機巧少女は傷つかない ~白き妖刀と人形使いの物語~   作:井倉丼

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プロローグ 始まりの朝は慌ただしく

「お腹減った!! ウスイ。美味しいご飯作って来てーっ!! 」

 少女は使い古されたボロいベッドに堂々と居座り、甲高い叫び声を上げながら暴れ出す。

ぎしぎしとベッドの軋む音が耳に響き、その騒音がぼんやりしていた頭を一気に覚醒させてしまった。

 朝焼けの眩しい空から差し込む光に照らされた薄暗い室内。

 燦々と輝く日光に映る彼女の身体は湖畔の湖のごとく透き通り、その肌は世の女性が見れば等しく羨望を感じるほど瑞々しい。

 腰まで伸ばした美しい白髪が、流れるようにシーツの上へ広がっていく。それに伴い、寝間着であるパジャマがはだけ、人並み以上に大きな膨らみや滑らかな乙女の脚線美が垣間見えそうになった。

 頭の隅で、可笑しな角を生やした悪魔が覗け覗けと執拗に囁きかける。

 魔性の誘惑に落とされる寸前、少女の純粋であどけない瞳を見てなんとか思い留まることができた。

 気を取り直して彼女のほうを向き、優しく諭すように言い含める。

「鶴姫(つるひめ)。朝からあまり大きな声を出すんじゃない。隣りの部屋で寝ている人たちに迷惑が掛かるだろ」

「そんなの知らないもん!! ゴハンゴハンゴハンーっ!!」

 そうしてベッドに座る少女――鶴姫がバタバタと手足を振り回す。

 頼むから、そんなに暴れないでくれ。動くたびに胸とか尻とかチラついて、そんな悩ましい光景は健全な男子には目の毒でしかないんだから。

 ましてやここは男子寮。朝っぱらからあらぬ疑いを受けるようなことはしたくない。

「分かった。少し早いけど、食堂に行って朝食を採ろう」

「えー、ウスイの作ったヤツがいいーっ!」

「文句いうんじゃありません。ほら、早く着替えた着替えた!!」

 ちえーっとブーブー文句を言いつつも納得してくれたのか、姫鶴はベッドから飛び降りると、部屋の隅にあるクローゼットまでゆっくり歩いていく。

「それじゃあ、僕は廊下に出ているから着替えが終わったら呼ぶんだぞ」

「オッケー」

 お目当てが見つからないのか、ポイポイ衣服を投げ捨てながら返事をした姫鶴に毎度のことながら不安を感じる。次入った時、部屋の様子が今と変わっていないことを切実に祈る。

「はあ……」

 口から思わずため息が漏れる。

 英国へ留学して早二ヶ月。最初は文化や価値観の違いに悩まされ、同年代の生徒との才能の差に打ちひしがれたこともあった。

 それもしだいにだいぶ慣れてきて、現在ではそれなりに充実した学生ライフを送れていると思う。

 もっとも、この学院での生活が「一般的」な学校の生活とはあまり言えないかもしれない。

 英国ヴァルプルギス王立機巧学院。

 大英帝国の機巧都市リヴァプールにある魔術の最高学府。この学院には世界中から優秀な若き魔術師、人形師が集結して日夜魔術の発展に向けた勉学に励んでいる。現在までの在籍生徒数一二三七人。その大半は貴族の御曹司・御令嬢で占められていて、僕のように記録上は庶民の家柄である人間は非常に珍しい。

「そう言えばこの間、新しく留学した極東出身の生徒の噂があったような……確か、性はアカバナーー」

「赤羽(あかばね)だ。人伝えに聞いてはいるみたいだが、せめて名前は正しく覚えておいてほしいぜ」

 不意に右側から声を掛けられる。

 振り向いてみると、そこには精悍な顔つきをした東洋人と思われる少年と、黒い着物に身を包んだ黒髪の少女が立っていた。

「えーっと、君たちは?」

 見知らぬ人間から話しかけられた際の対処法その一。まずは相手の素性を確かめるべし。

「俺は赤羽雷真(あかばね らいしん)。あんたがたった今名前を間違えてくれた、日本から留学した噂の転入生さ。そして、こっちにいるのは俺の相棒で――」

 自己紹介を続ける少年ーー赤羽さんの横から、黒髪の少女が滑り込むように割り込んできた。

「初めまして。雷真の妻を務める夜々と申します。以後お見知りおき下さい」

「違うだろ。初対面の人間に嘘の自己紹介をするな」

「嘘じゃありません。まだ入籍こそしていませんが、雷真と夜々は固い絆で結ばれて、既に夫婦同然とも言える濃密で絡み合うような甘い関係を築いているんです」

「そんな卑猥な表現が必要なことをした覚えはない! お前はそうやっていつも周りに要らん誤解を招いて、どれだけ俺を困らせれば気が済むんだ」

「とんでもないです! 夜々はいつでも雷真のためだけを考えて、雷真が変な虫に誑かされないよう行動しているだけなのに……っ!」

「余計なお世話だ!!」

 赤羽さんと黒髪の少女、夜々さんは僕の目の前でいきなり口喧嘩を始める。

 お互いに譲らず言い争い続ける様は、しかし決して仲の悪さからくるものではないとすぐに分かった。

 口では怒っているようなことを言っていても、その表情にはどこか一定以上の信頼を寄せる者だけに向ける親しみに似た何かがある。きっと、これが彼らなりのスキンシップなんだろう。

「まあまあ、二人とも落ち着いて」

 いつまでも終わる気配を見せないので、頃合いをみて仲裁に入る。朝から廊下で口論が続いては他の部屋で寝ている生徒に迷惑になるからね。

 二人はバツの悪そうに顔を曇らせたが、それでもちゃんと僕の言ったことを聞き入れて中断してくれた。思ったよりも素直な人たちでよかった。

 赤羽さんは軽く咳払いをすると調子を取り戻したのか、再び僕の方へ向き直る。

「す、すまない。こっちから話かけておいて失礼な態度をしちまった」

「いや、別に気にしなくてもいいよ。僕もちょっと暇になっていたところーっ」

 土砂崩れの如き壮大な崩壊音が僕の部屋から轟く。

 それと同時に、はわわーーーっと聞いてる方が情けなくなる少女の呻き声。

 思わず右手で額を覆っていると、隣に立つ赤羽さんと夜々さんが心配そうに僕を見詰めてきた。

「なあ、今のは?」

「……僕の“相棒”です。さっき着替え始めたから一旦外に出ていたんですが、何か可笑しなトラブルでも発生させたんでしょう。全く世話の焼ける」

 僕は嘆息しながら自室の扉を開ける。

 ほんの数分目を離しただけなのに、そこには形容し難いまでの惨状が出来上がっていた。

 開け放たれた木製の衣装棚。

 床一杯に広がる、白や桃など柔らかな色彩の下着の数々。

 そして、その中心で涙目になって蹲る、雛鳥のように可愛い美少女。間違いなく鶴姫だ。

「ウスイ~っ、いつもの服どこにいったか知らない? 部屋が散らかって分かんなくなっちゃったよ~!?」

「お前が散らかしたんだろ。服は後で探してやるから、まずはさっさと体を隠しなさい」

 へたりこむ鶴姫は服を着る途中だったらしく、身に付けているのはパンツとホックの外れたブラのみ。かろうじて片手で押さえているものの、巨峰のように豊満な胸が今にも零れ落ちそうになっている。

 ちらりと後ろを見ると、赤羽さんは唖然とした様子で大口を開けたまま固まっていた。まあ、半裸の美少女が男子寮の一室に涙目で座り込んでいたら誰でも驚くよね。

「ら・い・し・ん」

 一瞬で爪先からうなじまで凍り付くように底冷えした声。

 赤羽さんがギギギと壊れたブリキ人形のような動作で首を回すと、その視線の先で夜々さんが満面の笑みを浮かべていた。

 ただし、目は完全に瞳孔が開いており女の子特有の可愛らしさは微塵もない。

「……ど、どうした夜々。俺は決して、見惚れてなんかいなかったぞ」

「まだ何も聞いていませんよ? 疾しいことがないのなら、夜々の目をちゃんと見て言ってください」

 顔中から滝のような汗を流して弁解する赤羽さん。

 よっぽど怖いんだろうな。でも、今の夜々さんを見るとその気持ちはすごく分かる。

 夜々さんは廊下の床をズンズン踏み抜きながら、一歩また一歩と赤羽さんに近づいていく。

 やがて二人の顔が触れ合うほどの近さになり、雷真さんは視線を合わせまいと顔を反射的に横へ向けてしまう。

 ああ、だめだ赤羽さん!! そっちには未だ脱衣中鶴姫(ハニートラップ)が残っている―――!!

 「はわわ? なんか知らない人がいる。ねーねーウスイ。この男の人、なんで鼻から血が出てるのーっ?」

 鶴姫が空いた手の指先を突き付ける。

 赤羽さんは、口元を鼻血で染めながら鶴姫を凝視していた。より具体的には、か細い腕が抑え込んだ二つの豊満な果実を。

 頭の中までお花畑な鶴姫に色香の類は一切ない。しかい、その肉体は女性として十二分に魅力的で、男に生を受けた者なら否応なく反応せざるをえない。

 コクンと首を傾げる度に、細い腕に収まりきらない膨らみが揺れ動いた。

 鶴姫自身、裸を見られることを恥ずかしいことだとは全く考えていないらしい。この学院に入るまで僕と師匠を合わせた三人だけの暮らしだったから、色恋沙汰とは無縁の感性をもっているんだろう。

 その時、僕の耳元に肉の塊を握り潰すような不気味な音が届いた。

 まずい。殺気は自分に向けられたものじゃないはずなのに、傍にいるだけで震え上がるほどの凶暴な気配がする。

 意を決して音が聞こえた方を振り向く。そこでは鬼の形相を浮かべた夜々さんが、華奢な肉付きからは想像も付かない万力で赤羽さんの首を締め上げていた。

 身体ごと空中に吊るされた赤羽さん。顔はトマトのように充血しているのに、その表情は真っ青で今にも窒息死してしまいそう。

「また、余所の女狐に夢中になっていましたね雷真? あんまりオイタが過ぎると、軽い罰として眼球をくり抜いちゃいますよ?」

「全然軽くねえ!? ちょっ、頼むから、手を放せ夜々……!! マジで死ぬ……っ」

「や、夜々さん。お願いしますから下ろしてあげて!! 赤羽さん白目向いてますよ、ってもう泡吹いてきてるし!? お気を確かにーーーっ!!」

「はわわわ、なになにどうしたのウスイ。ていうかお腹減って我慢できない。早くご飯食べにいきたいーっ!!」

 

 

 これが、魔術師見習いの僕――神崎雨水(かんざき うすい)とパートナー鶴姫のとある朝の一幕。

 魔術とは何の関係もなく。どこまでも平凡でくだらない話。

 だけど後で振り返れば、僕たちの運命を変えた最初の転換点(ターニングポイント)は、まさにこの愉快な少年少女との出会いだった。

 

「さあ雷真!! 死にたくないなら、今ここで夜々との結婚を宣言してください!!」

「それは求婚じゃなくて脅迫だ!!」

 

 ……たぶん。

 

 

 

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