機巧少女は傷つかない ~白き妖刀と人形使いの物語~   作:井倉丼

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13話 少年の記憶 Ⅰ

 冷たい雨が降っていた。

 絶え間なく鳴る水の衝突音はしだいに激しさを増し、周囲はすぐに喧しくなった。

 ざあざあと止む気配のない雨水のカーテン。

 その中で覆い被さるように、小さな男の子が倒れていた。

 年の頃は九歳か十歳。少女と見紛う可愛い顔つきには愛らしさがあるが、首より下は目を背けたくなる有様だ。

 肩から臍にかけて伸びる斬り傷。

関節の向きを無視して折れ曲がった右足。

 着ているのは清潔感のある白いシャツだったが、流れ出た血を吸い過ぎたせいで赤黒く染まってしまった。

 割れた鏡に映りこんだ少年は虫の息。おそらく、あと一時間にも満たない命だろう。

「ほう、これは驚いた」

 人の声が聞こえる。

 剣呑に上を見上げれば、美しい人型がそこにあった。

 少年より僅かに背が高い女の子。刺々しい装飾が目立つ黒い着物姿は、お伽話に出てくる悪魔や妖精に酷似していた。

 膝元まで伸びる金砂に似た髪は濡れそぼり、ピタリと張り付いて一本の毛束に変わっている。これだけの豪雨にも関わらず、彼女は傘を持っていなかった。

 突き刺すような雨は気にも留めず、瀕死で倒れる男の子を値踏みするかの如く観察する。

「生き残った者がいるとは思わなかったぞ。どのみち、もう長くないだろうが」

 目の前の女の子から告げられた、無慈悲な死。

 しかし、無理もないことだ。

 例えば世界一の名医がこの場にいたとしても、この深手を見れば、治療するまでもなく匙を投げたに違いない。

「ここまで保ったのは奇跡……いや、不運だと言っておくか。さっさと死んでおけば、無駄に苦しむこともなく、他の連中と共に逝けただろうに」

 ぐるりと首を回して、辺りの惨状を見渡す。

 倒壊した家屋。三十人は収容できる大きな武家屋敷が、見る影もなく木屑の廃墟と化した。

 その瓦礫から零れ出た、巨大で不気味な赤い水。

 溢れながら広がる血塩は池の様に溜まり、雨水がそれを溶かして大河を形成した。

 さしずめ三途の川。瓦礫に埋もれる骸たちは地獄の住人。川を挟み、対岸に立つ女の子は現世の住人。

 では、その境目に座るこの子はどちらだろう。

「さて。結局あいつには逃げられ、これといって手掛かりもなし。一応目撃者がいるか探してみれば、見つけたのはオシメも取れてないような死にぞこない一人。今回も無駄骨だったか」

 女の子の顔に落胆の色が浮かんだ。

 そのまま立ち去ろうとして、ふと何かに気付き少年へ歩み寄っていく。

「まさかーー」

 大きな金目は段々と細められ、やがて獲物を狙う鷹のように鋭くなった。

 その眼光が捉えたもの。

 少年の両肩から伸びた、かつては「腕」だったもの。

 肘より先は真っ赤な血色しかなく、皮膚には鋭利な刃物で無数に斬られた痕があった。まだ千切れずあったのが不思議だと感じるほど、他の箇所に比べ一際酷く痛めつけられている。

 その先端の手。

 指も切られて数本欠けていたが、残った部位を使い懸命に握られたものがあった。

 見た目は十センチ四方の四角い石。片方は白く、もう片方は黒い。

 岩石にしては光沢がある。金属や鉱物の一種かもしれない。

「そうか。お前がカンザキの跡取りだったのか。息子がいるとは聞いていたが、こんなに可愛い顔つきとは意外だな。てっきり女かと思ったわ」

 彼女はもう一度少年の顔を見る。

 さっきより数段青ざめ精気を失っていた。子供の体力は弱い。予想より早く、あと数十分で息絶えるかもしれない。

「ぼーや、願いを叶えてやろうか」

 氷のような嘲笑が唇を動かす。

「一つだけ聞いてやる。命を助けてほしいでも、親の仇を討ちたいでも、生まれ変わりたいでも、なんでもいい。私は『悪い魔法使い』だから、大抵の望みは実現できる力がある」

 誘うように。

 犯すように。

 悪魔の交渉は一方的に続けられる。

「願いを叶える対価は、その手にもつ二つの塊だけだ。お前には無用の代物だろう」

 じっと白黒の石ころを眺める。

 そういえば、なんでこんなものを持っていたんだっけ。

 理由は分からないが、とても大事なことに思えた。

 渡してくれたのは誰だったか。思い出そうと頑張ってはみたが、心当たりはない。

 それが悲しくて、頬を一筋の涙が流れ落ちた。

「さあ、お前は何が欲しい」

 欲しいものなんてーーー分からない。

 ここはどこだったのかーーー分からない。

 自分は誰だったのかーーー名前だけは憶えていた。他は何も分からない。

 自分はどうなるのかーーーそれは分かっている。もうじき死ぬ。

 疑問は脳内を埋め尽くしていくが、あまり考える余裕は残ってない。

「ぼ……くは……」

 だから、最初に浮かんだ気持ちを言う。

 一人は寂しい。一人は辛い。一人は苦しい。このまま何も分からず一人きりで死ぬなんて、そんなのは絶対嫌だった。

 もしも、我が侭を言ってもいいなら。

「家族……が……ほしい」

 命を燃やすように、精一杯の声で答えた。

 女の子は目を丸くし、阿呆のように呆けてしまう。

「…………くっ」

 ところが次の瞬間、大口を開けて高らかに笑い出した。

「くははははははははっ!!」

 腹を抱えて笑い転げる女の子。その痴態を、死に際の少年は虚ろな眼で見守っていた。

 ひとしきり笑い終えると、満足した様子でゆっくり起き上がる。

「滑稽な小僧だな、お前は。今際に望んだのは救済でも私怨でもなく、ただの<家族>ときたか。本当にそれでいいのか」

 確認する女の子。少年は声に出さず頷いた。

 それを承諾と見た女の子が、そっと少年の頬に手を合わせる。

 彼女の手は雨で冷え切り、まるで人形のようだった。

「契約成立だ。これからは、私がーーお前のーー」

 何か喋っているようだが、もう耳が機能せずうまく聞き取れない。

 そこで、僕の意識は途切れてしまった。

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