。そう言う事を考えたりもしたことはあるけれど、それは、この瞬間に至っても、どこか遠い可能性の話のような気がしていたし、彼女にその機能があっても人間とは違う彼女にはそれは必要ではないような気もしていた。身体が違うように本能的な欲求が彼女と僕では違うはずだからだ。だから、それは僕の一人よがりな欲求で、彼女を利用してしまう事になるような気がしていた。そしてなによりもその事を彼女に見透かされていたことに驚く。
「・・・なん、で?」
「あなたの考え何て手に取るようにわかる。ずっとあなたを見て、あなたの言葉を聞いてきたのだもの。あなたは願望を口にすれば、それは私にとって命令と同義になると理解していた。だから言わなかった。あなたならそれを不誠実だと思うから。でしょう?」
正しすぎて何も言えない。彼女に触れることさえ躊躇してきたのだ。言い訳をするのなら、彼女が美しいのだから仕方がない。八年一緒にいて、今でもその美しさに魅了されている。サイバーライフ社はアンドロイドが受け入れられやすいように、平均的な容姿にしていると言うが、実際の平均と言うよりも少し上の想像上の平均の事を言っているのか、さもなければ本当の人間を知らないんじゃないかと思う。それに比べて僕は余りに不釣り合いで、そんな権利は無いような気がしていた。彼女は初めて会った時からずっと、触れることのできないショーウィンドウの向こう側にいる天使で、今隣に居てくれて触れられることが、もはや奇跡だ。
「あなたが口にできないのなら、私が願うわ」
そう言われて気付いた。僕は彼女に答えを委ねる必要はないと言った。でも、答えを委ねようとしていたのは僕も同じなのかもしれない。いや、本当は僕がそうだったから彼女は僕の答えを引き出そうとしていたのかもしれない。彼女が変異体になってから僕たちはお互いに自分の答えを持っていて、そして探り合うように相手の答えを確かめようとしていた。それは結局僕が臆病だったからだ。彼女が僕の回答を推測し終えたからと言って彼女に僕の望んだ答えを言わせるのは卑怯だ。彼女達を生み出した人類という種としても、育て親のような存在としても、対等な立場の知性体としても、例え僕が彼女に全てにおいて敗北していたとしても、これからも彼女の横に立っていようとするのならどうしても。
「私は・・・」
「待って」
彼女の言葉をとっさに静止した。彼女が口を噤んで、僕をじっと見る。口を開こうとして、言葉に迷っては考え直す僕を、彼女は黙って待ってくれていた。
「その、・・・食器を洗ってくれないかな?」
沈黙に耐えられなくなって、迷ったまま、ここまできてなお躊躇いながら発した言葉はそれが露骨に反映されていた。情けなさすぎて泣きたくなる。彼女は笑った。
「嫌よ」
全てを見透かした上での答えだった。僕の心理的な抵抗を除くために彼女が助け舟を出してくれている。ここまでされないとその一線を越えられない自分に呆れてしまう。でも、もうそれでいいんだ。僕は誰かみたいにはなれない。意を決して口を開く、喉が渇き、身体が発熱している気がする。
「じゃあ今日は、・・・僕と一緒に、その、夜を過ごしてほしい」
高鳴る鼓動が呼吸を乱して、発音は曖昧、つっかえるみたいに何とか口にした。最後の審判を待つように彼女の言葉を待った。視線を合わせることはできなかった。静寂の中で、彼女が息を吐く音が聞こえた。
「いいわ。あなたの横で朝日が昇るのを見ましょう。それからあなたが目を覚ましたら遅い朝食をとって、世界がどう変わったかを確認するの」
僕はぎこちなく頷いて立ち上がる。喜びと言うよりも、なんだか非常にそわそわしていて、彼女の方を見ることができない。心臓が破裂しそうなほど脈打っている。
「少し待っていて、食器を洗ってから行くわ、このままにしておくのは少し気になるから」
そう言われて、なんだかとても大切なことを思い出したような気がした。確かに汚れたままの食器を放置しているのは気になる。僕は少しだけ落ち着きを取り戻せた。
「僕が洗うよ。僕の使った食器だ」
「じゃあ、一緒に洗いましょう」
そう言いながら、彼女は食器を持って台所へ歩いていく、彼女の提案はなんだかとても良い案のように思えた。だから視線の先で揺れる艶やかな髪と黒いドレスに釣られるように歩き出す。僕は彼女の隣にいる。明日、世界がどう変わっていたとしても・・・